2009年12月31日木曜日
大晦日
越すに越されないことはなかったが今日でこの一年は終わる。振り返ってみれば、色々というほどのものはなかったがそれでもあった。一昨年の7月に引越して来て、あっという間に年を越して、今年は一年をフルで過ごした。寒い冬を経験して、最初に思ったのはここではホームレスは住めないなと思ったことだ。墨田川河畔、上野公園、代々木公園、新宿中央公園、知っているのはこれ位だが大勢の人がいた。それと日差しのある時の暖かさを知るとこれこそ恵であることを教えられる。この一つ教えられただけでも引っ越した価値があるように思える。といっても4月にならないと暖かくならない気候はやっぱり苦手である。それと坐骨神経痛になって、痛さと治りの遅さと多分完治することがないであろう経験も貴重であった。
気ままに書いているブログに読んでいる方がいることを知って驚いたこともある。人に読んでもらうためではなく、自分の考えていることを文章にして整理したいという思いで書いていた。といっても纏まるわけでもないが。あらゆる意味でのマイノリティーとしての問いかけでもある。聖書や信仰に関しては、 「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。」job:38: 2 ヨブのような知識は勿論ないわけだが。
それと不安と恐れが何処かで頭をもたげてきた。50代後半にもこんな経験をした。原因が分からなかったが今はよく分かっている。信仰の問いかけで、これは来年に答えが与えられるか自ら出さないといけないかどちらかであろう。来年は最後の60代である。70代へのステップになるような気がする。そのためのプレプレなのかもしれない。
色々なことがあったが感謝の一年であり、来る一年は色々な意味でチャレンジの年であるような気がする。
今年も主の赦しを経験させられた一年だった。感謝。
2009年12月30日水曜日
200kmを
自転車に乗っているとよく周りが見える。それに昔の道なのだろうか狭く、一般道を斜めに横切るような道が結構ある。それと古く大きな家もある。農家というより、養蚕をやっていたのかなと思わされる。義母が親しくしていた家も今も古い建物がある。昔は5,6階建ての繭倉があったそうだ。宿場町として栄えた下諏訪と養蚕で栄えた岡谷では少し趣が違うような気がする。
自動車では見えないものが自転車や歩きだとよく見えてくるものがある。それと同じように聖書理解や信仰生活もスタイルを変えると今までと違ったものが見え、意外性を感じる。初期のクリスチャンはユダヤ人、「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、」 acts 2:46 。以前と変わらず喜んで宮もうでをしていた。今ならさしずめ偶像崇拝の槍玉に上がるだろう。パウロの登場から今日、様変わりは大きいと思う。聖書に帰るなら初期のクリスチャンでと思うが彼らはユダヤ教徒、我々はコリントの街のようなところに住んでいるから無理か。でもあんな自由で喜んでいる姿はうらやましい。気が向いたときにパン裂きをし、姉妹が祈って、教会の人たちはプログラムのない礼拝に驚いているそうだがその諸集会の信者も驚くやり方をやってみたいものである。と書いているのは自分にそんなものがないからかもしれない。
2009年12月26日土曜日
クリスマス
馬小屋で生まれたイエス像をどのように捉えるかで大分違うのではないだろうか。宿屋の片隅でなく、馬小屋は明らかに人々がイエス様を拒否している。福音書の他の箇所でも見ることが出来るが、この根源的な罪がいかに深いものであるか私には分からない。だから嫌なのである。これが分からないと神の愛はさらに分からないのではないだろうか。必然的に「ご利益的な信仰」なるような気がする。
とイラソーに書いたが年賀状を書くのに四苦八苦していて静かに主の誕生を覚える余裕はなかったというのが本音である。そして昨日、郵便局に持って行くことが出来てホッとしているのが現実、オ・ハ・ズ・カ・シ・イ。
2009年12月23日水曜日
慣れ?
2009年12月17日木曜日
フッと出てくるもの
自分の中に屈折したものがあって、なんかの拍子に出てきて、それで何となく滅入る。今回はそれ程でもないのかもしれないし、東京と信州の感性の違いか、はたまた我が負の部分が出たのか分からない。なんかそれが尾を引いているようだ。そんなことを何となく気にするというのも問題なのかもしれない。明日になればそれもなくなるのだろう。
2009年12月12日土曜日
ある本を読み終えて
この本を読み終えた時、「青銅の基督」の本を思い出した。芸術と信仰、これが変に絡んで信仰もない一人の芸術家が基督者と誤解されて殺される。殺された彼を真に理解していたのは遊女だったというのも面白い。
思っていることを書くと・・・。何時の時代も善意の人の集まりがあればそれを逆手にとって利用する為政者の姿がある。過ぎ去ってみれば「何で、」と問いかけても答えが出ないようなことをその時は疑うこともなくやってしまう。ロマ書7章ではないが悪であることを知りながらそれしか出来ない人間の姿がそこにあるのだろうかなぁ。やるときは綺麗なオブラートに包んで本質が見えないようにしてやる。
今もこのようなものがあるような気がする。世の中は勿論のこと信仰の世界でもあるのではないだろうか。福音を語りながらもそこにあるのは自己実現が目的であったりして、その点イエス様はやることも言うこともストレートだ。だから殺された。変な読後感になってしまったが。
2009年12月11日金曜日
本を読んで
「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」job:42: 3 ヨブの謙遜を見るが私にとってはことばそのものである。そして「私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」 job:42: 6 とヨブのように言えないのが・・・。
2009年12月9日水曜日
ふっと考えたこと
10数年まえにオーム真理教が問題になって、宗教法人法の改正などが話題になっていた頃に当時弁護士で元最高裁長官の藤林益三さんが日経新聞にコラムを書いていた。宗教法人法の改正に着いて専門家の立場から書いていている。
最後に「かく言う私は内村鑑三の流れをくむいわゆる無教会主義キリスト者である。」という書き出しで「私たちには宗教法人法は無縁である。金もなければ施設も組織もないからである。日曜日には借り物の会場で同信の友が相寄り聖書を読み共に祈り、先輩が話し、後輩も語る。会場費としてわずかな金を入り口のかごに投じ、これで会場費や講壇の花代をまかなう。皆手弁当である。先輩が死去すれば後輩が我流で葬儀を執り行い、後輩が結婚することになると先輩がその司式をする。
私は昭和9年以来88歳の今日に至るまでに数十人の先輩を天に送り、数十組の結婚を司った。今も月一回は約一時間立って話をしている。こういうやり方もあるのである。だれも文句を言わず、不満があれば去ればよい。風通しはまことに良い。しかし教会のような施設もなく、専従者もいないから、宣教には不都合で、これが最大の悩みである。」と書いていた。
この最大の悩みを教会は解決しようとして努力しているのかなと思っている。しかし無教会は教会とは別の方法でこの世に対してアプローチしているのではないだろうかと思うときがある。教会はどちらかというと世の中のことには余り関心を示さないというよりそれが信仰的と捉えている。無教会は世に対して時には強烈なアプローチをする。そして批判するだけではなくその中に入っていって変えようとしている姿勢が見える。聖書の使信をどう伝えるか、その捉え方で集会場というものの位置づけが変わってくるのではないだろうか。
無教会の集会はそれ程知っているわけではないが会場を借りて集会を持っている集まりが多いのではないだろうか。今はどうか分からないが東京にある一つの集会は自前の集会場を持ち、8月に修養会を持って、そこでバプテスマと聖餐をやっているとそこに集う方から聞いたことがある。そこは宗教法人に入っているとも言っていた。私たちの集まりは「無教会でも右です。」と腰に手ぬぐいを引っ掛けている姿で笑って話されていたのが印象に残る。集会と同じ名前の書店を持ち、出版もされている方である。今は息子さんがあとを継いでいるようだが。
今はそれでも内村鑑三がこう言ったとか言われるが昔は無教会は「師と弟子」、「聖書の勉強だけ」と一刀両断だった。中を少し見ると確かに言われることも事実の所もあるがそれだけでなく伝道に熱心な集まりもある。個人の力の大きさかもしれないが学校を創ったりしているし、その広さは諸集会の比ではないと思っている。教会の自を是とし、他を否とする否定的発想はわが性格とマッチしてとても居心地がいいがそれが正しいかどうかは別であり、むしろ逆なのだろうと思った方が正解のような気がする。
2009年12月6日日曜日
伝える
2009年12月1日火曜日
2009年11月28日土曜日
日本語
どちらかというと聖書は学問的に捉えることが主体で福音は違う次元のようなことを言っていたように記憶している。冗談に「ここは逐語霊感説をとっているところだからあなたはここにいるのは可笑しいんじゃない」といって冷やかしていた。彼は「私はかまわないのだ」といって笑っていた。集会の鷹揚さが気に入っているかのようだった。俗にいう神学を勉強していたといっていいのだろう。ここで神学論争をする積もりもないしあそこで出来る基盤もないことを彼は良く知っていた。
神学とは彼が勉強してきたようなことを言うのではないだろうかと自分では思っている。しかし聖書を極めようとするときに(勿論極められないが)そこにはすでに神学といえるものがあるのではないかなと思う。このような集まりでは「神学」という言葉はアレルギーになっているように思う。神学も信仰よりも、より学問的なものに重点を置いているものから深く信仰に根ざしたものとその幅は大きいのではないだろうか。「神学」という言葉でひとくくりにしてほしくない。
「宗教」という言葉もそうだし「キリスト教」という言葉も然りである。ただ言葉で判断するのではなく、相手が言っている話の前後を踏まえて判断してほしいと思う。神学を批判するときに言っていることも然りだが「人」の資質のようなものが問題になっていないだろうかと思うことがある。どちらにしても細かいし、日本語の言葉のあいまいさもこうなるのだろう。それと単純明快に言えば判りやすいから断言してしまうから聞く側にも問題があろう。わかりやすいがホント?と思うときも無きにしも非ずだからなぁ。でもそんな単純なものでもないのだろうとも思うが。
2009年11月23日月曜日
勤労感謝の日
祭日、祝日もそれ自体形骸化しているように思う。市や区などでエベントがあるくらいでそれが生活の中に入っては来てない。自分が市や区の活動に積極的にかかわろうとしていないからそう感じるのかな。ここは町内会というのがなくてそれに代わる「区」というのがある。区民とか言われると東京の23区を連想して戸惑うが区民会館は舞台や貸室があって立派な建物だ。区は町内会より大きい組織のようだから面白い形態である。
キリスト教主義の高校だと労作という授業がある。三重県にある愛農高校は全寮制で食事も学生でやっていると聞いている。農業高校だから田畑から牧畜に養鶏もやっているからまさに勤労そのものである。島根県にある愛真高校は普通高校であるが同じようなことをやっている。そしてそれを大切にしている。今はどうかわからないが新潟市郊外にある敬和学園は初代の太田校長は労作を大切にしていたように思う。クリスチャンの価値観はどうなのだろう。
2009年11月21日土曜日
看護大学校で
午後は理学療法士の先生から介護器具の講義があり、説明を聞きながらヘルパーの講習を受けていたときと少し変わってきたことを感じる。以前設備を見ていた介護施設の若い者職員がみんな腰を痛めているのを見て大変だなぁと思っていた。しょうがないのかなと思っていたが色々な器具を工夫して使えばそれらを防げることを説明してくれた。ただ現場は金のかかることだからそうなるまで時間がかかりそうだ。自分が世話になる頃はどうなっているだろうか人間の尊厳なんて言われるがどんな扱いを受けれるのかな。金と人材があってもゆとりがなければ虐待的なことは避けられないような気もする。
2009年11月19日木曜日
諏訪盆地は寒い
旅行に諏訪盆地は寒いと最初の印象を書くのもなんだなぁと思いながら書いてしまった。ということは団体旅行はあまり好きではないということだ。人に合わせるのが苦手というか努力することがシンドイのである。それでも結構それなりにやれたので20年の歳月は無駄ではなかったのかなと変なところで感心している。それでも飲まない、歌わない、踊らないというか出来ない。しかし好きな人は好きでやっているから丁度いいのかなと思った。寒いところの所為か飲めない人もいたがノンベイが多い。
初めての富山であり、金沢だったが観光地で人で賑わっているだけあって、各々に風情があってよかった。しかし歳をとると団体よりも家内とか一人で散策したほうがいいなぁと思った。車で動くことがほとんどで単独行動だからそれになれると窮屈な感じがする。先の長くない人間はこんなことで我慢することもないだろう。気心のあった友人とというのもないしこれは寂しいし少し問題ありか。
2009年11月15日日曜日
聖書通読を終えて
いま、デボーションでテモテを読んでいて、1Tim6:15-16にこのように書いてある。
「…神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」
賛歌として何も注釈をつける必要のない個所である。
そして通読最後の小預言書を読んでいて、特に好きなホセア書の中にこのような言葉がある。
「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。」hos 11: 4
反逆の民イスラエルに対して怒りながら、放蕩息子に対する親のような苦悩が書かれている。テモテ書からは人間が入る余地はないがホセア書は実感として味わうことが出来る。親不孝をしてきた者であり、主に対しても真実でない者であるから、なんとも言えない慰めの言葉である。
歌を忘れたカナリヤでも歌を思い出そうとしている。私も主に対して応答しよう。
2009年11月13日金曜日
エゼキエルの神殿
エゼキエル書は前の二書と違ったものがあるので面白い。37章や43章を読むとワクワクする。しかし40章からの神殿に関しては読んだだけでは判らない。建築家は図面を見て、建物をイメージできるといわれるが数字が羅列されているこの箇所を読んでいて、実際の建物などはイメージできない。元々こういうのに弱かったが年と共にさらに駄目になっているのを実感する。インターネットで見つけて、あぁこういうことかと少し理解ができた。それだけでも感謝かもしれない。よく言われる「今朝何を食べたかを忘れても今朝食べたことを忘れることは問題だと」、そこまで行っていないからそれはそれでいいのだろう。
間もなく聖書通読は終わるが今回は読みづらさを感じた。設備管理の仕事をしていた時は半地下のほとんど人が来ない所でひたすら聖書を読み、3ヶ月で読み終えたのを懐かしく思う。仕事に行っているのか聖書を読みに行っているのか判らないないなぁと思った時でもある。10年も前の話だが今とは大分趣が違う。これからはさらに加速していくことだろう。難しいことは分からんから信じたはかりの時のイエス様に感動したようなことがそこから見えるかもしれない。違った形で聖書が面白くなりそうだとなるとよいのだが。
2009年11月7日土曜日
読み終えて
内容は6つに分かれていて、5つの目的が書かれている。
私は何のために生きているのか。
第1の目的 あなたは神の喜びのために造られた。
第2の目的 あなたは神の家族となるために造られた。
第3の目的 あなたはキリストのようになるために造られた。
第4の目的 あなたは神に仕えるために造られた。
第5の目的 あなたは使命のために造られた。
個々の目的にも項目別に書いてあるから判りやすいし難しくない。これは一人でやるのではなく少人数のグループでやるようになっているようだ。話し合いながらすると効率が上がると思う。今度誰かとやるときのたたき台には良かったかもしれない。
2009年11月5日木曜日
処する術
自分のこととして振り返ってみるとかつていた集会は大勢信者がいた。週報を90枚刷っても無くなると聞いているから割り引いても7,80人の信者はいるのだろう。特別な責任を負わなければ集うだけでよい。そうすると諸々の要素はあるが集会を客観的に見てしまいがちになり、当然批判的な視点で見ることもある。引越す頃は、これは責任者に委ねられたもので私がどうこう言うべきものではないと思えるようになった。そうなるまでは大分時間がかかったように思う。責任を負わないと部分的なものしか見えないし、欠けている面が見えるということもある。事実、そういう話を色々「聞く」ということも多かった。
一つの群れを委ねられているということは、責任者の霊性と能力が問われる。問われても決断していかなければならない。決断したとしても具体的には難しい。論評は出来ないが、現にそれによってバプテスマを前に集会を去った方がおられる。そこには信仰の確信のようなものがあるのではないだろうかと思っている。諸集会にはオープンとクローズという水と油に等しいくらいに融和のできないものがあるように思う。そのオープンも集会にこだわっているのと教会からも学ぼうとしているのとあるように思える。そんな色々な集会があるからその人を受け入れてくれる集会があるだろうと思っている。
