2012年4月30日月曜日

やまびこスケートの森

岡谷で誇れる?一つに「やまびこスケートの森」がある。ここには国際公認のリンクが屋内と屋外の二つがあって(www.yamabiko.co.jp/)。屋外は国際スケートセンターといって、トレーニングセンターも併設されている。屋内は少し離れたところにあってアリーナと呼んでいる。ここは年末年始と整備の期間を除いては無休のようである。夏に営業しているのは少ないようで関西はもちろんのこと九州などから大学生や社会人の合宿で使われているようだ。

実は二年前にロッジを借りて,聖書の勉強会をやった。いつもは十人にひり欠けるような集まりだから、東京からも来られて総勢二十数名からになった。どこかの集会の集まりかなと思わせるような感じだった。それだけではなかったのであるが・・・。その時は丁度整備の時で空いていて、その前後だったら予約が入って駄目だったと云われたので、主の働きを覚えて感謝した。それからBはナシ。

スケートには縁がないがそんなことで思い出のあるところでもある。実はそのアリーナで「岡谷アイスショー&発表会」なるものが29日の午後行われた。ここにあの村主章枝さんが出演されるというので家内が応募して抽選に当たったので同行することになった。沼津からも子供たちが来て滑ってくれた。スケート教室の生徒から未来を夢見る?卵たちに招待選手たちの滑りを観賞させてもらった。小さい子供たちは何かピアノの発表会のような雰囲気でほほえましかった。氷上を自由に滑っているのを見て感心すると共に身近に見るとスピード感のあるのに驚く、初めてのことだったが楽しいひと時を過ごすことが出来た。

2012年4月29日日曜日

ある言葉に

ネットで検索していてこのような言葉を見つけた。

「行動なきビジョンは夢にすぎない
ビジョンなき行動は時間の無駄
行動を伴うビジョンこそ世界を変えることができる」
ジョェル・アーサー・パーカー

「行動なきビジョンは夢にすぎない」の言葉を読んで、自分にあてはなるような気がしてはっとした。
あれこれと思い巡らし、能書きは言うがいざ行動となると腰が重い。もう暖かくなったがまだコタツを使っているのだからというのではないが「猫はコタツで丸くなる」派なのである。そして何かあるとペテロ現象になってパニクル。(それから、ふたりがイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。)luke 9:33。まさにビジョンなき行動を起こしてしまう。物事を変え、人を変えるには自ら変わらないと駄目だなぁと思いながらもズルズルといたずらに時を過ごしてしまう。


高橋三郎先生の「十字架のことば」誌の中でボンヘッファーの言葉としてこのようなことが書かれてあった。
キリスト者の交わりについて
「キリスト者の交わりについて自分の夢を愛するものは、個人的には、正直で真面目で、犠牲的に生きようとしているかも知れぬけれども、結局のところ、キリスト者の交わりの破壊者になる。

「幻想あるいは理想は人を高慢にし、要求がましくするからだ。彼はキリスト者の交わりの中へ、要求する者として入り、自分自身の律法を立て、それによって兄弟を裁く。

彼は厳しい叱責者のように、冷然と兄弟の群れの中で存在する。そして彼は兄弟を非難するものとなり、ついには自暴自棄的な自己批判者となる。」

2、30年も前のことだが自戒の言葉としてメモってある。

2012年4月22日日曜日

短いのが特徴です


岡谷には「塩嶺御野立記念祭」という全国的に有名な祭りがある。岡谷市と塩尻市の境にある塩嶺峠(1012m)の脇にある塩嶺御野立公園の中にある。ここは「小鳥の森」としても有名らしい。5月と6月には小鳥バスが運行されている。この祭りはどこかのTVで日本一(世界一?)短い祭りとして放映されたらしい。


岡谷市塩尻市の両市長、議会関係者などの参加者たちが、明治天皇が訪問した記念碑の前に整列し、午前10時ちょうどに「一同、礼」の掛け声に合わせ一礼するだけで終わりになる(30秒間)。終了後は、両市の議会関係者の懇親会が開かれたりする。なお、参加できるのは両市の議会関係者などに限られており、市民も含めて一般の人は参加できず観覧するだけとなる。
記念碑は有志が1915年(大正4年)に建立、その年から記念祭が始まった。その後、昭和天皇が訪れたことにより、1948年(昭和23年)からは年2回、春と秋に開催されていて、春は岡谷市、秋は塩尻市が主催する。」(ウィキペデアより)
わが集会の礼拝も短い。10時半に始まって、11時に終わる。その後、30分前後兄弟がメッセージをし、報告があって12時には部屋を出る。ただそれだけなのである。いつも来てくださるM兄にメールしたら返事のメールの最後にまだ集会ですとあった。その時間は午後の9時過ぎ、集会の責任を負っている兄弟のよくある出来事である。これも問題がないわけではないが短いのもなぁと考えている。何かやればいいというものではないが。


