2011年9月29日木曜日

イエスの御名で 

ナーウェンの著作で薄い本である。読みやすく、わかりやすい本でもある。しかし、現実には難しい本である。だから何回も読んでいるが身につかない。牧師や司祭を対象に「来るべき世紀におけるクリスチャン・リーダーシップについて」の講演会を本にされたようである。対象が牧師や司祭であるから、私は埒外だけど、クリスチャンとしてのあり方は、共通するものがあると思っている。最近読んで、既に線を引いてあるが「痛みに満ちた長い教会の歴史は、神の民が、ときに愛よりは権力を、十字架よりは支配(コントロール)を、導かれる者よりは導く者になろうとする誘惑にさらされた歴史だといえます」(p81)。

少し前に書いた教会に対する疑問がこれで少しわかったような気がした。そして今も続いているだろうし、これからも続くのだろうなと思う。批判する事は簡単だが一つの流れの中に、それに抗うようにして生きる難しさはいつの時代でもある。これは別に教会の中だけでなく、この地上の営みの中にも見られる事である。原発はコントロールできないという意味では恐ろしいものであっても「パン」の力の前に人は膝まずいてしまう現実がある。彼らを責める事はできない。むしろそのようにしていった者たちの責任は大きいだろうなと思う。






2011年9月28日水曜日

赤そば

信州はそばが名物である。どこに行っても手打ちそばのそばそばそばである。食べればおいしいと思う。若いときに信州の駅で立ち食いそばを食べたときおいしかったのでさすが信州と思った事があった。おいしさは素材だけでなく、空気と水も関係あるのではないだろうかと思っている。こちらに来て食べ物がおいしく感じるのはその所為ではないだろうか。

住まいから30-40分くらいだろうか、赤そばの名所があることを知って、出かけてきた。畑や集落が切れて、数分歩いたところにあって、地元の人たちが地元で取れる農産物とそばを売っていた。赤そばは数が少ないので売り切れていたがもりそばを食べたがおいしかった。昨日は別の所でとろろそばを食べこれもおいしかった。有名店ではなく、立ち食いそば屋的な所である。

信州には温泉が多いから自治体でも温泉があり、中には5つも6つもある自治体がある。だから出かけると必ずお湯に入ってくる。今回も然りで、それとどこにも農産物の直売所があるからこれも魅力である。お買い得的なものがあったりするし、そうでなくても地元産だからおいしい。道の駅も多いが街道沿えにあると同じものばかりでみやげ物店的で魅力ないものもあるが。今回もこの二つの恵みに預かって来た。

最も大切なこと

パウロはコリントの信者に、「最も大切なこと」として、「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです」と語っている。

当然のように受け止めている。しかし、「最も大切なもの」として捉えているかと問われたら、返答にちょっと詰まる。キリスト者にとって何を大切にするかでその信仰のありようが変わってくるのではないだろうか。生き方も然りである。

2011年9月19日月曜日

敬老の日

今までは敬老の日は祝日の一つに過ぎなかった。リタイアしてからは「毎日が日曜日」のようであるからその思いも薄らいでいる。先日年金基金から小さな箱のようなものが入った封筒が届いた。季節はずれの年金からの手紙は、年金額の変更かと少し疑心暗鬼?になる。今回は物のようだからそれはないかと安心しながら、それでもなんだろうと思って開封したら、携帯の拡大鏡だった。

コタツのテーブルには以前に東京の杉並区の施設の管理をやっていた時、区が敬老の日に配った残りの物か、区のマークが入った拡大鏡があったのを使っていた。それをそのまま使っている。それとリュックの中に一つ、もう一つプラスチックのものを使っているがあまり使い勝手がよくないのでもう一つほしいなぁと思っていた。そんな時に頂いて喜んでいる。早速かばんに入れて持ち歩いている。

こういう類の贈り物は、あんまり役立つことはなかった。その辺にほっとかれて、最終的にはゴミ箱へといくというのパターンだったが今回は有り難いなぁと思った。ただ、寿でおめでとうございますには、嬉しいというより、俺もそんな年になったのか、年金支給する側としたら長生きも程ほどにとの思いも無きにしも非ずだろうな、なんて思っている。でも素直に感謝し、もう少し頑張りますからよろしくとの思いもある。

