2013年6月29日土曜日

お腹の願いが

梅雨に入ってからは天候不順で自転車で出かけることが少なくなった。という事は家にこもり運動不足に陥っている。家にいればブラインドタッチの練習を兼ねて概観を打っているのでそれはそれでいいのだが・・・。

医者から中性脂肪が多いのは運動不足と言われているので唯一の運動なので困っている。梅雨が明ければと思いながら暑くなったらなったで色々と出不精の理由が挙がってくるだろう。空腹時でも既に満腹時のお腹をしているのでこれを何とかしたい。ただそれだけなのであるがこれが年と共に運動不足になりがちでそう簡単には行かない。それでも昨日は夕方前時間が取れたので山の方にある神社まで行って来た。往復5キロくらいなもの、上りは緩やかなのぼり坂だが下りはペタルを踏まなくてもよいからどれだけエネルギーを使ったか・・・。

夕方4時からの地方局(今もって覚えられず、6CH、12CHとか東京の局で呼んでいる)の水戸黄門の再放送を見ながらコーヒーとお菓子を食べていたが今は煎餅を半分にしたり、大福1個だけにしている。食べる量が少し減るだけだからあまり意味がないかなと思って枝豆にしている。それも少しだけ、しかしこれもあまり意味がないかもしれない。食べるのをやめてコーヒーだけにするか、食べてもいいけどもう少し汗をかくか、願いはお腹をスリムにしたい。

2013年6月28日金曜日

祈るということ

今、家内の身内の事で弁護士に入ってもらって解決をお願いしている。九分九厘まで進んでいるが後一厘でも終わってはいない。もう少し時間がかかるようだ。しかし、目途が立ったといえるかもしれない。それ故感謝している。振り返ってみるとそこに何らかの道筋が見えてくる。道筋が見えると結果がどうなるかは別にしてもある種の安心感を与えてくれる。

今回は直接利害はないがそれでも道筋が見えるまでは気持ちの上で右往左往してしまった。というよりフリーズしてしまうのである。誰でもそうであるかもしれないが先の見えないことって不安に駆られるものである。祈りながらこちらの願いとみころころを探り求め、最悪のことを受け入れられるかと自問している姿を見せられる。そして信仰とは何であろうかと問いかけている。信仰については、ヘブルと書11章に信仰の勇者?が列記されている。しかしそこに至るまでは心の葛藤があったのではないだろうか。機械の選別機のように右に左にと選り分けていけるものではないであろう。結果として選んだとしか思えない。勿論それが神のお心だと信じての話である。ヨセフは、父ヤコブが自分の息子を祝福するのに弟を祝福したことを不満に思っていた。言われて「あぁそうですか」と答えなかったと思う。最終的には受け入れたであろうし、結果的にもそのようになった。

祈りは信仰の有り様をあからさまにしてくれる。そういう意味で我が内に信仰ありやと思ってしまう。「からし種ほどの信仰」はないが「彼は、いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すことない」と言われて、今も生かされている。くすぶる燈心でも闇夜では結構な灯りになる。そのような形で世の光、地の塩として生かされていければ幸いである。

2013年6月18日火曜日

器用貧乏

器用貧乏という言葉がある。概して器用な人に貧乏人が多いということなのか。サルはどちらかというとデスクワークより現場で物を作ったり、体を動かしている方が好きである。と書けば格好いいが要は頭が悪いということだ。昔TV修理をしている時、壊れたTVがあれば御の字であった。故障箇所を突き止めていくのは、推理小説の推理を働かせていくようなもので、故障が直るまでのあのプロセスが実に何とも言えない至福の時であった。しかし、後半はメーカーの修理が多くなって、真空管を替えるだけで直るようなものが多くなって少しつまらなくなった。

日曜日は午前中で終えるので、午後お天気が良かったので自転車で諏訪湖一周にチャレンジしようと出かけたが湖畔に出る直前に後の車輪がゴトゴトお尻に響くので止めてみたらパンクしている。戻るしかないのでユーターンをし、自転車に乗ったり、引いたりして戻る。あんまり乗るとリムが傷むかなと思い、引いて歩くことにした。途中交番で空気入れを借りようとしたら無いと言う。そのまま歩き出したら後から大きな声で呼ぶ、その声に振り向いたら空気入れを持って早足で来るおまわりさん。常駐の交番ではないから空気入れのあるなしは分からない人もいるのだろうと思った。たかが空気入れないといっても文句を言うほどのものではない。これから出かけるから適当なところに置いていってと出かけて行った。感じのいい信州の若いおまわりさん。

