2010年2月25日木曜日

久しぶりに

 何時だったか本屋に寄ったときに、そこの本屋のベストテンコーナーがあって、その中の二番目か三番目に 「神様のカルテ」という本あった。パラパラとめくって面白そうなので図書館に予約していたのを昨日借りてきて一気に読んだ。第10回小学館文庫小説賞の受賞作品である。舞台が松本にある総合病院で働いている若い医師。松本城近辺が書かれていたり、著者も医師だったりするとフィクションと分かっていてもどこか現実味を感じる。

 看護師や同僚の医師の描写、死を前にしている患者の姿とその医療に対する有り方、医者としての一つの理想というかこう有ったらなぁとの思いがあったのだろう。同僚や患者さんとの言葉のやり取りとその機微を読んでいると若いときに読んでいた小説を思い出した。信頼関係にある人との言葉のやりとりはどんな言葉でも通じるものであることを教えているようだ。今はそんなことを見ることは少なくなった。ゆとりがなくなったのだろう。キリスト者の中でもそれを感じる時があるから何となく寂しい。

2010年2月16日火曜日

確定申告

 ここ数年、確定申告は国税庁のHPで作成している。e-Taxで手続きするともっと楽そうだが電子証明書やカードリーダーが必要だから面倒そうなのでやらない。それに書き込む箇所が少ないのでHPで十分である。

 申告するようになって、2、30年前にアメリカ人の宣教師が税の申告を大変そうにやっているのを思い出す。あの頃は自分がこんなことをするなんて考えもしなかった。市の申告相談会に行って年寄りばかり、私もその一人だが、どれだけ自分で出来るのだろうかと思った。税金をきっちり頂きたい役所としては、これはサービスなのだろう。日本人は自分もそうだが、親方日の丸的発想があり、どこか依頼心が強いように思う。

2010年2月7日日曜日

自浄能力

 ある牧師の逮捕や政界、相撲界での一連の出来事を見ていると組織の姿を浮き彫りにさせてくれる。個々に語られていることは正しいのだろう。でもこういうことは繰り返し行われているのではないだろうか。組織は良し悪しは別にして人を守り、人を疎外する。世の中の組織は仕方がないとしても教会はそうあってほしくない。ともすれば多数決の原理が働いてしまう。しかし弱者に対する配慮、少数者に耳を傾ける態度、これを大切にしてほしい。
 イエス様が「仕えられるためではなく、かえって仕えるためである」と御自身のことを言っているがここに原点があるように思える。帰るべきところはここだー。

2010年2月6日土曜日

受けるよりも

 「使徒の働き」の中にイエス様の言葉として、福音書には無いが「受けるよりも与えるほうが幸いである」という言葉が書かれている。
 確かに「受けるより与えるほう」がいいと思っていたが最近むしろ逆ではないかなと思ったりしている。受ける側はただ受けるだけでいい、与える者は自分の持っているものをあげなければならない。しかし受けるということはそんなに簡単なようには思えない。必要性を感じないといけない。プライドがあったら出来ない。身も心も貧しくなくては受け取れないのではないだろうか。「与える」のは持っているのを与えればいいが「受ける」のは手を空にしなければ受け取れない。これを書いていて20年前に読んだ詩をフッと思い出した。

「宝」

一つまた一つと、神は私から取り去られた。

私がこの上もなく価値ありと思っているすべてのものを、

私の手がからになってしまうまで。

ピカピカ光るくだらないものは

皆なくなってしまった。

私はそれを悲しみながら歩いていた。

貧乏というぼろをまとって。

そして、ついに私を招く神の御声を聞いた。

「あなたのからの手を、私にあげなさい」と。

私は両手を天に向かって差し伸ばした。

神はご自身の素晴らしい富で私を満たしてくださった。

両手で持ちきれなくなるまで。

私はついに自分の愚かな鈍い頭で悟った。

神はすでに満たされている手に、

ご自分の富を注ぐことはおできにならないことを。

「神のすばらしいご計画」より」

マーサ・スネル・ニコルソン


 

