2014年12月31日水曜日

年の瀬を迎えて

今年もあと一日を残すのみとなった。
暮れに向かってというには目の前すぎるがいくつかのことをやろうと思っていたことができたので感謝している。みんな些細なことであり、それをやってもどうってことのない代物、性格的なものでゆうなれば重箱の隅が気になるタイプなのである。些細なことで足の裏に付いたご飯粒のようなものでイラク気になるという小心者の典型である。それでもそれらができたことに感謝している。いのちをながらえるにはシクラメンではないが弱いものは弱いものなりに守られる必要がある。そして主は守ってくださる。それを覚えるだけでも感謝なことである。甘いはいけないが。

家内と義妹とがイオンで寿司を買ってきて、それをメーンに手作りを少しと買ってきたカツを添えての大晦日の夕食いたってシンプルである。食べ終えて紅白、私は興味がないので下りてPCと向き合う。ネットサーフインをしながら今ブログを書いている。一年を振り返ってと言ってもどんどん忘れるから振り返らない。もう時間がないのでこれで切り上げます。

大晦日、越に越されず越されずに越しそう。もうすぐ新年…、今年はこれで終わり。

シクラメン

大分間にクリスマス会の案内を以前住んでいた大家さんに持って行った。後で分かったことだがここの大家さんはお姉さんが家内の父の実家に嫁いでいた。亡くなった叔母さんと顔がダブルのでなぜかまともに見れない。今は縮小しているが農園をやっていて鉢植えの花を扱っている。12月に入っているからもうシクラメン一色、ついでにと一鉢買ってきた。何時だったか寒い朝に出窓においていたシクラメンがしなびでみんなお辞儀をしている。昨夜までピンとしていたのに寒さに弱いことは知っていたがこれほどとは思わなかった。それから部屋の中に置くようにして何時だったかピンとしているので回復したのかと思ったら家内がひもで結んでいてそう見えただけだった。今は寝るときは新聞を袋状にしてその上にスーパーの袋を被せている。しかし寒いとダメで花の先が紫色になったり、茎も変色してしまう。それでも今は日中暖かいと回復する。しかしこれから第二第三の寒波が来るからそれには耐えられないだろう時間の問題かなと思っている。。こちらに来て感じたことは寒さに強い植物は霜柱が立っても平気であるが弱いとそれこそひとたまりもなく脆いのである。これらを見ているといのちのもろさとはかなさを覚える。人もそれほど変わらない。元気で頑張っているように見えても色々と守られての条件付きにしか過ぎない。いのちはいのちを与えてくださる方でしかそれを扱うことはできない。そんなことを寒さに弱いシクラメンを通して教えられる。いのちがあり守られていることはおおいなる感謝であり、あとは余禄。

2014年12月20日土曜日

冷蔵からチルドへ

今冬一番の寒さ、今朝起きて温度計をみたら台所は3.4度、ファンヒーターを点けたらその温度計は2度になっていた。台所の温度計は1m位の高さにあり、ファンヒーターは床から20㎝位その差なのかなと思う。しかし久しぶりに陽が差していてそれほど寒さを感じない。寒い信州では陽が当たっていることは最高の恵みである。暖かい日差しの中で3時頃いつもの湖畔端を歩くが最初からフリースを脱いで歩いたがそれでも少し汗ばむくらいだった。この間はジャンバー着ても寒かったのに太陽様様である。雪道なので長靴を履いて歩いたが速歩でも歩けたが雪道は懐かしくあの雪を踏む感触が何とも言えない。道路は雪がなくなっても湖畔端は雪一面、犬連れは何人かいたがさすがに雪道をウオーキングする人はいなかった。

明日は雪にはならないがお天気が悪く当分太陽は拝めないかな?我が家は大分前から冷蔵状態だったがここにきてチルドに入った。パーシャルにはならないだろうと思っているが今朝風呂場のタオルが凍っていたと家内が言っていたからじわじわかな。それでも日の入りは伸びる一方だし、日の出もあと半月もすれば早くなる。そんなことを思うと気持ちが少し安らぐがファンヒーターも石油ストーブも灯油切れ、朝起きたら補充しないといけない。家内はいつも前もってやっているが今は親指の関節を痛めているのでできない。だからぎりぎりまで伸ばす私の仕事なのでこんなことになる。明日の朝はこんな朝かな…。


                作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正
唄:吉永小百合・和田 弘とマヒナスターズ
1 北風吹きぬく寒い朝も
  心ひとつで暖かくなる
  清らかに咲いた可憐な花を
  緑の髪にかざして今日も ああ
  北風の中に聞こうよ 春を
  北風の中に聞こうよ 春を
2 北風吹きぬく寒い朝も
  若い小鳥は飛び立つ空へ
  幸福(しあわせ)求めて摘みゆくバラの
  さす刺(とげ)いまは忘れて強く ああ
  北風の中に待とうよ 春を
  北風の中に待とうよ 春を
3 北風吹きぬく寒い朝も
  野越え山越え 来る来る春は
  いじけていないで 手に手をとって
  望みに胸を元気に張って ああ
  北風の中に呼ぼうよ 春を
  北風の中に呼ぼうよ 春を

2014年12月17日水曜日

141人死亡 至近距離で頭撃つ

イスラム過激派の痛ましい事件が続く、イスラム教の印象が悪くなるばかりである。3.11のときにイラン人の人たちが被災地に炊き出しに行って被災者に自国の料理をふるまった記事がネットで観た。彼らは困っている人を助けることはイスラムの教えですよと当然のように語っていたことを思い出す。

前にも書いたがアイルランド紛争のときにも日本人はカトリックとプロテスタントの宗教戦争と捉えていたがアイルランド出身の宣教師がこともなげに「あれは宗教戦争ではなく、ただの暴力です」とこのようなことを言われたことを思い出す。多分、イスラム過激派もそうではないだろうかと思う。イスラム教の信者にとってはいい迷惑なのだろう。

でも彼らを非難することは簡単だが70年前には日本も同じ事をしてきた。天皇陛下のためにと言いながら天皇が望んでもいないことを自国民に強いて、そして当然のように命まで奪っている。だから同じことをしてきた日本人には非難することはできない。そこに横たわっているのは貧困であり、そこからくる教育の欠如ではないだろうか。人間は罪びとであり、多くの失敗を繰り返しながら少しづつしか学ぶことができない。そこにはいのちの犠牲が伴っている。彼らが滅び新しいイスラムの世界が広がってゆくことを願う。

今キリスト教も多くの面で宗教にすぎないと思っている。イエスさまの教えに従って歩むこと以外にそれを否定する道が無いように思うがどうだろう。自分ははるか離れたところにいるような気がする。遠い道ではあるが一歩でも半歩でも近づきたい。しかし、努力で得るものではない。イエスさまの十字架と復活の上にあるのである。

選挙に思う

この間衆院議員の選挙があった。いつも選挙は不在者投票をしている。今回は集会のクリスマスがあり、TVを観たのは夜中にちょっと観ただけである。翌日も忙しく新聞もネットとも見ていない。山本七平の「空気の研究」なる文庫本を読んだ後の所為か何とも言えない後味の悪さを感じる。

安倍さんも姑息だ。今なら自民単独で2/3、反対する公明を必要しなくともと思ったのだろうがそうはいかなかった。夢を描いたが駄目を確認するために700億円を使ったのかと思うと遊びにしてはひどすぎるんじゃないのと思ってしまう。流行語大賞ではないが「ダメよ~ダメダメ」と朱美ちゃんでなくても言っちゃうよ。でもこうなったのは民主党がだらしなかったこともあるのかもしれない。特に鳩山さんと小沢さんがいけなかった。この辺は専門家が色々言っているからこのくらいで…。

昔、監督が阿保だからと辞めていった野球選手がいたが監督が阿保でも何時か監督にと頑張っている人、しがみついている人もいるのでろう。そんなことを脇において与党、野党を問わず国を思っている人もいることだろうと思う。国会の場で与党と野党の政策で論戦を期待したい。そのような人たちが育つなら今回の選挙は無駄ではなかったと言えるし700億円は安いものになる。

こんなことを今度の日曜日に話す準備を脇に置きながら書いている。パソコンに向かっていれば準備していると思っている家内にばれたら晩飯抜きだが幸か不幸か家内はPCにはノータッチ。気分転換のつもりが本題にはノータッチである。これからやります。

ギンナン

何時だったかイオンの帰りに近くの公園の脇を自転車で通ったらおばあさんが何かを拾っている姿を見て何だろうと思った。何気なく上を見上げたら真っ黄色の葉をつけたイチョウの木があったのですぐわかった。ギンナンを拾っていたのだった。もう一本もあったのでゴム手袋にスーパーの袋をもって拾いに行き袋八分目くらいになったので帰ってきた。それから何日かして外の洗面台で臭いにおいをかぎながら皮をむき実を陰干しする。それでも何となく匂うが乾燥させたらそのにおいも消えた。それから何日かたって行ったら何もなく、おばあさんが拾っていた木のところに行ったらたくさんギンナンが落ちている。だれも拾っていないようである。なんでだろうとかき集めるようにスーパーの袋にいっぱい入れ、翌日も手でかき集めるように拾ってきた。一本は落ちていないので拾った形跡があるのにこちらはそれがない何でだろうと少し気持ち悪い気がしたがどうも粒が小さい所為かなとそれしか考えられない。そこは二回で終わった。

子どもの頃は網で魚を取ったり、秋には栗を拾ったりするのが好きだった。食べたいことよりもその行為が好きなのである。何時だったか栗をたくさん拾って箱に入れていたら父が大阪のおばぁちゃん(と言っても父の姉であるが)に送ったら喜ぶよと言われてそのまま父に任せた。無くなっていたので送ったのだろう位の意識しかなくそのことは忘れていた。就職して伯母さんから手紙をいただいたときにそのことが書かれていて、食べ物がないときに嬉しかった旨のことが書かれてあって、もう忘れていた些細な行為がこんなに喜んでもらっていたのかと不思議な思いがした。そして転職して給料前になると金欠になり、昼食抜きになる頃伯母さんからの手紙がくる。そこには必ず千円札が3枚ばかりはいっていた。これで昼飯が食えると喜んだものだった。伯母さんは苦労しているからそんなことがわかるのだろう。キリスト者になって、ケリテ川で烏にに養われたエリヤの箇所を読むとそのことを思い出す。そのこととともに多くの人たちにお世話になって今があるなぁと思い、二三の人が浮かんでくる。それだけだめな人間なのである。返せない負債だ。最大の負債はイエス様だけど。

ギンナンといえば茶碗蒸しの上にあるギンナンしか浮かばない。いつもなんでギンナンがと思うくらいでおいしいものではなかった。食べたいためにとったのではないから最初にとったのをほとんど婦人会の祈りのときに家内に持たせた。持って帰るかなと思ったら全部貰ってくれた。N姉が好きらしく大半持って行ったとか、2回目の持たせたらそれも全部はけ、今残り1/3があるのみ、それでも結構ある。今は朝食のあと、ストーブの上でギンナンを焼いて食べてる。焼くとおいしく癖になりそうである。正月は落花生でなくこれだと、今は落花生をせっせと食べている。メイドインチャイナだが。
焼くとこんなにおいしいならもっととってこようかななんて思っているが寒くて今は雪に覆われているから取れても一週間か二週間後になるだろう。その時元気ならでの話であるが。

2014年12月12日金曜日

希望とは

暮れになるともの好きというか暇なのか日の出と日の入りを調べている。信州の冬は寒く、日の出は遅く、日の入りは早いじゃ何一ついいことがない。春夏秋冬は三か月づつなのに冬は五か月近くもある。半年は冬と言われる北海道の寒さと比較されると何も言いないがそれでも言っちゃう。

春はそれこそハルカ先だし、身近な希望はいつから日の出が早くなるか、日の入りが遅くなるかである。といっても最初の頃は2-3日に1秒の変化にすぎない。毎日1秒と変化するのは一か月近くたってからのことである。それで日の入りの一番早いのが12月3-10日で16:31分、昨日から確実に日の入りは伸び続ける。これがささやかな希望であるがこれは岸洋子の「希望」のはかない希望と違って確実な希望である。

若いときに生きることに希望を失っていたことがあった。絶望していたわけではない。生きる希望を見出せなかっただけである。そんな中でほんの些細な行為が生きる希望を与えてくれたことを今もはっきりと覚えている。これが変わらない生きがいを求める一つのきっかけであったのかもしれない。

交流のサインカーブがある。ゼロを起点としてプラスとマイナスを交互に描いている。プラスでも下りがあり、マイナスでも上りがある。人生も同じで必ずしもプラスがプラスではなく、マイナスがマイナスではない。プラスのところに失望があり、マイナスのところに希望がある。勿論プラスにさらにプラスがあり、マイナスにさらにマイナスがある。人生もその繰り返しなのかあるいは同じことを繰り返していく中で螺旋階段を上り下りしているようなのかもしれない。

クリスマスが近づいている。昔は信徒でもないのに祝いるかと言い、キリスト者になればノンクリと一緒に祝いるかと誕生日同様に何もしないで終わっている。今年も然りであろう。勿論、集会のクリスマス会は年の一度のイベントであるから外見はささやかだが集会としては気持ちは盛大である。否、奉仕してくださる方がいるからできるのである。

イエス様の誕生の様子をルカは記している。馬小屋にというどちらかというと否定的な捉え方をしているがどこかで読んだこの出来事はそうではないようなことを書かれていた。母の実家では牛を飼っていたが牛小屋は母屋の棟続きだった。ある意味で大切な動物だったわけである。汚いかもしれないが隙間風が入るような形ではなく、牛小屋はないがしろにされていたわけではない。ナタンがダビデに例え話をする。そこに小羊と寝食を共にする貧しい農夫の話が出てくる。それはたとえ話ではなく実際にあり得ることであっただろうと想像する。だから家畜小屋といっても馬鹿にしてはならない。下手な部屋よりも大切な部屋なのである。そんなことを思うと見た目は悪くともイエス様にふさわしい面もあったのかもしれない。ルカは人が見過ごしてしまうような出来事を書いている。だれもが気が付かない幼児イエス様にシメオンやアンナが気付いて賛美している。イエス様に触れる人にはその人生を変えてしまうがすれ違っても気づかない人には何もない。

ささやかな希望でも希望は希望である。それによって生きる力が湧いてくる。あるいは耐えられる。しかし永遠ではない。しかしイエスさまは病気が治してくれるわけでもなく。勿論金持ちにもしてもらえない。むしろ困難な状況が待ち構えていることが多い。それでもイエス様は希望の星である。決して見失うことのない星である。否、見失っても安心して行ける方でである。そして永遠に。

最後に日の出は年開けて草々が最も遅い。来年の話なのでその時書こうと思っている。主は、ささやかな希望、否、すべての希望の源、そこに変わることのない希望がある。

2014年12月11日木曜日

愛するということ


1cor 13: 2
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
1cor 13: 3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。


聖書の通読を終わってから毎朝新約聖書を一章読むことにしている。勿論読めない日もある。何事も腹八分目ではないが一週間五日、インターバル速歩もそんな感じでやっている。先週は雨やみぞれで四日くらいしか歩けなかったが何事も無理なくやれるのが基本としている。この年で頑張れないし頑張るつもりもない。そして今コリント前書を読んで昨日かなここを読んでいた。なぜか懐かしさを覚えた。それは最初に聖書のことばとして印象になったことばだったからである。あるいは、信仰に導かれる過程での一つのきっかけになったことばでもある。

この世代はというより自分だけかな「愛」という言葉は照れくさくて言えないし愛することも不器用でできない。自分もやってみたいと思っているわけではないが相手にストレートでモーションかけることができる人をみると羨ましいなぁと思う。

そんな愛と無縁の男が「愛」という言葉に触れて感動していたことを昨日のように思いだす。しかし、その感動も遠い過去になってしまったようだ。それは、多分初めの頃は受ける側だったから受け取るだけでよかった。今は逆に受けるよりも与える側にあるような気がする。ない袖は振れぬと言ってそれで終わりになればいいのだがそうもいかない。求められるわけではないが状況としてそのように感じることが多い。

あるかないかとは別にもう一つのものがある動機である。純粋さが求められるが結構不純である。
損得抜きで相手に与えていると思っても実は自分の自己実現のためであったりというのが結構ある。否、すべてと言ってもいいだろう。無私でない限り「無償の愛」なんてない。そして肉が生きている限り無私はあり得ない。それができるのは無私のないイエス様だけだろう。もしそれに近づくことのできる行為は、「あなたはそれを成せば失いますよ」と言われたとき、それを承知したときであろう。何かを受けることを期待して与えるのは世の常、期待しないで与えるのはイエス様。変かな?

