2012年3月31日土曜日

愛は隣人を作り、罪は敵を作る

アーネスト・ゴードンの「クワイ河収容所」を読んでいて、後半の方に彼らが日本の負傷兵に水筒から水をあげ、食料と傷口を拭いてあげたことが書いている。それを見た他の俘虜収容所から来た将校との会話を読みながらタイトルのことばを思いついた。

愛は隣人を作り、決して敵は作れない。その行動は非常識である。そして罪(人)は敵を作って、争わなければならない。それは、ごく常識的な行動なのである。 松鶴家千とせ流でいくと「わかんねぃーだろうな」

2012年3月26日月曜日

死後の備えあり、老後の備えなし

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。matt 6:31-33

先日亡くなられたMさんも参加していたシニアの集まりに参加してきた。そのときにふっとこんなタイトルを思いつく、まさにタイトル通りなのである。聖書のことばもいつも頭にありながら大切なものを脇においている自覚があるので自戒をこめて、ただそれだけのことではあるが。

2012年3月19日月曜日

ある聖句に



あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、
きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。詩18:25-26


このことばは、若い時にある伝道者の方がメッセージの中で引用されたことばであった。もう、うろ覚えであるがこのことばの通りのようなことを言われたと記憶している。余り性格が良くなかったので最後のことばが印象に残って今日に至っている。ある時サルが「俺は屈折しているからなぁ」と何かの話の中で言ったら大学生であったS兄がすかさず「言われなくても分かってますよ」と言いい、互いに笑いあったことがあった。年の差はあったが割りと率直に話合える兄弟だった。そういう意味で自他共に認める性格なのである。それ以来ではないが人の性格を判断する聖書のことばと冗談半分に適用している。聖書のことばをそこまでやるかといわれそうだがそれには余り気にしていない。サルにとって聖書のことばはそのまま聖書のことばなのである。ちなみに全く同じことばがサムエル記Ⅱ22:26-27にある。引照には載っていないが。



2012年3月18日日曜日

葬式で

こちらに来て二度目の葬式である。キリスト教関係の葬式がほとんどで一般のはリタイアしてからはなかった。それだけキリスト者以外の交流が少なかったかあるいは殆どなかったということだ。考えて見れば楽な選択をしていたような気がする。

小さいか大きいかは分からないが一つ一つのことで教えられたり考えさせられたりしている。今回の葬式は受付だけで本葬には出なかったがそれでも思い巡らすことがあった。キリスト教では死はこの地上の労苦を解かれて永遠へのスタートであるから未来がある。しかし時には伝道という意味合いが強くて遺族に対する配慮が欠けているようなことを感じる時がある。ある意味でキリスト教の価値観を押し付けている感もないではない。唯一であれば絶対であり、絶対は「他」はない。これが謙虚さから出てくればよいのだがどこか傲慢さが見え隠れする。勿論本人はそんな意識はないのだろうがルカ伝18章にあるパリサイ人の祈りの姿とダブルのである。どのような形にしろ悲しみは悲しみとして共有できなかったらと思う。

仏教の葬式を見ていると家族には大きな悲しみがあることはわかるがどこかセレモニー的である。別離は悲しいが極楽に生けるならその希望があるはずであるのにそれがない。極楽ってほんとにあると信じているのだろうか。お経を読んでどうなるのか説明がない。勿論仏教の批判でなく素朴な疑問だけである。つどいの会では二月に写経があったから参加してお坊さんの講和を聞けたら少しは仏教のことが分かったかもしれない。今は手紙もパソコンで書いているほどに字が下手なのである。自分の書いた字が読めないときが多々あるようなすごい字だから心落ち着けて写経なんで逆立ちしてもできない。