空気を入れてパンバンになったタイヤ、大丈夫かと思って走り出したら間もなくぺしゃんこに、仕方がないので引いて家まで行く、後半はさすがに汗びっしょり、シャワーを浴びてすっきりする。運動の意味を兼ねて乗るので歩いても汗をかければ、これも御の字。翌日、チューブを買ってきて、交換しようと思って外したリムにあわせたら余ってしまった。間違ったのかなと古いのと合わせると同じ、タイヤに入れれば丁度いい、それではとリムに取り付けていく、空気を入れて大丈夫そう。本体に取り付けて完了、バランスを取り、夕方10キロ位快調に走る。最近膝の痛みも少ないのは、膝の筋肉が少し丈夫になったのだろうか、ならいいのだが。

そんな事でこちらに来て初めてのパンクの修理をやってしまった。もう面倒くさいのでこんな事止めようかなと思ったがついチャレンジしてしまった。久し振りなので腰が痛くなったり、動作がゆっくり動くしか出来なかったりで年を感じさせられた。自転車のパンクを直して考えた。器用貧乏なのではなく、貧乏だから何でも自分でやらないといけないから必然的に器用貧乏と言われるのかなと思っている。

2013年6月17日月曜日

笹だんご

最近、同級会などで田舎に帰ると同じ集落の同級生のHクンの家に寄る。以前は母の実家に寄ることはあっても田んぼ一つ先のHクンの家には寄ることはなかった。今は逆になって母の実家には寄らなくなった。何時だったか兄がもう寄らなくてもいいよと言われたので寄ってないだけである。彼の所に寄るきっかけは、3-4年前に湯沢で同級会があった時に夫婦で出席していた。彼は同じ集落の同級生のHサン(同じHになったが)と結婚している。次の時には彼女しか出席していなかった。用でもあったのだろうと思っていたら宴会の時にHサンが私の席に来て「実は主人が心臓が悪く、心臓専門の開業医だけど何もしてくれない。今は寝たり起きたりの状態」とそんなようなことを言われた。じゃぁ帰り実家に寄るからあなたの家にも寄るよと言って訪ねたのがきっかけである。帰っったら調べてみると約束して帰ってきた。そしてネットで調べて資料を送った。「多分先生は何もしないのではなくて、弱っていてもまだ自分の体のものが一番いいのではないか、だから手術は最後の最後だと思う」そのようなことも書いたら少し安心したようだった。結局昨年かに手術をされて、元気になったらつい色々やって無理をしてしまった。今は少し調子はよくないと言っていた。でも無理をしなければ大丈夫とのこと少し安心する。農家だからいくらでも仕事があるから働き者の彼には辛いところである。無理しないようにとの思いは心しているようだ。

家も田舎もか嫌って上京したので、田舎には帰ることはなかった。帰るようになったのはキリスト者となって、今までの親不孝もあり、顔を見せるだけでも親孝行かと思って帰るようにしていた。田舎に帰っても母の実家と本家に挨拶に行く位で他に行くことはなかった。何時だったか母が「H(弟)はかばんを置いたら何処かに出かけて帰ってきたと思ったらもう東京に帰る時というのが多いがお前は何処も出かけない」そのような事を言われた事があった。明確なものではないが拘りがあり、厭いてという思いもあってのことである。Hクンの病気のお陰で彼らと会って話をしていくうちに拘るものが薄らぐというか消えて行ったように思う。同じ集落に男子の同級生が四人(女性は五人)、そのうち男性は二人亡くなっている(女性は一人)。何時だったか「残っているのは二人だけだから無理をしないで長生きしようよ」といって彼も頷いてくれた。そんなこんなで彼らに感謝していた。

Hクンはそんなことで参加できなかったがHサンは参加されていて、旅館について受付を終えたら彼女が来て、お土産のお礼を言われて「これ」と言って袋を渡された。有難うと言って、そのまま荷物と一緒に車に入れて中身を見ていたなかった。帰って来て袋を開けたら「笹だんご」である。夜中なのに一個を食べる。餡が甘くて、蓬のだんごも歯ごたえがいい。おいしいので思わずもう1個食べてしまった。地方局の水戸黄門の再放送の時にコーヒータイムにしている。その時に1個、朝食にはパンの代わりに1個食べて昨日で終わった。どうも手作りのよう。季節的には田植えが終わった後で作っていたと思うが今がそのような季節になるのかな。田舎にいた時は、母の手伝いで笹にくるむをやっていたから、甘さと美味しさと懐かしさで感激である。大分前には、郵便局での笹だんごのカタログを見て、生唾を飲んでいたが今回は本物の手作りの笹だんご、最高。Hクン、Hサン有難うございました。田舎に行った甲斐がありました。

