2009年9月29日火曜日

卓球

 市の卓球教室の案内を見て体育館に行って、すでに2回は終わっていたが人数が少なかったので受け付けてくれた。二十歳前後で止めているからほぼ半世紀ぶりである。準備運動をし、相手が投げる球を手でうまく取れなかったりで動体視力が落ちているのがはっきり分かり、大丈夫かなと思った。しかしやっていると結構打ち返せて、感覚が戻っているのを感じる。同年輩の男性と女性でも互角に戦えたのに驚く、少し自信がついた感じがする。卓球が自分には一番向いているような気がする。これからラケットを買い、トレーナーを用意して本格的にやろうかな。久しぶりに心地よい汗をかかせてもらった。

 

2009年9月27日日曜日

八ッ場ダム

 2-3年前だったか軽井沢のキャンプの後、群馬のN 集会の礼拝に出るため川原湯温泉に泊まったことがあった。ご夫婦でやっている小さな旅館で、お風呂なんかはひどかったが間もなく移られると言って何も手入れをしていないという感じがあった。移転するので建物やその周辺は整備されていなかったがそれを割り引いていても橋の上から見る渓谷や小さな旅館街はそれなりにいいなぁと思った。その時すでに山の上での工事が見えていた。

 半世紀も経ってまだ出来ていないこの現実はどう理解し説明されるのだろうか。20の私はもう70になろうとしている。世代は代わろうとしている年数でもある。これからダムが必要でなければいくらお金をかけても止める勇気が必要だろう。これは政治というより政治家の資質が問題だったのではないだろう。

 キリスト教の歴史を見ても変えることの難しさを見ることができる。いつもニーバーの祈りを思い出す。
神よ、
変え得ぬことを受け入れる心の平静さを、
変えるべきことを変える勇気を我らにお与ええ下さい。
そして、これらの二つを見分ける英知を…
                  ラインホールド・ニーバー

2009年9月26日土曜日

T姉妹

 「T姉妹」の最後となるブログを読む。
勝利とか凱旋と言う言葉がぴったりの死に勝利した姿を夫である伝道者のT兄は書いている。お子さんも偲ぶ会、昇天式でお母さんのあかしをされ、娘さんは学校に行って学友を昇天式に誘ったそうだ。

 大勢の方が来られた様子を知り、かつて学生で召された姉妹のことを思い出した。あの時も次々と人が来られて、教会の外にまで溢れ、献花も記念品も足らず暗黙の了解を取ってもらったようだった。遺族はどう思ったか知らないけれど彼女を偲ぶ場に集いればそれでいいという雰囲気がしたような気がした。若者が多かったせいもあり、KGKの人たちも大勢来ていたように思う。彼女の交流の広さ、やさしさを知り、あなたはこんなに素敵なのになぜと思った事が今思い出される。

 姉妹は家族を愛し、集会を愛し、兄弟姉妹を愛していたことがよく分かる。群馬にあるG集会の伝道者でK兄が講演会で話された中に(頂いた原稿で)「さらに、今考えさせられている事は死ぬという仕事があるな・…ということです。」と三浦綾子さんが言われたことを引用されていた。姉妹は「死ぬという仕事」を全うされた。兄弟のこれからの働きを期待したい。

2009年9月24日木曜日

この連休

 シルバーウィークは長野、軽井沢と出掛けて、それなりに忙しく、お陰で疲れたが実りのあるシルバーウィークだった。軽井沢は夏の賑わいしか知らないが今回は連休の所為か人の姿が多かった。

 昨日、8時過ぎに帰ってきて、少し横になったらいざ寝ようとしたら眠れなくて、PCをあけて、メールやブログを見ていたら夜中の2時過ぎになってしまった。

「9/22 T姉妹勝利の凱旋

兄弟姉妹の皆様へ。
長らくお祈りありがとうございます。
T姉妹は9時02分、天国に召されました。
今までのお祈り本当にありがとうございました。
高原剛一郎

追伸:偲ぶ集い、昇天記念式の日時は決まり次第、掲載させていただきます。」

 ブログ関係は週に2回と決めているが(実際はついでについ開けてしまう)「T姉妹」だけはインターネットにつなぐといの一番にあけて読む。

 癌と分かって、2ヶ月あまり、壮絶と行ったら大袈裟か、しかし姉妹も然りだがご主人も子供さんもすごい戦いだった。それだけ家族の絆が強かったのだろうと思う。私らだったら淡々としたものだ。それだけ絆が・・・、特に私は。
 兄弟のこれからの働きが気になるが新たな展開をなされることを祈る。

