2008年12月31日水曜日

今年も

今年もあと数分となってしまった。
東京から信州に引っ越してきて、何かとその違いに戸惑いながらも何とか慣れてきたというのが本音。
自分の真実の姿を知らされ、思う以上に何もないことに驚くがこれが現実である。悲観してはいない。
しかし現実に何かと問われることが起きると落ち込むかな。終わってみれば感謝だった。今年の欠けた所は来る年に補えるように頑張ろう。へんな期待をしないで自らの力で勿論助けを頂きながら自分の足で歩こう。過ぎ去る年に感謝し、来るべきとしに期待をして、誰も読まない今年のブログを閉める。

2008年12月30日火曜日

パレスチナ

今、イスラエルがガザを空爆していることが報道されている。
死者が多く出ているのでイスラエルが非難されている。確かにそうだがなぜそうなったかを報道していない。ハマスは毎日のようにロケット弾を発射している。そのことを一切報道しなくて、今の結果だけを報道するのはどうかと思う。毎日のようにロケット弾が飛んでくるイスラエルの南部の人たちの精神的な苦痛をどう伝えるつもりか。お陰で病気になっている人が大勢居るというのに、どこか腹が立つ。

2008年12月28日日曜日

年末を思う

「ビート武新解釈日本人の現代史」というタイトルの番組をやっていた。サブタイトルは「2008年の総決算・・・」、こう類の物が出てくると暮だなぁと思う。こういうものでも面白いとつまらない物がある。中には優等生的答えを既に持っていて答えが解ってしまうのもあるから余り拘らない彼の視点は好きだ。
現代の問題のルーツは1980年代にあるという捉え方は面白かった。それなりに説得力がある。殺人事件を初め若者の不可解な行動は、遡って見なくては真実はわからないと思う。不可解な事件が起きるということはその人を罰するだけでは解決できない日本の暗部というのがあるような気がする。物質万能主義、見えざる方を恐れる恐れがない。これが一番かな、どこまで落ちて行くのだろう。だから貧しく、質素な生き方をするのがアンチテーゼとして大切なような気がする。

2008年12月27日土曜日

ある番組から

NHK「日本の現場」12月24日放送をたまたま観て感じたことを書こう。

「 滋賀県湖南(こなん)市にあるデイサービスセンター「らく」で昨年の冬、通ってくるお年寄りたちの「遺影撮影会」が開かれた。お年寄りの多くが「死」を自然に受け止め、準備を始めていることを知り、「折角なら遺影を残しておきたい」とセンターが企画した。撮影するのは、写真家の大西暢夫さん。お年寄りが語るそれぞれの人生にじっくり耳を傾けながら「最高の表情」を捉えてシャッターを切る。お年寄りたちも自分が生きた証し残したいとそれぞれが特別な思いでカメラの前に立った。認知症が進んだ妻と二人で撮影に臨んだ元企業戦士、脳出血の後遺症と闘う姿こそ最後の写真にふさわしいと不自由な体を押して会場に来た元医師。今年2月にその模様が放送されると、「自分も個性的な遺影を」という希望が相次ぎ、センターでは撮影会を開催してきた。“遺影”を撮った人たちのその後、新たにカメラの前に立った人たちを訪ね、フィルムに焼き付けられた人生の輝きを見つめる。」

これはNHKの照会文をコピーしたのだが実に示唆に富んだ番組だった。主に二つのことを思った。ひとつは死を身近に覚える年寄りに「遺影撮影会」を行ったことである。いうなれば重病の入院患者に死の話をするようなものだ。全てではないであろうが皆さん嬉々として撮られているのには感心した。誰もが葬式の遺影に不満があったようだ。変に若すぎたり、ぼやけたりしているから私も分かるような気がする。最後に飾る物だから自分でも納得したいのだろう。それに一人ではなく何人もいれば割りと気軽に出来るのかもしれない。それと写真家の大西さんに感心した。あのような写真を撮るのに一人2時間からかけては相手をリラックスさせてから撮る。お若いのにこれがプロかと思った。

伝道もこうでなければならないのではないだろうかと思わされた。まず相手の話を聞く、心ほぐれたら聖書の話をする。下稲葉氏もまずコミュニケーションが大事と言っておられてことと同じかなと思った。心していかなければならないことだ。

2008年12月20日土曜日

やっと

マクグラスの「総説、キリスト教」を読み終えた。660ページ、大変だったがキリスト教の歴史を知ることが出来てよかった。ノンクリスチャン向けにも書いてあるから総論的で少し物足りなかった。ローマでキリスト教が受け容れられてからの今日まで本質的なものは何も変わっていない。まさにキリスト不在であると言ったら過言かな。「バックトーザバイブル」である。イエス様が言われた「わたしに従いなさい」、これは弟子たちの足を現れたイエス様と同じことをしなさいという意味であろう。謙遜の道でもある。教義はそれ程大切なものではないような気がする。勿論異端は困るが、考えさせられた本だった。彼の「キリスト教の将来と福音主義」をもう一度読み返そう。

2008年12月19日金曜日

聖書は

クリスマスが近づいてきた。聖書はイエス様の誕生について、マタイとルカで書いている。ただマタイは博士がルカでは羊飼いがイエス様との出会いが記されている。マタイは博士たちが王として、ルカは最下層の羊飼いに飼い葉桶に寝かされているイエス様を、そしてどちらもふさわしいから面白い。イエス様の二面性?これがキリスト教界を混乱させているのかもしれない。低くなられたイエス様は聖書の中だけでキリスト者はそんなイエス様には興味がないように思える。皮肉を言えば・・・。

2008年12月18日木曜日

今日は

年賀状を書きも終えた。何時もは休みに入ってやるからぎりぎりになっていて、多分着く時は早くて3日あたりになっているのだろうと思う。今回はちゃんと元旦に届てくれるだろう。八ヶ岳の写真を入れたくて岡谷寄りの諏訪湖周辺を探していた。何時だったか釜口水門に行った時、構図的にとてもよかったのでここから撮ろうと何度か通った。噴水も入って気に入っている。ついでに釜口水門より下流を撮ったのも良かったので入れた。まぁまぁだが所詮素人、この文章と同じでそんな出来栄えである。写真を入れようと思っていたが後は何も頭に浮かんでこなかったがやっているうちになんとなく出来てしまった。まだまだ大丈夫かなと少し安心する。

今日差出人無記名のそれも齋藤の斎にサンズイが付いていた封書が入っていたのでなんだろうと開けてみたらピン札のそれも通し番号の1万円札が3枚入っていた。大阪の八尾のスタンプが押してあり、あの辺で知っているのはと詮索するがそこまでにして、二人で祈った。今のところ生活に困らないし、伝道者でもない。何を思ったのか思わされたのか分からない。これからこんな形で助けがあるのだろう。主の前にへりくだらされる事になると思うが感謝である。自分の力が抜けるとき主は働かれる。これは原則、感謝すると共に主を恐る。

2008年12月16日火曜日

資料つくり

以前に新約聖書の概観で、「初代教会の記録」と「初代教会の諸問題」でのチャートを作っていた。それは問題ないのだがユダヤの祭りを空きスペースに入れていたのが間違っていたりして、訂正するのに結構な時間がかかった。資料を調べたり、概観は古いし、新しい資料に従って書き改めていくだけでである。しかしこれを機会に「・・・きろく」は終わっているがもう一度分かりやすいように書いていこう。それに「・・・諸問題」は途中で終わっているのでそれも完成しないといけない。根気と知能が落ちてきているので気持ちだけが先行する。

2008年12月15日月曜日

相変わらず

昨日になってしまったが礼拝の後の話を一ヶ月ぶりにした。準備は遅々と進まなかったがそれなりに纏めて話すことが出来た。しかし相変わらずである。まだ試行錯誤は続きそうだ。文章にするのと話すとでは大分違う。前のところと違って話す機会が増えたから何んとしても聞く人に頷ける話を出来るようになりたい。大切な何かが抜けているような気がする。主との交わりの欠如も大きいような気がする。次回に期して・・・。

2008年12月13日土曜日

相変わらず

明日の話の準備でパソコンに向かっていたがやっと出来上がった。
原稿は半分読むように、半分メモ的で簡単な物になってしまった。話のときにどれだけ肉付け出来るかが問題。実際は20分くらいになるだろうが録音してみたが15分余りだった。淡々として山がないもう少し検討してみよう。以前家内が3人3様だといっていたが、確かにそれぞれのパターンがあるような気がする。それはそれでいいが、もう少し話に面白味がないとつまらない。自分の中にどこかさめているところがあるから熱いものがないと出てこないのかもしれない。どうしたら熱いものが出るのかな、結構内側でくすぶっているのに、来年の課題。しかし、その為には今からやらないと・・・。

2008年12月11日木曜日

進まん

今度の日曜日に話すが遅々とした進み方である。
話す箇所は分かっているがそれにどのように肉付けするかそれがうまく行かない。こちらに来て心がけているのは分かりやすく話す。難しいことは言わない。初めて聞いてもわかる。これをモットーとしている。聖書はどこか飛躍しているところがあるからそれを現実とどう結びつけるかが大切なような気がする。神の人格的な働きをもっと語りたい。

2008年12月9日火曜日

もう九日、誕生日、クリスマス会

12月に入って初めて書くことになる。
当たり前のことだが12月は最後の月で、昔ほどではないにしてもなんとなく気忙しい。それと5日が誕生日で68歳になった。見掛けは若く見えるが中身はそれ相応に年をとっている。特に記憶力は加速度的に衰えてきている。覚える記憶力は限りなくゼロに近く、生活していくための記憶力はまだ大丈夫そうだが聖書の箇所とか本を読んで覚えなくてはならないものは、すがる藁さいもないという状況である。
まぁ、もう覚えなくてもよいと言うことであるかもしれない。ここに来て5ヶ月、ここで何とかできるのは70までだろうと思っている。後2年間何とか頑張って、集会の土台が築かれたらいいなぁと思っている。ここで何かを残すつもりもないし残せない。老兵は消え去るもの、それも静かに・・・。

7日にM兄姉が来られて、一応クリスマス会ということで、彼が千葉のI兄姉に声をかけてくださって、千葉の市原から日帰りをして下さった。聖歌だから譜面通りに弾くのかなと思ったら本格的に弾かれたので感激した。彼らが結婚の時からだから長い、それに姉妹のご両親は以前一緒に集っていたから更に古い。お二人は召されて、共に認知症を患っていたようだが後半は良く知ることはなかった。店も閉め集会の責任からも離れていたからどちらかと言うと没交渉。ここでまた再スタートのようなものだ。

何時もはクリスマス会をやっていたがそれは一般のクリスマスと似たようなことをやっていたらしい。昨年は、何時もやっていたクリスマス会を事情があってやらないことにしていた。しかしM兄が来てくれるということで月の初めのクリスマス会となった。簡単なもので特別何をやると言うものではなかったように記憶している。今回も月初めになり、それでも彼が声をかけてくれて音楽付のクリスマス会となった。何時もの方とY姉の友人にS姉の友人が東京から諏訪に来られるので声をかけたら来るというので、新しい人が3人来られて、皆さん喜んでくれた。東京から来られた方は何度か癌の手術をされているようで、それでもお元気だった。前に住んでいた所の同じ駅を利用される方で向こうに繋がってくれるといいなぁと思った。

我が家で彼らと夕食を共にし、6時過ぎに電車の関係でI兄姉を送る。食事も終え、交わりの中でM兄は12月いっぱいで会社をリストラされることになったこと、来年から伝道者として立つことを話されて、その不思議さに驚かされた。彼が喜んで話をしているので暗さはないのがクリストにある素晴らしさである。それに何時立つのかと多くの兄姉は思っていたからどういう形にしろホッとしているだろう。ビリケツの営業所をトップから4番目まで上げ、3番目も視野に入っていたようだから、何故という問いは社内でもあったようだ。退職金の関係で勤務年数が少ないという理由らしいが妬みもあると部下が言っていたそうだ。彼自身もある程度の実績を残して、引き止められるのを振り切って、専心する思いがあったそうだが思いっきり砕かれたようだ。それに姉妹の踏ん切りと家族への証がこのように解決して喜んでいた。主が用いられるのは能力にあらず。どれだけ砕かれているかにかかっているようである。

その後、彼がNさんに幾つかの質問をして、彼女もそれに答えて、、自分の罪を認め、イエス様の十字架が自分の罪のためであったことを告白した。周りに自分はクリスチャンになるかもしれないといっていたそうだから驚かされる。見た目はささやかでも素晴らしいクリスマス会だった。そこに居合わせたことを静かに主に感謝した。皆が帰った後、二人で祈る。そして子供の立ち返りと救いを・・・。

2008年11月30日日曜日

日曜日

いつも集会は午前中で終わる。今日、集ったのは8名だった。東京に比べると時間的にも内容的にも人数的にも比較にならない。でも小さな集まりの中で礼拝はアットホーム的な良さがある。初代教会も家庭集会の延長のようなものではなかったのかなと思う。大分慣れてきたがそれでもどこか戸惑うことがある。気のし過ぎかも知れないがこのことを踏まえながら次のステップを踏んで行こうと思う。落ち込みそうで腐らないのがいいなぁとおもう。集会を中から変えていく楽しみがある。それには人がこだわることにこだわらず。こだわらないところにこだわる。そして自分には力は何もないことの強さがある。

