2008年6月28日土曜日

社会的罪

 片づけをしていると新聞の切抜きが出てきた。
日経のコラムのようだが何時のだろう。小選挙区制についても書いているから5~10年前かな、そこにはマハトマガンジーの「七つの社会的罪」を現代の日本にダブらせて書かれていた。半世紀も前の警告は今の社会に生きているし、更に深刻さを増しているような気がする。
 これはインド独立の父マハトマ・ガンジー(1948年没)のラージガートの墓碑にこの世の中で、社会がもたらす罪として「七つの社会的な罪(Seven Social Sins)」の警告文が刻み込まれている。
原則なき政治(Politics without Principles)
道徳なき商業(Commerce without Morality)
人間性なき科学(Science without Humanity)
人格なき教育(Knowledge without Character)
労働なき富(Wealth without Work)
良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
犠牲なき信仰(Worship without Sacrifice)  
 「KOfyのblog」より

 将来のビジョンの無さと国民に目を向けていない党利党略で動く政治。散々誤魔化していながらついに誤魔化しが利かないとTVカメラの前で「申し訳ございません」と形だけ頭を下げている姿は商業道を失った哀れな姿。企業も同じような事をしている。本田宗一郎や松下幸之助が現代に生きていたら絶句するのではないだろうか。
 神を失った人間教育なんか悪魔の手先を育てるようなもの。投資でまさに巨万の富を得る現代は「額に汗して」の労働の原則は過去の遺物か。理性の利かない快楽は秋葉原の事件を生むような気がする。真の宗教は他者の生かすものであるのに自己中心で自己犠牲という言葉は死語になってしまった。

2008年6月27日金曜日

ボチボチと

 17日で仕事を終えてからボチボチと片付けや引越しの準備をしている。
火曜日に自分の机とその上にある棚を片付けて、といっても本がダンボール2箱、机や棚を分解する。置き場がないから荷物を隙間のあるところに置いて、また次のところと移動しながらであるから能率がすこぶる悪く、テキパキとは程遠い。その空いた所に俊厚のパソコンラックを持って来る。ラックも色々なものが乗っているからそれを片付けるのが一苦労。そしてラックの置いてある所に服のハンガーを持ってくると何とか部屋らしくなった。それまでは俊厚が服を脱いでも下に置くからそれこそ足の踏み場もない。そうでなくても買い物したのを置きっ放しにしているから踏み場はない。それでも大きいものを所定の所に置いて基本のレイアウト?が出来あがる。

 一昨日は本やCDをラックや棚に置いて、入らないものはダンボールに入れる。部屋の隅々にダンボールの山だが大分カーッペットの見える面積が増えた。
昨日は俊厚の部屋の上の棚を整理して、ラックや棚に本を入れていくと結構部屋らしくなった。片付かないのと疲れで昨日は集会をパスしする。アンプとスピーカーを片付けて、レイアウトは俊厚モードにする。後は押入れとお勝手関係が残るのみとなった。来週は運送屋を読んで見積もりをして貰うがようやく呼べるようになったという観である。

2008年6月21日土曜日

今日で

 今日でと書くのは正確ではないが17日で仕事を終えた。
1年3ヶ月と短かかったが実に有意義な職場だった。というより色々教えられて感謝の一言に尽きる。最初はきつくてどうしようかなと思ったけれど職員の理解もあって何とか持った。最後まで彼らに戸惑って上手く対応できなかったように思う。しかしそれを望むのは無理、それなりに仲良くなれただけでも感謝だ。これから信仰生活の上でも福音やみことばを伝える上でも貴重な経験になっているように思う。人の姿と神の我らに対する姿を見る思いだった。まさに何物にも代えがたいものだった。
 
 送別会をと言われていたが忙しいからと断ったのに佐藤さんが馬車道でと言われて断れなかった。職員の方がみな来てくれて感謝だった。色々褒められたが自分の中には不完全燃焼の気持ちが強いからそれはそれで感謝である。それだけ素直に慣れたのだろう。これも主の働きなのだろう感謝。小松さんも若林さんが連絡してくれて来てくれてそれなりに賑やかな一時となった。

2008年6月14日土曜日

久し振り

 珍しく何かとあった所為か書くのは久し振りである。
先週は職場でアキレス腱を痛めて今ようやく治った。空調室に畳んだダンボールを入れようと足を踏み入れたら階段を踏み外して足を攣ったのかアキレス腱を痛めてしまった。医者には行かなかったが歩くのに少し不自由をした。その前の週に雨の日の帰り本屋の階段で滑って骨折した塚原さんを見舞って、体に気をつけているあなたが滑って骨折するなんて間の抜けた話だと言って、それはないでしょうと言われた後だったので思わず日本的流に言うと罰が当たったかと思った。でもあの時に些細な事で怪我などをする年になったからお互いに気をつけようといったばかりだったのに。
 
 土曜日は古井姉の納骨式に高尾まで行って来た。久し振りに行ったがもう6つ?入っている。最初の頃は納骨式に行ったけど後半は行っていないのに気付かされた。岡谷に行くので古井姉とはもう会うこともないかと思っていたからああいう形とはいっても会うことが出来て感謝である。穏やかな顔だった。認知症という病気は回りは大変だけど本人にとっては思い煩いが少ないから幸いかもしれない。

 月曜日には正式に家を決めてきた。最初見た時は新しいいいと思ったが再びみたら11年前の建物だからそれなりにという感じでもある。それに各々8畳で広いと思っていたが物を置いたら結構狭いかもしれない。それでもあの決まり方は私たちから出ていないから導きだと思いたい。それに大家さんは家内の親戚というより有賀のおばさんの実家だそうで驚きだ。何があるのだろう。

 水曜日から伊良部兄が来ての特別集会、といっても各集会にメッセをしてもらうのだが、前回は話もろくにしなかったが今回は少し話が出来てよかった。鶴見とも若い時に交わったきりだから点がつながって良かった。上町会には鶴見からも来て、少し話が出来て懐かしかった。彼らは昔を知らないから向うもよかったのかもしれない。平山兄はまだ4年、伊良部兄が家庭集会をやっていた時には来ていたが20年くらいブランクがあったといっていたから私が色々知っているのに驚いていた。

2008年6月2日月曜日

芝居

 昨日かな息子から芝居を見ようと電話があった。
多分、飲み仲間の中に芝居をやっている人たちかその関係者がいるのでそれで観ているようだ。これは今に始まった事ではないような気がする。

 誘われたり頼まれたりで、これで3度目だ。ストーリイと台詞も良くわからない。エキセントリックといい、実に馬鹿馬鹿しく下らない。それでいて笑ってしまうから面白い。このなんともいえないギャップが頭を混乱させれる。