2011年3月31日木曜日

違った視点

信仰生活が長くなると聖書の視点で物を見、考える。そして、そこから結論を出してしまう。しかし聖書からといっても自分の聖書理解からの視点であって、必ずしも聖書からとはいえないだろう。同じキリスト者でも見解や結論が天と地ほどの違うことがある。同じ教会の中にあっても現実にある。 それよりもキリスト者でない人たちの視点が理解できなくなっていることに気づかされることがある。ある面で怖い。福音書にでてくる律法学者やパリサイ人の思考である。メシアを待ち望んでいながらメシアが来られたときにそれを受け入れることが出来なかった。自分とダブルが結論は違ってもその視点は理解できるようになりたいものだ。そうでないと痛みとか苦しみを理解することが出来ないような気がする。違った視点ではなく狭い視点かな。

2011年3月25日金曜日

使命感

昨日だったか、TVのレポーターが娘さんを亡くされたご夫婦をレポートされていた。亡くなれた現場なのだろうか二人で歩きながら、奥さんが「もう一度見せてくれます」と言われた。そしてTVモニターがアップして映像とともに流れてきたのは防災無線で「津波がきます急いで避難して下さい」と(記憶しているが)、繰り返す女性の声だった。この女性がご夫婦の娘さんだった。


インターネットで検索したら、『「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員、「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。』(毎日JPより)。


「娘の声で逃げて助かったが娘が・・・」と言いながら目頭を押さえていた。ご主人は穏やかな顔で、仕事に徹した娘を思い浮かべて、娘さんの避けられない現実を受け止めているようだった。どこかにいのちをかけた姿に誇りをもたれたのではないだろうか。それでもご夫婦のつらさが伝わってくる。


原発の現場の方たちもいのちを覚悟しているのではないだろうか。もう愛社精神とか滅私奉公なんて言葉は死語になった。実際はどうであるか分からないが、愛社精神はなくても住民のために自分たちがやらなければと思っておられるのではないだろうか。協力会社の社員も大勢いるだろうが思いは同じだろう。何かあった時のケアは格段に違うだろうに。自己中の世の中に、いのちをかけて他者のいのちのためにという精神は生きている。このようないのちをかけた方たちがいることを忘れないようにしたい。そして、このような人たちがいることを誇りに思う。屈折した人間の視点から・・・。

2011年3月22日火曜日

汚染

専門家はすでに懸念していたであろう放射能汚染が始まった。
放射能のニュースにならない前に原発が収束してくれれば良かったが収束はまだまだのようだ。来るべきものがきたというより、隠されていたものが露になってしまったような気がする。それでも今のうちに収まってくれるといいのだが、電気次第?

放射能濃度がニュースになって、ふっと思ったことは、日本は公害の先駆的な働きをしている。水俣病、四日市喘息を思い出す。川崎の臨海に工場群があったころ排煙が、20キロから上流の中ノ島あたりに降りてきて、あの一体は空気が悪かった。家内の姉夫婦が中ノ島に社宅があって、一時住んでいた。長野県の駒ヶ根に転勤になり、また東京に再転勤になったとき、もう空気の悪いところには戻りたくないとの理由で会社を辞めて、それ以来信州に住んでいる。モクモクと上がる煙が多摩川の土手から見えたのを今もよく覚えている。 あの工場群もなくなって、様変わりしたようだが。

水俣病は、猫や住民の奇病がチッソの廃水に含まれている水銀が原因だと指摘されていたのに企業ぐるみでこれを抹殺していった。そして排水を垂れ流し続けてた結果が今も苦しんでいる人がいる。あそこに企業は勿論、自治体も住民も企業優先の姿を見る。

これは日本だけではない。小学校のときに女生徒が頭を白くしたDDTは私たちの世代には懐かしい。あのDDTの危険性をレイチェル・カーソンは「沈黙の春」で指摘している。私が生まれる一年前に製造され、安価で、効果も大きかったが、彼女は環境汚染や人体に悪影響を与えていることを指摘した。企業は勿論、公の機関、同じ科学者からも批判され、無視された中で、まさに孤立無援の中で出版された。

人間が造り出すものは二律背反的な要素が多いから難しい。原子力も然りである。今回のできごとを通して、新しい何かが生まれてくることを期待したい。最終的には、人は神に立ち返らなければ、解決の道はないと思うが。観念的かな・・・。