2012年4月20日金曜日

おひさまファーム 余話

野菜つくりに挑戦?するに最初の説明では望ましい作業スタイルと作業上の注意があり、その中でゴム長は土を固めるから余り良くない。地下足袋がいいと言われたので買ったけれど最初の講習では地下足袋をはいているのはサル一人だけだった。研修農園を全部やるくらいならそれもよしとするが少し大げさかなと、みんなスニーカーのようなものをはいて一人だけゴム長だった。管理人さんの顔を立てて地下足袋でいくかゴム長にするかこれからの作業次第で考えようと思っている。

地下足袋と手袋は買ったが他は買ってないので塩尻のカインズホームまで足を伸ばして家内の帽子や手甲と足甲を買った。ついでにと少し足を伸ばして松本にある道の駅の一つである「いまい恵みの里」で野菜などを買う。野菜は新鮮だし山芋も安いのだが、今は旬のものが少ない所為もあるのか前ほど魅力がないように感じた。それでもまた塩尻あたりまで行ったら足を伸ばすだろう。松本の中心部に行っても行くかもしれない。

こちらに来て感じたことは、植物が寒さに対して弱いものはいっぺんにやられてしまう脆さと寒さに対して平気な植物のたくましさを感じた。人も非常に弱い部分とたくましい部分がある。生き物に共通するものかもしれない。説明の中にも毎朝水をやることを言われ、これからも野菜が成長するにつれてそれぞれに対応していかなければならないことを云われると思う。早々のことであるが種を蒔いた翌日、午後から雨の予報だったから水をやるのをパスしたら雨は殆ど降らず翌日水をやりに行ったらひときわ土が乾いていた。どうなるか心配というか楽しみというかまぁ何事も失敗をして人は学んでいくものであるからそれも可なりと思っている。いのち持つものの弱さと強さ、それに合わせて人は動かないといけないことを教えられる。今までサルは自分の好きなような形で生きてきて相手に合わせることは少なかったように思う。人は主体的に生き過ぎるというか罪の結果の一つの形かもしれない。病人や罪人といわれている人たちの中に入っていったイエス様、ご自分に人々を合わせようとはなさらず父の御心に合わせて十字架へと歩まれたイエス様を想う。真似の出来ることではないが研修農園で野菜にあわせる訓練が出来れば感謝である。

2012年4月18日水曜日

おひさまファーム

月曜日に市の研修農園「おひさまファーム」の最初の講習を受けてきた。研修農園とあるとちょっと物々しいが家庭菜園的な30㎡の3mの畝が8つの小さなものである。それでも30種類からの野菜を作る予定とのこと、来年は応募できないので講習を受けた人たちに、2年契約で別な50㎡の土地を用意してくれている。

市の担当職員も来ていて、管理人さんの丁寧な説明があり、ジャガイモが一畝、ほうれん草と小松菜で一畝、教わった手順で15X15の深さと幅の穴を掘り、そこにジャガイモの種をおく、一個は半分に切ったのを陰干ししたものと後三個は切り口に草木灰をつけたものとを植える。といっても種芋を切り口を下にしておくだけであるが。芋と芋の間に肥料を置く、牛糞、鶏糞、化学肥料を混ぜたものだが種芋にかからないように置かないと芋が腐るといわれて慎重にやる。

隣の畝では、ほうれん草と小松の種を植える。畝の上にいぼ棒を押し当てて少し筋をつけて、そのへこんだところに種をまく、ほうれん草の種は大きいが小松菜は小さいので太い指ではやりづらいのでそこは家内がやる。土をかぶせて、かぶせた土を軽く押して中の空気を出すのがコツ、これが大切なことなのだそうだ。その上に不織布をかぶせて、両サイドの4箇所を留めて、如雨露で水をやって終わり。毎日朝、水をやらなければならない。これを怠ると芽が出ないか芽が出ても育ちが悪いとか。最後に次回のために施肥を施して終わり、これも土を酸性からアルカリ性にするためとか野菜によって色々である。

ジャガイモは半分に切って、切り口に草木灰や陰干しすることは知っていたがこれは春の植え付けで秋というか夏にやるのは1個そのままでやることを初めて知った。肥料の作り方とか虫除け剤の作り方、連作や野菜によって肥料のやり方が違うので結構面倒くさい。畑を起こし肥料をやって種をまく、単純な作業のように見えるが実際は奥が深い?それと自然との付き合いだから相手に合わせなくてはならない。これも忍耐がいるかもしれない。色々作る中で面白くなるか面倒になるかこれからが楽しみである。

