2012年12月28日金曜日

「海嶺」を読んで

出版されて30年も経っている「海嶺」という三浦綾子さんの本を図書館で借りて読んでいる。81年に朝日新聞から出版され、89年に新装版として主婦の友社から出版されているのを借りている。古いのと本が厚い(550ページ)所為か装丁はヨレヨレである。

和訳聖書を最初に出版されたギュツラフ、その手助けをした三人の日本人に興味を持ったので読み始めたがそれには少ししかふれられていない。これに関しては「にっぽん音吉漂流記」なるものがあることを知ったので年明けに借りて読んでみようと思っている。

ノンフィクションといっても史実に忠実とは云えない。フィクションの部分もあることを作者は後記で書いている。作者の情感が伝わってくるとその分読みやすいがフィクションが出るから何となく殺がれる。小説としてではなく史実として読みたいと思うとつまらなくなる。三浦綾子はプロテスタントのクリスチャン、読んでいて信仰が逆にそれを殺いでいるのかなと思った。カトリック信者の遠藤周作が「銃と十字架」でのペテロ岐部を取り上げているのをみても同じことを感じた。そしてサル自身もキリスト者であることがそう感じさせるのかもしれない。

2012年12月23日日曜日

ホワイト・クリスマス

今朝起きたら天気予報の通り白一色である。雪が降ったときは雪かきの音で目が覚めるが今朝はその音も無く雪は降らなかったのだなとゆっくりと起きたら一面の雪、そして既に雪かきがされていた。年だから必要最小限のところだけやって終わりにする。通りに出るまでの雪かきは去年はやったが今年は迷うことなくパス。後でどなたかが端の方を除雪していた。ほんの一部しかしなかったが今冬初めての雪かきになった。霧雨のような雨が降っていたので雪はどんどん融けてくる。こんな雪はいいが寒い時は融けたような部分が凍ってくるから考えただけでも身震いする。

クリスマスが近いので雪が降ったらホワイトクリスマスである。若い時、勿論ノンクリスチャンの時であるが何時もクリスマスが近づいてくるとビングクロスビーのホワイトクリスマスが恒例のようにラジオから流れていた。英語は解らなかったがクロスビーの甘い声とメロディーが今でも思い出す。あの当時は米軍放送なんかはエンドレスのようにクリスマス曲を一日中流していたように記憶している。日本のラジオ局でもクリスマスが近づいてくるとクリスマス局がよく流れていた。歌詞がわからなかったがどの曲も好きだった。

クリスチャンになってクリスマスソングは聞かなくなった。音楽は歌謡曲より、軽音楽が好きでクラシックはセミクラシックと言われるものくらいでジャズはデキーランが好きだった。映画やこのような娯楽は世的なものとしてご法度的雰囲気があって聴いたり観たりはしなくなった。あの当時若い姉妹がスラックスを履いて来たら宣教師の奥さんに注意されてそれからはスカートをはいて来るようになった。もし天皇に会うとすればきちっとした格好をするでしょう。まして主に合うならきちんとした格好をと言われたそうだ。今でもその名残があるのかなぁ?このことについては神は遍在している方だから多少抵抗はある。

それと、礼拝の時に礼拝讃美歌を使っている。新しくなってから曲は増えたが降誕の曲が2曲しかない。曲が「きよしこの夜」でも歌詞が降誕の曲ではない。降誕の曲が極端に少ないのは世の中にホワイトクリスマスなどのクリスマスソングが多いから意図的に避けているのかなと思ったりしているがどうなのかな。これは偶像崇拝だとして世の中のものと差別化をする傾向がある。その一つにお焼香や線香を上げることである。宗教行事の一つかもしれないが香を焚くというのはそういう意味があるのだろうか。仏教も神道も個々のやり方をみていると意味よりも形に拘っているのかなと思うことがある。そこに偶像すらも無いのではないだろうか。些細なことに目を光らせ、真の偶像を見逃しているような気がしてならないまさにサタンの思う壺である。信仰生活を忠実に歩んでいるようで実は「神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」ようなところがある。

差別化といえば霊肉も然りかもしれない。ある宗派の人たちは肉を食べない。そこにいた人の証を聞いたことがある。表向きはそうであっても肉を食べている人がいてそういう人を肉的クリスチャンと言いい、本当に肉を食べない人を霊的クリスチャンというとそんなことを聞いたことがある。勿論批判としてではなく。霊肉の差別化もあるような気がする。肉は穢れたものと聖書にも書いてあるからかもしれないがここにも差別があるような気がする。だからイエス様は肉体をとってこられたということも言えるのではないだろうか。その辺のところはパウロ書簡と福音書微妙なずれがあるような気がする。勿論神学のシの字も知らない者であり、ただ単純に聖書を読んで感じるだけである。「福音宣教と忠実に教会生活を歩む」ことが優先してパウロの書簡を曲解していないだろうかと思うことがある。

