2009年1月31日土曜日

一月も

一月も今日で終わりだ。明日の準備があるのでのんびりとは行かないが、引っ越して半年、去年まで模様眺めの感があったが、半年が過ぎたら少し考えようと思っていた。具体性はないが、気持ちとしてもう少し積極的にと思う。

そして寒い2月はどうなる。体も気持ちも縮こまる時期だが、気持ちの上でプッシュ出来るようにしたい。立ち止りそうになったら、自分の背中を押そう。何もしないで失敗しないより、何かをして失敗したら、自分を否定しなしで肯定しよう。

人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。prov:29:25

2009年1月30日金曜日

苦手なもの

今度の日曜日に話をする。大体2,30分くらいだがこれが苦手、大体こういう話をしようとアイデアは浮かぶのだがその肉付けが出来ない。

小学6年生の時、担任の先生が作文についてこんな話をしてくれた。魚に例えて、いい作文、悪い作文とは云わず。肉のたくさん付いている魚と肉が余り付いてない細身の魚のようなものだと。

そう、肉付け出来ずに骨だけに近い、味も素っ気もなく、尚且つかじると骨が刺さるという代物である。話す方も大変だが聞かされる方は更に大変だ。でも「神の愛」だけは何とか伝えたいものである。と準備を脇に置いて書いている。そして話の後のことなのに、一人の姉妹に頼まれた使徒の働きの梗概を作っている。あ~…。

2009年1月29日木曜日

無題

頭の整理のために書いているが、書き続けると次は何を書こうかと思うようになる。ブランクがあるとそう思いながらも何も浮かんでこない。

朝起きてデボーションをする時、最初にノートに2,3行、感じたことを書いている。今朝は寒かった3℃だったとか、昨日の出来事や感じたこと、今日のことについて色々である。実に他愛のないものばかりである。

書くとは直接関係ないが、以前O宣教師という方がいた。顔は日本人なのだが中身はアメリカ人、このギャップに戸惑ったことを経験している。どうも聞くところによると本人もそのことで悩んでいたらしい。この方が礼拝などに祈っていると何かの時でもスッと立って祈ることが出来る。主が立たせてくださると言うのだ。このことだけは良く覚えている。

以前いたところは兄弟が大勢いて、祈る兄弟は少なくても、時間がなくて祈れないということが良くあった。割と祈っているとスッと立てるがそうでないと大分間が空いたような時に重い腰を上げるという経験を良くした。今は兄弟が3人しかいないから嫌でも?祈らないといけないし、最初に祈っている。

高齢者の仲間に入っているから、覚えるとか記憶するということは限りなくゼロに近づいている昨今だが、書くことも祈ることも心がけていると、それなりに回路が働いてくれているのかなと思っている。

2009年1月28日水曜日

続き

キリスト者であれば偶像崇拝はいけないことは誰もが認めることである。そして何が偶像かと問うた時、割と明快に答えが返ってくる。しかしそれがなぜ偶像なのかは余り説明が無い様に思う。それと罪は的を外すという意味があるそうだ。悪魔はキリスト者にどうでもいいような偶像を大袈裟に示して、肝心な偶像を隠されているのではないだろうかとふっと思ったりする。プライドなんかも大きな偶像ではないだろうか。集会を離れていく信者の中にこの問題が絡んでいるのかなと思うときがある。英語で牧師のことをパスターというそうだが、これは僕とか仕えるとかいう意味もあるそうだ。実際そのようにしている牧師を見ると牧師制云々はナンセンスだと思う。制度ではなく、見習うべきものは見習っていく謙虚さが必要な気がする。これも前のところで経験してきたから言えることで、感謝と赦しを乞う気持ちは持ち続けたい。

二者択一の世界?