キリスト者になる前に観た映画「汚れなき悪戯」にマルセリーノが二階に上がってはいけないと言われていたが好奇心から上がり、その奥の部屋に裸の十字架のキリスト像を見つける。彼はその像に語りかける。正確なことばは忘れたが「名前はなんていうの」と尋ねると「私は与えるのだ。ただ与えるのだ」と答える。印象に残ったことばだった。今キリスト者になってそのことがよくわかる。

愛するとは、自分の命を削って他者に与えることであろう。召される前にまねごとでもいいからしてみたい。

2014年12月7日日曜日

真の貧しさ

2cor 8: 9
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。


2014年12月6日土曜日

冬の風景

今朝起きたら路面は融けていたが白一色の世界。山も白くなると何となく寒々とする。信州は割と雪が少ないから寒い。雪があると寒さの厳しさが少ないように思える。前日まで割と凌ぎやすかったのに手の平を返すように寒波が来てからは寒くて、雨やみぞれに雪である。温暖化を心配しているがここではあまり関係ないみたいだ。正直関係あってほしいなぁと思う。雪が降ると山は横一直線で白くなるので標高差がわかる。寒くなる前に塩尻に出かけたとき日本アルプスの山々の上の部分が真っ白になっていた。次に行った時はその白さが大分下がっていてこの間の寒波襲来で見える部分は真っ白になっていた。八ヶ岳も然りで今は大分下まで白くなっているのだろう。ここからは上の部分しか見えない。諏訪湖から富士山が一番よく見えるスポットが近くの湖畔端にある。何時だったか良く晴れていた夕方に速歩で通ったら側面が夕陽をうけて綺麗だった。勿論下まで白くなっていた。人の造ったものには素晴らしいものもあるが神さまが造った自然の四季折々に彩られる美しさは敵わない。冬は冬の美しさがある。でも寒さは苦手、春はまだ遠いなぁ一年先かぁ! 



2014年12月5日金曜日

二つの貧しさ

マタイは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(matt: 5: 3)とあり、ルカでは「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。」(luke: 6:20)とある。

今まで二つの貧しさを自分は持っていると思っていた。お金に縁のない貧しさと、そこからくる貧相な心と、「イエス様が幸いだ」と言われているからと負け惜しみのように言っていた。しかしお金はないよりもあった方がいいし、心も豊かでありたいものだと思っている。「貧すれば鈍する」ことも経験し、貧しさのゆえに受ける不条理も経験した。俎板の鯉のように露わにされたこともあった。戦中戦後に生まれ育った人たちは「昔は貧しかった」と過去形で言うがサルは現在進行形であるのがつらい。ありとあらゆる貧しさを経験したと言えば大袈裟かな?そんなの貧しさじゃないという人もいるかもしれない。

ここで聖書の講釈を書くつもりはないし書けないがイエス様が「幸いである」という貧しさをキリスト者はそれを求めているだろうか。勿論自分も含めての話だが。トマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」(岩波文庫)の冒頭に「私に従うものは暗(やみ)の中を歩まない、と主はいわれる。このキリストのことばは、もし本当に私たちが光に照らされ、あらゆる心の盲目さを免れたいと願うならば、彼の生涯と振舞とにならえと、訓(おし)えるものである。それゆえキリストの生涯にふかく想いをいたすよう、私たちは心をつくして努べきである。」と書いている。

実際そうなのであるが自分が貧しいと思っていたことは、実はこれは「似非貧しさ」であって、真の貧しさではなかったのではと思うようになった。この貧しさを経験されたのはイエス様だけではなかったのではないだろうか。勿論、先人の中にもそれを経験した人もいたであろう。しかし、イエス様の比ではないと思っている。勿論、その人たちを尊敬すべきことではなるが。パウロは「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。」(phil: 4:12)と言っている。
真に貧しいとは豊かを知っている人であろう。イエス様は豊かさを持っていたから貧しくなれた。だから誹謗中傷に耐えることができた。そして十字架にも。

お金の貧しさ、貧相な心、これは真の貧しさではなさそうだ。真の貧しさは下に下にと下って行ける貧しさである。仕える貧しさである。「喧嘩にはめっぽう強く『国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を切る』と謳われた。」、人に恐れられるのは、どのようなときにも「微笑み返し」をすることである。「できるかなできないだろうな」と松鶴家千とせ氏の言葉をもって閉じる。

2014年12月4日木曜日

12月に入って

12月に入ってもう4日になる。師走というだけあって早く感じる。と書くと忙しそうに見えるが実は雑用をあれこれやってるとやりたいことが出来なくて少し焦っている。それにパソコンがXPから8を使うようになったらうまくできないことが起きるとそれで一日二日とかかってしまう。それでも解決できればいいが宿題のように残ることも少なくない。少し時間を経ってやると簡単に解決することがある。しかしいつもではない。今も手こずっている。アップルは使えず携帯も老人用の字の大きいシンプルなものを使っているからパソコン出来るだけでもオンの字なのかなと自らを慰めている。それでも年寄りのおばあさんが同じ携帯を使っているのを見たり、スマホを指で操っているのを見ると少々落ち込む、頑張ればできるものではないので猶のことである。

お天気は2日から寒くなってこれまでの最低気温が最低気温になる予報だったがしっかり当たっていた。それだけでもビビるが四日にもなると朝起きてもそれほど寒さを感じない。それでも今朝起きたらシクラメンが一輪だけ立っていたがあとはみんなお辞儀をし、窓側のはへなって変色してしまった。植物も寒さに強いのと弱いのでは極端である。人間も然りだなぁ。サルは「顔はデカいがここ(ハート)はノミだ」と言っているから寒さを含めて諸々の厳しさに弱い。

こんな時期に選挙が始まる。歴史は繰り返すというが人の本質は何も変わっていないから時計の振り子のように右に左にと揺れ動くのは当然だろう。しかし、歴史に学ぶということもある。だけどその歴史にちっとも学んでいない。山本七平ではないが「空気が動かす日本」である。開けてみれば実体がない。だから誰も責任がとらないしとれない。そしてとるべき人がとらないでとるべきではない人がとらされている。秋に短い時間ではあったが「ひめゆり平和祈念資料館」を見学してそのことが少しわかった軍の結末がいい例である。安倍さんはいい人なのだろうが見ていると誰かにコントロールされているようでかわいそうな気がする。外見は自信満々だが真に国の行方が分からない人のようだ。だから猶かわいそうに見える。それでも実権握ったら施策を次々と行って奈落の道へと進むのであろう。地の塩、世の光としては塩味も薄く、ほの暗い燈心では無力感を感じるが自分はそれでもいいがアブラハムがとりなしたようにそんな祈りが必要であろう。この国のために、祈りは無力ではない。

2014年11月25日火曜日

一つの疑問

高橋三郎先生は「ルターの根本思想とその限界」の再版への序の中にこのように記した部分がある。「…人は信仰のみによって義とされるということは、宗教改革の基底をなす重大な命題であり、福音はこれによって、あらゆる人に解放されたのであったが、これを少しく言いかえ、『信仰がなければ人は救われぬ』、しかしもそれは『正しい信仰』でなければならぬ、ということになると、本来あまねき恵みの提示であった筈の福音が、一変して徹底的差別の原点と化す。そこにいかなる惨事が引き起こされるか、二千年に及ぶ教会の歴史は、つぶさにこれを実証したのである。しかも微妙に重大なこの福音の変質の根底には、キリストの救いにあずかるためには一定の条件が満たされなければならぬ、しかもその原因と結果は一対一の関係で対応するという法律的思惟形式が、深くかかわっていた。しかもこれは、カトリックとプロテスタントの別を問わず、二千年の教会史を一貫してきたものではないかというのが、この論文の提起した問題である。」と書いている。

どんなに素晴らしいことが行われても人間が行うことには完全ということはあり得ない。ルターやカルヴァンの宗教改革も然りであろう。エーリッヒ・フロムは「カルヴァンの予定説は、最も生き生きした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活した。すなわちそれは、人間の根本的不平等という原理である。カルヴァンにとっては、二種類の人間が存在する―すなわち、救われる人間と、永劫の罰に定められている人間とである。…人間の平等は原則的に否定される。人間は不平等につくられているのである。この原理はまた、人間の間にどのような連帯性もないことを意味する。…」(自由からの逃走)。人間の間に連帯性を失ったらその先はない。福音書のユダヤ人の世界と変わりはない。昔、岩波ホールで観た「コルチャック先生」を思い出した。最後はユダヤ人の子どもたちとアウシュビッツ?に消えていくのを連想されるシーンだった。生命を失うけれど子どもたちとの一体感が感動させる。

詳しくは知らないが宗教裁判と言われるものは聖書を曲介して起きたものではないかなと思っている。ある時代にある特定の人が行ったというのではなく、キリスト教会の根底に流れているものが時と人を介して浮上したそんな感じを受ける。現実の問題としたら「紙一重」の問題なのであろうがこれが分水嶺のごとく、そして似て非なるものとなる。心しなければと思う。つい自分と違うものを見ると批判しがちになるが物事は前向きで捉えるように努めよう。キリス・トイエスの心を心としたいものである。


2014年11月23日日曜日

少数者の罪?


アップルのクックCEO、同性愛者と公表 

2014/10/31 1:18
 【シリコンバレー=兼松雄一郎】米アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は30日、経済誌ブルームバーグ・ビジネスウイークへの寄稿で自身が同性愛者だと公表した。同氏は公表理由を「社会的差別と闘う性的少数者に勇気を与えたい」と説明した。性的指向に対し不寛容な国・地域でもビジネスを展開するグローバル企業の経営者が自身の性的指向を公表することは極めて珍しい。
 保守派の多い米南部州などでは同性婚の禁止など性的少数者を敵視する動きがある。クック氏はこうした動きへの懸念を表明するとともに、アップルが文化的な多様性や性的平等を重視する企業であることを強調した。クック氏の公表はアップルのリベラルなブランドイメージを強化することになりそうだ。www.nikkei.com
アップル製品は取り扱えのであまり興味はなかったがあるクリスチャンがこのことを知ってちょっとショックだったようで、これからアップル製品を使うの考えてしまう…などと言われていた。その時はそのままで気にもしなかったがちょっと調べることがあってロマ書をみていたら、下記の箇所が目についた。


rom 1:27
同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。

ティム・クック氏はこの箇所に該当するのだろうか。次にこのようなことばが続く、

rom 1:28
また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

そして、次節から罪の列挙が続くのを見るとこれも罪の一つの形態ではないだろうかと思う。アダムが罪を犯して以来、このようなことは当然の結果として見るならば少数者であれ罪のひとつの結果であろう。キリスト者が罪赦されているとはいっても罪の性質はこの世に生きている限り解放されてはいない。自分はそういう者ではないと蔑視したり差別すべきことではない。もしそのような思いがあるなら、このような視点の中に神の側に立って裁くということが行われている。キリスト教会が犯してきた罪に神の側に立って裁くということがあったと思っている。ただそれだけのことであるが。

2014年11月22日土曜日

インターバル速歩

興味はあっても滅多に観ることはない「ためしてガッテン」をたまたま観たのが「インターバル速歩」だった。私は楽してできるものだとすぐ飛びつく横着者なので「たった3分歩くだけで…」こんな言葉にひかれて観たような気がする。観ていくとこれをやっているのは松本にある熟年大学リサーチセンターなるところでやっていることを知る。信州大学の医科系とタイアップしてやっているどちらかというとシニア対象のようで、松本市も参加しているようだ。ネットで検索してメールしたら我が自治体でもやっていますとのメールをいただく、役場に電話して聞いたら丁度10月から始まるとのこと、締切も近いので満杯かなと思ったらまだ間に合いますと言われて参加する。

10月から月一回、半年の講習である。最初に参加のきっかけを聞かされて、ためしてガッテンを観て連絡したらわが自治体でもやっていることを知り応募したと、それにメタボが気になり、お腹まわりを少しスリムにしたい。中性脂肪を減らしたい等を話す。係りの方が苦笑いしながら記入していた。体重計に乗り、ハンドルのようなものを握って測る。これで体重は勿論、体脂肪、筋肉量、体水分量、蛋白質量、無機質量なるものがわかる。問題は体脂肪、15%-20%が適正なのに27.1%、それに筋肉量は90%-110%が適正なのに90%ぎりぎり、過脂肪で肥満に限りなく近い。食事で220Kcal、運動で330Kcal減らさないといけないと出た。そして身体年齢は5歳も上、何時も若く見えますねと言われるのにショック。沖縄旅行の直後だったので少し食べ過ぎて体重が増えていたこともあるから数値が逆に悪い分頑張れるかと自分に納得させている。

10月は測定と説明に終始し、塾大メイトという万歩計のようなものの説明もほとんどの機械が充電されていなくてパス。貸与されたメイトを充電して、速歩の時にメイトをつけて歩いてみた。湖畔端を1.5キロ往復3キロを歩くと大体速歩12-3分でカロリーが190Kcal前後と出た。10月はゆっくり歩いてくださいと先生に言われて、O脚是正と腕を振ること、足をあげることに留意して歩く、説明には足を踵から下ろし、足を上げてつま先を上に挙げるようにと言われたがそれに加えて指で蹴るように歩くようにしている。そうするとふくらはぎに負担がかかるからいいのかなと思っている。17日に二回目があり、メイトの取扱説明とストレッチをやるが運動不足の故、体が硬くなっているのがよくわかる。そして具体的に歩く練習をする。速歩にするとふくらはぎだけでなく前の筋肉も痛くなってきた。最後に15分位、ゆっくりと速歩を交互に歩いたが速歩のときに最後は足がもつれそうになってしまった。もう少し長くやっていたら倒れたかもしれない。毎日一時間歩いている男性の方もきついと言われていたので運動不足のサルがおかしくなっても当たり前かと変なところで安心する。今週は3回ばかりしか歩いていないが少しづつ筋肉の痛みが和らいでいるような気がする。半年後楽しみであるがこれから寒くなるのでW試練である。

