2009年8月31日月曜日

Mちゃん

 何時だったか同じBloggerでブログを書いている方が読者として登録してくださった。関西にあるA集会の方も何かで見つけてとコメントをくれた。マクグラスの「総説キリスト教」をブログ上で紹介してくださって、それを読んだことを書いた所為かなと思っている。この方のはグーグルで「軽井沢バイブルハウス」名で10回くらい遡って見つけた。その旨書いたら驚いていた。それからお気に入りに入れて読んでいる。ブラザレンについて詳しく書かれているのでとても参考になる。というより諸集会に長くいながらブラザレンについてほとんど知らないので勉強になっている。

 Bloggerの方は素敵なブログである。わたしは字しか書けないので、たとえコメントがあってもどのようにしたら良いか分からないことをいいことに何もしないというか出来ない。この方もお気に入りに入れて読んでいる。自然体?で、色々と多方面にわたって書かれているので感心する。

 最近「Mチャン」について書かれていた。多分伝道者のK兄姉の子供さんではないだろうかと思っている。最近結婚したことを書いていた。以前集っていた集会のW兄姉が菅平らの帰りに寄ってくださった。その時姉妹が娘さんの話の中にそのことをチラッと言われたのを思い出した。以前K兄が娘さんに相応しい兄弟がいないようなことを交わりの中で話されたのを頭に残っていて、多分彼女の物事に囚われない性格を思って言ったのだろうと思い結婚は無理かな、結婚するにしても教会人かな等と思っていた。だから姉妹が結婚されたことはとてもうれしい。いいクリスチャンホームを築くだろう。

姜尚中さん

 最近TV で時折見かけるようになった姜さんが昨日のテレビ東京でゲストの一人として出演していた。この方のコメントを聞いたり、話し方を見ているととても好感を持てる。松本で講演したものを「希望と絆」という題で岩波から出版しているのを読んでいると頷けるものが多い。TVでのコメントも自殺者が年間3万人にもいる事に触れ、そのことの問題の大きさを指摘していたが、他の出演者はあまり反応がなかった。これからの日本を論じても、弱者に対する視点は多くの人には欠落したもののような気がした。姜さんはその視点立っている方のような気がする。政治学者という立場だけではないと思うが。

 これからの日本を論ずるには大局的な観点から見て、行動していかなければならないことは分かるが一般大衆の視点を見失ったら国は必ず滅びると思う。ナショナリズムは弱者の視点に立てない。イエス様は「剣を取る者はみな剣で滅びます。」と言われた。 事実剣を持って戦ったユダヤ人は滅び散らされたが十字架を甘んじて受けたイエス様は滅んだように見えたが勝利したのである。このパラドックスをクリスチャンは知っていてもそれだけのような気がする。

2009年8月27日木曜日

黒部ダム

 こちらに来て何時か行きたいと思っている所が幾つかあって、黒部ダムもその一つだった。泊りがけでないと行けないかなと思っていたが調べてみたら室堂までだったら日帰りが出来るので昨日家内と行ってきた。

 豊科インターから案内図を見ながら走ること50分扇沢に着く、走りながら聳え立つ山は違うがどこか菅平へ行く道を思えださせる。広い駐車場と駅やレストを見ると山奥にあるようには思えない。4台のトロリーバスで狭いトンネルを走る。これがあの映画にもなったトンネルかと思うと感慨深かった。丁度中ごろに例の破砕帯があって、たった80m、それに走れば15分に満たない狭いトンネルなのに如何に困難だったのかを思い巡らす。

 黒4ダムに到着するが220段の階段で高い展望台に行くか、逆に階段を下りてそのままダムの堰堤に行くか迷ったが階段を上がることにした。坐骨神経痛で運動不足になっているので足腰を弱めていたから少し不安だったが大丈夫でほっとする。湖の広さは特別でなないがダムの高さと虹のかかった放水、それにそそり立つような山々に圧倒される。
 ダム堰堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者慰霊碑が建設されており、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれていた。メーンの脇だったから人はまばらであったのが少し残念な気がした。資本金を上回るといわれる借入金をしてまで決断した経営者の姿勢に感心すると同時に彼らの犠牲はさらに忘れられてはいけないことだろうと思う。犠牲となった家族は誇りに思っているのだろうか。

 堰堤を渡る先にケーブルカーの駅があって、そこからさらに上にある黒部平に行く、といっても建物と広場がある狭いところだった。ここからロープウェイで大観峰に行くが標高差500m弱、全長1.7キロゆっくり動いているようだったがすれ違いの速さに驚くがそれだけた地面から高いのだろう。

