2008年1月29日火曜日

パンくずを拾うって

 12月と1月の誕生会を兼ねて真佐子さん宅で集まりがあった。私はあまり得意とするところではないが意を決していく事にしたと言うのが本音である。梶間さんが大井川さんや田口さんの事を色々高広君や聡君に話をしていて流石だなと思った。私は出来ないが彼はそう言う風にして人の中に入っていく事ができるから凄い。人を使っているからその扱いには慣れているだろうとは思っているが。それに色々な機微に対応しているだろうから中々である。だから大日方さんもあまり抵抗無く集会に来れるのかもしれない。高広君や聡君達が帰った後、相変わらず集会のこと信仰のことを言われたが私に対してのメッセもあるのかなと思った。でも分からなかったから深く詮索する事もなく彼の持論として聞いていた。確かに聖書に書かれてあることと教会生活は人間的なものが有る分ずれを感じるのは当然だろうし感じなかったら教会外の人の気持ちは分からないだろう。特に離れている人たちの心、そんな事を思わされてこれがパンくずを拾うと言う事かなと・・・。

2008年1月26日土曜日

芝居

 息子の勧めで中野のザ・ポケットと言う小さな劇場で上演されている芝居を観てきた。寝たきりのおじいさんが亭主がいるヘルパーさんに恋をして、子供達は自分の都合で父親をほったらかしにしたり、世間体を気にしたり、ノンフエくションのようで何処かシリアスであった。ストーリーが小刻みのようで少し難解の感がしたが伝助や島田正吾を思い出してしまった。芝居の原点は彼らの中にあるような気がする。何処かアングラぽかったなぁと思ったが本物は難解で分からなかっただろう。あのくらいだから観れたのかもしれない。途中寝てしまったが。
 なんでもそうだが好きでやっていることでも他人から観たら馬鹿馬鹿しいと思われるだろうな。自己表現か自己実現か損得を考えないで好きな事が出来る事は羨ましい事である。信仰の世界もこうであるとまた赴きが変わってくるだろうな。いのちを懸けてそれでいて気張らず淡々と信仰生活を歩む、こうはならないかなぁ。

2008年1月23日水曜日

雪が

 東京も珍しく朝から雪になって通勤にはと思ったがそれ程でもなかった。道路の脇は白くなったが道路は積もる事もなく、職場のグランド?で雪だるまが出来るかなと思ったのにベタ雪で積もることもなく少しがっかりする。しかし積もるようだと交通機関に影響与えるからこのくらいで丁度良かったのかもしれない。これから春先にかけて回数は少ないがドカ雪になる。東京に最初に来た年に4月になって雪が降ったのには驚いた。それも大分積もって雪国から来た者としてびっくりであった。東京はこういうことがあること生活する中で経験する。不思議な街東京である。
 日曜日は諏訪の方に行っていて、夕方から雪が舞い始めたので早々に帰ってきた。この時は高速も50キロ走行でまさにノロノロ運転である。ボタン雪だったから積もってきたらと冷や冷やだったが積もる事もなく助かった。これがほんの少しでも雪の量が多かったらチェンを着けなければならなかった。緊張して運転したが山梨に入って雪がやんだのでほっとする。今日の気持ちとは雲泥の差である。自分に係わる事とそうでないことではこうも違うものだ。