熟大メイトなるものは優れもので、歩数は勿論のこと速歩の時間をカウントし、カロリーもわかる。それに日ごとの速歩時間とカロリーをカウントして記憶してくれる。一か月を集計してくれる。だから例月が楽しみである。数値が上がることを期待したい。それと歩くのにストレッチ?と思ったがこれが使わない筋肉をほぐしてくれる。まだまだほぐすほどまで行かないが椎間板ヘルニアをやってから尾骶骨あたりの筋肉が変だったがそれが顕著になっている。筋肉がほぐれてきたらここ当たりも治るのかな期待したい。

2014年11月20日木曜日

ことば

john: 1: 1
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(聖書用語検索より

外国語は分からないが日本語のことばは非常に重宝だと思っている。
昔、営業をやっていた時「よく検討しましたが…」と言って、ろくに検討しなかったり、すでに上司と相談して結論を出ているのに「上司と相談してみます」と言って、「申し訳ありません。上司に相談したのですが…」とか、所々でこういうことをやっていた。バレたら一巻の終わりになるところをばれずに済んだことは少なからずあった。今でも思い出すとドキッとすることがある。そういう時は日本語のありがたさを味わったものである。

ある国の首相は、以前より顔に肉がついて太ったのかなと思わせる体系になっているが言葉の軽さは天下一品である。否、軽重を問いないことばを発している。たとえば、今でも汚染水が漏れているであろうと誰もが思っているのに何の根拠も示さないで「汚染水は完全にブロックされています」と言われる。言葉の遊びをやっているとしか思いない。昔、若者に対して同じ日本語なのに言葉が通じないと言われたことがあった。今、一国の首相の言っている言葉がわからない。「 戦後レジームからの脱却」って言われても戦後ってあったの戦前におじいちゃんがやっていた延長線上にあるのではないの?とぼけないでしっかりやって下さい。国民がわかることばを使おうよ。

エッ、解散するの何で?700億近くのお金使うそうだけど家計は日の車だけどお坊ちゃんにはそんなことわからないよね。解散してもいいけど議席減らすよ。こういうの墓穴を掘るというのしゃない?やめた方がいいと思うが下々のことは分からないお坊ちゃまだから好きなようにしたら、誰かが尻拭いしてくれるから安心して。がんばれ〇民〇党。

聖書のことばと同列におけないし置くつもりもないが人のことばと神のことばはなんと大きな違いだろうか。ことばとなられた方は、その歩まれた歩みは人々が魅了するものはなかった。むしろ人々が躓くような歩みをされた。自らを生きようとせず他者を生かすことに専念し、そのために誹謗中傷を甘んじて受けた。賞賛や誉れは彼の苦手とするものだったがことばに耳を傾けた人は大きな慰めと励ましを受けた。そこにいのちがあったからである。いのちはまた一つのいのちを生み出していった。首相よ言葉は人を生かす言葉でなければならない。あなたは言葉の権威と力を失わせている。

2014年11月17日月曜日

神よ

先週は東京からいつものMファミリーに加え、HファミリーとN姉妹(肉親の姉妹)と賑やかな集会だったが今日は8人と何時ものメンバーだけ、H姉の息子さんがちょうど帰っていて加わっての人数である。このギャップに少々萎える。それに午前中で終わるから猶の事鮮明になる。月に一回賑やかな集会があるだけでも感謝すべきであろう。事実、励まされ、助けられている。ただ受けるだけの集会というのは弱い。与える集会でないと力は出ない。イエス様のことばとして「受けるよりも与える方が幸いである」(使20:35)とある。霊の喜びをもってアクティブにと思うがこればかりは肉のわざではできない。人は助けられているようで助けており、人を助けているようで実は助けられているということは多々ある。わが集会ももしかしたらそのような集会であるかもしれない。

若いときに聞いた落語で題がそうだったかあるいは小噺であったか忘れてしまったが「長屋の花見」というのがあった。お酒を持ち寄りで花見に行ってその酒を飲んだら水であった。俺一人くらいとの思いがみんなの思いだった。だれだかわかる料理ならこのようなことは起こらないが誰かがわからないとなるとこういうことになるのが人間なのである。長く続けているといのちを失って形だけが残るということが少なくない。「いのちは形を求め、かたちはいのちを求める」という看板が仏具屋さんにあった。そして、いのちは形にとらわれない。ダビデが裸で踊った様はまさにそのようなものであろう。ミカルは体面を保とうとした。その差は大きい。反省を込めて、そしていのちを求めて

2014年11月16日日曜日

近頃思うこと

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがある。昔よく聞いた言葉であるが最近ほとんど聞かない。「我が道」を行く人が増えたから廃れてしまったのだろうか。

最近でもないが自分がものを見る目が批判的に見ているのに気づかされている。ひるがえってみればそれは物事を否定的に捉えていることである。大分前から「人の振り…」的なことは考えていなかったが物事を批判的に見ている自分を見て否定的発想になっているなということがわかる。
これは心の状態を表しているようである。時折ウツぽくなることがある。そんな時にはこんな状態になる。寒くなってきたり、何となく晴れやかなものがない今なりやすいのだろう。努力をするつもりはないが努めて物事を肯定的に捉えるようにしようと思っている。


2014年11月14日金曜日

寒さが

ついにテーブルにコタツ布団をかぶせパソコンをテーブルの上にのせて臨戦ならぬ臨冬態勢に入った。このところ暗くなってから湖岸を3キロばかり歩いていたが今日は寒く風があったので半分も行かないうちに帰って来てしまった。手袋は前からやっていたが今日はマフラーを首に巻いて行ったけど気力が萎えて帰ってきた次第である。そして今日から電気毛布を入れた。まだ布団に入ったら暖かければいいので切るが今まで布団に入ると布団の中はひんやりして、体を硬くしてじーっとしている。それで5分か10分位経つと体温で布団が温まるのでようやく寝心地が良くなる。これから朝が大変である。今まで夜中にトイレは平気だったがこれからは我慢との戦いである。朝の布団の中の心地よさはこれからどんどん増してくる。ぬるま湯に浸かったカエルのようにならなければいいがものぐさが顕著に出る季節になるから心しなければと思いつつもものぐさがすでに表れている。信仰の戦いは寒さとの戦いである。ちょっと大袈裟か北国の人が聞いたら笑われる前に馬鹿にされそう。こんなことを書いて自らを励まそうとしている。

2014年11月5日水曜日

距離をもって

最近でもないが聖書を読み、ある程度の内容がわかると「知識としての聖書」と捉えやすくなる。というほど知識があるわけではないが。

例えばコリント前書には教会の様子がそれもだいぶひどい状況が書かれている。コリントの教会はということはできるけど自分の適用ということをあまり考えない。よく考えてみれば不変なのは神だけではなく人もそうなのである。罪は悪のあらゆるものを生み出すという意味では人の心も、そして場所と時代も然りである。コリントの教会はひどい教会だ自分もよくないがあそこまではという思いが出てくる。イエス様は、
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。matt: 5:28
人を見るのに外面しか見ることができない。内面も精々ちょっと隙間を覗く位なものである。己などは外面は勿論のこと内面もほとんど知らない。全能の神は外面は勿論のこと内面もしっかりご存知である。だからコリントの教会はひどい教会だと言ってもいいが自分も然りであるという思いも持つべきであろう。聖霊の働きってこんなところに働かれるのではないだろうか。反省を込めて…。

2014年11月4日火曜日

「と」か「が」か

「主とともに歩む」というT伝道者lのブログをお気に入りに入れて読んでいる。色々示唆に富んでおり、奉仕先でのことなども書かれているので知っていると懐かしさを感じる。地名などが出てくるとグーグルやマップで検索したりしている。毎回ではないが聖書と福音を聞いたりしている。廉価で毎月送ってもらっている。一人はPCから取り込んで聞いており、それができない兄姉にコピーして渡している。短いメッセージは分かりやすく、少し時間のあるときでも聞けるから幸いである。

このタイトルに何かを言うつもりではない。最近、主とともに歩んでいますかとメッセージの中で語られたのでフッと考えた。それと同じ言葉なので引用しただけである。
メッセージの中で問われたとき自分はあまりそんなことは考えたことはなかったなぁ、「主のために」とか「主とともに」というアクティブなものはダメなのである。自他ともに認めるいい加減が着物を着て歩いている人間だから楽を考えてしまうのである。

「主とともに」と喜んでいる信仰者はそれはそれで感謝なことであり幸いなことである。しかし、信仰者の中には「主とともに」歩もうとすると努力を必要とする人がいる。サルもその一人なのである。
「ともに主がおられる」という結果は同じでも「主がともに」おられるというもう一つの歩みがある。何もしなくても上がろうが下がろうが罪を犯そうが「主はともに」おられるのである。偏在する神であれば当然であろう。神学のシの字も知らない者の独断である。能動的か受動的かの違いだけであるが大きな違いがある。能動的は肉を通して主に奉仕する。受動的は弱さを通して神に至る。正直言って「弱さに足踏み」するきらいがあるが、身近に主はおられるのだからすぐレスポンスすればいいのだがそれが…。時間はかかる。しかし「が」で行こう。否、これでしか行けないのである。

2014年11月1日土曜日

枯葉

木々は冬に備えて葉を落としていく、というよりも春に備えてと言った方が適切かもしれない。信州は夏は快適だが冬は寒い、自分の身も心も貧相なのが露呈されるようで直嫌だ。枯れ木のようになって生気のない木々、しかし考えてみれば厳しい寒さに耐え、春の日に芽をだし葉を広げて行く様を思い浮かべるとそのために枯れ木のような様が必要である。そんな風に考えると年とともに枯れて行く様を見ると春に備えてではなく再臨のキリストに会うためには必要なことのような気がする。そしてまだまだどころか肉が勢いよく生きている様を見ると木の足元にも及ばないことを教えられる。神よ、主よと叫ぶ前に神の造られた被造物に学ぶ必要がありそうだ。

紅葉

昨年のことを調べたわけではないが今年の紅葉は少し遅いのかなと車を運転しながら山々や街路樹を見て思わされる。そんなことを考えているうちにあれよあれよと山々は高い方から色づき、街路樹も散ってしまった木もある。そんな中で銀杏の黄色一色は鮮やかである。同じ木なのに赤や橙そして緑と色とりどりの葉は綺麗で心和ませてくれる。イエス様が「野の草…」と言われたのは生きているものに対して、枯葉はもう生命はない?人の死もこのように人に感動を与え、和ませてくれることができるということだ。現実には少ないが人は人間以外の被造物に倣う必要がありそう。

付け加えると道路の端に吹き溜まりのようにある落ち葉を見るとこれを片付ける人たちは大変だなぁと思ってしまう。しかし、原村の自然文化園では広場の芝生に落ちた枯葉をボランティアを募って片づけている。枯葉のままだと芝生が刈れてしまうそうだ。枯葉の量はすごいが農家はこれをたい肥に使うので引く手あまたとかボランティアであっても自分の家に持ち帰っていく人も少なくないようだ。枯葉は邪魔なようでしっかり活用の道がある。

2014年10月31日金曜日

クマの不思議な働き

今年は木の実が不作なのか信州ではクマの出没がいつもより多く、夕方のTVニュースではよくニュースになっている。シカやイノシシの被害も多いみたいで隣の市では明日はシカとイノシシの山狩り?で猟友会の人たちが入るので立ち入らないようにと放送が流れている。サルはまだ見たことがないがシカはよく見かけるという。木の実の不作は餌を求め人里に現れるから危険極まりない。

クマは木の実が豊作のときは近くに餌があるのであまり動き回らないらしい。しかし、木の実が少ないと餌を求めて動く行動範囲は広がってくる。そうする食べた木の実が近くではなく、遠いところに糞として落とすので、離れたところで木の実が芽をだし繁殖するという現象が起きる。木にとっては幸いなことらしい。花の受粉ではないが木の実は動けないのでクマによって移動して繁殖するという不思議な働きをする。面白いと思った。被害にあっている方や危険に見舞われている方に申し訳ないが木の実の不作は決してマイナスだけではなく、むしろ木にとってはありがたいことなのである。ちょっと大袈裟だけど不思議なメカニズムでもある。

2014年10月30日木曜日

移り変わり

最初に就職したのは和製タイプライターの製造会社だった。ワープロが出来ても役所などの書類はタイプライターで打たれたものでなければならなかったと記憶している。ワープロがだいぶ普及してからやっと変わりそしてパソコンにと移り変わった。あの頃の女子高校生の花形の職業はタイピストだった。そのような時代だから会社では商業高校あてに中古のタイプライターをリフォームして売っていた。一時期それを専門にやっていたこともあった。機械を組み立てるのは好きだったがTVの修理をやりたいために辞めて間もなく和製タイプライターは廃れ、今は博物館に行ってもない代物になった。どこかで壊れたタイプライターを見かけることがあるが汎用ではなくごく限られた職種に使われている代物である。

TVも東京オリンピックで爆発的に売れてそれ以降普及していったが当時はTVは高根の花だった。考証していないがあのころから日本の電機メーカーが大きくなってきたのではなかったかと思う。TVの少し前まではソニーや赤井のテープレコーダーが人気があった。特に赤井はアメリカにほとんど輸出していたのではなかったろうか。

TVを修理しながらナショナル(今のパナソニック)やその系統にあるビクターのTVは他のメーカーと違っていて回路図は同じでも真空管が違い、一本の真空管に二系統入っているので何となく複雑な感じがして苦手だった。後で分かったことだがナショナルはオランダのフィリップスから技術提携を受けて大きくなったと聞いている。だから真空管も他のメーカーと違うのである。サルが現役の頃ナショナルのシェーバーはフィリシェ-ブの名称で売っていた。ナショナルのシェーバーはフィリップスの刃をそのまま使っていたようで今のフィリップスのシェバ―の刃は昔のフィりシェーブの刃と外形は同じである。使いやすいので昔からそして今はフィリップス製を使っている。今、家電メーカーは四苦八苦の状態で昔の面影はない。かつて本家?をしのいだパナソニックも然りであり、今フィリップス製の製品がシェーバー以外でも見ることができる。正に栄枯盛衰、歴史は繰り返しているのか。

「アップル帝国の正体」なる本を読んでその恐ろしさを知る。アメリカの飛行機製造に日本の企業が深く関わっていることを知っていたがアップルが大半の部材は日本の企業製であることを知った。その貪欲さや緻密さに驚くとともに自社だけが儲けていく生き方に疑問を持った。昔ナショナルの真空管のパッケージの中に「共存共栄」の言葉が印刷されていた。会社と販売店とユーザーがともに利益を得るそのような意味である。多分松下幸之助の理念であろうし一市民としてはこのことに共感を得る。アップル製品は扱いないが利便性があっても使おうとも思わなくなった。驕っているのか貪欲なのかわからないが共に利益を得る姿勢のない会社は「驕る平家・・・」ではないが長くはないなと思った。当時、RCAやゼニスのTVの配線はハンダを使わず線を端子に絡めていて日本と違うなぁと変なところで感心したことがあったがその会社は今?アップルもその道をたどるような気がする。日本のメーカーもその道をたどっているようだがでもまだまだ望みがあるような気がする。というより期待したいと言った方が正しいかも。淡い期待であるかもしれないが日本という国はまた今と違った形で世界に羽ばたいていくような気がするし期待したい。日本という国はそんなことができる下地のある国であると思っている。

