2012年11月29日木曜日

「神への告発」を読んで

重度の身障者が書かれたと言われ、題が気になってアマゾンの古本で購入した。1977年に出版されているから35年も前の本である。古本はアマゾンでしか買えない。東京にいた頃はキリスト教関係を主に扱っていた古本屋が杉並や神田にあったので近くに行ったときは寄ったりしていた。新刊は勿論、古本も扱うアマゾンは便利である。特に地方にいると送料もかからず(古本はかかるが)助かる。タイトルは「神への告発」であるがキリスト教関係の本ではなかった。

本名かどうかは分からないが箙田鶴子(えびらたづこ)さんという方が書かれた私小説風の本である。
「難産であった。
二日目にようやく全身がこの世に生まれ出た時には、産ぶ声さえあげなかった。仮死であった。
身体の半分もある頭、横一文字に結んだ嬰児らしくない唇許、自分に似て男の子にも見えそうな赤児を、父は何としてもそのまま死なせるのが惜しかった。」で始まる。そして次のページには、
「症状……脊髄性小児麻痺と異なり、硬直性四肢マヒ。突発的瞬間的に、己の意思とは反対のことをしてしまう手足のケイレン的反射運動。発生不明瞭。発声時における、アテトーゼ様(舞踏病様)ケイレン。歩行不能。治療法なし。」の彼女なのである。

サルより7つか8つ年上のようだ。健在なら70代後半の方である。手が利かず歩くこともできない。足は腰からルの字型のようになっているとかそれでも左足が利くようで、字を書いたり絵も描く、この足で炊事も出来るようである。それでも一人で動くことはできない。食事もトイレも人の助けが必要である。お手伝いさんがいて家系的には恵まれた家のようであるが唯一の理解者であるお父さんを9歳で亡くされてから母親から蔑ろにされていく、世間体を気にすれば分からないでもない。ここから彼女の生きる厳しさを体験していく、そして何度も自殺を企てるが未遂に終わる。ここから彼女の生き様が現れてくるような気がした。

学校に行くこともなかったがお父さんのお陰で読み書きが出来、沢山の本を読むことが出来た。身内に酷い扱いを受けながら「生きなければならない」現実の中で生きていく、その逞しさに驚く、そして女性としての性にも触れている。恋愛もあり、表向きには善意であっても本心は利用されているような男と女の関係でありながらそのような中に性の喜びをほのめかすような文章もある。事実妊娠し子供を生もうとするがそれはかなわなかった。障害者であるが故の女性としての性、性の悲しさを垣間見、そして純子という女性のことが書かれている。自分も自分を取り巻いている人々のあからさまな姿を書いているがそこに嫌味がない。人間が持つ見えないところをあぶりだしてもサル自身も持っているものだからだろう。「生きる」ということは大変だろうと思いながらもある種のうらやましさを感じた。それは自分に無い逞しさ強さを彼女の生き様から感じるからである。

2012年11月28日水曜日

おひさまファーム

今月中に野菜を収穫しなければならないので半分近く残っていた野沢菜を収穫する。
久しぶりに農園に行ったら我が家と入り口近くの2箇所だけが残っているだけであとはきれいに整地された畝畝で実に綺麗である。キュウリやトマトがあるときは変に傾いだり、部分的に枯れていたりと見た目的には良くなかった。それに何となく雑然としていたがそれもない。4月から夢中でやってきた所為かこれが最後かと思うとさびしい。自転車で走っていると個人的に作っている菜園をよく見かける。思わず立ち止まって見てしまう。同じようなものを作っており、思わず自分の作ったものと比較してしまう。でも大体向こうの方が立派、しかし何となく雑然とした感じが多いのはなぜだろう。講師付で借りているから意識して片付けている違いかな。以前、すぐ近くにある市の貸し農園を見たら手入れはしているのかと思うほど雑然としていた。やめて雑草だけになっていたのもあったからだろう。そういうのを見ていると雑草一つない整然とした畝を見ていると春になったら是非私たちを使ってくださいと来年の受講者に語りかけているような気がした。

来年は農園を借りないけれど何か機会があればこれから野菜つくりをしてみたい。農薬ナシの有機野菜、これを食べているとスーパーで買ってくる野菜は味がないような気がする。それと野菜を作っていると野菜を買わないで済むからこれが結構家計に寄与してくれるこれも大きい。農家に生まれて、田植えと稲刈りと付随的なことしか舌ことがなかったからいい勉強になった。たかが野菜されど野菜である。暑い日差しに簡単に枯れてしまう野菜、平気な野菜、霜に弱い野菜、平気な野菜、手のかかる野菜、ホッといても育つ野菜色々である。まるで人間と同じようである。奥の深い講習でした。