正直、親の寿命を縮めたと思っている親不孝者だったから、父が亡くなった70以上はとの思いはあった。既に一才になろうとしている。こんなに長生きするとは思っていなかったから素直に神に感謝している。早くとの思いはないでもないが、余生は主のためにとの思いはあっても、手には何もない。ただ頂くだけの手しか持っていない。それでいいのだろうかと思うが、否それしかないのである。主よこれからもよろしく。

2011年9月17日土曜日

キリストの危機

2ヶ月位前からキャンベルモルガンの「キリストの危機」という本をパソコンに入れている。目でゆっくり追いながらであるから遅々たるものである。以前にも書いたが、ブラインドタッチとゆっくり読むから頭に入るかなとの思いでやっている。しかし、最初にやった「組織神学」のときは全くといっていいほど頭に入らなかった。今回はそれほどでもない。イエス・キリストの受肉からバプテスマ、今は誘惑の最後の方である。時より頷きながらの作業ができるからよかったと思っている。次に変貌、十字架と続くが、別にもう一度、最初からノートをとりながら纏めてみようと思っている。元々学問とは縁のない人間だったから頭を使うのは一番苦手である。暑いところで汗を流すのが性に合っている。その汗を流すのも先日、隠居家の雑草を刈ってジ・エンド。

ようやく時間ができたかなと思えば、覚えることには「縁遠い」年代になってしまった。どれだけ益になるのかわからないから、まともなクリスチャンが見たら阿保かと思われることを懲りずにやっている。それでもできることに感謝している。信仰者としても自他共に認めるオシャカタイプだからできるのかもしれない。まともな信仰者はこんなことはやらないだろう。以前に、メッセージでヤコブ1:22-24から褒められない信仰者として聞かされて、反発を感じたことがあった。自分がその自覚があるから反発したのかもしれない。

学問から縁遠い者だからかもしれないが、新約聖書がギリシャ語で書かれていることは、ヘブルとギリシャでは思想的には大きな隔たりがあるのだろうから、それをどのように埋めているのだろうかと思うときがある。イエス・キリストの使信はしっかり伝わってきたのだろうか。大雑把であるがキリスト教の歴史を見ると何かその意を汲んでいなくて、ギリシャ的なものが入っているために間違った方向に行っているのではないだろうかと思うことがある。単純に読んでいると福音書とパウロ書簡に何か違うものがあるような気がする。また教会の姿と聖書の使信にもどこか違和感を感じるように思う。オシャカ的な人間が信仰の面でもそれが出ているのかなと思えば、それほどでもないが。しかし、真っ当な信仰者を自認している人を羨ましいとも思わない。

「キリストの危機」ではなく、「わが信仰の危機」である。だからキリストのキリストたる姿を書かれたこの本をやることは、わたしにとってはとてもいい示唆になるのだろうと思っている。でもどれだけものになることができるか?しかし、相変わらずの千鳥指ではあるがブラインドタッチは間違いなく上達している。これだけでもと思うのは悲しい。


2011年9月10日土曜日

死の町発言に思う

新大臣の失言は毎度のことであるから今回も無しなんてことはないと思っていたが早速出ている。失言なのか本音なのかわからないし、言葉で失言しなくとも原発の問題を見れば、その災厄はその比にもならない。それでいて、誰も責任を取らない。否取れないのであると思っている。

あの言葉を擁護するつもりはないが、家があっても人の住んでいない緑に包まれた風景は何なのだろうか。そこに生き物は生息していることはわかるが人が住めない町や村は「生きている」と言えるのだろうか。人が住めない所は死の町、村と言われてもおかしくないのではないだろうか。子々孫々まで甚大な被害を与える原発事故、それでも必要だ安全だと言えるのだろうか。ここに何が大切であるかの価値観が問われる。あくまでも自分を是とする生き方、組織を守る生き方、司法に問われないかもしれないが、繰り返される犯罪は、これからも続くだろう。資質が問われるのではなく価値観が問われているのであると思っている。

