2008年11月30日日曜日

日曜日

いつも集会は午前中で終わる。今日、集ったのは8名だった。東京に比べると時間的にも内容的にも人数的にも比較にならない。でも小さな集まりの中で礼拝はアットホーム的な良さがある。初代教会も家庭集会の延長のようなものではなかったのかなと思う。大分慣れてきたがそれでもどこか戸惑うことがある。気のし過ぎかも知れないがこのことを踏まえながら次のステップを踏んで行こうと思う。落ち込みそうで腐らないのがいいなぁとおもう。集会を中から変えていく楽しみがある。それには人がこだわることにこだわらず。こだわらないところにこだわる。そして自分には力は何もないことの強さがある。

2008年11月29日土曜日

歩くと言うこと

先月、東京に3日ばかり行って来て感じたことは、良く歩くということだった。それはこちらでは歩かないということでもある。東京は電車にしろバスにしろこちらとは比べものにならないほど便利がいいし、乗客も多い。車の便利さはたしかいいがそれが安易に車でという発想になるのではないだろうか。歩くと言う大切な行為が便利さと言うことでスポイルされているような気がする。現代はこのような考えが当然のようになっているのかもしれない。自分も努めてという思いがあるが「つい」という行動をとってしまう。

それで週に一度か二度、町の中心部に歩いていくようにしている。健康のためにこれ位でどうかと思うが、家でコタツに入って本を読み、TVを見ているよりは遥かに良いことだろう。それで昨日も図書館に行こうとして出かけたのだがお休みだった。そういえば月末の金曜日は休館日であることを思い出した。それから映画にとの思いもなくなり、本屋さんやアピタに寄って帰ってきた。少し疲れる。

何時も思うことだが車では見えなかったものが見え、入れないところに入っていけるからこれもまた楽しい。変な好奇心があるから、どう行ったら近道か、珍しいと立ち止まって見ていたり、歩いている人が少ないから泥棒と思われてもおかしくないなと思ったりもしている。

アピタの駐車場で杖を持って運転しているおじいさん?を見かけた。歩くことは難しくとも車だと出掛けられるか、これは車の良さだなと思った。車の便利さと言うより良さ、歩くことの大切さ、歩けることの感謝、どれもその恵みに預かっている事を改めて思わされた。

2008年11月27日木曜日

パンくずを拾うとは

タイトルとその理由を聖書から引用したと書いた。
しかし、その割には余りパンくずのようなことは書いていないなぁと思っている。これは日々の生活の中でささやかであって教えられることがあるだろう。それを書けたらとの願いでもあり、それは信仰の糧にもなると思ってネーミングしたのだが・・・。それらのことがないということか・・・。
 

おくりびと

こちらに来て始めて映画を見た。
スカラ座といって昔からある映画館らしい。今は東京と同じようにいくつかの映画をやっている。こちらに来て映画にはまったく興味がなかったがあるブログで紹介されていたので見てしまった。

役者の紹介はパスとして「納棺師」と言う職業があるとは知らなかった。葬儀屋がただ棺に納めるだけのことかなと思ったがそうでもないらしい。そういえばおばあちゃんが亡くなった時、男の人たちが何人かで盥で体を洗っていたのを思い出した。あれもお湯から水を足して行くやり方でなく、水からお湯を足していく逆さ水というやり方でやるそうだ。それと一茶だったか「盥から盥にちんぷんかんぷん」という言葉を思い出す。もう盥なんてないだろうから現在は死語になっているのではないだろうか。

かつてはもう死んだ体だからとその遺体は物体でしかない。そんな認識しかなかったような気がする。優しさがないといえば優しさがない。しかし映画を見てその認識を改めさせられた。棺に納めて焼くだけの間のことと言ってしまいばそれまでだが、地上の最後を親族だけの中で丁寧に扱って行く様は豪華な葬儀と違った重みがある。人をどのように扱うべきかを示しているような気がする。

