2013年11月29日金曜日

原発ホワイトアウト

現役の官僚が書かれた原発の暴露本とかで図書館に予約していた。昨日入荷したとのメールがあり借りてきたが新刊なので1ヶ月あまりかかった。まだ5名ばかり予約が入っている。

早速読み始めたがついつい聖書も読まずデボーションもやらず読んでしまった。フィクションのようなノンフィクションのようなはたまた暴露本のような三つが混在している本といったほうがいいかもしれない。それに登場人物の中に明らかに誰であるかがわかるような名前で登場する。

プロローグで原発と何の関係もない吹雪の山の中を進んでいく二人が登場する。これが終章につながり暗澹たる結末を明らかにしてくれる。ここは福島の惨憺たる姿とダブル、否もっと深刻な日本沈没に繋がりそうな事態が待っている。新崎(新潟)県は雪国であるから十分あり得ることである。今年田舎に行った帰り、新崎(柏崎)原発に寄った。広大な敷地だが事何かが起きたときは福島の比ではないだろうなと思う。本の中にもチョッと触れていたが元?佐藤栄佐久福島県知事の逮捕も反原発ということでは真実味が増してくる。お気に入りに入れている小海の牧師のブログを見たら丁度、元民主党の国会議員石井紘基氏の刺殺事件のことが書かれていた。まさにこの本の舞台と同じ状況の中にあった。日本は決して平和な国ではない。

最後のところで政・官・業のトライアングルの利害が一致している間は何が起きても変わらないことを暗示しているようだ。かつて日本はキリシタン弾圧を行った。しかしスペインではユダヤ人やユダヤ人改宗者をひどいやり方で殺している。人は利害によって簡単に右にも左に動く、これが人間の性であろう。どこか真実味を感じるから読後感は良くない。強い者が正義なのだろうなこの世は。

2013年11月21日木曜日

日々の歩みの中で

リタイアした今は、日々の生活はあまり変化のない日々である。そんな中でも小さなことではあるが色々なことが起きている。それは特別なものではなく生活の場で起きる諸々のものなのであろう。何もしないのに物事がいいように展開していったり、色々努力していたことが無駄になったり、心配していたことが徒労に終わったりと様々である。

色々キャパの小ささを思い知らされている時「主よ、今ここに五つのパンと二匹の魚しかありません」と告白することがある。それが能力であったり、お金であったりする。だからこうしてくださいとは祈らない。ただ現実だけを告白する。これが五千人とは行かないけれど必要を満たすことがある時とそのままの時と色々である。どちらにしてもそれがわかったときは納得できるから幸いである。こんなことを書くと主に叱られそうだが何かギリギリのところで守られているそんな気がする。だからイスラエルの民の荒野での呟きがよくわかるのである。

この間東京に行った時、食べたしゃぶしゃぶはおいしかった。超久しぶりだったがまた食べたいとは思はなかった。小さい時に新鮮な魚を食べていたのと年の所為だったのだろうか。魚は新鮮でなくても食べる。最近は気をつけているが物によっては頭から骨から丸かじりである。諸事情によりヘルシーな野菜中心、それが逆にいいのかもしれない。極偶に美味しいものに預かると「ハレルヤ」となる。このくらいが一番。


2013年11月18日月曜日

この道の者

この間、使9:2から「この道の者」から話をした。イエス様を主と仰ぐ群れは、まだユダヤ教の異端?の一分派と見做されていた頃でキリスト者と呼ばれるようになるのはその後のことである(11:26)。5:13には「ほかの人々は、一人もこの交わりに加わろうとしなかったが、(14節では「主を信じる者は男も女もますます増えて・・・」とあるが)その人々は彼らを尊敬していた」と書かれている。すべてとは言わないが今日のキリスト者に対しても見られることではないだろうか。それはある面で高いものが求められているということでもあるかもしれない。この道は普通の道ではないのであろう。