聖書雑感

以前に「日本人の常識は世界の非常識」という言葉は流行ったことがあった。「井の中の蛙大海を知らず」という言葉もある。若いときに観た「大いなる西部」の中に、広大な西部を自慢するかのように牧童頭のチャールトン・ヘストンか「西部は広いだろう」と言うと、グレゴリー・ペックはこともなげに「海はもっと広い」と言う会話をも思い出す。私の知っている世界は「井の中のかわず」だが、博学であっても神の前には似たり寄ったりだろうなと思うことがある。自分を是とするのではなく、それだけ神の領域は広いものだと言いたいのだ。しかし、「百聞は一見にしかず」と言う言葉もある経験も大切なことであろうことはよくわかる。

そういう意味では罪のない世界も罪のある世界も知っているアダムとエバはすごいなぁと思ったりすることがある。彼らとは罪の世界は共有できるが罪のない世界は共有できない。想像すらできない。想像できたとしても罪のある世界から想像するものは如何に歪んだものであるかがよくわかる。まさに「的をはずし」たものであろう。約束された「新しい天と新しい地」これはどんなものだろうか、かつて罪のなかった世界とはまた違ったものであろうとは思うが、そうしたら罪のなかったこの天地は知ることができないのだろうか、となると残念だ。

共観福音書にイエス・キリストがバプテスマの後に試みられる三つの出来事が記されている。マルコは三つの出来事を省略しているが「野の獣とともにおられた」ことを書かれている。人間より下等と思われている動物であっても人間より優れた能力を持っていることが言われているから、その辺のことを示唆しているのか、本当に危険の中に身を置かれたのかわからない。御使えたちが仕えたと書いてあるから危険はなかったろうと思うが?

パウロはロマ7章で自分の葛藤を書いている(これは全ての人の葛藤でもあるが)。私は「成すべき善を成す力はなく、成したくない悪を成してしまう」者である。イエス・キリストの荒野での試みを思うとこの言葉を思い出す。同じようにではなく、全く逆でないかなと思っている。私が罪を犯さないでいることは難しいことであるように、逆にイエス・キリストが罪を犯すことは非常に難しい。難しさは同じでも全く逆なのである。自分の視点から見れば大変な試練だと思う。しかしその大変と思うことは罪を犯さないという難しさであって、イエス・キリストにとっての難しさは罪を犯すことの難しさのような気がする。同じ視点、同じ目線も大切だが違った視点、目線から見ることも大切であることを教えてくれる。具体的なアクションまでもいくかはわからないが。




2011年9月2日金曜日

隠れキリシタン

小岸昭氏の著作の中にスペインやポルトガルでのユダヤ人がキリスト教に改宗させられ、それを拒んだ人たちは国外に追われた様子が書かれている。また、国内に残った改宗者たちも絶えず異端尋問の恐れの中にあった。言うなれば踏み絵をさせられた隠れキリシタンのようである。金曜日に身を清めたとか豚の肉を食べないとかユダヤ教に関連ある疑いをかけらたら弁解の余地がないようだ。たとえしたとしても告発者の言葉の方がそれが偽りでも絶対のようである。そしてその結果は火あぶりの刑と聞くとぞっとする。ここにカトリックの自らを絶対視し、裁かれるべき者が裁く側に回った者の姿を見る思いがする。実際やったのは国王であり女王であってもそれを許したことは同罪だと思う。ここに罪の罪たる所以があるような気がする。フランシスコ・ザビエルも直接加担していないようだけど知っていたであろうと記されていた。カトリックを非難するつもりはないが神の名の下でこのようなことが果たして許されるのだろうかと思った。

隠れキリシタンのことを思うと「青銅の基督」を思い出す。色々な思惑が交差していて考えさせられる。たかが青銅のマリア像?を踏むことにどれだけの罪があるのだろうか。殉教者が本当に殉教者であるのか フッと疑問に思うことがある。転びバテレンと言われる人たちに、信仰を捨てたのではなく継続したのではないかなと小岸氏はそのようなことを指摘されていた。