2008年11月29日土曜日

歩くと言うこと

先月、東京に3日ばかり行って来て感じたことは、良く歩くということだった。それはこちらでは歩かないということでもある。東京は電車にしろバスにしろこちらとは比べものにならないほど便利がいいし、乗客も多い。車の便利さはたしかいいがそれが安易に車でという発想になるのではないだろうか。歩くと言う大切な行為が便利さと言うことでスポイルされているような気がする。現代はこのような考えが当然のようになっているのかもしれない。自分も努めてという思いがあるが「つい」という行動をとってしまう。

それで週に一度か二度、町の中心部に歩いていくようにしている。健康のためにこれ位でどうかと思うが、家でコタツに入って本を読み、TVを見ているよりは遥かに良いことだろう。それで昨日も図書館に行こうとして出かけたのだがお休みだった。そういえば月末の金曜日は休館日であることを思い出した。それから映画にとの思いもなくなり、本屋さんやアピタに寄って帰ってきた。少し疲れる。

何時も思うことだが車では見えなかったものが見え、入れないところに入っていけるからこれもまた楽しい。変な好奇心があるから、どう行ったら近道か、珍しいと立ち止まって見ていたり、歩いている人が少ないから泥棒と思われてもおかしくないなと思ったりもしている。

アピタの駐車場で杖を持って運転しているおじいさん?を見かけた。歩くことは難しくとも車だと出掛けられるか、これは車の良さだなと思った。車の便利さと言うより良さ、歩くことの大切さ、歩けることの感謝、どれもその恵みに預かっている事を改めて思わされた。

2008年11月27日木曜日

パンくずを拾うとは

タイトルとその理由を聖書から引用したと書いた。
しかし、その割には余りパンくずのようなことは書いていないなぁと思っている。これは日々の生活の中でささやかであって教えられることがあるだろう。それを書けたらとの願いでもあり、それは信仰の糧にもなると思ってネーミングしたのだが・・・。それらのことがないということか・・・。
 

おくりびと

こちらに来て始めて映画を見た。
スカラ座といって昔からある映画館らしい。今は東京と同じようにいくつかの映画をやっている。こちらに来て映画にはまったく興味がなかったがあるブログで紹介されていたので見てしまった。

役者の紹介はパスとして「納棺師」と言う職業があるとは知らなかった。葬儀屋がただ棺に納めるだけのことかなと思ったがそうでもないらしい。そういえばおばあちゃんが亡くなった時、男の人たちが何人かで盥で体を洗っていたのを思い出した。あれもお湯から水を足して行くやり方でなく、水からお湯を足していく逆さ水というやり方でやるそうだ。それと一茶だったか「盥から盥にちんぷんかんぷん」という言葉を思い出す。もう盥なんてないだろうから現在は死語になっているのではないだろうか。

かつてはもう死んだ体だからとその遺体は物体でしかない。そんな認識しかなかったような気がする。優しさがないといえば優しさがない。しかし映画を見てその認識を改めさせられた。棺に納めて焼くだけの間のことと言ってしまいばそれまでだが、地上の最後を親族だけの中で丁寧に扱って行く様は豪華な葬儀と違った重みがある。人をどのように扱うべきかを示しているような気がする。

死人を甦らせたイエス様はその家族の悲しみを良く知っていたから出来たのかなと思った。短絡的に福音は語るべきでないのかもしれない。U師も福音は今はそのように語る時代ではないと言っているがどうなのだろう。人は一度死ぬことと死後裁きが待っていると言う裁きはいかようのものか。

2008年11月26日水曜日

意外性

昨日の昼ごろに珍しくM兄から携帯に電話があった。
先日千葉の集会に奉仕に行き、そこでI姉がピアノを弾いていてとても良かったから、今度クリスマスのようなことをするとか言っていたので、もし良かったらI兄姉と一緒に行きたいとのことだった。

交わっていて、私のことを良く知っていることが分かり、思いついたのかな?長老から向こうの長老に了解を取ってもらってからでないとはっきり言えないとのことだったが、こんな小さい集会に来るのにそんなことまでするのかと思った。でも大切なことなのだろう。彼の段取りの取り方、そして前向きの発展性に感心する。私たちのような者でも集会の繋がりの中で、彼を通して受ける恵みの大きさを思う。たとえ実現しなくてもこのことは大きい。少なくとも覚えて、祈って頂ける。パンくずどころではない大きな恵みだ。

平泳ぎ講習会

昨日で8回の平泳ぎの講習会は終わった。
最初4人で始まって、次回から一人減り、新たに一人加わったので結局4人で始まった。5回目くらいから一人減り、最後の日は用があって来れなかった方がいて、最後に残ったのは3人になった。若いお母さんと言っても?72歳のおばあさん、それに私、親しく話せるようになったりもして良かったが教える方としてはどうだったのだろう。

最初は余りうまく行かないので行くのに気持ちをプッシュしないと行けなかったが最後のほうは大分泳げるようになったので次が楽しみになった。「自分を押し出す」ここで必要なものだから一つクリアーした感じである。それにいつか泳げるようになりたい。どこかシニア対象の初歩から教えるところはないかと願っていた。クロールが目的だったが平泳ぎしかなく、後で分かったのだがクロールは別な曜日にあった。でも終わってみれば平泳ぎで良かった。

目標は25mを綺麗に泳ぐこと、綺麗は別にしてもみんなクリアーした。最初は基本の息のつき方がわからず苦労した。潜ったままで形を整えようとしたり、試行錯誤しながら泳いでみたが、うまく行かず結局基本に従って行くことにした。これが良かったみたいだ。これから週一くらいに通って、ウオーキングしながら泳ぐようにしたい。出来たら往復を休まず泳げるようにしたい。終わってみれば、たかが平泳ぎだがクリアーしたことの達成感があって気持ちがいい。これからの可能性も与えてくれたので楽しみでもある。

2008年11月20日木曜日

息子から

息子から珍しく電話があった。内容は付き合っている彼女のお姉さんの旦那さんが自殺したということだった。鬱は身近に知っていたが自殺されたというは初めてだ。高校生を筆頭に5人のお子さんがいるという。前の集会のW姉のお子さんも中学生だったと思う。その現実を知っているから聞いてそのことがダブった。みんなつらい、悲しみや苦しみを共有することが出来るだろうかクリスト者は…。

雪が舞う

昨日はお天気が好いのに花粉が舞うように雪が舞っていた。一時は積もるかなと思うほど降っていたが気が付いたら雪が上がっているだけでなく日が射しているのには驚いた。こんなことは東京ではなかったのではないだろうか。塩嶺下ろしで寒い地区と聞いていたからそうなのかなと思った。昨日から一段と寒くなって来たような気がする。今日は歯医者の帰り、下諏訪の図書館によって新聞を読んで、帰ろう賭したらもう外は暗くなっていた。身を震わせながら駐車場に行き、家内に寒いのと日が短くなったねと言ったら頷いていた。これから冬本番、寒さと日の短くなるのはつらい。

2008年11月15日土曜日

何故か

 今度の日曜日はメッセージだ。
大分前から準備していて、アウトラインは出来ていたが肉付けが進まない。前置きに少し笑いをと思って色々考えたが近づくとそれもなんだなぁと言う風で没。私は気分屋でそれとどこかで笑いをとろうとする思いがあって、本題がおろそかになる。少し物事を甘く見ているような気がする。心していかないと、サムソンのことを思い出して反省。

2008年11月14日金曜日

美ヶ原

 こちらに来たら行きたいと思っていた所が幾つかあって、その一つに美ヶ原があった。
このところお天気があまり好くなかったが今日はお天気が好く、暖かかったので食事をしてすぐ行くことにした。和田峠の旧道に入り、トンネルをくぐるが交互通行であることを思い出す。トンネルを出たところからビーナスラインに入る。間もなく三峰展望台があってそこで車を止めて周りを眺める。美ヶ原方面は芝生のじゅうたんのように見えたがそれは熊笹が密生してそう見えたのだった。実に美しい。
別な斜面は薄小豆色で日が射していたのでこれも美しい。扉峠からは下り坂になるので道を間違えたのかなと思った。着いてみたらそれ程でもなく少しがっかりする。地図で見ると車で通れないようだから歩いて散策するようになっているみたいだ。時間がないのですぐ引き返す。店は一軒だけ開いていたが閑散としたものである。シーズンオフに近いのかな、それとウエークデイでもあった所為かもしれない。見ているうちに下から霧が上がってきたのには驚いた。考えて見れは2000メートル、結構高い山と同じであるから当然だあろう。

 ビーナスラインを戻って霧が峰まで行く、途中諏訪湖が見えるところがあるが後は山しか見えない。湿原も霧が峰も店はしまっており、車はまばらだったがそれでも車山のロープウエーは少し車があった。店もやっていたようだ。富士見台で車を止めて、北、中央、南アルプスを一望する。目の前に見えるように感じるから壮大である。むしろ近くの八ヶ岳が近くに感じなかった。しかし案内板を見てもどの山がどれだか分からなかった。

 白樺湖に下りて蓼科へ、そして奥蓼科へと向かう。そこで王滝というのがあって、急な坂を下りてみるそれ程でもないがそれはそれで良かった。少し汗ばむが心地よい。案内板を見て少し先に対岸に渡れる道があることを知って走る。対岸に渡り、逆方向に行ったことに気づき戻る。大分走っていると水面のような物が見えた。そしてそれが御射鹿池だった。吉永小百合が出ていたシャープのコマーシャルである。思ったより小さかったが湖面に前方の木々が鏡に映るように、綺麗に映っているのは圧巻だった。大正池を思い出した。残念なことに少し暗くなっていたので写真ではよく取れなかった。機会があったらまた行って、写真にとっておきたい。

 茅野は奥があるからそこから市街に出るまで結構ある。諏訪のエイデンにより、あそこのアウトレットで夕飯を食べて帰ってきた。ただひたすら走ったという感じで、ゆっくり愛でる心はごく一部、家内は少し不満、良く分かります。今度はゆっくりと行こう、でも相変わらずでこんな感じになりそう。前日にスタッドレスに早々に替えたばかりだったがこんなことならこの後にすればよかった。

2008年11月8日土曜日

吉祥寺集会

 上沼先生と最近メールのやり取りをするようになった。

そんなやり取りの中で、先生のお父さんの実家が飯田市の元善光寺であること、機会があったら訪ねたいと願っていることを知る。その時は岡谷の駅で待ち時間に会いましょうとメールを頂いたが時間を調べたら2時間半もかかる。車だったら1時間くらいで行けるのでその時はぜひ声をかけてくださいといっていて今日それが実現した。こんな形で先生と再開出来たことは感謝である。

 先生も子供の頃しか行ったことがなかったそうだが同い年の従兄弟がお兄さんが留守ということで来ておられた。その方ともう一人の従兄弟の方は同じ年なので一緒に遊んだので記憶しておられた。皆さん気さくな方たちで、色々話をしてくれた。その話の中で後を継いでいる従兄弟のお母さんがクリスチャンであること、それを導いたのが伊那にいる姪の方であり、ベックさんとか軽井沢と聞いてピンと来た。吉祥寺集会の人が伊那にいることを聞いていたのでその方であることを知った。先生も驚いていたがベックさんを知っているが教会では余り良い印象を与えていないのではないだろうか聞く勇気はなかったが。キリスト教界の狭いことを改めて知る。

 

2008年11月6日木曜日

始める?初めて

 昨晩から月2回の割合で二人の姉妹と勉強会を始めてた。
最初何でもと言われていたから大体のことは決めていた。聖書図書刊行会から出ている「だれでもわかる聖書の教え」をベテランの信者にと思ったが聖書の理解を深めるのというより聖書の知識のない人に分かるように話せるためにの思いで選んだ。勉強会は初めてであり、どのようにしていいかわからなかった。しかしこのことは必要であろうとの思いもあり祈っていたことでもあったので躊躇しなかった。

 一回目は一章「神は存在するのか」既に分かっていることでもあり、質問設定にもそれ程入り込むこともなく終わって、雑談に入ったがと言っても信仰に関することを色々話をし、答えたり、お話を聞いたりすることが出来て私としてはとても良かった。日曜日の午前中で終わってそれだけと言うのもなんだぁと思っていたからどこかで交わる場が与えられたられることを祈っていた祈りの答えであると思っている。

 一人の姉妹は耳が遠い、だから話や祈りが分からないことがあるようで、来る存在価値を見失いそうな話をされて少し驚くと共に考えさせられた。東京では苦情は聞くだけでよかったけれどここでは即集会のこととして対応しなければならない。その分大変だが今まで避けていたことをここでは「やれよ」と言うことなのかもしれない。自分をプッシュしての思いもあるので重い腰を上げて出来るように祈りながらやろう。主よお力を勇気を知恵を時機にかなった助けをお与えください。

2008年11月3日月曜日

昨日、今日、そして明日

 29日から31日まで東京に行ってきた。こちらに引っ越してきて初めて3ヶ月ぶりである。最初は8月の終わりごろにと思っていたが何だかんだでこんな時期になってしまった。
 東京に来て感じたことは暖かい。こちらでの生活は階段の上り下りがないことに気付かされた。東京は団地も駅のホームの上り下りも建物も然りである。車社会は脚を駄目にすることを痛感する。
 夜の集会にも出ることが出来たが聖歌を大きい声で歌えたのはうれしかったなぁ。こちらでは礼拝賛美歌を音程が明らかに違っていることを知りながら必死で歌うのと大分違う。
 最後の日に俊厚が会社の階下の焼肉屋でご馳走してくれた。俊樹も書類のこともあって一緒に行き久しぶりの親子4人出会うことが出来た。感謝であるが信仰の話をと思っていたが出来なかった。また何かの機会にアプローチしよう。親から見れば相変わらずだが年を取った分だけ少し大人になったのかな。
 今日は6人しか集まらなかった。こんなこともあるのだろう。飯高さんたちだけのときもあったと聞くから6人もいることはそれなりに感謝しないといけない。これが現実であるがけっして否定的であってはいけない。ここから感謝しながら祈りながら先に繋いで行かなくてはならない。
 小さくても信仰に立つのかあるいは大きくして魅力ある集会にするのかどちらが大切なのだろう。両方といいのだろうがこれはどちらも難しい。でも何んとしても魅力ある集会にしたい。三綿兄の時だけではなく何時も喜んで集える集会にしたい。今度の勉強会が試金石かもしれない。めげずに失望せづに頑張ろう。