 軽井沢もここからだと80キロ弱、1時間45分かかったが走っているうちに着いてしまったという感じである。今回はK ファミリーが厨房をやっていた。遅れてついて庭に入ったら丁度お父さんが出てきて立ち話をする。長老との折り合いがつかないみたいで別の道を模索しているようだ。群れを委ねられている責任者の気持ちも分かるが何とかならないものかなと思う。難しいと思っていたから一つの進展かな、これからも祈ろう。息子さんは長男と接点を持ってくれて感謝している。何時だったか電話があったとき二人で訪ねるようなことを言っていたがこの間行ったそうだ。息子を受け入れているのは彼くらいだろう。M兄も二人の息子を「責任をもってやりますから」と言ってくれ、感謝だが難しい二人だ。トイレを借りるで食堂に入ったら息子さんに会い、立ち話をしてしまった。

 宣教キャンプだからカンボジアで宣教している韓国の兄弟が話されていた。宣教は神が与えた命令、神に返すもの、キリストのみに満足すること等厳しい状況の中に置かれた宣教者の言葉に力があった。しかし最後の集会で疲れていたのか頭を垂れていた人がちらほら見えた。変わらない顔、顔だが会えるかなと思った人が見えなかったりで残念だった。それでも何人かの兄姉と交われて感謝。もう他集会の兄弟として交われるからどこか気楽である。少し考えさせられた事もあり、それなりに感謝だった。

2009年9月22日火曜日

聖書と日本文化

 今朝、急遽行くことになったS 姉と共に長野集会のセミナーに行ってきた。三日間のセミナーの昨日からそして明日もあるのだがフルに集いたかったがそうも行かず今日のみである。知っている方々もフルの方や今日のみの方と色々だった。

 今まで学びといえば聖書からがほとんどで、文化とか歴史を話されても極部分的に語られていたように思う。責任者の説明で他でやってない事をやろうとしている事が語られ、今までお話を聞いていて頷ける。外部の方でその道の専門家が語っているのは説得力がある。

 6回のうちの3回で「日本の年中行事と基督者」、「日本の習俗伝統と基督者」、「基督教の日本的展開」という題で話される。正月から始まる行事をも見ても、幾つかの信仰が混ざり合っている。その変遷を見ると信仰というより人間のご都合主義的な要素も多いなぁと思った。これは日本だけでなく、欧米の基督教の行事にさえそのことが伺える。なんとなく分かっていたが結構いい加減だ。

 日本人の「願い」とか「祈る」という時は宗教的なものではないと言われたのには意外に思ったがなんとなく納得する。頭を下げる礼の社会であると言われたがそれに通ずるのかもしれない。日本人は裸足の文化、座る文化であり、靴を脱ぐことは自己放棄を意味する。モーセが靴を脱げ(出4:5)といわれた事はそうだったのかと始めて知った。そして日本人としては靴を履け(使徒12:8)であると。

 断片的にしか書けないが行事の由来、習慣とか伝統、そして日本人の気質、これらのことを理解して福音を語る必要性を強く感じた。「否定の伝道から肯定の伝道」へと言われたがまさにそうだと思う。欧米はその国の文化を受け入れていったが日本や南米は否定した伝道だったと言われ、それがマイナスである事は明らかである。質問にあった「国旗や何かに頭を下げる事はどうか」とそれは敬意を示すものであると言われ、偶像でないものを偶像視しやすい。それは偶像なるものが見えないことかもしれない。まさにサタンの思う壺だろうなと思う。自分も周りを見てもどちらかと言うと否定的であるから考えさせられる。ある意味でものごとを逆手に取っていくのもひとつの手かもしれない。疲れたがチャレンジを与えられて感謝であった。

2009年9月21日月曜日

御野立公園再び

 シルバーウィーク、敬老に掛け合わせてうまいネーミングだが毎日が日曜日の身にとってあまり関係がない。明日は長野の集会に、明後日は軽井沢で前にいた集会が宣教キャンプをやっているので顔をだそうかなと思っている。


