2010年12月31日金曜日

この一年 

今日でこの一年が終わる。過ぎ去ってみればあっという間であった。年と共に変化の幅は小さくなってきたがそれでも色々なことがあった。大きいのは70代に入ったことだろう。人生の最後のターニングポイントに入り、そして一歩踏み出したそんな感じでもある。サムエル・ウルマンの「青春」という詩の中に
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。・・・
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに始めて老いがくる。」
青春を歩むか老いて萎えていくのか二つに一つしかないのような気がする。否定的発想は頭も体も絶えず起きてくるからそれに眼をつぶり、前を見ていく姿勢は少しあったかなと思う。しかし、あらゆるものが老いていく中で来るべき年が同じようにもてるかはわからない。まぁどちらにしてもスタート地点に立たされた年であったような気がする。

それに付随してかキリスト者としても興味も価値観も少しずつ変化してきたのかなと思う。以前から持っていた価値観は色あせて見えるようになった。イエス様の地上の歩みを我が歩みと願うならペテロの晩年のようなものではないだろうか。「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」john:21:18
ストレートでこのような経験はできないがそれに似たようなことはありえるだろうなと思う。そんなこんなの一年、駅伝ではないが今年は次につなげる年荷ったのかなと思う。その答えは来るべき年に答えはある。どんな答えか?

2010年12月30日木曜日

タウン紙で

先日新聞に挟まっていたタウン紙に載っているセミナーの要約が載っていた。地方紙の女性対象のセミナーで「命の現場考」というタイトルである。お寺の副住職の尼さんが講師だった。生きるとは仏教から語っていたようだがその題材をV・E・フランクルの「夜と霧」からと書かれていたのでびっくりした。「フランクルと仏教の教えは全く離れたところにあるが仏教的にも解釈できます」と書かれて如来様云々と、要約だからよく分からなかった。しかし、仏教と哲学はキリスト教より合うのだろうか。

学的なものはほとんど分からないが今読んでいる主人公もフランクルもユダヤ人である。ユダヤ人は自分たちを迫害した者も助けた者も執拗に探し出す姿を見てある種の恐れを抱くが、この二人は命の危険にさらされ、家族や親族を悲惨な死で亡くしていながら、憎しみはどこにあるのだろうと思うほど淡々としている。二人を見て結論するのはいけないかもしれないがユダヤ人の奥の深さを感じた。神に選ばれた民であり、世界の中心の民でもあることを何となく思う。

2010年12月29日水曜日

「通訳ダニエル・シュタイン」

ユダヤ人でありながらナチスの通訳として働き、その働きの中で300人かのユダヤ人を助けたが、ナチスに協力したということでユダヤ人に受け入れられず、戦後イスラエルでカトリックの神父として働いているという実在の人物をモデルに書かれたというので興味を持った。それで図書館にあるのを知って借りてきて読んでいる。

何人かの人が登場し、その書簡のやり取りを書いているのでややこしいので読みづらかったが読み進んでいくうちに人のつながりや複線が見えてきた。キリスト教といえばプロテスタントであり、その視点からしか見ていなかった。しかし作者がロシア人のロシア正教徒、モデルはユダヤ人のカトリックの司祭であり、モデルの対極にあるようなロシア正教の司祭も登場する。舞台はキリスト教でも西方教会、東方教会の世界であり、同じキリスト教でも全く?違う世界なのである。

逆にプロテスタントの世界しか知らないということはある意味で狭いのかもしれない。二つとも異端として退けているが歴史のある二つの教会の持つ霊性はある面で優れたものがあるのではないだろうか、東方教会のことはほとんど分からないがカトリックには優れた霊性を持った人たちがいる。組織としては問題としてもそのような人たちを生み出したものを無視することは果たして正しいことだろうか。

