2012年6月30日土曜日

久しぶりの東京

郵送でも良いのだが書類の書き換えのために久しぶりに上京する。夜中に行く予定だったが当日の夜がいいとのことで夕方家を出る。高井戸まで行き、環八を走る。思ったより混んでいなくて、途中から団地の中を走り目的地に向かったが少し迷ってしまった。何年ぶりかの路地?の道である。しかし、大体の道は頭に入っているのであわてることはなかった。しかし目的地のすぐ近くまで行くがわからず車を止めて来てもらう。焼肉店で食事をとのことで行くが通る道は懐かしい。焼肉も久しぶりでおいしかった。しかし、どちらかというと魚派であり、野菜を好む世代だからタマであるのがいい。その後、ファミレスで少し話をするが日が変わってしまった。

下の息子が住んでいる前の住まいは古い団地の一角だから木が鬱蒼としている。それに街路樹があって、歩いても車でも日陰となるからそれだけでもほっとする。少し離れた図書館近辺はモット木が多い。そしてその隣に都の公園があって、まさに緑に囲まれた街である。しかし、ちょっと離れると変わることのない家並みがあるから限られた区域かもしれない。エキナカではないが駅のガード下のお店などが変わっていて賑やかになっていた。以前賑やかなところが寂れていたりで時代の移り変わりを思う。

最後の日に会社の近くで食事をというので気が進まなかったが車で都心に向かう。しかし、多摩川を渡り、調布に入ると調布作業所が新しくなっているのを見ながら多摩川べりを狛江、桐朋学園、そして仙川から甲州街道に出る。給田、烏山、環八を過ぎて明大前、幡ヶ谷、初台、新宿駅の南口の前を通り、新宿御苑を回り込むように外苑、青山墓地を脇を通り、六本木、溜池、議事堂を背にし桜田門、警視庁を脇に日比谷、そして銀座、工事中の歌舞伎座の脇が目的地なのだが時間が早いのでそのまま月島お台場と埠頭近くまで行く。お台場、レインボーブリッジ、ビックサイト、東京ゲイトブリッジ、そして物流倉庫群を見て、昔、有明コロシアムが唯一の建物であった時に一回車で通ったきりでその様変わりに驚いてしまった。少し暗くなってきたので途中で引き上げたがもう一度ゆっくりと車で回って見たい。

築地の本願寺や市場の前を通り、月島の名前を見て、いつかここでもんじゃ焼きを食べたいものだと思った。目的地の歌舞伎座の脇のシチュウの店でご馳走になる。シチュウもおいしかったが本のちょっとの煮物漬物?が実においしかった。50キロ近くある都心を走るのかと思ったがいざ走ってみると懐かしさと新鮮さが交差して、ダブルでグーである。時間があったらあそこにここにと気が向きそうになりそうな気分でもあった。家に着いたのは1時半、それでもまた行きたい思いは、東京も旅人のようにそこに住んでいない気楽さもあったのかもしれない。

2012年6月20日水曜日

リッター20キロ

今週の月、火と田舎に行って初めて長距離を運転する。一人ということもあったのか割りと運転はしやすかった。行きは北陸道まで下りになるからそれほど感じなかったが帰りは長い登り坂になるので少しパワー不足を感じる。しかし、アクセルを踏むとそれに合わせて加速がつくのでそれほどでもないのかもしれない。絶えずリッター何キロの表示が出るので運転は慎重になる。ゆっくりと発進し、ゆっくりと加速する。何時まで続くかは分からないが今のところは、燃費のことを考えなくなったら以前のような運転になるかもしれない。

燃費を計算したらリッター20キロを少し出るくらいだった。ほとんど高速だったからもう少し出るかなと思ったが残念、もう少し気おつければ1,2キロは出るかもしれない。発進時は3キロ、とか数キロの数字が出る。ゆっくり発進すればすぐ10キロの後半の数字は出るが町の中ではがっかりするほど落ちるかもしれない。満タンにして、メーターが半分くらいになったらガソリンを満タンにしてどれくらいになるかを見てみよう。何かがっかりするような数字が出そう、そうなると運転は雑になりそうな気がする。



2012年6月16日土曜日

制御できないもの





もう半世紀も前に読んだ本の中に書いてあったことを今も覚えている。細かいことは忘れたがオートバイに関する本であった。「人力で動かすものは事故になってもそれほど大きいものでもないが動力を他のものでやると事故は大きくなる。その動力が大きければ大きいほど大きい」こんな文ではなかったがでもこんな感じだった。

