2011年10月31日月曜日

メルヘン街道

奥蓼科の紅葉を見たいと思っていたが28日に家内と行って来た。昨年も行ったが駆け足のような走りをしたので少しゆっくりとと思って昼前に、コンビニでおにぎりとお茶を買って出掛ける。蓼の海を通って霧が峰に向かう。強清水、車山肩を素通りして展望台の富士見台で少し眺めて昼食を食べる。売店はあるが結構車で食べている人を見かける。時代を反映してか?それと県外ナンバーが殆どである。

何回も寄った所であるのですぐ白樺湖に向かう。その間に見える白樺がきれいだ。白樺湖の脇を素通りして、女神湖に向かう。白樺湖を過ぎると農産物直売所の看板を掲げた店があり、そこに立ち寄って少し買物をする。そして女神湖も湖畔を一周して、見るべきものもないので素通りである。

そこからメルヘン街道に出ようと思ったが工事中で通行止、白樺湖に戻りそこから向かう。メルヘン街道に出て、佐久穂方面に向かう。したすら走って、最初の目的地である麦草峠まで行く、海抜2127m、カーブカーブの連続で、最高地点に到着する。登山ではとても無理な高さであるが車で行けるのは信州ならではである。第二の目的地である奥蓼科温泉郷に向かう。狭い道を通りながら橋を二つ渡って湯道街道に出る。今年は紅葉の色づきが良くないといわれるが全山紅葉となっていたりとデジカメでうまく撮れないがきれいだった。少し下ったところに吉永小百合さんがコマーシャルで有名になった御射鹿池がある。何人かが写真を撮っていた。湖面が鏡のようになっていて幻想的である。写真で撮ったので一番良かったかな、こういう風景を見ると一眼レフがほしくなる。

それとどこでもカメラをもった方が以前よりも多く、特に女性が多い。赤そばの里に行った時には、明らかに素人と思われる方がカメラを三台も首からぶら下げて撮っていた。デジカメの手軽さとミラーレスの一眼レフが出たので、それで女性が多いのかもしれない。何時か北の信州にも行きたいものだ。


2011年10月28日金曜日

入笠山へ

26日にシニアの関係の集まりで、原村の八ヶ岳自然文化園にボランティアとして、落ち葉を集める仕事に行ってきた。標高千メートル、わが町より少し気温が低い。湖と山に囲まれた?地に住んでいると八ヶ岳山麓は広大という言葉がぴったりである。それに自然がいっぱいで、園内をカメラを三脚につけた夫婦がいいスポットはないかと歩いていた。声をかけられて立場話をするなかで、東京から去年も来られたそうだ。「今年は暑い夏の影響で色づきが良くないのか」と聞かれ、言われてみれば葉も少なくなっているが確かに去年より色づきは良くないなぁと思った。奥蓼科にと言ったらこれから行くつもりだとの事、良い写真が取れるといい。それに、原村はペンションや別荘地として有名だがセロリの出荷量は日本一。確かに農地も多い。隣町の富士見も然りである。

午前中の2時間ばかり、和やかに話をしたり、黙々と落ち葉をかき集めていたり、落ち葉を袋に入れたりと一人一人マイペースでやっている。私は落ち葉をかき集めたり、からの袋を運んだり、はたまた袋の紐を結わいたりと気がついたことをあれこれとやった。普段はにぎやかな人たちだが概して黙々とやっていた。それでも時々冗談を交わしながらではあるが。早く終わったのでパターゴルフをわいわい言いながらやっていたが私は職員と話をしているほうが落ち着ので彼らと立ち話をして過ごした。

昼食は近くのホテルで取る予定になっていたから、村の施設のもみの湯に入って、近くを散策しようと思っていた。ところが食事の場所が富士見の近くになったので入笠山に行く事にした。いつか入笠山にと思っていたので行けるところまで行こうと皆さんと別れて山に向かう。20号線に出て、少し遠回りになったが入笠山の入り口に出た。丁度二時だったので入山規制解除になっていて通れた。普段はゴンドラで行くようだった。