2011年3月18日金曜日

一週間が経って  

東日本大震災が発生して一週間が経った。
原発はまだ見通しが立っていないが、復旧に少しづつ動き出している。避難された方が亡くなられたりで、限界に近づいていたのだろうから良かった。それでも生活の基盤が出来るまでは大分時間がかかるのではないだろうか。原発は気になるが動き出している姿を見るとうれしい。

中越地震のとき、知人が出身地で肉親がおられたので、何人かでお見舞いしたら、新潟日報社発行の報道写真集を送ってくれた。地震のすさまじさを感じたが今回の地震は桁が違う。でも内容は同じだ。悲しみや苦しみがあるがそのような中で笑顔がある。特に子どもたちの元気な姿がいい。人間は弱い器であるが生きる強さを持っていることを教えてくれる。東北人だからということではないと思う。

世界各国からの援助もうれしい。日本人は率先して援助してくれるからとあるブログで、被災した国の人が言ってくれたと書いておられて、読んでうれしかった。そんな中で、野球のセ・リーグは3月25日に開幕する。巨人の清武球団代表は「野球人は野球をやるのが責務。それが日常化の足がかりになる。自粛よりも行動を選んだということ」と、最もだと思う。がしかし東京ドームでナイターでやるという。電力逼迫の折、勇気ある行動だ。しかし亡霊のように誰かの声が聞こえる。菅さんもどこか拘っているものがあるらしい。被災民や国民をダシに自己実現は見苦しい。大きなつけを払わされなければいいが。

2011年3月17日木曜日

2011.3.11.2:46

電気事業連合会のHPに原子力発電の安全性についてQ&A方式で幾つか載っている。全体が原子力ありきだが、その中で地震と津波の項目がある。最初に原子炉の「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」とあって、その後で安全対策として8つの項目が小さく載っている。だから大丈夫ですと暗に書かれているようにみえる。でも今回の事件で全く説得力がない。「止める」までは良かったが「冷やす」がいけなかった。海水を入れるのをためらったのだろうか。

避難された方のご主人が原発で働いている方をインタビューされていた。正確な言葉は忘れたが、ご主人が「厳しい」と、そして「頑張る」という言葉が印象的だった。ふたりとも暗黙のうちに「いのち」がかかっていることを認識しているのだろう。

いつも思う。いのちをかけているのは末端の人たちだ。偉そうなことを言っても「いのち」も「血」も流していない。イエス・キリストは人とは逆の道を行っている。それは下りていく世界であり、低くなっていく世界である。東京は東電の電力の三分の一を使用しているそうだ。原子力が欠かせないなら、福島や柏崎でなく、東京湾でも安心な原子力を造って欲しい。

2011年3月15日火曜日

収束、そして復興 

東京に住んでいる息子から電話がって、スーパーに食料品がなくなっていることを伝えてきた。地元のテレビでもそのようなことを流していたが、スーパーに普段のように買い物に行ったら、入荷しなかったのか買い占めたのか何もないコーナーが幾つかあった。明らかに買い占めたのは麺類、お米(一人10キロとあるのに二つ買おうとしているおばあさんに出会う)、驚いたのはトイレットペパーが亡くなっていたことである。オイルショックのときを思い出した。お米や紙類は不足することはないのに、人はパニクルとこういう風になる。東京在住のkさんと電話で話をしたら、スタンドは長蛇の列で給油が出来ない。道路が混んでいるのかなと思ったらその所為だったといっていた。駄目なら高速道路のスタンドでいれようかなと思っているといっていた。仕事している人は大変だ。こちらでも被災地優先で15リットルまで、東京ナンバーなので、もう少し入れましょうかと言われたがこちらに住んでいるからいいと断る。年寄りふたりだからどうにかなるが赤ちゃんや病人がいる人たちは、品物が欠けたら大変だろうなと思う。

パニクラないで、被災地の復興に協力しよう。

このようなできごとを見ていると私たちはどのような土台の上に立っているのだろうかと思わされる。そしてその土台がいかに脆いものであるかを教えてくれる。
人間の英知は、復興を成功させてくれるだろう。人間の英知の上に胡坐をかいていたのが、原発の問題ではないだろうか。内村鑑三は「読むべきは聖書、学ぶべきは天然、為すべきは労働」といわれた。また「われは聖書と天然と歴史とを究めんかな、しかしてこれら三者の上にわが信仰の基礎を定めんかな。」ともいっている。この言葉は今も生きていると思うし、学ぶという姿勢は謙虚でなければ出来ないと思っている。それを・・・。