 ここから反対側の室堂へトロリーバスで行く、2450mホテルがあり、温泉があり、山小屋?もあり、それに警察の出先もある。そそり立つ山と池も幾つかあって実に広い。沢の部分だけでなく地肌がむき出しているのが気になった。霧が峰をごつくしたような感じを受けたが実に散策するに良いところだ。観光客も多く賑わっていたがそれほど気になることもなく散策できた。14℃少し風があったから持っていった冬のコートを羽織って丁度良かった。立山から室堂もまた違った趣がありそうなので何時か行ってみたい。

 帰りは安曇野で温泉に入ってきた。自治体でやっているような温泉のようだった。もしかしたら伝道者のN兄姉の家は近くにあるのではないだろうか。時間があったら江口喜源冶記念館に寄りたかった。小さな記念館だが内村鑑三と交流があり、明治のキリスト者の地元の若者への教育に対する熱き思いが伝わってくる人である。

 今日整骨に行く、ふくらはぎが痛くなっているのをみると如何に運動不足になっているかが分かった。回復は信仰ともどもに楽しみにやろう。

2009年8月23日日曜日

選挙

 携帯が珍しく鳴ったので取ったら東京からI 君だった。選挙になるといつも電話してくる。お兄さんが小学校の同級生という関係でのつながりで、電気関係の会社に勤めているというので電気の専門学校を紹介してそれからの付き合いである。

 彼の支持する政党は出ていないと思っていたら比例区に出ているという。正直言って好きでない政党であるが彼のために1票を投ずるか等と思っている。そんなことを思っていると結構いい加減だなぁと思いながら案外こんな形で投票する人もいるのだろうなと思った。

 今回は民主の圧勝が伝えられているがなんか小泉現象の二の舞になりそうな気がする。多分次ぎの次あたりから目に見える形で分かるのではないかなと漠然と思っている。自民にしろ民主にしろ、どちらにしても若い政治家が活躍できるようになってほしい。それと議員を減らして政策で勝負をするのを期待したい。その時はもう地上に…。

2009年8月22日土曜日

山下清式発想

 貼り絵画家の山下清さんは、この人は偉いんだよと言われると軍隊の位だったらどの位と聞いて、大将と言われるとこの人は偉いんだと思ったそうだ。ホントかどうか分からないが単純化して分かり易くていいと思う。それに偉い基準てどこに置くのかこれも考えてみれば曖昧なものだ。

 私も難しいことは分からないから聖書理解もこの手を使っている。キリスト者が増えるには聖書も信仰も大衆化しないと?少し乱暴か。口語訳の聖書から新改訳に変わった時、口語訳は意訳が多いから原語に忠実な新改訳がいいんだと言われ、原語に忠実でも分かり難かったら意味ないジャンと思った。聖書が一部の人たちの者であればそれで良いが新聞を読める程度の人にも合わせてもらわないと思う。と書きながら小難しく考えたりしている。

2009年8月18日火曜日

塩嶺御野立公園

 おにぎりを持って、家内と塩尻市との境にある塩嶺御野立公園に行ってきた。野外のキャンプ場があったり、野鳥観察も出来るそうだ。実際5,6月に小鳥バスが出ているらしい。その先にも、マレットゴルフと野外のキャンプ場と宿泊できるような施設がある。ここから高ボッチ山までのハイキングコースにもなっている。

 最近TVでもっとも短い祭りとして紹介された「塩嶺御野立記念祭」はこの中にある。明治天皇と昭和天皇が訪れて、その記念碑の前で、ただ一言「礼」で終わる。この後の塩尻市との懇親会がどちらかというと目的らしい。その脇に展望台があって、ここから諏訪湖、八ヶ岳、北アルプス、富士山を一望することが出来る。眺望が良いのは千メートルを超えている所為もある。

 かなり高いのに水が勢いよく流れており、その水の音を聞きながらおにぎりをほうばる。ただそれだけのことであるが自然そのままがとてもうれしい。ささやかな楽しみでもある。今回は上のほうのキャンプ場に行ったが今度は下のキャンプ場に寄ってみたい。それと足が回復したらこのハイキングコースから高ボッチ、鉢伏山へとチャレンジしてみたい。

2009年8月17日月曜日

花火大会

 上諏訪では8月は毎日15分間花火を上げている。そして15日は花火大会で50万人も観客があったそうだ。対岸にも大勢の人たちが見ていたからもっと多いのか、それも含めていたのか分からない。実は我々も対岸でもないが下諏訪の湖岸で見た。奈良の若い夫婦が菅平の帰りに花火を見たいからと寄ったので一緒に行った次第である。大きいのは目の前に迫ってくるようで迫力があった。最後のスターマインもナイヤガラも少し煙ったが見ることが出来て満足したみたいだ。しかし生憎の雨で雨具を用意したがびしょ濡れになってしまった。