2012年3月12日月曜日

1月、2月、3月と

10日の土曜日につどいの会のOさんからMさんが亡くなられたことでお電話がった。実践塾で同じ1班でといっても腰痛で大分休んでいた時に二人入っていたひとりで二人は他の塾生とシニアでいっしょだったようだ。優しくユーモアのある方で、シニア卒でもなく、よそ者であるサルに何かと声をかけてくれた。声をかけるのはサルだけではなくそのような方のようである。乳がんで手術したことは人づてに聞いており、日赤で術後者たちの集まりに集っていたようだった。一時不安そうな顔されていたことをふっと思い出す。それでも一月に会ったときはお元気そうで、お互い声を掛け合っていたのに正直驚いた。少し前にあった方も「元気」と声をかけたときは「まぁまぁ」といっていたその二日後に入院されて間もなく亡くなられる。12日の日曜日に会として弔問に行かれるとの事だったが丁度集会もあり、それに司会でもあったので行けないことを告げた。ちょっと顔を出すだけでとの事だったので、司会を他の人に頼んで行こうと決めてその旨を再度電話をして伝える。

つどいの会とシニアの同じ班の方々総勢20名ばかりになったが平服で手ぶらでとの事だったのでそのようにしたら喪服の方も居り、なおかつ香典(お見舞え)持参の方が結構いる。持って行かなかった方はどうも本葬に呼ばれている方なのかなと後で思った。普段は目に見えるような化粧はしていなかったが亡き顔を見たら濃い口紅にアイシャドーには驚いた。これが死に化粧というのを帰ってきて家内に教えられる。でも普段の顔の方が素敵だと思ったし、ちょっと異常な感じを受けた。それにお経を会の一人の方が唱えたのには驚いた。誰かも唱和していた。仏教も色々である。彼女へのお礼を加えてご主人と少し話をする。

1月にN姉、2月にはIさんがN姉のときは老衰だったからついにとの思いがあり、Iさんのときには朝に電話があってその日の夜に亡くなられた。丁度日曜日でもあったのでまごまごしてしまったが何が優先すべきを考えさせられた出来事だった。身近に覚えている人が亡くなるので、3月には誰か亡くなるのではないかなと不安になっていたことを思い出して、それが的中してショックである。4月も?


2012年3月9日金曜日

紫式部

紫式部は冬には小さな実をたくさんつけて枯れ木のようになっている。冬になるとこの実を食べに雀や名前は分からないがカケスより小さな鳥が食べに来る。今年は餌が豊富なのか雀も他の鳥もあまり見かけることが少ない。この間の雪の時は、さすが餌が探せなかったのかひっきりなしに鳥たちが来ていた。今は枝の先のとりづらいところを残して殆どない。

鳥たちの餌のとり方を見ていると面白い。すぐ枝に来ないで近くの高めのところに止まる。さらに近くの地面に降りて、廻りを警戒している。そして枝に止まり、実をついばみ始めるが一個つまんでは周りをきょろきょろと見回している。何かあるとすぐ逃げていく。カラスのようにとりあえず危害が加えなさそうな屋根の上とかに止まる様なことはなく遠くへ逃げていく。ガラス越しでカーテンを動かしただけでも逃げる。図々しいカラスを少し見習ったらと思うほど臆病である。

それと2.3メートル離れたカーテンを動いただけで逃げるということはあんな小さな目でよく見えるということだ。昨年に病院で視力検査をした時、検査をしていた看護師?さんから運転している時も眼鏡かけた方がいいですよといわれた。勿論老眼である。パソコンでは一番弱い老眼を使っている。テレビはさらに弱い遠近で見るとはっきり見える。文庫本などはさらにどの強いのでないとダメである。パソコン、本を読むのに普通の活字と小さな活字の時にと使い分けて三つ使っている。それに拡大鏡とまことに不便である。そんな自分を見ていると彼らが実にうらやましい。眼鏡ナシで物を見、本を読めて、さらに遠くまで見える鳥がうらやましい。しかし、一個つまんではきょろきょろはしなければならない臆病さはちょっとかわいそうだが。今のままでも人の心を読めたら言うことないのだが。

2012年3月2日金曜日

共感をもって

上沼先生の「ウイクリー瞑想」で久しぶりにご自分の教会に集われた感想が書かれていた。牧師夫妻がサンフランシスコ近辺から毎週2時間もかけて来るという。(サルが集う集会にも月に一回東京から2時間かけてM伝道者が来て下さる)。

以前、小嶋牧師のブログをコピーして載せて、それに感じたことを書いたら小嶋牧師からコメントされたことがあった。(コメントしないことにというよりできないのでそのまんま失礼している)。上沼先生のも失礼して大半をコピーさせてもらう。