畝が出来ており、種も材料もそろえてあるからやることはごく一部分である。自分で実際やるとなると一からやらないといけない。それに道具も用意しないといけないし、これから興味が湧いてくることを期待したい。シニアのキャンプで神戸からか来た兄弟がリタイヤして農業をやっているとお日様が出ても良い天気、雲ってもよい天気、雨が降っても良い天気といわれたことが印象に残っていて、それをこれから経験するかもしれない。昨日の朝は水をやらないといけなかったが予報は午後から雨とのことでパスしたらほんとのパラで終わってしまった。今朝行ったら渇いた土になっていて、如雨露でたっぷり水をやった。芽が出るまで楽しみである。

2012年4月14日土曜日

最近の日々

市の研修農園「おひさまファーム」に家内が応募したら受かって、11月まで色々な野菜の作ることになった。義姉やその友達も受かり、月二回で日曜と月曜の講習だが月曜の午前中に受けることになった。農家に生まれながら田植えや稲刈りはやったことはあっても作る方は子供だったから全く無い、それに興味も無かった。家内も腰を痛めているのに作りたいというし、私もまんざらでもない。炎天下は大変みたいだが楽しみでもある。早速地下足袋と手袋を買う。後は最初の講習を受けてからである。

隠居屋に隣接している畑の持ち主から杉の木を伐るように云われていたのを先日ようやく業者に伐ってもらった。昨年に頼んでいたのだが年が明けてからと云われてようやく伐ってもらった。光かケーブルTV用かのケーブルがスレスレまで延びていたので一安心である。その時、前に伐ってあった木を持っていってもらえたので、そこにさらに前に伐ってあった腐りかけた木を片付けて少しすっきりする。近所のオジサン?が来て、畑が作れるじゃないと云われたがそんな気はない。それでも新しい枝が山のようになっているのを少し整理する。イチョウの木は清掃工場にもっていくが杉は雑草が生えないようにひろげて置くことにした。イチョウの葉はすぐ枯れるが杉の葉は結構持つから膝辺りまで伸びる雑草にはてき面である。庭にふきのとうが生えていると思ったがどうも根が大きいので違うみたいだ。今度とって来て家内に見てもらおう。田舎にいたときは子供だったが山菜やきのことかを採るのが好きでよくやった。そのときは迷うことなく取れたのに今はどれが良いものか悪いものかがわからない。或いは昔は種類が少なかったのかもしれない。それでもきのこなどは迷わなかったなぁ。

東京ではいつも寝るのが12時を過ぎてからだったから、こちらに来て8時くらいになると真っ暗になるのに驚いた。それでもコンビニは勿論のこと近くの西友は24時間営業であるから明るい。こんな田舎にと思うがそれでもパラパラとお客が来ている。シニアなどのキャンプで軽井沢に行くと帰りは夜中だから途中にある望月の西友は食品売り場だけ明かりがついている。道路挟んでコンビニがあるから閉めたらと思うがこちらもお客はパラパラではあるがひっきりなしに来ている。そんな中でも早く寝ることは無く、相変わらず12時過ぎである。むしろ2時3時になるときが多々ある。3時だとパン屋で働いているO兄は起きる頃である。TVは午前中は観なくて、昼に朝ドラを観て、4時にはお茶タイムでコーヒーとお菓子をつまんで「水戸黄門」を観ている。それからニュースを観て、天気予報が終わって家内は夕食の準備に入り、サルはパソコンのブログを読んだり、本を読んだりして夕食、片付けは家内が親指の関節を痛めているのでサルがやる。それが終わるのは9時前後それから12時過ぎまでTV、〆は東京の12CH のWBSとその後のネオスポかフジのスポーツを観て就寝。家内はスポーツニュースを必ず観るがサルは阪神が勝っている試合は見るがそうでなければあまり興味が無い。それにアンチ○○だから負けたら観ていたが今年は阪神が強いので余りその意識はない。あそこは選手は好きなのだがどうも会社が好きになれない。

TVも観ていないようで結構観ている。5-6時間かなと思っていたが6-7時間観ている。最近は、BSの13時からの映画とかNHKの夜中の再放送とか観ているからさらにである。この間も隠居屋の枝の片付けにと作業着を着たのだが13時のBSでジョン・ウィンのをやっていたのでつい観てしまって片付けはパス。昨夜というか日が変わっているから今日か?ハリソン・フォードが出ているのでつい観てしまった。若いハリソンしか知らないから老けてしまったハリソンにはピンと来なかったが面白かった。