どの位走っただろうか別荘がポツンポツン見えてしばらく走ると、崖の上に黄色の建物が見える。結構回りこむようにして入り口に着く、そこが声楽家の今仲幸雄さんの「讃美の家」である。誰か外にいたら寄ろうかなぁと思ったが門は開いていたけどひっそりとした感じがしたので素通りして上に向かう。でも何時かお会いして交わりを持ちたいものだ。2-30年前に三度ばかり、前にいた集会に奉仕していただいた。一回はお兄さんが船橋にいるということでその近くまで車で送った事がある(本人は記憶にないだろうが)。岡谷の集会も何時かこんな方を招いて集会をもてたらなぁと夢のような事を思っている。

信州の山の道は対向車が来たらどうしようと思うような狭い道が多く、ここも然りである。幸い対向車がほとんどないから助かる。しばらく走ると大河原湿原に着く、ここから御所平峠登山口間をバスが走っている。丁度中間地点に車数台も止まれそうもないが「八ヶ岳ビューポイント」がある。ここから八ヶ岳を目の前にして、眼下に広がる広大な八ヶ岳山麓を一望できる。まさに絶景である。いつだったか杖突峠の茶店から見たのにも感動したがそれより更に広がっている。登山口の脇に広い花畑があって、何が裂くのか工事をしていた。マナスル山荘の前の駐車場に車を止めて、その脇から登り口である。頂上まで30分の数字を見てチャレンジする事にした。数十歩、歩を進めては休み、喘ぎながら登っていく、ようやく頂上へ着く、360度のパノラマの絶景である。中央アルプスが雲の上に墨絵のように見えるからいかに高いかという感じが伺える。1955mを踏破したといっても登山口から頂上まで標高差は165m自慢できるものではない。しかし、諏訪大社上社の守屋山と入笠山がこちらに来て登る事が願いだったから願いが叶えて感謝。

登山口の手前に右は長谷、左が高遠とあり、そこに茅野、諏訪方面とあり、戻るつもりだったが砂利道だったがそこに行く事にした。少し走るとゴンドラ頂上駅の案内を右に見ながら直進していく、かなり砂利道を走り、対向車が来たらどうするのだろうと思うほど車一台の幅しかない。しかし、崖の部分がないから安心である。ようやく舗装路にでそこを右折して走る。結構走っても山の中、中である。芝平峠を過ぎて少し走ると千代田湖という湖に出た。そこに直進高遠、右折地の諏訪方面とあり、右折して狭い道を走る。しばらく走るとゴルフ場があり、更に進むと杖突峠に出た。丁度道路の反対側は守屋山の登り口の駐車場になっていた。ここから一般道である。最初はまた戻るつもりだった。そして富士見の「ふれあいセンター」のお風呂に入るつもりだったがこちらに来てしまったので市内のロマネットに入って、今日一日の行程は終わり。山道はひやひやだったし、でこぼこ道では底を二度ばかり激しくこすって、これもひやひやだった。100キロの走り、気分は上々。

2011年10月25日火曜日

聞くと言う事

中川健一さんの10月21日のメルマガに「聞くという奉仕」という 題で書かれている。
「被災地では、「聞くという奉仕」の必要性が高まっていると伝え聞く。自分の痛みや苦しみを、誰かに聞いてほしい。そういう思いを持っている人は多いと思う。」
そして、柏木哲夫さんの本の中より、失敗談として退院する患者さんに「何がつらかったか」との問いに「先生が頑張れと言われたことがつらかったと聞かされてショックを受けた」ことを紹介していた。

「この逸話は、私にとっても教訓となった。思えば、私たちは『いかに語るか』という訓練を受けていても、『いかに聴くか』という訓練は受けていないことが多い。」とも書いておられる。そして、友人と会食の中で、「その食事の席で、矢吹氏が10月下旬に東日本大震災の被災地を訪問し、、『耳を傾けるという奉仕』というテーマで講演されるとお聞きした。興味を持った私は、即座に、ハーベスト聖書塾公開講座でも同じ内容の講演をしていただきたいとお願いした。氏は快諾してくださった。このテーマは、今の私たちが最も必要としているものだと確信する。」