生活の場で選択しなくてはならない時がある。これが信仰の世界でも然りである。分かりやすい例として偶像崇拝に絡んで、葬式などで、拝むか拝まないか、お焼香をするかしないか、あるいはお線香もある。以前はきっぱり断っていたが、大分前からここに偶像があるのだろうかと、ふっと考える時がある。。

このことを考えさせられたのは、福音書の中で、律法学者が食事の時に手を洗わないで食べることはない。汚れるからである。しかしイエスさまは何時もかどうかはわからないが、手を洗わないでも食べる。でもイエスさまが汚れたということは書いてない。ということは手を洗わなくて汚れることはないということだ。これは宗教的儀式、大袈裟に言えば欺瞞ではないだろうか。イエスさまはこの欺瞞を嫌われた。

聖書では「自分のために、偶像を造ってはならない。」と書いてある。しかし拝まないという意思表示の為の偶像としてはいないのだろうかという疑問が湧く。「わたしのほかに、神々があってはならない。」こちらがあって、後のことばがある。日本においては、広い意味でキリスト者でも幾つかの偶像を持っているように思う。葬式の時だけ偶像崇拝をしませんというのも、なんかナンセンスのような気もする。

オセロゲームのように白か黒の世界なら分かるが、生活の場では白と黒の間にグレーゾーンがある。躓きになっても如何と思いながら、この世の中と接点を持つためには、グレーゾーンに手を突っ込む必要があるような気がする。チョト勇気と確信がいる。それに霊性も問われるだろうな。

2009年1月27日火曜日

パンを焼く

こちらに来るときにどうしょうかと思ったことの一つにパン焼き器がある。外見は綺麗だが、最初に出た製品だから20年近くになるのではないだろうか。処分するつもりだったが家内が生地を煉るだけでも使いたいからと持ってきた。しかしそのままになっていた。いつだったかスーパーの棚にパン用のパン粉が売っているのが目に留まったので買ってきて、早速パンを焼いてみたが変わりなく焼けた。外側は硬く中はふんわりしている。家内は嫌いだが私はフランスパンのようで好きである。今日もパンを焼く、といってもパン粉に砂糖、塩、それにミルクと水を入れてスイッチを入れるだけ、4時間後には焼きあがる。特別何かを必要とするものはない。

ドンドン新しいのが出ている時代に20年も経った製品を使うのは貴重かもしれない。引っ越し案内を出した以前お客さんだった方が、「最近とうとう冷蔵庫が駄目になりましたが洗濯機はまだ良く動いています。保証書は昭和53.5.27で、この家に引っ越して来た日で色々な思いがよぎりました。…30年余り、月日が夢のようです。」とハガキをくださった。とっくに買い換えていると思っていたのに大切に使ってくださっていた。うれしいと同時に、主が用いられるのはこのようなものではないだろうか。人が捨ててしまうようなものを主は拾って用いる。どこに価値を置くか福祉作業所で働いて教えられたような気がする。少なくとも人の観点と神の観点は違うようである。

2009年1月24日土曜日

また寒くなって

昨日の予報では寒くなると言っていたのに、今朝はそれ程でもなかった。日も射したりしたので布団を干したのたが暖かくはなっていなかった。さっきトイレに行ってふっと玄関のドアを見たら結露したのが凍っていた。今晩から寒くなりそうというより既に寒くなっている。暖から寒は耐力がないからきつい。

今週は火曜日と金曜日にハイツの温泉に行ってきた。休憩所で本を少し読むが心地よさで半分寝てしまった。二日とも閉まっている喫茶室のテーブルに座って外を眺めていた。火曜日は外は凍てつくような寒さを感じる。前庭は雪一色、その前方は部分的に凍っている諏訪湖、その向こうに上諏訪の温泉街が小さく見え、その先に白くなっている八ヶ岳が、その右側には富士山が見えてた。夕暮れ前だったが人影もなく、どこか人を拒絶しているような厳しさを感じた。一方金曜日はガラッと変わって、暖かかった所為か前の庭の雪も大分消えて子供が遊びまわっており、ジョギングの何人か伸びやかに動いているのが見えた。勿論諏訪湖の氷は消えていた。室内からだがなんとなく温もりを感じていると自然が人々を包み込んでいるそんな感じを受けた。同じ風景を見ていながら気温の差でこうも感じが違うのは面白い。「神の慈愛と峻厳を見よ。」この言葉を思い出した。

