2008年9月24日水曜日

佐久へ

 信州に来る一つの楽しみに、松本と佐久にある集会に行きたいと願っていた。引越しの案内を成田さんに出したら佐久と松本の学び会の案内があって、昨日佐久の学び会に飯高さんたちと行って来た。本当に久しぶりに会えるかなと思っていた太田さんたちは最近見えないと云われがっくり、信州に来た一つの楽しみでもあったのに残念。春までお父さんの看病で大変だったみたい。少し休んだらまた集ってほしい。いつかまた会う日を楽しみにしています。 幾つか感じたがそれはパスしてこれのみにしておきます。
 

2008年9月20日土曜日

雑感

 このところブラザレンの方のブログを読んでいる。
思うことがあるのだろうが控え目で、そして色々なことを知識の豊富さには驚かされる。だからこそ謙虚になれるのかな?最近はアメリカで過ごされた教会での出来事を書いているがあぁそうなんだと頷きながら読んだりしている。知らないことが多いからとても参考になる。ブラザレンの世界はどちらかと言うと閉ざされた世界だから傾聴に与えするは大袈裟かな。でもその必要があると思うが…。

2008年9月19日金曜日

準備

 今度の日曜日に話すので前から少しづつ準備しているが慣れないから纏まらない。一つのテーマにどのように肉j付けするかがうまく行かないがそう簡単に出来る物ではないと自分に言い聞かせて納得している。これは人間性の問題もあるのだろうな。そんなことにお構いなしにパン先の時に読む聖書の箇所とそれに関連した話を黙想している。東京では楽だったが本来はここの姿がベターなのだろうなと思う。ここまで来ると表面的なことよりも内面を整えていく必要があるだろうな淡々と粛々とそしてコツコツと行きましょう。

2008年9月17日水曜日

秋の特別セミナー

 15日の祝日に福岡にある栄光病院院長の下稲葉先生の聖書講演を聴きに行った。演題はタイトルにある名前だったが聖書講義と証と言ったほうが正解かもしれない。引越しする時に大橋さん母子から頂いた下稲葉先生の書かれた「いのちの質を求めて」 を読んでいたので少し先生とホスピスのことは分かっていたが実際に聞いて見て頷くことが多くてとてもよかった。

 以前精神科医の平山先生の時もそうだったが聖書講義そのものではなかったかと思ったが今回もそうだった。クリスチャンとして大上段に構えてと言うより自然体でやっていることに何か感動したことを覚えている。今回もそうだ。患者に信仰を強制するのではなく、死を迎える人に自然に死の向こうにあるもの永遠なるものを示して死に行く者も残された者も希望を持って死を迎える。集会ではこのようなことは欠けているように思える。

 滅びを強調するのではなく、今苦しんでいる本人を始め家族のその苦しみを理解し解決の道を示す。あるいは担えるところは担っていく、まさに「苦しむ者と共に苦しみ、喜ぶ者と共に喜ぶ」キリスト者の姿がある。さしずめ教会で「永遠に滅びるから信じなさい」と適切ではないがこんな感じで伝えることであろう。二人の先生に共通するのは医者として、キリスト者としての謙虚さである。もちろん大胆に語り行動するところもあり、信仰を持ってやっているところに強さがあるような気がする。自分には欠けているものでもある。

 福音を語る姿勢、内容が自分サイドではなく、相手の立場に立って語ることの大切さを確認したような気がする。このところ何処か釈然としないものがあって、もやもやしていた。最近あっそうかと頷けることがあって、そのもやもやがすっきりし、自分の考えていることに確信が与えられたような気がするから感謝である。今回もその感触を得た。日々の生活の中でどのように福音を語るかを考えないと。

2008年9月16日火曜日

日記代わり

 今日息子が彼女と訪ねてくれた。開口一番「お腹が出たなぁ」とつい言ってしまった。兄弟でいい勝負だ。若い者が太っているのは見た目はあんまり良くないしなんとなく生活の不規則さを思い浮かべる。3交代制のようだから余程自己管理が出来ないとこうなるのだろう。これがスリムで凛々しかったら息子でも尊敬しただろうにと儚い望みをフッと思い浮かべた。怒るかな…。

