2008年10月27日月曜日

唯一の

 東京にいる時は日曜日は一日教会と決まっていたがここでは午前中だけ10時前に出掛けてお昼には帰ってくる。東京ではもう少し早く帰りたいと思っていたがこのくらいだと何処かさびしい。もう少し交わって帰りたいものだ。でも地方の集会はこんなものかもしれない。それと中之条や松本や佐久は午後からだし色々だ。日曜日ゆっくり出来るのはそれはそれでよいか。自分から変えるつもりはないがでも少し変わってほしいものだ。クリスチャンの交わりをこの位で「ヨシ」とするのはどうかと思う。家庭や他のところで交われたらいいと思うが、以前はあったけど今はなくなった。考えてみれは東京の時もそうだったなぁ。まぁ時代の流れなのか年の所為か。中身が充実してくればそれはそれでよいけど。

2008年10月23日木曜日

下諏訪図書館

 家内が姉の家に行くというので送りがてら下諏訪の図書館で3時間ばかり過ごす。岡谷と違って割りと新しい建物で、前は芝生、その横が児童公園、隣の体育館の間には樹木があって環境はいい、蔵書は少ないがDVDも見れて稲城の中央図書館を小さくしたような感じである。自主学習が出来る机もあってなかなか感じがいい。図書館と介護保険は諏訪圏共通だからネットに登録してあったので、あそこで手続きして借りることも見ることも出来るようにした。また機会があったら行こう。

2008年10月21日火曜日

救われるということ

 あるブログでといっても知っている方のブログだが、そこに裁きを語って、救いを語ることについて批判的な書き方をしていたのを思い出す。 わたしもそのことについて釈然としないものを感じている。神はただそれだけのためなのかそれではご利益宗教とどこが違うのだろうと感じてしまう。イエスさまはもっと深いところでわたしたちに語っているような気がする。それは親子の関係を見ればよくわかる。そこにあるのは親子の絆ではないだろうか。勉強が出来なくても大病を患っていても大切なのは絆であり、それをお互いに確認できることではないだろうか。神も私たちに求めているものも然りだと思う。その一つが滅びからの救いであるがそれ以上に神はわれらのとの人格的な結びつきを求めているような気がする。

2008年10月20日月曜日

キリスト教の将来と福音主義 2

 やっと読み終えた。駆け足で読んでいたので内容を感覚的に捉えただけなような気がする。しかし今までのことを思うとキリスト教、プロテスタント、福音主義と自認していても極側面的な面しか捉えていなかったことを教えられた。ただこういう本は評論的な面があって、少し物足りなさを感じてしまう。でも福音主義の流れをつかめたし、ブラザレンの置かれている位置も少し見えたような気がする。負の面ではなく、いい面をもっと強調して、本来聖書が語っていることをもっと率直に語る必要があるような気がする。

福音を語る

 福音とは神の存在、罪の問題、キリストの十字架、救いを語ることである。どのように語るかは語り手の資質が問われるような気がする。このことを単純に語れても聞く側がどうであるかということをあまり考えていないのではないだろうか。福音をストレートに語っていても実は語っていない。相手を見て法を説く、ではないが相手に合わせて語らなければならない。そうでないと岩地に蒔いた種のようなものである。種まきのたとえは農夫は畑に種まきに行って、たまたま道ばたに岩地に、そしてやぶに落ちてしまったものがあったということで、そこで落ちた種はこうなるということだと思う。農夫は種を蒔くならよく耕して種が根付くようにする。人の心が岩地のようなところに蒔く事は専門家であれば愚かなことである。福音を語ったからといってそれでいいというものではない。むしろ愚かである。人の心を耕す努力をしなければならない。パウロのが言うように、「わたしが植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(1コリ3:6)ともある。植えるか水を注ぐかは問題ではなく、キリストにある賢明な農夫でありたい。

昨日は

 昨日初めて我が家で食事をすることになった。総勢9人テーブルが小さい。みな喜んで食べてくれたはいいが食べるのが目的ではなく、交わりが目的であるから食事はそこそこにしたほうがいい、次回からそうしよう。何時も書いていて思うことは色々あるのにいざ文章にしようとするとうまく書けない。それで毎朝デボの時、前日に感じたことを短くノートに書いている。たくさん書かないから割とスラスラと書ける。 感じていることを書くというのは難しいものだ。

