2011年2月27日日曜日

キリストの栄光

聖歌402番「おかのたてるあらけずりの」の歌詞の最後の部分に「じゅうじかのなやみはわがつみのためなり」とある。この言葉にクリスチャンであれば誰も否定する者はいない。

しかし、何故イエス様はユダヤ人に限らず誰もがつまづくような形で来られたのだろうかと思ったりする。勿論聖書のことばで説明はつくことは分かっている。しかしである。聖書の中によく逆説的なことが書かれている。これとも関連があるのだろうか。

当然のように受け取っているものを逆の視点で見るとまた違った展開があるのではないだろうかと思うことがある。あるいはそのほうが正しい視点であったりする可能性もあるだろうなと思う。良くこれは偶像礼拝だといわれることが良くある。お焼香もそのうちのひとつである。しかし、マモンについてはあまり触れることはない。ある面を強調すると肝心なものが見えなくなることってあるなぁと思う。こんなこともそのひとつのような気がするがどうなのかな。

2011年2月24日木曜日

雑感

ベルリンの壁やソ連の崩壊は誰もが予想しなかったできごとであった。それからか共産主義の崩壊が始まって、中国は以前からだが北朝鮮も抗議デモがあったようなニュースがあった。知識があるわけではないがこの二つの国も現状維持はないだろうなと思っている。意地悪ばあさんの漫画に「これから国際情勢を勉強しなければ」と、新聞を広げるのだが、結論は「スターリンもチャーチルも(だったかな)永くないなぁ」だった。回りがギャフンだがわたしも似たような程度だ。

30年も前に山本七平氏が「勤勉の哲学」という本を書いている。「副題に日本人を動かす原理」とあって、鈴木正三と石田梅岩という二人の思想から書いている。内容は忘れたが、帯に「日本人が働くのは金銭のためではない。労働を芸術にまで高めた、四百年の伝統に基づく独特の『哲学』のためである」と書いている。

わたしらの世代は「勤勉」という言葉はからだに染み付いているのではないだろうか。農家に育ち、小さい時から働いてきた者にとって、働くことは時として喜びにつながるものがあった。物を造り出すこと、あるいはお客様のニーズに答えられて喜んでもらえることがうれしかった。その対価としてお金をいただくのである。貧しくとも心にゆとりのある時代だったのかもしれない。儲けるという発想は少なく、というっより才覚がなかったといった方が正確かもしれない。この間のニュースで、30代の若者が生活保護を受け、生活保護者は治療費は無料らしい。具合が悪いと言って睡眠薬を処方してもらい、それを売って、ギャンブルなどに使っているみたいだった。金額は忘れたが結構なお金になるようなことを放映していた。怒りを覚えるというよりも悲しくなった。彼だけでなく社会がそのような方向に持っていったものも少なからずあるのだろうなと思う。額に汗して働くのは罪の結果であるが、それだけではなく喜びも付随してあるものだと思う。働くことがに喜びではなく、欲望を得る手段にしてしまったのかもしれない。あるいはその根底に哲学の無さがあるようにも思える。どこかの国のようにお金だけの発想に成り下がってしまった感も無きにしも非ずである。

世の中の動きも混沌としてきており、政治を見るとその最中にあるのかなと思う。現実の厳しさが増して、弱者であるわたしらは、もろに直撃である。しかし明治、戦後と混沌としたところから出発したが、そこに「人」がいた。今も「人」がいる。「勤勉」と「誠実」を失わなかったら、これからの日本に悲観することはないだろう。「井の中の蛙大海を知らず」的発想である。日本は、創造の神を拒む民族であるが神に選ばれた民族でもあるように思う時がある。すべての民は救いの対象ではあるが。

2011年2月22日火曜日

何もなくて

大分前から立ちくらみがし、間をおいているが温泉で二回ばかり貧血で倒れた。一度は疲れていてその上長湯をして、最近は温泉に入ると湯船から上がる時に何となくふらつくようになり、いつだったか湯船から上がって更衣室で体を拭きはじめたらスーと気を失ってしまった。