死人を甦らせたイエス様はその家族の悲しみを良く知っていたから出来たのかなと思った。短絡的に福音は語るべきでないのかもしれない。U師も福音は今はそのように語る時代ではないと言っているがどうなのだろう。人は一度死ぬことと死後裁きが待っていると言う裁きはいかようのものか。

2008年11月26日水曜日

意外性

昨日の昼ごろに珍しくM兄から携帯に電話があった。
先日千葉の集会に奉仕に行き、そこでI姉がピアノを弾いていてとても良かったから、今度クリスマスのようなことをするとか言っていたので、もし良かったらI兄姉と一緒に行きたいとのことだった。

交わっていて、私のことを良く知っていることが分かり、思いついたのかな?長老から向こうの長老に了解を取ってもらってからでないとはっきり言えないとのことだったが、こんな小さい集会に来るのにそんなことまでするのかと思った。でも大切なことなのだろう。彼の段取りの取り方、そして前向きの発展性に感心する。私たちのような者でも集会の繋がりの中で、彼を通して受ける恵みの大きさを思う。たとえ実現しなくてもこのことは大きい。少なくとも覚えて、祈って頂ける。パンくずどころではない大きな恵みだ。

平泳ぎ講習会

昨日で8回の平泳ぎの講習会は終わった。
最初4人で始まって、次回から一人減り、新たに一人加わったので結局4人で始まった。5回目くらいから一人減り、最後の日は用があって来れなかった方がいて、最後に残ったのは3人になった。若いお母さんと言っても?72歳のおばあさん、それに私、親しく話せるようになったりもして良かったが教える方としてはどうだったのだろう。

最初は余りうまく行かないので行くのに気持ちをプッシュしないと行けなかったが最後のほうは大分泳げるようになったので次が楽しみになった。「自分を押し出す」ここで必要なものだから一つクリアーした感じである。それにいつか泳げるようになりたい。どこかシニア対象の初歩から教えるところはないかと願っていた。クロールが目的だったが平泳ぎしかなく、後で分かったのだがクロールは別な曜日にあった。でも終わってみれば平泳ぎで良かった。

目標は25mを綺麗に泳ぐこと、綺麗は別にしてもみんなクリアーした。最初は基本の息のつき方がわからず苦労した。潜ったままで形を整えようとしたり、試行錯誤しながら泳いでみたが、うまく行かず結局基本に従って行くことにした。これが良かったみたいだ。これから週一くらいに通って、ウオーキングしながら泳ぐようにしたい。出来たら往復を休まず泳げるようにしたい。終わってみれば、たかが平泳ぎだがクリアーしたことの達成感があって気持ちがいい。これからの可能性も与えてくれたので楽しみでもある。

2008年11月20日木曜日

息子から

息子から珍しく電話があった。内容は付き合っている彼女のお姉さんの旦那さんが自殺したということだった。鬱は身近に知っていたが自殺されたというは初めてだ。高校生を筆頭に5人のお子さんがいるという。前の集会のW姉のお子さんも中学生だったと思う。その現実を知っているから聞いてそのことがダブった。みんなつらい、悲しみや苦しみを共有することが出来るだろうかクリスト者は…。

雪が舞う

昨日はお天気が好いのに花粉が舞うように雪が舞っていた。一時は積もるかなと思うほど降っていたが気が付いたら雪が上がっているだけでなく日が射しているのには驚いた。こんなことは東京ではなかったのではないだろうか。塩嶺下ろしで寒い地区と聞いていたからそうなのかなと思った。昨日から一段と寒くなって来たような気がする。今日は歯医者の帰り、下諏訪の図書館によって新聞を読んで、帰ろう賭したらもう外は暗くなっていた。身を震わせながら駐車場に行き、家内に寒いのと日が短くなったねと言ったら頷いていた。これから冬本番、寒さと日の短くなるのはつらい。

