2010年1月26日火曜日

電気の使用量

 冬になると電気代が普段の倍以上になる。1月などは3倍近くになる。最初の年はホットカーペットを点けて寝ていたのでその所為かなと思っていた。今年は電気毛布を使っているがむしろ去年より多い。それより凍結防止のために水道管にヒーターを巻いているから、どのくらいの消費電力か分からないがこれが大きいのかもしれない。それにコタツとかフアンヒーターもある。多少上ってもおかしくないがこんなに上るのは東京では考えられないことである。

 寒くなって思うことがもうひとつある。前にも書いたかもしれないが太陽が出ている時の陽射しの暖かさである。これぞ恵みと思ってしまう。心まで温めくれるような感じを受ける。しかしヨナ書のとうごまの出来ことを見てヨナに限らず人間って結構いい加減なものだと思う。多くの物を当然のように受け取っていることが多いのではないだろうか。物の豊かさは私たちに感謝よりも不平不満をもたらすことが多いような気がする。感謝するって大切だけど、いざとなると難しい。

2010年1月23日土曜日

懐かしさ

 昨日、郵便小包が届いて、心当たりはないので思わず配達員に誰からと言ってしまった。差出人の名前を言われ、以前お客さんで年賀状のやり取りをしていた方からだった。今年の年賀状の半分近くを古希に合わせて、今年で辞める旨書いたのでその所為かなと思った。中にお札の煎餅と金のインゴットに合わせた箱に入ったチョコレート、お札を細かく裁断したものが入っているボールペン、それに私がクリスチャンだと知っていて、聖書資料集という日キから出版されている本が入っていた。

 日銀に勤めていて、10年前まで辞められた方たちの親睦団体のような旧友会に10年間勤めていたそうだ。定年からこちらに移ったのだろうがこんなに長いのはめずらしいのではないだろうか。温厚な方だったのでその所為もあるのだろう。もっとと乞われたがお母さんのために辞めたそうだ。お母さんもどちらがお客さんか分からないくらい良くしてくれた方だった。業者の納入の窓口担当で色々お世話になり、行員対象の業者としても入っていたので何かとこちらもお世話になっていた。

 業者で本店の行内を自由に歩けるのは本屋と私の勤めていた店だけで、総裁室から地下の市中銀行に届けるパレットの上に10数億単位のお札があるところにも行ったりした。一般の行員でも行けない所を行ったりしていたので行員よりも良く知っているのじゃないと言われたこともあった。たまにTVで支店長会議や政策委員の会議の円卓を見ると懐かしく思う。辞めた当時は知っている顔が映ったりしていた。そんなことを知っているので、懐かしいだろうと送ってきた次第である。販売している会社も一時は定年で辞めた方の受け皿の用になっていたが今は違うみたいだ。それでも社長は元理事だった人がやっているといっていた。仕事としては一番充実していたから懐かしく、タイムスリップする。この方を含め4,5人いたがそれも今回で止めることにした。辞めるということは辛いが老いの次のステップをと思っているがどうなるか覚束ないなぁ。

2010年1月22日金曜日

最後の講座

 実践塾の講座も今日(21日)で終わりである。といっても来月9日にもあるが塾生による纏めであるから今日が最後のようなものだった。最後の講義は「会議の持ち方・司会進行の方法」で信州話し方センターの先生が話してくれた。会議の持ち方といっても話し方聞き方の基本的なものと司会者の仕事の基本を「若者に望むこと、伝えたいこと」をテーマにやって、司会役をさせられた。これは苦手で意見を言ってもらうだけで終わった。テーマを把握したり、みんなの意見を吸い上げ纏める頭の回転がどうも機能しないようだ。何時もだが時間が少ないから駆け足のようで、ほんのさわりをなぞっただけ、それでも経験するだけで良しとしている。点数は上げれないがいい経験だった。
  