2014年10月20日月曜日

靖国って何

何度か靖国神社に行ったことがある。だれもいかないような裏まで行ってそこから帰ったこともあった。あるときは人が拝殿?に拝礼をしている姿を少し離れたところから眺めていた時もあった。眺めていてどこの神社よりもこの神社で拝礼をしている人が真摯だと思った。普通の神社では「商売繁盛、家内安全」を祈願しているであろうがここは違うような気がする。亡くなられた英霊に頭を垂れているといった方が適切かもしれない。それだけ特別な神社であることがわかる。

いつものことながら話題になるというか問題になるというか靖国神社の秋の例大祭に「高市氏ら3閣僚靖国神社を参拝」と新聞の一面に大きく載っていた。いつもかと思ってしまう。高市氏のコメントを聞いて腹が立ってきた。新聞には「国策に殉じ、国の存立を守ってくださった方に感謝と哀悼の誠をささげた。…」、山谷氏は「国のために尊いいのちをささげたみ霊に感謝の誠をささげた」と書かれてあった。言わんとしていることはなんとなくわかる。しかし、それがなぜ靖国でなければならないのか。そのための神社なのか、一つの宗教法人がそんな僭越なことができるのか。特に学徒動員された彼らを死に追いやったのは誰か、為政者ではないかその一人があなたがたではないか。そんな反省も見えない彼女らにあのようなことば笑わせるなと言いたい。ここにも日本人のあいまいさが出てくる。そしてこのあいまいさが当然のようにまかり通っているのである。過去の嫌なことは水に流すことのできる日本人、いざとなったら責任を取らない、あるいは取れないようにしている日本人。サルもその典型的な日本人であるから腹が立つのだろう。


この女が

こちらに引っ越してきて感じたことがある。田舎に行った時に感じるのと同じもので、それはここでは通用するが都会では通用しないなということである。多分、田舎の人もここに住んでいる人もそんなことは考えたこともないしこれが当然と思っているだろう。このことを感じたのはそう昔ではない。しかし、この伏線がある。自分が集会に集い信仰生活をしている中で感じたことがあった。それは外国の宣教師たちと接していく中で感じたことである。アメリカ人、イギリス人、ドイツ人といたがどこか際立ったものはなかった。彼らにではなく彼を通してよくわからないけど自分は典型的な日本人であることを教えられた。細かく分析する能力はないがそれを強く教えられた。

今振り返ってみれば、同じ日本人の中にいればそこで比較しても同じ日本人である。そう思いにくいが大した違いはない。文化とか気質の違ったある意味で異質なものを前にして逆に相手も然りだがそれ以上に自分の裸を見せつけられる。そして自分の真実を知るのである。真実を知ることはいいことかもしれないが知らなくてもいい。あるいは田舎やこの土地の人たちはそれで満足していたらそれでいいのかもしれない。

アダムが神に裸であることを問われたときに「この女が」と言った。「…私の骨からの骨。私の肉からの肉。…」と小躍りして叫んだのに「この女が」と言ってしまう。なんと大きな様変わりであろう。罪は一つのものを二つにしてしまった。否一つになれなくなったのである。そして否定する世界が生まれた。カインはアベルに妬みを感じたかもしれない。それよりアベルを受け入れられなくなったと見る。移植された臓器が拒否反応を起こすように、バベルの塔に表される人間のおごりは、人が神になろうとしたのではなく、神を拒否した結果があーなったのだと思っている。結果は同じか。自分が否定的な人間であることがわかったのは神が肯定的な方であるとわかった結果である。罪の世界は絶えず分離していくように感じる。相手と違うことで自分の存在を示していくように思う。イエス様は罪を贖いあらゆるものを一つにしようとしてくださっている。すべての人が悔い改めるときが来るのだろうか。

2014年10月18日土曜日

思うこと 続き

この年になるとナイナイづくしのサルではあるが健康であることに感謝している。内実は大分ガタついてはいるが日常生活に差し障りもなく、最近は3-5キロを週五日の割で歩くようにしている。それと時折自転車に乗っている。お蔭で運動不足からくる心臓の痛みも最近はあまりなくなった。昨日は少しゆっくりではあったが100mばかり走って膝と心臓に痛みを感じなかった。これで中性脂肪も減り、血圧も下がると万々歳だがどうなるか。

昨日、霊的祝福について少しふれたがキリスト者が祝福という時、健康、経済的、仕事、教会生活が守られているとよく使うのではないだろうか。確かに感謝なことであり、祝福であるかもしれない。しかし、これらが守られなかったら祝福ではないと言えるだろうか。キリスト者の中に信仰を因果応報的に捉えるきらいがある。忠実に歩いているから祝福があり、何か問題あると信仰に問題がるのではと自分も他者も憶測する。わたしたちが祝福されているという時、それが地上の営みの中で捉えるとそれは絶えず変化していく、地上では不変はあり得ない。それに伴って信仰を推し量らないだろうか。神の祝福は不変なはずである。間違っているとは思わないがどこかボタンの掛け違いをしているようで仕方がないのである。健康でなくても、お金がなくても、仕事がうまくいかなくとも、教会生活に何かと悩むことがあっても神の祝福は不変であろう。勿論、大変なことであることはよくわかる。といっても経験している本人しか解らないことではあるが。こう書くことこの辺は超越しているのかと思われるそうだがこの辺は現在進行形で自分もその渦中にあるということなのである。こんなことを書いて自分を納得させているのかもしれない。それでも神の救いや恵みの高邁なものが人間の低い次元に引き下ろされているようで仕方がない。

2014年10月17日金曜日

思うこと

共同訳は章、節に関係なく内容区分ごとに小見出しがついている。聖書をよく知らない人にはとても便利であろう。よく知るか知らないかは別にしても短い言葉で内容を知ることができることはサルにとってもとても便利である。来年の通読は共同訳にしようかなと思ったりもしている。新改訳聖書の革は持ち物の誇りに繋がるようで抵抗あるのにどう間違ったか共同訳は革である。だから何と聞かれても困るが…。

エペソ書1章3節から14節は、共同訳では「神の恵みはキリストにおいて満ち溢れている」と題がついている。3節に「…父である神は、ほめたたえられますように。…」、6節に「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」、12節に「…以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。」、14節に「…神の栄光をたたえるためです。」と、たった12節の中に「神をたたえる」言葉は4回も出てくる。ここを見ているとまず第一になすべきことは神をほめたたえることであることがわかる。まさに一に「神をほめたたえ」、二に「神をほめたたえ」、三・四がなくて、五に「神をほめたたえ」ることであろうか。罪にまみれている中でも「神をほめたたえる」ことが必要であろう。その前に「悔い改めが」となるかもしれないがそれは教会でやればいい。第一のものを第一とするなら自ずから第二のpものは第二となる。真に第一のものを第一にしなかったら第二、第三のものが第一の位置についてしまうのである。

最近でもないがよくTVに成長している会社がプロジェクトの責任者を若い人たちに委ねている。そしてそれを成功させているのを見るとすごいなぁと思う。経営者がそれだけの力があることを見抜いていたのであろう。翻って教会で賜物と言われるものは、厳密には賜物ではなく能力ではないであろうかと思ったりしている。敢えて能力と言わせてもらうが能力のある人たちが多く集って、信者の人数も増えて大きな組織となっている教会を知っている。しかし、その内実は分からないがそこを出されたり、出たりしている人を身近に見ているとその人たちに問題があるようには見えない。真に賜物があればそんなことはありえないはずだが能力とすれば理解できる。

3節の「天のあるゆる祝福で満たしてくださいました。」と、この祝福は目に見るものは勿論、目に見えない諸々のものを含んでいる。過去形になっており、極端な言い方をすれば罪にまみれていようが群れの外にいようが「祝福で満たす」ことには変わりはない。信仰がエレベーターのように上がったり下がったりしていようが関係ない。神が宣言したことは絶対なのである。わたしたちが見落としがちな目に見えない霊的祝福を見失わないようにしたいものである。

2章の小見出しは「死から命へ」、ここでは罪と死と救いが記されている。これは次に来るものであることをパウロは言っているような気がする。まず第一は「神をほめたたえる」、それから救いが来るとサルは信じている。救われなかったら「神をほめたたえ」られないではないかと言うだろう。事実そうであると思う。しかし、これが第一に来ると第一のものが第二、第三になるのである。以上

今も生きているもの、失ったもの

幾つかのブログをお気に入りに入れて読んでいる。長文や難しい神学などが書かれていると斜め読みであったり、タイトルだけで終わりということもある。それらの中に時折本の名前が出てくる。その中で興味あるものをアマゾンでみる。あれば注文して、大体千円から二千円くらいのものが多い。神学的なものは難しいのと高いので今は買わない。少し前までは難しいなと思いながらかじってみたくて買ったりしたことはあったが歯が立たないので今はない。最近買う本は大体読みやすい。

後藤敏夫さんの「どこかに泉が湧くように」のブログに「来てください沈むことのない光」の名前が載っていた。珍しい題名なのでアマゾンで検索したら在庫があり注文する。本を手にしたらサブタイトルに「初期キリスト者たちのことば」とあった。この本はテゼ共同体で編集されもので、このテゼ共同体なるものは訳者があとがきで紹介している。


訳者あとがきに、(一部抜粋)
 第二次世界大戦の火ぶたが切られて2年め、1940年の夏、25歳のロジェは、故郷スイスを離  れ、フランスのブルゴーニュ―地方にある寒村テゼに足を踏み入れました。その時、彼は一つのあこがれを抱いていました。それは、戦争による世界の分裂の中で、人類の「和解のしるし」、「交わりのたとえ」になるようなキリスト者の共同体を始めたいというあこがれでした。ロジェは一人テゼの村で暮らし始め、ナチスから逃れてきたユダヤ人難民たちを自分の家に迎え入れ、かくまいました。やがて彼のまわりに、その志に共鳴した仲間たちが集まり、祈りと労働の共同生活が始まります。
 これが、今日エキュメニカルな男子修道会として知られているテゼ共同体の始まりでした。現在テゼでは、カトリックとプロテスタント諸教派出身の約100名の修道士(ブラサザー)が共同生活を送っている。その中には、世界の最も貧しい地域に身を置き、現地の人々と一緒に祈りつつ生活する修道士(ブラサザー)たちもいます。またテゼは、年間を通して何万もの若い人々が世界各地から集まり、共に祈り、黙想し、語り合う、出会いの場としても知られている。』

エキュメニカルと言われると人間的な思いと力の結びつきの感があり、サルは否定的である。「しかし、彼らは祈りと黙想を主体としそこから行動を起こしている。そんな雰囲気があり、共観が持てる。序の部分に、
 

はじめに

 不可分ふりがなで「ひとつ」とあるの教会の証人たち

年間を通じて数多くの若者たちを迎え入れながら、テゼの丘に暮らすブラザーたちの共同体はいつも変わらなぬ問いを抱いている。
 「どのようにして、この若者たちと共に、信仰の源泉へと向かっていけるのか。どのようにして、神への信頼の内に生きがいを見つけ、自分自身を捧げる勇気を見出していけるのか」。』

との問いに、

 『困難な状況の中をくぐり抜けるときにも、聖霊に支えられて、信仰からくる信頼を自らのうちに繰り返し芽生えさせるためには、同じ道を先に歩いた人々による道案内が必要である。彼らは私たちの深みに、信頼という大胆さを呼び覚ましてくれます。…私たちのすぐ近くに神の愛の証しをする人々がいると同時に、その先達たちがいます。わたしたちがキリストに従い、信仰の神秘をより深く理解する旅を続けるためには、あらゆる時代のキリスト者たちの信仰によって支えてもらう必要があるのです。
 そのような目的で、テゼ共同体はこの抜粋集を作成しました。今日を生きるわたしたちが、「教会教父」と呼ばれる初期の偉大な証人たちに耳を傾けるためです。…』

そして、教父と言われている人たちが語り、記したものがこの本である。まだ最初しか読んでいないが最初の手紙を読んで、二千年の隔たりを感じない。共感を得るのである。そしてまた、物の豊かさの中で失ったものを明らかにしている。今日の教会を見るとといっても側面からであるが伝道と教会生活が中心である。この二つは大切であり、信仰生活に欠かせないものである。しかし、初代教会はそうでもなかったように思われる。伝道や教会生活はどこかアクティブのように見えるが「守」なのである。その枠から外れたらジ・エンド。ペテロのメッセージで三千人、五千人と信者が増えていく中で個もないであろうと思われるが一人一人個が大切にされているような気がする。それは福音書を読むときにイエス様がそのようになされた。御霊が弟子たちをイエス様と違った方法を取ることなどありえない。最初に、


使徒時代

  生きよう、世の魂として

 一世紀末および二世紀のキリスト者たちが生きた時代は、まだ使徒たちの時代から、そう時を隔てていなかった。ほとんどの場合周囲から認められることのない中で、彼らは新しい生き方を示していた。それは、キリストの復活への信仰に根ざしした生き方。その中に殉教者たちがいた。殉教者たちは、道を照らす光のようであり、すべてを新たにするキリストの愛の生きたしるしであった。

ディオブネトスへの手紙
 190-200年ごろ。著者の名は不明。非キリスト者に宛てて書き送られている。

 キリスト者は、国によっても、言語によっても、衣服によっても、他の人々と区別されません。特別な町に住んでいるわけではないし、風変わりな方言を用いるわけでもありません。(・・・)衣服、食物、生活様式などについては、その土地その土地のやり方に順応しています。しかし、彼らは、ただ神の霊によって生かされるひとつの共同体に卜しているがゆえに、驚くべき、全く逆説的な態度を示します。
 彼らは市民としてのあらゆる義務を果たし、税を負担しています。すべての外国も彼らにとっては祖国であり、またすべての祖国が外国です。彼らはみなと同じように結婚し、子どもを持ちますが、生まれたばかりの赤ん坊を捨てたりはしません。また、皆で同じ食卓を共に囲んでも、皆と同じ寝床に入ったりはしません。この世に生きていますが、この世に従って生きていません。地上での生を送りますが、天の市民なのです。定められた法律に従っていますが、彼らの生き方はそれらの法をはるかに超えています。
 彼らはすべてを愛しますが、人々は彼らを迫害します。彼らを認めず、非難し、殺します。しかし、それによってキリスト者たちは命を得るのです。彼らは貧しいですが、多くの人を富ませます。すべてを欠いていますが、すべてにおいてあり余るほど豊かです。人々は彼らを軽蔑しますが、彼らはその軽蔑に中に自らの名誉を見出します。人々は中傷しますが、それによって義とされます。人々は彼らを侮辱しますが、彼らは人々を祝福します。(・・・)
 ひとことで言えば、からだに魂が宿るように、キリスト者はこの世に宿る魂なのです。魂が体の各部に行きわたっているように、キリスト者もこの世の町々に浸透しています。(・・・)
 迫害されても、キリスト者は日々のその数を増しています。神が彼らに委ねられた責任はあまりにも重大です。そこから逃げ出すことができないほど、重大なのです。