2008年1月19日土曜日

今週は

 今週はいくつかのことがあった。
 14日には恒例の高崎での学び会。今回は何人かが東京の集まりに出たようだ。マンネリ化してくると東京の集まりもある種の新鮮さを感じるのだろうか。世代は代わり、若い世代?はまた違った視点で聖書なり信仰を見ているのかもしれない。勿論本質は変わることはないだろうが。
 今回は下小鳥だからメッセンジャーは神学校を出ている人たちだけである。最初の兄弟は分からないが例え出ていなくともそれでもそれに準じているのだろう。群馬町と信仰の有り様が違っているのが歴然としているから面白い。責任者の姿勢がそのまま集会に出ているような気がする。どちらもユニークさではダントツかなと思っているが?批判があることも聞いているけど諸集会での一つの生き方としてはそれはそれでいいのではないかなと思っている。なぜなら何処か欠けているのは私たちの姿であり、集会も然りで、完璧は主のみであるからである。
 テーマは「信仰によって生きる」、ロマ書より「信仰による義」を主体に語られた。話を聞いていてメッセンジャーの聖書理解の深さが頷けさせてくれるのかなと思った。当然のように受け取っている信仰の義、そしてイエス様の深い配慮を改めて教えられた。それでも聞いていくうちから忘れていくのが年とともに加速度的になっているのは否めない。
 17日には義姉の友人が頚椎の手術をした。首の手術だから心配で本人には会えるとは思っていなかったが術後の様子だけでもと思って家内と病院を訪ねる。しかし会うことも出来、家内は短い会話を交わすことが出来た。ご両親と妹さんがいて少しお話を伺い、娘の安否を気遣う置いた両親の姿に何かジーンとくるものが有った。多分田舎の人であることも多分にそのことを付加したと思う。
 その夜、タイで宣教している韓国の宣教師の金兄の証しがあったが眠くてボンヤリと聞いてしまった。海外宣教、集会の一つの目標だがそれはそれとして理解できるが私は内側だなぁと思っているから関心は今一の感じであることにどうなのだろう。

2008年1月12日土曜日

人は何時かは

 知人のお父さんが無くなられた。ALSを患って2年余りの闘病の結果である。ALSのことを思うと母の病気を思い出す。原因不明で大学病院に入院検査という時にろうそくの火が消えるように亡くなった。何時だったか田舎に帰った時にたまに朝起きれないことがあると言っていた。そのときはそれ程気にもならずにただ聞いていた。それが段々酷くなり、ついに寝たきりになり話すことも出来なくなってしまった。もしかしたら母もALSではなかったのかなと思っている。寝たきりになって半年あまりで亡くなったが。
 休日を利用して見舞ったら怯えたような顔していたので祈っていいかと云って短く祈ったら穏やかな顔になったのでほっとする。それを見て佐多先生を見舞った時のことを思い出した。あの時も明らかに死に対して怯えていた。聖書の話をしてくれるなと言われていたので避けていたが祈らなければとの思いがあって了解を得て祈った。「祈りはいいですね。」と小さい声で言われ、穏やかな顔になっていた。後は地元に残っている人に任せてと病院を後にしたことを思い出す。
 死は終わりではなく、永遠の始まりに過ぎない。聖書は明確に云う「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」heb 9:27 と。これはあいまいを旨とする日本人には抵抗あるだろうな。だからといって仏教には何の根拠も無いと思うがそんな所で自分を納得させているのではないだろうか。 死を克服した福音が上手く伝わると言いのだがと何時も思う。上記の言葉だけでは難しい。

