2010年7月29日木曜日

ボランティアを終えて

市の広報で、「サマーチャレンジ2010」というボランティアの募集をしていた。夏休みに合わせているので、学生対照かなと思いながら応募した。案の定、説明会の時に集まったのは中高生の女子ばかり、男子は数名だけだった。殆どが保育園や学童クラブで、福祉施設は3人だけ、ちなみに63名応募したそうだ。彼等以外は40代の婦人と私だけ、こちらに来る前に、知的障害(軽度)福祉施設に一年チョッとパートで働いていたので、精神障害の施設に行くことにした。

三日間働いて、仕事的には難しくなかったが利用者とのコミュニケーションは、まぁまぁかなと思う。自分はそれほどオープンでもなく、積極的でもないから難しい。内容的なことは個人情報の問題で書けないが、お茶の時に話をしてくれた方は、数年前に家が土石流の被害にあって、そのトラウマが出るので、継続して会社務めができない。それで午前中会社に勤めて、午後に施設に来ていると言われた。薬を飲んでいたりすると朝起きれないから午後からという人もいれば、午前中だけとか時間的には不規則である。或いは週に何日と決めてきている人もいるようだ。

定時に来られる人は数人しかいないみたいで、月~金の9時~5時は当然のように理解しているがそれが出来ない人がいる。そのような人にとっては、こんな世界は過酷な世界だろうなと思う。何時でも来てと言われたが、これからもお手伝いに行って、何かとヒントを貰いたい。ナウエンの世界が少しは分かるかな?

2010年7月28日水曜日

何時も思うこと

月曜日に、関西に住んでいるK兄と家族が軽井沢に行かれる途中、近くを通るのでお会いしたいとブログに書かれてあって、気が付くのが三日後だったりとうまく連絡がつかなかったがぎりぎりのところで連絡が取れ、お会いすることが出来た。軽井沢にあるキャンプ場に学生時代から奉仕されているそうだ。今は家族で奉仕されている。

全くの初対面だったが、ブログを読ませていただいているだけでなく、色々お話を聞いていく中で、一見旧知は大袈裟だが共通の話題があって、話しがはずんだ。個々に書くことはしないが、人と人とのつながりの中で共通の兄姉がわかって、クリスチャンの世界は狭いなぁと今回も思わされた。奥様が一時東京のある集会に集っていたK兄のお姉さんと聞いてびっくり、そのK兄は佐賀で伝道しているH兄とは高校の同級生だったとか、同じ集会にいるときは何かと話しが合っていたのでうれしかった。茨城にある集会のK兄姉も驚きで、特に姉妹にはと言われて、思わず苦笑いをしてしまった。彼女は召されたが兄弟は70代の半ばだと思うが元気で活動されている。懐かしい名、名である。

聖書を含め、キリスト教に対する深い知識と見識を持っておられるので感心する。ブラザレンの歴史を調べてブログに書かれている。集会関係の個人のブログとしてはめずらしくアクセスが多い。集会関係だけでなく、何らかの形でかかわった方もアクセスしているようだ。集会も多様化?しているように見える。その一極にいるのかなと思っているがどうだろう。もう召された東京にある集会のS兄は、東京の集まりでは、以前はパン裂きができたが今は出来ないと残念そうに言われたのが何時も思い出す。それだけ主にあって共にひとつの思いがあったのだろう。その集まりで非難されたことがあって、その人は北陸から大阪へ移られて牧師をしているようだ。主のために車を持つというが云々と、高潔な士でもないだろうに、自らを是とし、他者を否とする典型かなと思っている。自分の中にもそのようなものがあるが心しなければと思う。

深く交わったらついていけないとおもうが、交わっていただける事は感謝であり、キリスト者冥利に尽きる。信州に引っ込んでしまったら、もう交流はないだろうと思っていた上沼先生とも会うことが出来、その上不思議な経験もさせてもらった。今回はさらにである。信州の難しさがあるが恵みのあることを今回も味わった。兄姉が集っている集会は従姉妹の住いに近い、何かの形でつながればと思うが、今回その一歩にでもなればいいのだが…。