 今日はお天気が良いので家内と塩尻の境にある御野立公園にスーパーでおにぎりを買って出掛けてきた。前に来たときに手前の方のキャンプ場を散策したいと思っていたので出掛けた次第である。休みなので子連れが多いかなと思ったら一組の家族とアベックだけだった。途中バードウオッチングの人が一人、それとカメラよりもレンズのほうが大きいのを持っているご夫婦が2組散策していた。春先はバードウオッチングの無料バスが動いていると聞いているから鳥が多いのかなと思ったが余り鳥を見かけることはなかった。


 池のほとりの大きな石に座り、おにぎりをほおばる。あめんぼうや鯉が数匹ゆっくり泳いでいる。ご飯を上げるが食べる事はなかった。普通の鯉だと集まってきて争って食べようとするのだが山の池ではご飯は知らないのかななんて思ったりして、公園といっても山の中を歩くようなもので人影もなく静かである。車一台通れる位の道が交差していたがこれが旧中山道だった。峠といっても山越えである。昔の人は大変だったと思う。帰りはその中山道を岡谷寄りに下りてきたら高速道の上に出た。そこに神社があってその脇から水がたくさん流れていて飲めるようになっている。独特の味がしておいしい。 散策して何も考えないで木々や木の葉を見ていると落ち着いてくる。自然はいい。

2009年9月19日土曜日

自転車

 整骨の先生が運動不足気味になっているので自転車でも乗ったらと勧めてくれた。ここは湖に向かって緩やかな坂になっている。行きは良いが帰りが大変である。
 前にいた所は多摩丘陵の一角だったからもっときつかった。息子たちは駅前まで自転車で行ったが落差が大きいので私は手前の公園の駐輪場に置いていた。多分3、4階のビルの高さの差があったと思う。谷の部分が道路で山?の部分は住まいになっているような感じだから隣の駅まで陸橋を渡って歩道だけで行けるような所だった。

 そんな事が頭にあって、ホームセンターで6段変速の自転車を買ってきた。図書館に行ったり、土手を走ったりと少し乗りこなし、インターネットで注文していた速度計が届いたので取り付けて、速度、距離とカロリーが出る簡単なものである。早速図書館にそして湖の畔にあるプ-ルで歩きと泳ぎを隣のハイツでお風呂にと出掛けたが水泳の道具を忘れたので、お風呂には早すぎるので諏訪湖一周を試みた。

 ゆっくり水門を抜け湊方面から上諏訪のほうに向かう。こちらは湖を埋め立てて道路と遊歩道が出来ている。アジサイと湖衣姫の墓があるので有名な小坂観音を右に見て、ガラスの里から左折して、あの汚泥の中に金が出るという下水道処理施設とすわっこランドを横に見てさらに行く、この辺は建物も少なく岸辺も木があって湖の自然さが残っている。少し走って原田泰治美術館があり、館の前や駐車場が砂地になっているので浜辺のような雰囲気がある。さらに湖寄りに左折して、マリーナを過ぎ、旅館街に入る。歩道は自転車禁止のようだが無視してゆっくり走る。花火を上げる初島を前にして水辺公園になっている。人はまばらでゆったりした感じで芝生の上でねっころがって少し休む。

 旅館街を脇に見て、そこからさらにゆっくりと走る。下諏訪に入り、ジャスコに寄って今川焼きを買って一服する。この辺はすぐ深くなるので釣り人が糸を垂れている。間もなく体育館の隣の諏訪湖ハイツに到着。1時間半、17キロ、何時になるか分からないが次回は逆コースでもう少し早く走れるように頑張ろう。尾骶骨が痛い。ゆっくり温泉に浸かり帰って来た。ハイツから家まで土手を走って来たがそれほどの坂でないのでほっとする。股関節が気になったがそれ程でもなく安心する。走行距離25キロ、諏訪湖一周のチャレンジを無事終える。 平坦な地を行くのはそれ程難しくないが塩嶺峠のような所は無理。信仰のチャレンジはこのようなものかもしれない。平坦は自力でもいいが峠は自力では駄目、無理な所を他力で乗り越える。それは信仰、簡単ではない。