前半はユダヤ人としてポーランドでの東西の狭間の中に生きてきて、修道院で匿われて信者となり司祭となる。戦後イスラエルでカルメル会の司祭として活動する。教会の教義を必ずしも踏襲していないような文面だ。本の裏表紙に書かれている「惜しみない愛情、寛容な共存の精神、そして祈り」を実践している。宗教を超えて接する人に愛情を示しているのを見ると、カトリックの教えから逸脱してくるだろうなと思う。逆に組織は教義に束縛されて硬直していのちを失う危険性を持っている。それが今日の宗教界かもしれない。

キリスト教でも違った世界だから最初違和感があったが読み進むうちに自分の知っているキリスト教の世界は狭いなぁと思った。そういう面で示唆されるものがあってよかった。本質的ではないが。

2010年12月26日日曜日

今年最後

今日は今年最期の礼拝を8名の兄姉で持つことができた。忙しいのに毎月来てくださる伝道者のM兄ファミリー、彼と一緒に来てくれる若い兄姉、今月は千葉からI ファミリーが来てくださり、ただ感謝の一年だった。自分の中に何もないことを再確認され、多くの兄姉の祈りに支えられた一年でもあった。若い夫婦に赤ちゃんが与えられた。頭に腫瘍ができて、出産一ヶ月余りで8時間の大手術をされ本人はもちろん、両親にとっても試練であったであろう。傷跡が残るが元気で今はハイハイしている。小さな集会でも素晴しいことも辛いことも何でもありである。振り返ってみれば、そこに生きて働かれる主を覚えることができた一年でもあった。

こちらに来て3年目に入って、一年目は集会にも自分にも戸惑い。二年目は集会も自分も見えてきた。そして3年目に入って、集会や自分のビジョンが見えてきたような気がする。まだ点のようなものか方向を示されたのか定かではない。主の御心を求めてわが道を歩めるように祈ろう。すべてに感謝して…。

2010年12月25日土曜日

不安

年とともに夜の睡眠時間が短くなってきた。一時は3時間眠ると目が覚めたときがあったが今は5時間くらいである。日中にも眠ることがあるからトータルで7時間は眠っているのだろう。12時過ぎに床に就くが朝まだ暗いうちに目が覚める。布団の中でそのまま休んでいるとまた30分くらい眠ってしまう。そんな時に思い巡らしていると何が原因か分からないが不安を覚えることがある。そういえば50代後半に前触れもなく不安というか恐れが襲われたときがよくあった。気がついたらそのようなことが消えてしまったが、どこか精神的な弱さがあるのかもしれない。不安があるから信仰があり、移り変わるこの世にあって、変わらざる方を知れることは幸いである。弱さであるかもしれないが神に近づく一つの手立て、感謝しよう。

2010年12月21日火曜日

いのちの誕生

毎月集会に来てくださっている伝道者のM兄からメールを頂いた。今月の後半に赤ちゃんが生まれる予定になっていたから生まれたのだなと思ったらそうだった。2675gの男の子でお父さん似かな、その所為か短いメールの文面から親馬鹿ぶりがうかがえる。彼らの様子を思い浮かべながら、いのちって愛を生み出すものなんだなぁと思った。愛がいのちを生み出したのかな?

そう言えば「きみは愛されるために生まれてきた」という歌が一時はやったことがあった。その時はそんなものくらいでしか思わなかったが今実感する。神様が創造したのは愛であるということもなんとなく分かる。いのちを生み出すとは愛の結果なんだろうなと思う。愛されるために生まれ、愛する対象を得た者の幸いを思う。そんなに愛せなかった子どもたちにごめん。「神は愛である」を改めて教えてくださった身近にいる親ばかのお父さんたちにありがとう。

2010年12月17日金曜日

民主乱ガイド

「小さないのちを守る会」代表の水谷潔さんのブログを「お気に入り」に入れて読んでいる。示唆に富んだことを書かれているので教えられることが多い。「小さな命を守る」ことは頭で分かっていても現実的に対応するのは手っ取り早い中絶である。この国に於いてはクリスチャンとて例外ではない。世間体という大切なことを優先するとこういう結果になる。国民性なのだろうか、身近にこのようなことが起きたらどう対処できるか分からない。