2012年11月20日火曜日

「深い河」を読んで

十数年前に買った遠藤周作の「深い河」を再度読んで「重かった」と先日ある方と話をしていたら言われたので興味をもって図書館で借りて読んでみた。文学をどうこう言う薀蓄はもっていないが何冊か読んだ遠藤周作の小説の中にあるものがここにもあるような気がした。

キリスト者としての視点で読んでいるのかもしれないが幾つかのことが気になった。神学生崩れ?の大津の姿を見ているとキリストの愛を仏教の慈悲にすり替えているのではないのかなと思える。或いは彼のキリスト理解の限界を見るような気がする。ある意味で日本的キリスト教なるものがあるかどうか分からないがあるとすれば彼のキリスト教はそのようなものではないかなと思った。

彼は「弱さ」というものの視点を持っている。彼自身の姿なのかもしれないけど弱さを持っている者に対する理解を示しているような気がする。それはそれでいいのだけれど逆にキリストの強さが消されているようにも思える。

インド人にガンジスとはどのような意味をもっているのかはよくわからないが舞台をあそこにしたことで言わんとした何かがあったのだろうがサルにはわからなくなっているような気がした。彼は日本人の罪意識の欠如を指摘していると何かで読んだことがあるがそれとキリスト理解は連動していない。

彼がカトリック信者だということではないであろう。同じカトリック信者でも犬養道子さんは(本は2~3冊しか読んでいないが)その信仰理解は良くわかる。しかし、彼のはよく分からない。文学者としては優れているのだろうがキリスト信仰者としては迷いlの中にあるように思った。

2012年11月17日土曜日

蕎麦と初雪?

日付は変わったが昨日松本市の隣の山形村にそばを食べに行ってきた。山形村の唐沢地区の集落が道路添えに何軒かの蕎麦屋さんがあることを2-3日前のTVで放映しているのを家内が観て食べに行きたいとのことで、塩尻、松本と用があったので足をのばして行って来た。ここ最近はガソリンが安い塩尻、松本方面に用事を作ってはガソリンを補充している。14/Lの違いは大きいから今回も然りである。といっても満タンにしても500円でお釣りがくるくらいだが。

松本市を横切るように走り、迷いながら唐沢集落に着く、TVでレポートしていた一番奥の店「水舎」を目指す。何軒かの蕎麦屋の看板を見ながら中には2時も過ぎていたので閉店の店もあった。行き過ぎたようなのでユーターンをして手書きのような小さな看板の案内を見つけ、それに従って脇道に入る。少し走って舗装路が切れる手前に店があった。第一、第二駐車場とあったから結構人が来るのかもしれない。入り口の近くの第一駐車場に車を止めるが数台止まっている車の3台ばかりが県外ナンバーだった。結構知られているのかな信州人としてはまだ新人だからこの辺のことは分からない。

少し遅かったので2つばかり切れてしまったと言われたがTVでこれがいいと言われていた長芋をきざんだ蕎麦を注文し、とろろ蕎麦とは違った歯ざわりで美味しかった。麺が細いのが気になったがあれで良かったのかもしれない。もりのようだがお皿に入って、たれをかけて食べる。蕎麦湯がほしかったがもりではなかったから無し、さっぱりした蕎麦に少ししょっぱい野沢菜のおシンコウが丁度良かった。それに出されたお茶は蕎麦茶?マッチしてグーである。もう一度来て他の蕎麦を食べてみたい。

そこを出て、広い道に戻って更に奥に進むともう山の中に入る。狭い道を走ること数キロ清水高原別荘地帯を越えて更に行くと、直進「スカイランドきよみず」、左折「清水(きよみず)寺」の矢印の案内板があって清水寺にと左折して走る。車が交差できないような狭くて崖の道を走るガードレールは極一部、対向車を気にしながら幸い行きも帰りも一台だけ、少し下るように走って1キロ弱かな小さなお堂の清水寺に着く、チラッと観て、展望台は急斜面に建っているから京都の清水寺の超小型版のようである。しかし、眼下は勿論塩尻、松本、安曇野の一部が一望に見渡せる。絶景である。入笠山から見る八ヶ岳山麓とまた違った趣がある。どちらかというと稜線があり、富士見町と原村、それに茅野の一部が見えるの平坦地の方が好きだ。広々とした畑は手前だけその先は塩尻や松本の市街地、ビルが見えても・・・の観がしないでもない。