 午後は2006年7月に起きた花岡地区の土石流災害の当時の区長だった小口氏の講演だった。7名が亡くなり、全国的に有名になってしまった災害である。現場の責任者のような立場にあって行動し考えさせられたことを話してくれた。自助、共助、公助の三つの大切さは頷かされ、住民の意識、ボランティアの有り様を考えさせられた。この災害を通して住民の連帯の意識が生まれ、近くの花岡公園の整備を市ではなく、住民のボランティアで整備をやって、2008年度の県の「元気づくり大賞」を頂いたそうだ。昨年の何時だったか偶然その現場に家内と行って、上の方で工事をしていたり、明らかに土石流があったと思われるような土の盛り上がりを見て、ここだったことを知る。そのことが蘇って来た。県内だけでなく県外でも要請があって講演をしているようだ。もう90回からとか言っていたが貴重なお話しだった。住民のその後のメンタルな面を聞いてみたかった。
 

2010年1月12日火曜日

昨日のこと

 前橋に恒例の学び会があって行ってきた。案内が来なかったがある方の配慮で手配してくださり、昼食にも預かることが出来、何人かの兄姉と交わることができて感謝。メッセンジャーの三人とも良く知っていて、一人は昨年神学校を出たばかりで彼が大学生時代は同じ集会にいた。何時かあなたのメッセージを聞きたいと言っていたがそれは社会人となり集会の責任も取っていく中でメッセージもその中にあるからそんなつもりだった。それがこんなに早くこようとは思っていなかった。神学校については色々議論があるようだが難しい問題である。

 ここは何時も講解説教、ロマ書6,7,8章から話された。主題が「御霊に従って歩む」であった。大切なことは誰もが分かっているが、最近聞く色々な集会のうわさはそれに逆行しているようなことが多い。思うに基督者は現代の律法学者、パリサイ人の感があるからと思っているからそれ程驚かないが、しかしそれは表面的なもの、その下には深い神の働きがあるような気がする。

 律法と御霊、この辺を対比して語ってくれると面白かったかなと思うが皆さんどんな印象を受けられたのだろうか。ある面で難しく、ある面でインパクトがいまひとつという感もする。私自身のキャパの問題もあからなんとも言えない。

 行きは朝7時過ぎに出て、高速で更埴周り、帰りは佐久から和田峠を通る。どちらも時間的にもお金の面でも大体同じ。更埴周りで200キロ、東京に行くと同じ、和田峠では凍結が気になる。年と共にきつくなり、来年はどうなるかもう軽井沢止まりが精々で
シニアもどうなるか、でも前向きでだめなことで悲観的になるのではなく気を切り替えてチャレンジして行きたい。

2010年1月8日金曜日

舞ちゃん

 先ほど集会のO兄から電話があり、昨日の舞ちゃんの手術が無事に終わったとの連絡を頂いた。お腹の中にあるときから顔の大きさと同じくらいの腫瘍が出来ていて、、お母さんは2ヶ月まえから入院して出産に備えた。帝王切開でそれも普通は横に切るのを縦に切ったそうだ。それだけ母子共に大変だった。もしかしたら顔に後遺症が残るかもしれないとのことだったが、それも様子を見ないと分からないとのこと、まずは感謝。なんか彼女は私たちにたくさんのことを教え励ましてくれるような気がする。まさに天使やぁ。お腹の中にあるときに既に戦いの中にあり、この世に生を受けて、8時間もの手術に耐えたのだ。臆病な私には真似ができない。舞ちゃん元気と勇気を頂戴。よろしくね。

思い出せない

 昨年の暮れに村上春樹の「1Q84、book2」を図書館から借りていて、5日から読み始めて、いま読み終えた。途中から緊迫感が有って一気に読んだが読後感はすっきりしない。さらに続くのか終わりにしては何となくすっきりしていない。彼の小説は独特なのか余韻が残らない。或いは難しくて真意を測れないということもあるのかもしれない。500ページ余りを2日半かかったエネルギーを悔いる。しかしbook3が出たら図書館に予約をするだろう。