自転車に乗って事故っても怪我くらいで済む、(最近は自転車の事故で人が亡くなるニュースを読むが)、しかしオートバイの事故は死につながる。あの頃は若者のオートバイ事故がニュースになって、知人の高校生の息子さんのいる方は、息子の友達がオートバイに乗って事故にあって亡くなったとか半身不随になったとか息子さんの周りには事故のことがある意味で日常茶飯事だった。ある母親はオートバイで出かけた息子が帰ってくるまで心配で帰ってきた時はほっとすると言っていた。
オートバイは怪我すれば本人、自己責任みたいなもの自動車と違う感覚である。これより自動車、鉄道、飛行機と起きた時が大事故につながる。

これらは制御できるものである。制御できなくて痛ましい事故につながることがある。しかし、事故そのものはそれで終わりである。聖書の中に制御できないものがあるといっている。

しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。jas: 3: 8

まぁ自他共に認めることである。舌が悪なのか制御できないのが悪なのか分からないが「ことば」の一面を何時の時代でも経験させられてきた。その制御できないものがもう一つ加わった。事故が起きて初めて知った原発である。電事連が安全だ安心だと太鼓を叩いて唱えていたのにこれだったのかの感がした。人はある目的のために手段を選ばない。危険な結果を伴うものでも誰かが利益を生み出すものであればそれをやる。しかし、その付けは・・・



2012年6月13日水曜日

車を換えて

何時頃だったか忘れたが貰った車が壊れたので、店が近くにあったのと安いのでマツダのファミリアを買った。それ以来マツダである。二度ばかり買い換えてから、家族だけでなく、集会の人を乗せることもありと7人乗りのプレマシーにする。故障もなく割りと乗りやすい車だった。10万キロに少し欠けるが12年乗って、色々思い出がある。信仰と同じで、どの車でもギリギリのところで守られていることを経験させられた。若いときにはオートバイにも乗っていたがこのときは紙一重の経験を何度かしている。信仰を持ってから「守られていた」ということを実感させられた。そんなきっかけもあって信仰に導かれた面もある。これらのことを通して「万事を益」(ロマ8:28 口語訳)とされることを思う。

来年車検だったので買え替えはこの9月か車検時にはと思っていた。12ヶ月点検のときにエコカー減税の話をされて、7月くらいで切れそうだと云われたので買い替ることにした。そのときまでエコカー減税のことは考えていなかった。勧められた訳ではなかったがどうせ買うなら減税を利用した方が徳かと思ってのことである。スノータイヤも御代田に同じ車に乗っている知人がいるので4シーズン乗っている割には減っていないので、その旨話したらほしいと言うのであげて処分する手間が省けて感謝である。

二人で乗ることが殆どで人を乗せることも滅多にないので燃費が良くて値段も安いデミオに、正直CX-5のジーゼル車に興味はあったが値段が高くてちょっと手が出ない。運転をしていてハンドルの切れも良く軽い。アクセルペタルを戻してもスーとすべるように走るのがいい。それと停車してブレーキを踏むとエンジンが止まる。最初なれないと変な感じがしたが反対の信号が黄色になったらペタルを離すと丁度いい。それに今リッター何キロ走行かと出るのも面白い。町の中を走ると燃費は公称の数字より大分落ちそう。来週早々に新潟に行くから800キロ前後の距離だとどの位出るか楽しみである。 そのあと東京にも行かないといけないかなと思っているので行けたらそのときも楽しみである。昔の家電は「重厚長大」これが良かった。しかしあるとき「軽薄短小」に変わったように車も同じかなと思った。車が何年まで持つかより何歳まで運転できるかが問題、こちらに来て年寄りのマイペース振りには驚かされる。この間なんかも反対車線に止まって、しっかり右折の準備をされていた女性がいた。クラクション鳴らしても堂々としたものだった。回りを気にせず専用道路のように走ったりと、私にはあんな真似はできない。そのようになる前に免許を返上しないと、この車で最後になるであろう。せいぜい重宝させてもらおう。

2012年6月12日火曜日

おひさまファーム 5

昨日は残りの最後の畝に黒マルチを張り、オクラの播種とシシトウ、ピーマンの苗を植える。間隔を広く取るのを見て成長すると大きくなるのだなと思うがそこまでの余裕はない。まさに云われた通りにやるのが精一杯である。黒マルチに苗を植える細かい説明はなし、宿題とのこと。云われた時は何だっけと考えていたが作業を始めたら思い出した。忘れたと言えばキュウリの苗も伸びてきて、エボ棒に紐で結ぶときのこと完全に忘れていた。8の字で棒のほうを一回まわしてから結ぶ、指摘されたり、失敗して覚えていくものと割り切ってやっている。若い時からのパターンは変わらずさらにという感である。それでも牛歩のごとく少しづつ覚えているようでうれしい。