2013年6月13日木曜日

700キロの旅

田舎で小学校の同窓会があったので出かけてきた。学年が一クラスしかない小さな小学校で、もうその学校はない。卒業時総勢44名、女性が4名多い。60年たって物故者は13名、約30%弱、介護を受けている人も居るそうだ。これから毎年一人、二人と増えてくるのだろう。しかし、集まった人たちは元気がいい、特に女性陣は、これは何処でもの現象だがここでもである。今回、地元の女性
陣にせっつかれて男性陣が動かざる得なかったようなことを言っていた。悪い事ではない。人数も11:5で数で圧倒、これも何処でも同じ現象。

何時もは会が終わったら帰りに実家に寄るのだが今回は阿賀野川の遊覧があるとのことで戻るようになるから午前中に行く事にした。0-4時の半額を利用するために4時前に出発する。まだ真っ暗、上りの車は少しあるが下りの車は殆どない。一インターに一台越されるくらい。豊科あたりで少し明るさが出て、長野あたりで朝の感じ、そのまま走り、一車線になるあたりから眠くなってきたので新井PAで休憩、持参の毛布を被って後のシートで眠る。2時間近く眠っただろうか顔を洗って出発する。二車線の時はゆっくり80キロあたりで走っていたが一車線になると後から追いまくられるのでそうもいかず90から100キロで走る。所々二車線になるのでそこで追い越してもらって助かる。北陸道に入り少し車の数が増えてくる。柏崎、長岡と、そして新潟に近づくとさらにである。車の数は信州に比べるとダントツに多いみたいだがどうなのだろう。新潟で新新バイパスなる車専用道を走る。ノンストップで終点へ、平行に走っている高速道はがらがらである。しかし、災害時の輸送路としての自動車専用道路は整備されないとと思う。

実家の近所の同級生の家に顔を出し、庭先で立ち話をして、お茶を勧められたがそこで失礼する。実家に寄ると留守、こんな時にと持ってきた文庫本を読む、ちっとも進まないのでこんな時があると助かる。義姉さんの実家のお兄さんが亡くなられて、三十何日目かでお坊さんが来てお経を上げていたようだ。町に出かけて昼食に回転すし食べ、実家に戻り、お米を貰って会場へ。去年、逆に走ったので思い出しながら走る。ゴチャゴチャ走ったので大丈夫かなと思ったが迷わず会場の旅館へ着くことが出来た。それに定刻五分前に、覚える事が衰えてきているので、少し自信を持つ。挨拶をしながら「私わかる」と二人に言われたが分からず。少し経って思い出してきた。宴会後に女性陣が男性陣の部屋に来て賑やかに時を過ごす。おじいさんやおばあさんたちであるから、もうギラギラしたものがないからいい。

色々準備や手配をしてくださったMさんは酒屋の娘、お父さんを亡くされて、お母さんと店を切り盛りされていたようだ。如才なく、気配りの出来る方で、県外から来た人たちに自家製の味噌とその中に漬物を入れてくださった。私なんか都合でこれなくなったHクンの分を上げるとと二つ貰ってしまった。それプラスおミヤゲに地元のかりんとう饅頭も頂く、頂くといえば近所の同級生も何か下さった。帰って開けたら笹だんご、去年も今年も買えなかったから嬉しかった。さっそく食べたが餡が甘くて美味しかった。自家製のようだ。年と共に小さい時の食べ物が懐かしく、おいしいとかおいしくないとかの次元でなく、懐かしさで食べられる。笹だんご最高。彼らは同じ集落で同級生、彼は心臓の弁の手術をしている。彼女は彼の体を心配しているのが端々にうかがえる。夫婦愛っていいものだ。

翌日は車で2-30分の阿賀野川の遊覧へ、私だけがそのまま失礼するのでバスの後について行く、遊覧は大したことはなかった。そこで個々で食事と買い物をして彼らはバスで旅館へ、私は安田インターから新潟へ、車の数の多さに驚くが海岸端に向かって走るが防風林の林がそれを遮る。しばらく走ってようやく海が見えるようになる。太平洋岸と違って変化に富んでいるからいくら走っても飽きない。そして柏崎へと向かう。途中寺泊に市場があり、チョッと寄って少し買い物をして、また走り出す。海岸を迂回するように道が内陸に向かっていたので目的地が近いことを知る。しばらくすると建物が見えた。それ程大きい建物ではない。駐車場も車が数台しか停まっていない。当たり前といえば当たり前なのだが内容は期待したようなものではなかった。企業のPR館であるから期待する方がおかしかった。5階はキッズルームになって、若いお母さんたちが3人ばかり子供を遊ばせていた。危険の危の字も感じない。がっかりよりも憤りを感じてしまった。福島の反省なんか何にもない。勿論危険なこととか否定的なことはできないことは分かっているが。