 神が人類に遣わされたのは、ほかでもなく、宇宙の創造主であるキリストです。人間の知性ではこれを思い描くことができないので、この神の行為について横暴さを感じたり、恐れや不安を抱いたりします。しかし、決してそうではなく、全くの善意とやさしさのうちに、一人の王が、やはり王である自分の子を遣わすように、神は、神である御子を遣わされました。それは、荒々しい力によってではなく、説得によって人類を救うのがふさわしいと思われたからです。神のうちにはいかなる暴力も存在しません。神が御子を遣わされたのは、私たちをとがめるためではなく、ご自分のもとに招き寄せるためでした。わたしたちを愛しておられたからであり、裁くためではなかったのです。』







2014年10月8日水曜日

床屋

何がと言って床屋ほど嫌いなものはない。
20年くらい前、家内にタダで際、格好悪いのに丸狩りしたらさらに格好悪くなると言われながら失業したときに丸坊主にした。確かに格好悪くなったがどうしようもない。しかし、次の床屋が先にのびたので大分助かった。嫌いな第一は、大きな鏡の前に座って自分の顔を見なければいけないことである。勿論カットのときは目をつぶっているが終わっていかがでしょうかと言われて目をつむっているわけにもいかず渋々わが顔を見る。白雪姫のお義母さんが鏡の前で「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ」と自分であることをわかって問うている。あの自信が羨ましい。第二は、髪が細いので整髪ができない。やっても髪がぺしゃんこになって、その上右に左と髪がなびいてしまう。今はカットだけだから適当にしているが。まぁ髪のない人から言わせればぜいたくな悩みかもしれないが、早く坊主になればとは冬の寒さを思うと思えず。2か月に一回の忍耐にしておくか。





自転車で

髪が伸びたので久し振りに自転車で床屋に行ってきた。床屋も自転車もW久ぶりなのである。ここ何日か歩いているので息切れはしなくなったが久しぶりの自転車だと膝に負担がかかるのがわかる。それでも少しペタルを踏んでいるとそれほどでもなくなった。湖畔端を走り釜口水門の手前から中に入って行くとかすかな上り坂になる。踏切を渡り丸山橋陸橋の急坂を上らず脇にそれてイルフの脇に出る。丸山橋は急坂なのに脇は坂を感じさせないほど緩やかである。昔飲み屋街だったのかその看板もありまだやっていそうな店もチラホと見える。そこからゆっくりとゆるやかな坂を下って床屋へ、この店は駅の近くにあるので終わってから駅前のララ岡谷に寄る。ここも久しぶり、LCVや周りの店は変わらずで、以前来たときは広く空いていたところにリサイクルショップができていた。人はちらほらだが空きスペースが埋まっていることはいいことだ。そこを後にして戻るようにイルフの食品館などによって、いつものように狭い道をあっちに行ったり、こっちに行ったりとぶラブラと走る。自転車の楽しみはこれにある。歩いて庭先をじろじろ見ると何者かと怪しまれるが自転車だとそう見られてもサッと行けるから安心である。時には行ったり来たりして見ることもあるから実に都合がいい。しかしあまりじろじろ見ていると空き巣狙いに間違われるかなと思ってさりげなくやる。

人が移動する手段によって、当たり前のことだが目に見えるものと距離が違ってくる。歩いていると足元と身の周りがよく見える距離が出ない。自転車は距離が延びる。バイクはさらに距離が延び、それと山の中や急坂でも入れる。自動車は距離が出るが細かい身の周りは見えない。信仰生活や教会もこれらに当てはまるような気がする。大きな教会は人も大勢集まり、活動も活発で効率がいいから結果が出る。小さいところは十年一日のごとく相変わらずで変化はない。あるとすれば平均年齢が上がったくらいとなる。どことは言わないが。まぁ色々な移動方法があるように信仰も然りであって当然であろう。神はそれを良しとされたと思うがちょっと言い訳っぽいかな。現代は効率一本やり、愚鈍のことばは過去のものとなった。しかし、ここにしっかり生きている。


2014年10月3日金曜日

冷めているのか

御岳山の災害をニュースで見ていると色々な思いが去来する。
まず感謝なことは危険な山に登り灰だらけになって救助活動をされている方々のご苦労と二次災害が起きていないことである。責任者はその決断で人の命を失うかもしれないと思うとその責は重いし大変だろうなと思う。大半の自衛隊員、イザ戦争となれば死地に向かうのである。それを為政者は強制しようとしている。それはあってはならないこと、それを防ぐのが為政者の務めではないのではないだろうか。

それとお天気が悪くなり、ガスも発生して危険になって救助活動を中断している時だったかその時かどうか忘れたがテレビに被災された方の家族かコメントしていたのが気になった。正確なことばは忘れたが早く救助してほしいようなことを言っていた。そこには身内の安否を気遣う思いがあっても命がけで救助活動をされている人たちに対する感謝と配慮を見ることはなかった。

亡くなられた方のことが痛まれて色々書かれているが犯罪を犯して刑に服している人たちがこの災害に会ったら天罰と納得するのか命を失うのにも色々な形がある。これが幸せこれが不幸死なんてない。精々亡くなった時にハレルヤというキリスト者位なものである。すべてではないが。

あらためなくとも地上では不変という言葉はあっても実在しない。たえず移り変わっていく、絶えず身の回りに危険がいっぱいなのである。だから今元気に生きていられること、生活が守られていることこれは奇蹟なのである。当然として受け取るものはない。たとえ働いてその報酬を得ても然りである。

疲れ

以前ある牧師のブログを要約するのが面倒で丸写しにして載せ、それに?を加えた文章を書いたらどこでどう見つけたのかコメントが帰ってきた。このブログは発信とより自分のリハビリのための文章書きなのでただ書くだでけコメントが来ても返事は書かない。というよりも書けないと言った方が正直なところであるが。何事もそうなのであろうがIT関係と書くと大げさだがパソコンを使っていて、一つ分からないとその先に行けない。ダメなものは後回しにして解るところからとはいかないところが嫌なところである。アイ何とかは使えないがタブレットはいつか使えるようになりたいと思っているが能力的にも金銭的にもまだそこまでいってない。コロンブスの卵ではないが何だそんなことかで終ってしまうのが大半であるからパソコンは苦手だぁ。自己流でやってきたけど、最初の頃は息子のパソコンを何回もおかしくして今日がある。息子たちには色々な意味で、即ち、中には単純に感謝できないものもあるが感謝している。前置きが長くなったが先月の上沼先生のメールの中に部分抜粋だがこのようなことが書いてあった。見つけられないからというのではなく、要約して書けないので無断転載させてもらう。しかし、コピーして貼り付けではなく、ブラインドタッチの練習を兼ねてこの指で写している。どこもかしこもスムーズにいかないお年頃、指も然りである。


 『他者を視点に哲学してきたレヴィナスに「疲労」についての文章があります。ユダヤ人でしたが、フランス軍に従軍してドイツ軍の捕虜となって重労働についてときに書いたもので、戦後すぐに出版されています。興味深いのは「疲労」を哲学のテーマに取り上げていることと、「疲労」が他者をとらえていく契機にもなっていることです。

 それまでのドイツ観念論を中心にした西洋の哲学は強者のためのものでした。現象学が出て来てから人間が醸し出す重い気分が哲学のテーマになってきました。ハイデガーの存在の「不安」とかサルトルの「吐き気」が、人間のあり方を知る手がかりになってきました。それでも自分を中心とした存在理解です。レヴィナスにとっては、自分の手に負えない「疲労」が、自分の手に負えない「他者」を考える契機になっています。他者を視点に自分の存在を考える、今までにない思考です。

 疲れたとき、疲れ果てたとき、自分が自分でなくなり、手が負えなくなります。それでも自分から逃れることはできません。疲労を負ったまま自分であることに耐えなければなりません。休息を取ることで自分を回復していきます。それでも休息を取っても回復しない疲れがあります。疲れが知らないうちに積み重なって、自分であることを放棄したくなります。それでも自分から離れることはできません。だれにも理解されない、誰とも共有できない「一存在の孤独」です。

 レヴィナスはそんな疲労のもたらす「ずれ」を人間の存在を理解する手がかりにします。「疲労の基本的性格」を「存在の自分自身との食い違い」と表現します。「ものに従事できなくなること」であり、「存在が自分の執着しているものと不断にますます食い違ってゆくこと」です。自分の存在には自分の手に負えないことが避けられないこととして侵入してきます。どんなに堅く自分を守っていても忍び込んできます。レヴィナスはそれを疲労という誰もが経験する現象の分析から捉えたのです。

 レヴィナスは、疲労をこのように他者を視点に入れる手がかりとして、さらにそれに伴う私たちの営みそのものをも他者の視点で見ていきます。仕事、結婚、家庭、子を生むこと、年を取ること、どれも疲労が伴っています。驚くことに実際に、レヴィナスはこれからを哲学のテーマとして展開していきます。身近なことで自分の手に負えないこと、それに囲まれていること、それがまさに人生です。自分ですべてをまかなっているかのような錯覚からの断絶です。

 父の看病も当然疲労が伴います。それでもどこかで回復できます。父は少しだけ回復して、また休む間もなく坂道を登り続けなければなりません。そんな父を見ていて、また父を看病していて、「疲れること」「疲労」が人生に重くのしかかっていて、しかも自分を外から見ていく手がかりになり、さらに自分を超えた彼方を見ていく手がかりにもなっているのだろうと、思いを馳せています。』


先生は哲学を勉強されているので神学とか哲学のことを書かれるとレヴィナスの名前くらいはわかるが後は斜め読みなってしまう。このくらいだとレヴィナスだけでなく他も何とか理解できる。というよりどこか共観するものがあるからだろう。年を取って色々な「弱さ」というものを自分の弱さを通して、他者の弱さを見えることがある。リタイアする前は「自分の弱さをどう見せないようにするか他者の弱さを鋭く批判する」そんな姿を思い出した。今は自分の弱さを隠すこともなく、また他者の弱さに共感できるようになった。

ここに書かれていることと合うかどうかわからないが「疲れ」というものも身近に感じている。それは肉体的なものも然りだがそれ以上に精神的なものあるいは心と言ってもいいかもしれない。弱さにつながるものがある。あるいは傷つきやすい?タフではないのである。イエス様は、
matt:11:28
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
と言われた。重荷を負ってイエス様のところに行けばいいのだが重荷を置いてイエス様のところに行く。だからいつも重荷を背負っている。これが弱さであり、そこから疲れが出てくるのである。言わんとしていることと自分が思っていることとは同じであるかはどうかわからないがこのことを読んでそんなことを思った。

ウオーキング

いい番組だなぁと思いながら滅多に観ることのない「ためしてガッテン」を珍しくチラチラと観てしまった。それは「たった3分で筋力アップ」に魅かれてみてしまったのである。昔家電製品が主だと思ったが「軽・薄・短小」という言葉が流行った。あの頃はあまり好きではなかったが今は「楽」を加えて大好きである。というより軽い物しか持てない、本は薄くないとダメ、文章は短くないと読んでいく先から忘れてしまう。それ故難しいことはダメときているから求めてしまうというよりかこの年になるとからだがこれしか受け付けないというのが正直な話。

お気に入りにいくつかのブログを入れているがその一つはイラク長くて、偶に短い文章のときは読むけど後はタイトルと数行読んで終わりにしている。それに難しい。サルはどこそこに行っておまんじゅうや団子を売っているとあまりおいしくないなと思いながらもつい買ってしまってやはりおいしくなかったなんてのが主体であるから対極にある人ではあるが。

そんな状況だから「たった3分」は魅力である。それに筋力アップもある。高血圧と中性脂肪の薬を飲んでいるがこれは運動不足の結果であることを医者に言われている。お腹周りの眺めて「メタボ」の言葉が不吉に絡みついてくる。

各自治体でやっていることなのであろうが信州では「長野県長寿社会開発センター」なるものがあってシニアのために活動している。取材されていた「熟年体育大学」は信大の中にあるNPO法人でその働きは松本市もシニアのためにそれに参加しているようである。後で分かったことであるが我が町もその講座をやっていることを知った。勿論早速申し込んだのであるが半年くらい前にシニア対象の集まりがあり、諸々の講座の案内をもらったが全く関心がなかったがこれも一つあったのかもしれない。

これはインターバル速歩と言ってゆっくり3分歩き、次にきつめの速歩で3分歩くのを繰り返してトータルで一週間60分歩く、一日15分だと五日歩けばいい。そして歩き終わった直後に牛乳を200ml飲む、これが筋力アップのコツなのだそうだ。これだったらできそうと思い歩き始めた。歩いて数分のところに湖岸のウオーキング、ジョキングコースがある。いつも目の前にして素通りであり、朝起きて外を見ると湖岸を歩いている人が頭だけ見える。切れ目なく見える。結構いるなと思いながら自分もとは思わない。歩くのは夕方下手すると暗くなってからである。恥ずかしいとかというのではなく、夕飯の前の時間が空いたところがこの時間、家内は午後の空いた時間に歩き、その後コーヒータイムにしてお菓子をつまんでTVを観る。観終わって夕食の支度、サルはそれから歩く。1.5キロ往復3キロの距離を歩いている。日によって倍近くになったり、半分になったりしているが。最初はほとんど歩いていないので足はもつれしまってうまく歩けなかった。だから今もゆっくり歩いている。それにO脚だから踵から着いても外側そして内側にそれから前の外側、内側となるから足の裏は不安定。だから内股の感じでゆっくり歩いて軌道修正している。靴の踵の減り方が外側が極端であるから長く履いた靴や底が柔らかい靴だと不安定。今のところ気をつけているがいつまで続くか疑問、長いのは無理だからなぁ。

それと自転車で5キロ10キロは平地の所為もあるが平気だけれど速歩だと胸と耳が痛くなる。運動不足がてき面にわかる。だからインターバル速歩は今のところゆっくりの部分だけ、速歩は当分先の話、「継続は力なり」のことばがあるがこれから寒くなってきたらどうなるかオフシーズンで春まで待つなんてことになるかもしれない。可能性大、それでもまた始まればいいがそのままオフなんてことにもなりかねない。三日坊主にはならないが2,3ヶ月とか半年何てことはざらだからなぁ。でもおトロイに対処していかないととは思っている。