このようなできごとがあると終末を思い浮かべる。そしてこの聖書のことばを思い出す。
「イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。『先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。』 すると、イエスは彼に言われた。『この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。』
「「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。」 マルコの福音書13章1-2節、4-8節

終末ではなく、その前兆を教えてくれる。神に立ち返るチャンスを教えてくれているようである。そして地上が全てであれば悲惨そのものであるが一過性のもであれば大分趣が変わってくる。以前、フジテレビのキャスターだった山川千秋氏ががんで亡くなる前に「死は終わりではない」という本を書かれた。死は終わりでなく、労苦を解かれて、永遠へのスタート台に立つのである。

2011年3月14日月曜日

明日に向かって

未曾有の地震、余震も続いている。災害の現場はほとんど手付かずのように見える。テレビは断片的にしか観ていないが、繰り返し津波の映像と、専門家の解説が流れている。惨状や人々の悲喜こもごもの姿を映し出している。膨大な残骸をどう処理するのだろう。最終的に亡くなられた方は1万を越すようだ。指揮系統を確立して、一日も早く住民が生活できる状態に回復して欲しい。

日本は、今、政治を含めてどこか閉塞感がある。今回の地震は、それに追い討ちをかけるような気がしている。しかし、このできごとを通して、日本に必要な物、失った物、本質的なものが何であるかを知る機会となれば、それはそれでいいいことではないかなと思っている。これを機会に日本再生を確立して欲しい。素人が大袈裟かなと思うが明日に向かって行くしかない。

原発もいい経験である。情報開示なんて言っても肝心なものが隠されているような会見なんて茶番だ。国民を愚弄するものであると怒りを覚える。原発はどこが安全なのか、危険なものであれば幾重にも補完するものがあってしかるべきではないだろうか。こうこうこうなっていますから安全ですといっている割には、こうこうこうとなっていない。原発があらゆる危機管理意識の薄いことを象徴的に示しているような気がするが言い過ぎだろうか。

私たちは成功から学ぶことよりも失敗から学ぶことが多いのではないだろうか。そういう意味で今回は大いに学ぶべきことを提供してくれたのかもしれない。それにしては多くの人命を失ったその代価は大きい。

二十世紀は人類が求めた幸福が幻想であることを提示した。それを踏まえて、二十一世紀は人間中心主義から神中心主義へと舵取りをする必要があるように思う。従来のキリスト者ではなく、聖霊によって変えられた者とならなくてはならない。それを求める前に自分が答えを出さなくてはならないだろう。出来る出来ないはわたしの力ではない。老い先短いものに何が・・・。

2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震

今朝の4時頃、北信の新潟県境にある栄村で震度6の地震があった。諏訪地区は震度3、ふたりとも寝ていたが家内はわかってわたしはわからなかった。ニュースで見るとすごい壊れ方である。昨日は昨日で、今もその関連放送ばかりの大地震があった。家内の話では、家でも相当揺れて、蛍光灯が大きく揺れたといっていた。関西でもゆれたらしいがわたしは図書館に本を返しに行って、その帰る途中の時間帯のようだが、歩いてて気がつかなかった。車などでもそうだが走っていると相当大きい地震でないとわからない。車で走っていて、いやに電柱や木が揺れているなと思って停めてみると地震だったりすることを経験している。

それでテレビをつけて観たら現場を映しているのが流れていた。しきりに津波の注意報を流していたが映像だけだから静で特別崩壊した建物もなく、この間の地震と同じようにたいしたことがないと思っていた。そのうち喚起するようなアナウンサーの声に、テレビに目を向けたら、満潮時のように漁港の市場の床に海水が溢れてきた。そのままゆっくりと流れは奥のほうに行って、そのうちかごが流されて戻ってくるではないか。それからはっきり記憶してないが画面が変わって、流れの先を追っていた。一面畑で、ビニールハウスや散在する家もまばらなところをドミノ倒しのようにして流れていく。