ルカ10:30-27に「よきサマリヤ人のたとえ話」がある。ここから話をしたこともあり、また何度か聞くことがある有名な箇所である。この間話をしたときは祭司やれビ人は自分とダブるようなことを言いい、サマリヤ人にはなれないと言ったように覚えている。「この道の者」を思い巡らしているとき、「ある人」すなわち半殺しにあった人の立場にたって考えていないことに気づかされた。サルが誰かのために何かをしようとするとき、多くは自分の立場で助けようとする。まさに落語の「二十四孝」の八五郎?その者である。

「この道の者」であれば、「ある人」、すなわち半殺しにあった人の立場に立つことができなければやってはいけないような気がする。それはまさに「あなたのためにやってあげてます」になる。それは善であっても偽善ではないだろうか。何かをしてあげたいと思うウズウズする腕をじっと縛って、その人と一つになって初めてできる。サルはそんな人になりたい。

2013年11月16日土曜日

便利に

話の準備などで色々調べようとすると手元に資料が少ないのでネット検索をしている。図書館で借りて「細川がラシャ」(田端泰子著)を読んでいるが学のないサルは武将の名前が読めない。ウィキペディアで苗字をを入れると歴史上に名のある人物はその後に多くの名前が列挙されるからその中に殆どある。読み方もわかり、どういう人物かもわかる。それと読めない漢字がちょこちょこと出てくる。これはワードの手書きで大体わかる。漢和辞典だと偏だ冠だつくりだとか何画がわからない時があり、それに調べるのに手間取るからこれは重宝している。漢字が二文字だと手書きで調べて「コトバンク」で読みと意味を調べる。これは更に便利である。「細川ガラシャ」を読むときはパソコンはオン状態。しかし漢詩はギブアップ。「コトバンク」は和英も英和もできるようだがお世話になる機会はない。聖書の言葉は富山国際大学の高尾准教授が「聖書用語検索」というのを作成して公開している。アクセスは1570万近くになっている。最初の頃はポツポツだったように記憶しているが今はすごい。それに新改訳だけかなと思ったら口語訳や新共同訳もある。聖書箇所と聖書の言葉の両方を検索できるから便利である。ただ「愛」などは数が多くて無理、「愛・・・」と入れないと駄目。聖書の言葉もうろ覚えだと駄目でなんか手がかりを見つけて検索している。元々記憶装置が弱く、晩年になって更にその能力が落ちている者にとってはとても助かる。足の不自由な方の車椅子のようなものである。我がキリスト集団は恐ろしい集団で老いも若きも聖書の言葉を言うと聖書をペラペラとめくってその箇所を出し、話の中で必要なみことばをこれまた聖書をペラペラとめくって提示する。そんな人がゴロゴロ?いる。頭に聖書がきっちり入っていていつでも取り出せる。サルにも入っているが暗証番号を忘れたのか出てこない。文明の利器を使わしてもらっているが肝心な信仰は自前でないとこれが問題、しかしガンバリズで頑張るのではなく、与えられているもの、大切にしないと…。

2013年11月15日金曜日

寒さの中で

大分寒くなって朝など車のフロントは真っ白になっている。朝早いと濡れている路面などはすべるような感じを受けるから薄い氷が張っているのかもしれない。それでもまだまだ序の口これから本番である。夕方暗くなってから近くまで散歩したがそれほど寒く感じなかった。少しづづ慣れてきているのかもしれない。多分気温は一ケタ台であろう。

先日に上京して帰る時は少し寒かったが前日は朝から晴天で夕方まで暖かく小春日和のようだった。その日は全国的に暖かかったようだが東京は調べたら20℃だった。あの暖かさを感じながら信州と違うなぁと思いつつどこか落ち着きがない自分に気づかされる。寒いのは嫌だと言いながら信州の寒さに慣れてきたのかフッと暖かさの中で信州の寒さを懐かしむ自分を発見するのである。こちらに来て5年信州に慣れてきた証拠か?喜ぶべきことなのかはたまた・・・思案中である。ちょっと大袈裟かな。でも確かに何かが動いているそんな感じのする今日この頃である。今度の日曜日に話すのにそれを脇においてこんなことを書いている。