2009年1月23日金曜日

暖かい一日

今日は全国的に4月上旬の暖かさだとか。暖かいというより寒くない。今日の温度は7℃の-1℃、明日は-1℃の-6℃、今日の最低温度が明日の最高温度、しかしこれが普通。2月まで続くかシンドイなぁ。それに寒くなると電気のメーターは良く廻るし、灯油タンクのフローとはドンドン下がる。気温だけでなく懐も寒くなるし、信仰も震えている。奮えているとなればいいのだが・・・。

2009年1月21日水曜日

ささやかな楽しみ

豊科のキリスト書店は豊科インターから10分くらいだから最初は高速で行ったが次からは一般道を通るようにしている。時間帯では半額になるが松本集会でも以前通っていた集会と距離は同じで、豊科はそこから12,3キロだから急ぐわけではないのでのんびり一般道を通ることにしている。行きは20号線から19号線と走って行くが帰りは別で松本市内の裏道?を迷いながら走る。信号の少ない広域農道を通って塩尻の高速のわきにでる。この間は農道を通らなかったら大分手前に出てしまった。塩尻の道の駅で買い物をして帰ってくるのが何時ものパターン。

昨日は帰りは高速でと思ったが昼食をしてすぐ出たので時間が有り、別な道を走ることにした。安曇野市の中心街を素通りして広域農道に出る。そこの道の駅に寄って農産物を買うのであるがあまり安くないみたいだ。地元産の餅を売っていた。それも豆餅もあって早速買う、家内はあれこれ買っていた。途中にフラーパークがあって、小さな鉢植えを買い、隣の小さな野菜を売っている所で、どういう訳か県外産の物ばかりだったが家内が2,3買っていた。すこし離れた所でもサラダ館という地元の直売所のようなものがあって、そこでも買い物をする。こちらの道路も広域農道で信号が少なく車の数も少ないので良かったが少し遠回りだった。豆餅は早速焼いて食べたが懐かしかった。今日は朝と午後で2個も食べてしまった。餅は好きなんだけどこれほどにイエス様を好きになれたらいいのだが・・・。

ようやく

先日、豊科のキリスト書店から聖書が入ったとの連絡を受けていたので昨日取りに行ってきた。前の集会で色々お世話になり、何かと思っていたときに来会者用の聖書が2版で大分よれているのでこれにしようと思っていた。それにメッセンジャーのほとんどが3版を使っているのにとの思いもあり、これは反骨。3版は製本の問題もあって、9刷から製本を補強して10月ごろに出回りそうだというのでそれまで待つことにした。最初はこちらでは大分後になるだろうから東京のオアシスで買うことにしようとしたがK兄に遅くなることを了解してもらって待つことにした。1月位にはと思っていたからよかった。

豊科の新興住宅街(別荘かなと思うほどいい家が並んでいる?)の一角にある小さなキリスト教書店、以前は松本にあったそうだが道路拡張のために立ち退かざるを得なくて、一時はやめようと思ったそうだが姉妹が頑張って、地域の牧師会?の協力を得て、今の所に書店を開いたとのことだった。1人で頑張っているので何とか協力したいと思っているから聖書を10冊購入出来たことがうれしい。

自分が集会関係の者だといったら伝道者のN兄はよく知っていると云われ、松本集会のK兄のことも知っていた。地図で見るとN兄の住まいはそれ程遠くなく、碌山美術館や井口喜源治記念館からはさらに近いようだ。小さな書店なのに伝道出版社の本がほとんど置いてあるのには驚いた。それだけ需要があるということだろうか。勿論いのちのことば社の出版物はダントツだが。中信地域の教会には大きな助けだろうなと思う。こちらはまとまった買い物はこれでジ・エンドではあるが頑張ってほしい。