 それと今book1のストーリーはほとんど思い出せない。私のうちに何かが始っているのか定かではないがと控え目に書いて実は既に始まっているのである。しかし思い出せないのが悪いのか思い出させるものがないのが悪いのか分からない。古希を迎えようとしている身としては余程インパクトがないと残らない。残っても持続性がないのが難点である。生きる為に必要でないものはどんどん忘れていく、だから深刻になることもないか。忘れたらそれはもう必要ないものだと思うようにした方がいい。

「満ちたりることはわずかですむ
 ただ一つでも十分~」
というエミリー・ディキンスンの詩がある。
 

2010年1月7日木曜日

神長官守矢史料館

 諏訪大社の上社の神長官である守矢家の資料が展示してある小さな史料館である。諏訪大社といえば御柱が有名であるがここには上社で行われる御頭祭でささげられる動物の剥製が展示してある。その中で鹿が75頭ささげられたらしいが、ここでは10数頭の鹿の頭の剥製が展示してある。一頭だけが片耳を裂かれている。7年目で解放される奴隷が主人と家族を愛しているために一生奴隷として仕えることの印としてキリで耳に穴を開ける出エジプト記21章を思い出す。少し離れているが守屋山、前宮の聖所を思わせる10間廊、本宮は神殿が奥にある。どこかユダヤ教の息吹を感じるが仏教にしても色々なものが混じって、その面影は極一部、ここも同じかなと思ったが解明できたら面白なと思う。

写真

 ブログは文章を書くだけしか出来ないのでそれしかやっていなかった。色々できるみたいで写真を入れてみたらこんなに風になった。風景は一面に大きく載せると綺麗だが大きすぎるから少し載せて消そう。脇にも載せてみた。

 先日メールをくれた方は趣味として鳥の写真を撮っている。メールの時は必ず一枚とか二枚の写真を添付してくれる。とても素敵な写真だ。あんな写真なら大きくてのせてもいいが簡単なデジカメで撮っているからたいした物は撮れない。彼は北関東から東京の羽村まで週2回聖書の講義を聴きに行っているそうだ。その前向きと熱心さとどこかいい加減な私、そして不器用さがこんな所にも現れるのかなと思った。
 
 「反省するならサルでも出来る」こんなコマーシャルかなんかがあったがサルでも出来ることは私はやらない。反省はサルに任せて、さて何を・・・。

2010年1月5日火曜日

今年は

 三が日も終わり、日は変わって5日になっている。今年初めての書き込みである。いつも思うことだが年末年始の日曜日が何処に来るのかで大分変わって感じるように思う。今回は3日が日曜で三が日は終わりで珍しく区切りがいい。

 区切りがいいといえば今年は古希であり、誕生日が日曜日、4,5年か7,8年の割で誕生日が日曜日になる。信仰を持ったときの年がやはり誕生日が日曜日だった。それでお願いして誕生日に洗礼を受けさせてもらった。これだと何時洗礼を受けたかが忘れない。しかし誕生日やクリスマスを祝ったりしないので、誕生日前後は覚えているが当日になると忘れていることが多い。茗荷の名前の由来を何かで読んだことがある。全く同じような人間であるから丁度いい。

 冬は東京に比べたらはるかに厳しい信州の生活を経験して、フッと思う。温暖な地での神認識と厳しい気候での神認識は違うのではないだろうかと。それと四季がはっきりしている日本にいると冬の厳しさを通して、人間に妥協しない神を見る。春には食物が芽を出し花を咲かせるので命を思い。暑い夏は神の裁きを思う。そして実り秋である。

 「神は愛である」とヨハネの手紙に書かれているが愛はいのちの生み出し、いのちは希望を生み出してくれる。このことを形にしたのがイエスさまの受肉と十字架と復活である。よく年が明けてから礼拝時にイエス様の誕生の賛美歌を歌う。3日にも礼拝賛美歌98番を賛美した。今年一年はどのような年になるのか楽しみであり、また逆の恐れもないわけではない。