2008年12月31日水曜日

今年も

今年もあと数分となってしまった。
東京から信州に引っ越してきて、何かとその違いに戸惑いながらも何とか慣れてきたというのが本音。
自分の真実の姿を知らされ、思う以上に何もないことに驚くがこれが現実である。悲観してはいない。
しかし現実に何かと問われることが起きると落ち込むかな。終わってみれば感謝だった。今年の欠けた所は来る年に補えるように頑張ろう。へんな期待をしないで自らの力で勿論助けを頂きながら自分の足で歩こう。過ぎ去る年に感謝し、来るべきとしに期待をして、誰も読まない今年のブログを閉める。

2008年12月30日火曜日

パレスチナ

今、イスラエルがガザを空爆していることが報道されている。
死者が多く出ているのでイスラエルが非難されている。確かにそうだがなぜそうなったかを報道していない。ハマスは毎日のようにロケット弾を発射している。そのことを一切報道しなくて、今の結果だけを報道するのはどうかと思う。毎日のようにロケット弾が飛んでくるイスラエルの南部の人たちの精神的な苦痛をどう伝えるつもりか。お陰で病気になっている人が大勢居るというのに、どこか腹が立つ。

2008年12月28日日曜日

年末を思う

「ビート武新解釈日本人の現代史」というタイトルの番組をやっていた。サブタイトルは「2008年の総決算・・・」、こう類の物が出てくると暮だなぁと思う。こういうものでも面白いとつまらない物がある。中には優等生的答えを既に持っていて答えが解ってしまうのもあるから余り拘らない彼の視点は好きだ。
現代の問題のルーツは1980年代にあるという捉え方は面白かった。それなりに説得力がある。殺人事件を初め若者の不可解な行動は、遡って見なくては真実はわからないと思う。不可解な事件が起きるということはその人を罰するだけでは解決できない日本の暗部というのがあるような気がする。物質万能主義、見えざる方を恐れる恐れがない。これが一番かな、どこまで落ちて行くのだろう。だから貧しく、質素な生き方をするのがアンチテーゼとして大切なような気がする。

2008年12月27日土曜日

ある番組から

NHK「日本の現場」12月24日放送をたまたま観て感じたことを書こう。

「 滋賀県湖南(こなん)市にあるデイサービスセンター「らく」で昨年の冬、通ってくるお年寄りたちの「遺影撮影会」が開かれた。お年寄りの多くが「死」を自然に受け止め、準備を始めていることを知り、「折角なら遺影を残しておきたい」とセンターが企画した。撮影するのは、写真家の大西暢夫さん。お年寄りが語るそれぞれの人生にじっくり耳を傾けながら「最高の表情」を捉えてシャッターを切る。お年寄りたちも自分が生きた証し残したいとそれぞれが特別な思いでカメラの前に立った。認知症が進んだ妻と二人で撮影に臨んだ元企業戦士、脳出血の後遺症と闘う姿こそ最後の写真にふさわしいと不自由な体を押して会場に来た元医師。今年2月にその模様が放送されると、「自分も個性的な遺影を」という希望が相次ぎ、センターでは撮影会を開催してきた。“遺影”を撮った人たちのその後、新たにカメラの前に立った人たちを訪ね、フィルムに焼き付けられた人生の輝きを見つめる。」

これはNHKの照会文をコピーしたのだが実に示唆に富んだ番組だった。主に二つのことを思った。ひとつは死を身近に覚える年寄りに「遺影撮影会」を行ったことである。いうなれば重病の入院患者に死の話をするようなものだ。全てではないであろうが皆さん嬉々として撮られているのには感心した。誰もが葬式の遺影に不満があったようだ。変に若すぎたり、ぼやけたりしているから私も分かるような気がする。最後に飾る物だから自分でも納得したいのだろう。それに一人ではなく何人もいれば割りと気軽に出来るのかもしれない。それと写真家の大西さんに感心した。あのような写真を撮るのに一人2時間からかけては相手をリラックスさせてから撮る。お若いのにこれがプロかと思った。

伝道もこうでなければならないのではないだろうかと思わされた。まず相手の話を聞く、心ほぐれたら聖書の話をする。下稲葉氏もまずコミュニケーションが大事と言っておられてことと同じかなと思った。心していかなければならないことだ。