2008年10月27日月曜日

唯一の

 東京にいる時は日曜日は一日教会と決まっていたがここでは午前中だけ10時前に出掛けてお昼には帰ってくる。東京ではもう少し早く帰りたいと思っていたがこのくらいだと何処かさびしい。もう少し交わって帰りたいものだ。でも地方の集会はこんなものかもしれない。それと中之条や松本や佐久は午後からだし色々だ。日曜日ゆっくり出来るのはそれはそれでよいか。自分から変えるつもりはないがでも少し変わってほしいものだ。クリスチャンの交わりをこの位で「ヨシ」とするのはどうかと思う。家庭や他のところで交われたらいいと思うが、以前はあったけど今はなくなった。考えてみれは東京の時もそうだったなぁ。まぁ時代の流れなのか年の所為か。中身が充実してくればそれはそれでよいけど。

2008年10月23日木曜日

下諏訪図書館

 家内が姉の家に行くというので送りがてら下諏訪の図書館で3時間ばかり過ごす。岡谷と違って割りと新しい建物で、前は芝生、その横が児童公園、隣の体育館の間には樹木があって環境はいい、蔵書は少ないがDVDも見れて稲城の中央図書館を小さくしたような感じである。自主学習が出来る机もあってなかなか感じがいい。図書館と介護保険は諏訪圏共通だからネットに登録してあったので、あそこで手続きして借りることも見ることも出来るようにした。また機会があったら行こう。

2008年10月21日火曜日

救われるということ

 あるブログでといっても知っている方のブログだが、そこに裁きを語って、救いを語ることについて批判的な書き方をしていたのを思い出す。 わたしもそのことについて釈然としないものを感じている。神はただそれだけのためなのかそれではご利益宗教とどこが違うのだろうと感じてしまう。イエスさまはもっと深いところでわたしたちに語っているような気がする。それは親子の関係を見ればよくわかる。そこにあるのは親子の絆ではないだろうか。勉強が出来なくても大病を患っていても大切なのは絆であり、それをお互いに確認できることではないだろうか。神も私たちに求めているものも然りだと思う。その一つが滅びからの救いであるがそれ以上に神はわれらのとの人格的な結びつきを求めているような気がする。

2008年10月20日月曜日

キリスト教の将来と福音主義 2

 やっと読み終えた。駆け足で読んでいたので内容を感覚的に捉えただけなような気がする。しかし今までのことを思うとキリスト教、プロテスタント、福音主義と自認していても極側面的な面しか捉えていなかったことを教えられた。ただこういう本は評論的な面があって、少し物足りなさを感じてしまう。でも福音主義の流れをつかめたし、ブラザレンの置かれている位置も少し見えたような気がする。負の面ではなく、いい面をもっと強調して、本来聖書が語っていることをもっと率直に語る必要があるような気がする。

福音を語る

 福音とは神の存在、罪の問題、キリストの十字架、救いを語ることである。どのように語るかは語り手の資質が問われるような気がする。このことを単純に語れても聞く側がどうであるかということをあまり考えていないのではないだろうか。福音をストレートに語っていても実は語っていない。相手を見て法を説く、ではないが相手に合わせて語らなければならない。そうでないと岩地に蒔いた種のようなものである。種まきのたとえは農夫は畑に種まきに行って、たまたま道ばたに岩地に、そしてやぶに落ちてしまったものがあったということで、そこで落ちた種はこうなるということだと思う。農夫は種を蒔くならよく耕して種が根付くようにする。人の心が岩地のようなところに蒔く事は専門家であれば愚かなことである。福音を語ったからといってそれでいいというものではない。むしろ愚かである。人の心を耕す努力をしなければならない。パウロのが言うように、「わたしが植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(1コリ3:6)ともある。植えるか水を注ぐかは問題ではなく、キリストにある賢明な農夫でありたい。

昨日は

 昨日初めて我が家で食事をすることになった。総勢9人テーブルが小さい。みな喜んで食べてくれたはいいが食べるのが目的ではなく、交わりが目的であるから食事はそこそこにしたほうがいい、次回からそうしよう。何時も書いていて思うことは色々あるのにいざ文章にしようとするとうまく書けない。それで毎朝デボの時、前日に感じたことを短くノートに書いている。たくさん書かないから割とスラスラと書ける。 感じていることを書くというのは難しいものだ。

 初めてでもないが今回午後の司会をするようになって、感じたことは午後の時間がチョッと長いかなと思った。今回はT兄が30分ばかり話をしてくれて持ったがM兄が他の兄姉を連れて行ってもいいかと云われたことはこのことかなと思った。それと経堂では若い兄弟が話す機会がないけどここで証のようなものを話せれば兄弟の訓練にもなると思ったのだろうか。彼の考えを少し教えてほしかった。

 わたしたちは積極的ではないし、このようなことは余り考えない、むしろ信者のことを個々に考えてどう対処するかという視点に立ってしまうから大局的に立って見ることは得意ではない、いうなれがバイプレーヤーだ。それはそれでいいがでもこの集会を家庭集会の延長のようなものではなく、小さくてもチャンとした集会にとの思いがあり、その為に兄姉をどのように意識を変えていくかわたしたちの課題のような気がする。ということは大局的な思考か。

2008年10月18日土曜日

シニアキャンプ

 軽井沢で一日半でしかなかったがシニアキャンプに参加してきた。
伝道が主体なのだがベテランの信者が多くて求道者は少ないような気がする。年に二回もあると参加する人は決まっていて、何処かOB会のような感じもする。
 
 今回は岡谷からの参加ということで少し感じが違っていたような気がする。何処がと云われると答えられないが。明確にこれというものもなかったが自分を少しプッシュして、少し交わることが出来て感謝。岡谷の集会の兄弟として、また違った見方をされることだろう。その分責任は重くなるのかもしれない。あって当然、それが自然。幾つかのことというか前から考えていたことの正しさを教えられ、それをどう現実化していくかがこれからの課題。祈りつつ、謙虚に進みましょう。

2008年10月12日日曜日

デスペンセーション 

 最近ファンタメンタリーとかデスペンセーションという言葉を良く聞く、といっても本とかインターネットの上だが、それは自分が興味があるから、その辺りをアクセスしているのかもしれない。なんか信仰は単純とは行かないのか変なことに興味があるのかわからない。知的興味は信仰の歩みにどれだけ寄与するのだろう。寄与してもそれは自己満足に陥らないだろうか。本当は日々の歩みの中に生きた信仰として働かなかったら力とならないような気がする。今そのジレンマにあるが小さな集まりの中でそのことを突きつけられているような気がして感謝している。具体的にどう答えるかが問われているからである。

2008年10月11日土曜日

緒方拳 逝く

 緒方拳さんが亡くなった。
昨日になるがNHKが広島放送の製作かな、舞台は広島で少し原爆に被爆したことにも触れた「帽子」というタイトルのドラマを再放送していた。帽子を作っている老人の役をやっていた。ギラギラしたのが消えてもう長くないような老人を演じていたがまさに地をいっていたのだろう。なんか安心してみているそんな安堵感を醸し出している。そして0時10分から追悼集をやっている。賀川さんの司会で息子さんの幹太さん、直人さんに津川雅彦さんに脚本家の池端さんが出演している。池端さんは知らない人だったが良く緒方拳さんのドラマを良く書いていた人だそうだ。話を聞いていて彼の人間性の素晴らしさを感じる。そこに亡くなった方を美化するということではなくみんな率直くに語っているような気がした。いい役者が消えてしまったような寂しさがある。

2008年10月10日金曜日

キリスト教の将来と福音主義

 アリスター・マクグラス著の「総説 キリスト教」をブログを通して紹介されたのを購入して勉強している。帯に「優れたキリスト教入門書」とそして小さい字で「はじめての人だけでなく、基礎「神学」力を高めたいベテラン信徒・教職者にも最適、まるごとキリスト教がガイド」と書いてあるようにとてもわかりやすい。索引を含めたら700ページ弱もあり、値段も新品に近かったが中古をアマゾンで7000なんぼかでほとんど定価に近かった。まさに大枚をはたいて払った感じだが悔いはない。
 
 マグラズのことが少し話題になっているのかな?何で買ったか判らないが東京で上記のタイトルを買っていた。本を整理していたら出てきたというのが本音で今ようやく読んでいる。少し難しいが福音主義の歴史のようなものを見て改めて集会の狭さを感じるような気がする。福音とは何かをもっと掘り下げないと天国への切符を買うようなものに成り下がってしまうような気がする。高橋先生の言う自分の中に「主権の交代」がなされなければ福音の真の意味はないだろうと思うが少し大袈裟かな…。

2008年10月9日木曜日

ヤクーバとライオン Ⅱ

 Ⅰの結末は他の少年が名誉ある戦士になっていくのにヤクーバは牛の世話をすることになった。しかし牛は2度とライオンに襲われることはなかった。そしてⅡは「信頼」という副題である。既にそれがある。

 ライオンは一族のためにえものを見つけなければならないので重い心で村に向かう。男(少年)はライオンの前に立ちはだかった。ライオンを助けることができないから「かえれ」と手であいずする。牛たちを命がけで助けなければならないからだ。しかしついに戦いは始まった。ライオンは何回も男の首や原や太ももを引っかいたがそのたびに足のつめは引っ込められていた。男もやりで何回もライオンのわきをついたが、けっしてぐさりとさすことはなかった。お互いに、自分が勝とうとは思っていなかった。むしろ相手を助けたいと思っていた。見せかけの戦いは夜明けまで続いた。離れてみていたほかのライオンは自分たちの王者にも負けないとは、なんと恐るべき男だろう。ライオンたちはおびえて一頭また一頭と去っていった。ライオンも去っていく。ライオンの雄たけびに村人たちが集まってきて、何事かとたずねるが男は「なんでもないよ、友達が尋ねた来ただけだ」と、ライオンは何日も村の周りをうろついていた。他の土地に行って獲物を探す力はなかった。自分のすみかの近くに肉の塊が置いてあるのを見つけるが王者としての誇りがその贈り物に触れなかった。そして立ち去る決心をした。「ヤクーバとの信頼を裏切ることはないであろう」と最後を結んでいる。それはライオンの死を意味する。

 勇気とか信頼は人に見えるものではなく、その人あるいはお互いのうちにあるものではないだあろうか。そして美しいものでもなく、見栄えするものでもない。そして死をもって終わるものであることかもしれない。イエスさまの歩みも然りであり、信仰の歩みも然りである。信仰の根本を教えられたような気がする。

2008年10月8日水曜日

ヤクーバとライオン Ⅰ

 柳田邦男訳の「ヤクーバとライオン」の絵本を予約していたがようやく借りることが出来た。数分で読み終える短い物語だがⅠとⅡがあって、それぞれ「勇気」と「信頼」という副題が付いている。Ⅰはヤクーバという少年が大人になるためにライオン狩に行く、そこで出会ったライオンは夜通し手ごわい敵と戦い力尽き果てていた。ライオンは云う。

 「お前には二つも道がある。わしを殺せば、立派な男になったと云われだろう。それは、ほんとうのめいよなのか。もう一つの道は、殺さないことだ。そうすれば、お前は本当に気高い心を持った人間なれる。だが、そのときは、なかまはずれにされるだろう。どちらの道をえらぶか、それはおまえが考えることだ。夜が明けるまで時間はある。」彼はくるりと向きを変えて帰っていくのである。真の勇気とはこういうものであるといいたかったのだろう。

 イエスさまが然りであり、真のキリスト者のとるべき態度も然りだと思う。10月号の「十字架の言」誌の8月17日の週報に載せた「召命、主権の交代」には自己に死に自分をキリストに明け渡す必要を書かれていた。信仰も聖書の研究も自己充足の為ではなく、イエスさまを良く知り、我がうちに主権の交代がなされる為なのだ。人の前にどうであるかではなく神の前にどうであるかが大切なのである。柳田氏が感銘を受けて訳したものだけはある。

インターネット検索

 マックのサファリかなitunesと共に画面に出たのでうっかりインストールしたらその時は何でも無かったが夜電源を入れていざ検束しようとしたら検索は出来るが「お気に入り」が出てこなくなった。Googleは出ても画面の周りがおかしいので、以前DELLで経験したからすぐ変えられたなと思った。

 どうしょうかなと色々やってみたが勿論判ってやっているのではないから変なものをインストールしたりしていた。単純にサファリを削除するばいいかなと削除したネットの接続が出来なくなってしまった。エキスプローラーの7が出ているのでこれをインストールすればいいかなと思ってインストールした。うまくインストールできるかなと心配だったがこれはうまく行ったが相変わらずで駄目だった。一つ判ったことは検索のところがグーグルになっていなかったのでそれを入力したら以前のようになって一安心。エキスプローラーのインストールに時間がかかったりしたが終わったのは4時過ぎになっていた。その間にザゥアーのチャートの資料を少し調べられたからそれはそれでよかった。少し利口になったか…。

 電気をやっていて、そこにあるのは電気がONかOFFであるかが基本である。パソコンはそれとまったく違っているような気がする。勿論オンオフは基本の基であるが、まぁある意味で加減乗除の世界から変数の世界かな、それ以上かもしれない適切な言葉を思い出せない。

2008年10月6日月曜日

歯医者で

 寒くなって水が冷たくなったのか、歯を磨いてゆすぐとしみるので、下諏訪の歯医者に夫婦で通っている。といっても今日で二日目だが。待ち時間にイスラエルトデイを読もうと用意したのに忘れてしまったので待合室にある本を見ていたら水野源三さんの本があった。

 「こんな美しい朝に」(いのちのことば社)ネーミングがいい。フッと若い時に観たミュージカル映画「オクラホマ」の中に歌われた「ビューティフルモーニング」を思い出してしまった。最後の方に見たような版画があるなと思ったら、かつて松本集会に集っていた酒井さんので彼がコメントを書いていた。源三さんが健在の頃に訪ねていたらしい。源三さんの詩を題材にして版画を彫っていたように記憶している。コピーだがここにも載っている十字架を担うイエス像が我が家にもある。

「わたしがいる」
「ナザレのイエスを
 十字架にかけよと
 要求した人
 許可した人
 執行した人
 それらの人の中にわたしがいる」
好きな詩だ。
 
 古い建物の小さな歯医者さんだがこの本を見つけてあそこに行くのが楽しくなった。生い立ちしか読めなかったが大体知っている。彼の詩は好きだからあそこにただ水野さんの詩集があるだけでも満足である。水野源三さんの詩集は1,2,4集と持っている。1集をアマゾンの中古で買い、3集もアマゾンに中古で出ているが4000円は高いよな。様子見てお金があったら買いましょう。

2008年10月5日日曜日

パンくずを拾っている?