 第4回 聖書塾公開講座  「耳を傾けるという奉仕」


日時:2011年10月30日(日) 17:30~19:00  会場:JELA(恵比寿)


興味はあるが遠いので聞きに行けないがそのうちCD化かHPに載るだろうそのときを楽しみにしている。

最近の一日は、本を読んだり、PCにキャンベルモルガンの「キリストの危機」を入力している。前にも書いたがブラインドタッチの練習とゆっくり読むことによって理解が増すのではないかとの思いでやっている。しかし、どちらもそれほどはかばかしくはいっていない。指の運びはその日によって、間違いも少なく運ぶ時と全くふらつく時とがあり、微々たる進展かなと自分に納得させている。内容は教えられる事と難しいときの半々である。それと訳文がわかりづらいなと思う事があり、ひとりの役者のはずなのに章によって、文章が微妙に違っている事に気がつくし、誤字があったりするの発見もある。教えられてもどんどん忘れる(頭にはしっかり入っているが思い出せないだけである。だからいつかどこで出てくるだろうと、しかし、期待していない)。若い学生でも先生の授業は全部理解し、記憶している事はないだろうとおもうから、これはこれでいいと納得させている。

PCの打ち込みはそんなに進まないから、歩く事とか、自転車でとの思いもながらも、ついPCに向かう時間が長くなってしまう。それに、身につく度合いの薄さとその意味を考えると「徒労」という言葉が思い浮かぶ。ハムスターがリングの中で手足を動かしているような空しさを覚えないわけでもない。好きな事をやっているのだが充実感は少ない。

そんな心境の中でこのメルマガを読んで、ひとつ思った事があった。それは、こちらでは、短い会話を交わす事があっても、ゆっくりお茶を飲んでとかそんな時間は皆無に近い。前向きな会話でなくても、愚痴を聞くと言う事もない。前の集会では、日曜日は、午前、午後と集会漬けだから何らかの交わりがある(割と苦手としていたが)。夜の集会などは人が少ないから逆に個人的な話をする事ができた。こちらに来て、それがないのである。それに、前の集会では、限られたお年寄りではあったが、苦情の聞き役だった。些細な事などが多かったから笑いながら聞くことが多かった。軽井沢のシニアキャンプで会った彼女たちは少し変わってきていて話す内容も違っていた。もう苦情の聞き役はあまり必要でなくなったようだ。彼女たちの苦情を聞くと言う事も彼女たちのためにもなっただろうが結構これが自分を必要としているという気持ちがどこかにあって、それが自分を支えてくれたのかなと思った。人はどこかで必要とされていると言う事を確認できないと立っている事は難しい。人はどこで助けられるかわからないものである。

2011年10月23日日曜日

聖書信仰

私はブラザレンの流れの中で生まれ育った者である。各地の集会の案内の中に、「聖書は誤りなき神のことば」と書かれていることが多い。捉え方によっては、一語一句と解釈される可能性もある。勿論、そのままとっている集会もあるようだ。しかし、原語を日本語に間違いなく訳せるなら理解できるが、それは難しいのではないのか、原語は「誤りなく神のことば」であっても、日本語聖書がイコールそうだとは言えない。

一般の人には「聖書は誤りなき神のことば」と聞くと、それだけでアレルギーになって仕舞わないだろうかと懸念する。ある集会のHPには「聖書に基づきイエス・キリストの救いを伝える ○○集会(教会)」とある。これなどはわかりやすい。自分たちの立場を鮮明にするのか一般の人たちに向けているのかの違いかなと思うのだがどうだろう。どちらも福音を伝えようとしている姿勢には変わらないのではあるが。

2011年10月22日土曜日

バカ発言に思う

私は高等教育を受けていないので、昔で言ったら「読み、書き、そろばん」類の知識しか持っていない。しかし、今回の平野復興担当相の「バカ発言」に、言葉尻を捉えたような批判には驚いた。それも一般人ではなく、マスコミと国会議員であることに驚いている。最初、この言葉を目にした時、私のような無学な者でも、大臣の友人に対する無念さが伝わってきた。心が締め付けられる思いになったことを覚えている。