2009年1月19日月曜日

昨夜から雪が降っていて、ボタ雪だったから明日は積もってもすぐ解けるなと思った。案の定朝起きたら既に解けかかっているところもあり、ニュースを見たらお天気は全国的に4月上旬の陽気だそうだ。
初めての道の雪かき、水を含んで重かったぁ。道路側からやって、そのうち奥さんが2人出てきて1時間半くらいで終わった。日が当たると見る見る解けてくるのを見ていて気持ちがいい。多分暖かかったせいもあるのだろう。明日からまた元に戻るそうだが「春よ来い来い」、暖かいのは気分的にもいいものである。疲れの感じはしなかったが何もやる気がおきないのは疲れていたのかな、温泉に行ってリラックスして、コタツに入って寝るが実に気持ちがいい。グータラ人間にはコタツは最高。東京でも友人は奥さんがコタツを入れると寝るからとコタツをセットしない。「偉い」。東京にいたときも4月過ぎまでコタツ取らなかったなぁ。信州はこれは便利だ。

2009年1月17日土曜日

この一週間

日曜日にはM兄姉が東京から来てくださった。月一で来てくれて、いつも兄弟を連れてくる。今回は弟さんが高崎の学び会に行くので、東京周りで大阪から来てくださった。M兄が主に話されるが一緒に来られた兄弟が証や福音を語ってくれる。短く話されるがワンポイントメッセージのようでこれがとてもいい。新しい視点を示されるようで、いつもそのことを感じる。細かいことは忘れたが今回も「羊が囲いを出されることは新しい(キリストの)囲いに導かれることだ。」そのようなことを言われた。まさに聖書の真理そのものであろう。災いのように見える出来事が実は祝福の前兆なのである。与えられて祝福されるのも幸いだけど、それはそれまでのような気がする。むしろ人の目にはマイナス的に見えることが計り知れない祝福をもたらす。これが信仰者の醍醐味でもある。しかし直面している時はシンドイから泣き言を言ってしまう…。

義兄の家で夕食を共にしながら遅くまで交わる。彼らはこちらで泊まるので、その準備と翌朝は早かったので、それに高崎を往復したのでいささか疲れてしまった。それに火曜日には胃の調子が悪く二日断食をしてしまった。体力が落ちたがメタボには良かったかもしれない。その日シルバーの説明会に行き、水、木と体力を回復して、金曜日には温泉に行く、一週間ブリのお風呂は気持ちよかった。といっても市の施設の諏訪湖ハイツ、65歳以上は100円だが温泉は温泉。喫茶室はもう終わっているので、そこのテーブルに座り、庭先のから湖面、その先にある八ヶ岳と右に微かに富士山、それらを眺めながら暮れかかろうとしている景色のなんともいえない姿に造り主なる神を思った。

2009年1月15日木曜日

書くということ

あめんどうのブログに{「書く」ということの霊的な意味}という題で書いていた。そんな意味があるのかと頷きながら読み、ナウエンも確かに指摘されたところに書いている。2年も続けて読んだのに全く記憶にない。ここに限らずデボーション用にと読んだがほとんど記憶に残っていない。別に驚くことではないが寂しい限りである。主は与え主は取たもうである。

ブログをはじめたのは頭にあったことを書くことによって整理することと文章がうまく書けるようになりたいの二つがあった。言葉でうまく言い表せないことでも文章でとの思いで始めた。欲を言ったら文章を通して自分の意見を主張したいということもある。否、説得したいかな。ナウエン流に言えばこんな文章と思わずすごいことなのだと、しかし老化防止も兼ねているから期待はどうかな。

2009年1月14日水曜日

高崎の学び会

群馬町の新年学び会に行ってきた。
信州に引越しして初めてなので色々な意味で行こうと思っていた。行くにあたって和田峠と笠取峠の凍結の問題がある。生憎雪となり高速で行くことにしたが60キロの遠回りである。時間的には変わらないが東京を往復する距離になった。それと料金が5千円近くに、これも痛い。帰りは松本のK兄が来た道を教えてもらい、小諸から松本に抜けて帰ってきた。高速は100キロ未満なので料金は半額で助かる。

アメリカのP兄と伝道者のO兄が話されたが、その時は理解していても驚くほど忘れやすくなっている。私にとって量的に多すぎるのかもしれない。メモを見て思い出すだけでも良いか。テープを貰ってきたのでもう一度聴こう。「栄光の教会(地域集会)を建てあげる」というテーマでエペソ書より話された。聖書が何を語っていると同時は私たちはどう応答するかが問題だがその辺が少し物足りないと思ったが?最近思うに問題がおきるのは聖書の解釈の問題よりも人が変えられていないところから来ると・・・。