 数十人が集う集会(教会)から十人にも満たない集会に集うようになりそれにも慣れてきた。各々の良さがあり、欠点もある。両方を経験できるたことは幸いである。以前札幌の三橋さんが奉仕で来られた時に幾つかのことが印象に残っている。その中の一つに教会員を年代を超えた幾つかのグループに分けていることだった。細かいことは忘れたが一つ家族のようなそんな働きをさせているようだったと思う。
 
 最初の教会(ギリシャ語のエクレシア)の語源は家(ギリシャ語のコイノス)である。当時は大きい家が無かったから今の家庭集会のような形態であったのであろう。パウロもどこそこの家という書き方をしている。教会の原点はここにあると思うと自ずからどうあるべきかそれが出来ない時はそれをどう補うかを問うべきであろうと思うがそのことは余り具体的な形で見ることは少ないように思える。むしろ集会の一致を重点に置いている所為かその集会の形に合わせるように信者をリードしているような気がする。そこに異質な者を受け容れ難い状況にしているように思えるが。
 
 その点小さいところはそういう問題は無いが結構人間臭いからどちらにしても集会に集えること、集える集会があることは感謝すべきことであろう。

2008年10月3日金曜日

高ボッチ高原&栗拾い

 昨日、家内と念願の高ボッチ山に弁当を持って行って来た。行って来たと書いたのは山頂付近まで車で行けるからである。道は狭かったが頂上付近に行ったら霧が峰と同じだなぁと思った。近くの鉢伏山も車で行けそうだったし、そこも丁度車山のようでもあった。諏訪湖が一望できればと思っていたが少しかすんでいて写真ではきれいには撮れなかった。その先に富士山の上の部分が少し見えたが残念ながる写真では写らなかった。驚いたのは広場から真下に塩尻の街が見え、その先に北アルプス連峰よく聞く名前が案内板に書いてあり、遠い存在だった山々が身近に見えて感動した。少しだけだけど。広場から400mばかりゆっくりと登ると頂上に着く、その下を見たら岡谷の街とその先に諏訪湖が見えた。左の方に霧が峰が、その先に八ヶ岳連邦が見え、真ん中に富士山の頭が、そして右に南アルプスが大きく迫っている。その右は中央アルプス連峰大きく見える。まさにパノラマである。狭いから今度はバイクで来たいものだ。

 帰りは戻ろうと思ったが別のルートがあったのでそこから帰ることにした。来る途中もそうだったが栗の木があって、そこに車を止めて栗を拾っている人を見かけた。下を降りてくる途中でイガがたくさん落ちているところがあって、もう栗を拾った後だろうと思いながら車が止めれたので止めて見たら少し落ちていたので拾ったら結構あり、拾いながら栗が落ちてきたのには驚いた。それ程でもないと思ったが結構拾えたのかな。思わず二人で夢中で拾った。中学生時に栗を拾ったことを思い出して懐かしさも湧いてきた。

2008年10月2日木曜日

電話で

 4日にT兄とM元宣教師が来るので、その食事のことでT兄宅に電話をした。彼は糖尿病なので食事をどのようにしたらいいか聞くためだった。それと一緒に住んでいるH姉とお話をとの願いもあった。大体のことは分かっていたし、言われたことも頷くものだった。それより彼女との話が目的でもあり、色々長電話になったが孫の結婚のことで集会の交わりを絶たれていることに釈然としないものがあるようだ。わたしは諸集会の様子を知っているから当然と思うが彼女は無教会育ちだから基準はどちらかというと無教会。矢内原先生にご自分の結婚のことを伝えた時に何も云われなかったといっていたが勿論そうだろうと思う。わたしは集会は組織だからそこに人間的な要素が入ってきて、内を守るという姿勢が出てくるのはしょうがないと言った。ただ悔い改めたら受け入れるというのではなく責任者は積極的アプローチしなくてはいけないと云っておいた。物心両面で難しいことは分かっているが。諸集会の課題かもしれない。というよりこれは駄目か。

2008年10月1日水曜日

新潟の人

 電話が鳴ったので無言でとったら何も言わないので、すぐ名前を言ったら少し訛りのある声で名前を言われた。、記憶に無く聞き返したら8月に甥っ子が友達と来て泊まったその友達のお母さんからだった。すぐお礼も言わず失礼してと言われたが子供といっても30代の大人、親が言うことも無いと思うが、まぁ言葉のあやか。ゆうパックで夕方5時から7時の間に梨を送ったからとのことだった。そんなことをしなくともと言ったが既に送っているので簡単にお礼を言って切った。私が東京に長く住んで自分は田舎の人間で言葉も少し訛りがあるからと思ったのか話すのが恥ずかしそうだった。と憶測したが新潟の人は何処か気恥ずかしさがあるのかもしれない。それだけ純朴なのだろうな。田舎を少しほめちゃった。早速に夕方着いた梨を頂く、小さい時に田舎で食べた梨の感触を思い出した。有り難うございました。お礼のハガキが待っていますが・・・。

今日から

 久しぶりの書き込みである。
今日から10月、7月の末に引っ越してきて、早2ヶ月が過ぎた。過ぎ去っていく日々は早いものである。その間色々なことがあったが何も書けないで過ぎていった。書くことがあっても何をどのように書いたらいいか迷ってしまってブログを埋めることが無く日々過ぎていきました。どうも内向きのせいもあるのかな?

2008年9月24日水曜日

佐久へ

 信州に来る一つの楽しみに、松本と佐久にある集会に行きたいと願っていた。引越しの案内を成田さんに出したら佐久と松本の学び会の案内があって、昨日佐久の学び会に飯高さんたちと行って来た。本当に久しぶりに会えるかなと思っていた太田さんたちは最近見えないと云われがっくり、信州に来た一つの楽しみでもあったのに残念。春までお父さんの看病で大変だったみたい。少し休んだらまた集ってほしい。いつかまた会う日を楽しみにしています。 幾つか感じたがそれはパスしてこれのみにしておきます。
 

2008年9月20日土曜日

雑感

 このところブラザレンの方のブログを読んでいる。
思うことがあるのだろうが控え目で、そして色々なことを知識の豊富さには驚かされる。だからこそ謙虚になれるのかな?最近はアメリカで過ごされた教会での出来事を書いているがあぁそうなんだと頷きながら読んだりしている。知らないことが多いからとても参考になる。ブラザレンの世界はどちらかと言うと閉ざされた世界だから傾聴に与えするは大袈裟かな。でもその必要があると思うが…。

2008年9月19日金曜日

準備

 今度の日曜日に話すので前から少しづつ準備しているが慣れないから纏まらない。一つのテーマにどのように肉j付けするかがうまく行かないがそう簡単に出来る物ではないと自分に言い聞かせて納得している。これは人間性の問題もあるのだろうな。そんなことにお構いなしにパン先の時に読む聖書の箇所とそれに関連した話を黙想している。東京では楽だったが本来はここの姿がベターなのだろうなと思う。ここまで来ると表面的なことよりも内面を整えていく必要があるだろうな淡々と粛々とそしてコツコツと行きましょう。

2008年9月17日水曜日

秋の特別セミナー

 15日の祝日に福岡にある栄光病院院長の下稲葉先生の聖書講演を聴きに行った。演題はタイトルにある名前だったが聖書講義と証と言ったほうが正解かもしれない。引越しする時に大橋さん母子から頂いた下稲葉先生の書かれた「いのちの質を求めて」 を読んでいたので少し先生とホスピスのことは分かっていたが実際に聞いて見て頷くことが多くてとてもよかった。

 以前精神科医の平山先生の時もそうだったが聖書講義そのものではなかったかと思ったが今回もそうだった。クリスチャンとして大上段に構えてと言うより自然体でやっていることに何か感動したことを覚えている。今回もそうだ。患者に信仰を強制するのではなく、死を迎える人に自然に死の向こうにあるもの永遠なるものを示して死に行く者も残された者も希望を持って死を迎える。集会ではこのようなことは欠けているように思える。

 滅びを強調するのではなく、今苦しんでいる本人を始め家族のその苦しみを理解し解決の道を示す。あるいは担えるところは担っていく、まさに「苦しむ者と共に苦しみ、喜ぶ者と共に喜ぶ」キリスト者の姿がある。さしずめ教会で「永遠に滅びるから信じなさい」と適切ではないがこんな感じで伝えることであろう。二人の先生に共通するのは医者として、キリスト者としての謙虚さである。もちろん大胆に語り行動するところもあり、信仰を持ってやっているところに強さがあるような気がする。自分には欠けているものでもある。

 福音を語る姿勢、内容が自分サイドではなく、相手の立場に立って語ることの大切さを確認したような気がする。このところ何処か釈然としないものがあって、もやもやしていた。最近あっそうかと頷けることがあって、そのもやもやがすっきりし、自分の考えていることに確信が与えられたような気がするから感謝である。今回もその感触を得た。日々の生活の中でどのように福音を語るかを考えないと。

2008年9月16日火曜日

日記代わり

 今日息子が彼女と訪ねてくれた。開口一番「お腹が出たなぁ」とつい言ってしまった。兄弟でいい勝負だ。若い者が太っているのは見た目はあんまり良くないしなんとなく生活の不規則さを思い浮かべる。3交代制のようだから余程自己管理が出来ないとこうなるのだろう。これがスリムで凛々しかったら息子でも尊敬しただろうにと儚い望みをフッと思い浮かべた。怒るかな…。

2008年9月8日月曜日

花火

 昨日諏訪湖の最後の花火を家内の姉夫婦と見に行った。花火は嫌いではないが混むのと一瞬に終わってしまう儚さがどこかさびしいので積極的に見に行きたいとは思わない。それでも花火が上がればそれはそれなりに感動はするのだが。目の前に上がるので音がお腹に響いてくるのと大きな花火は覆いかぶさるように来るから圧巻である。歓声と拍手が沸き起こる殻すごい。前日は新作花火だったそうだから人出も規模も今日の比ではなかったようだ。その時は湖岸の広場は有料だから身近には見れなかったかもしれない。

2008年9月6日土曜日

2つのブログ

 ブラザレンに関するというかそれに属している方のブログを最近発見した。ブラザレンについて詳しく書いておられる。ことばには表せないがそれなりのメッセージが伝わってくるような気がする。わたしの知っている方がHPでブラザレンの歴史を書いておられるがウオッチマン・ニ-の流れを組む日本福音書房でも同じようなことが書いてあったように思ったが…。ブラザレンはプロテスタント系では少数派のようであるがそれなりの働きをされているようだ。

 カトリックから分かれたプロテスタント、それから枝別れしてくるのは必然の結果と思う。最初の動機は良くても時間が経つと人間の習性か形骸化してくるし他者を否定して自己の正当性を主張するものだ。イエス・キリストは「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、…」ヨハネの13章に書いてある。キリスト教界はこれが欠落しているように思う。福音が語られ、救われる魂が起こされててよしとするだけでなく、否定的な人間が魅力を感じるキリスト教界となってほしい。二人の方々は前向きに捉えているのがうれしい。

東京から

 昨日東京からわざわざ一組のご夫婦が来てくれた。先月の29日に来る予定だったがこれなくて今日になったのだ。お互いに夏休みの振替日を2日あって、その一日を今日に合わせてくれたそうだ。クリスチャンでないご主人が提案し、クリスチャンである奥さんが運転して、ご苦労様である。正直言ってうれしいけどわざわざ何でと思う。東京を抜けるのでも大変なのに、それに高速とガソリン代が馬鹿にならない。でもお二人は日帰りでよく出掛けていたようであるから私たちが?するほどでもないのかもしれない。