そして批判を見てびっくりである。「えっ、こんなことがわからないの?」と思った。昔は、同じ言葉でも、何ゆえにその言葉が出たかを考えて、言葉そのものに幅があり、豊かさがあった。今は薄っぺらである。それも、大手マスコミの記者や国会議員がである。言葉のすり替えは上手で、こような方々が活躍しているから、国が滅びようとしている原因はこんなところにあるのかなと思うと納得する。

うれしい便り 続き

いつもは午前中だけのちょっとさびしい集会だが、この日曜日はM兄ファミリーに、午後からO兄姉と姉妹の友人のAさんが加わって賑やかな集会になった。Aさんは、M兄姉とは面識があったが当集会は始めて、O兄のあかし、M兄メッセージに、その後の交わりと最初は心配したが和やかに過ごす事ができて良かった。

O姉からのメールで、
「久しぶりにM家族に会えたこと、主人の話も含め、感動するよい話を聞けたと喜んでいました。
 (下記本人のメールより) 
・・・・・私は、神様はいるんだと思っています。
そんなレベルの私が聖書の勉強の会に気軽に参加していいのか?
正直悩みます。・・・・・・」
 
聖書を知らない方に聖書を伝える集まりだから、まず聞いてくださることだけでいいのに、真面目な方なのなだぁと思った。それと同時に、「食いしんぼうの大酒飲み」と言われた方がいかに格式に拘っていないかを知ると、部屋を借りている集会でもそんな風に感じるのかと思うと、一般の人には教会は敷居が高いのだろうなと思わされた。

「信じるのならば、聖書の神を信じる根拠を自分でひとつひとつ確認し、理解し、全て勉強してわかったうえでなければいけないと思っています」とあったが、自分から求めて踏み出すところにまでは行ってないとのことだった。真面目に聞いてくださるだけでも感謝であり、O姉妹を通して、気長に聖書にふれ、イエス・キリストを知ってほしい。クリスマスにも誘うとのこと、これからを期待したい。

 聖書の知識のない人に聖書の話をする事は難しい。話す事自体が苦手であるからなおの事である。罪だ、死だ、滅びだ、救いだと話す事は簡単(私に難しいが)でも、こちらサイドで空回りしていないだろうかといつも思う。神学的なものは勿論の事、単純な福音でもそんなことを考えると足踏みしているのだ現実である。身辺に色々あって、ようやく落ち着いて聖書の話を聞きに来られた。個人伝道と言うのは苦手だが、12月に来られたら少し話ができたらいいなと思っている。

2011年10月10日月曜日

放射能汚染に思う

最近のニュースは原発が収束傾向にあることを報じているが実際どうなのだろう。それより、農作物の放射能汚染や子どもたちの甲状腺異常が話題になっている。もしかしたら福島の子どもたちの中にこの影響を受けて癌になる子どもたちが出るのではないだろうかと心配である。

報道は限られたものであり、東電や国が発表するものは最小限にとどめていることであろうし、深刻な状態であってもそのような事は発表しないだろう。開けてびっくり玉手箱ではないがすべてが明らかにされたら悲惨のきわみではないだろうか。

胎児性水俣病やポリオワクチンで薬害被害を受けた人たちとダブル。発症したら、国や東電はどうするのだろう。今保障の請求が始まったようだが色々と問題提起されている。そんな東電に何が出来るだろうか。結局は被害を受けた者が損をするようなことになるのだろう。なんとなくやりきれなく怒りがこみ上げてくる。

民主党は色々批判を受けているが自民党政権だったらどういう対処をしたのだろう。こういうシステムを作り、恩恵を受けてきたのは、自民党であり、役所であり、企業だ。それが明らかにされただけでもよしとする事ができるように思うが。しかし、例え誰がやっても人間には自浄能力はない。上から臨まなければ軌道修正は不可能である事を改めて知る。