2012年12月22日土曜日

本質的には 冷めた目で

昔、風変わりな牧師の書いた本の中にこんなことが載っていた。

 『むかし、かの有名なる河上肇博士が京大教授として講義をしておられる当時、近衛公や有馬子などがその門下に集まった。
 彼らのあるものは休暇を利用して炭鉱に入り、抗夫たちと起居をともにして体験したいと思った。
 そのとき抗夫の一人が、「あなたがたはもうやめてお帰りなさい。なるほど肉体的体験はできますが、精神的な体験はできません。僕ら抗夫は寂しさやその心細さは、心の不安にあるのです。一朝ケガをした場合、もしくは不況のため首をきられ、職を失い。生活の道に迷うとき、妻子を連れて、この山を下り流浪の旅を続けなければならぬのです。
 こういった不安が僕らの悲劇の中心なのです。あなた方のように、疲れても、病気しても、帰れば若殿さまがお帰りになったのだと、将軍の凱旋のように迎えられるのとは雲泥の差なのだから、体験などとは思いもよらないのだ」と忠告されて山を下ったという話を聞いて、首肯されたのである。」

今度首相になる方は色々と頑張っておられるようだ。高揚感がテレビの画面から伝わってくる。お陰でちょっと勇み足的なことも散見される。現政権のような無様なことはなさらないと肝に銘じて頑張ろうとしておられるのだろう。現政権もそれなりの意義はあったと思うがなんかままごと内閣みたいで理想と現実の乖離が大きすぎた。

今度首相になる方も元首相で引退せざるをえなかった方も超お坊ちゃまである。元さんは下々のことは分からなかったようである。今度の方もそこまではと思うがでも近いかなと思ったりもしている。下々の為にとは言わないが底辺を徘徊している者としてはそんな方が政ができるのかなぁと思ってしまう。地元のテレビで水戸黄門を見ている所為か黄門様が代官や殿様に庶民の暮らしを分からなくては政はできないそんな台詞を思い出す。順調に物事が進んでくれればいいのだが(本心から)でもお坊ちゃまは墓穴を掘りそう(別に期待しているわけではない)。隣の国の新しい大統領になる方のコメントは短いが重みがあるし地についているように見受けるがどうだろう。

戦争をしたい方も出てきたが自分は痛い目にあうわけじゃないから好きなことが云える。人を一銭五厘の価値しかないと思っているのだろう。小国を相手に何度も裏切られながら武力をもってではなく忍耐をもって対処している大国の姿をみていると爪の垢を煎じて飲ませた上げたい。何よりも息子の当選が気になっておられる方だろうから「この国を」なんて言うことは説得力は無い。

2012年12月13日木曜日

冷蔵からチルドへ

三寒四温と言う言葉がある。今、信州の地は四寒三温である。否温ナシかな?
今朝起きたら温度計は4度だった。多分窓際だとモット低く、玄関はさらに低いだろう。
これから気温は低くなる一方、窓際の結露は凍っているがそのうち洗濯機の排水溝の水も凍るかもしれない。まさに冷蔵の世界からチルドの世界に入って行く、田舎の同級生が千葉県の柏市に住んでいたが今北海道の旭川に引っ越して農業をやっている。もう4年目になるのかな、冬の北海道に旅行するだけでも尊敬してしまうのに移住するなんてただ驚きである。


先日は雪が降って近所の子供達は喜んで少ない雪を集めて雪だるまを作っていた。嬉々として遊んでいる子供達を見ると炬燵派としては直寒さがしみる思いがする。遠い昔にそんなこともあったのだが今はもうその片鱗さいもない。春が待ち遠しいには日がありすぎるし精々寒さと友達になるように努力しよう。と言っても今のところ窓際で太陽を背にしているくらいであるがこの暖かさは格別である。

2012年12月12日水曜日

チャペルでクリスマス

9日の日曜日に結婚式場のチャペルを借りてクリスマス会を行った。今も結婚式の案内をしているが法事などの葬祭関係の集まりにもとの案内があるから少ないのだろう。チャペルはアップピアノだがグランドピアノもあるのでコンサートをやることもあるらしい。

今年で三回目であるが昨年は本館の方でやり、一昨年と今年はチャペルで行われた。正直に言えばチャペルしか空いてなかったということでもある。しかし割りと天井が高く人数的にも丁度いいスペースでもあってコンサートにはグーである。

巷で祝うクリスマスは本人不在のクリスマスだからチャペルでキリストの誕生を祝うなんてことは的を得ており、結婚式場のチャペルが本来の目的を果たすことが出来たと自負している。貸主は空いているチャペルを使ってくれて、お金も貰いるとなればそんな趣旨はどうでも良いのだろうがそれでもキリスト様に何か寄与したとでも思ってくれているだろうか。