この間の大雪で、食後すぐ雪かきをしたら気持ちが悪くなりかけて、やばないなと思いながら家に入って玄関で横になってしまった。なんともいえない気持ちの悪さであったが数分か横になっていたら落ち着いてきた。家内に言わせると大分顔が青かったといわれ、気分が回復するにつれ顔色も良くなってきたようだった。それと本を読んでいたりすると右目の奥と後頭部が縦に痛みを覚えるようになり、血圧も高いので、脳梗塞とかの病気があるのかもと思って、いつか市民病院にと思っていた。

それで延び延びになっていたが今日行って来た。受付に看護師がいて状態を話をするとどこの課に行ったらいいか案内をしてくれる。結果は神経内科と眼科、神経内科ではわたしの様子を見て、たいしたことないよと診察もしない前に笑いながらいわれた。その後で血圧を測り正常で終わり。もしかしたら今まで行っていた医院が廃院になったので行き始めている医院がみんな診てくれるよといっていたからそのこともあったのかなとも思った。

眼科も白内障があるがこれは年相応とのことで心配ないとの事だった。その前に検査をしたら老眼が進んで、今のメガネでは度数が低いので視神経が刺激するのだろうとのことだった。たしかにテレビを見ているときはなんでもないのに本を読んでいるときだけ痛くなる。それに以前に比べて字が読みづらくなった。車を運転しているときもメガネをかけている方がいいといわれ、何となく納得。

この月初めに胃が痛くなり、一週間サクロンを飲んでも回復しないので医者に行き、カメラをのんだが何でもなく、きれいなもの。カメラも初めてで、がんの前兆かと不安を抱きながらのできごとであった。ものづくりフェアに医療器メーカーが血管の老化を測定してくれるというので、血圧が高いから測ってもらったら、硬化度、最高最低血圧、脈拍、脈圧、はグリーンの中、それに血管推定年齢というのがあって67歳、年よりも若かった。今のところなんともなくてよかったが、父親が脳梗塞で倒れているから、その気はあるだろう。心臓もどちらも弱いから年相応に気をつけていかないとと思っている。

2011年2月19日土曜日

ものづくりフェアー2011

「ものづくりフェアー2011」を18,19日とララオカヤとテクノプラザで開催していた。おもに地元企業が出展している。学校展示も小・中学校、高校の生徒の作品の展示と大学が幾つかPR ?で資料などを展示していた。



県外だと岡谷と言ってもどこと聞かれることが多い。いつだったか同県人で聞かれたことがあって驚いたことがあった。それほどに知名度は低いのである。諏訪湖というと大体あの辺かと分かってくれる。天竜川の源流が諏訪湖であることはあまり知られていないようだ。



企業の大きさは分からないが7,80社から出展しているのではないだろうか。光学、精密加工、表面処理、電機・電子、機械装置、計量器、医療・福祉と多岐に渡っている。何となく寂れた街という感がないでもないが中々だなぁと思った。大きい工場は数社くらいではないだろうか、後は小、零細企業では?素人の目ではあるが製品を見ているとその技術力はすごいなぁと思った。独特の技術をもった企業もあるようだから、こんなに技術があるのならもっと発展して欲しいなぁと思うが中国に工場が移って寂れた日本の姿がここにもあるのかな。この街は土地が狭い所為か大きい企業は伊那や塩尻などにに移っているようでもある。

昔は絹糸の産地であり、家内の実家の二階は養蚕場になっていて、その面影が残っている。街には昔絹糸を紡いでいたのかなと思うような木造の大きな建物を何箇所か見かける。今も一軒、繭から絹糸を製造している会社がある。


戦前に工場が疎開してきて、戦後、精密工場が発展してきたと聞いている。それと起業家精神も強い土地柄でもあるのかもしれない。カメラが全盛の頃はオリンパスとヤシカがあり、諏訪ではあるが時計のセイコーもあった。そしてそれが発展したのがエプソンであるがその中に会社や工場が岡谷にあったようである。設備の点検保守の仕事を始めた頃、機器のプリンターは信州精器製だった。部品の補充が利かないので駄目になった器械から部品を補充して直していた。そんなことを思い出して懐かしく思う。このメーカーがセイコーの関連企業でもあり、エプソンの前身のひとつである。