塩尻の峠を越えるとき道の脇の日陰の部分が白くなっていたので雪かなと思ったらそうだった。清水寺でも日陰の部分が白く雪が積もっていた。踏むとその下が霜が浮き出ていて、さくさくと気持ちいい。二千メートルの麦草峠も15日に閉鎖になり、新聞に吹雪いている写真が載っており、既に10センチの積雪とか、1週間くらい前に行ったときはフリースでも平気だったのに冬は駆け足で来るのかな、そういえば今朝は室内10度を割っていた。慣れてきた所為か朝起きてもそれほど寒いとは思わなかった。冬はこれから、季節としてはまだ秋なのである。どこもかしこも寒くなる冬に向かっていくなかで、心と気持ちと信仰は熱くは無理だが暖かく位に頑張りたいものである。しかし、これも努力でなくて頂き物であるから心しなければ。

何時だったか安曇野の「アルプスあづみの公園」に行った帰り、アルプスサラダ街道なる山添えの道をを通ったことがあった。正直道に迷って走っているうちに塩尻の近くでようやくいつも走っている道に出てホッとしたことがあった。どうも今回の道の一部をあの時に通ったようだ。走っていて思い出した。定かではないが。松本を横切り、いつも通る「アルプスグリーン道路」なる農道?ではなく、「日本アルプスサラダ道路」なる道を少し走って、また地理を覚えることが出来たようだ。点が線になったかなと思っている。グリーン道路添えにある道の駅「いまい恵みの里」で長芋や野菜などを買って帰ってくる。ひたすら走って80キロの旅?である。

2012年11月12日月曜日

最後のおひさまファーム

今日がおひさまファームの最後の講習、と言っても残っている野菜を収穫し、その畝に藁と消石灰を撒いて管理機で耕して終わり。11月いっぱいまで残してもいいのだが野沢菜を残してすべて収穫する。ほかの人は全部収穫した人、野沢菜だけ、ネギと野沢菜、他に残している人もいる。先生に量が多いから全部収穫しなくてもと言われたが野沢菜だけ残して採りますといって採ったらおかげでダントツの最後になってしまった。いつも二人でやるのだがどういうわけか最後になる。どういうわけでもない単に遅いだけの話である。収穫といってもダイコン3本、白菜1個、キャベツ2個、しかし白菜とキャベツはずっしりと重い。スーパーで売っているより少し大きいだけであるが重みが違う。春菊はバケツに換算して2杯くらい、チンゲン菜は1杯くらいかな。日曜日に東京からMファミリーが来るのであげようと少し採ってあったからこれだけで済んだ。ネギはプランターに根の部分だけ土に入れておけば持つといわれ丁度プランターが二つあったのでそれにいっぱいになった。鍋の時など必要に応じて抜いて食べればよい。

農家に生まれながら田植えや稲刈りなどは手伝ったが他の事は一切やらなかったので初めての野菜作りは驚きの連続である。最初の頃や暑い時の種をまいた後の水撒きがいかに大切かを知ったし、最後の方はほとんど水も撒かず元気丸も使わなかった。それでも平気だったし、涼しくなってからは虫の活動も減ったみたいだ。トマトは涼しくなったらちっとも赤くならずそれに美味しくなくなってきた。暑い産地のものであることが良くわかる。キュウリも然りである。色々な種類を作らせて貰って、その種類によっての特徴が一つ一つが違う面白さがあり、それに対応していかなければ駄目になってしまう現実を見る。まさに生き物であることを知る。牧会者が一人ひとりに植物を育てるようにねんごろにしないと信者は死ぬなぁと思わされた。100人も礼拝者がいるところはどうなるのだろう。責任者は大変だ。

5X6メートル四方で8畝、たったこれだけで何がと最初は思ったがトマトを除いて、最盛期には飽きるほど出来る野菜に少々うんざりすることもあった。それに次々と作るのについていくのが精一杯、説明も右から左で忘れていく、ある年配の夫婦はモット酷かったらしい。サルはまだ若いということかと思ったがうれしさはこみ上げてこない。来年は50平米で2年間、市が用意してくれるそうだが全部自分でやるので難しいから応募しなかった。会を作って種とかを共有したり、定期的に集まって勉強会や親睦を図るとのこと、いいと思うがまだ中途半端なかかわりしかできないと思うからそこまでの自信はない。野菜作りは興味があるから一年遊んで来年チャレンジしたいと思っている。

