2009年12月31日木曜日

大晦日

 「味噌こしの底にたまりし大晦日、越すに越されず越されずに越す」、大晦日になると何時もこの言葉を思い出す。若いときに寄席で聞いたのかラジオで聞いたのか忘れてしまったが現代ではこんな言葉はどのような意味なのか分からないだろうな。

 越すに越されないことはなかったが今日でこの一年は終わる。振り返ってみれば、色々というほどのものはなかったがそれでもあった。一昨年の7月に引越して来て、あっという間に年を越して、今年は一年をフルで過ごした。寒い冬を経験して、最初に思ったのはここではホームレスは住めないなと思ったことだ。墨田川河畔、上野公園、代々木公園、新宿中央公園、知っているのはこれ位だが大勢の人がいた。それと日差しのある時の暖かさを知るとこれこそ恵であることを教えられる。この一つ教えられただけでも引っ越した価値があるように思える。といっても4月にならないと暖かくならない気候はやっぱり苦手である。それと坐骨神経痛になって、痛さと治りの遅さと多分完治することがないであろう経験も貴重であった。

 気ままに書いているブログに読んでいる方がいることを知って驚いたこともある。人に読んでもらうためではなく、自分の考えていることを文章にして整理したいという思いで書いていた。といっても纏まるわけでもないが。あらゆる意味でのマイノリティーとしての問いかけでもある。聖書や信仰に関しては、 「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。」job:38: 2 ヨブのような知識は勿論ないわけだが。

 それと不安と恐れが何処かで頭をもたげてきた。50代後半にもこんな経験をした。原因が分からなかったが今はよく分かっている。信仰の問いかけで、これは来年に答えが与えられるか自ら出さないといけないかどちらかであろう。来年は最後の60代である。70代へのステップになるような気がする。そのためのプレプレなのかもしれない。
色々なことがあったが感謝の一年であり、来る一年は色々な意味でチャレンジの年であるような気がする。

 今年も主の赦しを経験させられた一年だった。感謝。

2009年12月30日水曜日

200kmを

 先週の25日にお天気が良かったので自転車で出掛けて、図書館から釜口水門に出て、湊周りで諏訪湖を一周する。その後で温泉に浸かって帰ってきたといってもそこから川沿えに緩やかな坂を3キロほど走るのである。9月に自転車を購入して、3キロ、5キロと積み重ね、早々に諏訪湖一周をして、この間の一周で190キロあまりになっていていた。昨日は7キロ、今日は4キロから乗ってついに200キロを超えた。別に意識していなかったが暖かかった所為もあり、諏訪湖一周も出来たからクリアー出来た。

 自転車に乗っているとよく周りが見える。それに昔の道なのだろうか狭く、一般道を斜めに横切るような道が結構ある。それと古く大きな家もある。農家というより、養蚕をやっていたのかなと思わされる。義母が親しくしていた家も今も古い建物がある。昔は5,6階建ての繭倉があったそうだ。宿場町として栄えた下諏訪と養蚕で栄えた岡谷では少し趣が違うような気がする。

 自動車では見えないものが自転車や歩きだとよく見えてくるものがある。それと同じように聖書理解や信仰生活もスタイルを変えると今までと違ったものが見え、意外性を感じる。初期のクリスチャンはユダヤ人、「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、」 acts 2:46 。以前と変わらず喜んで宮もうでをしていた。今ならさしずめ偶像崇拝の槍玉に上がるだろう。パウロの登場から今日、様変わりは大きいと思う。聖書に帰るなら初期のクリスチャンでと思うが彼らはユダヤ教徒、我々はコリントの街のようなところに住んでいるから無理か。でもあんな自由で喜んでいる姿はうらやましい。気が向いたときにパン裂きをし、姉妹が祈って、教会の人たちはプログラムのない礼拝に驚いているそうだがその諸集会の信者も驚くやり方をやってみたいものである。と書いているのは自分にそんなものがないからかもしれない。

2009年12月26日土曜日

クリスマス

 昨日はクリスマスだった。クリスマスよりイブのほうが賑やかで、どんなことをやるのかわからないが静にクリスマスを覚えるのはカトリックのミサかもしれない。信者でない時は勿論、今でも余り関心を持たない。それは、日本人特有の精神論かもしれないがなぜか浮ついているようなのでそれが嫌なのだ。
 馬小屋で生まれたイエス像をどのように捉えるかで大分違うのではないだろうか。宿屋の片隅でなく、馬小屋は明らかに人々がイエス様を拒否している。福音書の他の箇所でも見ることが出来るが、この根源的な罪がいかに深いものであるか私には分からない。だから嫌なのである。これが分からないと神の愛はさらに分からないのではないだろうか。必然的に「ご利益的な信仰」なるような気がする。
 とイラソーに書いたが年賀状を書くのに四苦八苦していて静かに主の誕生を覚える余裕はなかったというのが本音である。そして昨日、郵便局に持って行くことが出来てホッとしているのが現実、オ・ハ・ズ・カ・シ・イ。

2009年12月23日水曜日

慣れ?