大分昔の話だが、すでに召されたN集会のS兄は「以前はここでパン裂きが出来たが今は・・・」とある大会のことを個人的に話してくれたことを思い出す。それだけ昔は集会は一つであったのだろう。それが年と共に多様化して、今はさらにとの思いがある。それはまた「一つになる」ということをさらに難しくしているように思う。個々の集会が独立したものとして尊重されていればそれはそれで素晴らしいと思うがそう単純ではないようだ。
話を戻して、10人に満たない小さな集会ではあるが白川さんが指摘する民主党の現実を今自分が経験しているのかなと思っている。スタンドで観戦していた者がグランドに降りてプレーするようなものである。色々な思いが去来するが何処でもいつでも教えられた所がスタートと思っているのでそれはそれでいいかなと思っている。
2009年11月4日水曜日
その後
胎児の首の辺りに腫瘍が出来ている。12月末の出産予定だが帝王切開なか陣痛が起きるとアウトなので、早々に入院して様子を見るとのことだった。現におなかが張っていて、それを抑えるために常時腕から薬を入れていている。その格好でシャワーを浴びたりするそうだ。でも家にいるよりはるかに安全、安心である。子供さんのことが心配だったそうだが毎日電話で話をしていて、それ程心配ではないようだ。感謝である。保育園の年長組、大分聞き分けて来ているのだろう。精神的に不安定のような様子はないように見える。彼らを見ているとぎりぎりのところで守られているという感じがする。胎児がこれからどのようになるのか分からないがこれからも守られていくことを願う。彼女の救いと胎児の健康をこれからも祈っていこう。明るい彼女の顔を見て安心しながら。
文化の日
現在も相変わらずでそれ程関心はないが、その道で活躍された人たちであり、それなりに尊敬に値するものくらいに進歩した。そんな文化の日に昨年に引き続き伝道者のN兄の学び会がM集会に有って、集会の兄姉と集いメッセージを聞いてきた。一年ぶり、「礼拝」についてだった。
お話を聞きながら集会の聖書理解を改めて確認されたような気がする。そこには深い霊性と謙遜が求められるているようで自分にはないなと思った。そして思い出すのは聖歌総合版にも新しい礼拝賛美歌にもある「なおもみめぐみを」である。
1 なおも御恵みを なおも御救いを
なおもわがために みうせし主を知らん
(くりかえし)
なお深く主を なお深く主を
なおもわがために みうせし主を知らん
2 なおもみこころを なおも御救えを
なおもさやかに知らん 御霊なる神を
3 なおも深く主と なおも交わりて
なおもわれは聞かん 御声のある時
4 なおも御栄えの 富の豊かさを
なおも主の国の 来たるをわれ知らん
2009年10月30日金曜日
またまた
東京に来て、当然のように周りの人たちが自分より知識があり、教わることがほとんどだった。それも全く知らないことも少なくなかった。そんな中で自分が知って他の人が知らないってことはなかったから自分が知っていることは他の人も知っているというイメージが出来上がってしまった。キリスト者になっても皆先輩であり、知識においても然りである。ここにおいても私が知っている聖書知識は他の人も知っている。そんな思いが出来上がっている。だから私が舌足らずでも周りがこういうことを言いたいのだろうと理解してくれた。それらもあってのことかもしれない。でも、それから40年たっているからこれは通じないか。
このブログに珍しくコメントを下さった方がおり、そのことをここに書いて「問題意識を持っているのか単なるへそ曲がりなのか分かりません。」と自分のことを書いたのに、「自分」か「私」なりの言葉を入れなかったばかりに相手の方のことを書いたようにとられたようだ。たった一言のあるなしで受け取る側にとって天と地ほどの違いがある。許してくださるだろうが気をつけないといけない。
罪と滅びを強調するかキリストの愛を強調するか、しかし愛をどのように語るか難しい所だ。植村正久は大恋愛をしないとキリストの愛を語れないそのようなことを神学生に語ったようなことを何かで読んだ。キリストの愛は人間的な愛を経験なしで知ることができるだろうかと思うことがある。人を愛する故に煩悶、苦しみはキリストの愛に通じるように思う。利害で付いたり離れたりする恋愛は信仰もご利益的にならないだろうかと思ったりする。
2009年10月29日木曜日
シニアキャンプ
いつもは7時頃に家を出て、朝のメッセージに間に合うようにしていた。今回は家内を整骨院に送ってから来たので午前中は諦めて午後のオプションに合わせる。12時前に着いたがすでに食事は終わりかけて、スタッフの姉妹が車の中で食べるようにとサンドイッチとみかんを包んでくれた。食堂に入ると目の前のテーブルに座っている下小鳥のM兄と目が合う。挨拶していると横で私の名前を呼ぶので振り向けばM姉ではないか、「オー万年青年」と声をかけてきたのは浦和のA兄ホントに久しぶりである。浦和のS兄とは高崎の学び会でいつもあっている。この間も長野で会って、遅くなったので前しか空いておらず座ったら隣が彼でヤァヤァと握手をする。よく見れはその隣は熊谷のN兄、その隣が日本橋のS兄だった。この二人にはシニアでいつもお世話になっている。今回はさらに心配をかけてしまった。
今回のメッセンジャーは前にいた集会のK兄、聖書からのシンプルスタイル、久しぶりに聞いてなぜか懐かしく思う。淡々と話される彼の語り口は聞きなれているから私には分かりやすかったが他の人たちにはどう映ったか。私はオプションで出掛け、彼は準備や他の兄姉と交わったりしていたから挨拶だけで終わってしまったので 残念だった。
何人かの人と交わって、集会と責任者の難しさを覚える。何処に視点を置くかで大分違うような気がする。それに振り回されないで本質を捉えることはさらに難しい。客観的に見て直接そうだと言うのではないが問いかけられるものがある。論評することは簡単だが(的を得るかは別として)共に担うことが出来ないからそれは止めておこう。これからは責任者の人格的、信仰的な資質がとても大切なような気がする。長くアメリカにいて、弟さん夫婦が群馬のM集会に集っているのでそこに集っている姉妹と同じテーブルになった。アメリカではメソジスト教会にいたので集会には戸惑いがあると言われて、どこか男性中心主義的なように見えるところがあるからだろう。聖書の原則を話されてもどこか納得させないのは私たちの姿勢にあるのかもしれない。初代教会がクリスチャンと呼ばれながら、尊敬されていた姿勢は今日も大切なのではと思わされる。伝道が優先されて、どこか他のもが犠牲になっているのかな?霊性というものをフッと思い浮かんだ。自戒をこめて謙虚でありたいものである。
小布施に行ったときに温泉に入り、ぬるかったので長湯をしてしまい脱衣室で眩暈がして倒れ、顔をすりむいてしまった。千葉のI姉も洗い場で転んで頭にこぶをつくってしまった。軽井沢病院で見てもらったが異常無しでよかった。スタッフはダブルでシニアの現実を覚えたのではないだろうか。前から若者と違った気配りが必要をさらに感じたのでは、スタッフの皆さんごめんなさい。
2009年10月26日月曜日
BrotherenHistrian さん
問題意識を持っているのか単なるへそ曲がりなのか分かりません。ただ小渕さんが書いている教会の姿は集会だと思います。自分はなんのテライもなくその中にどっぷり浸かっていた。問いかけられれば確かにそうだと思います。この差は大きいかなと思っています。
良くても悪くても歴史と伝統があるものを変えるということは難しい。それが信仰が絡んだらさらに難しい。関西の諸集会を見てもお分かりでしょう。新しく集会を興したほうがはるかに楽だと思います。律法学者やパリサイ人は今日も生きていると思っています。自分のその一人であるかもしれません。そんなんで現実と想いのハザマで現在模索中です。
2009年10月23日金曜日
ボランティア
「総園内面積16万7200㎡、標高1,300m,八ヶ岳の自然とふれあいをテーマに造られた、多目的レジャー施設、白樺の茂る広大な敷地には、パターゴルフ、グラウンドゴルフ場、マレットゴルフ場、グレステンサマースキー場などのスポーツ施設、自然観察科学館にはプラネタリウムや多目的ホールなどがあります。」(資料より)
九時半集合、予定より早く十時前に活動を開始、初めに担当者から園内の説明と作業の指示を受ける。作業は落葉の整理、二人一組で広場の周りに集められている落葉を大きな袋に入れていくがこれが結構きつい。黙々と時にはおしゃべりをしながら作業を進める。
昼は広場で、手作りの物を頂きながら、和気藹々と食べるがつい食べ過ぎて午後の作業に差し支えてしまった。
午後も同じ作業で、係員も驚く程、ほとんどの落葉を入れて、24袋にもなった。落葉の需要は結構あるようで、雨宮さんも畑の腐葉土にと少し持って行かれる。
広場は芝生で、落葉をそのままにしておくと腐って芝生を傷めるため、落葉の処理は大切な仕事のようだ。
広い園内を見て、ボランティアの必要性を感じ、実際に登録者(個人、グループ)がいて、サポートしているようで、新たなボランティアを求めていた。
作業後、近くの「もみの湯」で疲れと体をほぐし、茶菓で今日の感想と反省会を、それとこれからの活動などのミーテングをして帰路に着く。
隣は八ヶ岳実践農場といっても車だと6、7分かかるだろう。ここにはよく来て野菜などを買ったりしていた。園は林の中に入っていく感じで、それに道路は白樺に囲まれて、エキゾチックな感じがする。さらに道を挟んださきはペンション村でこれも素敵な感じがする。ただ素通りするだけであるが。
2009年10月17日土曜日
変えるということ
変わる或いは変えるということはそう簡単なことではない。この事で思い出すのは、もう20年も前のことだが武田清子さんが「受け継がれゆく祈り」という題で朝日新聞に載せていた。抜粋して記してみる。
最近、米ソ関係にも東欧各地においても、予期しなかった大きな変化が起こりつつある。歴史の変化にはそれにかかわる人々に、「変え得ぬこと」と「変えるべきこと」とを平静に、かつ、懸命に見分ける洞察と「変えるべきことを変える勇気」が求められることを考えさせられる。
『終戦直後の秋だったと思うが、1945年度の「アメリカの母」(各州代表によって選ばれる)であったジョージアナ・F・シブレー夫人が、次年度のアメリカの母を選ぶ会議においてクレメント夫人という立派な家庭をきずく黒人女性を推薦した。当時はまだ差別の強い時代であり、人種差別撤廃を求める市民権運動が活発に展開するのは1960年代のことである。(注、キング牧師がリンカーン記念館で行ったあの有名な演説「私には夢がある」は1963年8月28日である)シブレー夫人の推薦に大多数の州代表がいっせいに反対した。このとき、シブレー夫人は次のような「祈り」をささげた。
「神よ、
変ええぬことを受け入れる心の平静さを、
変えるべきことを変える勇気を我らにお与え下さい。
そして、これら二つを見分ける英知を…」
この「祈り」あと投票が行われところ、満場一致で黒人のクレメント夫人が次年度の「アメリカの母」に選ばれた。これは人種差別撤廃運動の重要なさきがけとなった。』
この祈りはライホールド・ニーバーの「祈り」として知られるがさかのぼれば18世紀ドイツのルーテル派の牧師であり、神学者のフリードリッヒ・C・エーティンガーの「祈り」にもとづくものだという。『このようにこの「祈り」は国境、人種の別を越えて受け継がれてきた。そして、私自身にとっても過去何十年と心の深みにあって「私の祈り」ともなっている。…』
東ドイツの反体制派の牧師であり、神学者のハーメル師についてもふれていた。
政治は色々と利害やプライドが絡んでいるから難しいものがあるが民主、自民に関係なく国を想い、国民に仕える人が出てきてほしい。そんな芽もあるような気がするが、たとえあっても国民がそれを受け入れる心の余裕があるかも問題だ。
集会などでも同じことが言えるような気がする。昔は世の中にも「滅私奉公」という言葉が生きていたが、今はないだろうな、集会はどうだろう。
2009年10月16日金曜日
長野県立子供病院
ここに頼まれて知り合いの妊婦を乗せて行って来た。おなかの赤ちゃんの首に腫瘍が出来て、定期的に検診をしている。出産予定は12月末なのだが陣痛が始まったらアウトで、腫瘍も大きくなっているので入院して様子を見る。それと彼女が片方の耳が聞こえなくなっているのでその治療もしなければならない。その治療もあって信大に入院するかもしれない。知っている方もストレスで難聴になったと聞いている。ニコニコして落ち着いているが彼女もそうなのかな。順調でもおなかに赤ちゃんがいれば家庭の細かい事をあれこれ考えるだけでそうなっちゃうだろうなと思う。それに5歳の男もいるからなおの事だと思う。今両方のお母さんが交代で来ている。車での移動くらいしか出来ないが声をかけてと言って、行って来た次第なのだが。
自分の子供も回りの子供さんを見ても大体健康児である。おなかの中にいる時にすでに異常があるなどということは思考の中になかった。最初の子供が生まれるときは母子ともに健康で、もしそうでなければ受け入れる心の用意が出来るようにと祈った記憶はある。次男は未熟児だったがただ単に予定より早く生まれて体重が少なかっただけで心配はなかった。でもあのころ未熟児網膜症が話題になって少しは心配したが。
いま始まったばかりのNHKの土曜ドラマ「チャレンジド」でその意味をアメリカでは障がい者のことを「チャレンジド」と呼び、神様からチャレンジする使命を与えられた者という意味だそうだ。いい言葉である。彼等も神様からチャレンジを受ける使命をいただいたと理解してくれたらいいなぁと思う。現実は厳しいだろうが信仰の歩みはこれがないとただの天国人に成り下がってしまう。
2009年10月13日火曜日
体育の日
そこから白樺湖から車山、霧が峰と何回も通った所であるが眼下に見える茅野や諏訪の市外が見えるところがあるがいつ見ても圧巻である。ここも他県ナンバーがほとんど私の車も東京ナンバーであるがまだ寒くないのでオートバイの数が多かった。それも大型バイクで若者というより中年にさしかかった人も目に付いた。
帰りは久しぶりに上諏訪方面に下りていき、上諏訪の片倉館で温泉に入って帰ってきた。ここもホントに久しぶりである。浴槽の床の部分が砂利になっている事くらいしか記憶になく、記憶としてはもっと広い感じがしていたが他は一切覚えていなかった。ここも他県ナンバーが目に付いた。
夕飯を食べたらすぐ寝てしまって、一時間位と思っていたが目が覚めたら11時半頃だった。前日休んだのが3時だった所為もあるが疲れていたのだろう。体を動かしたのは少ないが体を車で移動して疲れたという意味では体育の日に相応しいかも。
2009年10月9日金曜日
一冊の本
著者はなぜ、キリスト教は日本人に受け入れられず、日本社会に根付かないのかと問いかけている。そこに日本の政治的、歴史的背景があると書きつつ、それ以上に大きい要因は「キリスト教は日本に受け入れられない」と思い込んできたキリスト教界にあるように思えると指摘している。
聴く側に問題があってもそれ以上に語る側は?との問いかけも必要ではないだろうか。どこか硬直しているものがないだろうかとの思いもある。パウロは私たち人間に福音がどうして必要なのか、その理由を神との関係が壊れてしまっていることを指摘している。その関係を回復してくださったイエス様をどう語るかで大分違うような気もする。ともすれば御利益的に語られているように思えるときもある。
最近読んだ「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」(古屋安雄著、教文館)と長い題の本も10年前に語られた「いま教会を考える」―召された者の努めー(渡辺信夫牧師)の講演もどちらかというと教会側に問いかけている。
教会と集会は少し違うと思うが本質的には変わらないと思う。集会の信者がどういう問題を持っているかを取り上げていったらどこか本質的なものが見えてくるような気がする。そこから見えるのは福音とかけ離れたものが出てくるような気がする。少し否大分斜に構えすぎるかな。
2009年10月8日木曜日
2009年10月6日火曜日
過去に生きる
自分の現在は過去の積み重ねの上にある。いい意味でも悪い意味でもそのことが自分の現在を形成している。多くの場合過去を引きずって生きてきたのかなと思う。クリスチャンは本当は前向きなのだが過去の出来事に囚われて、そこから解放されていないのをよく見る。かつての自分もそうだし今も無意識の中にあると思う。カーブでブレーキを踏むように何かことがあると過去の出来事に囚われる。 過去は過去にしか過ぎない。あるのはこれから先のことなのである。その先には希望しかない。現実には色々あると思う。しかし
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 rom 8:28
「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 1cor:13:13
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」phil 3:13-14
2009年10月2日金曜日
いのち
一人の死がこれほどまでに感動を与え、人々の心に響いていくのか、姉妹の人となりを知る。正に死は終わりではなく、勝利した姿であることを教えてくれる。