少し前にはNHKスペシャルの再放送を観てしまった。原発と震災で被害を被った浪江町を取材した番組なのでつい観てしまった。前にも書いたがある大臣が死の街発言で辞職したけど人の住めない町は死の街でなくてなんなのだよと思う。日本人は真実を見ないで言葉で誤魔化す。首相が不退転の決意や身体を賭してやると言っても何の説得力も無い。あなたは辞めても安泰であるが彼らは子々孫々まで苦しまなければならない。そこまで目も心も行きますかと尋ねたい。結果は国民が被るのである。そのような事で臨むなら、後世に残るような仕事をしてほしい。住民が苦しみ悩んでいるというのに何の解決策や行動をしていないのに原発再開には驚くというよりあきれてしまった。まぁ絡んだ糸のように物事はそう簡単にいかないことは分かっているがそれにしても誰でもわかるような利害のはっきりした行動をとるなぁと感心する。立川談志の師匠の小さんだったか政治家になるには黒を白と云えなければ駄目だと云っていたが彼らを見るとまさにそうだと思わされる。人が真似のできることではないからそういう意味で敬服する。大勢に目を向けて弱者に目をつぶる政治だったら誰でもできる。現代の田中正造は何処に・・・。

2012年4月12日木曜日

福音





――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです(rom 1: 2-4)。

聖書に出てくる「罪」とか「福音」は素人では一言で表現できない。精々「罪」は「的をはず」とかすべての人が罪の下にある」(rom: 3: 9)ので、具体的には律法を通して「しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました(rom 7: 8)とあるように「私たちをとりこにする」くらいの知識しかない。しかし、イエス・キリストが罪を裁くためにこられたというときに、俗にいう原罪に関するものなのだろうに、どこか罪の結果に対して、十字架にかかられたような感じを受けることが多い。キリスト者でもサルのような者は違った捉え方をする危険性はあるなぁと思っている。

「福音」も然りである。「良い知らせ」と言われればよく分かる。しかし、じゃぁ何に対してよい知らせなのか?と問われれば、これも裁きに会わずに天国に行けるくらいの認識しかない。どこかご利益的である。神の栄光とか神の主権とか言葉で言ってもピンとこない。隔靴掻痒のごとくに聖書は分かったようで分からない。素人には難しいがそれでも信じて歩んでいく、他に道が無いから。

2012年4月7日土曜日

イースター

HPでイスラエル大使館のカレンダーを見たら7日から14日までペサハ(過越祭)である。正確にいうと6日の日没から14日の日没前までになるのかな?イースターは8日、イースターの決め方も「春分の日の後の最初の満月からの日曜日」だそうだ。念のため何時が満月か東京天文台のHPを見たら7日になっていた。

イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは、信仰を持つ前も後も何となく好きではなかった。それにはこんな理由もある。「クリスマスの起源として、ローマの農耕神サトゥルヌスのための祝祭(サートゥルナーリア)を挙げる説がある。また、ローマ帝国時代のミトラ教の信者は、冬至に太陽神の誕生を大々的に祝ったとされ、この習慣をキリスト教が吸収したともいわれる。エホバの証人は、クリスマスの起源がこのような古代の異教の祭りにあることを主な理由として、クリスマスを祝わない宗派として知られている。」(ウィキペディアより)イースターエッグとか子供たちへの伝道にはいいのかもしれないがどこか異教的なような気がする。逆手にとって宣教のためなら何でもかんでも利用するという手も無いことはないだろうなと思う。サルは骨がないから正統は難しい。やれば異教的か硬直化したものになるだろう。硬直化は今までの信仰そのものだから特別のものではない。異教的にやるほどの勇気もない。その反動でもある。エホバの証人がこんなことで祝わないなんて初めて知った。これに関しては正統的教会は異端的であるのかなぁなんて考えている。当然のように祝っているけどその起源までさかのぼるとどうなんだろうなと思う。逆に諸集会は「ブラザレンの諸断章」さんのブログを読むまでも無く、聖書に立脚していると自負する割には徹底していないのかなと思ったりもする。表面的知識で判断して申し訳ないが批判としてではなく。

その点、イースターはイエス様と弟子たちとの最後の食事は過ぎ越しの食事であり、その後弟子たちの足を洗い、ユダの裏切りで逮捕される。翌日尋問され、十字架を負わされて、十字架の死と埋葬がある。復活は週の初めとあるから日曜日である。イースターは大体ペサハの期間中にある(09年から13年をみて)。十字架の前での弟子たちの足を洗うことや、十字架上での短い言葉の中にいくつかのことが示唆している(どこかに泉が湧くように)。

これからのイエス様も素晴らしいけどすべての集大成?のような十字架と復活のほうが好きである。好みの問題ではないがより身近に感じる。『ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。』(john: 1:43)。キリスト者は主体的に生きているようで、実は主に見つけられ、従う者とされた。従うとは自己放棄なんだけど、自分がしっかり生きているのがサルなのである。こんな主に応答できるキリスト者でありたい。(無理だろうな)


1cor 15: 3-5
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。