2014年9月29日月曜日

御岳山噴火

昨日のお昼にTVを見ていたら画面の脇に御岳山噴火と出ている。木曽の御岳山とは最初気づかなかった。その前日は出かけていて夜帰ってきたからTVはほとんど見ていない。昨日は午前中集会でTVは帰って来てから昼食の時につけて気が付いた。朝出かけるとき車に白い砂がうっすらと掛かっていた。今頃黄砂かと思いながらモップで拭いたのだがあれは噴火の灰だったのだ。詳しい内容がわからず溶岩も流れていないようなので最初は広島の土石流災害の時と同じように軽く考えていた。灰をかぶっている登山者の姿を見てそれでも助かっているからとそれほどでもなく思っていたが次第に明らかになり、そのすごさを改めて知る。最初は数名の心肺停止者がいるとテロップで流れてそのくらいかと思っていたら30数名がすでに亡くなっているとか、考えてみればシーズン中の出来事、大勢の登山者がいたのだろうと思うと数字はもっと上がるのではないだろうか。
浅間山は偶にあちらの方に出かけるときは煙が出ていることがあり、ここは活火山なのだとという認識を何時も持っている。爆発したらどうなるだろうなどと考えたりしていたが御岳山は全然なかった。それに少し遠いから実害はないし、精々降灰位なものである。しかし木曽の方は降灰で野菜が大変みたいだ。
それと詳しいニュ-スが入ってくると降灰のすごさが伝わってくる。熱さと岩石、それと見ている前で灰が積もって動けなくなっている人をの活字を見て、聖書の中のソドムとゴモラが滅ぼされ、ロトの妻が振り返って塩の柱になったあの箇所を思い出した。溶岩でなら一瞬で跡形もなくなるだろうが灰は熱くとも形は残るのであろう。

1thess: 5: 3
人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
終末はこのようにして来るのだろうかこうでなくともこれに近いようなことは起きるのだろう。戦争と戦争のうわさより、平和だ安全だと言っている時がもっと危機的であろう。正直言って実害がないとどこかのんびりして切迫感がない。反省しなければと思いつつ、霊的切迫感を養わないと思わされた。

甲府まで

水草牧師のブログに紹介されていた映画「ふうけんもん」を甲府まで行って観てきた。〔内容、上映事情は http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140925/p1 (グーグルか小海キリスト教会牧師所感で検索)〕モデルになった右近勝吉さんは便利屋の元祖として名前だけは知っていたがヤクザ出身?とは知らなかった。
中村雅俊、浅野ゆう子主演、それに河相我聞、哀川翔、竹中直人、本田博太郎、藤村俊二、笹野高史、中村玉緒、久米明、竹脇無我、鶴見慎吾とよく知られている役者が出ているのでどんな役かなと思ったら我聞以外はほとんどチョイ役、ストーリーは細切れだがそれでもつながってくるのがわかる。映像も音響もいいかなと思うがどこか手法が現代プロダクションの映画に似ている。石井十次をモデルにした松平健主演の「石井のお父さんありがとう」、石井筆子を常盤貴子が演した「筆子・その愛」、そして留岡幸助を村上弘明が演じた「大地の詩」がある。この三人は明治期に活躍したキリスト者である。石井十次は日本で最初の孤児院を開いた人で一時は千人からの子どもを預かったと言われる。石井筆子は最初の知的障碍者の施設滝乃川学園を留岡幸助は免囚事業を本間俊平もこの人に影響されて山口県秋吉台で刑務所を出所した人たちを受け入れ共に大理石を掘っていた。どんな経緯でこの映画は制作されたのだろう。アーサーホーランド牧師が出演したり、聖書のメッセージが語られたり、右近さんは現在も活躍されているキリスト者である。プロデューサーであり、プロダクションの代表である金・テレサ氏はどのような人か。映画本題よりもそちらに興味を持ってしまった。
前々日が長野で公開されたが長野市まで100キロ、甲府市は80キロ弱こちらが近い。そこまで行って観に行く価値がと問われそうだがこの間群馬の行ったのと同じで行くこと自体が何かチャレンジしているようでその達成感が大きいような気がする。

2014年9月27日土曜日

聖書教理がわかる94章

「聖書教理がわかる94章」を6月の何時頃からか始めて今日打ち終えた。一日一善ではないが一日一章、一週間五章の目標でやってきたが大体そんな感じになった。身についたと聞かれたら「ツカン」と答えるしかない。ブラインドタッチも進歩がないなぁ。千鳥足ならぬ千鳥指である。本を見ながら打つのと画面見ながら打つのでは大分違う。画面見ながらだと大体間違わないが本を横にして見ながらでは結構間違う。間違うというより母音が抜ける。それとこちらの責任ではないが変換が変に変換される。でも2003に比べて2013は語彙も増えて大分良くなっている感じ、漢字の追加もあまりしなくてすんでいる。

どれだけ身に着いたかが問題だがこれが問題、ほとんどついてない。でも最初から分かっていたからショックはない。これから必要な章を見ていけばいい。小さな集まりだから教会の概念がというか意識が少ないのではと思っているので「教会」を参考に話そうかなと思っている。救いは単純?だが教会の奥義は深い。深くは汲めないから簡単に。

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」の木宮良子の名ナレーションで始まる「君の名は」、日曜の8時台、女風呂が空になると言われるほどの人気だった。キムタクなんか目じゃない。

この年になると忘れっぽくなったのか覚えられなくなったのかはたまた両方か、多分両方だろう。 大分前に忘れっぽくなったことが意識するようになって前半の「忘却とは忘れ去ることなり。」がまさにそうだと記憶によみがえってきた。最近さらに進んだ所為か後半を思い出している。後半は忘れようとしても忘れられないということだろうから哀しい現実があるが考えてみれが羨ましい限りである。しかし、嫌なことも忘れるからまるっきりダメと言うわけではないから功罪相半ばするか。

パソコンに打ちながら、前の所を読み直したりして頷きながら、覚えられない忘れやすいは年の所為だけでなく、学生や社会人のように覚えなければならないという切羽詰まったものがないからだとおもうようになった。忘れても困ったで済むから努力が欠落しつつある。これは下記の聖書のことばがそう遠くなく経験するだろうという思いもあるからである。
1cor:13:12
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

2014年9月23日火曜日

鴨が

漕艇場の近くを自転車で走っていたら道路に鴨が数羽日向ぼっこかのんびりくつろいでいる。湖岸に面した道路で普段は数は多くはないが絶えず車が走っているところである。昼過ぎの所為かたまたまか車が走っていなかった所為かのんびり日向ぼっこをしているのだろう。反対車線から来た車が珍しいので車を止めて写真を撮っていた。岸辺に上がって日向ぼっこをしている姿を見ることはあっても道路の真ん中では初めてである。結構大きいが親鳥ではなさそう。

この様子を見ていたら今はどうかわからないが、以前に東京の丸の内でどこの会社か忘れたがそこの池で孵化したカルガモが親鳥を先頭に数匹が皇居のお堀に引っ越すのが毎年ニュースになっていた。一度ちょうどその引越しに出会ったことがある。カルガモが渡りきるまでお巡りさんが車を止めていたように記憶している。結構車の通りが多いパレスホテルから気象庁の間のところだと思ったが記憶は定かではない。だれも文句も言わず何とも微笑ましい光景だった。今回の鴨は少し大きくなっているがその鷹揚さに感心する。それでも人が近づけばサーと湖の方に走って行ったがいつか鴨と言わず動物と子どもが戯れることをイザヤは告白している(イザヤ11:6-9)。創造の神はいつかこのことを実現してくれるだろう。はなはだよかった創造のわざがたった一つの過ちで多くのものを損なってしまったけれど創造の神はイエス様を通して罪からの救いをもたらし、回復された被造物の世界は想像をはるかに超えたものであろう。再臨の主でなくともそう先のことではないから楽しみである。

2014年9月19日金曜日

日本の神々と聖書の神

東京にいるとき、職場が秋葉原だったので、神田明神や湯島天神は近かった。神田明神は歩いて10分、湯島天神も近くに保険組合と年金基金があって、手続等で行った時は必ず寄っていた。学問の神様だからそういうものの対極にいるサルだから信仰心があったわけではない。境内もそれほど広くなくというより狭い。それでも人はそれなりにいて、なぜか落ち着くのである。それと絵馬が沢山ぶら下がっており、これをよむのが好きなのである。絵馬はここが元祖なのだろう?ほとんどがどこそこに合格しますようにの言葉が多い。数少ないが合格したことを報告して感謝しているのもある。微笑ましいが中には有名な大学がふたつも受かったことが書かれてあったりすると何となく嫌味だなぁと思ったりするが本音は。それとちょっと先の入谷の鬼子母神や浅草の浅草寺も近い。別にこのことを書こうとしていたわけではない。つい身近で知っているので書いてしまった。もうこのブログで何回書いただろう。

フッと思ったことなのだが日本の神々は、何かをしてくれる神である。神田明神は商売繁盛、湯島天神は学問の神様、経営者や受験生には欠かせない神様である。ただ拝んだからといって商売がうまくいったとか、受験が受かったとかは定かでないのが残念である。場合によっては何もしてくれないという事も少なからずあるのではと思ったりもしているがどうだろう。
それに引き換え、聖書の神はすべてのものを造られた神である。造ったという事は造られたものに対して責任を持っておられるということができる。有名な陶芸家が気に入らないからと陶器を粉々に壊しているのを見たことがある。プロとはこういうものだろうなと思ったりする。プロが見たら気に入らなくても我々が見たら十分素敵だと思うがだからゆずってやるという事はない。陶器にはプロの名が冠しているから沽券にかかわる。

全能の神がご自分に似て造られた我々、それにしては実にお粗末である。陶器師のように粉々に砕かないでイラく大切な者のように我々を扱ってくださる。天の御国のたとえでは話されるがその論法でいうとイエス様の受肉と十字架は、我々を滅ぼされないで、我が子イエス様を滅ぼされたという事ではにか。見方によってはイエス様より大切な者のように映るのではないか。造られたとは何かをしてくれたのではなく、被造物に対して責任を持ってくださるという事なのである。だから大船に乗ってではなく、この神は偉大な神であり、その神が我らのためにと思うと胸がふるいるのである。この方をさらに知ることができたらと思うが…。

2014年9月17日水曜日

諏訪湖よさこい。そしてぶらり

~公益社団法人諏訪圏青年会議所より~
公益社団法人諏訪圏青年会議所では、地域を活性化させることを目的に、地域住民が自発的かつ継続的にまちづくり活動を行う機会の一環として住民と共に「諏訪湖よさこい」を開催します。
住民と共に新しい祭りを作り上げるという共通の目的を持ち、コミュニケーションを取ることでお互いを知りその中から絆が生まれます。この住民同士の絆が祭りのベースになり祭りから感じる元気と感動が、地域活性化を広く波及させることに繋がります。
「諏訪湖よさこい」HPより

諏訪レガッタと同じ日に、そこから2キロばかり離れた岡谷市体育館脇の駐車場など3か所を会場に行われていた。レガッタを少し見物して、自転車で移動する。舞台では小学生のグループが踊っていた。そこを脇にして次のところに行く、そこでは若い男女が一体となってそして激しく踊っている。大人たちはグループの旗か大漁旗のような大きな旗をひとりの男性が振っていた。自転車を脇に置いて眺めていたら、あの阿波踊りの「踊るあほうに見るあほう、どうせあほなら踊らにゃそんそん」の歌の言葉をフッと思い出して思わず苦笑いしてしまった。真剣に、そして楽しそうに踊っている姿は見ていて気持ちがいい。歩道を挟んで湖岸端の広場でも若者が踊っている。

それを見ながら水門へと向かう。そこから湖畔端ではなく旧道を「suwaガラスの里」に向かって自転車をこぐ、そこからと湖畔端から少し離れたところを何時ものように狭い道を自転車で走る。というよりゆっくり周りを見ながらであるから走るほどではない。上川に出て、合同庁舎の近くを横切り、高島城に向かい、その脇を通り、市役所の駐車場を横切り、狭い路地をゆっくり自転車をこぎながらJRの踏切を渡る。線路の反対側は初めてである。廃屋のような諏訪プラザの中を少し覗くと何軒かのお店があった。日曜の所為かそれでも人が出入りしている。しかし、お菓子屋さんは暗くよく見えなかった。それでも老舗のような感じを受けたがどうだったのだろう。食品を扱っているところはお客もおり明るかった。解体するビルだからしょうがないが早く駅前のシンボルとして立派なビルが建ってほしい。駅の構内を素通りして、20号線を渡り飲み屋街の路地を走る。もう何軒もやっていなさそう。上諏訪にはこんなところが3か所ばかり知っている。どこも駅の近くの飲み屋街はすたれているみたいだ。
そこから線路の近くを狭い道を走る。そしてエプソンの本社の前に出る。そこからさらに進むと人しか通れない道になる。岡谷、下諏訪となぜか狭い道が沢山ある。なんでだろうといつも思う。東京の谷中も戦災にあわなかったから昔の建物で家と家の間は一間くらいしかない。境に杭を打ったら人は通れないそこは公道なのである。正に「向こう三軒両隣り」いつも通ると隣近所と仲良くしていないと住めないところだなぁと思わされる。ある意味で懐かしい戦前の雰囲気のあるところである。少し行くと狭い道は途切れ、旧中山道の道に出るには坂を上がらなければならずその元気もないので踏切を渡り、20号線を横切り湖畔端を何時ものように走って我が家に帰って来た。多分20キロから25キロくらいは走ったのではないだろうか。心地よいぶらり旅であった。


下諏訪レガッタ

歩いて数分のところに下諏訪漕艇場がある。家から見えるところにテントなどを張っているので花火も終わったし何んだろうと思っていたら市民参加のボート競技が行われるのだった。職場や地域、友人などでつくられた73クルー(チーム)が、男女別、漕手の平均年齢ごとに八つの競技種目に分かれて、熱戦?が展開されたらしい。参加者は中学生から80代と幅広い参加者があったみたいだ。

1978年の長野国体で整備された漕艇場の活用とボート熱の高まりを受けて、82年から始まって今回で33回と歴史のある大会である。

午前中は集会だったので午後少し見ていた。丁度見ていたレースはひとつクルーが隣のコースに入ってまた自分たちのコースに戻ってだいぶ遅れていたがそれでも500m漕ぎ終えたようだった。最初、なんだこれはと思ったが多くは好きな人の集まり、コックスはレース経験者だが漕手はレース経験者は一人だけだそうで、言うなれば草野球、草競馬のようなものかどこかのどかで和気あいあいの感じを受けた。
年配の方たちがレースを終えたのか駐車場に引き上げていく姿を見て、どこか満足感が漂っていた。山形から50代のチームも来られて、この大会に参加するので近くの川で一生懸命練習してきたとか。それにチアガールのような格好をしていた人たちがいた。こんなところでとそれにしてはお腹の周りがと思っていたらそういう格好をして参加した女性チームだった。それで納得。老いも若きも好きな人が集まっている大会はどこか和やかでいいものだ。歴史的な大会、他にも大会が催されているようだからもっと関心を持たないといけないなぁ。それと朝早く起きて湖岸に出ると高校生らしき者たちがよく練習しているから彼らのためにも関心をしかし水が苦手なサルは…

2014年9月12日金曜日

一匹のヒツジ

教会におけるあらゆる形式の譴責の目的は、罰を与えること自体にあるのではなく、悔い改めに導かれ、迷い出た羊を回復することである。究極的には、教会のメンバーが除名されなければならない罪はただひとつである。それは悔い改めないことである。はっきりと悔い改めたときには、教会はその罪が赦されたことを宣言し、その人をもう一度交わりの中に受け入れる。

 これはS兄が訳している「聖書教理がわかる94章」の80章「戒規」の最後の部分である。以前にルカ15章にふれたが神が注目するのは99匹ではなく1匹である。99匹がどうでもいいというのではなく、99匹はほっといても大丈夫ということではないだろうか。しかし、どちらをという問いかけ自体がおかしいのかもしれない。失われた1匹が99匹の群れに再び加わり一つの群れとなることが目的であろう。方法論は色々あるだろうがそれは群れの責任者に委ねられていること。