 ダベリングで終ったが次の機会があったらもう少し聖書の話が出来たらと思う。でもそのことに余りこだわらない方がいいかな。福音は他の人が語り、自分たちは耕すのに徹したほうがいいかもしれない。Y姉が私いるからと二人がくると言ったがその1人が彼であることをフッと思い浮かんだ。何かとコンタクトが取れて福音に繋がればいいなぁと思う。どちらにしろ喜んでくれたから感謝である。私たちもうれしかった。人が来るたびに食事の用意をし、それなりに何か新しい物をと考えている家内の姿に前向きな姿を見て感謝である。でもご苦労さん、ありがとう。

2008年9月3日水曜日

無題

 キリスト教界では少数派であるブラザレンについて詳しく書いているブログを発見した。軽井沢バイブルハウスで検索したら11番目の中にあって、その間集会関係かなと思われるのは2~3しかなかった。ブラザレンの集会に属しながら多少距離を置き、それでいてブラザレンを愛している様子が文面を通して感じられる。問題を指摘しながらそれを好意的に見、こうあって欲しいという願いが伝わってくる。この集会には失望し、どこか諦めつつある姿勢はマイナス思考的であるのかな。しかし教会にも限界があるから聖書をそのまま受け入れている姿勢は初代教会に立ち返るとすれば一番近いのかもしれない。でもブラザレンにこだわっているのが少し気になる。当然でもあるか。ブラザレンにはどこか否定的な発想の中にある者としては感心とと失望がある。もうこだわることではなく聖書の使信はどうであるかが大切なのでは、あるいは普遍的なものではないかなと思うが

2008年8月30日土曜日

このところ

 このところ雨が続いている。東京ではあまり感じなかったがお盆は気候の変わり目みたいなものなのかな。天気も崩れやすくなって、昨晩なんか屋根に当たる雨の音が大きかった。その前日か愛知方面では大変な被害になっているみたい。今年は台風がと思ったがこんな大雨の被害もあるんだ。被害を受けられた方は大変だけれどこの地上の営みは不確かな土台に立って生きている。それを認めると言うことは謙虚でなくてはいけないだろうな。生かされていることへの感謝がないと、これも当然、あれも当然と思うところに感謝は生まれない。何か人間の驕りが自然を侮り、神を無視しているように思う。満ち足りた心は何処から来るのだろう。たとえ貧しくとも与えられている物で満足するところから来るような気がする。

2008年8月28日木曜日

感じたこと

 家内と結婚して30数年、通いなれた町だが移り住んでみるとまた違った物が見えるから不思議だ。まず思ったより町が小さいことだ。多摩だと車でちょっと出掛けると10キロとか15キロになってしまう。半分で5キロ7キロである。7キロも走ると相当先である。ここは車で移動だからバイクと思っていたがその必要もないみたいだ。

 それと見慣れたはずなのに見渡せば小高い山に囲まれている。濃い緑の山並みを見ていると何か癒される思いがする。何故だろう不思議だ。

 もう一つ新鮮に感じたことがある。それは小さい側溝のような川でも水が音を立てて流れていることだ。水量だけでなく、湖に向かって緩やかな坂になっているからかもしれない。なんか川が生きているような感じで新鮮である。

 出来たら人里はなれたところに移りたい感情に駆られる。リトリートそんな場所が出来ないだろうか。人は癒されることが必要だ。それに浸るのではなく一時的に日々の喧騒から離れて静かなときは必要ではないだろうか。そんな場所を作りたい。

もう一ヶ月も過ぎた

 24日でちょうど一ヶ月になった。
ゆっくり動いているからあっという間だ。先々週は少し落ち着いたかなと思ったら人が訪ねてくれて、先週は静かな一週間、そして今週も然りである。先週から週に3回は歩こうと思っていたから少し歩くことが出来た。家内と横河川の上流まで歩いて少し汗をかく、そして昨日は京セラの脇まで歩いてしまった。今日は銀行に振り込みと定期にするのがあって、銀行と隣のイルフ館まで歩いて行ってきた。帰りは笠原書店に寄って立ち読みして帰ってきた。少し疲れたかな。

考えてみれば健康のために歩くことはいいことだが、健康のためならスポーツがあるから安くあげてるようで少しせこいかなとも思わざることでもない。それと同じコースを歩くのもなんだから何時まで続くのかも少し疑問でもある。何かをとの考えがあっての行動だから何かを見出すかもしれない。

それとノートに日記のように書いているがここではあまり書かない。それはそれでいいのだがタイトルにあるように「パンくずを拾って」そのパンくずを拾ってないのだ。拾ったらコメントすればいいが拾っているのか気がつかないのか…。そろそろ書いていこうかなと思う。意識しないと拾えない。

2008年8月17日日曜日

少しずつ

 先々週あたりから大体片付いて、後ダンボールが5~6個残っているが収納スペースがないから当分そのままだ。片づけが終わった途端に人が訪ねてくるようになった。別に何も考えていないのに13日から昨日まで続いて人が来ている。それも日にちの調整をすることなく、向こうの都合でうまくいっているから不思議である。
 明確な示しはないがしかし何か押し出されるようなものを感じる。伝えなければならない何かがあるような気がする。それは何だろう?へセド神の真実かな…。

2008年8月10日日曜日

これが何時もの

 先々週は沖見兄、先週は三綿兄と忙しくまた人も大勢来たが今日はほんとに少ないメンバーだった。これが何時もの集会の姿なのかと思った。証しをと言われたが何時ものように纏まらなかった様な気がする。何かを感じてくれればいいがここはどうだろう。まぁマイペースで行くしかない。

2008年8月2日土曜日

引っ越してきて

 24日に引っ越してきて一週間ちょっと、大分片付いてきた。収納する部分がないから収めるのに苦労する。押入れに棚を作ったり、机の上は向こうでもやっていたから、ただ棚の部分が少ないからファイルが置けない。本棚を買っていたのでようやく本は納まったような感じである。

 ここの大家さんが有賀のおばさんの実家だそうだ。脇に広くはないがりんごの木が有り、りんごの里の名称になっている。9件ばかりが貸家で他県ナンバーの車があるところを見ると転勤族かもしれない。手続きや買い物をして少しづつ慣れてきたが東京は楽でいいとつくづく思う。だからそれがいいというものでもない。

 先週は経堂で篠原兄姉と、今週は沖見兄姉と交わることが出来てよかった。二人の味のある話を聞くことは楽しい。これからという篠原兄の話の内容が変化していくのを見るのも楽しい。また体力的に衰えてきている沖見兄が頑張っている姿は襟を正される。人の批判を気にせず主の御心のみを求め確信して進む姿は見習うべきであろう。

 篠原兄が田舎の小さな集会は良く知っているようで中に入ると人間的なしがらみが見えるものだと言っていることが少しわかるような気がする。これからその戦いかな既にその兆候は現れているのかな?まぁ淡々と歩んでいこう。

2008年7月15日火曜日

少しづつ

 引越しの準備も少しづつ進んでいる。場所が無いからちょっとやってはダンボールの置く場所を確保しては移動している。最初は本を片付けていたが四角い形は入れ易い。しかしだんだん形の不ぞろいな物が増えていれずらくなってきた。それでも最初は箱に入った食器を入れていたからよかったがそれも無くなる。衣類は俊厚と分けて入れないと駄目なので家内の領域、食器関係ももう少しで毎日使う食器になりそう。最初は私がほとんどで家内は洗濯ばかり、少し文句を言っていたが今日などは私は午前中少しやっただけ後は疲れて寝てしまった。主客転倒、もう私は脇役だぁ。
 
 公子さんが一宮でおいしい桃を買ったからと言って持って来てくれた。今日は婦人会だから集会に持って来れば良かったと思ったらしいが家内が行かないのでわざわざ来てくれた。彼女はまめで、気遣いが豊かだ。おいしい桃よりその心ねがうれしい。岡谷に行くということであるからなのだが尚更である。そしてその積極性にただ脱帽のみ。息子さんのこと、回復することを祈る。

2008年7月10日木曜日

いよいよ

 8日に岡谷不動産に契約書を渡し、八十二銀行で口座を作り、借りる家に行って、カーペットと植木を置いて来る。それから家内と家具屋さん回りをしようと走っていたらカーテン王国があったので寄る。一応測っていったのだが正確さに自身が無く特製メジャーを貰い、そこから近かったので花岡家具に寄る。そこでは先月も現品であった物がまだあったので気に入っていたから買うことにした。昼食を簡単に済ませての食器棚を買うためにオークランドに行く、上に吊り戸棚を置く予定にしていたが適当なのが無く、吊り戸棚は置けないが少し大きく、高さも値段も高いが家内が気に入っているのでそれに決める。整理ダンスも特価品があって良かったのだが巾があり、これも家に行って測ってから決めることにした。カーテンを計測し、整理ダンスの置いたときの雰囲気を勘案し、特価品でなく巾が90センチの少し高い箪笥にした。カーテン王国では計測した長さに合うものを選び、ひとつは無くて注文してくる。
 終わったのはもう5時過ぎくらいだったかそれからヤマダ電機に行って、電気製品を7~8点買うが20万位かなと思ったが22万になってしまった。これからオーブンと食器乾燥機を買うと30万超えるな。なんだかんだで100万で収まるかなと思ったが2~30万超えそうだ。この際ケチってもしょうがない。もちろん贅沢はするつもりは無いが。これから引越し準備、引っ越したら新しい生活が待っている。
 結局飯高さんの所に戻ったのは6時過ぎになってしまった。飯高さんがもう少しで帰るというので、安江さんも調子が悪いから勝味庵で食べることにした。諏訪インターに近いから私たちは楽なのだが彼らは少し遠くなるけどあそこのとんかつが好きで遠さも調子の悪さも関係ないので安心。
 

2008年6月28日土曜日

社会的罪

 片づけをしていると新聞の切抜きが出てきた。
日経のコラムのようだが何時のだろう。小選挙区制についても書いているから5~10年前かな、そこにはマハトマガンジーの「七つの社会的罪」を現代の日本にダブらせて書かれていた。半世紀も前の警告は今の社会に生きているし、更に深刻さを増しているような気がする。
 これはインド独立の父マハトマ・ガンジー(1948年没)のラージガートの墓碑にこの世の中で、社会がもたらす罪として「七つの社会的な罪(Seven Social Sins)」の警告文が刻み込まれている。
原則なき政治(Politics without Principles)
道徳なき商業(Commerce without Morality)
人間性なき科学(Science without Humanity)
人格なき教育(Knowledge without Character)
労働なき富(Wealth without Work)
良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
犠牲なき信仰(Worship without Sacrifice)  
 「KOfyのblog」より

 将来のビジョンの無さと国民に目を向けていない党利党略で動く政治。散々誤魔化していながらついに誤魔化しが利かないとTVカメラの前で「申し訳ございません」と形だけ頭を下げている姿は商業道を失った哀れな姿。企業も同じような事をしている。本田宗一郎や松下幸之助が現代に生きていたら絶句するのではないだろうか。
 神を失った人間教育なんか悪魔の手先を育てるようなもの。投資でまさに巨万の富を得る現代は「額に汗して」の労働の原則は過去の遺物か。理性の利かない快楽は秋葉原の事件を生むような気がする。真の宗教は他者の生かすものであるのに自己中心で自己犠牲という言葉は死語になってしまった。

2008年6月27日金曜日

ボチボチと

 17日で仕事を終えてからボチボチと片付けや引越しの準備をしている。
火曜日に自分の机とその上にある棚を片付けて、といっても本がダンボール2箱、机や棚を分解する。置き場がないから荷物を隙間のあるところに置いて、また次のところと移動しながらであるから能率がすこぶる悪く、テキパキとは程遠い。その空いた所に俊厚のパソコンラックを持って来る。ラックも色々なものが乗っているからそれを片付けるのが一苦労。そしてラックの置いてある所に服のハンガーを持ってくると何とか部屋らしくなった。それまでは俊厚が服を脱いでも下に置くからそれこそ足の踏み場もない。そうでなくても買い物したのを置きっ放しにしているから踏み場はない。それでも大きいものを所定の所に置いて基本のレイアウト?が出来あがる。

 一昨日は本やCDをラックや棚に置いて、入らないものはダンボールに入れる。部屋の隅々にダンボールの山だが大分カーッペットの見える面積が増えた。
昨日は俊厚の部屋の上の棚を整理して、ラックや棚に本を入れていくと結構部屋らしくなった。片付かないのと疲れで昨日は集会をパスしする。アンプとスピーカーを片付けて、レイアウトは俊厚モードにする。後は押入れとお勝手関係が残るのみとなった。来週は運送屋を読んで見積もりをして貰うがようやく呼べるようになったという観である。

2008年6月21日土曜日

今日で

 今日でと書くのは正確ではないが17日で仕事を終えた。
1年3ヶ月と短かかったが実に有意義な職場だった。というより色々教えられて感謝の一言に尽きる。最初はきつくてどうしようかなと思ったけれど職員の理解もあって何とか持った。最後まで彼らに戸惑って上手く対応できなかったように思う。しかしそれを望むのは無理、それなりに仲良くなれただけでも感謝だ。これから信仰生活の上でも福音やみことばを伝える上でも貴重な経験になっているように思う。人の姿と神の我らに対する姿を見る思いだった。まさに何物にも代えがたいものだった。
 
 送別会をと言われていたが忙しいからと断ったのに佐藤さんが馬車道でと言われて断れなかった。職員の方がみな来てくれて感謝だった。色々褒められたが自分の中には不完全燃焼の気持ちが強いからそれはそれで感謝である。それだけ素直に慣れたのだろう。これも主の働きなのだろう感謝。小松さんも若林さんが連絡してくれて来てくれてそれなりに賑やかな一時となった。