2013年11月14日木曜日

教会の麗しさ

松本にある集会は7月と11月の祝日を利用して学び会を行っている。近いということもあって案内をいただき、他集会との交わりや学びに参加する機会が殆どない集会なので貴重な交わりと学びの機会なのである。7月は経堂のM伝道者、11月は佐久のN伝道者と決まっている。経堂集会にはK兄姉の二人の子供さん(姉弟)が集っていて、既に二人とも結婚されていて良き家庭を築き、集会の奉仕にと励んでいる。ご両親には言えないが(最近は言っているかな?)きつい冗談も言える間柄でもある。長谷川町子さんの「いじわるばあさん」ではないが顔と口の悪いのは先刻承知済みで納得している所為もあるのかもしれない(Mちゃん、Tくんアリガト)。

この4日にはN伝道者のお話を聞くことができた。「教会の麗しさ」というタイトルで、午前がエペソ5:1-2からキリストの「香り」について、午後は1テモテ3:15から「霊的な力」の源といっていいのか教会は「真理の柱、土台」について語られ味わい深い学びだった。
香りは砕かれなければ香りを放つことが出来ない。イザヤ53章、57:15、66:2を引用されて、イエス様の砕かれた姿をまた私たちは砕かれなければキリストの麗しさに預かれないことを教えられる。

午後は法隆寺の土台と柱について宮大工の方のお話を例に話され、これも味わい深いものがあった。教会はイエス様がなされた業によってもたらされた。思い巡らすとただアーメンと言わざるを得ない。お話を聞く前に丁度教会の歴史を見ていた。それは惨憺たるものである。神は何でと思うが選ばれたイスラエルの民も然りである。イスラエルの民も教会も目覆おうものがあるが神はまた別の見方がある。それを学びを通して少し見ることができた。

メモも取らずに聖書の箇所を開いて聖書を解きほぐすように話され、例話もたくさん用いて、小学生もいる所為かわかりやすく話されるのにも感心する。エチオピアの宦官のようなサルにとって、みことばの解き明かしを聞けることは感謝である。

食事や交わりの時、兄姉の間を歩いてお茶を注ぎ自分の席に座ることのなく奉仕しているJ宣教師。思わず「一つ質問があります。姉妹はいつ休みますか」と姉妹は苦笑い?しながら笑顔を返してくれた。実によく気がつき、交わりのときのケーキも彼女が焼いてくれる。いつもおいしく頂いている。今回初めて少し話をすることができたがあまり表立ってやることは好きではないそうだ。でも福音のためなら苦手なことでも喜んでするそんな感じを受けた。まさに「イエス様がすべて」他に魅力を感じないそんな思いを抱かせえる。集会のみならず住んでいるところでも誰もやらないような掃除を率先してやっているようだ。同じマンションに住んでるという姉妹を紹介してくれた。この時は見えなかったが一人の姉妹も彼女の行動を見て信仰を持たれたようなことを証してくれたことがあった。雲泥の差とは姉妹とサルのことにぴったりである。

釧路キりスト福音教会の山形牧師のブログをお気に入りに入れて読んでいる。ハービーさんで検索したら見つかったブログである。何時だったか帯広キリスト福音教会の40周年記念会に出席したことが書かれてあった。そこでJ宣教師が被り物をして証されたことを記していた。姉妹のことをとても好意的に書いていて、否、姉妹がそう語るにふさわしいからであろう。それに証するということは教会に大いに寄与されたからではないかと思っている。長く宣教師として働き、今も覚えられているということは姉妹の姿を見て頷ける。自慢することを知らないような方だからこんなことを書いたら怒られそうだがまぁ本人は知ることはないであろうから頬かむり。あまり知らなかったが姉妹の人となりを知って尊敬の念を抱く、しかし足元にも及ばないないぁ。同じまな板に載せること自体が傲慢である。サルでもできる反省・・・。