この学び会もキャンプと同じように一年ぶりで会う兄姉の交わりを楽しむのもある。むしろこちらのほうにウエートが高かったりしてと思うことがある。分科会があったり、デスカッションがあったりということもないので、一方的に聞くというのはメッセンジャーにもそれなりの高度なものを求めないと聴衆は満足しないであろう。今回は引っ越した所為か前にいたところの兄姉は勿論のこと、他集会の兄姉も声をかけてくださり、私も挨拶したりした。昼食の時、2,3の兄姉と挨拶しながら3人で席について座ろうとしたら後ろで大きな声がしたので振り向いたらN集会のH姉だった。同じテーブルにご主人もいて挨拶し、彼女の肩に手を置いて声をかけた。学生の頃から知っていて、昔から苦労されて、今も子供さんで苦労されているみたいだ。大きな声だったので周りがこちらを見たのでチョッとと思ったが、姉妹の気持ちが分かるようで意に介することなく傍に寄って親しく話せた。私たちの顔を見て喜んでくれるからうれしい。色々な意味でとはこんなところのことでもある。

2009年1月13日火曜日

寒さ

12月から気温のデータを取って、昨年と比較している。12月は前後するが1月は明らかに最低、最高共2~3度から5~6度低い、マイナス10度が2日もあった。2月になると更に寒くなり、3月初めまで続く、だからどうということではないが、カウトダウンにはまだ早いし、春までひたすら耐えていくしかない。

しかし、雪国で生まれ育ったから小さい頃のことを思い出して懐かしさを覚える。着替えをする時に暖めて着る時の暖かさ、休む時に布団の足元を暖めるのだが冷たい布団の中に入って足元の温もりを感じて、小さい時に感じなかった「し・あ・わ・せ」を感じる。お金のかからない幸せだ。気候も何も厳しさの中に「生きる」ということは大切なことかもしれない。そういう意味では感謝している。でも寒い。

2009年1月10日土曜日

コメントあり

気がつかなかったが、昨年12月20日の書き込みに12月31日の日付でコメントが入っていた。最初の頃にどういう経緯かポルトガルのデビット・サントスさんという方が挨拶のような短いコメントを入れていた。多分同じブロッガーから間違って入れたのだろう。

今回はいつもアクセスしている方からだった。教えていないのにどうやってアクセスして来たのだろう。何度かコメントしているがそれが私であることを知っている。誰にも告げずにただ気が向いたときに日記代わりというか少し思ったことを書いて頭の中を整理していた。ブログは誰にもオープンだが私のはクローズである。ただグーグルで「パンくずを拾って」と検索すれば一つは出てくるみたいだが他はだめなはずだ。この方の紹介で読み始めたマグラスの「総説キリスト教」を読み終えたことを書いたから、それで検索したのか分からない。この方のブログでそれを確認するつもりはない。と言うより書くことは出来ても他のことは不慣れで出来ないと言ったほうが正直かもしれない。また来たら考えよう。

2009年1月9日金曜日

聖書通読

昨年は聖書通読をインターネットで検索したのを使った。それなりに良かったけど、最後に黙示録となるとなんとなく気が重くなってしまった。多分年末と終末がダブった所為かもしれない。以前の集会で使っていたのがあったのでコピーして使っている。これは新約聖書から始まって、マラキ書で終わる。

何回も読むとスーと字づらを追うようになるので、昨年は共同訳を使い、今年はまた新改訳3版を使うことにした。福音書だけは岩波文庫の福音書を使う。これは30年から前に買ったもので紙は茶色になっている。しかしこれを時々広げで読んでいる。無教会の塚本虎二の訳でマルコが最初に書かれたからといって、最初はマタイでなくマルコから始まる。それと山上の垂訓の中の「幸い」が最初に来る。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」よりも「ああ幸いだ、神に寄りすがる”貧しい人たち、"天の国はその人たちのものとなるのだから。」の方が好きだ。貧しいのが幸いでなく「ああ幸いだ、」と祝福が先に来るから聖書的だと思う。それと「柔和な者は幸いです。」が「踏みつけられてじっと我慢している人たち」この言葉も好きな言葉でもある。原語は勿論、英語も分からない者ではあるが。