先日、上諏訪の教育会館でシニア大学主催の講演会があり、勧められたので行ってきた。「命の歌 乾電池が切れるまで」という11歳でお子さんをなくされた宮越陽子さんのお話だった。お母さんの言葉は下記のHPを見ると同じような事が書いてある。
宮越由貴奈さんは5歳の時に「神経芽細胞腫」を発病。5年半の闘病生活の末、98年に11歳で亡くなった。亡くなる4ヶ月前に院内学級(長野県立こども病院)の授業中に「命」という詩を書いて、その詩はかけがえのない命の大切さを訴え、自分の命も人の命も大切にしようと訴える。院内学級の友達は生きたくても生きられない(何人かが亡くなっているのを見ている)を見て、命の大切さを訴える。
この詩が話題になり、テレビドラマ化され、詩に曲がつけられて歌われ、多くの学校の道徳の時間に教材として由貴奈さんのことと詩を題材として取り上げられる。その中に、ある学校のクラスで深刻ないじめがあり、担任の先生は苦慮の末、授業でこの詩を取り上げ、そこには涙しながら授業を受けた子供さんたちの姿があった。その後の意見交換で、宮越さんにお礼に何か送ろうと決めて、みんなでタペストリーを作り始める。なれない針仕事に、指を刺したり、みんなが苦労して完成したときには、クラスからいじめがなくなっていた。講演会ではこのタペストリーを展示してこのエピソードを話されているようだ。http://www.clover-leaf.org/photo/inochi.html
http://homepage3.nifty.com/yabuyama/zakkiinoti.html
命 宮越由貴奈 小四
命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえ
られるけど
命はそう簡単にはとり
かえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられる
ものだ
命がないと人間は生
きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえる
のに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい 生きよう
講師のお母さんである宮越陽子さんは最後に由貴奈さんがこんなときは家族がバラバラになるのに一つにしてくれた事、家族を楽しませてくれた事、今も支えてくれている事、そして由貴奈さんが一生懸命生きた事を話される。
感動を与えてくれたが一つ残念なのは、亡くなった先に何も見えないことである。そういう意味でキリスト者にはその先にもっと素晴らしい約束があることを教えてくれている。これをどんな風に伝えられたらいいのか・・・。
何でもある日本ではあるが「命」は実に軽く扱われている。この「命」をもっと大切にしなければ「永遠の命」はさらに難しいような気がする。
T兄のこれからの働きを期待し祈りつつ、地上の命と永遠の命をフッと考えた。
2009年9月29日火曜日
卓球
2009年9月27日日曜日
八ッ場ダム
半世紀も経ってまだ出来ていないこの現実はどう理解し説明されるのだろうか。20の私はもう70になろうとしている。世代は代わろうとしている年数でもある。これからダムが必要でなければいくらお金をかけても止める勇気が必要だろう。これは政治というより政治家の資質が問題だったのではないだろう。
キリスト教の歴史を見ても変えることの難しさを見ることができる。いつもニーバーの祈りを思い出す。
神よ、
変え得ぬことを受け入れる心の平静さを、
変えるべきことを変える勇気を我らにお与ええ下さい。
そして、これらの二つを見分ける英知を…
ラインホールド・ニーバー
2009年9月26日土曜日
T姉妹
勝利とか凱旋と言う言葉がぴったりの死に勝利した姿を夫である伝道者のT兄は書いている。お子さんも偲ぶ会、昇天式でお母さんのあかしをされ、娘さんは学校に行って学友を昇天式に誘ったそうだ。
大勢の方が来られた様子を知り、かつて学生で召された姉妹のことを思い出した。あの時も次々と人が来られて、教会の外にまで溢れ、献花も記念品も足らず暗黙の了解を取ってもらったようだった。遺族はどう思ったか知らないけれど彼女を偲ぶ場に集いればそれでいいという雰囲気がしたような気がした。若者が多かったせいもあり、KGKの人たちも大勢来ていたように思う。彼女の交流の広さ、やさしさを知り、あなたはこんなに素敵なのになぜと思った事が今思い出される。
姉妹は家族を愛し、集会を愛し、兄弟姉妹を愛していたことがよく分かる。群馬にあるG集会の伝道者でK兄が講演会で話された中に(頂いた原稿で)「さらに、今考えさせられている事は死ぬという仕事があるな・…ということです。」と三浦綾子さんが言われたことを引用されていた。姉妹は「死ぬという仕事」を全うされた。兄弟のこれからの働きを期待したい。
2009年9月24日木曜日
この連休
昨日、8時過ぎに帰ってきて、少し横になったらいざ寝ようとしたら眠れなくて、PCをあけて、メールやブログを見ていたら夜中の2時過ぎになってしまった。
「9/22 T姉妹勝利の凱旋
兄弟姉妹の皆様へ。
長らくお祈りありがとうございます。
T姉妹は9時02分、天国に召されました。
今までのお祈り本当にありがとうございました。
高原剛一郎
追伸:偲ぶ集い、昇天記念式の日時は決まり次第、掲載させていただきます。」
ブログ関係は週に2回と決めているが(実際はついでについ開けてしまう)「T姉妹」だけはインターネットにつなぐといの一番にあけて読む。
癌と分かって、2ヶ月あまり、壮絶と行ったら大袈裟か、しかし姉妹も然りだがご主人も子供さんもすごい戦いだった。それだけ家族の絆が強かったのだろうと思う。私らだったら淡々としたものだ。それだけ絆が・・・、特に私は。
兄弟のこれからの働きが気になるが新たな展開をなされることを祈る。
軽井沢もここからだと80キロ弱、1時間45分かかったが走っているうちに着いてしまったという感じである。今回はK ファミリーが厨房をやっていた。遅れてついて庭に入ったら丁度お父さんが出てきて立ち話をする。長老との折り合いがつかないみたいで別の道を模索しているようだ。群れを委ねられている責任者の気持ちも分かるが何とかならないものかなと思う。難しいと思っていたから一つの進展かな、これからも祈ろう。息子さんは長男と接点を持ってくれて感謝している。何時だったか電話があったとき二人で訪ねるようなことを言っていたがこの間行ったそうだ。息子を受け入れているのは彼くらいだろう。M兄も二人の息子を「責任をもってやりますから」と言ってくれ、感謝だが難しい二人だ。トイレを借りるで食堂に入ったら息子さんに会い、立ち話をしてしまった。
宣教キャンプだからカンボジアで宣教している韓国の兄弟が話されていた。宣教は神が与えた命令、神に返すもの、キリストのみに満足すること等厳しい状況の中に置かれた宣教者の言葉に力があった。しかし最後の集会で疲れていたのか頭を垂れていた人がちらほら見えた。変わらない顔、顔だが会えるかなと思った人が見えなかったりで残念だった。それでも何人かの兄姉と交われて感謝。もう他集会の兄弟として交われるからどこか気楽である。少し考えさせられた事もあり、それなりに感謝だった。
2009年9月22日火曜日
聖書と日本文化
今まで学びといえば聖書からがほとんどで、文化とか歴史を話されても極部分的に語られていたように思う。責任者の説明で他でやってない事をやろうとしている事が語られ、今までお話を聞いていて頷ける。外部の方でその道の専門家が語っているのは説得力がある。
6回のうちの3回で「日本の年中行事と基督者」、「日本の習俗伝統と基督者」、「基督教の日本的展開」という題で話される。正月から始まる行事をも見ても、幾つかの信仰が混ざり合っている。その変遷を見ると信仰というより人間のご都合主義的な要素も多いなぁと思った。これは日本だけでなく、欧米の基督教の行事にさえそのことが伺える。なんとなく分かっていたが結構いい加減だ。
日本人の「願い」とか「祈る」という時は宗教的なものではないと言われたのには意外に思ったがなんとなく納得する。頭を下げる礼の社会であると言われたがそれに通ずるのかもしれない。日本人は裸足の文化、座る文化であり、靴を脱ぐことは自己放棄を意味する。モーセが靴を脱げ(出4:5)といわれた事はそうだったのかと始めて知った。そして日本人としては靴を履け(使徒12:8)であると。
断片的にしか書けないが行事の由来、習慣とか伝統、そして日本人の気質、これらのことを理解して福音を語る必要性を強く感じた。「否定の伝道から肯定の伝道」へと言われたがまさにそうだと思う。欧米はその国の文化を受け入れていったが日本や南米は否定した伝道だったと言われ、それがマイナスである事は明らかである。質問にあった「国旗や何かに頭を下げる事はどうか」とそれは敬意を示すものであると言われ、偶像でないものを偶像視しやすい。それは偶像なるものが見えないことかもしれない。まさにサタンの思う壺だろうなと思う。自分も周りを見てもどちらかと言うと否定的であるから考えさせられる。ある意味でものごとを逆手に取っていくのもひとつの手かもしれない。疲れたがチャレンジを与えられて感謝であった。
2009年9月21日月曜日
御野立公園再び
今日はお天気が良いので家内と塩尻の境にある御野立公園にスーパーでおにぎりを買って出掛けてきた。前に来たときに手前の方のキャンプ場を散策したいと思っていたので出掛けた次第である。休みなので子連れが多いかなと思ったら一組の家族とアベックだけだった。途中バードウオッチングの人が一人、それとカメラよりもレンズのほうが大きいのを持っているご夫婦が2組散策していた。春先はバードウオッチングの無料バスが動いていると聞いているから鳥が多いのかなと思ったが余り鳥を見かけることはなかった。
池のほとりの大きな石に座り、おにぎりをほおばる。あめんぼうや鯉が数匹ゆっくり泳いでいる。ご飯を上げるが食べる事はなかった。普通の鯉だと集まってきて争って食べようとするのだが山の池ではご飯は知らないのかななんて思ったりして、公園といっても山の中を歩くようなもので人影もなく静かである。車一台通れる位の道が交差していたがこれが旧中山道だった。峠といっても山越えである。昔の人は大変だったと思う。帰りはその中山道を岡谷寄りに下りてきたら高速道の上に出た。そこに神社があってその脇から水がたくさん流れていて飲めるようになっている。独特の味がしておいしい。 散策して何も考えないで木々や木の葉を見ていると落ち着いてくる。自然はいい。
2009年9月19日土曜日
自転車
前にいた所は多摩丘陵の一角だったからもっときつかった。息子たちは駅前まで自転車で行ったが落差が大きいので私は手前の公園の駐輪場に置いていた。多分3、4階のビルの高さの差があったと思う。谷の部分が道路で山?の部分は住まいになっているような感じだから隣の駅まで陸橋を渡って歩道だけで行けるような所だった。
そんな事が頭にあって、ホームセンターで6段変速の自転車を買ってきた。図書館に行ったり、土手を走ったりと少し乗りこなし、インターネットで注文していた速度計が届いたので取り付けて、速度、距離とカロリーが出る簡単なものである。早速図書館にそして湖の畔にあるプ-ルで歩きと泳ぎを隣のハイツでお風呂にと出掛けたが水泳の道具を忘れたので、お風呂には早すぎるので諏訪湖一周を試みた。
ゆっくり水門を抜け湊方面から上諏訪のほうに向かう。こちらは湖を埋め立てて道路と遊歩道が出来ている。アジサイと湖衣姫の墓があるので有名な小坂観音を右に見て、ガラスの里から左折して、あの汚泥の中に金が出るという下水道処理施設とすわっこランドを横に見てさらに行く、この辺は建物も少なく岸辺も木があって湖の自然さが残っている。少し走って原田泰治美術館があり、館の前や駐車場が砂地になっているので浜辺のような雰囲気がある。さらに湖寄りに左折して、マリーナを過ぎ、旅館街に入る。歩道は自転車禁止のようだが無視してゆっくり走る。花火を上げる初島を前にして水辺公園になっている。人はまばらでゆったりした感じで芝生の上でねっころがって少し休む。
旅館街を脇に見て、そこからさらにゆっくりと走る。下諏訪に入り、ジャスコに寄って今川焼きを買って一服する。この辺はすぐ深くなるので釣り人が糸を垂れている。間もなく体育館の隣の諏訪湖ハイツに到着。1時間半、17キロ、何時になるか分からないが次回は逆コースでもう少し早く走れるように頑張ろう。尾骶骨が痛い。ゆっくり温泉に浸かり帰って来た。ハイツから家まで土手を走って来たがそれほどの坂でないのでほっとする。股関節が気になったがそれ程でもなく安心する。走行距離25キロ、諏訪湖一周のチャレンジを無事終える。 平坦な地を行くのはそれ程難しくないが塩嶺峠のような所は無理。信仰のチャレンジはこのようなものかもしれない。平坦は自力でもいいが峠は自力では駄目、無理な所を他力で乗り越える。それは信仰、簡単ではない。
2009年9月18日金曜日
読む本
昨日東野圭吾の『手紙」を図書館から借りてきて一気に読んだ。解説に「強盗殺人の罪で服役中の兄、剛志。弟、直貴のもとには、獄中から月に一度、手紙が届く・・・。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人の弟」という運命が立ちはだかる。人の絆とは何か。いつか罪は償えるのだろうか。犯罪加害者の家族を真正面から描き、感動を呼んだ不朽の名作。』と書かれている。
貧しさがこれほど重く、せつないものであるかを思い知らされる。どこかダブるところがあるからだろうか。貧しさゆえに兄は人を殺し、強盗殺人犯の弟であるが故につらく苦しい人生を歩まなければならない。そんな兄との関係を断ち切って、新しい人生を歩もうとするがそれができない事を最後の最後で匂わせて弟の葛藤が伝わってくるようだ。一言でいえば理不尽であり、それが社会の常識になっているのも事実である。小説の故に甘さも希望もあるような気がする。
以前から思っていた。人生において、私たちの努力は微々たるものではないだろうか。多くのものは備えられていて、その上に少々の努力があるような気がする。「殺人犯の弟」いう備えられ方もある。しかし弟の周りには善意の人たちがいて、彼を支えてくれている。「人は一人」では生きていけないのである。たとえ過酷な運命が待っていてもその周りに善意の人は必ずる。イエス様は言う「立って歩きなさい」と。
2009年9月15日火曜日
希望の国のエクソダス
昨日の「クローズアップ現代」は希望について取り上げていた。学としての希望学なるものがあることを初めて知る。そのなかで「希望の国のエクソダス」の中にあるポンチャンが国会で「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」といった言葉が文字として入っていた。
現代の日本の姿を的確に示しているような言葉のような気がする。希望とは今どうであるかが問題ではなく、未来に何があるかが問題であるはずだ。そして志向しているのはみな違うものがあって当然である。短絡的かもしれないが「何でもある」ということは価値観の矮小化を見るような気がする。どんな生き方をしても良いではないかその人が満足して生きているならと思っている。でも現代はそれを許してくれない。狭い価値観に人を束縛しそこから外れるともう落伍者のように人扱いをしない。
福音書時代のユダヤ人は非常に狭い価値観であるように思う。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と イエス様は言われた。そしてよく安息日に癒されたことが福音書に書かれている。そして彼らはそれを喜ぶのではなく、安息日を問題にしている。何が大切であるかが逆転している。「何でもある」日本は狭い価値観になりやすいのではないだろうか。「そのままのあなたが素晴らしい」という題の本がある。それは立派でなくていい、どうしょうもなくてもいい、イエス様が「 わたしがあなたを愛していることを知らせる。」 rev: 3: 9 このことを知ることが大切なのである。
2009年9月14日月曜日
続き
その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。 」と書かれている。奴隷であっても妻や子供と一緒にいる事を選択することは家族を愛しているからだろう。それは主人に一生奴隷として仕えることであり、これは大きなチャレンジではないだろうか。キリスト者に問いかけてくるものがあるような気がする。
もう一つは「お贄柱」というのがある。先のとがった150センチ角の柱で昔はこの柱に少年を縛り、そこに短刀を持った人が現れて殺そうとするがもう一人の人が現れて助けて解放する。初期の少年は生贄として捧げられたが残酷なので止めたようである。上社の裏に当たる南に直線距離で地図上では4キロのところに守屋山がある。1650mあるが駐車場が1300m位のところにあるから実質350m、東京の高尾山は599mあるが同じような感じである。守屋(モリヤ)山、少年がささげられたとくれば創世記22章にあるイサクのことを思い出す。係員は鹿の耳を割くこともお贄柱がどのような意味があるのか分からないといっていた。聖書にこんな事書いていますよと教えてあげたかった。小さな駐車場に3台ばかり他県ナンバーの車が止まっていた。それなり興味を持っている人がいるのだなぁと思った。相模ナンバーのバイクの青年は熱心に資料を見ていたがどういう興味を持って来られたのだろう。