少し先の道路で小さな車を停めて様子を見ている人がいたり(そう見えた)、別なところでは事故かどうかわからないが大型トラックと乗用車が行き交うかたちで停まっており、トラックの荷台には人がいる。水が押し寄せてくるのが見えたのか小さい車は走り出したが追いかけるように水が迫ってくる。逃げれそうだと思ったらその先から回り込むように水が来て間一髪助からない。その先を走る車は見えなかったから駄目だったようだ。トラックの停まっているところは少し高くなっているようでまだ大丈夫そうだったがその後はわからない。でも後で見てあの勢いだと多分駄目だったのではないだろうか。 それと少し先の道路に何台かの車が普段のように走っている。あの様子だと駄目になったのではないだろうか。

遠くから撮っているから遅く見えるが車が60キロの走りとすると100キロ近くあったのかなと思った。思ったよりも早い。家内と観ていて最初はこの間と同じでたいしたことないと思っていた。それでもしきりに津波警報で高台に非難するようにとアナウンスしていたから、家内が早く非難すればいいのにといっていた矢先のできごとである。そのうち別の画面はたくさん車が流されていく映像が映し出された。まるで映画の洪水のシーンを観ているようである。勢いよく次々と飲み込んでいく様は、黙示録にある「女を口を開いて水を川のように吐き出しているへび」の姿を思い出す(黙13:15)。

夕方のニュースといっても地震から流れ続けているが、津波のすごさを見せられ、あの惨状は現実とは思えなかった。インタビューの中に「たいしたことないと思ったが避難するように言われたので高台に避難した」と言って助かった人がいた。いつでもたいしたことないと思っても助かる人と助からない人がいる。どう行動するかである。崖ひとつ助かるか助からないか、被害に遭うか遭わないか。不思議だ。
テレビの前にいれば色々と情報が入ってくる。しかし現場ではその情報ははいってこない。それとそれをどう受け止めるかは難しい。テレビより町の広報車を回していったほうが確実かもしれない。そのほうが説得力があるように思える。防災無線はどう機能したのだろうか。未曾有の地震、人のできないことは、舌を制することだけでなく、自然界も然りである。どこかに自分もそうだが、制せられると思っている部分があるのかもしれない。これからどうなるのだろうか、回復までに何年かかるのだろう。壊滅的な状態だから形態が変わってしまうかもしれない。 広島や神戸と同じようにたくましく息づいてくることを期待したい。

20、30と死体が見つかったというニュースを見るといのちの尊厳なんて思い浮かばない。戦争映画の死体が累々とあるのと同じ感覚になる。それでも助かった人、一人だけ助かって、家族が助かっていることを泣きながら願っていた人、車に乗っていて流され、その車が屋根に乗っかって助かった人もいた。それらを見ると、助かる人と亡くなる人の境はと思ってしまう。そして命の尊さ、素晴らしさを覚えさせられる。

原発のトラブル、信じられない。最悪の状態を想定して、そのための対処をマニアル化しているだろうに、考えられない。どこかがおかしいが考えられるのは、危機意識がないとしか言えようがない。原発の仕事をしている人が下請けは一番危険な仕事をやらさられているようなことを言っていたが何となくわかる。上に行くほど益分は多く、危険なことや汚れた仕事はやらない。デスクワークだけなのである。そして何かあると責任は現場に転嫁する。まさかこんな構図ではないだろうな、原発の怖さを教えてくれたできごとである。中部電力は原発のコマーシャルをやめている。原発は放射性廃棄物の処理を考えたら安くもないようだ。水力は電力量が少ないし、風力、ソーラーとかほかの発電方法を考えないといけない時代になったのだろう。

2011年3月10日木曜日

to be 出版

to be 出版社というのがある。その名称の由来が、
『「to be」という名称は、東京大学総長であった南原 繁(1889-1974)の言葉、「何かをなす(to do)前に何かである(to be)ということをまず考えよということが新渡戸稲造先生の一番大事な考えであったと思います」からとられました。 』とある。

いつ頃だったか、キリスト教界で「being」、「doing」という言葉が流行った。田中信生牧師の「そのままのあなたが素晴らしい」という本を持っているので、出版発行日を見たら1996年になっている。その頃の前後かもしれない。今でもこの二つのことばをみることがあるし、神の視点と人間の視点を見る思いがするから、新天新地が来るまでこの言葉は生きているのだろう。