急ぐ必要もないのでそのまま走っていたら上越市にまで来てしまった。それではと上越高田から高速へ入ろうとして8号線から左折をする所を一本先にしてしまったので道に迷ってしまった。途中から戻ろうとしているうちに国道とバイパスのような道とをごっちゃにしてしまって迷う。ナビのあるのを忘れ、人に聞いて走るが大分走り大乗腑かなと思いつつ走ると突き当たり、高速の案内があってすぐインターである事がわかってほっとする。広い道を国道と間違いてしまったことに気付く、たまにこういうことがおきる。急いだり、あわてるとこうなるが時間たっぷりなのにと思う。少し間をおいてやればどうって事ないのにア~勘違いである。
高速に入って間もなくガス欠のアラーム、車が少ないのかSAなのにスタンドはなし、小布施PAで下りて探すがなし,戻るように走って信州中野近くまで来て、ナビにガソリンスタンド案内もあるのを思い出してナビッたらすぐ近くにあった。スタンドの目の前がIC、何もない田舎で夜となると本当に何もない。高速の脇を走るはめになった所為もあるのだろうが。なんだかんだで700キロからの旅になった。

去年、近所の同級生と話をしていて、一つの拘りが消えた。今回も何と言われると言葉に窮するが何かが消えたようだ。田舎に対するものなのだろう。都会を去り、今は裸の自分を直視できつつある。回心した取税人のような者かもしれない。自分がどう見られ、どう見せようかという思いはなくなりつつある。それよりも主を知ること、主に知られていること、この方がはるかに大きい。勿論まだまだであはなるが。老いて来ると今まで出来たものが出来なくなるという現実に出会う。今回もそんなチャレンジであった。車で走ることも旅行するのも皆ここまで出来る、または出来たの確認である。少し自信の付いた旅であった。

2013年6月6日木曜日

御野立公園で

先日、シニアの集まりで塩尻との境にある御野立公園にバードウオッチングに行ってきた。ここには五月と六月の日曜日の早朝にバードウオッチングのための小鳥バスが出ている。しかし朝であったが九時を過ぎていたので鳥のさえずりもわずかで小鳥の姿も見受けられなかった。鳥たちは日が昇るまではうるさいくらいさえずるが日が昇るとピタッとさえずりが止んでしまう。どういう理由だろういつも不思議に思う。

鳥が鳴くのはオスだけとか概して動物のオスは外見が派手である。メスの注意を引こうとするからかな人間は男はダークスーツが似合い、女性は派手な化粧と洋服が良く似合うのに。説明してくださった方は野鳥の会の会長さんで色々鳥に関して詳しい人だった。鳴いている鳥はなんていう鳥か鳴き声で分かり、それがどのようなのかも話をしてくれた。鳴き声には三つの種類があって、自分のテリトリーを示す声とオスがメスに対してのラブコール、そして威嚇があるそうだ。鳴いている声は同じ様に聞こえるが色々あるものだと感心する。

ここは峠の一角にあるから平地が少ない。その少ない平地に案内してくれて、そこには「フデリンドウ」が咲いていた(説明で知ったのだが)。丈10cm位で小さな花である。先月に見にに行った芝桜のような、去年見た赤蕎麦畑のような壮観さは無い。これは一年草で種は粉の様に小さいといっていた。この名前の由来は花が閉じたとき筆のような形に見えるので「フデリンドウ」と言うそうで、この花の不思議なのは、日が刺しているときだけ花が開いて、曇りや雨の時は閉じている。行った時は晴れていたので花は開いていたが不思議な花だ。小さな種の所為なのかな? 虫が中に入って閉じられると中で動き回っているうちに花粉が付くのでそれで受粉の助けをする。踏まないでと注意されるほど小さな植物だから増やすのは大変みたい。バードウオッチングなのに鳥もさえずりも少なかったけれど手入れしてきたこの花を見せるだけでも良かったのかもしれない。

花を見、説明を聞ききながらふっと次の聖書のことばが浮かんだ。「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。matt 6:30そして「信仰の薄い人たち」と続くだが、正直底辺で生きているともう少しいやもっととの思いも無いではない。しかし、不思議な花である。

その後、建物の中で「大鷲グル」の話などをしてくださった。オオタカがが感電死したのを剥製にしたり、鷹や鷲の大きい鳥が感電死しないように中電に対策を検討するように依頼したりした事を聞いて、そして中電をも動かしている姿を見て鳥に対する愛情はすごいなぁと感心する。フデリンドウを丁寧に手入れしているのを見ると自然に対する愛着もひとしおであろうと思わされた。愛の無い者の呟き。