2008年1月8日火曜日

我が師、我が友たち

 昨年の4月から一年契約で知的障がい者の作業所で作業補助として働いている。
 ここで働いている利用者は実に個性豊かな人たちである。といっても50名前後の人がいて、それも私は一階の就労グループで仕事をしているから主には彼らだけである。
 Mさんは目が凄くいい、見逃してしまうような製品についている小さなゴミや傷を見つけ出す。これには敬服するがその位はどうでもいいようなものも指摘してくるから少々うるさく感じる時がある。何時だったか袋の紐を蝶結びにしている時にどうしても上手くできないと言ってきたことがあった。私より上手だったのにたまに上手く出来ない時があるみたいだ。説明しても良くわからないみたいで体で覚えるのかなと思った。2,3の人もこの方が効率いいと言ってもまた元に戻っているの見かける。逆に戸惑うみたいだ。ここに彼らの難しさと覚えたら忘れない良さがあるような気がする。難聴だから少し声が大きく、時折怒ったりしているが面白い人で割りと気が会うような気がする。
 彼女と親しくしているAさんは暗算が得意で数字を上げるとスラスラと答えてくれる。 固くなった頭は暗算はいたって苦手だが感服する。会話も常識もわきまえているから普通なのかもしれない。逆にそれが災いしているのか職員のような態度で注意したりしているから皆から煙たがられている所がある。でも最近はあまりそのような事はないようだ。
 ボスのようなOさん小柄で太っていて声が大きい。男性でも怖がっている人がいるから私が注意しても聞かなくても彼女が言うと効く、うるさく言ったりするので少し敬遠されているところもある。怒鳴ったり注意したりするのを見ているとそれだけ観察しているのかなと思う。ある人には無視され、ある人には優しく、ある人には良く怒っている。勿論間違っている事も多々あるが、言っている事が的を得ているような気がするし普通だったら良いリーダーになれるだろうなと変な所で感心している。最近たまに抱きついたりするが息苦しくなる事があるから腕力も強い。暴力は振るわないが。
 自分のレベルで物考え行動するからギャップを感じで戸惑う事がある。フッと感じる事は彼らは愛に飢えているのではないかなと。愛されたいと願っているからそれが性格によって、甘えたり、怒ったり、沈黙ししたりと違う行動にでるにしてもそのような気がする。彼らから教えられる事が色々有る。時には戸惑い、うるさいと思いながらも感謝している。アリガトウ。

2008年1月7日月曜日

今日から

 今日から仕事始め、職員の方や利用者の一部の人に新年の挨拶をする。今日から3月まで頑張らなければとココロに言い聞かせて仕事にかかる。しかし10日も間が空くと仕事の手順を思い出しながらやらざるを得ない。年取ったなぁと実感する時でもある。

 彼らに時には戸惑いながら、時には楽しみながらやってきた。段々慣れてくると彼らとのやり取りが楽しくなってくる。中には愛想の無い人もいるが多分慣れの問題と楽観している。彼らには時々理解する事が出来なくて戸惑うことがある。その中に声の問題があり、それは声は大きくても語尾が明瞭度に欠ける?から理解できない事が結構多い。適当に誤魔化しているが中にはその事がばれているような気もする。勘弁して愛すべき我が師、我が友たちよ。

2008年1月5日土曜日

今年始めの

 今年ももう5日になってしまった。
正月三が日は何時も元日が前橋の社会人、二日三日は箱根駅伝をTVで見て過ごす。社会人はそれ程でもないが箱根は色々とドラマがあって面白い。走っている人は真剣だけど何かそれを期待しながら見ている。 
 今回も色々有った。早稲田が後半駒沢に抜かれたのは残念だったが駒沢はそれだけ人材が豊富なのだろう。早稲田はあそこまで良くやったのかもしれない来年に繋げた。個人個人のタイムが有るから何処を走らせるか色々監督は作戦を練るのだろうか。それと毎回一人くらいはリタイアするが今回は三人もいた。アクシデントもあったが気温が高かったのか健康管理が問われた大会だったような気がする。

 何時もはこれで終わる三日日であるのだが、今年は元日に抽選を兼ねて生協まで歩いてに行く。その足でユニデイまで行ったが休みで近くのケーズデンキで製品を見る。引越しした時にどんなのがあるのか、値段は?50万は必要かなと思った。20分は有にかかる所だったが何だかんだで一時間は歩いたのではないだろうか。
 二日、三日は予定はなかったが資料を整理して大分処分した。昨年の春にフーストンさんのセミナーのCDが有ったのでそれを聞く。それで三日日は終わる。
 4日は岩波書店から出ている新約聖書を買いに紀伊国屋に行くが無くて、本店にも無いのでオアシスに寄ってほしい本を見たがそれ程でもないので買わずに帰る。後で俊厚から三越のジュンク堂はお起きから有ったのではと言われた。残念だったがこれは当分買わないようにしよう。
 5日はマリヤを観て終わる。それ程期待もしていなかったのでこんなものかなと思った。これが正月の事始である。