ウイクリー瞑想「うーん教会!!」


・・・

教会のある山のなかは、ある部分はサクラメントのベットタウン
で、そのような人たちが住んでいます。ある部分はヒッピーの生き
残りとか、ベトナム戦争の帰還兵が住んでいると言われます。いず
れサンフランシスコ湾に流れ込む二つの支流の分水嶺の上に隔離さ
れた感じの町です。皆それぞれ何か曰くがあってこの山の町に住ん
でいる感じです。人生の大きな傷が大きな自然のなかで静かに癒さ
れることをじっと待っているようです。その過去には触れないで、
時間が癒してくれることを待っているかのようです。

牧師夫婦はサンフランシスコ近辺に住んでいます。2時間は
かけて毎週説教に来ています。そういう状況であるという上でさら
に牧師として招聘したのです。それだけの意味があると、何度か説
教を聞くうちに教会員が気づいたのです。今日はガラテヤ書5
章から、肉の思いと御霊の思いの相克について語りました。これは
自分のことですと前置きして語り出しました。身近な親戚の人たち
に対しての肉の思いに支配されていると言うのです。教会内にも人
間関係でぎくしゃくすることがあるようなのですが、自分の葛藤と
して、自分に対する試練として率直に語るのです。

その説教だけで、後は牧師が地元に住んでいなくても、いつも声
をかけてくれなくても、教会員が充分満たされていることが分かり
ます。その説教だけで養われるだけの準備をし、それだけの情熱を
かけていることが分かります。出席者はその一言も漏らさないよう
に耳を傾けるのです。しっかりと訴えるものがあります。

そのような説教に人びとが少しずつ反応をしてきているようで
す。長い間隠されていた傷がどこかで触れられてきているのでしょ
うか。こちらも遠慮して話しかけないこともあって分からないので
すが、それぞれが何か曰くがあって長く隠れて生活してきた人たち
が足を向けてきているかのようです。どこかで内側に長くおおって
いたもの、膿のように抱えていたものに触れられてきて、礼拝に足
を運んでいるかのようです。何か出来上がったというか、整ってい
る教会には居心地が悪くて参加できないような人たちが、少しずつ
顔を出してきているかのようです。この教会でなければとてもでは
ないが礼拝に参加できないと思われる人が徐々に集ってきています。

そのような人たちを、実はあのチャック・スミスの大きな教会の
夕べの聖書研究会でも見てきたことを思い出しました。男性たちの
なかには願ったわけでもなくて独り身になってしまったような人
が、そのことで裁かれるようなことがなく、礼拝堂での夕べの聖書
研究で聖書を開き、メッセージに耳を傾けているのです。ここでな
ければ自分はいられないという思いが何となしに伝わってきます。
そのような人はとてもいられそうもない整った教会を、アメリカで
も日本でも見ます。それなりに整っていて、居心地が良いのです
が、そこは、そのような整った人たちだけがいられる場なのです。

この山の町にもいくつか教会があります。私たちの教会は結構歴
史がありますが、今は2時間かけて通ってくるだけの牧師で
す。それでも説教を通して、今までどこにも行けなかったような人
たちが、何とか居場所を見つけることができる教会になってきてい
るようです。何かに惹かれるものがあって説教に耳を傾けに来てい
るようです。それだけの説教をしています。それだけで教会が動く
のです。それに応える人たちが、全く思いがけないところから起こ
されているかのようです。教会とは?!、と唸らされます。

上沼昌雄記


教会の様子が何となく伺え知れる。本当は「ここでなければ自分はいられないという思いが何となしに伝わってきます。そのような人はとてもいられそうもない整った教会を、アメリカでも日本でも見ます。それなりに整っていて、居心地が良いのですが、そこは、そのような整った人たちだけがいられる場なのです。」ここだけを引用させてもらおうと思っていたがもったいなくて殆どを引用というよりコピーさせてもらいました。

サルのような中途半端なキリスト者はとても共感が持てる。信仰を捨てていなくても集会に集いない人をたくさん知っている。かつてサルは追いやった側のひとりでもあるという傷を持っている。だからそうやって傷をもっている人が集える教会を見ることは非常にうれしい。諸集会にはそんな集まりがあるのだろうか。