2008年9月8日月曜日

花火

 昨日諏訪湖の最後の花火を家内の姉夫婦と見に行った。花火は嫌いではないが混むのと一瞬に終わってしまう儚さがどこかさびしいので積極的に見に行きたいとは思わない。それでも花火が上がればそれはそれなりに感動はするのだが。目の前に上がるので音がお腹に響いてくるのと大きな花火は覆いかぶさるように来るから圧巻である。歓声と拍手が沸き起こる殻すごい。前日は新作花火だったそうだから人出も規模も今日の比ではなかったようだ。その時は湖岸の広場は有料だから身近には見れなかったかもしれない。

2008年9月6日土曜日

2つのブログ

 ブラザレンに関するというかそれに属している方のブログを最近発見した。ブラザレンについて詳しく書いておられる。ことばには表せないがそれなりのメッセージが伝わってくるような気がする。わたしの知っている方がHPでブラザレンの歴史を書いておられるがウオッチマン・ニ-の流れを組む日本福音書房でも同じようなことが書いてあったように思ったが…。ブラザレンはプロテスタント系では少数派のようであるがそれなりの働きをされているようだ。

 カトリックから分かれたプロテスタント、それから枝別れしてくるのは必然の結果と思う。最初の動機は良くても時間が経つと人間の習性か形骸化してくるし他者を否定して自己の正当性を主張するものだ。イエス・キリストは「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、…」ヨハネの13章に書いてある。キリスト教界はこれが欠落しているように思う。福音が語られ、救われる魂が起こされててよしとするだけでなく、否定的な人間が魅力を感じるキリスト教界となってほしい。二人の方々は前向きに捉えているのがうれしい。

東京から

 昨日東京からわざわざ一組のご夫婦が来てくれた。先月の29日に来る予定だったがこれなくて今日になったのだ。お互いに夏休みの振替日を2日あって、その一日を今日に合わせてくれたそうだ。クリスチャンでないご主人が提案し、クリスチャンである奥さんが運転して、ご苦労様である。正直言ってうれしいけどわざわざ何でと思う。東京を抜けるのでも大変なのに、それに高速とガソリン代が馬鹿にならない。でもお二人は日帰りでよく出掛けていたようであるから私たちが?するほどでもないのかもしれない。

 ダベリングで終ったが次の機会があったらもう少し聖書の話が出来たらと思う。でもそのことに余りこだわらない方がいいかな。福音は他の人が語り、自分たちは耕すのに徹したほうがいいかもしれない。Y姉が私いるからと二人がくると言ったがその1人が彼であることをフッと思い浮かんだ。何かとコンタクトが取れて福音に繋がればいいなぁと思う。どちらにしろ喜んでくれたから感謝である。私たちもうれしかった。人が来るたびに食事の用意をし、それなりに何か新しい物をと考えている家内の姿に前向きな姿を見て感謝である。でもご苦労さん、ありがとう。

2008年9月3日水曜日

無題

 キリスト教界では少数派であるブラザレンについて詳しく書いているブログを発見した。軽井沢バイブルハウスで検索したら11番目の中にあって、その間集会関係かなと思われるのは2~3しかなかった。ブラザレンの集会に属しながら多少距離を置き、それでいてブラザレンを愛している様子が文面を通して感じられる。問題を指摘しながらそれを好意的に見、こうあって欲しいという願いが伝わってくる。この集会には失望し、どこか諦めつつある姿勢はマイナス思考的であるのかな。しかし教会にも限界があるから聖書をそのまま受け入れている姿勢は初代教会に立ち返るとすれば一番近いのかもしれない。でもブラザレンにこだわっているのが少し気になる。当然でもあるか。ブラザレンにはどこか否定的な発想の中にある者としては感心とと失望がある。もうこだわることではなく聖書の使信はどうであるかが大切なのでは、あるいは普遍的なものではないかなと思うが