胎児性水俣病という病気がある。妊娠しているお母さんが水銀を含んだ魚を食べて、その水銀を胎児が吸収して、お母さんはなんでもなくて子供さんが重い障害を持って生まれてくる。「自分の代わりにこの子が」と母親の苦悩は計り知れない。しかし、母親の中には、100%助けが必要ということもあるだろうがこの子と自分は不離一体の思いの中にあるのではないだろうか。これは神と人との関係にも置き換えることができるような気がする。やってあげたしてもらったは罪人の発想、神の思いは親の中に特に母親の中にその形を見る思いがする。


luke:19:10
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

2cor: 5:18
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。


イエス様は、「失われた人を探して救うために来た」と言い、パウロ「和解の努め」と言われた。当然のことであるがイエス様は失われた人を探すだけでなく、救うことがおできになる方である。こんな風に書くと失礼だがパウロは和解のことばをゆだねられただけである。勿論、パウロを低く見ているわけではない。神と人の違いを語ろうとしたのである。

2014年9月11日木曜日

5時間願望

50代の前半か仕事の関係で朝早く起きるようになってから睡眠時間が短くなってきた。勿論年寄り特有のものもある。いつ頃だったか忘れたが3時間寝たら目が覚めるという時期もあった。心配事がある時も3時間くらい寝るとハッとして目が覚め、眠いのに眠れないという時もあった。最近はあまりないがごく偶にある。設備管理をしていた8-5時の一人勤務の時、朝が早く冬などはまだ暗いうちに家を出るという時期があった。この時は、午後になると眠くなってきて我慢できず事務所の人にわからないように機械室の隅に横になって寝ていた。眠くなると体を横にしないと体が休まらないので助かったことを思い出す。その辺のころからかなぁ時間が不規則になって今も続いている。最近天気もいいので自転車で出かけることが多くなり体力を使うのか疲れて11時過ぎくらいで眠くなり、起きていられなくて布団に入ったらバタンキュウとなる。お蔭て朝はすっきり、デボーションもスムーズにできてよかったが今週はそうでもない。いいことは長く続かん。それでも6時間は眠れない。良くて5時間半、大体5時間前後である。朝の気分も5時間を少しでも超えるといい。下手すると4時間なんてことになると一日中眠い。疲れていつもより早く寝ると3時過ぎに目が覚めてPCをいじって5時前後また寝る。そして7時過ぎに起きるというパターンもある。昨日は逆に3時前に寝て8時前に起きた。今もボケッとしている。5時間寝るには外で体を使わないといけない。家にいると夜の睡眠時間は4時間台になってしまう。そんなときは午前中で眠くなるから一時間くらいゴロッと横になる。午後にも横になることもあるのでトータルすると7-8時間は寝ているのだろうが。しかし、夜の睡眠時間は常時5時間、欲を言ったら6時間、でもこれは夢のよう、これを願うより5時間未満にならないように対策を講じなくては、ちょっと大袈裟か。でも小さな願望。

2014年9月9日火曜日

聖書雑感

聖書通読を終え、福音書から一日1-2章くらいの感じで読んでいる。今ルカを読み終えたが福音書は概して長い。今読み終えたルカは後半が長く他より倍くらい長いのではないだろうか。まぁゆっくり読んでいるからどちらでもよいのだが区切りとしては短い方がいい。もう人生も残り少なくなっているのだからそれに合わせて…、一事が万事それに集約している。

最後の章で墓に来た女たちにみ使い(多分)がこんなことを言う「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で探すのですか。…」と、考えてみたら自分たちの信仰生活の中にもこのような頓珍漢なことをやっているなぁと思った。イエス・キリストを救い主として信じたら救われるというのに自分の姿を見て自分は救われていないのではないだろうかと考えたりする。正に不信仰である。神が是ということを是とし、神が否ということを否と言う。実に単純なことを自分の感情で、極端な言い方をすれば神の代理者に立っている姿である。カリカチュア的であれば笑ってすませるが律法学者やパリサイ人的だと深刻である。個人であればその人個人の問題、しかし教会が絡んでくるとこれは大変だ。そういうことをも勘案しながら群れを牧する長老は大変だ。だから非難するのではなく祈る必要がある。ただ祈るだけなのである。

2014年9月6日土曜日

新作花火

15日の花火より規模は小さいが新作だから趣向を凝らしたものがあってよかった。花火は丸いのが相場、ひとつふたつ?四角いのがあってびっくり、それと丸い花火の中に長方形を斜めに切ったような三角形が丸い花火と色が違い、その上三角形の左から右に色が移ったのには驚いた。甥っ子は上諏訪まで行ったらしいがそんな元気はない。好きな人は歩く苦労に混む苦労も厭わない。そんな元気も興味もない。湖畔端まで歩いて数分とないからそこから見えるから見るのであってそれで十分。

諏訪湖一周

降ったり止んだりのお天気だったが夕方雨も上がって日も差してきたので久しぶりに自転車で諏訪湖を一周してきた。前にも書いたが湖畔端がジョキングロードになっている。今回は雨上がりで人もいないのとゴムチップで舗装してあるからアスファルトに比べると負荷が大きいので敢えてそちらにチャレンジしてみた。雨上がりの山を見ながらそこから湯けむりのように水蒸気が上がっているのが見える。幻想的というほどではないがでも見ていて風情がある。平坦だからただペタルを踏むような形だから膝に負担がかからず痛くもならなかった。16キロの旅それほど疲れもせずいい運動が出来ました。




2014年9月4日木曜日

ぶらり自転車で

雨ばかりの毎日だったがこのところお天気が良いので自転車に乗って散歩している。運動のためには歩くのが良いのだろうが行動範囲が狭いので自転車にしている。最近は近くは勿論遠くても自転車である。そのおかげでもないが薬が切れたので医者に行ったら、血液の数値は全部クリアーしていた。いつも中性脂肪と総コレステロールが高かった。中性脂肪の薬は一日置きにと少し前進、血圧も高くて薬をもらっているが医院で測っても基準範囲に収まっている。そのうちパスしてくれるのではないかなと期待している。そうすると医者に行かなくてもいいから先生はどう判断するかこれも楽しみである。チョッと激しい運動をすると貧血を起こすし激しくなくとも久し振りに歩いたりして少し心臓に負担がかかると心臓が痛くなる。しかしそのまま歩いて慣れてくると痛みは消えていくが色々なところを通してキャパのないことを教えられる。お地蔵さんのようにじっと座っているかパソコンとにらめっこをしている位ならなんともないが。

そんな状態だから自転車で激しくこぐとか坂道を上るとかは禁物である。というよりできない。先日も釜口水門の道を挟んだ小高いところに花岡公園がある。すぐ目の前から歩いていけるが坂が急で歩くにもシンドイ。小高いところにも家があってそこに行く道がある。なだらかでもないが何とか行けそうかなと自転車でギヤダウンし上って行った。それでも坂は坂である9割方上ったがついに気分悪くなって下りて自転車を押してあと一歩のところで力尽きてダウン。めまいがしそうなのでそのまま草むらに横になって休むこと10数分回復したので別の急な坂をブレーキレバーをしっかり握って無事下りてこれた。後は平坦なので飴をしゃぶっりながら湖畔端をゆっくりと走って帰ってきた。本当はそこから高速添えに道があるのでその道を通って、6年前に土石流災害が起きたところを見に行こうとしたが断念次の機会にと思っている。

日によって数キロだったり10数キロだったりと気ままに走っているがそのうち諏訪湖一周をと思っている。此方では階段の上り下りというのがほとんどない。だからたまに荷物を持って階段を上がると膝が痛い。膝が弱っていることをそんなところで教えられる。こんなので自転車に乗るのがいいのか悪いのかわからない。しかし膝に負担がかかるような乗り方をしていないのでこれからも乗る。人は何もなければ何も考えないが何かあるとそこで考える。だから何もないことは感謝だけれども何か事があることも感謝かもしれない。それによって「主よ」呼びかけることができるから膝の痛みを通してそんなことを教えられた。

2014年9月3日水曜日

ナターシャ・グジー

何年前だろう?
東京にいるときに二度ばかりコンサートに行ったことがあった。、透き通るような声でどこか哀愁をおびた歌が印象的だった。その上小柄で綺麗な顔立ちをしている人でこれも印象的だった。多分「チェルノブイリ子ども基金」の主催によるのではないかなと思う。

「フォトジャーナリストの広河隆一氏が、チェルノブイリ取材の中で病気の子どもをもつ母親たちの呼びかけを受け募金活動を始めたのがきっかけで、1991年4月に設立されました。被災地の子どもたちは現在も甲状腺ガン・白血病・脳腫瘍などの病気に襲われています。」基金のHPより

チェルノブイリの原発事故は、ソ連の技術的な未熟さから発したもので遠い国の出来事のように感じていた。その思いの根底にあるのは電事連の日本の原発は二重三重に安全ですの文言だった。それが今、チェルノブイリと同じような事故が起きて、そして子供たちが危険にさらされている。公には発表されていないが既に多くの子どもたちは放射線の影響を受けているのだろう。これから症状として現れてくるのだろう。原発事故近辺の子どもたちが心配だ。こういう事故を見ると水俣病、四日市ぜんそくを思い出す。不可能なことだがもう少し正にもう少し、経済優先から住民に目を向けていたら防げた問題だ。つけは企業ではなく、住民にそして国民の税金にと、それでも回復するならいいがチェルノブイリと同じようにもう住めない地区もある。美しい自然や田畑を前にしてそこに住めない。どれほど悔しい思いをしただろうか。そういう意味で土地を失った人は足尾銅山の鉱毒事件で今は渡良瀬遊水地となっているあの地に住んでいた人たちもいる。

いつも脱線するが彼女のコンサートを聞いたときはまだ日本に住んでいなかったように記憶している。今は日本に住み、日本人の男性と結婚しているようだ。そしてバンドぅーラという民族楽器を奏でて歌っている。それに福島原発のことそして子供たちのためにも活動している。

http://www.office-zirka.com/index.htm 
You Tubeで
https://www.youtube.com/watch?v=qskr83JSy_g

先々月には原村の自然文化園で星空を見てのコンサートが催されたようだ。後で知っての後の祭り、全国を回っているようだからそのうち信州のどこかに来られるだろう。しかし松本どまりで。

2014年8月31日日曜日

8月も終わる

気候もお盆を過ぎるとめっきり涼しくなるのは東京も信州も変わらない。それでも日中は暑い日が続くことが多かったように記憶している。しかし今年は涼しさだけがそして晴天の日が少ない。日中でも薄い靴下をはいていると指先が何となくひんやりするような日もある。この間のニュースでは農家の方が五月からお天気が悪くて収穫が例年より半減しているようなことを言っていた。八月に入ってからかなと思っていたがそんなに前からかと台風も来ていたし農家の方は大変だったのだ。

今年の夏は集中豪雨や竜巻の被害が多かった。集中豪雨は毎年どこかで起きていたが今年は更にの感がする。特に広島の土砂災害は痛ましい。災害が起きると色々言われるが信州なんてみんなあんなところだ(少しオーバーか)。あんなところはダメだと言われたら信州の人口は半減どころか過疎地になってしまうだろう(これもオーバー)。岡谷市は7月19日は「防災の日」である。平成18年7月19日にやはり集中豪雨で湊地区の一部が土砂災害にあわれ、11名の方が亡くなっている。広島のニュースを見ていると工事中で2年も経っていたがあそことダブった。沢に沿って家があり、土石流のすごさと一軒おいて隣は何とないという微妙な姿もそっくりである。諏訪地区は勿論塩尻方面にもよく行くが山部分の結構上まで家が立ち並んでいる。広島の比ではない。走っていて大丈夫かなと思うところも少なくない。そんな中でも昔からある集落なり家は昔の人の知恵なのかそういう不安を与えていないのに感心する。竜巻はアメリカでの出来事と思っていたがいよいよ日本にもとの思いがした。島国日本なのにアメリカ並みになってきたのかこれもすごい。被害というか竜巻の威力のすごさを思い知らされた。

天変地異やイスラエルの動向ですぐ再臨や終末のことが頭をよぎる。キリスト教原理主義的環境の中に育ったせいかなと、今は努めてそのような考えはしないようにしている。それ以上に冬の寒さ対策をと…。気の所為か机に座りながら窓に面した膝が何となくひんやりしてくる。まだ爽やか季節の秋が待っているというのに…。明日から九月、晴天が来るのは当分先のようだ。信州は春が短くて冬から一気に夏になるようなことを聞いたことがあるが秋も然りかな。気候はどうしようもないが心はいつでも爽やかにと願いたい。願いたいということはそうでないということだからなぁ。8月の締めとしては湿っぽくなった。来月に期待を…。


2014年8月28日木曜日

ガザ停戦

停戦もいつ破られるのかなと不安のつきもののガザ停戦である。だが今回は少しか、大分かは分からないが持つのではとなんとなく思っている。ただ単なる感と願いから発信しているだけで何の根拠もない。日本も武器を持ってではなく人道支援に参加してほしい。日本の生きる道は武器を持って参加するのではなく、武器を持たないで参加することではないかなと思っている。そんなのは実にならないと嘆く戦争マンがいることも事実であろう。戦争の発端はいつも些細なことから始まる。国を守ると言いながら滅ぼすことはやめてほしい。そして、天皇をそのために担ぎ上げないでほしい。活躍する場は「平和のため」にだけであってほしい。

2014年8月25日月曜日

ルカの福音書15章考

ここは有名な放蕩息子のたとえ話が載っているところである。あらためて読んでみると色々と言うほどではないが示唆に富んでいる。

いつもイエス様の周りに二組のグループが集まっている。取税人や罪人と言われている人たちと律法学者やパリサイ人たちである。便宜上前者をA(エイ)たちとして後者をX(バツ)たちと書こう。Aたちはイエス様の話を喜んで聞きに来ている。聞きに来ているというよりイエス様の話を聞きたいために来ている。しかし、Xたちはイエス様の話とAたちを批判しに来ている。喜んで話を聞きに来ている人たちはそれでいいが批判するためにわざわざ聞きたくもない話や見たくもないA たちを見なければならないのによく来るなぁと思う。勿論世の中を騒がせ物議を醸していることを見過ごすわけにもいかず心中穏やかでないであろうとは思うがアテネの住民(使徒17:21)同様に暇なので耳新しいことに興味を持ってかは失礼かな。

よく聖書の中に二つを意味することが載っている。ここでもAたちとXたち、九十九匹と一匹、九枚と一枚、弟と兄など他の箇所を見ればきりがないくらいである。そしてこれら二つは比較されている。最初の二つは羊と銀貨であるがどこか共通している。九十九匹中の一匹、九枚と一枚、人は九十九匹を守るために一匹を見捨てる。九枚と一枚を天秤にかければ当然取るのは九枚である。人が目をつぶる一匹、一枚を探し出して見つけて喜ぶ姿は尋常ではない。一枚の銀貨を探すために一枚の金貨を必要としてもそれを成すであろう。かつてどこかの首相が「人の命は地球より重い」とまさに神はそのような視点で人を見ている。能力、価値ではなく人であるがゆえに命を懸けるのであろう。親が子にそそぐ目がそれである。この二つがこの後に出てくる放蕩息子のたとえ話の導入部分ではないかと思っている。