昼食をご馳走してもらって、お土産まで頂き、それに最近あめんどうから出版された「わが家への道」も頂いた。何時もメールで注文しているが一冊ばかりだと悪いなと思って思案していたのでうれしかった。「心の刷新を求めて」が出たときはすぐ注文して送ってもらったが、まだ手づかずなのに、こちらの方を読み始めている。ナウエンは読みやすいし共感できる。生き方は正しくとも現実を見ていくと主流ではないような気がする。このギャップが色々な問いかけをしているような感じもするが。

2010年7月23日金曜日

神様のカルテ

「神様のカルテ」を、2月に図書館で借りたのに、また、借りて読んでいる。主人公は夏目漱石が好きな信濃大学(信大)を卒業した若いお医者さん、どこか坊ちゃんの筆の運び方に似ているのは気の所為だろうか(夏川草介-夏目漱石)。松本にある総合病院である本庄病院(相沢病院?)と自分の住いである古い旅館を改造した御嶽荘の住人との交流を描いている。あと、行きつけの飲み屋さんかな。                            

三話からなる物語だが独立しているわけではない。その締めごとに新しい旅立ちが書かれているのかなと思った。作者がそのような意図で書いたかは定かではないが。

主人公の若い夫婦、挫折した若者、そして死を目前にした老婦人。全体に流れているのは信頼。それを失っている様な、今日の価値観なり、生き方に軽い問いを投げかけている様な気がしないでもない。


若い医師である主人公とプロの山岳写真家である奥さんは、仕事の関係で行き違いになっている。一緒にいることも少なく、お互いに、どこか仕事優先、その中にあっても深い信頼関係を培っている。若い夫婦に限らず、夫婦や家族はどのようなもので繋がっているのだろうか。それが無くなって、その関係はゆるぎないものだろうか。自分を見ると良く分からない。最初の結婚記念日をお互いに仕事の都合で祝うことが出来なかったが、後日、満天の星も下で、星を見上げながら、二人の絆を更に深めて、確かな歩みを進めていきそうな雰囲気で一話は終わる。

次は、
住いである御嶽荘の住人である売れない画家の男爵と大学院生の学士の交流がまた面白い。酒を酌み交わすだけのようだが、それが深い。この画家は描けばすぐ売れるのに、お金や名声の為に描こうとしないみたいである。実は学士も、大学受験に失敗し、放浪の果てに、信州の田舎町に住み着いてしまったニセ学士なのである。しかし、博識とニーチェ研究では優れたものを持っている。母親は息子が東京で勉学に励んでいると信じて、何時か勉学を終えて帰ってくることを楽しみに待っている。また、母親を喜ばせようと願っていた息子でもある。この現実を知っているのは、学士の姉だけ、母が亡くなったことで、学士は絶望して死を選ぶが未遂に終わる。主人公は病院のベットの傍らで「学問を行なうのに必要なものは気概であって学歴ではない。熱意であって建前ではない。大学に行かずとも、あなたの八畳間はまぎれもなく哲学の間であった。その探求の道に何を恥じ入ることがある」と学士に説教をする。

学士は姉に促されて、新しい歩みを始めるために、田舎に帰る決意をする。田舎に帰る前夜、4人で学士の部屋でお酒を飲むが、時間を前後して男爵と奥さんは席をはずして、朝まで酔いつぶれたのは二人だけ、朝になって、目を覚まして、ふすまを開けると廊下いっぱいに桜の花が描かれていた。男爵と主人公の奥さんが、徹夜で絵の具まみれになって、学士の門出を祝ってくれた。