 雪国育ちだから、子供のころは寒く、冷たくてもそれ程苦にならなかった。むしろ雪で遊べる楽しさがあったように思う。こちらに来て、スキー場が近くにあるのにいいなぁと来る前は思ったが、こちらに来たらそんな気はほとんど起きてこなかった。この歳になると雪が降っても犬のように庭かけ周る元気はなく、猫のようにコタツで丸くなっているのがすこぶるいい気分。 そんなわけで今は寒さは苦手で、寒いこと考えると身が細る思いがする。 今年は暖冬のようでホッとしている。事実12月中ごろまでは去年より暖かかった。その後に雪が降ったり、気温もマイナスになり、結露したのが凍るようになった。これから3月いっぱい寒いのかなと思うとうんざり。しかし最初、室内の温度が10度を割ると寒さを感じたのが段々下がって4~5度でもそれ程寒いという感覚はなくなった。それにこのところお天気も良く、一時ほどでもない所為もあるのかもしれない。なれるってこんなんかなと思う?それでも寒く、そして日の出は遅く、日の入りは早いこの時期、お天気が悪かったらさらに気分的にも滅入ってしまう。 そんなこんなで今年も諏訪地区の気温の最低、最高気温を記録している。といっても気象庁のインターネットから諏訪地方のを記録しているのだが、だからどうなるわけでもないけど、今年は暖かいとか寒いとか、あと3ヶ月、2ヶ月、1ヶ月と忍耐と望みを抱こうと思っている。それと天文台からは日の出日の入りをコピーしている。12月3日から9日まで日の入りが一番早く、来月の2日から11日までが日の出が遅い。そこから3~4日に一分づつ延びて、それが一日1分となり、後は日が延びるのみ気分的にいい。そんな馬鹿げたことを考え、やっている。

2009年12月17日木曜日

フッと出てくるもの

 昨日は寒くなかったので買い物や図書館に自転車で出掛け、夜は諏訪に忘年会に行って疲れたのか、12時過ぎ早々に休み、朝起きたのは8時だった。その所為か今日は何もする気がなくて一日が過ぎてしまった。それ程体が疲れたということではないが何んとなく気力が出ない。買った本もあったのにそれを読むでもなし、もしかしたら忘年会のちょっとしたことが気になったのかもしれない。

 自分の中に屈折したものがあって、なんかの拍子に出てきて、それで何となく滅入る。今回はそれ程でもないのかもしれないし、東京と信州の感性の違いか、はたまた我が負の部分が出たのか分からない。なんかそれが尾を引いているようだ。そんなことを何となく気にするというのも問題なのかもしれない。明日になればそれもなくなるのだろう。

2009年12月12日土曜日

ある本を読み終えて

 先日、一冊の本を読み、考えさせられた。戦時下で治安維持法違反で刑務所に入った牧師の物語である。まさに隣町の教会の牧師(当時)の話だった。昔の写真に中田重冶が写っているそうだからホーリネス系?詳しくは知らないが戦中に多くの牧師が逮捕され、多くの牧師が獄中で亡くなったと聞いている。

 この本を読み終えた時、「青銅の基督」の本を思い出した。芸術と信仰、これが変に絡んで信仰もない一人の芸術家が基督者と誤解されて殺される。殺された彼を真に理解していたのは遊女だったというのも面白い。

 思っていることを書くと・・・。何時の時代も善意の人の集まりがあればそれを逆手にとって利用する為政者の姿がある。過ぎ去ってみれば「何で、」と問いかけても答えが出ないようなことをその時は疑うこともなくやってしまう。ロマ書7章ではないが悪であることを知りながらそれしか出来ない人間の姿がそこにあるのだろうかなぁ。やるときは綺麗なオブラートに包んで本質が見えないようにしてやる。

 今もこのようなものがあるような気がする。世の中は勿論のこと信仰の世界でもあるのではないだろうか。福音を語りながらもそこにあるのは自己実現が目的であったりして、その点イエス様はやることも言うこともストレートだ。だから殺された。変な読後感になってしまったが。

2009年12月11日金曜日

本を読んで

 最近でもないが本を読むのが遅くなり、尚且つ残らなくなった。元々斜め読みタイプで読解力はすこぶる悪い。それでも時間がかかっても残ればいいのだがそれも難しい。それでもまぁ少しは考えさせられたり、教えられたりしているからそれを「良し」としなければならないだろう。そんな中で今日一冊の本を読み終えた。私の原点は「弱さと知識の無さ」であるべきことを確認させられた。充分ではないが教えられて感謝している。

 「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」job:42: 3  ヨブの謙遜を見るが私にとってはことばそのものである。そして「私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」 job:42: 6  とヨブのように言えないのが・・・。