ジャガイモの芽つみ、種ジャガイモから出ている茎を2~3本残して、他は切るのだがそんなには着いていない。鋏みで切るときは上に茎があるとそこから芽が出すから土の中できるのだそうだ。結構奥がある。大きくなったレタス、キャベツ、ブロッコリーに追肥をして、小松菜、ほうれん草は収穫してそこに夏大根を植えるための畝つくりをする。

他を見ると同じように成長しているもの、明らかによく成長しているもの、あるいは滅多にないが自分とこより劣っているものと様々である。どこが違うのだろう、先生は水を上げているかいないかで大きく違うと言うがそれだけではないように思う。会を重ねるごとに面倒な部分もあるが充実していくような気がする。作業やっているときに興味があって聞きにくる人もいて、今回は数人いた。その中の一人の方は畑を借りて10年になるという。しかし、石が多くて今でよく出るそうだ。研修農園の土もあまりと思ったがこれくらいの土だといいと云われてそんなものかなと思った。その方は自己流でやっているそうで基本から教えてくれるからいいですねといっていた。確かに車の教習と同じで基本の基は大切。

しかし、肝心な聖書は自己流で基本の基をいつも逸脱している。年とともにひどくなり、修正不可能になりつつある。裁きと救いを強調するこの集まり、否定しないが福音が真に伝えられているのかなと思うと多少を首をかしげている・・・。もしこれだけであるならイエス様は神の国の到来を叫ぶだろうかといつも思う。そして新天新地も必要ではないのではなどと…。少し短絡的かな・・・。

2012年6月6日水曜日

隣人となるには

三日の日曜日にルカの福音書10章の「良きサマリヤ人」から話をししたが福音プラス学びのような内容になってしまった。聖書を「・・・人の私的解釈を施してはならない、・・・」(2pet: 1:20)ことをやっている。それにあのヨブでさい「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。」(job:38: 2)といわれているのに、サルは足元などということ際はばかれるような者だからである。


この話の最後にイエス様は律法の専門家に「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われたがやらないだろうし、やろうとしても出来ないだろうなと思った。なぜなら、これは律法の専門家自身が変わらなければできないことだからである。律法の専門家は自分の持っている律法の知識が彼を束縛し、神を知り、その御心を知っていると自負していたであろうがそれは改心前のサウロと同じであったと思う。サマリヤ人はフリーハンドのように行動することが出来たであろうと思う。キリスト者は律法学者のように成り得る最も近いところにいる者だ心しなければと思う。




「次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1cor: 8: 1

2012年6月1日金曜日

二つの渡河

イスラエルの民がエジプトから脱出して約束の地カナンに入るのに紅海とヨルダン川を渡った。そのことを思い浮かべている。紅海を渡るとき背後にエジプト軍が迫っていた。前は海、背後にエジプト軍まさに彼らは絶体絶命の危機に陥っていた。しかしモーセの杖が海に触れると海は左右に分かれて乾いた地となって民は渡ることが出来た。映画の十戒のイメージではないが水は衝立のようになっていたのではないだろうかでも彼らはエジプト軍への恐れからただ逃げることで精一杯で水がどのようになっているのかわからなかったであろうと推察する。

一方、ヨルダン川の渡河は、シティムのはるか上流のアダムの町まで水はせき止められている。乾季の水の少ない時ではなく、岸まで満々と水があふれていた時である。東京でいったら新宿から甲州街道を府中まで20キロくらいはありそうな距離である。なぜなのだろうと思った。

一つは緊迫した場面であり、一つは穏やかな状況を思い浮かぶのである。振り返ったとき累々と漂っている兵士と戦車、戦慄が走るような出来事ではなかったろうか。片や振り返ってもさほど感動もなく渡ったような感じを受ける。約束地に入る緊張と期待はあったのだろうか。どちらにしても生きるか死ぬかの緊張感はなかったであろう。はるか彼方に水がせき止められていることを思うとそのことを感じる。

信仰に応じて神は守ってくれる度合いをこのことを通して教えられる思いがする。エジプト軍が迫ってこなかったら紅海の水ははるか彼方まで引いてないと彼らは渡らなかったであろう。緊急の場合は、渡河するためのスペースがあればいい。しかし、そのようなものがない場合は安心して渡れるようにはるか彼方に水のミさえ感じさせない距離が必要なのではなかろうかと思う。

私たちの信仰の歩みにはこのような二つの状況があってそれに対応した神の助け、守りがあるような気がする。今はどちら?