昨日は
いつも彼の話は面白いし的確に話をされて感心する。福音をストレートに話され、聞く者にチャレンジを与える。今回は珍しく「日本社会と聖書」という題でスライドを使って話をする。古事記の冒頭に創世記の冒頭に似た文章があるがそこからと茶道について話をしてくれた。日本の文化は聖書の影響を受けているものがたくさんあるようだ。一般の人がそれを知らないだけだろうと思ったりしている。ユダヤ人にとってイザヤ53章は誰であるか議論されていると聞いている。しかしキリスト者はすぐこれはイエス様であることを理解したように、日本で行われている行事が聖書のここの事であるなんて誰もがわかるときが来たら面白いなぁ。
息子より若いが教えられることが多く感謝している。一緒に来られる兄姉が誰が来るのだろうと思うことと合わせて毎月が楽しみである。
2009年9月12日土曜日
いきいき実践塾
長野県に引越して来て、何か地域との係わりを持ちたいと願って応募したが入学式に出ただけで、その後は坐骨神経痛で休んでしまった。すぐには出れないので辞める旨伝えたが様子見て治ったらということで1/3を過ぎてからの出席である。皆さんシニアから引き続いてのベテランであり、私は右も左も分からない新参者である。
自分の興味あるものには労をいとわないが興味のないものには、それが大切なものであっても重い腰は上がらない。そのことも含めて私には新しいことばかりのチャレンジである。頭は痛くならないが元々フリーズしてしまう方なのでどうなるか心配でもある。難しそうだが固い頭も柔らかくなれるかな、。
2009年9月10日木曜日
T姉妹
細かく書かれていて、よく分かったが夫婦愛の素晴らしさをまた姉妹の苦しみを窺い知ることができ、坐骨神経痛で眠れない夜を思い出しながらこんなものは蚊に食われたようなものなんだろうなと思った。入院しているときの家族の見舞いの様子を見、集会での礼拝に渇望している様子を見るにつけ、家族愛、兄弟姉妹の愛の深さを教えてくれる。かつて伝道者のO 兄は「生きる」ことに執着していたのを不思議に思っていた。私のようにリタイアした者と違い、働きの半ばの観もあったのだろう。T兄姉も同じようなものがあるように思えた。何事にも前向きなのかもしれない。「生きる」ってそういうことなのだろうな。イエス様が身近に覚えらる。祈れるとともに状況が分かって感謝。
アクセスしたのは12時近かったがそのまま最初から読み始めて、読み終えたのは夜中の1時半だった。特別遅くなったという事でもなかったが夢中になるとこうなる。
祈られていることの素晴らしさを覚えながら、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」luke:19:10 の言葉を思い出し、祈りの端にも載らない群れから離れた人たちのことを思う。
2009年9月7日月曜日
花火
以前はさっとあがって消えていく花火にどこかはかなさを覚え、それに混むのが嫌いだからあまり好きでなかったが今は単純に喜べばいいと思うようになった。今回は花火を見たいと大会に来た人を対岸に近いところに誘って見たが雨で散々だった。反省を込めて、来年は朝早く並んで券を取って人を誘うかと思っている。来年の話は鬼が…。
2009年9月5日土曜日
ベテスダの池で
神殿からすぐ近くにありながら城壁にさいぎられて別世界になっている。日本人流にいうなら信仰心の篤い善男善女が神殿に御参りし、幸か不幸か城壁一つ隔てた向こうに、悲惨な情景を知る事も見る事もなく、満ち足りて帰って行く。たとえ城壁がなくても「良きサマリヤ人のたとえ」ではないが見ないようにして行くだろうなと思ったりもしている。彼らにとって「義」や「聖」とはどういうものなのだろうか。自分の義とはこういうものかもしれない。神の前にどれだけの意味があるのだろうか。
本間俊平は学校に劣等性がいるのは優等生が本当の優等生でないからだと言われた。自分だけが優秀だなんてどうだろう。劣等生と共にいるのが真の優等生なのかもしれない。優等生とか劣等生なんて死語かな。
イエス様がエルサレムの神殿ではなく、ベテスダの池に目を向け、生きたいと願いながらも生きるのに絶望している人に語りかけ、愚痴としてだけでなく、彼の心の叫びとして受け止めておられたのではないだろうか。愚痴や心から叫びたいと思っている人って結構いるのだろう。身近に聞いてくれる人がいるって幸いなことだ。そういう意味ではイエス様は最高である。
イエス様は「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と言われたがこの事を見るとまさにそうだと思う。 「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」 とも言われたが彼らにとって人を生かすより、安息日が大切な事がよく分かる。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。」とも言われた。宗教指導者に対してイエス様の強烈な問いかけがあるような気がする。しかし彼らは何もわかっていなかった。心しなければと思う。
2009年9月1日火曜日
パレスチナ
パレスチナ問題を2千年前まで遡り、メシア待望の中に現れたイエス・キリストについても触れていた。旧約聖書、新約聖書、コーランについても話されていたが一般の人にはあまり知られていなかったことではないだろうか。ユダヤ人にとっては聖書は旧約のみであり、キリスト教徒のみが旧新であること、マホメットにもついても話されていた。その後のユダヤ人の歴史は誰もが知っていることである。
第二次大戦のイギリスがやったパレスチナにおける二重契約的なことをやったのにも触れてほしかった。キリスト教がローマで国教になってから堕落の道を歩んでいたように思える。福音書の時代の律法学者やパリサイ人は今日のキリスト者が最も近くにいるように思えてならない。
2009年8月31日月曜日
Mちゃん
Bloggerの方は素敵なブログである。わたしは字しか書けないので、たとえコメントがあってもどのようにしたら良いか分からないことをいいことに何もしないというか出来ない。この方もお気に入りに入れて読んでいる。自然体?で、色々と多方面にわたって書かれているので感心する。
最近「Mチャン」について書かれていた。多分伝道者のK兄姉の子供さんではないだろうかと思っている。最近結婚したことを書いていた。以前集っていた集会のW兄姉が菅平らの帰りに寄ってくださった。その時姉妹が娘さんの話の中にそのことをチラッと言われたのを思い出した。以前K兄が娘さんに相応しい兄弟がいないようなことを交わりの中で話されたのを頭に残っていて、多分彼女の物事に囚われない性格を思って言ったのだろうと思い結婚は無理かな、結婚するにしても教会人かな等と思っていた。だから姉妹が結婚されたことはとてもうれしい。いいクリスチャンホームを築くだろう。
姜尚中さん
これからの日本を論ずるには大局的な観点から見て、行動していかなければならないことは分かるが一般大衆の視点を見失ったら国は必ず滅びると思う。ナショナリズムは弱者の視点に立てない。イエス様は「剣を取る者はみな剣で滅びます。」と言われた。 事実剣を持って戦ったユダヤ人は滅び散らされたが十字架を甘んじて受けたイエス様は滅んだように見えたが勝利したのである。このパラドックスをクリスチャンは知っていてもそれだけのような気がする。
2009年8月27日木曜日
黒部ダム
豊科インターから案内図を見ながら走ること50分扇沢に着く、走りながら聳え立つ山は違うがどこか菅平へ行く道を思えださせる。広い駐車場と駅やレストを見ると山奥にあるようには思えない。4台のトロリーバスで狭いトンネルを走る。これがあの映画にもなったトンネルかと思うと感慨深かった。丁度中ごろに例の破砕帯があって、たった80m、それに走れば15分に満たない狭いトンネルなのに如何に困難だったのかを思い巡らす。
黒4ダムに到着するが220段の階段で高い展望台に行くか、逆に階段を下りてそのままダムの堰堤に行くか迷ったが階段を上がることにした。坐骨神経痛で運動不足になっているので足腰を弱めていたから少し不安だったが大丈夫でほっとする。湖の広さは特別でなないがダムの高さと虹のかかった放水、それにそそり立つような山々に圧倒される。
ダム堰堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者慰霊碑が建設されており、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれていた。メーンの脇だったから人はまばらであったのが少し残念な気がした。資本金を上回るといわれる借入金をしてまで決断した経営者の姿勢に感心すると同時に彼らの犠牲はさらに忘れられてはいけないことだろうと思う。犠牲となった家族は誇りに思っているのだろうか。
堰堤を渡る先にケーブルカーの駅があって、そこからさらに上にある黒部平に行く、といっても建物と広場がある狭いところだった。ここからロープウェイで大観峰に行くが標高差500m弱、全長1.7キロゆっくり動いているようだったがすれ違いの速さに驚くがそれだけた地面から高いのだろう。
ここから反対側の室堂へトロリーバスで行く、2450mホテルがあり、温泉があり、山小屋?もあり、それに警察の出先もある。そそり立つ山と池も幾つかあって実に広い。沢の部分だけでなく地肌がむき出しているのが気になった。霧が峰をごつくしたような感じを受けたが実に散策するに良いところだ。観光客も多く賑わっていたがそれほど気になることもなく散策できた。14℃少し風があったから持っていった冬のコートを羽織って丁度良かった。立山から室堂もまた違った趣がありそうなので何時か行ってみたい。
帰りは安曇野で温泉に入ってきた。自治体でやっているような温泉のようだった。もしかしたら伝道者のN兄姉の家は近くにあるのではないだろうか。時間があったら江口喜源冶記念館に寄りたかった。小さな記念館だが内村鑑三と交流があり、明治のキリスト者の地元の若者への教育に対する熱き思いが伝わってくる人である。
今日整骨に行く、ふくらはぎが痛くなっているのをみると如何に運動不足になっているかが分かった。回復は信仰ともどもに楽しみにやろう。
2009年8月23日日曜日
選挙
彼の支持する政党は出ていないと思っていたら比例区に出ているという。正直言って好きでない政党であるが彼のために1票を投ずるか等と思っている。そんなことを思っていると結構いい加減だなぁと思いながら案外こんな形で投票する人もいるのだろうなと思った。
今回は民主の圧勝が伝えられているがなんか小泉現象の二の舞になりそうな気がする。多分次ぎの次あたりから目に見える形で分かるのではないかなと漠然と思っている。自民にしろ民主にしろ、どちらにしても若い政治家が活躍できるようになってほしい。それと議員を減らして政策で勝負をするのを期待したい。その時はもう地上に…。
2009年8月22日土曜日
山下清式発想
私も難しいことは分からないから聖書理解もこの手を使っている。キリスト者が増えるには聖書も信仰も大衆化しないと?少し乱暴か。口語訳の聖書から新改訳に変わった時、口語訳は意訳が多いから原語に忠実な新改訳がいいんだと言われ、原語に忠実でも分かり難かったら意味ないジャンと思った。聖書が一部の人たちの者であればそれで良いが新聞を読める程度の人にも合わせてもらわないと思う。と書きながら小難しく考えたりしている。
2009年8月18日火曜日
塩嶺御野立公園
最近TVでもっとも短い祭りとして紹介された「塩嶺御野立記念祭」はこの中にある。明治天皇と昭和天皇が訪れて、その記念碑の前で、ただ一言「礼」で終わる。この後の塩尻市との懇親会がどちらかというと目的らしい。その脇に展望台があって、ここから諏訪湖、八ヶ岳、北アルプス、富士山を一望することが出来る。眺望が良いのは千メートルを超えている所為もある。
かなり高いのに水が勢いよく流れており、その水の音を聞きながらおにぎりをほうばる。ただそれだけのことであるが自然そのままがとてもうれしい。ささやかな楽しみでもある。今回は上のほうのキャンプ場に行ったが今度は下のキャンプ場に寄ってみたい。それと足が回復したらこのハイキングコースから高ボッチ、鉢伏山へとチャレンジしてみたい。
2009年8月17日月曜日
花火大会
帰ってすぐシャワーを浴び、食事が出来なかったので食べ、彼は運転するので少し休んでもらった。彼女と少し話ができてとても良かった。東京生まれの東京育ち、結婚して関西での生活は戸惑うことが多いようで大変そう。彼女の周りも然りのようだが?
12時過ぎたので起こして、スイカを食べて少し寛いで出掛けたが翌日電話があり、数分で行くインターまでが2時間かかったと云われびっくりした。混むことは分かっていたが2時間もすればスムーズかと思ったのに、分かっていたらバイパスに案内すればよかった。後の祭り、学習するとはこのようなことなのであろう。
昨日は上諏訪まで行き、足湯に浸かり、8時半からの花火を待つ、湖岸には家族連れで花火をあげたり、散策したりしていたが、人はそれほどでもなかった。それだけでどこかのんびりする。そんな中で目の前の花火を満喫する。その前に対岸からの岡谷の花火を何か遠くから見るようにして見たがあまり迫力がない。来年は少し考えて券を買うような算段をしないといけないかなと思う。
2009年8月16日日曜日
続き
何時からか主筆から編者になったが内容は多岐にわたり、最近は集会の週報に載せてある短いコメントを載せている。私にとって示唆に富んでいて参考になる。聖書の学問的なものだけでであれば続けて購読しなかったと思う。誌の名前のように十字架と復活、そして再臨の信仰が行間から溢れ出てくる。いつかお礼の手紙書こう。
「イスラエル・トウデイ」が廃刊になり、「十字架の言」も終刊になった。寂しいがある意味で聞くだけの者から実践せよとの主の声であるかもしれない。折に触れ読み返してみたいと思っている。
2009年8月15日土曜日
「十字架の言」誌終刊
15年前に交通事故による全身麻痺となり、その時点で誌の継続は無理だと思っていたのに、一時中断しそうになったが、今日まで続けられたのは奇蹟というほかない。思えば、今は旧約学の大家であるTさんが学生の時、一時同じ集会であった。あの当時車で仕事をしていたので、杉並方面はよく行っていることを話をしていたら、西荻窪にある待晨堂で「ヨハネ伝講義」を買ってきてほしいと頼まれたのがきっかけである。何度が通ううちにそこのご夫婦と親しく言葉を交わすようになり、聖書関係の本を良く買ったった。そんな中で20頁足らずの「十字架の言」を見つけてそれから継続して読者となる。
前後して買った「ロマ書講義」1~5巻は私に大きなインパクト与えてくれた。
「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」 rom 8:21 、22
救われて間もないころで、自分の救われたことを喜んでいた。イエス様の十字架と復活、そして再臨が人だけでなく被造物全体が贖われることを待ち望んでいることをそこに書かれていることを知ったとき、自分の救いの捉え方の小ささと、神の救いの壮大なご計画を教えられて感動したことを今も昨日のように思い出す。
2度しか直接お目にかかったことはなかったがといっても言葉を交わしたわけではなく、講演会の時と祝いさんの告別式が登戸学寮で行われた時にお見かけしただけである。疲れているようで、車のシートを倒して休んでおられた。住まいは新百合ヶ丘だから遠くはないのに、その頃から既に体力的に弱っておられたと思う。そんなんで声をかけ損ねてしまった。
私の信仰の歩みの指針を示してくれた方でもある。それは集会の信仰と少しずれる結果にもなっているのかなと思う。Tさんがまだ集会にいた頃、その集会に若い青年が、興味があって来たようなことをいわれたら、興味を持ってくるところではない真理を探究するところだと叱っていたことを話てくれた。無教会信仰の伝道者として、どちらかというと福音に重きを置いた方ではないかと思う。その方は高橋三郎先生です。
2009年8月13日木曜日
愛するということ
作業所に時折お母さんが手伝いに来られる。その方たちと仕事の段取りをしながらお話しすることも多い。軽い世間話から子供の将来のことをフッと漏らすちょっと深刻な話と色々である。そんなときに思ったことは、私と彼らが事故にあって、私が亡くなったら可哀想にと思っても自分の子供が助かったらほっとするだろうなと思った。ハンデイがある分お母さんの思いは強いような気がする。
愛情いっぱいに育った人、どこかスポイルされて育った人、それがどこかに現れる。彼らを理解するにはそのことをも判断しないといけない。作業をしているとそれだけではないこともあるが。そんなことを思いながら神様と自分の関係を思ったりもした。彼らが神の視点を正してくれたような気がする。減点主義の神ではなく、こんな神に愛されているのである。
「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。 」isa:63: 9
2009年8月12日水曜日
このところ
そんなのにペン?が進まない。お盆休みということにして自分を納得させている。ここでは暑さ寒さはお盆までのつもりでいるが今年はどうだろう。お盆はどこにも行くつもりはないが後半には黒部に行きたいなぁ。この年になると今行けなかったらもう行けないかもの脅迫観念がある。
2009年8月5日水曜日
パンくずを拾ってる?