まとめの講習や集まりは日曜日の午前中なので参加が出来ず、18日は終了式であるがそれも出席できない。午後にやってくれるといいのだが難しいのだろう。毎回先生は勿論、農林課の職員が来てサポートして下さった。より役所が身近に感じ愛市精神が少し芽生えたような気がする。ここで生活していれば何がしかのお金を落としているからめぐりめぐって役所の方にも行くことだろう。ただ勤めていた時はほとんど健康保健は使わなかったがリタイアしてからは毎日薬のご厄介になるので少々赤字に貢献しているのが心苦しい。何かでカバーしたいと思っています。あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た。

2012年11月7日水曜日

無手勝流

どこをいじったのか久しぶりに聖書検索をやったら最初の20節分しか出なくなった。利用者キーにパスワードを入れないとこうなるのである。よく見たらパスワードが入っていない。いつも入れた状態で登録してあるのにそれが消えていた。パスワードを入れても駄目でこれはパスワードのbを間違ってdとしていた所為だったがそれが分かるのに二日かかり、いじってわかるわけでもないにパソコンとにらめっこをしていたら夜中の3時過ぎになってしまった。

駄目で元々でメールをしたらすぐ返事が来て、2版と3版のURLが出来ていて3版を入れる。今まで2版になっていて3版を見るには3版のところにチェックを入れないといけなかったので面倒だから2版のまま使っていた。これからは3版がそのままで使えるから助かる。あまり比較はしていないが幾つかのところで違いがある。しかし2版を使っている人が多いからどうかなと思うがといってもいつもの集っているのは6人から8人ではあるが。

送っていただいたパスワードをそのままにしてこちらで書いていたおいたパスワード入れて駄目でたまたまそのパスワードをコピーして貼り付けたら良くなったのでそれで確認したらbとdの間違いに気がついたのである。英語が苦手、パソコンも苦手であるがそれでもパソコンとにらめっこをしている時間を見たら「パソコンおじさん」と言いたいが年齢的にはもう「おじさん」ではない。その意識はないが年からいうとおじいさんなのである。

パソコンは分からないのでいじりだしたら更に悪くなり、そして堂々巡りをして時間ばかりたってしまうのというのが現実である。まぁなんとかできるようになってホッとしている。パソコンも無手勝流、無手勝流はパソコンだけでなく信仰も然りである。何事においてもセオリーを知らない。しかし懲りることなく無学を前面に出して顰蹙を買いながらやっている。この前も「聖書では神様と私たちの関係を親と子の関係に例えている」といいながら「日本人の神は父親のような存在で普段は煙ったがって避けているが困った時や願い事がある時にだけ頼みに来る」と、そして「聖書の神は母親のような者、絶えず子共と交わろうとし、関わろうとしている。父親のようにチョコット思い出してそれだけのような者ではなく(これはサルだけか)、絶えず心にかけていていてくださる」。ノーエンのコンパッションにはギリシャ語もヘブル語も哀れみは体の内臓を表しているようなことを書かれていたので、「母親がお腹の赤ちゃんを慈しみように私たちを慈しんでくださる」てなこと言っちゃった。自分の中にもあるが放蕩息子のたとえを語りながら実は放蕩息子の兄の姿を求めているのに気付かされる。一応形だけでもジェントルマンでなければいけないのである。本当に弱いのは一般社会の常識の中で生活できない人間を言うのであるがそれは否定される。イエス様だって当時は非常識人だったのだろうなと思いながら自分を肯定しようとしている。そこにはセオリーも信仰もない。あるのは無手勝流だけである。だからパソコンも信仰も進歩がないのはこんなところに原因があるのであろう。

2012年11月1日木曜日

11月になっても

今年も後二ヶ月となった。紅葉もちらほら、高いところはもう終わりかけているが今年は野暮用ででかけられないかもしれない。それよりも寒くなってきたがまだ秋なのである。これから段々寒くなってくる。来年の三月後半にならないと暖かさを実感できないであろうと思うと紅葉の美しさをと思う前に憂鬱になる。この思いは、今年ももう二月というよりもまた一つ老いたのだという実感をしているのかもしれない。ストーブを出し、電気毛布も今日から解禁、冬に備えて準備しつつあるが身体はすこぶる拒否反応が高い。