 初めてでもないが今回午後の司会をするようになって、感じたことは午後の時間がチョッと長いかなと思った。今回はT兄が30分ばかり話をしてくれて持ったがM兄が他の兄姉を連れて行ってもいいかと云われたことはこのことかなと思った。それと経堂では若い兄弟が話す機会がないけどここで証のようなものを話せれば兄弟の訓練にもなると思ったのだろうか。彼の考えを少し教えてほしかった。

 わたしたちは積極的ではないし、このようなことは余り考えない、むしろ信者のことを個々に考えてどう対処するかという視点に立ってしまうから大局的に立って見ることは得意ではない、いうなれがバイプレーヤーだ。それはそれでいいがでもこの集会を家庭集会の延長のようなものではなく、小さくてもチャンとした集会にとの思いがあり、その為に兄姉をどのように意識を変えていくかわたしたちの課題のような気がする。ということは大局的な思考か。

2008年10月18日土曜日

シニアキャンプ

 軽井沢で一日半でしかなかったがシニアキャンプに参加してきた。
伝道が主体なのだがベテランの信者が多くて求道者は少ないような気がする。年に二回もあると参加する人は決まっていて、何処かOB会のような感じもする。
 
 今回は岡谷からの参加ということで少し感じが違っていたような気がする。何処がと云われると答えられないが。明確にこれというものもなかったが自分を少しプッシュして、少し交わることが出来て感謝。岡谷の集会の兄弟として、また違った見方をされることだろう。その分責任は重くなるのかもしれない。あって当然、それが自然。幾つかのことというか前から考えていたことの正しさを教えられ、それをどう現実化していくかがこれからの課題。祈りつつ、謙虚に進みましょう。

2008年10月12日日曜日

デスペンセーション 

 最近ファンタメンタリーとかデスペンセーションという言葉を良く聞く、といっても本とかインターネットの上だが、それは自分が興味があるから、その辺りをアクセスしているのかもしれない。なんか信仰は単純とは行かないのか変なことに興味があるのかわからない。知的興味は信仰の歩みにどれだけ寄与するのだろう。寄与してもそれは自己満足に陥らないだろうか。本当は日々の歩みの中に生きた信仰として働かなかったら力とならないような気がする。今そのジレンマにあるが小さな集まりの中でそのことを突きつけられているような気がして感謝している。具体的にどう答えるかが問われているからである。

2008年10月11日土曜日

緒方拳 逝く

 緒方拳さんが亡くなった。
昨日になるがNHKが広島放送の製作かな、舞台は広島で少し原爆に被爆したことにも触れた「帽子」というタイトルのドラマを再放送していた。帽子を作っている老人の役をやっていた。ギラギラしたのが消えてもう長くないような老人を演じていたがまさに地をいっていたのだろう。なんか安心してみているそんな安堵感を醸し出している。そして0時10分から追悼集をやっている。賀川さんの司会で息子さんの幹太さん、直人さんに津川雅彦さんに脚本家の池端さんが出演している。池端さんは知らない人だったが良く緒方拳さんのドラマを良く書いていた人だそうだ。話を聞いていて彼の人間性の素晴らしさを感じる。そこに亡くなった方を美化するということではなくみんな率直くに語っているような気がした。いい役者が消えてしまったような寂しさがある。

2008年10月10日金曜日

キリスト教の将来と福音主義

 アリスター・マクグラス著の「総説 キリスト教」をブログを通して紹介されたのを購入して勉強している。帯に「優れたキリスト教入門書」とそして小さい字で「はじめての人だけでなく、基礎「神学」力を高めたいベテラン信徒・教職者にも最適、まるごとキリスト教がガイド」と書いてあるようにとてもわかりやすい。索引を含めたら700ページ弱もあり、値段も新品に近かったが中古をアマゾンで7000なんぼかでほとんど定価に近かった。まさに大枚をはたいて払った感じだが悔いはない。
 