これからは今までと違った展開になっていくのだろうが今あるものを生かしてさらに発展していって欲しいなぁと思った。

2011年2月16日水曜日

確定申告

今日から確定申告の受付が始まった。正社員の仕事をやめて、パートをやったりして数年になるが最初の頃は還付金が戻ってきてにんまりしていたが、今は年金だけだから納めるだけである。それも昨年より少なくなっているのはうれしいが、それは収入が少なくなっていると言うことだから痛し痒しである。来年度も少し下がると思うからどんな申告になるか楽しみでもある。ホントは眉間にしわを寄せないといけないのだがなるようになるだけだ。この歳まで面倒見てくれた方に任せて・・・。

初めの時から申告も添付するものが少ななかったので、それ程難しくはなかった。今は国税庁のホームページから数字を打ち込むだけ出来上がるから超楽である。こちらでは三回目だが最初大勢の人が来ていてその順番に従っていた。昨年は資料ができていることを伝えら少し待っていたら受け付けてくれた。今年は午前中は込むので午後行ったら割と少なかった。受付で資料ができている旨伝えたらすぐ受け取ってくれて、納付書もすぐ発行してくれてホッとした。皆さんが待っている中をさっと済まして帰れるのは気持ちがいい。性格的に問題だなぁ・・・。

冬の間は寒いのでつい車に乗ってしまう。今日はそれ程寒くはなかったので役所まで歩いて行った。2キロ弱、久し振りで足が少しもつれる。からだを動かしていないと加速度的に衰えてくるのを実感する。温かくなって自転車に乗ったらさらに分かるだろう。緩やかな坂で行きは良いが帰りが分からない。多分帰りはひーふー言うだろう。言っても乗れればいいがそれも覚束ないなぁ。

2011年2月13日日曜日

召された

伝道者のOさんが召された。
かの有名なTさんがブログにOさんのことを書いている。同じ伝道者として立っている立場?からか、先輩の尊敬しているキリスト者としてからか。

わたしにとって、専心伝道者として立っていることだけで尊敬に値する。Oさんはその上に開拓伝道されている。京都、広島、そして三原と、信者を育てながら、時には拒否されながらもである。

最初の出会いは、栃木県の奥湯西川の旅館での夏の聖書の学び会だった。もう45年も前の出来事である。最後の日に司会者が感想をと言われたが沈黙が続いていたので「さっぱり分からない」とさらにしらけるような言葉を発してしまった。信じて間もなかったころだった。すかさずOさんが「信じたばかりだとしょうがないが来年も再来年も同じだと困る」と言われた。そうならないようにと聖書を読み、自分なりに努力したが困る状態は相変わらずだ。

そこから細く、長い付き合いだった。家内の実家で家庭集会をやっていた時、軽井沢や群馬の行き帰りに寄って下さって、その都度、東京から出かけて行った。いつだったか長女の方と来られた時があって、ここだと気を遣わなくてもいいからと言われたことが印象に残っている。この小さな集会に重荷を持ってくださり、ウィークデーで寄るのではなく、日曜日を使ってくださった。いつだったかある集会から寄ってお話をと頼まれた時、この集会による予定だからと断ったら、不思議がられたとそんな話をしてくれた。どこでも来て欲しいのに忙しいから来てもらえない頃だったから、「そんなところよりもうちの大勢の信者に話をしてくれたほうがみこころだ」と言うようなニューアンスが汲み取れる。あの方はどこか反骨的なところがある。

それと印象に残っているのは、「クリスチャンは雑巾のようなものだ。散々使ってボロボロになって捨てられる。それでいい。」と、頭で理解できるがそれでも現実にはと思っている。驚くのはそれを地で行っていることである。テープを送っていただいて、他の人のは、ここがと思うことはあったがそのようなことは何もなかった。それで集会の中でギャップを感じたことが懐かしい。みかん箱に三つか四つあったテープをどうしようかと考えていたら、韓国から来ていた方に何本か貸したら、全部聞きたいと狭い家なのに喜んで貰ってくれた。20年以上たったテープである。

キリスト者として資質が違う、わたしはその対極にいる。定かに覚えてないが「磨けば光る玉もあれば磨けば砕ける玉もある」と、彼は前者でわたしは後者である。こちらに来て、さらにそれを確信している。わたしはブログのタイトル通り、食卓から落ちるパンくずを拾って十分。