2008年6月14日土曜日

久し振り

 珍しく何かとあった所為か書くのは久し振りである。
先週は職場でアキレス腱を痛めて今ようやく治った。空調室に畳んだダンボールを入れようと足を踏み入れたら階段を踏み外して足を攣ったのかアキレス腱を痛めてしまった。医者には行かなかったが歩くのに少し不自由をした。その前の週に雨の日の帰り本屋の階段で滑って骨折した塚原さんを見舞って、体に気をつけているあなたが滑って骨折するなんて間の抜けた話だと言って、それはないでしょうと言われた後だったので思わず日本的流に言うと罰が当たったかと思った。でもあの時に些細な事で怪我などをする年になったからお互いに気をつけようといったばかりだったのに。
 
 土曜日は古井姉の納骨式に高尾まで行って来た。久し振りに行ったがもう6つ?入っている。最初の頃は納骨式に行ったけど後半は行っていないのに気付かされた。岡谷に行くので古井姉とはもう会うこともないかと思っていたからああいう形とはいっても会うことが出来て感謝である。穏やかな顔だった。認知症という病気は回りは大変だけど本人にとっては思い煩いが少ないから幸いかもしれない。

 月曜日には正式に家を決めてきた。最初見た時は新しいいいと思ったが再びみたら11年前の建物だからそれなりにという感じでもある。それに各々8畳で広いと思っていたが物を置いたら結構狭いかもしれない。それでもあの決まり方は私たちから出ていないから導きだと思いたい。それに大家さんは家内の親戚というより有賀のおばさんの実家だそうで驚きだ。何があるのだろう。

 水曜日から伊良部兄が来ての特別集会、といっても各集会にメッセをしてもらうのだが、前回は話もろくにしなかったが今回は少し話が出来てよかった。鶴見とも若い時に交わったきりだから点がつながって良かった。上町会には鶴見からも来て、少し話が出来て懐かしかった。彼らは昔を知らないから向うもよかったのかもしれない。平山兄はまだ4年、伊良部兄が家庭集会をやっていた時には来ていたが20年くらいブランクがあったといっていたから私が色々知っているのに驚いていた。

2008年6月2日月曜日

芝居

 昨日かな息子から芝居を見ようと電話があった。
多分、飲み仲間の中に芝居をやっている人たちかその関係者がいるのでそれで観ているようだ。これは今に始まった事ではないような気がする。

 誘われたり頼まれたりで、これで3度目だ。ストーリイと台詞も良くわからない。エキセントリックといい、実に馬鹿馬鹿しく下らない。それでいて笑ってしまうから面白い。このなんともいえないギャップが頭を混乱させれる。

2008年5月26日月曜日

この10日間

 岡谷での家の件は、前に書いた物件に決めることにした。私と保証人の免許証のコピーと保証人の名刺を不動屋さんに送り、軽井沢のシニアキャンプに向かう。永く施設に入っていた姉妹が召されそうだというのでK兄姉は行かれずアイルランドから来ている姉妹たちを送らないといけなくなったので、木曜日は6時半に出て朝の集会に合わせる。向こうに着いたら姉妹は召されたと連絡があったそうだ。後で聞いたことだがk兄姉は大変だったみたいだ。おくびにも出さないのが凄い。
 シニアはメッセージもN兄で良かったし、一年ぶりに会いたかった人たちとも会い、積極的ではなかったが他の方たちとも交わる事ができて良かった。秋は行ったことがないが、その時は岡谷だから誰かを誘って行きたいものだ。金曜の昼食を取ってすぐ帰ってきたが二人に姉妹は日本語が上手で会話は問題もなく、また休憩した時に昔の話をしてくださって、戦前戦後の混乱の時に宣教師の働きに頭が下がる思いだ。こういう働きの中に我々があるのだと思うと謙虚にならざるを得ない。感謝なことである。
 帰ってきてメールを開けたら不動屋さんからオーケーのメールが来ていた。6月と7月に行くと書いていたので、6月に契約して、7月は入居日から月割りで良いということになった。高速から集会をしている所の途中でもあり、西友も歩いて行けるから良いのではと思う。私たちの思いを超えて与えてくださったの感がある感謝。
 翌日は召天式、役はないので気は楽だ。ただ火葬場で祈ってと言われていた。ぶっつけ本番で、少し詰まりながらも祈る。飾花の時、姉妹の安らかな顔を見て、記憶を失っていく苦悩を少しく知る者としては何故かほっとする。こういう形であれ、岡谷に行く身としては会えたことは感謝である。
 そして昨日、ついに岡谷へ行くことを報告する。反応は色々、先ずはほっとする。言葉に少し引っかかる言い方をしたがそれが本音でもあるからいいと思っている。それよりw姉に頼まれて、エアコンのことで息子さんに会いに行く、そこで少しおしゃべりをする。少し喋りすぎたのかなと反省するが、喋るとつい余計なことまで言ってしまって落ち込むのである。彼は集会の人と余り接するのは嫌いだそうだが私たちならそうでもないらしい。余り自己主張しないからかな? 良かったのかどうか。

 

2008年5月16日金曜日

家探し

  この間の日曜日に一晩泊めて貰って、翌日に家探しを少しした。
インターネットでピックアップしたのを幾つか見て回ったが帯に短し襷に長しでこれという物件がなかった。その中でこういう物件がありますと見せてもらったのが少し気に入った。
 それはインターネットにも載っていた割と新しい一軒家で、8万、2LDKとあったがキッチン、洋間、和室がともに8畳という2DKといった方がいいような物件だった。ネットに載っていたが金額と間取りが合わないので考えてもいなかった物件で、7万にするというので心が動く、金額がそれでよいとしても、もう一部屋がほしい。一週間待つと云っているから少し祈って結論を出したい。こういう具体的な事柄から信仰が浮き彫りにされてくるのだろうなぁ。

2008年5月9日金曜日

自立と依存

 この二つの相反する事を最近考えさせられた。
私たちが社会生活をする上で自立することは大切で依存することはよくないことである。しかし聖書の始めに「神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」gen 2:16~17 と神が仰ったことに背いて「善悪の知識の木」からとって食べてしまった。
 ここに人が神から自立しようとしている姿を見る。罪の本質は神からの自立である事を聖書は暗に語っている。また依存は余り良い事でないように受け止められている。特に子供が親に経済的依存をしている姿に良い印象はない。しかし本来人は神に依存しないといけないのではないだろうか。罪はこれを逆に捉えているような気がする。
 「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。」 john: 5:19  
「わたしと父とは一つです。」 john:10:30 と云われた。三位一体の神は各々独立しながら尚且つ依存している。この姿が本来の姿であろう。人は自立すべき所で依存し依存すべき所で自立している。

2008年5月7日水曜日

ファミリーキャンプ

 4日の午後から6日の午前中まで集会のファミリ-キャンプがあった。
何時も連休の期間だから混むか遠いかで担当者は苦労されていたが今回は遠い割に1時間で行けたから良かった。チョッと高いが温泉もあり、見学や散策する所もあるから愛川よりこちらの方がいいかもしれない。何時もテーマは家族だが及第点は貰いないから少し苦手とする。聖書からとなると建前論になりやすいので個人的には建前論は好きではない。建前論は少し言いすぎかな?
 集会、主のためにと言われることの中に何かすっきりしないものがある。知的障がい者の作業所で働いて以来その思いは強くなっている。それは彼らと自分の違いは単に社会生活が自立して出来るという事だけであって、彼らの本質も資質も自分となんら変わっていない。自立は社会生活をする上でとても大切なことだが人間の本質に係わる事ではないような気がする。集会生活が上手くできるか否かと信仰生活はある面で違うし、主のためと言われる中で全く己を捨てることが出来るかといったら否である。これも程度の問題がある。自分がしっかり生きている中で正に上手に出来るか否かであって、すべてを捨てているわけではない。そのような中で主が語りかけているものを聞きたい。岡谷に行ってそれができるかわからないがその辺を聖書から極めてみたいものである。

2008年5月4日日曜日

流される日々

 少し大袈裟かなと思うが火、水と働いて、水曜日はその足で集会に出席して帰りは11時過ぎという事もあるが木曜日は休養日、先日は前日クラブがあった所為もあって疲れて一日ゴロゴロしていた。金曜日には回復したが何となく過ごしてしまったような気がする。それでも今週は本を箱に詰めたり、山?を超えてはるひ野のクリシマまで買い物に行った。しかし土曜日は何もしなかったなぁ。流されるというより年の所為で余りてきぱきと動けなくなったという事かな、それならそれでよいか。それに合った生活をすればよいのだが・・・。

2008年4月28日月曜日

洗礼式

 今日は二人の姉妹の洗礼式があった。
信仰生活40年もすると特別感動する事もなくなった。良い証しをするしそれなりに感動する。しかしそれからの信仰生活に裏づけがないことが多いからかもしれない。またどんどん積極的になっていく人たちもあるから何処にその分かれ道があるのだろうかと思うと本人よりも指導者の用い方によるような気もする。そこに信仰的でなく人間的な要素があるような気がする。そして何処かに建前があるような気もする。
 今集会に来ていない人、また集いない人、これらのフォローをどうするのか何時の時代でも大切な課題でもある。そして答えを見え出していないような気がする。教会には宣教という大きな課題があるために他のものは付随的になっていないだろうかと思う。色々課題があるから岡谷なんかは良いヒントを与えてくれるような気がする。
 集会の帰りに成田姉のホームを訪ねた。気になっていたが行く機会がなかったので集会の帰りに行く事にした。久し振りで訪ねたから彼女も何しにきたのという顔をしていた。少し進んできているのかなとの思いはあったが色々話をしていく中で少しづつ話が弾んでくるようになって来た。最初余り表情のない顔が帰りには大分変化を見ることができてうれしかった。聖書の話も建設的な話も出来るわけでもないから直接的な益を感じないかもしれないがこれも大切なことではないだろうか。

2008年4月26日土曜日

年なのかな

 昨日は大分前から幾つかに分けていたがそのままにしていた聖書の分冊を厚紙を買ってきて仕上げることが出来た。前に分冊にしていたものがボロボロになっていて、それに聖書が何冊かあるので一つは分冊にと思っていたからようやく終わってほっとしている。旧約はモーセ5書を2分冊に、ヨシュア記からサムエル記、列王記と歴代誌、諸書を一つにして、大預言書を個々に、小予言書は一つに纏めて10分冊にした。新約は福音書、使徒からガラテヤ、エペソから黙示録に分けて3分冊にした。少し厚くなったが諸書を一つにしたりしたので気に入っている。これで前から気になっていたボロボロの分冊は処分できる。
 本の整理も前から気になっていたからやってしまった。しかし引っ越すまでもう少し捨てないといけないかもしれない。これから資料として必要かまた読めるか読めなかったら捨てる。その中には矢内原忠雄の聖書講義もある。余り使わないので処分だ。待シン堂に電話したら在庫もあるからと暗に断られた。今回の整理を通して、腰の重さと時間のかかり具合は見て年を感じてしまった。それに昨年は4日働いて翌日は休養日だった。4月からは2日働いているのだけなのに翌日休養日だ。
一年でこんなにも変わるのかと思ってびっくりする。これから加速度的になるのかな・・・。

2008年4月21日月曜日

先日は

 先週の木金とアクアラインを通って房総半島に、そしてフェリーで三浦半島に行ってきた。340キロ余りの旅だったが少し強行スケジュールだったのかなと思う。貧乏性だから一回でここもあそこもと願うから、ひたすら走りチラチラと周りの所を覗いていった旅といっていいかもしれない。私は一箇所をじっくり見るかこういう風になるか両極端なのである。
 いつか白浜の保養所に一泊して、このコースを行きたいと思っていたのだから念願かなったのだから満足である。それとお天気が悪そうだったが一日目は宿についてから本格的に降りだし、翌日は大雨の予想が朝は小ぶりで出る時は傘がいらないくらいでフェリーに乗るときは雨は上がっていた。その間、道の駅で買い物をし、家内は花が安かったので喜んでいた。三崎での昼食も刺身が値段の割には量があり美味しかった。
 一人の旅もいいものだがこの年になると出不精な家内を連れ出す意味でも二人がいい。苦楽を共にという言葉があるが楽しみは共有しないとと思う。行けるかどうか分からないが今度は北海道がいいなぁ。

2008年4月14日月曜日

同窓会

 今日は礼拝にだけ出て、同窓会のある御徒町へと向かった。何時も来ているメンバーが何人か用があってきていなかった。それでも新しい人もいて男女半々14名も来ていた。来年は田舎の方で同窓会をやるそうだ。ブランクがあるから共通の話題があるのと全くということがあるから間の持てないことがあるからつらい。そんな中でも覚えてくれている人がいるから少し興味がある。それと昔に戻れる楽しさがあるのかもしれない。でもクリスチャンの交わりと違うから少し忍耐と努力が要る。

2008年4月12日土曜日

井上怜奈さん

  がんに負けない・あきらめない
 「今年1月リンクの上の劇的なプロポーズで、感動を集めたフィギュアスケート・ペアの井上怜奈選手。彼女は今、がんなど、病と闘う人たちにとって、大きな心の支えとなっている。井上さんは、父親の命を奪った肺がんに自分自身、20代で襲われた。その後も練習中の事故で頭蓋骨骨折などの大けがをする。しかし、競技生活を大切にしたいと自ら抗がん剤による治療を選択し、異国の地で出会ったパートナーと信頼関係を築きながら、一つ一つ、困難を乗り越えてきた。「がんになっても何一つあきらめることはない」と、日々できること、やりたいことに挑戦してきた井上怜奈さん、そして、その姿に勇気や元気をもらった人々の姿を見つめる。」