2009年9月18日金曜日

読む本

 最近読む本はHPに載っているの見て興味あるのを買ったり、図書館で借りて読んでいる。アマゾンだと古本でも買う事ができるからほしくて安かったら買ったりしている。

 昨日東野圭吾の『手紙」を図書館から借りてきて一気に読んだ。解説に「強盗殺人の罪で服役中の兄、剛志。弟、直貴のもとには、獄中から月に一度、手紙が届く・・・。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人の弟」という運命が立ちはだかる。人の絆とは何か。いつか罪は償えるのだろうか。犯罪加害者の家族を真正面から描き、感動を呼んだ不朽の名作。』と書かれている。

 貧しさがこれほど重く、せつないものであるかを思い知らされる。どこかダブるところがあるからだろうか。貧しさゆえに兄は人を殺し、強盗殺人犯の弟であるが故につらく苦しい人生を歩まなければならない。そんな兄との関係を断ち切って、新しい人生を歩もうとするがそれができない事を最後の最後で匂わせて弟の葛藤が伝わってくるようだ。一言でいえば理不尽であり、それが社会の常識になっているのも事実である。小説の故に甘さも希望もあるような気がする。

 以前から思っていた。人生において、私たちの努力は微々たるものではないだろうか。多くのものは備えられていて、その上に少々の努力があるような気がする。「殺人犯の弟」いう備えられ方もある。しかし弟の周りには善意の人たちがいて、彼を支えてくれている。「人は一人」では生きていけないのである。たとえ過酷な運命が待っていてもその周りに善意の人は必ずる。イエス様は言う「立って歩きなさい」と。

2009年9月15日火曜日

希望の国のエクソダス

 キリスト教関係の本は読むことがあるがそのほかの本はあまり読まない。しかし最近村上龍の「希望の国のエクソダス」を図書館で借りてきて読み終えた。村上春樹ほどではないがどこか難解だった。何かメッセージのあるものは理解でき難いから苦手である。

 昨日の「クローズアップ現代」は希望について取り上げていた。学としての希望学なるものがあることを初めて知る。そのなかで「希望の国のエクソダス」の中にあるポンチャンが国会で「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」といった言葉が文字として入っていた。

 現代の日本の姿を的確に示しているような言葉のような気がする。希望とは今どうであるかが問題ではなく、未来に何があるかが問題であるはずだ。そして志向しているのはみな違うものがあって当然である。短絡的かもしれないが「何でもある」ということは価値観の矮小化を見るような気がする。どんな生き方をしても良いではないかその人が満足して生きているならと思っている。でも現代はそれを許してくれない。狭い価値観に人を束縛しそこから外れるともう落伍者のように人扱いをしない。

 福音書時代のユダヤ人は非常に狭い価値観であるように思う。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と イエス様は言われた。そしてよく安息日に癒されたことが福音書に書かれている。そして彼らはそれを喜ぶのではなく、安息日を問題にしている。何が大切であるかが逆転している。「何でもある」日本は狭い価値観になりやすいのではないだろうか。「そのままのあなたが素晴らしい」という題の本がある。それは立派でなくていい、どうしょうもなくてもいい、イエス様が「 わたしがあなたを愛していることを知らせる。」 rev: 3: 9 このことを知ることが大切なのである。

2009年9月14日月曜日

続き

 諏訪大社の上社は諏訪市にあるがその近くに茅野市立の神長官守矢資料館という小さな資料館がある。ここは諏訪大社の神長官(神官)の守矢家が代々受け継がれた資料などが展示してある。そのなかに二つのものが興味を持った。一つは神前に献ずる75頭の鹿(今は頭だけの剥製)の一頭の耳が切り裂かれている。すぐ思い出したのは出エジプト記21章にヘブル人の奴隷が7年目に解放されるときの経緯が記されている。その中で「もし彼の主人が彼に妻を与えて、妻が彼に男の子、または女の子を産んだのなら、この妻とその子どもたちは、その主人のものとなり、彼は独身で去らなければならない。しかし、もし、その奴隷が、『私は、私の主人と、私の妻と、私の子どもたちを愛しています。自由の身となって去りたくありません。』と、はっきり言うなら、
その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。 」と書かれている。奴隷であっても妻や子供と一緒にいる事を選択することは家族を愛しているからだろう。それは主人に一生奴隷として仕えることであり、これは大きなチャレンジではないだろうか。キリスト者に問いかけてくるものがあるような気がする。