結婚したからといって、子どもは与えられるわけでもない。子どもが与えられても健康な子どもとは限らない。考えてみれば奇跡そのものなのである。長野県立子ども病院の院内学級の子どもたちと父兄が書いた『「電池が切れるまで」(副題子ども病院からのメッセージ)すずらんの会編』という本の最後のほうにお母さんが書いた詩が載っている。

「親の思い」

五体満足で育っている子どもを持つと
子どものいない人をうらやむことがある

切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと
元気で普通の子どもをうらやましく思う

一生ハンディの残る子どもをもつと
一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う

余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は
ハンディが残ってでも生きている子どもをもつ親をうらやましく思う

子どもができない親は
生める親をうらやましく思う

腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど
私は、いつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい

考えてみれば、子どもをほしいと願いながらも与えられない人を見たら、中絶なんては簡単にできない。「命」を出来物の一つのように扱いば出来なくもないが、そうしたら「命」は物以下になってしまう。それでは神無しでも悲しい。命を与える神の前には?しかし、現実に行うことも心で行うことも神の前では同等であるかもしれない。

水谷さんのブログを引き合いに出したのは、タイトルにあるようにミシュランガイドをモジッて、今の民主党の有様を表現している。五つ星をモジッて五つ書いている。
1.前政権からの変化の乏しさ
2.ぶれだらけの一貫性のなさ
3.パフォーマンスに終始する仕分け
4.権力の二重構造と内部分裂
5.支持率の大暴落と政権放棄の危機
ただこれだけであればどうってことないがこれをクリスチャンに当てはめているのが絶妙なのである。耳が痛いことこの上ないが、考えさせられるコメントであることは間違いない。信じるとは天国行きの切符を手に入れることに主眼をおいて宣教するとこうなるよと警鐘しているようである。聖霊の働きとは聖書知識の深い洞察力だけでなく、自己変革、自己改革を求められているような気もする。ブログ名は「命と性の日記~日々是命、日々是性」

「もしドラ」を読んで

よく売れているというので図書館で借りてきて読んだ。読みやすくて面白いがドラッカーは名前しか知らない。同じダイヤモンド社から出版されている「ザ・ビジョン」と内容が似ているなぁと思った。高校野球部と保険会社の違いはあるがどこか似ている。分析したりすることは出来ないから多分感覚的ものだろう。ダイヤモンド社だからビジネスは成功しないと駄目だろう。どちらも組織であれば参考になるような気がする。教会も然りである。

2010年12月13日月曜日

新しい旅たち

昨日は「新しい旅立ち」という題で話をした。親不孝をして、父の寿命を縮めたとの思いがあり、父が亡くなった70に拘っていたその歳になり、「大晦日、越すに越されず、越されずに越す」という落語の枕か小話の中で言われたことを思い出して、まさに60代をプッシュされて、70になってしまった。このことは信仰に入る一つのきっかけにもなったことで、父よりも長生きすることは、私にとって余生であると思っている。

諸々のものが衰えていく中で、何か出来たらと思っても、何が出来るかわからない。ホイベスの詩ではないが「謙虚に人の世話になる」の謙虚は難しいが少なくとも「お世話に」なることは出来る。そんなことを考えていながら、父を越えた歳は私にとっては新しい旅立ちなのである。

考えてみると旅立ちは、人生に於いて絶えずあるのではないだろうかと思う。幼稚園、或いは保育園に始まって、学生から社会人になることや結婚、子育てと未知の経験に入っていくことすべてに言えるような気がする。そういう意味でこれからの私もそういうことが言える。

イエス様の降誕もある意味で、人々に新しい歩みを提供しているから、ある人にとっては新しい旅たちであるように思うがいかがだろう。三浦綾子さんは「私にはまだ死ぬという仕事がある」と言われたそうだ。ご主人の三浦光世さんが「死ぬという大切な仕事」という本も書いている。人はその死に至るまで絶えず新しい旅たちをしているような気がする。いのちにつながるか滅びにつながるかはあってもである。