2008年12月20日土曜日

やっと

マクグラスの「総説、キリスト教」を読み終えた。660ページ、大変だったがキリスト教の歴史を知ることが出来てよかった。ノンクリスチャン向けにも書いてあるから総論的で少し物足りなかった。ローマでキリスト教が受け容れられてからの今日まで本質的なものは何も変わっていない。まさにキリスト不在であると言ったら過言かな。「バックトーザバイブル」である。イエス様が言われた「わたしに従いなさい」、これは弟子たちの足を現れたイエス様と同じことをしなさいという意味であろう。謙遜の道でもある。教義はそれ程大切なものではないような気がする。勿論異端は困るが、考えさせられた本だった。彼の「キリスト教の将来と福音主義」をもう一度読み返そう。

2008年12月19日金曜日

聖書は

クリスマスが近づいてきた。聖書はイエス様の誕生について、マタイとルカで書いている。ただマタイは博士がルカでは羊飼いがイエス様との出会いが記されている。マタイは博士たちが王として、ルカは最下層の羊飼いに飼い葉桶に寝かされているイエス様を、そしてどちらもふさわしいから面白い。イエス様の二面性?これがキリスト教界を混乱させているのかもしれない。低くなられたイエス様は聖書の中だけでキリスト者はそんなイエス様には興味がないように思える。皮肉を言えば・・・。

2008年12月18日木曜日

今日は

年賀状を書きも終えた。何時もは休みに入ってやるからぎりぎりになっていて、多分着く時は早くて3日あたりになっているのだろうと思う。今回はちゃんと元旦に届てくれるだろう。八ヶ岳の写真を入れたくて岡谷寄りの諏訪湖周辺を探していた。何時だったか釜口水門に行った時、構図的にとてもよかったのでここから撮ろうと何度か通った。噴水も入って気に入っている。ついでに釜口水門より下流を撮ったのも良かったので入れた。まぁまぁだが所詮素人、この文章と同じでそんな出来栄えである。写真を入れようと思っていたが後は何も頭に浮かんでこなかったがやっているうちになんとなく出来てしまった。まだまだ大丈夫かなと少し安心する。

今日差出人無記名のそれも齋藤の斎にサンズイが付いていた封書が入っていたのでなんだろうと開けてみたらピン札のそれも通し番号の1万円札が3枚入っていた。大阪の八尾のスタンプが押してあり、あの辺で知っているのはと詮索するがそこまでにして、二人で祈った。今のところ生活に困らないし、伝道者でもない。何を思ったのか思わされたのか分からない。これからこんな形で助けがあるのだろう。主の前にへりくだらされる事になると思うが感謝である。自分の力が抜けるとき主は働かれる。これは原則、感謝すると共に主を恐る。

2008年12月16日火曜日

資料つくり

以前に新約聖書の概観で、「初代教会の記録」と「初代教会の諸問題」でのチャートを作っていた。それは問題ないのだがユダヤの祭りを空きスペースに入れていたのが間違っていたりして、訂正するのに結構な時間がかかった。資料を調べたり、概観は古いし、新しい資料に従って書き改めていくだけでである。しかしこれを機会に「・・・きろく」は終わっているがもう一度分かりやすいように書いていこう。それに「・・・諸問題」は途中で終わっているのでそれも完成しないといけない。根気と知能が落ちてきているので気持ちだけが先行する。

2008年12月15日月曜日

相変わらず

昨日になってしまったが礼拝の後の話を一ヶ月ぶりにした。準備は遅々と進まなかったがそれなりに纏めて話すことが出来た。しかし相変わらずである。まだ試行錯誤は続きそうだ。文章にするのと話すとでは大分違う。前のところと違って話す機会が増えたから何んとしても聞く人に頷ける話を出来るようになりたい。大切な何かが抜けているような気がする。主との交わりの欠如も大きいような気がする。次回に期して・・・。

2008年12月13日土曜日

相変わらず

明日の話の準備でパソコンに向かっていたがやっと出来上がった。
原稿は半分読むように、半分メモ的で簡単な物になってしまった。話のときにどれだけ肉付け出来るかが問題。実際は20分くらいになるだろうが録音してみたが15分余りだった。淡々として山がないもう少し検討してみよう。以前家内が3人3様だといっていたが、確かにそれぞれのパターンがあるような気がする。それはそれでいいが、もう少し話に面白味がないとつまらない。自分の中にどこかさめているところがあるから熱いものがないと出てこないのかもしれない。どうしたら熱いものが出るのかな、結構内側でくすぶっているのに、来年の課題。しかし、その為には今からやらないと・・・。

