2008年8月30日土曜日

このところ

 このところ雨が続いている。東京ではあまり感じなかったがお盆は気候の変わり目みたいなものなのかな。天気も崩れやすくなって、昨晩なんか屋根に当たる雨の音が大きかった。その前日か愛知方面では大変な被害になっているみたい。今年は台風がと思ったがこんな大雨の被害もあるんだ。被害を受けられた方は大変だけれどこの地上の営みは不確かな土台に立って生きている。それを認めると言うことは謙虚でなくてはいけないだろうな。生かされていることへの感謝がないと、これも当然、あれも当然と思うところに感謝は生まれない。何か人間の驕りが自然を侮り、神を無視しているように思う。満ち足りた心は何処から来るのだろう。たとえ貧しくとも与えられている物で満足するところから来るような気がする。

2008年8月28日木曜日

感じたこと

 家内と結婚して30数年、通いなれた町だが移り住んでみるとまた違った物が見えるから不思議だ。まず思ったより町が小さいことだ。多摩だと車でちょっと出掛けると10キロとか15キロになってしまう。半分で5キロ7キロである。7キロも走ると相当先である。ここは車で移動だからバイクと思っていたがその必要もないみたいだ。

 それと見慣れたはずなのに見渡せば小高い山に囲まれている。濃い緑の山並みを見ていると何か癒される思いがする。何故だろう不思議だ。

 もう一つ新鮮に感じたことがある。それは小さい側溝のような川でも水が音を立てて流れていることだ。水量だけでなく、湖に向かって緩やかな坂になっているからかもしれない。なんか川が生きているような感じで新鮮である。

 出来たら人里はなれたところに移りたい感情に駆られる。リトリートそんな場所が出来ないだろうか。人は癒されることが必要だ。それに浸るのではなく一時的に日々の喧騒から離れて静かなときは必要ではないだろうか。そんな場所を作りたい。

もう一ヶ月も過ぎた

 24日でちょうど一ヶ月になった。
ゆっくり動いているからあっという間だ。先々週は少し落ち着いたかなと思ったら人が訪ねてくれて、先週は静かな一週間、そして今週も然りである。先週から週に3回は歩こうと思っていたから少し歩くことが出来た。家内と横河川の上流まで歩いて少し汗をかく、そして昨日は京セラの脇まで歩いてしまった。今日は銀行に振り込みと定期にするのがあって、銀行と隣のイルフ館まで歩いて行ってきた。帰りは笠原書店に寄って立ち読みして帰ってきた。少し疲れたかな。

考えてみれば健康のために歩くことはいいことだが、健康のためならスポーツがあるから安くあげてるようで少しせこいかなとも思わざることでもない。それと同じコースを歩くのもなんだから何時まで続くのかも少し疑問でもある。何かをとの考えがあっての行動だから何かを見出すかもしれない。

それとノートに日記のように書いているがここではあまり書かない。それはそれでいいのだがタイトルにあるように「パンくずを拾って」そのパンくずを拾ってないのだ。拾ったらコメントすればいいが拾っているのか気がつかないのか…。そろそろ書いていこうかなと思う。意識しないと拾えない。

2008年8月17日日曜日

少しずつ

 先々週あたりから大体片付いて、後ダンボールが5~6個残っているが収納スペースがないから当分そのままだ。片づけが終わった途端に人が訪ねてくるようになった。別に何も考えていないのに13日から昨日まで続いて人が来ている。それも日にちの調整をすることなく、向こうの都合でうまくいっているから不思議である。
 明確な示しはないがしかし何か押し出されるようなものを感じる。伝えなければならない何かがあるような気がする。それは何だろう?へセド神の真実かな…。

2008年8月10日日曜日

これが何時もの

 先々週は沖見兄、先週は三綿兄と忙しくまた人も大勢来たが今日はほんとに少ないメンバーだった。これが何時もの集会の姿なのかと思った。証しをと言われたが何時ものように纏まらなかった様な気がする。何かを感じてくれればいいがここはどうだろう。まぁマイペースで行くしかない。

2008年8月2日土曜日

引っ越してきて

 24日に引っ越してきて一週間ちょっと、大分片付いてきた。収納する部分がないから収めるのに苦労する。押入れに棚を作ったり、机の上は向こうでもやっていたから、ただ棚の部分が少ないからファイルが置けない。本棚を買っていたのでようやく本は納まったような感じである。

 ここの大家さんが有賀のおばさんの実家だそうだ。脇に広くはないがりんごの木が有り、りんごの里の名称になっている。9件ばかりが貸家で他県ナンバーの車があるところを見ると転勤族かもしれない。手続きや買い物をして少しづつ慣れてきたが東京は楽でいいとつくづく思う。だからそれがいいというものでもない。

 先週は経堂で篠原兄姉と、今週は沖見兄姉と交わることが出来てよかった。二人の味のある話を聞くことは楽しい。これからという篠原兄の話の内容が変化していくのを見るのも楽しい。また体力的に衰えてきている沖見兄が頑張っている姿は襟を正される。人の批判を気にせず主の御心のみを求め確信して進む姿は見習うべきであろう。

 篠原兄が田舎の小さな集会は良く知っているようで中に入ると人間的なしがらみが見えるものだと言っていることが少しわかるような気がする。これからその戦いかな既にその兆候は現れているのかな?まぁ淡々と歩んでいこう。