2010年12月9日木曜日

クリスマスに思う

私が小さい頃はクリスマスやサンタクロースという言葉は余り聞かなかった。地方の田舎までジングルベルの音は聞こえてこなかった。それに靴下は木綿で穴が開きやすく、足袋が主流の時代である。サンタクロースが来ても煙突も靴下もない。東京に来ても縁がなく、繁華街でお酒を飲んでとんがり帽子をかぶって騒いでクリスマスを祝っている?姿を見て、キリスト教を冒涜するものだと思いながらも私には関係のないものと冷めてはいた。それがクリスマスセールとデパートを始め、商売に使い始めて、クリスマスやサンタクロースの名前が一般化したように思う。そういう意味でクリスマスの名前を広めた功績は大きい。

しかし、本来のクリスマスを伝えようとすると無関心である。日本人は本質をすり替える名人なのだろうか。たしかに日本の仏教は原始仏教と違ったものになって発展したと言われている。今はキリスト教はマイノリティだからいいが、信者が人口の10%、20%となるようになったら大分変質してくるかもしれない。質は脇において、そんな日本を想像もしてみたい。それには、ニーバーの祈りではないが「変えるべきことを変える勇気」が必要だろう。『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』(luke:7:34)とクリスチャンが言われる時が来たらこうなるかもしれない。そんな時には、クリスチャンは本質とそうでないものを見分ける霊の力が必要とされるであろう。もちろん今日もそうであるが。

イエス・キリストの降誕の記事はマタイとルカにしかない。マルコはバプテスマのヨハネの活動から始まっている。福音書の記者がイエス様のどれを書いて、どれを書かなかったかをみると面白い、彼らの視点が分かってくるようだ。三つ或いは四つの福音書が同じことを書いているとこれは大切なことなんだなぁと思う。独自のものはまたそれで趣があり、福音記者のメッセージが伝わってくるのである。

2010年12月8日水曜日

クリスマス会余話

小さな集まりの小さなクリスマスコンサート。しかし、若い司会者が感動して「私たちが招いたわけでもないのに来てくださり…」と声を詰まらせたのがすべてを表している。いつも来られている方が3名に新しい人が一人来てくださった。力強い演奏に、聖書のあとがきから福音を語ってくださり、初めての人には如何だったかはわからないがアットホームな集まりだった。昼食時には、忘れかけていた私の誕生日のサプライズがあり、東京から姉妹が焼いてくれたケーキと何人かの方の寄せ書きを頂いてびっくり。アクシデントはあったがすべてを益にしてくださる方の働きを今回も見ることができた。感謝の一言。

2010年12月4日土曜日

クリスマス会

明日は早々の集会のクリスマス会、いつも来てくださるM 兄が今月は第一週になったので、それに合わせて5日になった。豊科から来る予定の方が来られなくなったりで残念だったが前に見来てくださったT兄が一緒に来るとのこと、東京で結婚式に会ったばかりだがうれしい。M兄の図らないで千葉の先からI兄姉と息子さんが日帰りで来てくださる。

I姉妹のピアノ演奏とI兄の賛美歌の説明とM兄のメッセージという、クリスマスコンサート形式である。ピアノということで、結婚式場のチャペルを借りて行うことにした。結婚式場のチャペルで礼拝をやり、福音を語り、コンサートをやる。チャペルが本来の働きをこの小さいな集会でやった意義は大きいと自負している。

I兄姉は姉妹のご両親が以前集っていた集会で一緒だったことからのつながりで、以前電気店に勤めていた時のお客さんでもあった。結婚されたときに家電一式を秋葉原から千葉の先まで届けたことが昨日のように思い出される。姉妹のご両親とのつながりの方が強いのだがこんな形でまたつながってくださるのはうれしい。

こちらに来て、交わりが疎遠になるなぁと思っていたが、M兄やこの小さな集会に重荷を持ってくださるO兄のお陰で、意外性を持った交わりを頂いて感謝している。関西から軽井沢に行く場合、岡谷インターで降りるからこの恵みも頂いている。色々なことがあるが感謝の一言に尽きる。