 マグラズのことが少し話題になっているのかな?何で買ったか判らないが東京で上記のタイトルを買っていた。本を整理していたら出てきたというのが本音で今ようやく読んでいる。少し難しいが福音主義の歴史のようなものを見て改めて集会の狭さを感じるような気がする。福音とは何かをもっと掘り下げないと天国への切符を買うようなものに成り下がってしまうような気がする。高橋先生の言う自分の中に「主権の交代」がなされなければ福音の真の意味はないだろうと思うが少し大袈裟かな…。

2008年10月9日木曜日

ヤクーバとライオン Ⅱ

 Ⅰの結末は他の少年が名誉ある戦士になっていくのにヤクーバは牛の世話をすることになった。しかし牛は2度とライオンに襲われることはなかった。そしてⅡは「信頼」という副題である。既にそれがある。

 ライオンは一族のためにえものを見つけなければならないので重い心で村に向かう。男(少年)はライオンの前に立ちはだかった。ライオンを助けることができないから「かえれ」と手であいずする。牛たちを命がけで助けなければならないからだ。しかしついに戦いは始まった。ライオンは何回も男の首や原や太ももを引っかいたがそのたびに足のつめは引っ込められていた。男もやりで何回もライオンのわきをついたが、けっしてぐさりとさすことはなかった。お互いに、自分が勝とうとは思っていなかった。むしろ相手を助けたいと思っていた。見せかけの戦いは夜明けまで続いた。離れてみていたほかのライオンは自分たちの王者にも負けないとは、なんと恐るべき男だろう。ライオンたちはおびえて一頭また一頭と去っていった。ライオンも去っていく。ライオンの雄たけびに村人たちが集まってきて、何事かとたずねるが男は「なんでもないよ、友達が尋ねた来ただけだ」と、ライオンは何日も村の周りをうろついていた。他の土地に行って獲物を探す力はなかった。自分のすみかの近くに肉の塊が置いてあるのを見つけるが王者としての誇りがその贈り物に触れなかった。そして立ち去る決心をした。「ヤクーバとの信頼を裏切ることはないであろう」と最後を結んでいる。それはライオンの死を意味する。

 勇気とか信頼は人に見えるものではなく、その人あるいはお互いのうちにあるものではないだあろうか。そして美しいものでもなく、見栄えするものでもない。そして死をもって終わるものであることかもしれない。イエスさまの歩みも然りであり、信仰の歩みも然りである。信仰の根本を教えられたような気がする。

2008年10月8日水曜日

ヤクーバとライオン Ⅰ

 柳田邦男訳の「ヤクーバとライオン」の絵本を予約していたがようやく借りることが出来た。数分で読み終える短い物語だがⅠとⅡがあって、それぞれ「勇気」と「信頼」という副題が付いている。Ⅰはヤクーバという少年が大人になるためにライオン狩に行く、そこで出会ったライオンは夜通し手ごわい敵と戦い力尽き果てていた。ライオンは云う。

 「お前には二つも道がある。わしを殺せば、立派な男になったと云われだろう。それは、ほんとうのめいよなのか。もう一つの道は、殺さないことだ。そうすれば、お前は本当に気高い心を持った人間なれる。だが、そのときは、なかまはずれにされるだろう。どちらの道をえらぶか、それはおまえが考えることだ。夜が明けるまで時間はある。」彼はくるりと向きを変えて帰っていくのである。真の勇気とはこういうものであるといいたかったのだろう。

 イエスさまが然りであり、真のキリスト者のとるべき態度も然りだと思う。10月号の「十字架の言」誌の8月17日の週報に載せた「召命、主権の交代」には自己に死に自分をキリストに明け渡す必要を書かれていた。信仰も聖書の研究も自己充足の為ではなく、イエスさまを良く知り、我がうちに主権の交代がなされる為なのだ。人の前にどうであるかではなく神の前にどうであるかが大切なのである。柳田氏が感銘を受けて訳したものだけはある。