最後に、
大学病院で余命一ヶ月の宣告を受け、治療を断られた老婦人を受け入れて、最期までみとる。
若くしてご主人を亡くされ、あまり恵まれた人生ではなかった。延命治療をせずに彼女の意向に沿うように配慮してくれる。死を目前にした病院生活であったが彼女にとっては至福のときでもあった。1220日が誕生日、看護師がさりげなく彼女の希望を聞くと、ご主人との思い出があるのか山を見たいという。ベットから車椅子に移動するのも禁止されている状態なのに、看護師たちの手回しで、誕生日に車椅子に乗せて、病院の屋上に行くことを、主人公の立会いの下で許可せざるを得なくなる。彼女は北アルプスを眺めながら、彼らの配慮に深く心打たれる。そして、ご主人との思い出の品、「文明堂のカステラ」を主人公の奥さんが探してきて、彼女にプレゼントする。うれしさの余り彼女は絶句して言葉を失う。現実には出来ないことであるが、作者の医者としての理想を描いたのかもしれない。

一分一秒でも命を延ばすことが治療ではなくて、命の尊厳を彼女を通して語ろうとしているみたいだ。 亡くなった後で先生宛への手紙が見つかり、その中に「病むことはとても孤独なことです。」と書いている。病まなくても人は孤独になる時がある。

イエスさまが、税金取りのザアカイや、人の目を避けて生きているサマリヤの女に声をかけたのは彼等が孤独であったからだろう。しかし、声をかけたのは「あなたは孤独ではない。私がいる」と語りかけているような気がする。だからこの二人は、新しい歩みが出来たのだと思う。

2010年7月20日火曜日

金賢姫来日

中井洽・拉致担当相は20日、閣議後の記者会見で、大韓航空機爆破事件の実行犯の金(キム)賢姫(ヒヨンヒ)元工作員の来日について、「総理、官房長官、外相、法相の協力と韓国政府の決断で実現した。世界に日本と韓国が一体となって拉致問題に取り組む姿勢を示せた」と話した。(MSN 産経ニュース)

来日には色々な意見があるようだ。拉致問題では拉致被害者のお気持ちはよく分かるのだが現状のままでは進展がないのではないと思うのは私一人ではあるまい。拉致問題では、先日亡くなられた高橋三郎氏がこのようなことを書いている。

拉致問題の真の所在

去る10月5日は、13歳の時北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの44歳のの誕生日であって、ご両親のもとに多くの友人が来訪して誕生日祝賀会が行われた由、その様子がテレビで放映された。来年こそこの席にめぐみさんを迎えたいという切実な願いと併せて、何故交渉が書くもはかどらないのかという苛立ちの声が上がったのは、聞き捨てならぬ呻きとして胸に突き刺さった。しかし何故こういう事態になったのかという理由について、明確な認識を持つ人の声に接しないので、これについての私見を述べることにしたい。

2002年9月17日の小泉訪朝のとき、金正日総書記が日本人拉致の事実を認めて謝罪し、小泉首相は日本による植民地支配に対する償いとして経済協力を行なうことを公約し、この二点が平常宣言として発表されたのだった。その42日後(10月29,30の両日にわたり)クアラルンプールで第一回日朝国交正常化交渉が行なわれたのだが、日本代表団は、経済協力についての討議に入ることを拒否したのである。これは赦し難き背信行為であったから、北朝鮮代表はは激怒して席を立ち、日朝関係は修復不可のな断絶状態になってしまった。かくも重大な背信行為に日本政府を駆り立てた原因は、アメリカからの指示によるとしか説明のしようがない。

北朝鮮は日本からの経済支援をきっぱり諦めて、中国の経済発展に範を求めようよとしたり、核実験という危険な賭けに出て、(核施設の稼動停止という条件の下に)重油100万トンの支援を受ける約束を取り付けるなど、あらゆる手段を講じて経済再建への模索続けてきた。つまり日本を相手とせず生き延びる道を模索してきたのである。その上、北朝鮮との直接交渉を拒否し続けてきたアメリカが、2003年以降この方針を放棄して直接交渉に乗り出したため、北朝鮮をめぐる国際情勢は益々北朝鮮にとって有利となり、六カ国協議の場においても、日本だけが孤立する事態となった。