2008年11月15日土曜日

何故か

 今度の日曜日はメッセージだ。
大分前から準備していて、アウトラインは出来ていたが肉付けが進まない。前置きに少し笑いをと思って色々考えたが近づくとそれもなんだなぁと言う風で没。私は気分屋でそれとどこかで笑いをとろうとする思いがあって、本題がおろそかになる。少し物事を甘く見ているような気がする。心していかないと、サムソンのことを思い出して反省。

2008年11月14日金曜日

美ヶ原

 こちらに来たら行きたいと思っていた所が幾つかあって、その一つに美ヶ原があった。
このところお天気があまり好くなかったが今日はお天気が好く、暖かかったので食事をしてすぐ行くことにした。和田峠の旧道に入り、トンネルをくぐるが交互通行であることを思い出す。トンネルを出たところからビーナスラインに入る。間もなく三峰展望台があってそこで車を止めて周りを眺める。美ヶ原方面は芝生のじゅうたんのように見えたがそれは熊笹が密生してそう見えたのだった。実に美しい。
別な斜面は薄小豆色で日が射していたのでこれも美しい。扉峠からは下り坂になるので道を間違えたのかなと思った。着いてみたらそれ程でもなく少しがっかりする。地図で見ると車で通れないようだから歩いて散策するようになっているみたいだ。時間がないのですぐ引き返す。店は一軒だけ開いていたが閑散としたものである。シーズンオフに近いのかな、それとウエークデイでもあった所為かもしれない。見ているうちに下から霧が上がってきたのには驚いた。考えて見れは2000メートル、結構高い山と同じであるから当然だあろう。

 ビーナスラインを戻って霧が峰まで行く、途中諏訪湖が見えるところがあるが後は山しか見えない。湿原も霧が峰も店はしまっており、車はまばらだったがそれでも車山のロープウエーは少し車があった。店もやっていたようだ。富士見台で車を止めて、北、中央、南アルプスを一望する。目の前に見えるように感じるから壮大である。むしろ近くの八ヶ岳が近くに感じなかった。しかし案内板を見てもどの山がどれだか分からなかった。

 白樺湖に下りて蓼科へ、そして奥蓼科へと向かう。そこで王滝というのがあって、急な坂を下りてみるそれ程でもないがそれはそれで良かった。少し汗ばむが心地よい。案内板を見て少し先に対岸に渡れる道があることを知って走る。対岸に渡り、逆方向に行ったことに気づき戻る。大分走っていると水面のような物が見えた。そしてそれが御射鹿池だった。吉永小百合が出ていたシャープのコマーシャルである。思ったより小さかったが湖面に前方の木々が鏡に映るように、綺麗に映っているのは圧巻だった。大正池を思い出した。残念なことに少し暗くなっていたので写真ではよく取れなかった。機会があったらまた行って、写真にとっておきたい。

 茅野は奥があるからそこから市街に出るまで結構ある。諏訪のエイデンにより、あそこのアウトレットで夕飯を食べて帰ってきた。ただひたすら走ったという感じで、ゆっくり愛でる心はごく一部、家内は少し不満、良く分かります。今度はゆっくりと行こう、でも相変わらずでこんな感じになりそう。前日にスタッドレスに早々に替えたばかりだったがこんなことならこの後にすればよかった。

2008年11月8日土曜日

吉祥寺集会

 上沼先生と最近メールのやり取りをするようになった。

そんなやり取りの中で、先生のお父さんの実家が飯田市の元善光寺であること、機会があったら訪ねたいと願っていることを知る。その時は岡谷の駅で待ち時間に会いましょうとメールを頂いたが時間を調べたら2時間半もかかる。車だったら1時間くらいで行けるのでその時はぜひ声をかけてくださいといっていて今日それが実現した。こんな形で先生と再開出来たことは感謝である。