 もう一つは「お贄柱」というのがある。先のとがった150センチ角の柱で昔はこの柱に少年を縛り、そこに短刀を持った人が現れて殺そうとするがもう一人の人が現れて助けて解放する。初期の少年は生贄として捧げられたが残酷なので止めたようである。上社の裏に当たる南に直線距離で地図上では4キロのところに守屋山がある。1650mあるが駐車場が1300m位のところにあるから実質350m、東京の高尾山は599mあるが同じような感じである。守屋(モリヤ)山、少年がささげられたとくれば創世記22章にあるイサクのことを思い出す。係員は鹿の耳を割くこともお贄柱がどのような意味があるのか分からないといっていた。聖書にこんな事書いていますよと教えてあげたかった。小さな駐車場に3台ばかり他県ナンバーの車が止まっていた。それなり興味を持っている人がいるのだなぁと思った。相模ナンバーのバイクの青年は熱心に資料を見ていたがどういう興味を持って来られたのだろう。

昨日は

 昨日は月一回のm兄ファミリーと今回はU 子ちゃん(失礼)が来てくださった。月に一回こちらに来ることを知って、N集会から若者のリーダーたちに学んでほしいと土曜日の朝早く起きて行かれ、夜こちらに来られた。狭い家で雑魚寝のようになって休むがもう一部屋がほしいとこのようなときに思う。何もないものだがリトリート的なものをやれたらなぁと思う。この集会を始めるきっかけをつくった義姉がそのようなことを話されたのを頭の片隅に残っている。

 いつも彼の話は面白いし的確に話をされて感心する。福音をストレートに話され、聞く者にチャレンジを与える。今回は珍しく「日本社会と聖書」という題でスライドを使って話をする。古事記の冒頭に創世記の冒頭に似た文章があるがそこからと茶道について話をしてくれた。日本の文化は聖書の影響を受けているものがたくさんあるようだ。一般の人がそれを知らないだけだろうと思ったりしている。ユダヤ人にとってイザヤ53章は誰であるか議論されていると聞いている。しかしキリスト者はすぐこれはイエス様であることを理解したように、日本で行われている行事が聖書のここの事であるなんて誰もがわかるときが来たら面白いなぁ。

 息子より若いが教えられることが多く感謝している。一緒に来られる兄姉が誰が来るのだろうと思うことと合わせて毎月が楽しみである。

2009年9月12日土曜日

いきいき実践塾

 坐骨神経痛で休んでいた「いきいき実践塾」に行けるようになって、今日で2回目である。今日は機関誌の作り方というテーマで実際作ってみた。7月に介護施設に見学に行ったことを題材にして文を書いていたが、私は休んでいたので切り貼りを手伝ったのみである。

 長野県に引越して来て、何か地域との係わりを持ちたいと願って応募したが入学式に出ただけで、その後は坐骨神経痛で休んでしまった。すぐには出れないので辞める旨伝えたが様子見て治ったらということで1/3を過ぎてからの出席である。皆さんシニアから引き続いてのベテランであり、私は右も左も分からない新参者である。

 自分の興味あるものには労をいとわないが興味のないものには、それが大切なものであっても重い腰は上がらない。そのことも含めて私には新しいことばかりのチャレンジである。頭は痛くならないが元々フリーズしてしまう方なのでどうなるか心配でもある。難しそうだが固い頭も柔らかくなれるかな、。

2009年9月10日木曜日

T姉妹

 この間寄ってくださったW兄姉が伝道者の奥さんのT姉妹が胃癌であることを教えてくれた。ステージ4であること、断片的であったが状況を知り、正直驚いた。集会のHPに近況が載っていると言われたので後で開いたがそれらしきものはなくそのままになっていた。昨日は他の検索もあって、ついでにフルネームで検索したら同じ集会のHPに出ていたのでホッとする。

 細かく書かれていて、よく分かったが夫婦愛の素晴らしさをまた姉妹の苦しみを窺い知ることができ、坐骨神経痛で眠れない夜を思い出しながらこんなものは蚊に食われたようなものなんだろうなと思った。入院しているときの家族の見舞いの様子を見、集会での礼拝に渇望している様子を見るにつけ、家族愛、兄弟姉妹の愛の深さを教えてくれる。かつて伝道者のO 兄は「生きる」ことに執着していたのを不思議に思っていた。私のようにリタイアした者と違い、働きの半ばの観もあったのだろう。T兄姉も同じようなものがあるように思えた。何事にも前向きなのかもしれない。「生きる」ってそういうことなのだろうな。イエス様が身近に覚えらる。祈れるとともに状況が分かって感謝。