知っている教会、本人は分からないだろうが宣教師を通して知っている人もいる。書かれているものによって、あぁあのことかとかあの人かとかと、或いはそれは誰それですよと教えたくなるときもある。クリスチャンの世界の狭さを感じるときでもあり、知らないことが多いなぁと感じるときでもある。またキリスト教の多様性のようなものを感じる。キリスト教界では少数派であり、原理主義的?信仰者の集団であるから、信者はともすると井の中の蛙のようになってしまう危険性がある。それを信仰といってしまいばそれまでだが、心しなければならないと思うが難しい。
わたしは否定的になりやすいからつい批判的になる。気をつけなければと思いながらも流される。思うにつけ、自分の育ったこの否定的さは病的なのかなと思ってしまう。それだけ傷の深さを思い知らされる。戦中に生まれ育って、幼いときに負った傷は本人の自覚以上に大きいのかもしれない。ただこの時代の状況を見たら誰をも攻められない。そういう煩悶からキリスト教に触れ、罪を指摘されなくても既に知っていた。そして救われ、主に癒されたはずだった。しかし長い信仰生活で垢がついて、現実主義になり、湖上のペテロのように主を見る前に目の前の現実を見て、その先が見れない。
信仰は目の前の現実を直視しながら、主に信頼することなのだろうがこれが難しい。しかしこれがなければ先はない。主が私に教えてくれるのは、大きいことではなく、小さなことに目と心を向けることであろう。人それぞれ教えられるのは違うがそれで良い。
そして、「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」hos: 6: 3
2009年8月2日日曜日
話し終えて
話し終えたら感謝はするが反省しないで忘れることにしている。割と引き摺る方なので、一つは落ち込まない為、努めて過去に生きないために、もう一つは誇らないため、と書きながらどこか引き摺っている。
結構時間食うからそれから解放されるだけでも良い。切り替えて他のことも出来るので終わるとホッとする。それと調べたりしながら勉強になることも有りだから感謝かな。それと自分が思っていることと現実のギャップの大きさに気づかされる。
何時だったかいつも見ているブログに、ある教会の名前が載っていた。福音館という名前に興味を持って、アクセスすると牧師のモットーが「元来教会のイメージは堅い、暗い、面白くない、難しいです。その逆ををとって温かい、明るい、楽しい、分かりやすい教会であることを心がけております。」とあった。これは良いと思ったが、話をしていて、本人が旧来の教会のモットーそのものだから無理ジャンと思った。罪を笑って話せるように努力しよう。
2009年7月29日水曜日
朝から
この間泳げるようになったとTVのニュースで流していたが一般の人が泳げるほど綺麗にはまだなっていないようだ。それでも一時に比べたら大分良くなっているとのことだった。下水が完備してきているからだろう。それに地元有志で浄化に取り組んで来たことをドキュメンタリーで放映していた。こういう人たちの働きは見逃せない。
ハイツの近くで餌をあげないでと看板が立っている所で餌を一生懸命あげている人がいる。それを黙ってみている私がいる。東京にいるときも野良猫に餌をあげている女の人が何人か見かけた。最初は汚いからと思ったがそのうちこの人たちは独り身かご夫婦だけで、猫に餌をやることが唯一の楽しみで、それによって癒されているのかなと思うようになった。実際どうなのか分からないがそう思ったら文句も出なくなった。
東京にいるときは猫や犬をわが子のように可愛がっている姿を良く見かけた。しかしどこか異常な感じを受ける。それでいて人に対して優しさとか思いやりがない。小さいときは貧しかったが相互扶助の精神があったような気がする。農家でもあり、個より群れを大切にしている村だからだろうか。村八分という言葉があるから個は存在してはいけないのかもしれない。日本では個は自己中になるのかな。個を大切にするということは相手の個も大切にするということだ。こちらに来てさらに村意識の強さを感じる。
一ヵ月後には衆院選挙だ。民主が政権をとっても、良くなるとは思はないが自民でも若い人たちが活躍する場がないと無理だろうな。小泉さんよりひどい結果が出そうな気がするが日本が変わる変わり目の中での歪みたいなものが出るのはしょうがないのかもしれない。群れが変わるということは簡単でない。「ぬるま湯のかえる」的現状に危機感はない。国民に媚を売らない憂国の士は何処に、でも拍手喝采で受け入れるととんでもないことになるのは早晩決まっている。
戦後、日本を立ち上げた人たちの中にクリスチャンがいたことを誇りに思う。日本の理念の根底を支えてきたのではないだろうか。まさに地の塩、世の光である。しかしクリスチャンにはあまり評価されていないようだ。否ムシロ非難を受けるのが精々かな。
2009年7月25日土曜日
すべて新たに
自分の信仰生活の中で願っていながら実践していないもの、或いはそれしようとすると出来ないことが書かれているからだろうかと思う。根底にdo 的信仰があって、be的信仰は頭の中にしかないのかもしれない。
もう一度読んで、コメントを書こう。その時はすらすらと読めそう。
2009年7月23日木曜日
久しぶりかな
諸集会にいると「聖書のことば」にこだわる?ことが多いような気がする。聖書のことばを忠実に守っていこうとしているからだろうか。被り物もそうだがほとんどの教会では、かつての習慣として捉えてやらない。諸集会では幾つかの意味をこめてやっているから譲れない。互いに信仰としての相互理解はここでは難しい。
初期の教会の信者はユダヤ人だけだったから問題があってもその問題は共通だったと思う。しかし、ヘレニストが加わり、異邦人が加わることによって、問題の質が全然違ってくる。ユダヤ人は割礼や律法を守ることが第一だった。異邦人にはあまり意味のないことではなかったのではないだろうか。逆にコリントの信者には近親相姦的なことは特別なことではなかったと思う。しかしユダヤ人の信者にとって、びっくり仰天なことだ。
「偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように…」(使15:20)と決めたことはすごい。でも割礼の問題からこうなったのだがユダヤ人信者にとってこの選択はそう簡単なものではない。正しいと信じていたことがどうでもというより否定されたらどうだろう。現代に当てはめたらすごいことだ。この水と油のような存在をキリストによって一つとされていること、互いに認め合い、キリストを賛美する初代教会の信者はいらいなぁ。諸集会の信者に爪の垢を煎じて飲ませてあげた~い。まずお前から飲めと言われそう。
2009年7月19日日曜日
祈り
最初の子供が生まれるときは、「五体満足で、もしjそうでなかったら、それを受け入れられるように」と祈ったことを思い出す。「母子ともに健康が守られますように」と祈っていたが、結論が出たわけではないから、これからも同じように祈るが健康な赤ちゃんが生まれてほしい。そうでなかったらそれはそれで祝福が形を違って与えられるだろうと思っている。お二人を思うと心痛む。「主よお二人に平安を我らに祈る力を与えてください。」
2009年7月15日水曜日
梅雨明け
坐骨神経痛で外にあまり出られなかったが、少し歩けるようになって来たから足を伸ばして行こうかなと思う。霧が峰のニッコウキスゲも今シーズンのようだから楽しみだ。ささやかな楽しみだが自然に学び、この素晴らしさを享受したい。願いはハイキングコースの山を歩きたいがまだ無理だし、出来るか分からない。今出掛けられるようになったことが感謝であり、恵みであることを教えられる。今それで充分。
2009年7月13日月曜日
歯の点検
8020という言葉がある。80歳で歯が20本以上保とうという運動で財団まである。歯が丈夫なときは何も感じなかったが最近硬いものを噛むと痛むことがあるので硬いものが食べ難くなった。歯の所為で食べ物を制限するなんて初めてだが改めて健康であることが恵みであることを実感している。
これからは歯磨きは毎食後にやるようにして、尚且つもう少し丁寧にやろうと思う。入れ歯になったらおいしいものも食べられなくなる。この歯で噛んで食べられるということは精神衛生上大切なことだと実感した。今から備えないと失ってからでは遅い。それに付け加えてゆっくり食べることにも気をつけないとと思っている。
2009年7月10日金曜日
紫陽花
以前行ったときに上から坂の部分というか崖を見て、たいしたことないなと思ったがそんなに広くはないが階段を上がり通路に沿って歩いていると身近に見える紫陽花は雨に濡れてきれいだった。何時も思うことだが紫陽花は梅雨の季節にぴったりで濡れていないと綺麗ではない。お天気が良いと陸に上がった河童のように実に冴えない。
2009年7月9日木曜日
やっていることが
私が興味あることは他の人にはあまり興味ないみたい。協調性もなく、我が道を行く者としては当然の結果か、それでもめげずにわが道を行く。たとえどうであれ、好きなことが出来ることは感謝である。それ以上は私の範疇外である。イエス様も余り回りに合わせるという姿勢はないみたい。ただ罪人といわれている人たちには滅法熱くなるそこが好きだ。キリスト者がイエス様をこのように捉えていいのかな?
2009年7月8日水曜日
霊的祝福
申命記 28章 2節に
「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。 」とある。それはこの地上の祝福に過ぎない。勿論素晴らしいことではあるが、霊的なものはない。
エペソ書は何度も読んだところだが何時も読み過ごしていた。自分はともすれば地上の祝福を指向しているのではないかなとフッと思う。健康、経済、安寧を求めているような気がする。確かに病気やお金がないことはつらいこと、しかし考えてみれば生きるのに不便であっても地上だけのことにしか過ぎない。勿論どうでもいいというものではないが、この辺を切り替えて生きて行けたら開放された気分になるのだろうな。
2009年7月7日火曜日
はじめの一歩
久ぶりに温泉に行くが明らかに良くなっているのが分かる。前は通路を歩くだけで難儀だったし階段も使えなかった。今回はお尻の骨と膝から下の筋肉に軽い違和感はあるが普通に歩けた。大いなる進歩である。多少違和感が残るのが憎いね。
完全回復は分からないが体の複雑さと微妙な感覚はすごいなぁと思う。今までは当然のように受け取ってきたものが恵みであることを改めて知る。主が来られるか召されるかどちらかを経験してすべてが分かるのだろうな。その時はもう次元が違って、こんなものは思うに値しないのかもしれない。どちらも経験できる時代に生きてといっても初代教会の人たちも主はすぐ来ると思われていたようだ。人間に時間はあっても神にはないか。このことを通して、今までと違った主の素晴らしさを覚えられたら最高。
2009年7月3日金曜日
息子から
前に電話あったときにもしかしたら仕事を辞めるかもと云っていたが辞めていた。すでにその時は辞めるつもりでいたらしい。医者に行って薬をもらっているとのことそれに保険が失業保険より多くて、1年半出ると云っていたがどうなのだろう。行こうと思ったがいいとのことで困ったら連絡しろといっておいた。
出入り禁止になって、3年からになるらしい。キリスト者として、親として色々考えさせられた子だった。息子に大人としてはまぁまぁだが親として零点といわれた時には自分も否定しなかった。というより肯定していたように思う。どの程度子供たちに伝わったか分からないが親としては、多くの面で欠けていたことは謝った。自分の生い立ちの負の部分があって、こうなったことを伝えたように思う。
あの子を通して、キリスト者として問われ、また集会のあり方も考えさせられた。集会は悔い改める者には門を開くがそうでない者には律法学者やパリサイ人と同じかなと思った。イエス様のようにその人のところに行くということはできない。集会には色々な人が集まっているから群れを牧する者の難しさは分かる。親としてというより、キリスト者として、信者が増えてもそういう人をスポイルして本当の祝福といえるのだろうかと思ってしまう。
勿論、息子が主の前にどう立つかが問題であるが、それよりも自分たちが息子を主に委ねて、結果はどうなってもそれを受け止めていけるようにと祈っている。田舎を出るときは就職と形で出てきたがどこか「逃げ」があったことを大分前に教えられた。それが信仰に、そして諸々にとなったのかなと思う。今はINGだが逃げないで受け止めようとしている。そういう意味で息子は何かと教えてくれる師であるかもしれない。感謝だけれど痛いことが多いから正直程々にお願いしたい。
2009年7月1日水曜日
思うこと
健康であることの有り難さを再確認させられる。そして体が如何に脆いものであり、壊れた体は時には修復不可能になることもある。そして感謝の薄さを実感する。しかし抱えきれない祝福があるではないか、主が身近に見えるではないか、ハレルヤと賛美ができるではないか、それ以上の何が必要なのか、「わたしの恵みはお前に充分である」然りアーメン。そして河野進牧師の詩を思い出す。
「病まなければ」
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇跡がある
病まなければ 聞き得ない御言葉がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない
2009年6月28日日曜日
考えるとき
自分の中に何もないことをこちらに来て再確認された。ある意味で厳しいものである。しかし少し経つとそこから歩めばいいと思えるようになった。人が自分に何かを求めていようがいまいがそれはあくまでの相手の問題である。常に人は自分の利益を求めているものである。それが相手にあれば良しとされ、無ければ切り捨てるのである。そこに存在していることの大切は無い。そこにあるのは益を受けるか受けないかだけである。そしてそのことに振り回されている感がなかったかなと反省している。そこに自分は無い、人にどう見られているかが大切なのである。こちらに来るときに教えられた詩がある。
サミュエル・ウルマン
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
2009年6月27日土曜日
松本サリン事件
狂気というほかはない、理念があるわけではなし、感情の赴くままに行動した結果は恐ろしい結果を生むということを教えたくれた。そしてその下で何の疑問も持たないで従った優秀な頭脳集団、かつて為政者の中にこういう類の人たちが多く出てきたのだろうな、ソロモンの息子レハブアムも王となったときも然りだ。現代でもこういう優秀な頭脳集団は存在し、活躍しているのだろうな。
前日フジテレビ系列で河野義行さんをモデルにしたドラマをやっていた。少し抑えた観があって、当時の映像とインタビューを交えてのいいドラマであった。ここで二つのことを教えられる。ひとつは前からだが河野さんの冷静な姿である。「命あるかぎり」のなかに「麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。」多くの人にとって過去を引きずって煩悶しているのにすごいと思う。人生は過去に生きるのではなく、前に向かって希望を持って生きる大切さを教えてくれる。
もう一つは人は過去の知識の中にしか生きられないということだ。ドラマの中に刑事が農薬の調合からこうなったと捉えていたようである。実際もそうだったかもしれない。これはサリンという知識がないからこういう発想しかできない。誰もが経験することではないだろうか。だから松本サリン事件があったから地下鉄サリンはすぐ理解でき、オーム真理教の事件であることが分かった。
福音書の中にイエス様と対立する律法学者やパリサイ人も、彼らの聖書や律法の完璧な知識の中にイエス様の言動が一致するものがなかったように思える。クリスチャンは聖書を手にして、ある意味でドラマの最初と最後を知っているようなものだ。だから論ずることができる。逆に知っているという思いが彼らと同じ大切な何かが欠落している危険性を持っている。それを避けるのには下に下にと降りていかれたイエス様の足跡を歩まなければ理解できないのではないだろうかと思っている。
2009年6月25日木曜日
つい夢中に
もう一つの408ピースのパズルがあったのでこれも始めたら止められなくなって昨日少しやって、今日一日かかってやっと出来上がった。最後のほうは分からなくてもう止めようかと何度も思った。年の所為か思考能力が衰え、頭の発想が貧困になり、根気もさらに無くなり、三拍子駄目になったことを実感するがでも出来上がってほっとした。
2009年6月24日水曜日
メールが
2009年6月23日火曜日
失うということ
この本を読むまでは神の祝福は与えらていくものだと思っていた。だから与えられなかったら神の祝福がないか不信仰だからと、しかしこの本を読んで、むしろ逆であることを知る。そして間もなく失業するがこれは神からのものと思えた。ここから祝福の視点は変わってしまった。しかし現実の生活は厳しいものがあるが、
本の中にあった詩を。
「宝」
一つまた一つと、神は私から取り去られた。
私がこの上もなく価値ありと思っているすべてのものを、
私の手がからになってしまうまで。
ピカピカ光るくだらないものは
皆なくなってしまった。
私はそれを悲しみながら歩いていた。
貧乏というぼろをまとって。
そして、ついに私を招く神の御声を聞いた。
「あなたのからの手を、私にあげなさい」と。
私は両手を天に向かって差し伸ばした。
神はご自身の素晴らしい富で私を満たしてくださった。
両手で持ちきれなくなるまで。
私はついに自分の愚かな鈍い頭で悟った。
神はすでに満たされている手に、
ご自分の富を注ぐことはおできにならないことを。
「神のすばらしいご計画」より」マーサ・スネル・ニコルソン
もうひとつの祈り
「病者の祈り」
大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
『ニューヨークリハビリセンター研究所の壁に書かれた患者の詩 (作者不明)』
2009年6月22日月曜日
小諸義塾
塾を起こされたのは木村熊二というクリスチャンで内村鑑三と親交があった。内村は何度もここを訪ねている。クリスチャンでないと否クリスチャンでもあまり興味がないかもしれない。何枚かの写真が展示してあるなかで、大きな内村と木村の写真が目に入ってくる。そしてケースの中に入っている写真の中に40人くらい移っている写真がある。これがすごい、明治のクリスチャンの錚々たるメンバーが写っている。
私が名前だけでも知っているのは内村鑑三、新島襄、井深梶の助、津田仙、押川方義、海老名弾正、植村正久、小崎弘道、木村熊二等である。何時撮ったのだろう。内村は無教会主義に、植村と海老名は神学論争で別れている。明治のキリスト教の黎明期を垣間見る思いがする。
2009年6月21日日曜日
笹だんご
翌日実家に行く前に高田屋で笹だんごを知人の二人に配送手続きをして、自分も笹だんごと笹まきを購入する。梅雨時と相まって、笹だんごを手にして懐かしさを覚える。小さい時に裏山に行って熊笹を取りに行き、岸辺にあるヨモギを取ってきたのを母が餡の入っただんごにしてくれたものを笹で包んで菅だろうかイグサだろうか記憶はないが、それで一生懸命に結んだものを蒸してくれた。蒸し上がっただんごを竿にはさんで乾燥して翌日食べる楽しみが走馬灯のように浮かんでくる。笹巻きも然り、笹で三角にして、そこにもち米を入れる。上の部分を笹ではさんで三角に巻いて、これも蒸して、黄粉で食べる。シンプルな食べ物だが餅と同じように好きである。日本人なのかシンプルな味とか料理が好きであり、洋風より和風がいい。信仰もシンプルがいい。「私はあってあるもの」これで十分。
Hyssop様
12年の放蕩ですか、放蕩は帰ることが前提ですからいいですね。クリスチャンは教会あるいは集会に集うのは当然のように言われますが、私は集いるのは恵みだと思っています。人によっては結構シンドイところですから、私は…。G集会は知っている方がいます。2年位前に伝道者のKさんを何人かの方と見舞いに伺いましたが逆に励まされてきました。多分私たちだけではないと思っています。不思議な方です。気が向いたらまた覗いてください。ありがとうございます。
2009年6月17日水曜日
雑感
彼の話を聴いていると難しい話はしないし分かりやすい。発想の豊かさを感じる。私は話しに肉付けしたり、少し角度を変えて話すことの大切は分かるができない。平泳ぎの講習を受けた時、理屈は分かっていても体がついていけないことを経験している。これと同じかもしれない。私の話も骨のみあるいは身の少ない魚のよう、彼のは鯛のように身があっておいしい。彼のようにとは行かないが少し身を入れたいものだ。
S姉弟、おねいさんと弟さんなので、こうなるが兄弟の方はあまり言葉を交わすこともなかった。東京に戻って3年になるそうだが毎週これるようになったのはここ一年といっていた。ユニークさがあっていい、これから集会で福音を語られたいいと思う。姉妹はバプテスマの時と同じ証をしたが繊細さと頑張りを兼ね備えているような感じである。ユニークさにおいては抜群だが普段それを見せないのが不思議である。クリスマスとかイースターに来てほしいと思う。
2009年6月15日月曜日
フルネームで
デジタル時代、セキュリテーがしっかりしているようだけど個人情報はしっかり漏れていくのだろうな。お金は大丈夫でも思想信条、情報操作なんかは簡単にできてしまうだろう。終末の新しいスターとかなんて大袈裟かな。
2009年6月14日日曜日
体に変化?
2009年6月13日土曜日
読者1?