2011年2月11日金曜日

春が 

今年は雪が少ないなぁと思っていたら昨夜から少し降りだして今日一日降っている。今冬二回目の雪かきである。東京では4月初め頃によく大雪があった。これは春を告げるひとつのシグナルのようなもので、冬の最後の足掻きのようにみえる。三月いっぱい寒いが、今日の雪を見ているとそんな感じを受ける。この雪は関東地方にも降っているようだ。

日本人は冬の最中(さなか)、春はまだまだ先なのに、新しい年を迎えるに当たって迎春ということばを使う。これは厳しい冬の先に暖かい春があることの希望なのか、あるいは現実を直視するのを避けているのかどちらなのだろう。あるいは両方かな。

聖書は、私たちに希望や喜び、そして平安を与えてくださる。現実が厳しいから未来に希望を与えてくれるのではなく、たとえ現実が厳しくともその現実の中に希望を平安を与えてくださる。それは「神の愛」がそうさせてくださる。

「愛は…すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して耐えることがありません。…いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です」。(Ⅰコリント13:4、6、7、13)と。        

ことばだけでなく、その裏づけをイエス・キリストの十字架を通して与えてくださった。

「十字架のことばは、滅びにいたる人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力なのです」(ⅠコリントⅠ:18)と。だから「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:3-5)。

人生の黄昏は何かと厳しいが永遠の春はすぐ近くに来ているのである。

2011年2月9日水曜日

ムラサキシキブ 

昨夜少し雪が降って、ムラサキシキブの木の周りに鳩が来たようで足跡があった。この木は、冬は枯れ木のようになってまことに貧相だ。しかし春に枝の先端に小さな葉が出てくるとあれよあれよと葉が鬱蒼と生えてくる。そして小さな花が咲き、実がたくさん成る。

葉が枯れて実だけになると、どこからか小鳥が来てその実を食べる。雀や鳩、名は分からないが色々な小鳥が来てついばんでいる。食べやすいところから食べて、ついに実はなくなったがそれでも時々来て地面に落ちている実をついばんでいる。

不思議に思うのは、ほとんど鳥など来ない所なのに、晩秋からこの季節になると来ることだ。それと窓越しで動いていてもすぐ逃げていく、視力がいいからだろう。人が食べないものでも植物が実を結ぶということはこういうことなのだと分かる。小さな花が咲き、実を結ぶこの木は鳥たちにとっては貴重なものなのである。神様の配慮を思う。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。マタイ6章26節

2011年2月6日日曜日

心に留める

黙示録の一章三節にこのようなことばが書かれている。

「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人は幸いである。時が近づいているからである」。

週のはじめに集まり、みことばを読み、賛美し、祈りをする。人の側から見れば小さな集まりであり、見栄えなき集団であるが、主は幸いなりと祝福を与えてくださっている。うれしいことだ。慰められる。素直に喜ぼう。

2011年2月3日木曜日

春はまだ先だが

一月は寒かったが月が変わった途端に少し温かくなった。冷え込みも緩み、日中も暖かさを感じる。今日布団を干したが膨らみ方が違っていた。少しでも寒気が緩むと何となくほっとする。といっても今日はマイナス5℃の6℃である。ということは一月が如何に寒かったということである。最高気温がマイナスの日が何日かあり、最低気温はマイナス10℃前後がかなりあった。それでも諏訪湖は全面結氷は無し、御神渡り(おみわたり)も期待していたようだが無しだった。まだ春は先だがこの暖かさで氷は解けてきているから、これからは無理だろう。

寒いところに住んでいると太陽の日差しと温かいことが如何に恵みであるかを実感する。聖歌の中に「原に若草が」という子供向けの聖歌がある。春が近づくと必ず礼拝で歌っていた。子どものような気持ちになって歌えるのである。残念ながらこちらでは礼拝賛美歌しか使わないので歌えない。

1、原に若草が青く萌え出すと
  雪解けの水が高く音立てる
  (くりかえし)
  私たちも春の喜びを歌おう
  春を創られた神様をを歌おう
2、風がやわらかく野原を通ると
  木の枝が揺れてさらさらささやく
3、遠くで家畜の声が聞こえると
  近くで小鳥が何か歌いだす
4、創られたものは春の日を浴びて
  春を創られた神様ほめている