今朝はそれ程寒くなかったから、外を見たら雪が降っていた。10センチくらいは積もっていたのかなと思う。ごみを出す日だったが、余りないので今日はパスした。ニッセイの方が来ると言うので雪の状態はどうかなと思って外に出たら、雪かきを既にされていたのには驚く、ほっといたら溶けるのにと思ったがここではそうするのか。学校に行く子がいるから滑らないためかな、それでも少し降っていたからあまり意味がないように思うけど?東京で買ったスコップは小さいから大きいのを買わないと、明日お天気が回復するからその様子を見て雪の始末をどうしたらよいか考えよう。

2009年1月8日木曜日

豊科まで

聖書の書店がこちらでは上田か豊科まで行かないとない。豊科で37キロ、上田は更にあるようだ。真に不便である。欲しいと思っていた本が2冊ばかりあり、聖書の3版を家内に、注解付き聖書を自分用に買おうと思って、その豊科に一般道を通って行ってきた。。それに昨年、Iさん夫婦から2回も自家製ジャガイモを頂いているので、お礼をこめて簡単なプレゼントをと考えて、11日に来るからそれまでにと思って、聖書関係の物を探すためでもあった。本は一冊だけあったがデボーション用なのでパスし、もう一冊のナウエンの本はなかった。Iさん夫婦にと思ってハガキとノートに紙ナプキンを包んでもらってきたがこちらが目的だったからそれが出来て良かった。

帰りは前回と同じで裏通り?を通ったがスッといかんかった。東京近辺を地図をチョッと見るだけで行けたのに、年の衰えは避けられない。今に始まったことではないが。それでも迷わずに来ることができて感謝。ボケ防止の為に今度は別な道を走るようにしよう。目的地だけで寄り道しないのが私の欠点、家内は店に入ってお金を使うのを嫌がる貧乏性。だからまっすぐ帰るのである。しかし塩尻に道の駅があったのでそこに寄って、リンゴと古代米を買って喜んで帰ってきた。最近古代米を売っているところがなくて、どこかに行くと必ず探していたから良かった。妻孝行をするが最近切れるときがある。なんだろう? 問題は私か妻か深く詮索せず。勿論、結論も。

2009年1月4日日曜日

事始め

今日は今年最初の日曜日、そして話をする。
聖書の言葉はすぐ浮かんできたが肉付けに苦労して朝の4時になった。終わってみれば相変わらずのような気がする。もう少しバラィティに富んだ話をしたい。それと話し終えて、自分の中にどこか整理が付いていないことが解った。前の集会の不完全燃焼なのだろう。前回で終わったと思ったらそうでもないみたいだ。まだまだ続きそうだが早く開放されたい。 いつか耳を傾け、頷ける話にチャレンジしていく。今度は2月の一週になるからそれまでにと言いながらまた間際に来てしまうかもしれない。

2009年1月3日土曜日

恒例の三が日

何時もの三が日は元日が社会人、二日三日が箱根駅伝、それで終わりである。正月はのんびりとして、三日に山王閣へ行って風呂に入るが結構お風呂だけの客が多かった。大社の脇を通るとお店が出ていたみたいで片付けていた。来年はお参りはしないがあの辺をぶらぶらしたいものである。少し整理をして三が日以降に備えようと思う。

2009年1月1日木曜日

新しい年を迎えて

今日から2009年、新しい年が始まった。
夜中の2時頃長男が来たた。三が日は一緒かな、こんなことは最後かもしれない。こちらに来て人は泊まることはあっても一晩、何を話すということではないがこんなことも大切なことかもしれない。
Fさんからメールを貰ったり、それも問題を自ら解決したいことを記されて感謝する。それに関してMさんがキャンプの奉仕をしていることを忘れていた。こんなことがどんどん増えてくるような気がする。すぐ忘れるのである。
新しい年だからといって何かあるわけではないがチャレンジを受けるだろう。そのチャレンジに耐えられるかこれから楽しむべきか嘆くべきか大切な岐路だ。