以前にも「ブログの管理」というのが現れて、なんだろうとクリックしたら、いつもアクセスしている方がアクセスしてくださった。教えたわけでもないのになんで分かったのか今でも分からない。気晴らしと文章を打つ訓練のためにといっても訓練になっていないがそのつもりでやっている。普通ブログは公開だが私の場合非公開みたいなものである。ちょっと暗い感じだが…。
2009年6月8日月曜日
ようやく
これで後は坐骨神経痛だけが残っている。これが曲者で一進一退なのか相変わらずなのか同じことか。ドンキホーテキ的発想ですが前向きで行こう。足やお尻の痛さに閉口していて、フッとヤコブのことを思い出した。ヤボクの渡しで神の使いと格闘して、股のつがいをはずされた。股は人間の力の誇示を示すところだと何かで読んだ。ヤコブはあそこで人間的ところが砕かれたといわれる。そういう意味で大変かもしれないが大切なターニングポイントになっている。私にもそうなるか?私の場合は砕かれたら砕け散っちゃうからどうなるか分からない。
2009年6月7日日曜日
最近の思い
これを機会にPCの「お気に入り」を整理して、インターネットからコピーしたのも処分したりしている。あれもこれもから必要なものを絞って処分するものはどんどん処分する踏ん切りがついてよかった。それと不思議と落ち込まないのが不思議である。落ち込んだらずるずると落ちることが分かっているから前向きしかない。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩の中に「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。」この言葉が好きだ。すでに老いているので気持ちだけでも・・・。気持ちだけでなく「主」に信頼感を持って行かざるを得ないのがいい。どうなるか明日は明日で煩いばいいことだ。明日のことを煩う余裕はない。
2009年6月4日木曜日
病院のハシゴ
整骨に2日も行かなかったから昨日は寝れなくて、朝方ようやくコタツに入って少し眠れた。整骨に行き少し落ち着く、しかし座っているとあまり感じないが立ったりしているとすぐ痛くなる。午後に義姉のところに息子が送ってきたものを届けにに行く、義妹もいたのでそちらに渡す分をも届ける。夕方まで正座のような形で話し込んでいたのでまた腰が痛くなる。おじいさんのように腰を屈めて歩くと痛くないのでそんな格好で室内を歩いている。
パソコンをいじっているうちに痛みも薄らいできた。椅子の座っていると痛いのが和らぐが少し歩くとすぐ痛みが走る。今回もそうだったがどこか痛みが違ってきたみたいで、今日は仰向けで寝れる。久しぶりに天井を見て寝る有難さをこんな形で感じる。
2009年5月30日土曜日
アナログ派
若いころは真空管式からトランジスターの初期のテレビを修理していた者としては残念だがデジタル時代のアナログ人間はこんなものだろう。コンピューターの出始めた頃は今までの電気製品とは違ったものだという認識があった。売ることができても扱いないから逆に売り方に専念できたような気がする。時代と共に軌道修正しないといけないことっていくつかあるがこれって大切なことかもしれない。
ブラザレンの歴史のブログを読んでいるが今も相変わらずというところがあるみたいだ。信仰の見解の違いということもできるかもしれないが残念に思う。ちょうど20年前の新聞に武田清子(当時ICU名誉教授)さんが自分の恩師の祈りを紹介していた。
神よ、
変え得ぬことを受け入れる心の平静さを、
変えべきことを変える勇気をわれらにお与え下さい。
そして、これら二つを見分ける英知を・・・
ラインホールド・ニーバー
難しいことではあるが大切なことだなぁといつも思う。
2009年5月28日木曜日
シニアキャンプ
今回はあまり動けなかったからテーブルに座って過ごすことが多かった。それでも前にいた集会の人たちと11時過ぎまで交わっていてスタッフ追い出される。しかしそれからお風呂に入る姉妹もいて感心する。N集会の兄弟は集会のこと話をしてくれた。信仰的な面と人間的な面が微妙に重なる。そういうことを受け入れながら主の御心を求めていく謙虚さが必要かもしれない。色々現実を見ると主の御心から離れている要素ってあるなぁと思う。この間来てくれたO兄が諸集会の問題を話をしてくれたが集会の難しさを覚える。みんな答えは分かっているのだが…。
メッセージはヨハネの福音書からイエス様のこと話をしてくれた。順序だてて、話されて分かりやすい。「イエスの生涯」エゴー・エイミという本を読んでいたのでそれとダブり、こんな風に話を持っていくんだと感心する。CDを注文したから送ってくれたら聞きなおそうと思う。家内が無理して行かなくても、CDなんか注文しなくていいと言っていたに、半分しか聞けなかったからまた聞きたいといっていた。現金なやつだと思ったが同じ思いでうれしい。帰りに少し話ができてよかった。
2009年5月23日土曜日
整骨院
2009年5月21日木曜日
激痛
気持ちなしか快方に向かっているのかなと思う反面こんな風に痛みがぶり返す。そして今パソコンを打っている今は全然痛くないのである。勿論座っている所為もあるのだろう。畳に座っているときは横になっているときの2.5倍、椅子に座っているときは1.7倍の負荷が掛かるそうだ。肉離れのときのようにある角度になると痛い。総合病院に行くか整体に行くか迷う所である。インターネットで見るとこのような人が多いのに驚くし、治るということはどういうことなのだろう。人間の治癒力にも限界があるし医者も然りだ。治るのは医者の側にも人間の側にもない。治る治らないは癌でも坐骨神経痛でも同じようなものだなと思う。こんな時どう祈ればいいのだろうと人ごとのように考えてしまう。前日「万事を益」と書いていながら状況によってコロコロ変る本質が出ました。シンドイけど無駄なことではないのだろう。瞼が閉じそうなので終わる。
2009年5月20日水曜日
勉強会
今日はご主人がいないとのことで脱線しながら11時まで交わっていった。一人は一人でいいものである。娘さんの出産で6月は無理で7月も難しいからこれが最後になりそうだ。半分もいっていないが読むだけでも分かるものだから残りの資料を渡しそうとコピーしていたのに話に夢中になって忘れてしまった。今日来れなかった姉妹は別な曜日がいいので、それに合わせていけばそれはそれでいいかなと思っている。「万事を益」としてくださることを思い知らされる。と書きながらお尻が痛い~。
ブログ
それぞれ発信者の意図のようなものが見えるとそれなりに面白い。はっきりしたテーマもあれば、日常の出来事を淡々と書かれているのもある。そんな中で山形の小さな教会の牧師のブログはほのぼのとしていている。開拓中の教会らしく、牧師の家で集会を持たれ、家族と云ってもご夫婦に小学校低学年の二人のお子さん、それに二人ばかり信者になりかけの方?だけの小さい教会のようだ。それだけで何処かほのぼのとしてしまう。牧師としては人が増えてくれないと困るだろうが。
山形という地の所為もあるのか、はたまた牧師の持っているものか、子どもさんや来られている方に対する暖かい眼差しが感じられるからホッとする。信者が増えてほしいし、大きくなってもあったかくてほのぼのとした教会であるような気がする。私たちの小さな集まりは10人前後、数では多いがこの暖かさには及ばない。イエス様の愛がこれを成さしめて下さるのだろう。幾つかのことを教えてくれる。他のブログも知的な面、信仰的な面で教えられる。
2009年5月15日金曜日
来信
今日一通の来信があってY姉妹からだった。手がふるいてうまくかけないと達筆で書かれて、さすが習字の先生をやっていただけのことはあるなと感心する。家内に手がふるいてもこれだけ書けるなんてすごいね。手がふるいなくてもこんな字書けないよといったら頷いていた。集会の近くに住んでおられるのだが足が不自由なので自分では来られない。来る時は近くのW兄姉が車に乗せて来られて、帰りに時折送ったりしていた。それと古い方なのだが足が不自由なのととても遠慮深い方なので送迎を断っていた。その時から知っているのでなんとなく気心が知れて、冗談を言って笑わせていたりしていた。言葉を交わさなくても顔を合わせるだけでホッとするそんな人が集会にいるとうれしいものだ。彼女はそんなひとりでもあった。会いない寂しさがある反面、心が通じる人がいることを思い出すだけでなんかうれしい。彼女の几帳面さと優しさを感じさせた手紙でもあった。有り難う御座います。
2009年5月13日水曜日
地域いきいき実践塾
こちらの人との接点を持ち、尚且つ色々な意味で勉強になるものをと願っていたらこの応募を知る。シニアは2年、「いきいき」は1年、2年は長過ぎるので1年の「いきいき」に決めた。モデルカリキュラムには「地域の課題の解決のために」、「地域活動と社会参加活動の企画と立案」、「実践活動」と書かれていたが実際はさわりぐらいかなと思う。介護施設と障がい者の施設に行くのでこれは楽しみだ。
オリエンテーションの時の様子を見ていて、一言で言えないがなんか県民性を見る思いがした。22名で月2回の講習、トータルで15日間、坐骨神経痛もあり、どうなるか分からないが頑張れたら頑張ってみよう。人付き合いの苦手な者にとってどう対処したらいいか勉強になる。それと坐骨神経痛何とかならんかなぁ。
2009年5月11日月曜日
2009年5月7日木曜日
坐骨神経痛
坐骨神経痛、椎間板ヘルニヤという言葉は知っていたが自分に宣告されるとは…。今まで健康だったから色々宣告さえれると年を確認させられる。病気と付き合う術を会得しないといけないなと思う。
ホイベスの詩ではないが年寄りは年寄りの生き方がある。男は頑なになりやすいからその辺を考えて、人生をあるがままに生きることを努めましょう。どちらにしても感謝である。なぜなら「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」からである。
2009年5月3日日曜日
守屋山
駐車場は1300mくらいの所にあるから標高差300m、その途中にキャンプ場があり、そこまで車でいけるからもっと楽で行けるようになっている。それと幾つかの上り口があるみたいだ。最初は少し急な坂を登るが少し行くとキャンプ場まではなだらかな道になる。キャンプ場のすぐ手前には座禅草の歩道があった。それ程広くはないが非難小屋があり、明日が「山開き祭り」だというので地元の人たちが整備していた。ここから頂上まで絶え間なく登っていく、そして頂上付近はきつい坂になった。3人の中年男女が途中で休んでいるので声をかける。東峰と西峰があり、まず東峰に20分位歩くと、西峰に到着する。東峰は山頂と書いてあって1630m、西峰は頂上と書いてあって1650m、山頂と頂上とどう違うのだろう。西峰は少し広くて、既に何組の人たちがいて、昼食を取っていた。
信濃毎日の山岳ガイドによると「この山と諏訪湖の間にはご存知諏訪大社が祀られているが、その大社には本殿がない。なぜかといえば、大社の南に聳える守屋山そのものがご神体であり、昔から観天望気や雨乞い祈願の山としても崇められてきた。雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へつき落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらったといういささか乱暴な伝承もある。、現在は落とされないように堅固な鉄の柵で守られている。 またこのあたり一帯は、日本列島を横断する糸魚川~静岡構造線と、同じく列島を縦断する大断層の中央構造線が交わる地点にあたり、地質学的にも極めて興味深い山といってよい。 なお、この山を南アルプスの最北端として位置付けるむきもあるが、むしろ伊那山脈のそれとしたほうがわかりやすい。ということは、南アと伊那山脈は中央構造線によって明らかに東西に分断されていて、構造線西の伊那山脈の最北端に位置しているからである。 危険個所もなくて登りやすく、展望にも優れた山として人気も高く、信州百名山にもかぞえられている。」と書かれている。
守屋山をモリヤ山ともじるのには少し無理があるが諏訪大社の前宮の御頭祭はイサク奉献につながると云われている。日本の神社はユダヤ教との関連を語られているので、なんとなく登りたいと思っていたから登れて良かった。前宮にある守矢資料館を何時か寄ってみたい。
2009年4月29日水曜日
腰痛
2009年4月28日火曜日
信じるということ
2009年4月24日金曜日
メッセージ
集会はメッセージは45分は最低で1時間が普通、メッセージも罪と救いはきっちり話されるような気がする。福音主義ではあるがしかしと批判される方もいる。わかるような気もしないでもない。話が長いのと内容が堅いのが少し気になるが今は大分工夫しているようにも思う。聖書の使信を損なわれることなく、尚且つ柔軟な姿勢が必要なのだろう。集会はそのような可能性を持っているように思う。と書きながら話すのは…。
2009年4月23日木曜日
2009年4月21日火曜日
おはがき
2009年4月17日金曜日
あんずの里
8キロばかり先の松代まで足を延ばして、松代城址の桜を見て、真田邸に行ったら工事中で周りを見ただけで終わり。入らなかったが池田満寿夫記念館が老舗の和菓子の棟続きに建っていた。信州は記念館がたくさんある。町も駅も小さく、でも風情があるなぁと思った。桜は城址より隣の中学校のグランドのほうが多かった。勿論それも眺めてそれなりに満足した。
帰りは上田から和田峠を通って帰るつもりだったから、上田城址の桜も見ていくことにした。もう葉桜になりかけていたがまだ人出もあり、何とか駐車出来て見物する。お店も出ており、結構賑わっていた。もう満開は崖の上にあるしだれ桜だけ、でも思ったよりは広く、それなりに良かった。
最後を帰りの途中にある「旧宣教師館」の建物を見て、市の施設の温泉に入り、いい気分で帰ってくる。200キロの運転でした。帰ってきて、定額給付をもらったら食べようと云っていたうなぎを食べる。お店で食べるのは何年ぶりだろう。岡谷はうなぎの街らしくうなぎ屋が多い。もう年の所為で、それ程疲れなかったが翌日は何もしなくてただのんびりして過ごさざるを得ない。
豊科の聖書店に行くがその時は川島芳子記念館により、帰り道に松本か塩尻のどこかで温泉に入ってくるつもりである。自然の豊かな信州を満喫とは行かないがそれでもその良さを体験したいものである。勿論温泉に入りながら、そこから神様の素晴らしさを覚えたい。主が与えてくださったチャンスと思っている。 チョッとオーバーか。
あんずの里に行く前に豊科のインターで下りて、わさび田に寄った。時間的に早かったか時期的なのかそれ程人も来ていなくて、広いわさび田をゆっくり廻ることが出来た。自然とわさび田の美しさを堪能するはオーバーか。でも絵になる風景だと思う。家内が興味がないので寄らなかったが10分くらいの所に井口基源治記念館がある。普通の家の建物だが内村鑑三の資料などがある。信濃教育の一人でもある。そこから多分10分位で伝道者のN兄の家がある。碌山美術館があり、安曇野はいい所だ。
水泳教室
今回も初めから教わって、お互い既に教わっているのだが相変わらずは同じでここでも何処かホッとする。でも私より彼女の方がうまそうな気もする。呼吸と浮くことと前に進むこと基本の基だがすべて難しい。前回よりも基本的なことを入念に教えてくれているから解り易い。あるいは一回聴いているからかもしれないが。今回で何とかターンして泳げるようにしたい。そうでないとプールには入れないような気がする。
私は何事も自己流で水泳も浮くくらいならできるがそれ以上は出来なかった。雪国育ちだがスキーも正にすベれるだけでターンとかはあまりうまくない。今は滑れることすら疑問である。わが道を行くタイプなのであらゆるものが自己流である。信仰も然り、ある時から?が良くつくようになり、まさにトマス的信仰である。そうなさしめた一つに、聖書から明確に語られていくなかで、知識、信仰は素晴らしくても、その人が変えられていないのではと思わされていることである。聖霊の働きにはそのことを含んでいないかのように見える。
私たちのうちにある闇を不信仰や罪として片付けていないだろうか、そういう形ではないような形で直視する必要があるような気がする。偶像崇拝とか罪に関しても然りだ。パリサイ人が汚れると避けていたことをイエス様は平気でやっていて、勿論汚れることはなかった。キリスト者もその危険性を持っているような気がする。偶像はいづこに・・・。
2009年4月12日日曜日
2009年4月9日木曜日
高遠の桜
帰りは近くの桜の湯という市の温泉かなそれに入って、少しくつろいでから高速ではなく一般道から杖突峠へ、峠のお店に入り諏訪市街、茅野市街を眼下に、その先にある八ヶ岳や蓼科山に、それに車山を前に美味しいコーヒーを飲みながら眺めることが出来た。八ヶ岳も市街も何時も見ている景色と違い、趣があってよかった。来週は千曲市のあんずの里へ、そして温泉にと今度の話の準備を脇に検索している。
2009年4月7日火曜日
タイヤ交換
以前だったら雪が降っても一二回位だからチェンで良かった。しかしこちらではそうもいかずスノータイヤを取り付けたがほとんど必要がなかった。雪が降っても車が走っている道路は雪はすぐ溶ける。でも雪は降りだすとあっという間に積もっていくから怖い。タイヤ交換も面倒だから頼もうと思ったが時間もあったのでゆっくりやればと思って始めたが中腰でタイヤを持って腰を痛めてしまった。若くないことを実感させられた。こういうことをして年を実感させられていく、これも感謝なことかもしれない。神経が侵されたライの方は血が流れるほどの大怪我をしても痛くないという。痛み苦しみがあるのは正常である証拠、大切なことかもしれない。しかし神に対して、人に対してどれだけ痛みを感じれるだろうか。
2009年4月5日日曜日
2009年4月2日木曜日
東京から
家を9時に出られ、家は板橋だから都心の首都高を抜けて来るので大変だったのではないだろうか。2回ばかり休憩して、ゆっくり来ましたと言われたが覆面パトカーも走っていたと言われていたので、それなりのスピードで走ってきたなと思った。チョッとお茶を飲んで失礼すると言っていたが、首都高がラッシュになる前にと、ほんとに小一時間位で帰って行かれた。うれしいけれどもなんか申し訳ない気持ちが強い。
兄弟は祈りのときにみことばのみで祈る。若い時に年配の兄弟が良くこのような祈りをされるので何処か懐かしさを覚える。聖句を暗唱するのが苦手な者としては驚異の何ものでもない。ただ読めばいいというものではなく、みことばを味わいながら主をさらに身近に覚えられると言われ、自分は対極にあるなぁと自覚させられた。私より三つ上、色々な意味で対極にある。頑張るには年を取り過ぎたし、このキャラで主に信頼していけたらと思う。兄弟は糖尿を患いながら食事療法で大分健康が回復したが姉妹は脳梗塞を患っているので歩くのがチョッと不安定みたい。これからも主のお守りを祈る。恐縮が先にきたが静かに主に感謝する。
