2010年3月30日火曜日

コスモスの花のように

 伝道者のT 兄が新しく本を出版された。その本を日曜日に受け取り読んでいる。以前ブログに書かれていたものに手を加えているのと抜粋したものからだからより現実味を感じる。赤裸に書かれているからそのまま伝わってくるようだ。以前に式のテープも聞いたし、関西の熱さを感じる。伝道者を支える姉妹の信仰と姿勢を垣間見えたような気がする。自分の家族はどこかさめているからこんな風にはならないなと思った。

2010年3月27日土曜日

判官贔屓

 日本人にはこういう傾向があるのではないだろうか。「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」という句もある。アンチ巨人というのも、強いときの巨人の時代に生まれたのではないだろうか。わたしは阪神ファンだが、といっても大分前から名前を知らない選手が結構いる。負けたらと思うとTV中継は見ない。夜のダイジェストも勝った試合しか見ない。よく負けるから阪神が好きというわけではない。でもそんな面もあるかもしれない。

 わたしもどちらかというとこの傾向が強い。勤めていた頃は、上司とよくぶつかることがあったが同僚や後輩ではほとんどなかったように記憶している。以前、社会党があった時は、社会党を応援していた。政策に賛同したというより、自民党の対局として強くなってほしいという思いだった。それも叶わず解党しそうだが。今は民主党である。これも同じ発想。しかし、大分前からだが実に情けない。コメントする気にもならない。自民と組んでいた公明党は嫌いだったが、今だと連立を組んだら面白かもしれないなんて思っている。公明党も変わりつつあるかなと思っているがどうだろう。ビジョンを持った若い人たちが老害と闘って国を立ち上げてほしい。政策でのライバルとしての民主であり、自民であってほしい。諸集会でも言える事かな。

2010年3月23日火曜日

唯一の読者

 読者に登録している方がおられる。同じBlggerということで見つけてくれた。北関東にある同じ諸集会の方である。わたしは文字だけであるが、この方は内容も多岐に渡り、写真や動画も見れるようになっている。実に素敵なブログである。
 それが何時からだったかアクセスできなくなって、トラブルでも起きて辞めたのかなと思っていたら最近アクセスできるようになった。ちょっと違った感じに変わっていたので驚いている。何時だったかK兄を看護していた姉妹が倒れて入院されたことが書かれていて驚いたが、そんな集会の様子を知ることが出来たりで楽しみなブログである。これからも楽しみにしている。お気に入りに残していてよかった。
 もう一人の方も見つけてくださった。この方も諸集会の方である。ブラザレンについて詳しく書かれてアクセスも多い。とても参考になる。お仕事がお忙しそうで少し休んでおられたがまた書き始めたようでこれも楽しみでもある。
 お気に入りに入れているのはこの二つと以前いた集会のW兄の三つを入れている。何時もみるわけでないが、増やしたり減らしたりのブログである。

 

2010年3月13日土曜日

組織神学

 何年か前に買ってそのままになっていたヘンリー・シーセンの組織神学を要約したのをパソコンに入れている。ちょと難しいが面白い。この年でどれだけ身につくか分からんし、860ページもあるから最後まで行けるかもわからん。この本と出合ったのはもう半世紀も前の20代の頃ではないだろうか。ある集会の兄弟が自分のアパートに連れて行ってくれた時、難しそうな本を本棚もおかずに、ツンドク、床版のように床に並べていた。その中に、この一冊があったことを記憶している。それから頭にあって、何時かと思っていた。在庫切れになっていたり、やっと手に入れたという感じだった。2001年に印刷したもので、多分数年前に買ったのだろう。やっと手をつけたという感じだが、元々の出版は'49年、60年も前だ。その後の組織神学はどうなっているのだろう。いのちのことば社が印刷、発売しているから大丈夫なのだろう。聖書図書刊行会のは他に何冊か持っているが古典のようになっている。ということはこの手の書簡は余りないということか。

2010年3月11日木曜日

電話

 昨日めずらしく、東京のY さんから電話を頂いた。といっても家内が受け取って話をしただけなのだが、久し振りと懐かしさでうれしかった。お互いに気にしていても、引っ越して2年近くなると段々疎遠になってくる。どうですかというお電話と共に、様子を伺ったら余り体調が良くないとのことだった。こちらに来る一年前に原因不明の病気になり、一時は危ぶまれる程だったが奇跡的に回復してお元気になられた。それでも元々弱い体だったから体調はあまり優れなかったようだった。

 70代で一人住まい、私たちがこちらに来ると分かった時はショックだったみたい。住まいも離れていたから都心に出る時についでに訪ねたり、集会で少し話をするくらいだったが、年配の夫人たち以外と話すこは少ないから、それなりに話す相手になっていたみたいだ。こういう人たちの傍にいて話を聞く、私たちに出来る唯一のものだったがお電話を頂くと少し心が痛む。集会ではグループホームのために献金しているから早く出来るといい。一人でいるより煩わしい面もあるが「人がひとりでいるのはよくない」は若い男女だけの問題ではなく、普遍的なものである。金も能力もないが、そんな人たちと一緒に過ごせたらと思うときがある。今はその対極にあるからどこか寂しい感じがしないでもない。

2010年3月3日水曜日

やっと完了

 新約聖書概観をやっと纏めることができた。もう何年になるだろう。仙台の聖書通信講座から数えると足掛け10年にはなるかもしれない。テイニの新約聖書概観をベースに簡単なものを作ろうと思って始めたが途中までやってそのままになっていた。また作り変えてみたりと紆余曲折があって出来上がった。ほんの数ページにするつもりが20数ページなった。

 福音書からはじめて、使徒の働きをベースに教会の誕生などまではスムースに出来たがそれから数年立ったのかな中断して久しかった。去年、福音書の対照表を作り始めて、ここに入れるつもりはなかった。始めたら入れようと思うようになり、やる気が出てきたというのが本音。使徒の働きから聖書の順序でなく、書かれた年代順に並べていくと今まで見えなかったものが見えてくるというか流れが分かる。100年の歴史の中に、今日のキリスト教会の縮図が見えるから面白い。

 神のことばとしての聖書だが、先人たちが血を流し、命を懸けて書いてきたものだ。どこか土臭く、人間味のあるそんな聖書を感じる。端正という言葉から程遠いそんな聖書を思い浮かべる。聖書の順序ではなくて使徒の働きから年代順に書簡を並べていくと一つの流れを見ることができる。流れから書簡を見るって大切かも知れない。