しかし日本は「対話と圧力」によって交渉すると言っているのだが、これは力づくで相手を押さえ込み、こちらの思う通りに動かそうとすることでもあって、真の(ギブ・アンド・テイクを基本とする)外交とは言い難い。誇り高き朝鮮人がこれに屈服するなど、あり得ぬ事であって、日本は今や拉致問題解決のへの糸口を、自ら断ち切ってしまったのである。日朝間の国交を再構築する事こそ、拉致問題解決のため不可欠な前提であって、日本はかつで残虐極まりない朝鮮人連衡の罪を謝罪する所まで遡って、和解の手を握らなければならない。そして拉致問題だけでなく、北東アジアの諸国が平和共存できる連合体を形成するという地球規模の課題に対しても、日朝両国の和解の達成は、焦眉の急を告げる我々の課題である。(2008年10月12日) 「十字架の言」誌 第11月号より

以前から、拉致された5人が一時帰国を果たした後に北朝鮮に帰さなかったことや家族の帰国問題の取り扱いに、苦言を呈していた。正しいかどうかは分からないが一考に価するものではないだろうか。北は指導者が変わろうとしているとき、日本はどのような選択をしていくのだろう。外交手腕が問われる。

2010年7月16日金曜日

選挙その後

選挙を終えて、何か釈然としない。
あれだけ声高に叫んでいたのに選挙が終わったら沈黙するなんて信じられない。あれは何だったのだろう。そんな事はないと思うが、もし選挙だけのものであったのなら、選挙民を愚弄するものだ。聞いていて、言葉の軽さを感じるがその辺が問題なのかもしれない。もう党利党略で動く時ではない事は議員さんもよく認識しておられるであろうから、これからを期待しよう。特に若い政治家さんに期待したい。

今、「坂本竜馬を斬った男」という本を読み始めている。坂本龍馬も大河ドラマも興味はなかったが、龍馬を斬ったと言われる今井信郎のお孫さんが著者だと言うので興味を持ったというだけのことである。それにこの方の後半生は基督者として歩まれたとのことでも興味もあった。この出来事も色々脚色されたりして、本当のことは謎のようだ。

そんな事を考えていて、福音書を思った。福音書はイエス様の生涯が記されている。迫害の中で、弟子たちが、或いは語られたことを福音記者が書かれた。今日でもイエス様の生涯が手に取るようにわかることはすごいなと思う。聖書は何ものにも代え難い世界遺産だ。

2010年7月12日月曜日

選挙

もう大分前からだが選挙の度に感心することがある。それは選挙の予想が正確だからである。今回も各党がどうなるかの予想は大体当たっていた。 すごいなと思う。

今回は菅さんの消費税発言が問題になっていたが、でも、これが民主党なり菅さんの本質なのだろうなと思う。それが露呈しただけではないのかな、傍観者であり、多くの面で知らないことが多いが、政策論争などで国を2分なり3分するような選挙が出来たらいいなぁと思う。若者を含め、国民が関心を持てるような政治をやってほしいものだ。

世界が変わり、日本も変わってきている。そんな中で政治は相変わらずではこの国はどうなるのだろうか。国内の問題は勿論だが、国外の出来事なり、流れに目を注いでほしいものだ。アメリカやヨーロッパ、そして中東、そういえば中東問題の専門家の大野さんが当選している。議員さんに色々示唆してほしい。中国も台頭し、日本がその下に位置する日も近いかもしれない。ある面では既になっている。中華思想が表立って来たらどうなるのだろう。台湾とも接近しているし、北朝鮮とも距離をとらない。日本は拉致問題で膠着している。ウルトラCの外交が出来る日本だといいのだが…。