インターネット検索

 マックのサファリかなitunesと共に画面に出たのでうっかりインストールしたらその時は何でも無かったが夜電源を入れていざ検束しようとしたら検索は出来るが「お気に入り」が出てこなくなった。Googleは出ても画面の周りがおかしいので、以前DELLで経験したからすぐ変えられたなと思った。

 どうしょうかなと色々やってみたが勿論判ってやっているのではないから変なものをインストールしたりしていた。単純にサファリを削除するばいいかなと削除したネットの接続が出来なくなってしまった。エキスプローラーの7が出ているのでこれをインストールすればいいかなと思ってインストールした。うまくインストールできるかなと心配だったがこれはうまく行ったが相変わらずで駄目だった。一つ判ったことは検索のところがグーグルになっていなかったのでそれを入力したら以前のようになって一安心。エキスプローラーのインストールに時間がかかったりしたが終わったのは4時過ぎになっていた。その間にザゥアーのチャートの資料を少し調べられたからそれはそれでよかった。少し利口になったか…。

 電気をやっていて、そこにあるのは電気がONかOFFであるかが基本である。パソコンはそれとまったく違っているような気がする。勿論オンオフは基本の基であるが、まぁある意味で加減乗除の世界から変数の世界かな、それ以上かもしれない適切な言葉を思い出せない。

2008年10月6日月曜日

歯医者で

 寒くなって水が冷たくなったのか、歯を磨いてゆすぐとしみるので、下諏訪の歯医者に夫婦で通っている。といっても今日で二日目だが。待ち時間にイスラエルトデイを読もうと用意したのに忘れてしまったので待合室にある本を見ていたら水野源三さんの本があった。

 「こんな美しい朝に」(いのちのことば社)ネーミングがいい。フッと若い時に観たミュージカル映画「オクラホマ」の中に歌われた「ビューティフルモーニング」を思い出してしまった。最後の方に見たような版画があるなと思ったら、かつて松本集会に集っていた酒井さんので彼がコメントを書いていた。源三さんが健在の頃に訪ねていたらしい。源三さんの詩を題材にして版画を彫っていたように記憶している。コピーだがここにも載っている十字架を担うイエス像が我が家にもある。

「わたしがいる」
「ナザレのイエスを
 十字架にかけよと
 要求した人
 許可した人
 執行した人
 それらの人の中にわたしがいる」
好きな詩だ。
 
 古い建物の小さな歯医者さんだがこの本を見つけてあそこに行くのが楽しくなった。生い立ちしか読めなかったが大体知っている。彼の詩は好きだからあそこにただ水野さんの詩集があるだけでも満足である。水野源三さんの詩集は1,2,4集と持っている。1集をアマゾンの中古で買い、3集もアマゾンに中古で出ているが4000円は高いよな。様子見てお金があったら買いましょう。

2008年10月5日日曜日

パンくずを拾っている?

 数十人が集う集会(教会)から十人にも満たない集会に集うようになりそれにも慣れてきた。各々の良さがあり、欠点もある。両方を経験できるたことは幸いである。以前札幌の三橋さんが奉仕で来られた時に幾つかのことが印象に残っている。その中の一つに教会員を年代を超えた幾つかのグループに分けていることだった。細かいことは忘れたが一つ家族のようなそんな働きをさせているようだったと思う。
 
 最初の教会(ギリシャ語のエクレシア)の語源は家(ギリシャ語のコイノス)である。当時は大きい家が無かったから今の家庭集会のような形態であったのであろう。パウロもどこそこの家という書き方をしている。教会の原点はここにあると思うと自ずからどうあるべきかそれが出来ない時はそれをどう補うかを問うべきであろうと思うがそのことは余り具体的な形で見ることは少ないように思える。むしろ集会の一致を重点に置いている所為かその集会の形に合わせるように信者をリードしているような気がする。そこに異質な者を受け容れ難い状況にしているように思えるが。
 