隠れキリシタンはキリスト教徒からはキリスト者として受け入れてもらえないほど変質したものになっている。キリスト者は、これをどのように捉えるのだろうか。私にはわからないが彼らの姿が変質した度合いが大きければ大きいほど彼らの苦しみが大きかったのではないだろうか。もしかしたら苦しみ続けるよりも殉教する方がある意味で楽であったかもしれない。わたしはその苦しみをイエスは担ってくれたのではないかと思ったりする。教会に集いえることは感謝であって、当然でも義務でもない。それは救いにとって大きいことでもない。十字架は小さくない。隠れキリシタンの苦しみを共有できなくともその苦しみの思いを共有したいものである。キリストの道は王道の道ではない。

雑感

メタボが気になり汗をかくために、暑いさなか空き家になっている隠居家の木の伐採作業をして今日終わった。一日に一時間から二時間くらいでゆっくりの作業である。運動不足だから息切れがしてゆっくり作業しかできない。昨日今日は少し凌ぎやすかった所為かそれ程でもなかった。あるいは少し慣れてきたのか体力も多少なりともついたのか。

伐採なんてちょっと大げさだが直径20センチ弱の杉の木である。しかし枝の多さと葉っぱの重いのには驚く、その前に、もみじの木をやっていたのでこれは葉っぱが軽くて量が少ないから楽だったのでその所為もあるのかもしれない。それに切り易かった。

3-40年も誰も住んでいないから庭の地面は枯れ草や枯れ木の枝でぶよぶよになっている。耕して畑にしたら野菜がよく取れるのではと畑をやりたいという家内に言ったら、もう腰が痛くて(毎日整骨院に通っている)もうできないという。そんな状態の庭だからきれいにとはいかないまでもそれなりに片付いたかなと思っている。

清掃工場まで何回か往復して、顔なじみになってしまった。清掃工場の道を挟んでやまびこ公園があり、そこの広場からは眼下に町並み見え、その先には諏訪湖が対岸までよく見える。そしてその隣はアイスアリーナがある。ここは夏でもやっているので大学の合宿に使われている。それで今が一番忙しいらしい。今日は早めに終わったので、ここの奥のほうに行ったことがあまりないので行ってみた。塩尻市の塩尻農業公園チロルの森、辰野町のしだれ栗森林公園やゴルフ場がある。山の中というかそこを越えると峠を越えるようなものだ。

駐車場があるのでとめて下を眺めたら高速道路がはるか下に見える。ジャンクションもよく見える。やまびこ公園だと前方だがここは真下に見える。標高千メートルだった。道なりに走っていったらしだれ栗公園を脇にさらに下っていくが民家が見えない。ようやく見え、線路も道なりに沿ってあるので岡谷方面だと思って少し走っていたら道路の看板に伊那22キロ、飯田71キロと出ていたので道を間違えたようだった。後で地図を見たら塩尻から辰野、伊那方面に行く、三州街道だった。それでも少し行毛羽下諏訪辰野線にぶつかるのでそれでもよかった。それでまた戻り、辰野の小野というところまで行って、岡谷諏訪方面の看板があって、これでいいんかなと思うほど狭い道を通り、結構走ったら元の道に戻って帰って来た。信州は道に迷ったら東京の比ではない。山と山の間を走っているのだからと高をくくっているととんでもないところに行く、一山どころではない。

標高千メートルでも舗装路があり、国道といっても車が交差できそうもない狭い道だったり、茅野から浜松に通じる道路は国道だか山の中を走っているので車が交差できない狭い部分があり、また途中で途切れている。林道を迂回しないと先に行けない。信州はすごいなぁといい意味でもそうでない意味でも感心している。わが実家は海から直線で13キロばかり、海抜16メートルである。背中にあるような山でも170メートルに満たない。津波がきたら完全に流される。今度の日曜日に話す準備を脇にしてこんなことを書いている。

自然の豊かさを満喫しながらその厳しさをも経験させられている。神様の偉大さを身近に覚えられる。信州はいい。