2010年10月24日日曜日

ひそ〇さん

ブログを閉じられたのですか?
もしそうなら残念です。でもまた始めるのでは…。

2010年10月22日金曜日

水に流す

日本は水の豊かな国の所為か日本語には水に関する言葉が多いような気がする。例えば、水に流す・水くさい・水かけ論・水清ければ魚棲まず・水心あれば魚心・水をさす・水の泡になる・みずみずしい・水もしたたる…等々。しかし最近は雨が降らなくて渇水になったり、降れば降ったで集中豪雨になり、恵みのというより災害が目に付くようになった。


先日、息子の引越しの部分手伝いをしていて、彼が渡してくれた「心に刻む」という題の小冊子、明治学院が戦後50年を記念して発行された15年前のものである。当時、集会に明治学院の学生がいたからその人たちの誰からかもらったものであろう。


副題に「敗戦50年・明治学院の自己検証」とあるように、当時の学長の中山弘正氏が学院としての戦争責任を告白されて企画されたようだ。戦前戦後を通して学長をされた矢野貫城氏の言葉が比較されるように載っていた。このことにはコメントを控えるが、先日、テレビで三浦綾子さんの人となりを放映されていた。彼女は先生として子供たち一生懸命に教えてきた教科書に墨を塗って行くことに耐えられなくて先生を辞めていく、そのときはクリスチャンではなかった。

戦前活躍したクリスチャンは概ね戦争肯定ではなかったのではないだろうか。そのような中でホーリネスを筆頭に集会や無教会関係の信者も刑務所に入っている。戦争というものは人間の感覚を狂わせてしまうらしい。これは日本人だけでなく、すべてである。今も印象に残っているのは、アメリカがベトナムを空爆しているとき、それも枯葉剤を撒いているときではなかったか、ある宣教師がこれは悪魔との戦いであるようなことを言われて、やっていることは当然のような口ぶりに驚いたことがある。共産主義=サタンの構図なのであろう。戦争はあらゆる物を狂わせてしまうようだ。

戦争責任を強く糾弾するクリスチャンがいる。正しいかも知れないが、天皇制を動かすことの出来ない事実の前にあっては無理なことであろうと思う。批判する側もされる側も結局いのちの掛けていないのである。そんな中で戦後の日本をどうするかで苦労されたクリスチャンたちがいたことを誇りに思う。キリスト教界では本流ではないかもしれないが、それも批判の対象になっているようでもある。

最初に小冊子を読んで、過去を「水に流し」て、それでお仕舞とする日本人の生き方に感心したのである。矢野貫城氏は後にあるキリスト教大学の学長にもなっている。学問の世界には縁遠い者だが、それでもわからない。真理に立つとか弱者の側に立つとかは、少数者の道であり、狭き門からの道であろう。自分の立場をしっかり確保して叫ぶのはフェアじゃない。

2010年10月15日金曜日

マツタケご飯

先日、お客さんからもらったと特大のマツタケを二本頂いた。
早速、マツタケご飯にして頂く、美味しかった。いつもは一膳だが、ついお変わりをしてしまった。マツタケは味より香りがいい、頂いたときは部屋いっぱいに香りが充満(少しオーバーかな)して、香りに満たされているという感じである。あのしこしこした食感もたまらない。

東京にいるときはTVで見るくらいで、現物はそれほど見る機会がないが、こちらは産地だからJAなどにも並んでいるし、学校給食などでも出ているようで、ニュースで取り上げ、大盛りのご飯を美味しそうに頬張っている子供たちの画面を見ていると、何か目の前をマツタケが素通りしていく感覚である。指をくわえて過ごすだけかと思っていたから、とてもうれしい。

専門家から今年は豊作だといわれていたが、猛暑できのこの兆候さえ見えない中、雨が降ったり、気温も平年並みになったら、あれよあれよと大豊作になってしまった。どんどん大きくなるから、少し時間が経ってからとりに行くとこうなるのだろう。〇〇サンありがとうございました。

2010年10月9日土曜日

御柱

長野の善光寺のご開帳と諏訪大社の御柱際は7年に一度行われる。7年に一度の大祭の所為か、実に官民?一体となって行っているという感じを受ける。善光寺はわからないが、諏訪大社の御柱祭は、諏訪人の中に自然というか当然のように、受けいれられている。というより組み込まれているように受け取れないこともない。

元々信仰心はなく、田舎にいる時には、お盆のお墓参りに行かんと言って父に怒られたり、村祭りもお店が出て人で賑わった事が楽しかった記憶はあっても、信仰心の信の字もなかった。その神社も鍵がかかっていなかったりして、2間四方しかないようなものだったがそこで隠れんぼをしたりしていた。ある時、大人が頭を下げているものにどんなすごいのが入っているのだろうと、中にある小さな祠?の扉を開け、紙に包んでいるものを一枚一枚、解いていってみたら丸い真鍮のプレスしたようなものだったのでがっかりした記憶がある。こんなことが大人にばれたらただですまないことであろう。それからあんな物に頭を下げることが出来なくなった。生意気な子だった。しかし、内村鑑三が神社の前を通ると自然に頭を下げたくなるようなことを何かで書かれていたが、明治神宮などに行くとどこか荘厳さを感じるから頭を下げたくなるから気持ちが分かるような気がする。神田明神も湯島天神もそんな雰囲気ないなぁ。村の鎮守の神様も然りである。