東京から千葉からと奉仕してくださった。「小さな群れよ。恐れることはない」の言葉が思い浮かぶ小さな群れである。キリストの愛を皆さんを通して実感する。そういう意味で恵まれた集会でもある。それに、笹子トンネルの事故で電車での日帰り、オンブにダッコのクリスマス会であった。そして感謝のうちに終えることが出来た。目に見えないところで確かな働きがなされているようである。主は、欠けているところ、弱さを通して働かれる方であることを実感する。アーメン


2012年12月5日水曜日

何かダブる

9日早々にクリスマス会を行う。月に一回東京からM伝道者が家族と共に来てくださるその日に合わせてのことなので早い。最近子供たち対象だったりすると12月早々にやっているところもあるようだ。ファミリーと讃美してくださるT姉ともう一組の家族も来てくださるとのことで楽しみにしている。千葉からはピアノの演奏してくれるI姉とご主人と息子さん共にクリスチャンである。姉妹のご両親と親しくし、お客さんでもあったが仕事をやめてから疎遠になり、亡くなられたことを知る。これでおしまいかと時代の流れを実感していた。それがM伝道者が千葉に奉仕に行ったきっかけでまた繋がりを持つことができた。今回で3回目である。どういう形であれ、また繋がれたことに感謝している。

そんな中で笹子トンネルの崩落事故が起きた。上りは勿論、下りも開通するまで間に合わないような気がする。終わってからとは思わない。暮れに近づいたら更に色々なところに弊害が起るだろう。事故の進捗状況を知りたいのにTVは原因究明や解説だけである。事故に関係ない人たちの興味はそんなものであり、現実に影響受ける人たちにはいつ復旧するか或いはバイバス路を確保しているかが問題なのである。原因究明は専門家に任せ、TVで色々やっているのを観ると、使徒の働きの中で「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(acts:17:21の言葉を思い出す。今の報道は少し違うような気がしてならない。どういう風にと問われると答えられないが実害を受けて初めて感じたことである。

事故やアクシデントが起きると信州は遠いなぁと実感する。通行量どうこういうのではなくバイバス路なることも考えておかなければいけないなぁと思った。中央道も東名が駄目になったときのバイパスをかねていると聞いたことがあるが然りだと思う。それに夜間走っていると良く関西ナンバーのトラックを見かける。東名に比べたら車の数は少ないし、早朝の東京に合わせているのか各サービスエリアは大型トラックでいっぱいである。そういう意味で佐久から小淵沢の縦断道が出来ていたら関越へのバイバス路になる。政治とはこんなことをも考えていいのではないかなと思うが如何なものだろう。

原発と同じように最悪のことを考えないで、大丈夫というみなしで過ごしてしまう恐ろしさを目の当たりにした。自分の中にもある。怖いものには目をつぶって見ないようにする。企業や政治の世界ではこれは許されないだろう。許しているような日本であれば危険なことである。だから軍隊を持とうとそれが国を守る唯一のものだと錯覚してしまう。その前にやることをやらないで・・・。

2012年12月4日火曜日

国のゆくえ

選挙が始まった。どんな結果が出るのか気になるところであるがどちらにしてもあまり期待できない。しかし、良し悪しは別にしてもこの国がどこに向かおうとしているかのターニングポイントになるような気がする。

今、エレミヤ書を思い出している。当時のイスラエルと日本をダブらせるつもりは無いがどこか似ている。大国に挟まれた小国、威勢のいい偽預言者たちの言葉、真実の言葉はバビロンの軍門に下り、捕囚となることが生きる唯一の道、到底受け入れられることのできない言葉である。しかし、それが現実となった。

どんなに繁栄していても神ナシの世界はいつかは滅びる。滅びたようでしっかりと生きているのが神の世界である。神ナシの世界で生きようとする為政者は日本の国をどこへ導こうとしているのだろう。

2012年12月3日月曜日

冬本番

今日から12月、誕生日もあと○日である。大体当日になると忘れてしまうことが多いということはそれほど意識していないと言うことである。

月が変わったらお天気が急変し、布団を干していたら隣の奥さんが怒鳴っているので何事かと思ったら雪が降ってきたと知らせてくれた。よく見たら雪が舞っているあわてて布団を取り込む、大したことは無かったが地面の一部白くなるほどだった。それだけ気温が低くなっているようである。少し降っていたがそのうち日が差してきたのを見て、冬の天気だなぁと思わされた。今冬はじめの雪である。

今週一杯が日の入りが最も早く、一ヵ月後の一週間が日の出が最も遅い、それから徐々に日が伸びてくる。まだ6時は暗い、そしてこの時間が最も気温の低い、部屋の明かりをつけながら外が明るくなってもカーテンはそのまま、カーテンを開けると外気温が低いので室内が下がってしまうから日が明け始めたら開けるようにしている。3月まで血圧が上がらないように、心が萎えないように気をつけよう。