2009年3月31日火曜日
ギルガメシュ叙事詩
本は諏訪の3市2町1村の図書館から自由に借りられる。長野県は県立図書館からもインターネットで借りられる。インターネットで検索すると諏訪広域の図書館の所蔵や予約、貸し出し状況ががすぐわかるから便利だ。諏訪市に「信州風樹文庫」という図書館がある。岩波書店の創業者の岩波茂雄は諏訪出身で、戦後間もなくから岩波の出版されている本を寄贈されている。それを所蔵している図書館なのだ。だから岩波書店の聖書関係の本もたくさんある。インターネットで予約できないのに手にしたらその名前だった。この本は岩波書店から月本昭男訳で出版されている。
訳者が学生の時に集会が一時一緒で、お母さんは北関東のM集会に集っている。一月の群馬の学び会にお会いしたら、今年91になると言われ、元気そのもの「昭男さんはいろいろ活躍されていますね。本も出されていますが高くて難しいので読めません」と言ったら、細かいことは忘れたが、あまり興味がないようなことを言っていたような気がする。旧約学では大家と言われる人だがお母さんにかかっては形無しだなと思わず苦笑いしてしまったことだけは覚えている。
結婚した時には無教会関係の集会に集っていたが結婚式には来てくれて、八木重吉の「神を呼ぼう」という詩集をプレゼントしてくれた。この本で八木重吉を知り、好きになって、今もたまに読んでいる。多分私が好きになるだろうと思ってくれたのだと思っている。若い時に軽井沢のキャンプで交わったりしたのが懐かしい。あのような人が集える集会であればブラザレンも今とは大分変った集会になっているだろうなと思ったりする。無理とは思いながらも…。数年前、降りる駅で偶然会って、やぁやぁで終わって失礼した。顔と髪型はちっとも変わっていなかったが髪が真っ白になっていたのが印象的だった。
2009年3月27日金曜日
奇跡のリンゴ
農家に育った者としては、農薬の功罪を知っている。昔父が手紙の中に、今は楽になった農薬で草取りをしなくていいと書かれて良かったと思ったが、それから大分経ってから田舎に帰った時、魚取りをした用水用の小さな川が植物も魚もいなくて生物のいない川を見て、複雑な気持ちになったことを思い出した。木村さんと回りの農家の気持ちも分かるような気がする。どうも木村さんのリンゴは不ぞろいで、傷もあるようだ。それでも美味しいからと買ってくれる人たちがいる。スーパーで形のそろったきゅうりなんかが並んでいると、明らかに農家で細工をしているなと思うことがある。消費者は外形にこだわる。工場で作るのではなくて自然相手であるから不ぞろいが当たり前、それを拒否する姿勢に憤りさい感じる。
レイチェル・カールソンは沈黙の春にDDTが人体に危険であることを指摘している。それも戦前ではないだろうか。小学生の時、女の子の頭を真っ白にしたあのDDTである。フレオンガスは私たちに快適な生活をもたらしたがオゾンを破壊している。公害の原点である水俣病は企業の営利を優先した結果だ。沈黙の春にも企業と役所が同じようなことをやっていることを見る。利便性を求めれば、弱いところの人が犠牲になる。
農薬のことでこんなことを書いたが逞しくなったリンゴの木を見て、過保護ということばを思い出した。現代は何から何まで過保護だなぁと思う。キリスト者も然り、私なんかもその最右翼だ。それを知ったからといって逞しくなれるとは限らない。
2009年3月26日木曜日
2009年3月25日水曜日
読み終えて
昨年のクリスマスに千葉にある集会のI兄姉が来てくださった。姉妹は音楽の専門家なので、姉妹の指導で月に一回賛美歌の練習を集会でやっている。みんなで賛美しているときに、ご主人である兄弟の音程はしっかりしているように思えた。集会で歌の指導をしてくれる人がいないと歌うことがどうしてもしりつぼみ的になってしまう。
以前いた集会は賛美が好きな兄姉が多く、一人の姉妹は聖句に曲をつけて、集会で歌集にしようとしている。聖句歌と言うとムーラン兄を思い出すが雰囲気が大分違うのでとてもいい感じがしている。それでも新しい歌は苦手だが。
礼拝賛美歌を1991年から賛美した番号を控えているのを昨年整理して、賛美していない曲が割と多いのと、200番は61回、10番は42回、28番は41回、7番が37回、212番が31回も賛美していた。パラパラとめくってみるとあぁこれもいいという賛美歌は多い。はるか昔にクリフト兄と大谷兄が作ってくれた賛美歌の伴奏のテープがまだ手元にあったので聴いていたら結構知っているがあったのには驚いた。
礼拝賛美歌は集会関係だけだが聖歌は福音的な教会で使われている所為か範囲が広いような気がする。黒人霊歌の400番などは歌詞ともに好きで歌の世界に入ってしまう。心の思いを賛美の言葉で代弁してくれるし、自分もそのことばの世界に入っていけるのがいい。祈りであり、メッセージであり、主との交わりでもある。賛美歌を作られた人たちの思いを知ると自分も主の思いの中に入っていけたらと思う。
なおもみめぐみをなおもみすくいを
なおもわがためにみうせし主をしらん
なおふかく主をなおふかく主を
なおもわがためにみうせし主をしらん
聖歌594
to doの前にto be
数年前に「do」でなく「be」であることが良く云われていたような気がする。工藤信夫さんが言われていたのだろうか。英語の分からない私でもこのくらいは説明してくれればわかる。以前いた集会の責任者の一人にこのことを話をしたら何の反応も無いのにがっかりしたことが鮮明に覚えている。「あなたは高価で尊い」と語りながら、どこか「be」である前に「do」を求めているような気がする。私の偏見か。
新潟にある敬和学園の初代校長である太田俊雄さんが生徒の言葉として、「労働者といって働かない先生と労働者じゃないといって働く先生がいる」とこのように先生を評価していることを書いていた。「いる」ことが大切と言って、ただ「いる」だけの私としては耳が痛いが、まず何をするかではなく「いる」ことの大切さを絶えず覚えていく必要があると思う。何か出来る人は自信過剰に、出来ない人は自信喪失になっていく傾向はそのことを示しているのではないだろうか。そしてキリスト者としてどうあるべきか、その根底が問われているような気もする。
「お前は自分をどう思おうと勝手だがお前のために私はいのちをかけた」とそんな声が聞こえるようだ。この方に何時も応答できるようになりたい。
2009年3月24日火曜日
賛美歌・聖歌ものがたり
賛美歌に興味ありというより、著者に興味があって、どのようなことを書いているかそれを知りかったかというのが本音である。ナウエンの本もそうだがこれも著者の信仰の真摯さを伺え知ることができた。所々飛ばして読んでいるがルター以降のキリスト教の歴史を少し知ることができたことは収穫である。ネルソン・ダ-ビーの名前が出てきたのには驚いた。といってもブラザレンの初期に活躍した人くらいにしか知らないが。
聖書を読み、キリスト教関係でも興味のある本しか読まない私にとってそれがすべてだが宗教改革以降も社会の状況でキリスト教も変遷があるのだなぁと改めて教えられた。賛美歌はそういう意味ではキリスト教の側面史であるのかもしれない。
2009年3月21日土曜日
小泉山(こずみやま)
高速で一番高い1千メートルチョッともすぐ近くだし、高さだけで内容を言わなければ感心される。美ヶ原高原美術館は2千メートルに少しかける。建物のテラスは多分2千メートルと書いてあったと思った。信州は山にしろ、峠にしろ、1500メートル位のところまでは車で行けるところはいくつもあるようだ。信州では別にどうってことないが東京や他では感心されるかもしれない。5月の連休には守屋山にと誘ってくれた。1600メートル、1時間半は掛かるそうだがここも結構高いところまで道路があるから高さは何百メートルかもしれない。それでも今日のようにいかない。
何時だったかメールをくれた北関東のT兄がU先生のブログを見ているらしくて、「あそこに書いてあったのはもしかして・・・」と書いてあったので事情を説明したが、だから特別何というわけではない。いうなれば運転手みたいなものなのである。それだけのこと、先生の本質的な話は難しくて相当噛み砕いていただかないとわからない。それと集会のような福音の伝え方には疑問を持っているようだった。裁きが先に来ると人は身構えてしまうからわかるような気がするが。本質的には変らないのだろうが。表面的なことをどう取るか、内面まで掘り下げることができるか難しいことだ。
以前いた集会だとどこか傍観者的でもよかったが小さいところだとそうも行かない。それと好きな本を読むにしろ、聖書を読むにしろ、自分の思考にそっていた。それとメッセンジャーの話が理解できるためにという意識があった。今はそういう意識は通じない。具体的な話の中でも、交わりの中であってもそれは許されないのかなと思う。わが道をいくものとしては寂しい。物が良く見えてもそれだけでは駄目で具体的なアクションをしないといけないのかなと最近教えられている。アクションできるかどうかはこれはまた別問題だが。
2009年3月17日火曜日
久し振りに
2009年3月13日金曜日
和解
「人が人を許し、人に優しくする事を知ったとき、初めて、その人は心の鎮まりのなかに真実が見てくるのではないだろうか。ひとつ強張りが剥ぎ取られた時、人はすべてを受容する素直さの中に真実が見えてくるのではないだろうか。母が身を以って私に差し出した命題は、まぎれものなく真実を見ることである。…」
12歳の時に母親が書いた本を読み、母親が兄たちの生よりも喜んでいないと曲解し、自ら命を絶とうとする。「何十年と続いた曲解が私の人格をすでに作り、実際に私を苦しめ、母への不信を生み、心細く不安に生きてきた私を変えることなどできない。」
施設に入っている母と、ようやく母子として対峙できるようになった作者の姿を見て、和解の難しさを知る。以前に観た。「おくりびと」も親子、肉親の確執が消えるのは死を通してもたらされる。でも死んでしまったら、和解はできない。
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 2cor: 5:19
2009年3月12日木曜日
母への詫び状
両親が有名な作家であり、優秀な二人のお兄さんと余り出来のよくない妹(優秀な方だと思うが)、お父さんには可愛がられたが、お母さんとの確執が彼女を屈折したものにしているようだった。今は素直にお母さんと接することができるなかで、このようなタイトルになったのかなと思った。
昔、S兄となんかの話をしている時に[俺は屈折しているかなぁ]と云ったら、「云わなくてもわかっていますよ」とすかさず言われて、次の言葉が出なかったことを思い出した。自分がこういう性格だから、こういう人に出会う?と何処かホッとして共感を持つ。
素直になれず意地を張ったり、自ら苦しむのを常とする。疲れる生き方である。素直に生きている人を見ると、この人はいい環境で育ったのだなぁと思う。
自分も父との確執でというより、独り相撲的であったが、しかしこのことは父を大分苦しめたことを後に従姉妹から教えられた。物心がついたころ父は戦争から帰ってきた。父は絶対であったから、私は村上春樹ではないが壁に向かっている卵のような存在だった。兄は跡取りとして逃げられなかったが、私は逃げるように東京に出てくる。父は私たちに暴力を振ったわけでもないし、周りでは人望のある人だった。20代になり、許せない自分に苦しむがどうすることも出来なかった。その前に経験していたことがもしかしたら伏線になっているかもしれない。それを含めて、著者の姿が手に取るようにわかるのである。このことがキリスト教に触れ、聖書に触れるきっかけになったのかもしれない。ついぞ兄は父と和解できなかったようである。もちろん責めるつもりはない。幼い時の経験が人生を大きく左右するものであることを教えられる。そういう意味で人の話を聞く時にはその人のバックボーンを推し量りながら聞く必要がある。肯定的に聞くことの大切さと難しさを覚える。そして、神との和解がすべての始まりでもある。
「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、
今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」 col 1:20、22
2009年3月11日水曜日
鉢植え
こちらで買った小さな鉢植えは、すでに小さい花の蕾を持っていたので、小さいままかなと思っていたら、すくすくと伸びて、大きめの鉢に移し替えたが今も延びている。知らない植物が生えてきて小さなを花を咲かせているのもある。水をやらないとすぐしおれるものやホッといても平気なものと色々である。
これらの物を見ていると命の儚さと逞しさを見る思いがする。寒くなってあっという間に枯れてしまった物、枯れても回復していく物、人間の生命もまさにこのようなものであることはよくわかる。この分かれ目はどこにあるのだろう。生命の神秘は、生きものを相手にしていないと分からない。日常の煩わしさによって見失っているのかもしれない。春を創られた神様をまだ歌えない。
2009年3月9日月曜日
がん哲学
一方、がん細胞は、自らの形に固執しない。与えられた環境(異文化)に合わせて自分を変化させ、そこでたくましく生きる(「郷に入っては郷に従え」)。…自らのあり方にこだわらず、自らを臨機応変に、自由自在に変化させ、たくましく生きるがん細胞の知恵、私たちは学ばねばと切実に思う今日この頃である。」と。
「がんに学ぶ」と著者がどこかで語っていたように思う。細かく書くつもりはないがキリスト者にも何か生き方を示しているような気がする。「大酒のみの食いしん坊」、どう見てもラビの姿を連想できない。これがイエス様の姿である。こんなことを書くのは最後にしたい。
2009年3月5日木曜日
集会
集会の信仰というのがあるのかなと思ったりしている。前のところで見ていたからわかっていたはずだが実際携わっていないから、客観的か責任者がそういう行き方ならそれはそれでととチョッと人ごと的だったから実感できなかった。今、聖書は何を語っているか、基本の基を改めて考えさせられている。示されること学ばされることがあることは感謝である。今頃は禁句、教えられる時がその時、年も信仰生活も関係なし、そしてその分、吹っ切れるものもあるし、少し謙虚にさせられたとこも有りである。
2009年3月4日水曜日
2009年3月3日火曜日
タイプ
タイプと書いて、思い出した。私の最初の仕事は、博物館にもない和製タイプライターの組み立てをしていた。組み立てといってもドリルで穴あけしたり、タップでねじを切ったり、鑢で削ったりで3日くらいかけて仕上げる。10数人の新人の中で一番成績が悪かったから工場長の雑用係りをさせられる。仕事が遅いと文句を言われて、出来ないものはしょうがないと内心思ったりしていた。ある時ひょんな事からイラク早くできるようになった。工場長が不思議そうに部品をチェックして、このことがきっかけで、やってみるかと言われて、大枠の組み立てをさせられる。同期がそれをやるころには、次の全体の組み立てをするようになった。何が幸いするかわからない。それに普通より早くできちゃうので、研修に来ている地方の代理店の子に教えたりといっても、ほとんど組み立ててあげていた。懐いていたので、辞める時に泣きつかれたのを今でも思い出す。
和製のタイプライターはワープロが出来てからも大分経つまで、公文書には必要ではなかったかと思う。文字盤があって、活字を拾うのはやさしいが画数によってタイプを打つ力を加減しないと印字が濃くなったり薄くなったりする。タイピストはそこを上手にやる。中古をリメイクして、廉く(といっても高かったように思うが)商業高校に販売していた。今でいうとパソコンみたいなものである。これは人気があったみたい。
それと三越だったかキーパンチされている顧客カードに宛名の印字をしていた。これは封筒に何度も宛名を印字ができる。もしかしたらこういうもののハシリではないかなと思う。半世紀近く、製品は博物館にもないとなると私も以下同文、生かされていること自体、め・ぐ・み・である。感謝であるがナイナイ尽くしの人生も時にはシンドイ。
2009年3月2日月曜日
「幸せ」とは何か
「金融危機に入る前だったが、日本にあこがれて来日したインド人が『確かに日本は(物質的には)豊かでキレイな国だけれど、いい国だと思えない。なぜなら街で会う人たちが、誰も幸せそうな顔をしていないから』と語ったという」。そして最近ニューデリーに行った印象は、貧しいけれど元気で溌剌としていると書いてあり、翻って日本はどうか、大学生の大麻事件やインターネットの中にあふれる中傷や脅しの書き込み。いじめや引きこもりの問題、個々の問題ではなく、本質的な原因に目を向けなければならないはずだ。と書いておられた。
そう言えばマザーテレサも日本に来られたとき、同じような感想を述べられていたと思った。心を大切にしてきた日本人は、それを何処かに捨てたのかなぁ。何か大切なものが無くなっているという感覚はある。それが何であるかはわからない。キリスト者も内面が変えられてないと、この流れに乗っているのではないだろうか。霊性というと難しいが内面的なものが満たせるものが必要な気がする。それには価値観の転換というか「わが道を行く的」自己の価値観が必要だろう。具体的には難しいが。
あるギャップ
聞くほうは神の善悪とは?とか質問されて困った。神の善悪って?これは人間に適用されるもので、神には悪がないからと考えたこともなかった。確かに神の前に正しいか間違っているかという点ではある。「善悪」とあると人間の側の善悪と直結するからおかしくなるのではないだろうか。「善悪」は人間の側にあるのではなく、全知、全能である神であるからこそ神の側にあるように思える。だから被造物である人間は、せいぜい裸であることがわかるくらいではないだろうか。その結果の悲惨さは人間の歴史が証明している。神から断絶は、イエス様を通して、本質的に「愛」であることを教えられる。感謝である。
2009年2月28日土曜日
整理
集会関係で良くアクセスしているブログがある。何でこんなに集会に拘るのだろうと思っていた。集会には否定的な思いがあったからだろう。読ませてもらって、こんなことから来ているのかとか、色々知っていく中で、集会を客観的に見えるようになった。また集会のうんざりするようなところも浮き彫りになってきたような気もする。そういう変化が整理に繋がっていったのかもしれない。