 帰ってすぐシャワーを浴び、食事が出来なかったので食べ、彼は運転するので少し休んでもらった。彼女と少し話ができてとても良かった。東京生まれの東京育ち、結婚して関西での生活は戸惑うことが多いようで大変そう。彼女の周りも然りのようだが?
12時過ぎたので起こして、スイカを食べて少し寛いで出掛けたが翌日電話があり、数分で行くインターまでが2時間かかったと云われびっくりした。混むことは分かっていたが2時間もすればスムーズかと思ったのに、分かっていたらバイパスに案内すればよかった。後の祭り、学習するとはこのようなことなのであろう。

 昨日は上諏訪まで行き、足湯に浸かり、8時半からの花火を待つ、湖岸には家族連れで花火をあげたり、散策したりしていたが、人はそれほどでもなかった。それだけでどこかのんびりする。そんな中で目の前の花火を満喫する。その前に対岸からの岡谷の花火を何か遠くから見るようにして見たがあまり迫力がない。来年は少し考えて券を買うような算段をしないといけないかなと思う。

2009年8月16日日曜日

続き

 高橋三郎先生が主筆をされていた「十字架の言」誌を購読したのは1972年の何月か忘れたが、購読の予約とその年のバックナンバーをお願いしたら前年の合本も送ってくださった。手元に第7巻からあるがあれから38年になるかなぁ。何度か文通したがもっと読みやすい字を書けと忠告されたことを思い出す。あれから進展がないからワープロ、パソコンになってよかった。

 何時からか主筆から編者になったが内容は多岐にわたり、最近は集会の週報に載せてある短いコメントを載せている。私にとって示唆に富んでいて参考になる。聖書の学問的なものだけでであれば続けて購読しなかったと思う。誌の名前のように十字架と復活、そして再臨の信仰が行間から溢れ出てくる。いつかお礼の手紙書こう。

 「イスラエル・トウデイ」が廃刊になり、「十字架の言」も終刊になった。寂しいがある意味で聞くだけの者から実践せよとの主の声であるかもしれない。折に触れ読み返してみたいと思っている。

2009年8月15日土曜日

「十字架の言」誌終刊

 今月の「十字架の言」誌の最後に終刊するとの知らせがあった。先月号で奥様のガンの再発が告げられ、病院での治療はもう出来ないのでホスピスの手配をしていたのに、6月の検査の結果では病気は進行していないから今まで通りの生活が出来ると、そして「十字架の言」誌を継続できると、奥様が喜んで書いてあったのに驚いた。

 15年前に交通事故による全身麻痺となり、その時点で誌の継続は無理だと思っていたのに、一時中断しそうになったが、今日まで続けられたのは奇蹟というほかない。思えば、今は旧約学の大家であるTさんが学生の時、一時同じ集会であった。あの当時車で仕事をしていたので、杉並方面はよく行っていることを話をしていたら、西荻窪にある待晨堂で「ヨハネ伝講義」を買ってきてほしいと頼まれたのがきっかけである。何度が通ううちにそこのご夫婦と親しく言葉を交わすようになり、聖書関係の本を良く買ったった。そんな中で20頁足らずの「十字架の言」を見つけてそれから継続して読者となる。

 前後して買った「ロマ書講義」1~5巻は私に大きなインパクト与えてくれた。
「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」 rom 8:21 、22

 救われて間もないころで、自分の救われたことを喜んでいた。イエス様の十字架と復活、そして再臨が人だけでなく被造物全体が贖われることを待ち望んでいることをそこに書かれていることを知ったとき、自分の救いの捉え方の小ささと、神の救いの壮大なご計画を教えられて感動したことを今も昨日のように思い出す。

 2度しか直接お目にかかったことはなかったがといっても言葉を交わしたわけではなく、講演会の時と祝いさんの告別式が登戸学寮で行われた時にお見かけしただけである。疲れているようで、車のシートを倒して休んでおられた。住まいは新百合ヶ丘だから遠くはないのに、その頃から既に体力的に弱っておられたと思う。そんなんで声をかけ損ねてしまった。

 私の信仰の歩みの指針を示してくれた方でもある。それは集会の信仰と少しずれる結果にもなっているのかなと思う。Tさんがまだ集会にいた頃、その集会に若い青年が、興味があって来たようなことをいわれたら、興味を持ってくるところではない真理を探究するところだと叱っていたことを話てくれた。無教会信仰の伝道者として、どちらかというと福音に重きを置いた方ではないかと思う。その方は高橋三郎先生です。