そういえば以前にはニュージーランドから多くの宣教師が北海道で働いていたことを思い出した。釧路も帯広も元は集会関係の集まりであったらしい。北海道は札幌の福音館もそうだし他にもありそうだ。帯広の牧師は神学校を出ていないそうだ。年に一度?集会に来てくれるTファミリー、下諏訪に姉妹の学生時代の友達がいる。お兄さんは牧師をしているがこの方も神学校を出ていない。山形牧師も書いていたが神学校を出ていなければ牧師になれないということではない。でも彼はイギリスの神学校を出ている。諸集会はキリスト教界では小さな集まりだが宣教師を通して色々と繋がりがあるのはうれしいことである。集会は問題点もあるが指向していることは正しいと信じている。色々なことを見せて貰って、我が糧としたいものである。もう先が見えている歳ではあるが。

初期のキリスト者像

「使徒の働き」を見ると初期のキリスト者像がよくわかる。
5:13に「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。」、塚本虎二訳では「ほかの者は(なんとなく近寄りがたくて、)だれ一人敢えて彼ら(の仲間)に加わろうとしなかったが、それでも民衆は彼らを尊敬していたので──」とある。塚本訳の方がわかりやすいような気がする。同じようなことが今日でも見ることができる。そういう意味で初代の信徒も現代の信徒も変わらない評価を受けているのかな。
次に、
9: 2ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」、ここでは「この道の者」とある。「この道』という言葉も19:9,23、22:4、24:14,22に出てくるだけである。当時はまだユダヤ教の一派で異端と見做されていたようである(24:14)。黒崎注解では「道は、往々にして異端または宗派を表す場合あり。」と書いいる。日本では「道」といえば柔道、武道、茶道、華道とあるようにその
道の専門的なものを意味する(それによって人を一定の方向に導くもの。 専門を究めて一派を立てた技芸―コトバンク)。日本における「道」はこのような意味を成している。柔道などは勝てばいいみたいなところがあってつまらなくなっているが本来ならば型があり、「道」を極めた人の柔道は美しい。他のスポーツも然り、「礼に始まって礼に終わる」と言われている。聖書から悦脱しているかもしれないが「この道」を歩むなら、今と違う歩みがあるのではないだろうかと思わされている。信仰、教会中心主義はそれを守れる人は幸いであるがそうでない人は枠の外にいるほかないのである。勿論、信仰生活が守られ、教会生活が守られる信徒は幸いであり感謝すべきことではあるが。

読んではいないがトマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」という題名の本がある。まさに「道」とはこのことであろう。明治のキリスト者は「この道を」極めようと聖書研究に社会事業や教育にそして福音宣教にと邁進して今日の教会があり、社会福祉があり、学校があるように思う。「この道」とは登る道ではなく低く降りていく道である。サルは「この道」ではなく「外道」だなぁ。



1:26「彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」







2013年11月12日火曜日

社会の底辺で生きて


政治にはあまり関心がないというより難しくてといった方がいい。最近は更に「集団的自衛権」、「特定秘密保護法案」なんていうのはさっぱりである。このようなことが論議されているのを見ると誰が何を守ろうとしているのかがわからない。何か戦前の姿に回帰しようとしているような姿を垣間見る。右も左も表に出ないで何か動いているような気がしてならない。広島記念公園の碑に安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬからとあるそうだ。でも歴史は繰り返すのである。為政者の懐の深さはどこから来るのだろうかそれは「神を恐れる」ところから来るのである。あなたが自由に自分の思いで色々な事をするがいい。そして出来るだろう。しかしそれはあなたではない。神があなたのあごに鉤をかけて引き回しているに過ぎない。国民を犠牲にしなければわからない愚かさである。イエス様は十字架上ですべては終わったと言われた。勝利ではなく敗北のような姿の中にすべては終わったのである。真の勝利とはこのようなものである。ガッツポーズの勝利は似非勝利である。
ezek:38: 4
わたしはあなたを引き回し、あなたのあご鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ

四つも

47,8歳位の時だったかな時折字が霞んで見えるようになった。失明するのかなと心配しながら眼科に行ったら単なる老眼の始まり、紹介された眼鏡屋さんで眼鏡を注文した。ところが度が強くて眼鏡をかけるとくらくらするのでそのままほって置いた。50代になって少し老眼が進んで段々眼鏡が合うようになってそれから度が進む度に新しいの作ってきたがあれから何個作ったかわからない。現在は4個使っている。一番弱い遠近両用はこれで字は読めないが車を運転しているときにかけるとぼんやりしている景色がはっきりする。次に度の強い眼鏡はパソコン用に使っている。これで字を読むと少しぼんやりする。次が活字を読む時に使っている。しかしこれも弱くなって字が小さめだと難しくなった。最近は少し前に作った少し度が強いものを使うようになった。これだと良く見える。

今使っている聖書は製本が悪くて本体と表紙がはがれてしまっている。交換すると言われたが大変だろうから聖書読むには差しさわりが無いのでそのまま使っているがそれでも最近はなんとなく扱いにくい。以前3版のちぇん式聖書を買っていて、殆ど使わないのでこれを使おうかなと思っている。老眼の度が進んでいるのに字の小さい聖書を読み、力がなくなったのに重い聖書を持ち歩こうとしている。なんとチャレンジ精神に富んでいるのだろうと自分を褒めているが使わないのはもったいないというだけなのである。老眼用の虫眼鏡はバックとリュックに入れている。図書館などに行くときにはかさばらないので一番小さな聖書を持っていく、製本ミスでそれを修復したのを1000円で売っていたのを買った。そして眼鏡と虫眼鏡で活字を拾っていく、まだ読めると実感出来るのがいい。

このところ耳が遠くなって小さい声が聞こえ難くなって来た。東京では1~2年に一回の割で耳垢を取ってもらっていたがこちらに来て5年、まだ一回も取ってもらってないので耳垢が詰まったかと思い医者に見てもらったら耳垢は溜まっているがその所為ではなく単なる老人性の難聴とのこと、半年か一年に一回来てと言われ、来るなら一月と八月に、この時は耳垢の掃除ばかりだからと言われ、他の月は忙しいがこの月は暇なんだそうだ。左が右のような聴力だと補聴器をと言われ、ついに来たかなと思った。先日東京に行った時、八王子の料金所で150円ですと機械が言っているので大分安くなったなぁと思ったらその前の4が聞こえてなかった。話をしていても以前より聞き返す頻度が高くなっている。どこもかしこもローカです。


isa 40:31
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

頑張ろう



電気毛布を

ここ寒くなったのでついに電気毛布を使うことになった。家内は既に寝る前に電気毛布を入れ、寝るときに切るようにしていたが昨日からは弱にして寝るようにしている。今までは布団に入るとどこかひんやりするがじっとしていると体温で暖かくなってくる。この感覚を感じながらまだまだだ若いと自認するのである。年と共にこれがいけなくなってくるがいけなくなってもダビデのようにはなれない(1列1:1)。現代ではこれは問題だが今は電気毛布がある。しかしこれも最近のオール電化の新築の家は夜間の電力を使って暖房をしているから電気毛布はもう過去の遺物になりつつある。生活が快適になるにつれ、物の有り難さは失われていくような気がする。寒い時に暖かい布団に入ってあのぬくもりは寒いところに住んでいる者でなければ実感することの出来ない喜びである。しかし電気毛布を使わないですむなら・・・。