わたしが集っていた教会は伝道に熱心で、信仰生活即教会生活であり、活動イコール信仰的を当然と受け止め、そのために犠牲になってもそれを犠牲とも思わなかった。何もしていないと罪悪感を感じることがあるのはその影響もあるのだろうかと思うことがある。そんなところに「何かをする」のではなくて「存在」していることが素晴らしいというう言葉は新鮮で生き生きしたものだった。多分その頃工藤信夫さんの本が出版されて読まれるようになったこともあったのではと思う。そのとき新鮮に感じたこの言葉がすでに半世紀も前にキリスト者が語られていたことに驚いたが驚く方がおかしい。そしてそのような信仰の在り様もおかしいと思うのはわたしだけかな。

出版社の由来を知るきっかけになったのは、1996年11月に「第3回南原繁シンポジュウム」「南原繁の信仰と思想に学ぶ」という講演会を聞きに行って知った。この集まりは毎年行われるみたいで、今年も11月に神田一ツ橋の学士会館で行われる。ここの資料とか本を作成していて、そのときはそれだけだった。

南原繁に興味を持っていたのは、吉田首相が「曲学阿世の徒」と言わしめた人物とはどんな人物だろう。内村鑑三を師と仰ぐなら無教会人だろうし、内村は聖書の勉強には簡単に入れてくれなかった。昔高橋三郎先生は聖書講義を聴きに来た若い学生に「ここは興味を持ってくるところではなく、真理を探究するところだ」と、教会などでは来てくれるだけでも歓迎するのに、興味だけなら来てはいけないことを言われたと聞いて、無教会の厳しさを感じていた。矢内原忠雄にしても、写真を見ると如何にもいかつい顔をしている。長谷川町子の漫画に、ぺちゃくちゃしべっている人たちが矢内原のカランコロンと下駄の音がした途端、ピタッと会話がとまる。そんな漫画がある。実はこの話を以前いた教会のHさんにしたら怪訝な顔された。彼女のお父さんは無教会の伝道者で若くして亡くなって、その友人であった矢内原がお父さんの代わりをしてくれたと本人から聞いていた。優しい人で全然怖くなかったといっていたが考えてみれば友人のお嬢さんで、その友人は亡くなって自分が父親代わりならそんなものかなと後で思ったことがある。外の顔は違うのである。Hさんに怒られそうだが。

そんな無教会のイメージがあり、吉田首相の言葉に「全面講和は国民が欲するところで、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは、政治学者としての責務だ。それを曲学阿世の徒の空論として封じ去ろうとするのは、日本の民主政治の危機である」と強く反論しているから、どんなにいかつい人間かと思っていた。しかし写真を見たら白髪の温厚そうなおじいさんであり、どこからそんな気骨があるのだろうと思わされる。高橋三郎先生が師と仰ぐ三谷隆正先生は端正な日本人離れをした端正な顔をしている。この方は若くして亡くなられたが非常に謙虚な方であると何かで読んだことがある。この方とは親友でもあるそうだ。

戦後最初の東大総長として選ばれたというだけでもその人そのものをうかがい知れる。それ以上に優れた教育者であることが優れた教育者が育っていることをみれば、教育とは対極にいる人間でもわかる。南原の次に東大総長となった矢内原はキリスト教の伝道に熱心だったが南原はどちらかというと教育に心血を注いだようだ。だから「南原繁研究会」なるものができ継続されて会がもたれているのだろう。このふたりは内村の弟子でどこか好対照である。

2011年3月2日水曜日

当然のように

先日テレビで18歳のときに事故にあって、それ以前の記憶を失った方が出演していた。家族を含めて人の名前の認識が全然できない。そして日常生活の記憶も失って、お腹すいてもどうすればよいのか、まさに生きる術の全てを失ってしまったから赤ん坊以下になってしまった。家族や周りの戸惑いは想像を超える。本人と家族の忍耐と努力、特にお母さんの働きが大きかったようで、少しづつ回復していったようである。

今、聖書を完成された書として手にして読んでいる。現在のように完成されたのは4世紀頃といわれる。そして聖書が個人の手に入るようになったのは印刷ができるようになったこの近世のことである。それまでは聖書は教役者の手にのみであった。多くの人たちの手を経て、戦いがあり、多くの血が流されているものを手にしている。

福音者の中にみるユダヤ人は強烈な選民意識がある。罪人として退けている人々はそれなりの生き方をしているのだろうが、彼らに対する一顧の哀れみもない。律法を手にして、神を自分の手の内に握っているようである。先人たちの命を賭けた働きがあって、今日の聖書がある。当然のように、あるいは選民意識をもつような気分になるが心していかなければならないぁと思う。