 その点小さいところはそういう問題は無いが結構人間臭いからどちらにしても集会に集えること、集える集会があることは感謝すべきことであろう。

2008年10月3日金曜日

高ボッチ高原&栗拾い

 昨日、家内と念願の高ボッチ山に弁当を持って行って来た。行って来たと書いたのは山頂付近まで車で行けるからである。道は狭かったが頂上付近に行ったら霧が峰と同じだなぁと思った。近くの鉢伏山も車で行けそうだったし、そこも丁度車山のようでもあった。諏訪湖が一望できればと思っていたが少しかすんでいて写真ではきれいには撮れなかった。その先に富士山の上の部分が少し見えたが残念ながる写真では写らなかった。驚いたのは広場から真下に塩尻の街が見え、その先に北アルプス連峰よく聞く名前が案内板に書いてあり、遠い存在だった山々が身近に見えて感動した。少しだけだけど。広場から400mばかりゆっくりと登ると頂上に着く、その下を見たら岡谷の街とその先に諏訪湖が見えた。左の方に霧が峰が、その先に八ヶ岳連邦が見え、真ん中に富士山の頭が、そして右に南アルプスが大きく迫っている。その右は中央アルプス連峰大きく見える。まさにパノラマである。狭いから今度はバイクで来たいものだ。

 帰りは戻ろうと思ったが別のルートがあったのでそこから帰ることにした。来る途中もそうだったが栗の木があって、そこに車を止めて栗を拾っている人を見かけた。下を降りてくる途中でイガがたくさん落ちているところがあって、もう栗を拾った後だろうと思いながら車が止めれたので止めて見たら少し落ちていたので拾ったら結構あり、拾いながら栗が落ちてきたのには驚いた。それ程でもないと思ったが結構拾えたのかな。思わず二人で夢中で拾った。中学生時に栗を拾ったことを思い出して懐かしさも湧いてきた。

2008年10月2日木曜日

電話で

 4日にT兄とM元宣教師が来るので、その食事のことでT兄宅に電話をした。彼は糖尿病なので食事をどのようにしたらいいか聞くためだった。それと一緒に住んでいるH姉とお話をとの願いもあった。大体のことは分かっていたし、言われたことも頷くものだった。それより彼女との話が目的でもあり、色々長電話になったが孫の結婚のことで集会の交わりを絶たれていることに釈然としないものがあるようだ。わたしは諸集会の様子を知っているから当然と思うが彼女は無教会育ちだから基準はどちらかというと無教会。矢内原先生にご自分の結婚のことを伝えた時に何も云われなかったといっていたが勿論そうだろうと思う。わたしは集会は組織だからそこに人間的な要素が入ってきて、内を守るという姿勢が出てくるのはしょうがないと言った。ただ悔い改めたら受け入れるというのではなく責任者は積極的アプローチしなくてはいけないと云っておいた。物心両面で難しいことは分かっているが。諸集会の課題かもしれない。というよりこれは駄目か。

2008年10月1日水曜日

新潟の人

 電話が鳴ったので無言でとったら何も言わないので、すぐ名前を言ったら少し訛りのある声で名前を言われた。、記憶に無く聞き返したら8月に甥っ子が友達と来て泊まったその友達のお母さんからだった。すぐお礼も言わず失礼してと言われたが子供といっても30代の大人、親が言うことも無いと思うが、まぁ言葉のあやか。ゆうパックで夕方5時から7時の間に梨を送ったからとのことだった。そんなことをしなくともと言ったが既に送っているので簡単にお礼を言って切った。私が東京に長く住んで自分は田舎の人間で言葉も少し訛りがあるからと思ったのか話すのが恥ずかしそうだった。と憶測したが新潟の人は何処か気恥ずかしさがあるのかもしれない。それだけ純朴なのだろうな。田舎を少しほめちゃった。早速に夕方着いた梨を頂く、小さい時に田舎で食べた梨の感触を思い出した。有り難うございました。お礼のハガキが待っていますが・・・。

今日から

 久しぶりの書き込みである。
今日から10月、7月の末に引っ越してきて、早2ヶ月が過ぎた。過ぎ去っていく日々は早いものである。その間色々なことがあったが何も書けないで過ぎていった。書くことがあっても何をどのように書いたらいいか迷ってしまってブログを埋めることが無く日々過ぎていきました。どうも内向きのせいもあるのかな?