御柱の年は、地域にある各々の神社も諏訪大社と同じ御柱祭をやる。先日「山出し祭」が行われ、山から御柱を曳航し、今日は「里曳き」といって山から里へ、そして神社に曳航する。朝から夕方までの一日がかりである。町内の組の役員をやっているので名前は載っているが参加していない。綱の飾り付けを頼まれて、組の中のところはやったがそれ以上はやるつもりはない。飾り付けくらいは祭礼というより行事の類と思っている。人が大切にしているものをないがしろにするつもりはない。むしろ大切にすべきだと思う。しかし、神殿の前に行って、祭礼をしないとなるとそれを否定することになる。だから行かないのである。これと違うがお焼香は偶像崇拝というが本当にそうだろうかと思う。実際はTPOではあるが。

長野県にある幾つかの中の歴史のある市であるが現状は村である。観光という面もあるから一概に言えないが政教一体である。市というより自治会が主体であるが一体のような感じを受ける。それでも色々強制していないところはその辺の配慮があるのだろうか。

もう35年も前に、溝口正さんが「自治会と神社」という本を書かれた。そこで自治会との争い、市との訴訟問題等が書かれている。日本人の民族性、全体性を大切にして、個をないがしろにする体質を指摘しておられたが、今も地方にいるとそれを強く感じる。それと戦う力も気もないが、このようなことは教会も論外ではないような気がする。個を大切にする教会、異質なものを受け入れる教会、そんな教会を思う。イエス・キリストはその個を大切にした。この方は無教会系のキリスト者である。

2010年10月5日火曜日

浦河べてるの家

元TBS記者の斉藤道雄さんの書かれた『べてるの家のいま「治りませんように」』を読んでいる。斉藤さんが「べてるの家」に関する2冊目の本である。向谷地さんが内側から、斉藤さんは外側から書いているそんな感じを受ける。10年前に仕事の取材でかかわって、仕事を離れてもべてるとかかわって2冊も書いている。斉藤さんは受ける印象は地味だが、誠実さを感じる。だから続いたのだろう。そのことを感じさせるコメントをあとがきに書いている。

「べてるの家」は、32年前に向谷地生良さんが浦河にある日赤のソーシャルワーカーと勤務してから始まる。その後に精神科医の川村敏明さんが赴任して、進展していくのである。「べてるの家」は日赤の精神科を退院した数人の集まりから、向谷地さんを中心に始まった。それが、今は100人から150人が浦河の町に散在して、幾つかの事業を始めている。

今どうなっているかはわからないが、当時は地域的環境も非常に悪かったようだ。そのような中で、共同生活を始めたのである。統合失調症は、暴力、妄想、幻聴などがあるようだが、私の知っている人は、会話が出来ない。聞いている分には良いのだが、異論や反論をすると会話はそこで終わる。その時点で、大袈裟に言えば敵対者になってしまう。一人でもこんな調子だから、そのような人たちが大勢で生活している。常識では考えられない。そこでの日常は大変なものだろうなと思う。しかし、苦労しながら生き生きと問題も起こしながら生活しているようである。

病気は治すもの、生活するには暗黙の基準の中で生きるもの。しかし、あそこでは病気をそのまま受け入れている。私たちの生活の中にたくさんの制約がある。置かれている立場に適合しなければならない。会社の勤務していたら、まず第一に仕事をこなす能力がなければならないだろう。決まった時間内は拘束される。朝起きれないから昼からとはいかない。この時間というのが問題で、精神的な病気のある人は能力があっても、これで駄目になってしまう。考えてみればある人たちが当然と思っていることでも、出来ない人には無理難題なのである。それは暗に存在の否定につながっているような気がする。「べてるの家」はそれを肯定している。一般社会では生活できなくても、浦河では出来るのである。社会に対して、一つのアンチテーゼのような気がする。ま、受け止められないだろうけど。

他の本でもそうだが「べてる家」での出来事を淡々と書かれている。しかし、その内情は大変なものだろう。そこで生活しろといわれて出来るだろうかと思う。まず、自分の価値観を捨てなければならない。そして、ありのままを受け入れなければならない。ふっと、ナウインがラルッシュでの経験を思い出す。そこでは今までの経験が一切通用しない。戸惑いながら、受け入れ、この世界が当然のようになっていく、ナウインの姿がダブル。 昇る人生ではなく、降りていく人生なのである。

斉藤さんは一つの事件のことを書いている。それは入院中の患者が同じ入院している患者を包丁で殺害してしまった。妄想で殺してしまった。病院がとった処置で、医師と記者のやり取りを、そこにあるのは、病人を管理するという発想である。医師はそれについて否と言われた。管理して防げるものでないことを医師は良くわかっていた。殺人者だから凶暴なという意識、病院側は本人はもうそれ以上何も出来ないことを認識していたので何もしなかった。それと、被害者のご両親が加害者のご両親を葬儀に招いている。加害者は被害者より年上で、ご両親も上、自分たちより長く、このご両親は苦労されている。その苦しみがわかるから、招いたようである。一般常識では判断できない何かがある。神戸で高校生が刃物で殺されたことがニュースになっていたが、気になる。危険と理解、どこかあい矛盾するようなテーマだ。

斉藤さんもあとがきで書かれていたが、「…みんなの話を聞き続けて記録するという日々を求めたとき、私はすでにこの社会の中心からそれ、昇る人生から降りていたのではないかと思う。」ここでは昇るのではなく、降りていくのである。ふっと福音書のイエス・キリストを思い出す。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)と取税人ザアカイの救いを語っている。病人や罪びとと呼ばれている人たちの傍らに立ち、そこから共に歩む姿がダブル。福音は語れても、その傍らに立てるか共に歩めるかと、どこか彼らと似ている息子の傍らに立てるか、難しい問いかけであるが答えて行かなくては、粛々と。

2010年10月4日月曜日

isa 63: 9

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。

2010年10月3日日曜日

isa 53:2b-4

彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。