2010年2月5日金曜日

諏訪湖一周

 先週の土曜日、割と暖かかったので自転車で諏訪湖を一周した。今回は時計回りで下諏訪、上諏訪とゆっくり走った。最初はなだらかなくだりだからなんとも無かったが湖畔を走り出したら膝に痛みが来て無理かなと思いながらゆっくり走っていたら痛みが消えてきたので走り続けて一周することが出来た。腰や股関節は別になんとも無く感謝である。
 自転車の楽しみは車と違い狭いところにでも入れるし、ゆっくりだから色々目に映るのも多い。下諏訪と温泉街の湖畔は公園もあり、歩道とジョギングコースも分かれていて、本格的な自転車、私のようなママチャリに毛がはいたようなのと数は少ないが走っている。それ以上にウォーキングの人たちが多い。一人とかアベックとか年配の夫婦も結構目にする。このような人たちを見ながら走るのも楽しい。その反面、湊側はほとんどそのような人たちは見かけない。しかし黙々とぺたるを踏むほどではないが釜口水門の脇にある餅屋さんで大福を買う楽しみがある。

 お茶を飲みながら買ってきた大福を食べていてフッと思った。なんで楽でもない自転車に乗るのかなと。一つには2,3キロしか歩けないので整骨の先生に勧められたことがある。こちらは車社会で歩かないから運動不足になる。それを補うためである。東京はどこかに出掛けようと思ったら電車に乗らないといけない。エレベーターやエスカレーターはあるが階段を上り下りしないといけないから必然的に足腰の運動になる。こちらは努力しないとそれが出来ない。
 この歳になると得ることよりも失うことが多いから何時か歩けなくなるという不安がある。そのために自転車だがここまで走れるということを確認しているのかもしれない。健康と不安解消のためなのかなということを思った。

話題

 今、相撲と政治で賑わっている。どちらも番外編みたいなものだがこんな所から本質が見えてくるような気がする。
 相撲では貴乃花親方の理事当選、朝青龍の引退。二つとも遅きに失したの感も無いではないが相撲界の欠落したところが見えてよかったと思う。高砂親方がもっとしっかりしていればこうはならなかっただろうにと思うが朝青龍はあそこまでだったのかな。
 
 小沢さんの件も田中、金丸のかつての自民党派閥体質を思い出させる。このようなことは、これが最後になるのかなと思うがどうだろう。お金のかからない政策勝負の政治が出来る世界になってほしい。政治も経済もきれいごと言ってもやっていることは法律すれすれというのも多いと聞いている。ある意味で良心が鋭い人は勤まらない世界でもあるような気がするが。小沢さんがどうであれ、検察が立件できなければしょうがないと思う。もうそんなこと脇の置いてこれからの日本を議論しろよといいたい。もう小沢さんは過去の人になろうとしているのだから。自民党も小沢さんの首を取って気勢上げてどうするつもりかよ。日本の将来を考えてくれ、谷垣さんもいい人かもしれないが粒が小さい。天下国家を論じてくれ。

 翻って諸集会を見ていると、この二つの話題と内面的な面で似ているのかなと思う。色々なうわさを聞くがどこか旧態然としているところがあるような気がする。また大切なものをどこかに忘れているのではと思わされることもある。私はある面で、キリスト者は現代の律法学者、パリサイ人に最も近い人たちだと思っている。「驕る平家は久しからず」である自戒をこめて。

2010年2月2日火曜日

Hyssop様

 早速のコメントありがとうございます。主のお守りがあることを祈ってます。
諏訪湖の標高は780mですからそちらより少し寒いかもしれません。寒さに慣れた所為かそれ程寒くは感じません。坐骨神経痛も生活にはほとんど支障が無く、週に1,2回整骨院に通院するだけになりました。昨日から降っていた雪が10センチくらい積もりましたが大分融けてきています。暖かいのでしょう。コメントの書き方がよく分からなくて…。

2010年2月1日月曜日

ひそぷ様

 わがブログに唯一読者として登録している方がいる。北関東にあるG集会に集っている方である。私も登録しているから何を書いているのかがすぐ分かる。久しぶりにブログを開けたついでに読ませてもらった。その中に「試練」というタイトルに集会の責任者のK兄の奥様が癌で緊急入院したことが書かれてあった。機能も大分衰えていると聞いている。痰の吸引などもあるのだろうに大変だ。その後どうなったのだろう?

 癌は以前ほど恐れなくなったのかなと思う反面、昨年は伝道者のT兄の奥様が癌と分かってから数ヶ月で召されたり、以前にはS集会の責任者の方の奥様もあっという間に召されたことを聞いている。寝たきりになった友人も奥様が召されてしまった。助けを必要とする大切な人を召されたりする主のみ心は…。
 意図したわけではないでしょうが教えてくださったひそぷ様ありがとうございます。