 アクセスしたのは12時近かったがそのまま最初から読み始めて、読み終えたのは夜中の1時半だった。特別遅くなったという事でもなかったが夢中になるとこうなる。
  祈られていることの素晴らしさを覚えながら、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」luke:19:10 の言葉を思い出し、祈りの端にも載らない群れから離れた人たちのことを思う。

2009年9月7日月曜日

花火

 8月1日から毎日打ち上げていた諏訪湖での花火が今日で最後となる。誘われて岸辺で座って見ることが出来た。目の前に上がるから花火の大きさとお腹に響く音は圧巻の一言に尽きる。歓声や拍手が起きるときもあり、終わった後で花火師が灯りを振っていたのに観衆がそれに答えているのがなんとも微笑ましかった。8月15日の花火大会と昨日の新作花火は有料だったが今日は無料である。以前いた集会の中に見たいと言っている人がいるから大会でなくこの日が良いような気がした。

 以前はさっとあがって消えていく花火にどこかはかなさを覚え、それに混むのが嫌いだからあまり好きでなかったが今は単純に喜べばいいと思うようになった。今回は花火を見たいと大会に来た人を対岸に近いところに誘って見たが雨で散々だった。反省を込めて、来年は朝早く並んで券を取って人を誘うかと思っている。来年の話は鬼が…。

 

2009年9月5日土曜日

ベテスダの池で

 ヨハネ伝の5章を読んでいて想い巡らしている。
神殿からすぐ近くにありながら城壁にさいぎられて別世界になっている。日本人流にいうなら信仰心の篤い善男善女が神殿に御参りし、幸か不幸か城壁一つ隔てた向こうに、悲惨な情景を知る事も見る事もなく、満ち足りて帰って行く。たとえ城壁がなくても「良きサマリヤ人のたとえ」ではないが見ないようにして行くだろうなと思ったりもしている。彼らにとって「義」や「聖」とはどういうものなのだろうか。自分の義とはこういうものかもしれない。神の前にどれだけの意味があるのだろうか。
 本間俊平は学校に劣等性がいるのは優等生が本当の優等生でないからだと言われた。自分だけが優秀だなんてどうだろう。劣等生と共にいるのが真の優等生なのかもしれない。優等生とか劣等生なんて死語かな。

 イエス様がエルサレムの神殿ではなく、ベテスダの池に目を向け、生きたいと願いながらも生きるのに絶望している人に語りかけ、愚痴としてだけでなく、彼の心の叫びとして受け止めておられたのではないだろうか。愚痴や心から叫びたいと思っている人って結構いるのだろう。身近に聞いてくれる人がいるって幸いなことだ。そういう意味ではイエス様は最高である。

 イエス様は「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と言われたがこの事を見るとまさにそうだと思う。 「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」 とも言われたが彼らにとって人を生かすより、安息日が大切な事がよく分かる。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。」とも言われた。宗教指導者に対してイエス様の強烈な問いかけがあるような気がする。しかし彼らは何もわかっていなかった。心しなければと思う。

2009年9月3日木曜日

キリストの苦しみ

 イエス様が今苦しまれているとすればなんに苦しまれているだろうか。

2009年9月2日水曜日

Mちゃん

 Hyssopさまコメントありがとうございます。
短い言葉の中に感動が伝わってきました。

2009年9月1日火曜日

パレスチナ

 池上彰さんの番組でパレスチナについて話をされていた。池上彰さんは長く子供番組でニュースの解説をされていたから分かりやすく話をされる。その上公平な視点で見ているような気がする。

 パレスチナ問題を2千年前まで遡り、メシア待望の中に現れたイエス・キリストについても触れていた。旧約聖書、新約聖書、コーランについても話されていたが一般の人にはあまり知られていなかったことではないだろうか。ユダヤ人にとっては聖書は旧約のみであり、キリスト教徒のみが旧新であること、マホメットにもついても話されていた。その後のユダヤ人の歴史は誰もが知っていることである。

 第二次大戦のイギリスがやったパレスチナにおける二重契約的なことをやったのにも触れてほしかった。キリスト教がローマで国教になってから堕落の道を歩んでいたように思える。福音書の時代の律法学者やパリサイ人は今日のキリスト者が最も近くにいるように思えてならない。