2008年2月27日水曜日

A兄

 昨日夜中にA兄から電話があった。
出張で東京に来たから会いたいとのことだった。何時だったかもこんなことがあった。
一流企業の知財部長として忙しい人なのに事実1/3は海外出張だといっていた。そんな彼が若い時同じ教会に属しているというだけで会ってくれる。私だけ特別というのではないがでも感謝である。忙しい中にVIPクラブを弁理士の方と月一で集会を持っているといっていた。私と違って積極的であり、その彼がである。一時間半交わり勿論食はごちで、何故という思いも事実あるが彼の姿を見て嬉しくもありる。

2008年2月11日月曜日

聖書は三書

 以前、内村鑑三が書いたと言われた言葉で「神を示すものは聖書と天然と歴史である」と何かで読んだので参考のために検索したらテサロニケⅡ2/1-12の学びの中に有った。ただしくは「…聖書は一書ではない。三書である。聖書と天然と歴史である。そして聖書の鍵が預言である。われらは預言によりて歴史の意味がわかるのである。」と書いてあった。’29.11.20とあるから私が生れる11年前に書かれたものだ。

 聖書は唯一であって他のものは無いような事がメッセージの中で言われるがロマ書や使徒の働きの中に被造物を通して神を見ることができることが書いてある。歴史も然りである。それで思い出すのはイスラエルの国が起こされた事である。2千年の間、まさに流浪の民として生き、迫害をそれもキリスト教国といわれた国で受けてきた。その民が約束の地パレスチナに国を興したのである。

 「神が日本に残した指紋」同様に創造主がすべてを創造したとすれば、全人類に、形を変えて、それなりの形跡が残っているはずであろう。勿論扱いは慎重にしなければならないが福音のきっかけの糸口となりうるもののように思う。

2008年2月7日木曜日

作業所にて

 今日は二つのことがあった。
 一つは榮太郎の新しい板飴の入れ込みで説明書の入れ方が間違っていたようだ。数が合わないと言っていたのが2階の分が1階に紛れ込んでいたそうだ。私は能力的にあれもこれも出来ないので直接係わらず後で聞きながら覚えるようにしている。少しひいた状況に問題有りだなぁと思わされた。

 もう一つは変なおせっかいでの失敗である。
 偶数月にクラブ活動がある。土曜日もやっているようだが詳しくはわからない。私は電車クラブに属しているので彼らと一緒に電車に乗って出かける。引率と言ってもあまり引率者らしくないのが難だが。今回は駅でパソコンクラブと一緒になって、そこでチョンボをしてしまった。仙波君が190円と言いながら切符を買っているので府中だから150円を買い替えさせたら彼はパソコンクラブで百草園まで190円が正しかった。後で係長は彼は間違わないからと言って、私のお節介に笑っていた。

 確かに私は善意の人だ。困ったら助けたいとつい思ってしまう。しかしこれが時々仇となる。お節介というか善意の押し売りと言うか。彼らが出来ないから手助けをしてあげようとする。しかしあそこでは出来る事は自分でがモットーだと思う。自分動いてしまった方が早く綺麗にできるからつい自分が動く、そして彼らはやらない。上手くなくても出来るだけ彼らにやらせる。フッと自分が動かないように手足を縛りたくなる時がある。何をして、何をしないかの選択は難しいが少しづつ学んでいこう。積極さと出来るだけ彼らにやらせることと毅然さを持って。

2008年2月6日水曜日

神が日本に残した指紋(2)

 (2)があるのでその前に製作されたものがあって、二つのDVDを観た。副題に「文化を超えて働く、神の愛がここにある。」と書いあり、最初のものの副題には「日本の歴史と文化の中に創造の神の証拠があるのでしょうか?」と書いてあった。

 ハワイで製作されたもので、聖書と古事記の創造の話が似ているという事やお茶の作法が礼拝に似ている事は興味深い。古事記に出ている「天の御中主の神」が同じ創造の神であるとうするならば?考えさせられる内容だった。

 内村鑑三が神の存在を表しているものが三つあると言っている。聖書と歴史と天然、即ち自然である。日本にユダヤ教の影響を受けたのではないかと言う事が特に神道の中にから見ることができる。聖書のみではなくあらゆるものから神の存在を認識する必要があるような気がする。ただ適用に気をつけないと異端に繋がる危険性もあるがある種の広さも必要な気がする。日本人に福音を伝えるヒントになるような気がする。

2008年2月4日月曜日

岡谷

 日曜日は生憎の雪となって東京からチェンを着けていくことになった。冬の岡谷は雪の心配がある。昨年は帰った翌日に大雪になったりして雪に遭うこともなくラッキーだった。しかし今年は一月もチェンを着けなかったが帰りは雪が舞って高速はノロノロ運転だった。そして今回は岡谷は大雪でノーマルタイヤにチェンだから大変だった。でも事故も無く帰れたから感謝である。翌日休みにしてあるからゆっくり帰ればいいと思っていたから心配はしていなかったが。そして無事に帰れて感謝だった。自分たちの心配より三綿兄姉のことが心配したが三浦兄の車がスタッドレスだったので借りていかれたので良かった。

 雪の故に集まりは少し少なかったがそれでも紀子さんが午後も居てくれた。それに午後から花岡さんのご主人も見えたのでそれだけでも感謝なことである。逆に少ない分だけ交わりがいいのかなと思っている。どちらにしても感謝なことだ。直子姉は二回目で少しづつなれてきているのかなと思う。大阪のパフォーマンスは大分抑えているようだけど岡谷の人たちにはどのように映っているかな難しい所だ。

 彼の話し方や受け答えは自分には出来ないけどいいヒントを与えてくれている。何を話すかではなく彼らにどれだけ興味を持ってくれるかが大切なような気がする。罪だ救いだという事は簡単だが彼らの心に響かなかったら何の意味も無い。それで福音を語ったとは云えないだろう。その点いい勉強になる。実際にやろうとすると難しいだろうが。今の私にはいい事は勿論のこと一見悪いような事でも正に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」rom 8:28