 これは4月10日(木)「クローズアップ現代」で放送された要約である。 46歳でお父さんは肺がんで亡くなり、自らもお父さんと同じ肺がんに侵される。そのような中で彼女が生きようと力づけたものはお父さんの死を通してだった。「行き着くところの最後は死なんだ。それならそれに向かって精一杯生きよう。」とそれから彼女の生きようとする頑張りが生れる。普通は絶望するのに凄いなぁと思う。人は別望的なところから生きようとするものは本物なのかもしれない。

2008年4月9日水曜日

今思うこと

 岡谷に行こうと思っていたことを具体化しようと思っている。その中に自分の欠けているものが示されているような気がする。以前にもこのことに触れたがその欠点が出てくるのかなと思う。結論から言うとあまり深く考えていないという事か?でも色々考えていると結局前には進まない。最近は案外こんな調子でいいのかもしれないと思うようになった。

 今回のことで思い出すのは、上沼先生が私のことをブログの中で「私より年が少し上だが慎重な方…」と書いていた。その時は理解できなかったが今はわかるような気がする。慎重なのか優柔不断で決断力がないのか、それとも臆病なのかそこが問題だ。全部当たっているのかも知れない。

 ものごとには手順というものがある。私は父が嫌いで東京に出てきた。それを決めたのも自分で誰にも相談しなかった。だから自分で考え、自分で決めている。その姿勢は今日まで続いている。依頼心が強いところがあるからこのような方法は良いのかもしれない。元々は集会を出ようとした時に岡谷が、そして岡谷に行こうとすれば、人的にも祈りに於いても必要だから集会と切るわけにはいかない。岡谷も飯高さんが少しでも楽になればと思ってのアクションだったがそんな単純なものでもないらしい。そんな中で教えられ、物事を進めているのかなと思う。今は誰の為でもない自分の為かなと思っている。勿論、仕えるという姿勢があっての話だが。明日の祈り会で出し、第3の日曜日にアナウンスするつもりだ。これは責任者に相談してのことだがこれが導きなり御心なのかもしれない。次元の低い発想が肉的なものを削がれ、整えられて聖化されていくのだろう。

2008年4月3日木曜日

食あたり?

 昨日、出勤したら係長に呼び止められて、最近おなかの調子よくない?と聞かれて一瞬何のことか分からず思いあぐねていると「実はここ2,3日おなかの調子が悪い人が何人かいて、私も下痢をしたりして大変だった。」と云われた。どうも金曜日の歓送迎会で食べたものが原因らしいと云っていた。保健所にも連絡して、検便は免れたが書類に記帳させられる。私の場合は何となく倦怠感があり、食欲がなかったくらいだ。
 日曜日は教会を休もうかなとも思った。しかし行ったけど福音集会を終わったらすぐ帰ってきた。月曜日は血圧が170台にもなったので仕事を休んで医者に行ったが大分落ち着いてきて稲城の図書館で予約した本を借りに行きがてら新聞を読み、DVDでビングクロスビーの「わが路を行く」活字は違っていたかもしれないがこれを見て帰ってきた。ということは健康は回復した事の証拠かなと思った。でも原因が分かってほっとしている。集会に向かう折、思わず家内に電話して報告した。感謝、感謝である。

2008年3月31日月曜日

健康であるということ

 ここ二、三日調子が悪いなと思って血圧を測ったら170台から190台になっている。勿論低い方も100台である。老眼の所為もあるのだろうが何となく霞んで見えるような気がする。それと少しふらつくのかな。
 前からボーダーラインで薬を飲むかどうかと言われていたがこれからは飲まないといけないのだろう。コレステロール、高血圧と既に年寄りなのだがそれが現実となってきた。改めて健康は与えられているものであることも教えられる。健康である事の有り難さと失って当然のものなのかなと思った。ここに生かされているということを感じる。
 岡谷にとの思いがある中で起きたことは色々不節制などを直していかないといけなと言う意味でのシグナルかもしれない。といいながら昨日寝たのは3時過ぎ、メールが上手くいかないのでPCをいじっていたらこうなった。それでもいじっているうちに直ったので、イラつかずにまずは感謝。

2008年3月28日金曜日

伝えるということ

 岡谷に引っ越したいということで昨年から何人かの人に話をしてきた。
その中で、自分では充分伝えたつもりでも相手に上手く伝わっていない事を実感する。
私の伝え方は何となく漠たるものなのかもしれない。曖昧模糊とした伝え方は誤魔化すのには良いが、例え相手が善意であっても取り方でどうにでもなるような気がする。以前から言葉をもって相手に伝えるということが下手である事は自覚していた。今回でそれを再確認させられた思いである。指摘されることは気持ちの良いものではないが感謝なことでもある。
 5W1Hの
When   いつ。
Where  どこで。
Who    だれが。
What    なにを。
Why    なんのために。
How    どのように。
 少し違うかもしれないが、岡谷に何時?何処に住むの?誰と?飯高さんに俊厚もと聞かれたからそうかと思った。何をするの?何故?どのようにはないか。
 6月を目途に、市内か下諏訪辺りで、家内と、引越しを、集会に集い我が信仰の成長うのために、そして兄姉とそれを分かち合いればとの思いがある。
 もう一つは自分のペースで生きているから集会とか他者のことをあまり考えない。集会から送られて行くのではなく、自分で行くのだからとの思いもある。関係者だけにみたいな感じかな。でも祈ってもらわなければ成らないし、送り出されるということも大切なのかもしれない。向うは向うで受け入れという事もあるだろうし、難しい事だがいい勉強になった。

2008年3月24日月曜日

2回も

 今月は2回も風邪を引いてしまった。
以前から体力が弱っている事を実感していたがそれを更に確認した思いである。今月初めは職場で少し寒気を感じたら風邪になっていた。今回も2,3日前、家で少し寒いなと思った。そして昨日はイースターの夕食会だったから帰ったの11時頃で少し寒さを感じた。朝方咳き込んでいたら声が可笑しくなって休む事にした。もう今月で終わりと思うとほっとして気が少し緩んだのかな。緊張しているというのはいい事なのかもしれない。

2008年3月18日火曜日

競輪日

 今日は競輪の開催日、開催日は20分早く終る。何時も後始末をするのでどうしても最低15分はかかってしまう。実際4時半頃までやってしまうことが多い。今日などはシールが残っていたので終わったのは35分だった。勿論4時過ぎたら帰れるのだがどうしても仕事が途中で帰るのが性分として出来ないのでつい最後までやってしまう。それでも早く終わった分それだけ早く終えたのだろう。
 開催日でよいのは急行が停まるメリットがある。今日もそのメリットに預かった。各駅だと5つだが急行だと2つ停まるだけでよいから助かる。たかが2~3分早くなるだけのことだがせっかちな現代人の兆候かな。
 デメリットが一つある。ラフな格好をしているので競輪に来たと思ったのかたまに声がかかる。勿論会話をするわけではない。内心「俺はギャンブルはやらない」と叫んでしまう。しかし今日もすったと言うような顔をした顔、顔がホームに上がってきてその中にいると全然違和感なく、まさにその一人であるかのごとくであるのに気付かされる。これが気に入らない。

2008年3月15日土曜日

週三日

 仕事も今月いっぱいで一つの区切りが出来きて、来月から週二日になるから楽になる。27日を休みにしたので、今週からは週三日働けばよいようになったから助かる。最後の週は4月から火、水なのでそこも三日になるがそれを含めて3週のみ後は二日で済むから嬉しい限りだ。
 大成の時もそうだが辞める時は惜しまれつつもどうも仕事が中途半端な感じでな何かすっきりしなかった。今回もそんな感じなのかなと思う。もう年で専門的にやってきたわけではないからこれが現実なのかもしれない。

2008年3月14日金曜日

少し落ち着いて

 先週は気持ちの上で何処か嵐のような感じだった。日曜日あたりから回復していったような気がする。それでも日曜日は集会にいることが何となく居ずらく帰って来た。それからかな・・・。

 月曜からデボーションでコメントだけでなく、曜日ごとの祈りも出来るようになった事がよかったのかもしれない。良くなったので祈れたのかな?

 水曜日にメッセだったが話は相変わらずだ。ストレートに云えないこともあって、それでも何かすっきりする。しかし何かギャップを感じてしまうなぁ。祈りながら行こう。

2008年3月8日土曜日

難しさ

 ブログを始めて、多分誰も見る人はいないだろうと思っていても何でも書けない。なぜなら見ようと思えば公開されているから誰にでも見られる。だから書きたいことでも少し遠慮せざを得ない。何を書き何を書いてはいけないかは難しい所である。でも日々の出来事の中に考えさせられる事が多々あり、しかも大切な指針を示している。
 キリスト者は聖書のことばを当然のように受け取っているがその解釈は千差万別?である。その人の信仰の在り様が解釈に繋がっているような気がする。福音書のイエス様の姿勢はそれ程でもないがパウロ書簡は特にその感を強くする。
 教会に集っている人たちは当然のように集っている。しかし信仰告白して教会に集っていない人たちは遥かに大勢だろうと思う。まさに氷山の見える部分と見えない部分の差ほどの違いがるのでは無いだろうか。彼らに目を向けるにはどうするば良いのだろう。99匹も1匹もイエス様にとって可能だが人はどちらかを選択しなくてはならない。勿論99匹である。しかし1匹を引き取る教会もあってもいいような気がする。1匹専用教会、何処かにあるのだろうな。私もそんな教会に集いたいしいっそ創ろうかな。リトリートという言葉が教会で言われているではないか。

2008年2月27日水曜日

A兄

 昨日夜中にA兄から電話があった。
出張で東京に来たから会いたいとのことだった。何時だったかもこんなことがあった。
一流企業の知財部長として忙しい人なのに事実1/3は海外出張だといっていた。そんな彼が若い時同じ教会に属しているというだけで会ってくれる。私だけ特別というのではないがでも感謝である。忙しい中にVIPクラブを弁理士の方と月一で集会を持っているといっていた。私と違って積極的であり、その彼がである。一時間半交わり勿論食はごちで、何故という思いも事実あるが彼の姿を見て嬉しくもありる。

2008年2月11日月曜日

聖書は三書

 以前、内村鑑三が書いたと言われた言葉で「神を示すものは聖書と天然と歴史である」と何かで読んだので参考のために検索したらテサロニケⅡ2/1-12の学びの中に有った。ただしくは「…聖書は一書ではない。三書である。聖書と天然と歴史である。そして聖書の鍵が預言である。われらは預言によりて歴史の意味がわかるのである。」と書いてあった。’29.11.20とあるから私が生れる11年前に書かれたものだ。

 聖書は唯一であって他のものは無いような事がメッセージの中で言われるがロマ書や使徒の働きの中に被造物を通して神を見ることができることが書いてある。歴史も然りである。それで思い出すのはイスラエルの国が起こされた事である。2千年の間、まさに流浪の民として生き、迫害をそれもキリスト教国といわれた国で受けてきた。その民が約束の地パレスチナに国を興したのである。

 「神が日本に残した指紋」同様に創造主がすべてを創造したとすれば、全人類に、形を変えて、それなりの形跡が残っているはずであろう。勿論扱いは慎重にしなければならないが福音のきっかけの糸口となりうるもののように思う。

2008年2月7日木曜日

作業所にて

 今日は二つのことがあった。
 一つは榮太郎の新しい板飴の入れ込みで説明書の入れ方が間違っていたようだ。数が合わないと言っていたのが2階の分が1階に紛れ込んでいたそうだ。私は能力的にあれもこれも出来ないので直接係わらず後で聞きながら覚えるようにしている。少しひいた状況に問題有りだなぁと思わされた。

 もう一つは変なおせっかいでの失敗である。
 偶数月にクラブ活動がある。土曜日もやっているようだが詳しくはわからない。私は電車クラブに属しているので彼らと一緒に電車に乗って出かける。引率と言ってもあまり引率者らしくないのが難だが。今回は駅でパソコンクラブと一緒になって、そこでチョンボをしてしまった。仙波君が190円と言いながら切符を買っているので府中だから150円を買い替えさせたら彼はパソコンクラブで百草園まで190円が正しかった。後で係長は彼は間違わないからと言って、私のお節介に笑っていた。

 確かに私は善意の人だ。困ったら助けたいとつい思ってしまう。しかしこれが時々仇となる。お節介というか善意の押し売りと言うか。彼らが出来ないから手助けをしてあげようとする。しかしあそこでは出来る事は自分でがモットーだと思う。自分動いてしまった方が早く綺麗にできるからつい自分が動く、そして彼らはやらない。上手くなくても出来るだけ彼らにやらせる。フッと自分が動かないように手足を縛りたくなる時がある。何をして、何をしないかの選択は難しいが少しづつ学んでいこう。積極さと出来るだけ彼らにやらせることと毅然さを持って。

2008年2月6日水曜日

神が日本に残した指紋(2)

 (2)があるのでその前に製作されたものがあって、二つのDVDを観た。副題に「文化を超えて働く、神の愛がここにある。」と書いあり、最初のものの副題には「日本の歴史と文化の中に創造の神の証拠があるのでしょうか?」と書いてあった。

 ハワイで製作されたもので、聖書と古事記の創造の話が似ているという事やお茶の作法が礼拝に似ている事は興味深い。古事記に出ている「天の御中主の神」が同じ創造の神であるとうするならば?考えさせられる内容だった。