2008年12月11日木曜日

進まん

今度の日曜日に話すが遅々とした進み方である。
話す箇所は分かっているがそれにどのように肉付けするかそれがうまく行かない。こちらに来て心がけているのは分かりやすく話す。難しいことは言わない。初めて聞いてもわかる。これをモットーとしている。聖書はどこか飛躍しているところがあるからそれを現実とどう結びつけるかが大切なような気がする。神の人格的な働きをもっと語りたい。

2008年12月9日火曜日

もう九日、誕生日、クリスマス会

12月に入って初めて書くことになる。
当たり前のことだが12月は最後の月で、昔ほどではないにしてもなんとなく気忙しい。それと5日が誕生日で68歳になった。見掛けは若く見えるが中身はそれ相応に年をとっている。特に記憶力は加速度的に衰えてきている。覚える記憶力は限りなくゼロに近く、生活していくための記憶力はまだ大丈夫そうだが聖書の箇所とか本を読んで覚えなくてはならないものは、すがる藁さいもないという状況である。
まぁ、もう覚えなくてもよいと言うことであるかもしれない。ここに来て5ヶ月、ここで何とかできるのは70までだろうと思っている。後2年間何とか頑張って、集会の土台が築かれたらいいなぁと思っている。ここで何かを残すつもりもないし残せない。老兵は消え去るもの、それも静かに・・・。

7日にM兄姉が来られて、一応クリスマス会ということで、彼が千葉のI兄姉に声をかけてくださって、千葉の市原から日帰りをして下さった。聖歌だから譜面通りに弾くのかなと思ったら本格的に弾かれたので感激した。彼らが結婚の時からだから長い、それに姉妹のご両親は以前一緒に集っていたから更に古い。お二人は召されて、共に認知症を患っていたようだが後半は良く知ることはなかった。店も閉め集会の責任からも離れていたからどちらかと言うと没交渉。ここでまた再スタートのようなものだ。

何時もはクリスマス会をやっていたがそれは一般のクリスマスと似たようなことをやっていたらしい。昨年は、何時もやっていたクリスマス会を事情があってやらないことにしていた。しかしM兄が来てくれるということで月の初めのクリスマス会となった。簡単なもので特別何をやると言うものではなかったように記憶している。今回も月初めになり、それでも彼が声をかけてくれて音楽付のクリスマス会となった。何時もの方とY姉の友人にS姉の友人が東京から諏訪に来られるので声をかけたら来るというので、新しい人が3人来られて、皆さん喜んでくれた。東京から来られた方は何度か癌の手術をされているようで、それでもお元気だった。前に住んでいた所の同じ駅を利用される方で向こうに繋がってくれるといいなぁと思った。

我が家で彼らと夕食を共にし、6時過ぎに電車の関係でI兄姉を送る。食事も終え、交わりの中でM兄は12月いっぱいで会社をリストラされることになったこと、来年から伝道者として立つことを話されて、その不思議さに驚かされた。彼が喜んで話をしているので暗さはないのがクリストにある素晴らしさである。それに何時立つのかと多くの兄姉は思っていたからどういう形にしろホッとしているだろう。ビリケツの営業所をトップから4番目まで上げ、3番目も視野に入っていたようだから、何故という問いは社内でもあったようだ。退職金の関係で勤務年数が少ないという理由らしいが妬みもあると部下が言っていたそうだ。彼自身もある程度の実績を残して、引き止められるのを振り切って、専心する思いがあったそうだが思いっきり砕かれたようだ。それに姉妹の踏ん切りと家族への証がこのように解決して喜んでいた。主が用いられるのは能力にあらず。どれだけ砕かれているかにかかっているようである。

その後、彼がNさんに幾つかの質問をして、彼女もそれに答えて、、自分の罪を認め、イエス様の十字架が自分の罪のためであったことを告白した。周りに自分はクリスチャンになるかもしれないといっていたそうだから驚かされる。見た目はささやかでも素晴らしいクリスマス会だった。そこに居合わせたことを静かに主に感謝した。皆が帰った後、二人で祈る。そして子供の立ち返りと救いを・・・。