2013年11月3日日曜日

今日は

いつもは数人の集会が桐生のM兄姉と息子さん、それに姉妹のお母さんとお姉さんが来られてテーブルを二つ追加してしまった。お母さんとお姉さんはまだ信仰を持っていないそうだが小さな集会では人の数が多いことはそれだけでもうれしいものである。

M姉は伊那の出身で20年前に家内の実家で家庭集会をやっていたとき来られたとか言われ、長男の方は一歳だったそうで集会のI兄姉も覚えていた。そのような経緯があった所為か最初から和やかな雰囲気だった。それと同じ主にある者同士であることもそれを助長させてくれたのかなと思う。

兄弟が明治からの著名な方でクリスチャンである人々をピックアップして話をしてくれた。長谷川町子さんのサザエさんが新しい家族像を描いていると言われて気にしないで観ていた者には言われてみればそうかと頷ける。短い時間だったから多くの人物を語ってもらえなかったが明治以降や戦後に政治、経済、教育と表に立ったり、陰でサポートしたりと活躍したたちが大勢いたことを思う。はっきりとキリスト者であることがわかる人もいれば、言われてあぁそうだったのかと頷ける人と色々だが社会に貢献しているのには変わらない。聖書からの話が多い中こういう視点から話されるのもいいものだ。群馬県は内村鑑三を始め著名なキリスト者が輩出している。信州にもいるがその比ではないであろう。でも改めて信州のキリスト者という観点で調べてみたいものだ。ある牧師の奥さんの実家は伊那と聞いている。自分は三代目でおじいさんは内村鑑三から信仰を受けたようなことを言っていたように記憶している。信州は内村鑑三から影響を受けたキリスト者は多くいたのではないだろうか。前にいた集会のH姉は諏訪に無教会の集まりがあるよと言っていた。

2013年11月1日金曜日

いのち

昨日O兄のMちゃんが耳の手術をして無事に終わった。Mちゃんはお母さんのおなかの中に居るときに頭に腫瘍が出来て、生まれて一ヶ月くらいのときに頭に出来た大きな腫瘍の手術をする。そのときの手術で耳の穴が小さくなっているので中耳炎などになったら治療が出来ないとのことで耳の穴を正常に戻す手術をされた。生まれてまもなく大きな手術をし、四歳でまた手術である。耳の手術は術後も痛みが続くようでそれが心配である。

臆病なサルは最近、TVのボリュームを一つか二つ上げないと良く聞こえなくなった。東京にいるときは一、二年くらいの感覚で耳垢を取ってもらっていたからこちらに来て5年になるのに一度も行っていなかったので耳垢が詰まったのかなと思って医者に行ったら耳垢はたまっているがその所為ではなく、単なる老人性難聴、もう少し悪くなったら補聴器が必要になるそうだ。中学生のときに運動会のスターターをやって、耳栓をしていなかったので右耳が耳鳴りがして、二十代前半で左も鳴るようになった。それからもう半世紀、静寂を知らないサルである。その影響で難聴になるのかなと思っていたがそうでもなさそうだ。同じ世代の人でもう補聴器を使っている人もいる。耳垢を掃除してもらったとき、左は痛くは無かったが右は痛くて思わず顔をしかめてしまった。もう少しやっていたら悲鳴を上げてしまっただろう。耳垢をとるのに耳をほじくられて悲鳴を上げるサルと四歳で二つの大きな手術したMちゃんとは比較の対象にもならん。産婦人科医の書いた絵本の中に「私はあなた方を選んだ」と赤ちゃんが親に対してそのようなことばを言って生まれた来たことが書かれている。親が選らばれて大丈夫育てられると安心して生まれてくるのである。Mちゃんはこれからもまた幾つかのハードルを越えなければならないのだろう。彼らはそれをクリアーしていくことを信じている。だから生まれた来たんだ。彼女はいのちの尊さ、すばらしさを教えてくれる。そして強さも。