2009年8月13日木曜日

愛するということ

 こちらに来る直前まで調布にある福祉作業所にお世話になっていた。作業のお手伝いのようなもので1年と3ヶ月だけだったがとても有意義だった。仕事によっては彼らの方がうまくて、なおかつ早いので焦ったこともあったがすぐ気にならなくなった。それは彼より優れなければと思うことは差別であることに気が付いたからである。確かに一人計算の出来る人がいて、計算するようなことがあると良く頼んだり、急ぐときには得意な人にやっているのを止めて頼むこともあった。文句を言いながらも喜んでやってくれるからうれしい。しかし頑固でプライドが高くて、手のつけられないときもある。でもどこか憎めないというより愛すべき者たちだった。

 作業所に時折お母さんが手伝いに来られる。その方たちと仕事の段取りをしながらお話しすることも多い。軽い世間話から子供の将来のことをフッと漏らすちょっと深刻な話と色々である。そんなときに思ったことは、私と彼らが事故にあって、私が亡くなったら可哀想にと思っても自分の子供が助かったらほっとするだろうなと思った。ハンデイがある分お母さんの思いは強いような気がする。

 愛情いっぱいに育った人、どこかスポイルされて育った人、それがどこかに現れる。彼らを理解するにはそのことをも判断しないといけない。作業をしているとそれだけではないこともあるが。そんなことを思いながら神様と自分の関係を思ったりもした。彼らが神の視点を正してくれたような気がする。減点主義の神ではなく、こんな神に愛されているのである。

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。 」isa:63: 9

2009年8月12日水曜日

このところ

 このところ暑いのでパソコンは開けるが概観のほうはさっぱりである。この間の日曜日に東京からいつものMファミリーに加え、Hファミリーが一緒に来てくれた。彼がしきりに風があって凌ぎ易かったから感心していた。東京と比べたら比較にならない。その代わり冬は寒い。電気代が3倍になり、灯油もあっという間になくなる。この恐怖も寒さを倍加する。

 そんなのにペン?が進まない。お盆休みということにして自分を納得させている。ここでは暑さ寒さはお盆までのつもりでいるが今年はどうだろう。お盆はどこにも行くつもりはないが後半には黒部に行きたいなぁ。この年になると今行けなかったらもう行けないかもの脅迫観念がある。

2009年8月5日水曜日

パンくずを拾ってる?

 いくつかのブログを「お気に入り」に入れて読んでいる。
知っている教会、本人は分からないだろうが宣教師を通して知っている人もいる。書かれているものによって、あぁあのことかとかあの人かとかと、或いはそれは誰それですよと教えたくなるときもある。クリスチャンの世界の狭さを感じるときでもあり、知らないことが多いなぁと感じるときでもある。またキリスト教の多様性のようなものを感じる。キリスト教界では少数派であり、原理主義的?信仰者の集団であるから、信者はともすると井の中の蛙のようになってしまう危険性がある。それを信仰といってしまいばそれまでだが、心しなければならないと思うが難しい。

 わたしは否定的になりやすいからつい批判的になる。気をつけなければと思いながらも流される。思うにつけ、自分の育ったこの否定的さは病的なのかなと思ってしまう。それだけ傷の深さを思い知らされる。戦中に生まれ育って、幼いときに負った傷は本人の自覚以上に大きいのかもしれない。ただこの時代の状況を見たら誰をも攻められない。そういう煩悶からキリスト教に触れ、罪を指摘されなくても既に知っていた。そして救われ、主に癒されたはずだった。しかし長い信仰生活で垢がついて、現実主義になり、湖上のペテロのように主を見る前に目の前の現実を見て、その先が見れない。

 信仰は目の前の現実を直視しながら、主に信頼することなのだろうがこれが難しい。しかしこれがなければ先はない。主が私に教えてくれるのは、大きいことではなく、小さなことに目と心を向けることであろう。人それぞれ教えられるのは違うがそれで良い。
 そして、「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」hos: 6: 3

2009年8月2日日曜日

話し終えて

 月に一回の割で話をしている。
話し終えたら感謝はするが反省しないで忘れることにしている。割と引き摺る方なので、一つは落ち込まない為、努めて過去に生きないために、もう一つは誇らないため、と書きながらどこか引き摺っている。

 結構時間食うからそれから解放されるだけでも良い。切り替えて他のことも出来るので終わるとホッとする。それと調べたりしながら勉強になることも有りだから感謝かな。それと自分が思っていることと現実のギャップの大きさに気づかされる。

 何時だったかいつも見ているブログに、ある教会の名前が載っていた。福音館という名前に興味を持って、アクセスすると牧師のモットーが「元来教会のイメージは堅い、暗い、面白くない、難しいです。その逆ををとって温かい、明るい、楽しい、分かりやすい教会であることを心がけております。」とあった。これは良いと思ったが、話をしていて、本人が旧来の教会のモットーそのものだから無理ジャンと思った。罪を笑って話せるように努力しよう。