 内村鑑三が神の存在を表しているものが三つあると言っている。聖書と歴史と天然、即ち自然である。日本にユダヤ教の影響を受けたのではないかと言う事が特に神道の中にから見ることができる。聖書のみではなくあらゆるものから神の存在を認識する必要があるような気がする。ただ適用に気をつけないと異端に繋がる危険性もあるがある種の広さも必要な気がする。日本人に福音を伝えるヒントになるような気がする。

2008年2月4日月曜日

岡谷

 日曜日は生憎の雪となって東京からチェンを着けていくことになった。冬の岡谷は雪の心配がある。昨年は帰った翌日に大雪になったりして雪に遭うこともなくラッキーだった。しかし今年は一月もチェンを着けなかったが帰りは雪が舞って高速はノロノロ運転だった。そして今回は岡谷は大雪でノーマルタイヤにチェンだから大変だった。でも事故も無く帰れたから感謝である。翌日休みにしてあるからゆっくり帰ればいいと思っていたから心配はしていなかったが。そして無事に帰れて感謝だった。自分たちの心配より三綿兄姉のことが心配したが三浦兄の車がスタッドレスだったので借りていかれたので良かった。

 雪の故に集まりは少し少なかったがそれでも紀子さんが午後も居てくれた。それに午後から花岡さんのご主人も見えたのでそれだけでも感謝なことである。逆に少ない分だけ交わりがいいのかなと思っている。どちらにしても感謝なことだ。直子姉は二回目で少しづつなれてきているのかなと思う。大阪のパフォーマンスは大分抑えているようだけど岡谷の人たちにはどのように映っているかな難しい所だ。

 彼の話し方や受け答えは自分には出来ないけどいいヒントを与えてくれている。何を話すかではなく彼らにどれだけ興味を持ってくれるかが大切なような気がする。罪だ救いだという事は簡単だが彼らの心に響かなかったら何の意味も無い。それで福音を語ったとは云えないだろう。その点いい勉強になる。実際にやろうとすると難しいだろうが。今の私にはいい事は勿論のこと一見悪いような事でも正に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」rom 8:28

2008年1月29日火曜日

パンくずを拾うって

 12月と1月の誕生会を兼ねて真佐子さん宅で集まりがあった。私はあまり得意とするところではないが意を決していく事にしたと言うのが本音である。梶間さんが大井川さんや田口さんの事を色々高広君や聡君に話をしていて流石だなと思った。私は出来ないが彼はそう言う風にして人の中に入っていく事ができるから凄い。人を使っているからその扱いには慣れているだろうとは思っているが。それに色々な機微に対応しているだろうから中々である。だから大日方さんもあまり抵抗無く集会に来れるのかもしれない。高広君や聡君達が帰った後、相変わらず集会のこと信仰のことを言われたが私に対してのメッセもあるのかなと思った。でも分からなかったから深く詮索する事もなく彼の持論として聞いていた。確かに聖書に書かれてあることと教会生活は人間的なものが有る分ずれを感じるのは当然だろうし感じなかったら教会外の人の気持ちは分からないだろう。特に離れている人たちの心、そんな事を思わされてこれがパンくずを拾うと言う事かなと・・・。

2008年1月26日土曜日

芝居

 息子の勧めで中野のザ・ポケットと言う小さな劇場で上演されている芝居を観てきた。寝たきりのおじいさんが亭主がいるヘルパーさんに恋をして、子供達は自分の都合で父親をほったらかしにしたり、世間体を気にしたり、ノンフエくションのようで何処かシリアスであった。ストーリーが小刻みのようで少し難解の感がしたが伝助や島田正吾を思い出してしまった。芝居の原点は彼らの中にあるような気がする。何処かアングラぽかったなぁと思ったが本物は難解で分からなかっただろう。あのくらいだから観れたのかもしれない。途中寝てしまったが。
 なんでもそうだが好きでやっていることでも他人から観たら馬鹿馬鹿しいと思われるだろうな。自己表現か自己実現か損得を考えないで好きな事が出来る事は羨ましい事である。信仰の世界もこうであるとまた赴きが変わってくるだろうな。いのちを懸けてそれでいて気張らず淡々と信仰生活を歩む、こうはならないかなぁ。

2008年1月23日水曜日

雪が

 東京も珍しく朝から雪になって通勤にはと思ったがそれ程でもなかった。道路の脇は白くなったが道路は積もる事もなく、職場のグランド?で雪だるまが出来るかなと思ったのにベタ雪で積もることもなく少しがっかりする。しかし積もるようだと交通機関に影響与えるからこのくらいで丁度良かったのかもしれない。これから春先にかけて回数は少ないがドカ雪になる。東京に最初に来た年に4月になって雪が降ったのには驚いた。それも大分積もって雪国から来た者としてびっくりであった。東京はこういうことがあること生活する中で経験する。不思議な街東京である。
 日曜日は諏訪の方に行っていて、夕方から雪が舞い始めたので早々に帰ってきた。この時は高速も50キロ走行でまさにノロノロ運転である。ボタン雪だったから積もってきたらと冷や冷やだったが積もる事もなく助かった。これがほんの少しでも雪の量が多かったらチェンを着けなければならなかった。緊張して運転したが山梨に入って雪がやんだのでほっとする。今日の気持ちとは雲泥の差である。自分に係わる事とそうでないことではこうも違うものだ。

2008年1月19日土曜日

今週は

 今週はいくつかのことがあった。
 14日には恒例の高崎での学び会。今回は何人かが東京の集まりに出たようだ。マンネリ化してくると東京の集まりもある種の新鮮さを感じるのだろうか。世代は代わり、若い世代?はまた違った視点で聖書なり信仰を見ているのかもしれない。勿論本質は変わることはないだろうが。
 今回は下小鳥だからメッセンジャーは神学校を出ている人たちだけである。最初の兄弟は分からないが例え出ていなくともそれでもそれに準じているのだろう。群馬町と信仰の有り様が違っているのが歴然としているから面白い。責任者の姿勢がそのまま集会に出ているような気がする。どちらもユニークさではダントツかなと思っているが?批判があることも聞いているけど諸集会での一つの生き方としてはそれはそれでいいのではないかなと思っている。なぜなら何処か欠けているのは私たちの姿であり、集会も然りで、完璧は主のみであるからである。
 テーマは「信仰によって生きる」、ロマ書より「信仰による義」を主体に語られた。話を聞いていてメッセンジャーの聖書理解の深さが頷けさせてくれるのかなと思った。当然のように受け取っている信仰の義、そしてイエス様の深い配慮を改めて教えられた。それでも聞いていくうちから忘れていくのが年とともに加速度的になっているのは否めない。
 17日には義姉の友人が頚椎の手術をした。首の手術だから心配で本人には会えるとは思っていなかったが術後の様子だけでもと思って家内と病院を訪ねる。しかし会うことも出来、家内は短い会話を交わすことが出来た。ご両親と妹さんがいて少しお話を伺い、娘の安否を気遣う置いた両親の姿に何かジーンとくるものが有った。多分田舎の人であることも多分にそのことを付加したと思う。
 その夜、タイで宣教している韓国の宣教師の金兄の証しがあったが眠くてボンヤリと聞いてしまった。海外宣教、集会の一つの目標だがそれはそれとして理解できるが私は内側だなぁと思っているから関心は今一の感じであることにどうなのだろう。

2008年1月12日土曜日

人は何時かは

 知人のお父さんが無くなられた。ALSを患って2年余りの闘病の結果である。ALSのことを思うと母の病気を思い出す。原因不明で大学病院に入院検査という時にろうそくの火が消えるように亡くなった。何時だったか田舎に帰った時にたまに朝起きれないことがあると言っていた。そのときはそれ程気にもならずにただ聞いていた。それが段々酷くなり、ついに寝たきりになり話すことも出来なくなってしまった。もしかしたら母もALSではなかったのかなと思っている。寝たきりになって半年あまりで亡くなったが。
 休日を利用して見舞ったら怯えたような顔していたので祈っていいかと云って短く祈ったら穏やかな顔になったのでほっとする。それを見て佐多先生を見舞った時のことを思い出した。あの時も明らかに死に対して怯えていた。聖書の話をしてくれるなと言われていたので避けていたが祈らなければとの思いがあって了解を得て祈った。「祈りはいいですね。」と小さい声で言われ、穏やかな顔になっていた。後は地元に残っている人に任せてと病院を後にしたことを思い出す。
 死は終わりではなく、永遠の始まりに過ぎない。聖書は明確に云う「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」heb 9:27 と。これはあいまいを旨とする日本人には抵抗あるだろうな。だからといって仏教には何の根拠も無いと思うがそんな所で自分を納得させているのではないだろうか。 死を克服した福音が上手く伝わると言いのだがと何時も思う。上記の言葉だけでは難しい。

2008年1月8日火曜日

我が師、我が友たち

 昨年の4月から一年契約で知的障がい者の作業所で作業補助として働いている。
 ここで働いている利用者は実に個性豊かな人たちである。といっても50名前後の人がいて、それも私は一階の就労グループで仕事をしているから主には彼らだけである。
 Mさんは目が凄くいい、見逃してしまうような製品についている小さなゴミや傷を見つけ出す。これには敬服するがその位はどうでもいいようなものも指摘してくるから少々うるさく感じる時がある。何時だったか袋の紐を蝶結びにしている時にどうしても上手くできないと言ってきたことがあった。私より上手だったのにたまに上手く出来ない時があるみたいだ。説明しても良くわからないみたいで体で覚えるのかなと思った。2,3の人もこの方が効率いいと言ってもまた元に戻っているの見かける。逆に戸惑うみたいだ。ここに彼らの難しさと覚えたら忘れない良さがあるような気がする。難聴だから少し声が大きく、時折怒ったりしているが面白い人で割りと気が会うような気がする。
 彼女と親しくしているAさんは暗算が得意で数字を上げるとスラスラと答えてくれる。 固くなった頭は暗算はいたって苦手だが感服する。会話も常識もわきまえているから普通なのかもしれない。逆にそれが災いしているのか職員のような態度で注意したりしているから皆から煙たがられている所がある。でも最近はあまりそのような事はないようだ。
 ボスのようなOさん小柄で太っていて声が大きい。男性でも怖がっている人がいるから私が注意しても聞かなくても彼女が言うと効く、うるさく言ったりするので少し敬遠されているところもある。怒鳴ったり注意したりするのを見ているとそれだけ観察しているのかなと思う。ある人には無視され、ある人には優しく、ある人には良く怒っている。勿論間違っている事も多々あるが、言っている事が的を得ているような気がするし普通だったら良いリーダーになれるだろうなと変な所で感心している。最近たまに抱きついたりするが息苦しくなる事があるから腕力も強い。暴力は振るわないが。
 自分のレベルで物考え行動するからギャップを感じで戸惑う事がある。フッと感じる事は彼らは愛に飢えているのではないかなと。愛されたいと願っているからそれが性格によって、甘えたり、怒ったり、沈黙ししたりと違う行動にでるにしてもそのような気がする。彼らから教えられる事が色々有る。時には戸惑い、うるさいと思いながらも感謝している。アリガトウ。

2008年1月7日月曜日

今日から

 今日から仕事始め、職員の方や利用者の一部の人に新年の挨拶をする。今日から3月まで頑張らなければとココロに言い聞かせて仕事にかかる。しかし10日も間が空くと仕事の手順を思い出しながらやらざるを得ない。年取ったなぁと実感する時でもある。

 彼らに時には戸惑いながら、時には楽しみながらやってきた。段々慣れてくると彼らとのやり取りが楽しくなってくる。中には愛想の無い人もいるが多分慣れの問題と楽観している。彼らには時々理解する事が出来なくて戸惑うことがある。その中に声の問題があり、それは声は大きくても語尾が明瞭度に欠ける?から理解できない事が結構多い。適当に誤魔化しているが中にはその事がばれているような気もする。勘弁して愛すべき我が師、我が友たちよ。

2008年1月5日土曜日

今年始めの

 今年ももう5日になってしまった。
正月三が日は何時も元日が前橋の社会人、二日三日は箱根駅伝をTVで見て過ごす。社会人はそれ程でもないが箱根は色々とドラマがあって面白い。走っている人は真剣だけど何かそれを期待しながら見ている。 
 今回も色々有った。早稲田が後半駒沢に抜かれたのは残念だったが駒沢はそれだけ人材が豊富なのだろう。早稲田はあそこまで良くやったのかもしれない来年に繋げた。個人個人のタイムが有るから何処を走らせるか色々監督は作戦を練るのだろうか。それと毎回一人くらいはリタイアするが今回は三人もいた。アクシデントもあったが気温が高かったのか健康管理が問われた大会だったような気がする。

 何時もはこれで終わる三日日であるのだが、今年は元日に抽選を兼ねて生協まで歩いてに行く。その足でユニデイまで行ったが休みで近くのケーズデンキで製品を見る。引越しした時にどんなのがあるのか、値段は?50万は必要かなと思った。20分は有にかかる所だったが何だかんだで一時間は歩いたのではないだろうか。
 二日、三日は予定はなかったが資料を整理して大分処分した。昨年の春にフーストンさんのセミナーのCDが有ったのでそれを聞く。それで三日日は終わる。
 4日は岩波書店から出ている新約聖書を買いに紀伊国屋に行くが無くて、本店にも無いのでオアシスに寄ってほしい本を見たがそれ程でもないので買わずに帰る。後で俊厚から三越のジュンク堂はお起きから有ったのではと言われた。残念だったがこれは当分買わないようにしよう。
 5日はマリヤを観て終わる。それ程期待もしていなかったのでこんなものかなと思った。これが正月の事始である。