工藤信夫さんの本を共感を持って読むなか、坂野慧吉牧師の書かれた「スピリチュアル・ジャーニー」を読んで、これが自分の方向付けをしたような気がする。霊性は難しいものではなく、日常生活の中での出来事、時には失敗の中に見出すことができることを知って、このようなものなら私にもと思った。まさに私のスピリチャルジャーニーの始まりである。といっても相変わらずで足踏み状態が続いている。S兄が教えてくれた上沼先生のことも大きかったかもしれない。不思議なもので一般書店で売られていたヘンリーナウエンの「コンパッション」に感動したことを伝えたら、あめんどうという出版社がヘンリーナウエンの本を出版していることも教えてくれた。今日はこのくらいで。
2009年2月26日木曜日
善悪の知識の木
「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。」2pet: 1:20 とある。しかし聖書理解は、きちんと聖書を勉強した者ではないし、へそ曲がり的性格もあって、発想は私的解釈的である。あるいは「聖書は誤りなき神のことば」と言って聖書のことばそのものを提示することへの反発かもしれない。
エデンの園に「いのちの木」と「善悪の知識の木」がある。なぜ「善悪の木」ではなく「善悪の知識の木」なのだろうか。知識に意味があるのかもしれない。既に善悪の知識を持ってしまった人間は、このことから解放されないのではないだろうか。これが正しいか正しくないか。絶えずこの結論を求めているような気がする。結果が悪であっても始まりは善なのである。聖書の論議も然りである。でも異端問題もあるしなぁ。単細胞過ぎるか~。
2009年2月25日水曜日
ブラインドタッチ
最初の分はコピーしたが勉強会が3月に延びたので、また必要になったら、一々コピーするのは大変だからと本をパソコンに入れることにした。ブラインドタッチの練習にもなるからと始めたが上達するような様子はない。B5サイズに横2段、画面を見ながら打つのは楽だが原稿を見ながら打つのは、今どこを打っているかわからなくなるから難しい。でもいい勉強になると言っても相変わらず周辺は見ないと打てないし、それに聖書の引用箇所を入れるのには目で確認しないといけないから進まない。200ページのものがやっと半分終わった。十分間に合うが今度は話すからその準備もあって、来週までお休み。と言ってもチョビチョビやるかも知れない。
以前勉強したものだから、復習するみたいでいい勉強になる。それに上達しないが、それでもブラインドタッチの練習にもなるから感謝である。自分の好きなことやってきたから信仰生活が長くても中身がない。正直いって姉妹たちと勉強会と言えば聞こえはいいが、中味は私の勉強の為が強そうだ。頑張ります。
2009年2月23日月曜日
映画鑑賞
前置きが長くなってしまった。長文は苦手、これで終わりそうな感じでもあるが。観た映画はウィル・スミスの「7つの贈り物」。タイトルに「神は7日間で世界を創造した。僕は7秒間で人生を叩き壊した」ともあり、最初ストーリーが読めなかったが最後のほうでやっとわかる展開になっている。超エリートの彼がスポーツカーで婚約者?とデートしている時、運転中に携帯でメールするが恋人にやめてと言われてもそのままやって衝突事故を起こす。恋人は勿論、相手の車の人たち合わせて7人を亡くす。贖罪のために7人の人たちに自分の持っているものあげていく、暴力を受けているヒスパニックの母子に自分の別荘と車を上げる。実の弟にも何かあげ、黒人の女性に肝臓を上げる。盲人のピアニストには目を、そして最後に心臓移植を必要な女性に心臓を、その女性と恋に落ちるが目的を達成する。自分の大切なものを一つ一つ与えていく、そして最後にいのちを引き換えに、イエス様とダブらせるつもりはないが、何かジーンと来るものがあった。
今「おくりびと」が話題になっている。あぁいう職業があるのははじめて知っただけでなく、亡くなった人に対してあぁも丁寧に扱う姿を見て感動した。いのちの大切さだけでなく、死者を弔う心の素晴らしさ、忘れてはならないことだと思った。父のときも母のときも悲しみはあまりなかったように思う。父のときは棺に伏せて、大声で泣く従姉妹の姿に周りの人たちの涙を誘ったが、私が平然としている姿に家内が後で驚いたといっていた。私は本質的に冷たい人間なのである。あったかいものがほし~い。
キリスト者でないときに観た「汚れなきいたずら」だったか、ぼろ屋のような修道院に戦争で孤児となった子供が引き取られる。その子は2階に上がってはいけないと注意されるが、好奇心が彼を2階にあげる。2階にあるキリスト像に裸で寒いだでしょうと布をかけ、お腹すいだでしょうとパンやぶどう酒をくすねて持っていく、そしてなんて名前かと聞くと「私は与えるのだ」と言われたことを今思い出す。勿論もう細かいことは定かでないが。イエス様は与えるだけで、求めてはいないなぁと。与えるものはないが、エミリー・デキンスンの詩を思い出す。
もしわたしが一人の心を傷心におちいらせないように
することができるなら、
わたしの生涯はむだではないであろう。
もし一人の生命の苦悩をやわらげることができるなら、
あるいはまた、
一羽の弱りはてている駒鳥を助けて、
その巣の中へ再び戻してやることができるなら、
わたしの生涯はむだではないであろう。
こんな形で生涯は無駄でなかったと告白したいものである。
勿論自分の力ではできないから御霊の働きが自由に働かれるように。
2009年2月22日日曜日
今日は
福音書を見るとイエス様は大勢の群集に語っているところもあるが、基本的には個々人に語りかけているように見える。特にヨハネの福音書などはそれを感じる。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 luke:19:10 誰も見向きもしないし、誰も気がつこうとしない、そのようなところに目を向けるということは孤独な歩みである。イエス様だからできるが、わたしにはもちろん無理だが理念を失わないようにしたいものである。
2009年2月20日金曜日
久し振り
2009年2月19日木曜日
読み終えて
本質ではないが、人の側に闇があるのはわかっていたが神の側にも闇というか御自分を隠される方であることが分かっただけでもよかった。引用されていたイザヤ書45章、ルターの詩篇の講解での18編、そして「隠される」ということばはたくさんある。箴言25章には「事を隠すのは神の誉れ。」ということばもある。闇はネガティブなものだと思っていたがもしかしたらポジティブなものではないだろうかと思わされている。ネガもポジもどう理解しているか疑問だが。父親の実家を訪ねたりしていたから「父」のことを書かれると思う。その本が出版されて、それを読んだらこの本をもっと良く理解できるかもしれない。
本を読み終えて、頭が整理されていないからうまく書けないが、福音的ということばの理解は、もしかしたら一面的な面しか見ていないのではないだろうか思わされた。このことをもっと整理してみたい。ここでは独り言のように書けるし、飛躍があり、独断があある。イエス様の食卓から落ちたパンくずを拾うつもりが…まさに独り言である。
2009年2月17日火曜日
一人の姉妹の死
私にとって死は身近なもの、死に対して苦しさとホッとする二つの感覚を持つ。それだけ生きるということに対して強くないのかもしれない。50代後半につらい思いはなかったが目の前に死がちらついて、思わず苦笑いをしてしまったことがあった。救われたのは死にまつわることがきっかけであって、そのことを思い出したからである。
人の強さってなんだろうと思う。強くても心を失っている場合もあるし、弱くても心豊かな人もいる。丈夫?な人もいれば病弱な人もいる。パウロも自分の弱さを誇ろうと言っている。弱さは生きるにはシンドイけど大切なような気がする。この大切なものをキリスト者でも軽視していると思えるときがある。それは神から自立しようとする罪がここでも生きている。死というものは色々なことを考えさせてくれる。ご両親の心の平安を祈りりつつ、主は与え、主はとりたもう。「○○さん、そのうち天でゆっくり交わろう」。
2009年2月16日月曜日
確定申告
確定申告はこれで3度目である。それまでは還付の申告をして万単位で還付されていた。これが楽しみだったが今は逆に所得税を払わないといけないからこれが痛い。昨年は福祉作業所で働いたので、それが付加して増えたが、今年は半年しか働いてなかったから税は半分ですんだ。リタイアして国保に切り替えたら、金額がいらく高くなっているのでびっくりした。最初は計算違いかなと思ったがそうでもないらしい。収入にスライドしているから今年は少ないと思うが来期から率が上がるそうだからどうなるだろう。
勤めていたときは会社でやってくれるから楽だったが、リタイヤすると全部自分でやらないといけない。国保だ介護だと出費は増えるし、これが年をとった現実かと思わされている。年寄りには優しくない世界だなぁと思いながら今までが楽だったのかなと。それでも国税庁のHPで簡単に申告書を作れるからありがたい。数字を打ち込めばいいから助かる。後ろいた奥さんはご主人が来れなくて今年初めてだと言っていたが我が家もいつかそうなる家内は出来るだろうかとふと思った。先のことはその時考えればいい。ささやかであるが、今生かされていることに感謝。
2009年2月15日日曜日
日曜日
もうひとりの姉妹は家族のインフルエンザで来れなくなったと直前に連絡あった。もう収束しつつあるのだろうが大事にならないように祈った。このように連絡をしてくれることは有り難い。次の週もお二人は来れない。さらにI兄姉も仕事関係の会議かでお休み、小さな集会にとっては痛いが、今まではI兄姉は集会があるので休むことが出来なかった。それができるようになったことは感謝かもしれない。ご苦労さん、仕事終わったら二人で楽しんでください。ささやかであろうが。
今週は確定申告、水曜日には姉妹が勉強会に来る。先週は祝日もあって息抜きしたが今週は少し頑張りましょう。
2009年2月14日土曜日
福音
2009年2月12日木曜日
最近 2
それと2,3日前から図書刊行会から出版されている「だれでもわかる聖書の教え」をワープロで打っている。3月から使うのでコピーすればよいのだがブラインドタッチの勉強にもなるので始めた。一日一章を目標にしているが少し難しい。色々と勉強になっているが、こんなことをしていて馬鹿みたいだなぁと思わないでもない。馬鹿みたいなことをやるのが私の趣味でもある。イエス様もそんなところがあるからうれしい。
2009年2月11日水曜日
2009年2月10日火曜日
最近?
ウィークリー瞑想はわかるけど神学モノローグは難しい。モノローグの方はS兄のメールがきっかけで作ったようなことを書いていたと思った。最初にHPを読んだときは新鮮に感じ、それとメールをしている中で、田舎の従姉妹が結婚している人の弟さんが札幌で牧師をしており、中学の一年先輩に当たる人でもあることも先生を通してわかった。神学舎で教わったK兄は余り印象がよくなかったようだが、名古屋?で会ったときは大分印象が違っていたようだった。その旨話をしたら「私も色々ありましたからね」と言われたことが印象に残っている。
東京で何度か小さい集まりに誘われて、諸集会と違った見方に興味を受けた。昨年引っ越して、近況や出版された本の内容と自分の内面をダブらせたことを4年ぶりでメールしたら覚えていて返事くれてからメールのやり取りをするようになった。東京を離れ接点もなくなったから寂しいなと思っていたら、先生のお父さんの実家が飯田の元善光寺である事からまた接点を持つことができ、これからも進展しそうな予感がする。
2009年2月9日月曜日
2009年2月5日木曜日
2009年2月4日水曜日
続き
渡辺徹さん司会でアシスタントにNHKの女性アナウンサー、ゲストはKANさんと寺井尚子さんというジャズバイオリニスト。それに地元の森田さんという高校生のチェロと三澤さんという、うなぎ屋さんがサックスと友人3人でうなぎ音頭を歌ってくれた。東京フィルハーモニーが出演していたのだから、もっとクラシックを聞きたかった。バライテイ番組だから無理か。渡辺徹さんも素を見るのは初めて、スリムに見えたが最後にもそのことを皆さんに伝えてと言っていた。痩せたのかTVは太って見えると言われるからその所為かわからない。はっきりとした言葉で話をしていたのが印象的、自分もたまに話すから気になっている所為かな、家内は満足でしたが、チョッと物足りないような、それでも楽しかったひと時でもありました。
昨日
入力するものもそれ程ないので楽、昨年は保険が少し入ったをうっかりそのまま入れて、税金がそれなりになって、住民税、国保税がリンクしているから国保税がびっくりするほど上がった。というよりは、その前が安い給料で算定した保険料だったのかもしれない。訂正の手続きが出来るのかなと思ったが払えるなら払いばいいと思っている。
私はよくうっかりミスをする。そのときに思うのは、神が隠されたのではないかということだ。それならそれでいいのではないか、そこで損失をこうむっても主が教えようとしている何かがあるのだろうと思うようにしている。戦前の人だが、本間俊平はどん底の中で収入の何倍の税金が来ても、神が払いといっているから、それを訂正しようと交渉することはなかったようなことを本で読んだ。一緒にするには程度が違いすぎるが。
2009年2月1日日曜日
話し終えて
サムエル記のダビデとバテ・シェバから話をした。少し角度を変えて、常識で考えたら明らかに悪いことであっても、そのことに気付かないことが、私たちにある一般論的に話し、ナタンの譬え話で怒るダビデの姿を「正義感」と捉え、これは人を裁き、赦すことができない。時にはそれを自分自身に向ける。ナタンは「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。」と、神は「赦す神」であることを、家内からは今一の感をもらった。聞き返したが、私としてはまぁまぁ上出来、人がどう捉えたか考えない。鞭木牧師は話した後は何も考えない。「先生、今日はよいお話でした」といわれた時は、あぁ今日は駄目だったの思うようにしている。そして翌日山に登ると言っていた。面白い牧師だ。牧師と一緒にするつもりは毛頭ないが。
その後、家内がダビデは悔い改めたから赦されたと言ったので、違う赦しがあったから悔い改めることが出来た。放蕩息子は帰ってきたから、父は受け入れたのではない。出て行った時に既に受け容れていた。だから帰れたとしつこく言ったら家内沈黙、
集会で受け容れられるか分からないが、福音の根幹に関わる事だと思っている。私たちの世界はギブアンドテイクの世界。それならば悔い改めたから受け入れたとなるが、神の世界はテイク、テイクの世界である。でもこんなこと理解されないなぁ。そこが集会の一つのネックのような気がする。独り言。
2009年1月31日土曜日
一月も
そして寒い2月はどうなる。体も気持ちも縮こまる時期だが、気持ちの上でプッシュ出来るようにしたい。立ち止りそうになったら、自分の背中を押そう。何もしないで失敗しないより、何かをして失敗したら、自分を否定しなしで肯定しよう。
人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。prov:29:25
2009年1月30日金曜日
苦手なもの
小学6年生の時、担任の先生が作文についてこんな話をしてくれた。魚に例えて、いい作文、悪い作文とは云わず。肉のたくさん付いている魚と肉が余り付いてない細身の魚のようなものだと。
そう、肉付け出来ずに骨だけに近い、味も素っ気もなく、尚且つかじると骨が刺さるという代物である。話す方も大変だが聞かされる方は更に大変だ。でも「神の愛」だけは何とか伝えたいものである。と準備を脇に置いて書いている。そして話の後のことなのに、一人の姉妹に頼まれた使徒の働きの梗概を作っている。あ~…。
2009年1月29日木曜日
無題
朝起きてデボーションをする時、最初にノートに2,3行、感じたことを書いている。今朝は寒かった3℃だったとか、昨日の出来事や感じたこと、今日のことについて色々である。実に他愛のないものばかりである。
書くとは直接関係ないが、以前O宣教師という方がいた。顔は日本人なのだが中身はアメリカ人、このギャップに戸惑ったことを経験している。どうも聞くところによると本人もそのことで悩んでいたらしい。この方が礼拝などに祈っていると何かの時でもスッと立って祈ることが出来る。主が立たせてくださると言うのだ。このことだけは良く覚えている。
以前いたところは兄弟が大勢いて、祈る兄弟は少なくても、時間がなくて祈れないということが良くあった。割と祈っているとスッと立てるがそうでないと大分間が空いたような時に重い腰を上げるという経験を良くした。今は兄弟が3人しかいないから嫌でも?祈らないといけないし、最初に祈っている。
高齢者の仲間に入っているから、覚えるとか記憶するということは限りなくゼロに近づいている昨今だが、書くことも祈ることも心がけていると、それなりに回路が働いてくれているのかなと思っている。
2009年1月28日水曜日
続き
二者択一の世界?
このことを考えさせられたのは、福音書の中で、律法学者が食事の時に手を洗わないで食べることはない。汚れるからである。しかしイエスさまは何時もかどうかはわからないが、手を洗わないでも食べる。でもイエスさまが汚れたということは書いてない。ということは手を洗わなくて汚れることはないということだ。これは宗教的儀式、大袈裟に言えば欺瞞ではないだろうか。イエスさまはこの欺瞞を嫌われた。
聖書では「自分のために、偶像を造ってはならない。」と書いてある。しかし拝まないという意思表示の為の偶像としてはいないのだろうかという疑問が湧く。「わたしのほかに、神々があってはならない。」こちらがあって、後のことばがある。日本においては、広い意味でキリスト者でも幾つかの偶像を持っているように思う。葬式の時だけ偶像崇拝をしませんというのも、なんかナンセンスのような気もする。
オセロゲームのように白か黒の世界なら分かるが、生活の場では白と黒の間にグレーゾーンがある。躓きになっても如何と思いながら、この世の中と接点を持つためには、グレーゾーンに手を突っ込む必要があるような気がする。チョト勇気と確信がいる。それに霊性も問われるだろうな。
2009年1月27日火曜日
パンを焼く
ドンドン新しいのが出ている時代に20年も経った製品を使うのは貴重かもしれない。引っ越し案内を出した以前お客さんだった方が、「最近とうとう冷蔵庫が駄目になりましたが洗濯機はまだ良く動いています。保証書は昭和53.5.27で、この家に引っ越して来た日で色々な思いがよぎりました。…30年余り、月日が夢のようです。」とハガキをくださった。とっくに買い換えていると思っていたのに大切に使ってくださっていた。うれしいと同時に、主が用いられるのはこのようなものではないだろうか。人が捨ててしまうようなものを主は拾って用いる。どこに価値を置くか福祉作業所で働いて教えられたような気がする。少なくとも人の観点と神の観点は違うようである。