2011年10月6日木曜日

うれしい便り

メールを開けるのは週に二回か三回、今週は今日がはじめて、4通ばかりあって、その中に見慣れないメールがあり、誰から?と思って開けたらO姉妹だった。

第三週に、月に一回、東京から来てくださるM兄とファミリー、それにプラス、ご夫婦だったり、兄弟だったり、姉妹だったりと毎回違う方を連れてきてくださる。小さな、そしてちょっぴりさびしい集会が唯一にぎやかになる。それに合わせてご夫婦で来てくださる。

実は、彼女の高校時代からの友人と来てくださるのである。詳しくは知らないが何度か聖書の話を聞いていて、聖書に関しては否定的ではないようなことを聞いている。いろんな事があったらしいがそれも一段落?して、聞くことができるようになった。M兄が来た時にとお互いに祈っていたのが実って、次の祈りも聞かれる事を願う。ここ最近、あまり変化もなく、少し気になっていたからWでうれしい。

2011年10月3日月曜日

諏訪湖一周

昨日は、苦手なメッセージを終えて、午後に気分転換を兼ねて、久しぶりに諏訪湖ぶらり旅をした。今回も下諏訪に向かって上諏訪とぶらりぶらりと自転車のペタルを踏みながら走る。いつもながら狭い道を右に左と目を移しながら珍しいと立ち止まっては眺めての繰り返しである。下諏訪に入って、一軒の民家の木に蔓が絡まって細長い実を見つけて、アケビかなと思ったがそれにしては丈が短いのでよくみたらキュウイだった。木に絡まっているキュウイははじめて見る。育てるというより育ったという感じがしないでもない。

下諏訪が切れるところは20号線と諏訪湖に挟まれて狭いがそれが過ぎると少しづつ広がっているのでまた路地に入って上諏訪の駅前に出る。旅館街から昔からの商店街か、線路を挟んで両方にある。それも小さな飲み屋街かな、東京の神田の路地の飲み屋街のようなものが幾つかあってそこを過ぎると高島城である。そこを過ぎて適当に走る。諏訪湖が段々遠くなる感じであるがそれでも走ると、豊田の農協に出た。家内の義父の実家がすぐそばにある。旧道を走りながらガラスの里の近くに出る。左に上がると、多分中央道の上りの諏訪湖サービスになるようだ。急坂だから自転車でのチャレンジはなし、そしてそのまま旧道を走る。諏訪湖畔添えはジョギングコースになっているので、路面が柔らかいから自転車だと抵抗があるので避けている。反対側は広い歩道になっているからそこを走るときもある。しかし概して旧道は車も少なく風がある時は、こちらが助かる。

今回は旧道と合流するところから、さらに旧道へと行かず湖畔に出て、少しきついが走る。少し走るとレッカー車が2台とまって、ボートとその脇でダイバーが二人もぐったりしている。なんだろうと思って立ち止まって見る。大分てこずってベルトをかけて引き上げるのを見ていたら、軽の車だった。まだ新しいようで、どうも釣に来て、ブレーキとアクセルを踏み間違いたようだ。そんなに広くないところなのにと思うが、ブレーキとアクセルを間違いてコンビニに突っ込んだ車のニュースを目にするが、これがそうかと思ったがどうなのだろう。自転車に乗って走る一つに、犬も歩けば棒に当たるではないが、何か新しい事を目にするとか、あるいは出会い?を期待するからである。いつだったか諏訪の方で、テープが張られ、私服の刑事らしき人が二人立ち話をしていた脇を通った時、それは介護の奥さんと無理心中をした事件だった。こんな事には出合いたくないが。

釜口水門から少し走ると微小な坂が始まる。といっても、約3キロの距離に40メートルの高低差がある。湖畔周辺はペタルを踏むだけでよいが、ここから膝の筋肉に負担がかかる。痛いからゆっくりペタルを踏む、何箇所かきついところがあるがギヤダウンしないで行く、西友の裏は短い急坂といっても数メートル弱、そこはギヤダウンして、後はゆっくりとペタルを踏んで到着である。諏訪湖一周は16キロ、寄り道して25キロ、最後が上り坂できついが、運動不足解消と気分転換にはよかった。