 先生も子供の頃しか行ったことがなかったそうだが同い年の従兄弟がお兄さんが留守ということで来ておられた。その方ともう一人の従兄弟の方は同じ年なので一緒に遊んだので記憶しておられた。皆さん気さくな方たちで、色々話をしてくれた。その話の中で後を継いでいる従兄弟のお母さんがクリスチャンであること、それを導いたのが伊那にいる姪の方であり、ベックさんとか軽井沢と聞いてピンと来た。吉祥寺集会の人が伊那にいることを聞いていたのでその方であることを知った。先生も驚いていたがベックさんを知っているが教会では余り良い印象を与えていないのではないだろうか聞く勇気はなかったが。キリスト教界の狭いことを改めて知る。

 

2008年11月6日木曜日

始める?初めて

 昨晩から月2回の割合で二人の姉妹と勉強会を始めてた。
最初何でもと言われていたから大体のことは決めていた。聖書図書刊行会から出ている「だれでもわかる聖書の教え」をベテランの信者にと思ったが聖書の理解を深めるのというより聖書の知識のない人に分かるように話せるためにの思いで選んだ。勉強会は初めてであり、どのようにしていいかわからなかった。しかしこのことは必要であろうとの思いもあり祈っていたことでもあったので躊躇しなかった。

 一回目は一章「神は存在するのか」既に分かっていることでもあり、質問設定にもそれ程入り込むこともなく終わって、雑談に入ったがと言っても信仰に関することを色々話をし、答えたり、お話を聞いたりすることが出来て私としてはとても良かった。日曜日の午前中で終わってそれだけと言うのもなんだぁと思っていたからどこかで交わる場が与えられたられることを祈っていた祈りの答えであると思っている。

 一人の姉妹は耳が遠い、だから話や祈りが分からないことがあるようで、来る存在価値を見失いそうな話をされて少し驚くと共に考えさせられた。東京では苦情は聞くだけでよかったけれどここでは即集会のこととして対応しなければならない。その分大変だが今まで避けていたことをここでは「やれよ」と言うことなのかもしれない。自分をプッシュしての思いもあるので重い腰を上げて出来るように祈りながらやろう。主よお力を勇気を知恵を時機にかなった助けをお与えください。

2008年11月3日月曜日

昨日、今日、そして明日

 29日から31日まで東京に行ってきた。こちらに引っ越してきて初めて3ヶ月ぶりである。最初は8月の終わりごろにと思っていたが何だかんだでこんな時期になってしまった。
 東京に来て感じたことは暖かい。こちらでの生活は階段の上り下りがないことに気付かされた。東京は団地も駅のホームの上り下りも建物も然りである。車社会は脚を駄目にすることを痛感する。
 夜の集会にも出ることが出来たが聖歌を大きい声で歌えたのはうれしかったなぁ。こちらでは礼拝賛美歌を音程が明らかに違っていることを知りながら必死で歌うのと大分違う。
 最後の日に俊厚が会社の階下の焼肉屋でご馳走してくれた。俊樹も書類のこともあって一緒に行き久しぶりの親子4人出会うことが出来た。感謝であるが信仰の話をと思っていたが出来なかった。また何かの機会にアプローチしよう。親から見れば相変わらずだが年を取った分だけ少し大人になったのかな。
 今日は6人しか集まらなかった。こんなこともあるのだろう。飯高さんたちだけのときもあったと聞くから6人もいることはそれなりに感謝しないといけない。これが現実であるがけっして否定的であってはいけない。ここから感謝しながら祈りながら先に繋いで行かなくてはならない。
 小さくても信仰に立つのかあるいは大きくして魅力ある集会にするのかどちらが大切なのだろう。両方といいのだろうがこれはどちらも難しい。でも何んとしても魅力ある集会にしたい。三綿兄の時だけではなく何時も喜んで集える集会にしたい。今度の勉強会が試金石かもしれない。めげずに失望せづに頑張ろう。