2009年12月9日水曜日

ふっと考えたこと

 よくアクセスしているブログに集会の建物に関することで、ある方の手紙を紹介されていた。集会場の色々な形態や事情があることを少し分かった。長野県にある集会も幾つも知っているわけではないが自前あり、定期的に長期間に亘って借りている所、わが集会のように公共の建物を2,3箇所確保して借りている所と色々ある。他もこの三つに準じているのではないかと思う。

 10数年まえにオーム真理教が問題になって、宗教法人法の改正などが話題になっていた頃に当時弁護士で元最高裁長官の藤林益三さんが日経新聞にコラムを書いていた。宗教法人法の改正に着いて専門家の立場から書いていている。

 最後に「かく言う私は内村鑑三の流れをくむいわゆる無教会主義キリスト者である。」という書き出しで「私たちには宗教法人法は無縁である。金もなければ施設も組織もないからである。日曜日には借り物の会場で同信の友が相寄り聖書を読み共に祈り、先輩が話し、後輩も語る。会場費としてわずかな金を入り口のかごに投じ、これで会場費や講壇の花代をまかなう。皆手弁当である。先輩が死去すれば後輩が我流で葬儀を執り行い、後輩が結婚することになると先輩がその司式をする。
 私は昭和9年以来88歳の今日に至るまでに数十人の先輩を天に送り、数十組の結婚を司った。今も月一回は約一時間立って話をしている。こういうやり方もあるのである。だれも文句を言わず、不満があれば去ればよい。風通しはまことに良い。しかし教会のような施設もなく、専従者もいないから、宣教には不都合で、これが最大の悩みである。」と書いていた。

 この最大の悩みを教会は解決しようとして努力しているのかなと思っている。しかし無教会は教会とは別の方法でこの世に対してアプローチしているのではないだろうかと思うときがある。教会はどちらかというと世の中のことには余り関心を示さないというよりそれが信仰的と捉えている。無教会は世に対して時には強烈なアプローチをする。そして批判するだけではなくその中に入っていって変えようとしている姿勢が見える。聖書の使信をどう伝えるか、その捉え方で集会場というものの位置づけが変わってくるのではないだろうか。
 
 無教会の集会はそれ程知っているわけではないが会場を借りて集会を持っている集まりが多いのではないだろうか。今はどうか分からないが東京にある一つの集会は自前の集会場を持ち、8月に修養会を持って、そこでバプテスマと聖餐をやっているとそこに集う方から聞いたことがある。そこは宗教法人に入っているとも言っていた。私たちの集まりは「無教会でも右です。」と腰に手ぬぐいを引っ掛けている姿で笑って話されていたのが印象に残る。集会と同じ名前の書店を持ち、出版もされている方である。今は息子さんがあとを継いでいるようだが。

 今はそれでも内村鑑三がこう言ったとか言われるが昔は無教会は「師と弟子」、「聖書の勉強だけ」と一刀両断だった。中を少し見ると確かに言われることも事実の所もあるがそれだけでなく伝道に熱心な集まりもある。個人の力の大きさかもしれないが学校を創ったりしているし、その広さは諸集会の比ではないと思っている。教会の自を是とし、他を否とする否定的発想はわが性格とマッチしてとても居心地がいいがそれが正しいかどうかは別であり、むしろ逆なのだろうと思った方が正解のような気がする。

2009年12月6日日曜日

伝える

 いつも話終えて思うことは伝えると言うことの難しさを覚える。と書けば格好いいが様は話が下手だということだ。それと自分ではよく分かっていると思っていることが実はよく分かっていないのではないかという思いもある。自分が分かっていても人に伝えるということはさらによく分かっていないと伝えられないということがある。また「裁きを語って救いを語る。」と言うことに上沼さんは異を唱えていたが同感しているところがあるが集会はそれを強調しているから難しい。それと年末に繁華街でスピーカーで「滅びるからイエスを信じて救われよ」と流し、問いかけても何も答えてくれないあのグループのことがすぐ思い出してしまう。集会の流れは流れとして、今生きているこの時にイエス様と共に歩む素晴らしさを自ら経験し伝えたいものである。そこに信仰、信頼が大切であることを知っていてもそれが・・・。ここに来て色々問われるがそのことに答えていけたらと思う。

2009年12月5日土曜日

2009年12月1日火曜日

終末論

 以前、もう20年前かもっと前かな関西のほうで「すぐ主が来る」という終末論が盛んだったらしい。それで自分の人生をそれに合わせて、生活設計していたら主は来なかった。結果として深く傷ついた人たちがいたことを何かで聞いた。
 最近またそのようなことが起きているのではないだろうかと思うことがある。勿論事実であるかないかはわからない。ただ何事も複眼的な目が必要ではないだろうかと思う。「あなたも行って同じようにしなさい。」とイエス様は言われた。神の国はこのようにして地上に出来るのではないかと思っている。