そして放蕩息子のたとえ話である。文面の2/3が弟の話なのでこう言われるのであろうが本来は「ある人に息子が二人あった。」と書いてあるように息子を二人持っている人すなわち「二人の息子を持つ父親の物語」と言った方がふさわしい。
多分当時ではあり得ないことであったであろう。弟が親が生きているのに財産を分けてくれるように要求したことは、しかし、父親はいとも簡単に分けてあげた。弟息子が放蕩で身を持ち崩すこと知っていて、心機一転事業を起こしてという意気込みであれば簡単に親はお金を出すが明らかに財産を使い果たす息子にこんなことをする親はいない、ここだけである。これと負けず劣らずすごいのは、放蕩三昧をしてボロボロになって帰ってきた息子を歓待することである。レンブラントの「放蕩息子の帰郷」を思い出す。弟は飯さい食わせてもらえればと思って帰ってきたのに父親は僕たちに「わたしの息子にふさわしいように」とでもいうかのように指示する。そして飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎである。

こんな様子を見て真面目な兄が怒らないはずがない。兄に限らずだれでも怒る。しかし、人は誰が見ても明らかなことと何か事が起こって明らかになることがある。弟は前者であり兄は後者である。弟が帰ってこなければそして父親が馬鹿なことをしなければ兄は立派な人だった。どうしょうもない弟が帰ってきたばっかりに自分の本心が明らかになってしまった。「私は反対だけれどもお父さんがそうしたいなら喜んで」と言うセリフは聞かれなかった。むしろ正反対の言葉が帰ってきた。弟はAたち、兄はXたちと言われるがそうかもしれない。しかし、誰が見ても明らかなことと他の人はもちろん自分も解らなかった本心(罪)がある時、ある場面で明らかになる。人は弟が「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と言うセリフが必要であろうし、「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と言われる父親の言葉を理解することはもっと大切であると思う。見失った一匹のヒツジ、銀貨を見つけ出した時のあの度を外した喜びがここにもある。そんな神の思いどれだけわかっているかわからないが人として来られたイエス様、そして十字架をおもうと神が払った犠牲は弟の財産の比ではない。そして兄のように理解されない。それでも成すのが神である。深みとは言わないがさわりでも味わいたい。

2014年8月21日木曜日

慰安婦問題、なぜ今も

戦争は人を殺してナンボの世界、アブノーマルな世界である。そこで起きる出来事は常識外、それを常識の世界の基準で語っても意味がない。今イスラエルとパレスチナのガザでの出来事も戦争だと思っている。常識は通じない。イスラエルの攻撃で何人死んだとイスラエルを非難しても解決するものではない。もし非難するなら民衆を盾にしているハマスの姿勢も問わなければならない。民衆が願っているのはイデオロギーでも宗教でもなく平和であろう。それと平和であっては困る人たちもいる。

戦争で起きたことは水に流せというつもりはない。しかし、韓国はなぜ執拗なくらい慰安婦問題に固執するのだろうか。慰安婦像を韓国国内でのことであればそれなりに理解できるが何故アメリカでと思ってしまう。戦後処理をよくドイツと比較されるが国民性にも問題があるのかもしれない。しかし、日本人が世界のイニシアチブを取ることを好まない国々もあるであろう。経済的援助をするだけでそれ以上はダメなのである。

靖国問題を解決できない日本も似たようなものかもしれない。また解決するつもりもないであろう。でもなぜ千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑、具体的なことは分からないがここを拡充して軍人も民間人も共に記念するようにすれば、台湾、朝鮮半島出身者に対する差別もないであろう。慰安婦問題をとやかく言う前にこの辺を解決できないと論じられないか。

2014年8月18日月曜日

聖書が語ること

matt 4:12-17
ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。
そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
matt 16:21
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

マタイの福音書に二つの時が記されている。宣教を開始された「この時から」と十字架に向かう「その時から」である。「この時から」は人々が注目しスポットライトを浴びる時であり、「その時から」は十字架に向かって弟子たちで際も振り向かない時である。人々が注目する時は前奏曲のようなものメーンは十字架である「その時から」の出来事である。

イザヤの預言は神殿のあるエルサレムではなく、人々が目もくれない否むしろ無視されている地に偉大な方が活躍されることを預言している。エルサレムなんか注目の的ではない。厳粛な祭儀がいかに無意味なものであるかを証ししているようである。祭儀はまさに祭儀に過ぎない。厳粛に行いば行うほどこの祭儀はカリカチュア的である。この逆説的なことは人間の思いと神の思いがいかに乖離したものであるかがわかる。キリスト者の姿を見ているとこの姿から抜け切れない姿をよく見かける。何が第一で何が第一以外のものであるかをと書くサルもその一人であるが。




2014年8月14日木曜日

剣を取る者は


matt 26:52
そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
諸集会は「政治は世のもの」と敬遠するきらいがあった。今もその傾向があるような気がする。しかしながらサルは政治に限らず世の出来事に少なからず関心をもっているがそれでアクションを起こすということはない。精々長野県知事選に不在者投票するくらいのアクションである。

今朝読んだ聖書の中の一か所である。かつての大戦を見るとき、何を守るために戦ったのだろうかと思うことがある。負けてしまいば何も守れず失う物ばかりである。失うために戦ったようなものである。民族主義者でなくとも竹島一つ失うことを良しとしない。そのために戦うことを辞さないだろう。しかし、もしこのことで国を失うことになるならどうだろう。先の大戦も然りではなかったのではないだろうか。イエス様は「剣を取る者はみな剣で滅びます。」と言われた。歴史はそのことを証明している。人は剣によって歴史を変えようとしているがイエス様はご自分が十字架に架るということで歴史を変えた。真に変える方法はこれしかないのである。と書きながら己に死することのできないサルであります。

一冊の詩集

以前いた集会の姉妹が詩集を出されたと週報に載っていたのでアマゾンで注文したら郵便屋さんが今届けてくれた。彼女の人となりを少し知っているので楽しみにしていた。挿し絵?は同じ集会のO兄とA姉でどれがそうであるかはわからない。本に挟んでプロフィールを自己紹介しており、短い詩で一気に読む。
少し知っているという先入観があるのかもしれないが素直で淡々と書いているような気がする。そして彼女の繊細さとどこか愛を求めているようなそんな気がしてしまった。○○ちゃん素敵な詩をありがとう。

 子  ね 天原凪著

東京で思ったこと

蒸し風呂のような東京で2-3日過して信州に戻りフッと思わされた。こちらは暑いけれどもからっとして凌ぎやすい。冬は東京は寒さはきびしくないが信州は厳しい。原村や富士見は海抜千mを超えているのでさらにである。知人の方は上高地の麓?に住んでいるから諏訪の比ではない。暑さにしろ寒さにしろ凌ぎやすければそれほど問題ではないが逆だと大変である。信州にいると寒さが厳しいときは心まで凍てつきそうな気分になる。久し振りの東京で蒸し暑い逃げ場のない暑さを経験してこれも堪える。

人は「生きる」為により快適にと思考し行動する。既に快適であれば思考も行動もしない。厳しさがあるから思考し行動する。これは物理的な快適さだけでなく「生きる」ということ自体の中にもあるような気がする。信仰生活もそうであろう。恵まれた環境の中に信仰生活、教会生活を送れることは感謝なことである。忠実に歩んでいるから当然の結果として受け取っているかもしれない。しかし、そのような人たちは全体から見たら少ないであろう。個々には書かないが厳しさの中にあるから考えさせられ行動せざるを得ないということもある。それとボロボロになり、もがき苦しんでいる様はみっともないがそんな傍らに神が居られるし、それを実感できたら素晴らしい。このようなところで神を賛美するということは本物であろう。これは放蕩しなければ味わうことのできない恵みである。逆説的に…。

2014年8月13日水曜日

学問のすすめを読み終えて

落語で誰の十八番か内容も記憶も定かでないが確か何かのお祝いを述べに行かせる為にお祝いのことばを教えるが教えるうちから前のことばを忘れていくそんな話であった。話の持って行き方、間合いの妙に聞き入って大いに笑ったものだ。若いときには笑って聞けたが今その笑いを誘った話を地で行っている。そんな調子なので本を読んでも最後はよかったかつまらなかったの感想が残るのみで中身はきれいに抜けている。脳みその骨粗しょう症みたいなものである。

そんな状態で福沢諭吉の「学問のすすめ」を読み終えた。前に書いたのとダブるが終えて幾つかのことを感じた。一つは明治の初めに今日でも通用する考え方を持っているということである。勿論若者向けに書かれたようであるが下級とはいえ武士であり、その残滓は残っていてもいいはずであるがそれが何も感じないのである。鎖国の時代に密出国した人でもあり、かといって俗に言う西洋かぶれをしているわけではない。戦後このような人がいたら大きな助けになっていたであろうなと思った。学校を創設する人を見ると思想家というより実務家と言った方がいいのかなと思うが福沢諭吉も同じように感じる。そこがちょっとなと思った。


2014年8月12日火曜日

東京は暑かった

甥の結婚式が9日にあったので前々日の夕方東京に向かう久し振りの東京である。高速を降りて何時ものコースを永山へと向かう。前に来た時と変わることのない景色だがニュータウン通り手前のコンビ二が交差点の角の新しいマンションの一階に引っ越していた。目新しいのってこれくらいかな?駅前のアミューズメントの外壁のイルミメーションもにぎやかになっていたか。

しかし、東京は暑い暑いというより蒸し風呂に入っているようだった。それでも結婚式は曇り空で凌ぎやすかった。しかし、出かける前に大雨が降って傘をさして歩いてもすぐびしょぬれになりそうな気配、晴れなくとも小雨にとも祈らず天を仰ぐ。しばらくすると小雨になり世田谷は曇っても雨は降らなかったようだ。一人だけ傘を持って列席したのではないかな?米一袋と引き換えに息子に世田谷から迎えに来てもらう。勿論それでなくても来ていいようなこと言っていたがコメの話をしたら喜んで来てくれた。長野県産あきたこまち10キロ、ウン千円、それにもらった野菜を少し、都会人は取れたて野菜が一番の土産かなと思う。

式はかつて集っていた集会、甥と嫁さんも今はそこに集っている。外でT兄にあってあいさつを交わしながら玄関に知らない姉妹たちが靴と傘を預かってくれた。大勢になって新しい信者が増えた実感をするが受付に立っていた二人の姉妹は一人は岡谷によく来てくれているN姉、もう一人は旧知のK姉、苗字より名前で呼んでいる。周りが振り向くほど大きい声をあげて歓迎してくれる。そして周りを見渡せば知らない人もいるが懐かしい顔顔である。握手したり、短く言葉を交わしたり、すれ違った陳許兄には握手して、顔はお孫さんを抱いているW兄と言葉を交わす。不真面目だが結婚式より皆さんにお会いするのを楽しみにしていたきらいも無きにしも非ずである。いつも会っていればすれ違っても言葉を交わすこともないがこのように久しぶりに会うと大げさとも思える歓迎を受ける。非日常的なことの良さである。上京するということはこの連続だからうれしい、それ故か信州に入り、諏訪インターを降りると現実が待っている感がするから少し憂鬱になった。

久しぶりの結婚式、華やかさはなかったが淡々と進んでいく式の中で司式者のことば、メッセンジャのことばが重みを加えて上っ面の式ではない観を提してくれた。お嫁さんのお父さんが出席されないようなことを言われていたがお嫁さんをしっかりエスコートしていて良かった。雨とお父さんのこと良く祈っておられた答えが結果として現れた嬉しいことである。私はただ「主よ御心は」と祈っただけであって至って素気ない。式が終わり、2,3の兄姉と言葉を交わしてバスに向かう。正直レセプションのような華やかなものはあまり好きではないので兄姉と交わっていたいなと思いながらバスに向かう。バスでは一人前の方に座り、文庫本を持ってきたのでそれを読みながら途中眠くなって眠る。フッと目が覚めたら高速の降り口上着を着て待つと歌舞伎座を回り込むようにして昭和通りに止まる。ガードレールがあってと思いながらバスとガードレールの狭いところをすり抜けて歩道に出たら会場の係りの人がいて案内してくれた。

受付を済ませ席に、テーブルは家内、義妹母子、甥(新郎の弟)と彼女と少ない。司会はK兄姉、目が悪くなってきたので誰かわからなかったが二人でなかなかいいなぁと思った。兄が名前を読み違いをしてすぐ訂正したが彼のキャラの良さか変な感じはしなかった。こういう席が苦手なのは会話と食事である。小さいとき食事は黙ってするものしゃべって食べたら怒られたその名残があるから食べながらしゃべるというのは苦手である。それと共通の話題のない人に合わせて話すということも苦手である。隣は甥っ子だから向こうも遠慮があるだろうしまたどんな話をしたらよいかボキャブラリーがないので会話に困る。聖書の話ならと思うが向こうは興味がない。私の聖書の興味はほかのキリスト者とまた違うからキリスト者でも無理。それと内々のテーブルだからがさつに食べてしまった。パンはナイフで切れ目を入れ、バターを塗ってそのままかじろうとしたがさすがまずかなと思ってちぎって食べたがそれでも三口で終わった。後でパンを持ってきたのを頂いてそのパンでかぼちゃのスープのカップについたのを拭うようにして食べてしまった。勿論フォークの背にのせて食べるなんてことはしないで持ち替えて食べやすくして食べる。これは以前宣教師のM兄とよくファミレスで食事していた時に彼はパンで皿をこするように、フォークの背でするようなことはなかったのでそれが癖になっている。それに食べやすくがモットーでもある。サルの世界はそれで通用するしさせる。土曜日なのに銀座通りは歩行者天国になっていた。秋葉原にいた時は店の前は日祭日は歩行者天国、高島屋、三越、神田、そして秋葉原とかつての店の前に通じるのかなんて思いながら歩いた。久々の電車、小田急の急行も成城学園に止まらないのもあるのに驚く、でも6年前にも既にあったか新宿からだといつも京王を使っていたから知らなかっただけ。

2014年8月6日水曜日

罪を憎んで人を憎まず

今日は広島に原爆が落とされた日である。知っていたわけでなく市の無線ラジオを持っているのでその無線からその後でも町の広報のスピーカ-から8:15にサイレンを鳴らすとのことで分かった。朝ドラが遅くなるのでなんかあるのかぐらいの認識であった。広島からの中継を観ていてフッと思った。日本人は原爆を投下したアメリカをそして飛行士を憎んでいるだろうか、忘れやすい国民性もあるのだろうがその意識は少ないのではと思っている。勿論当事者の人とそうでない人では意識はだいぶ違うだろう。しかし、多くの国民はこのようなことはもう二度と起こしてはならいという意識が強いのではないだろうか。慰安婦問題を思うとなぜ過去に拘るのかと思ってしまう。過ぎ去ったことは忘れろとは言わないが何故か内向きというか後ろ向きの姿勢が気になる。日本人は朝鮮半島から七つのものを奪ったと言われている。土地と言葉と後は忘れたが。決して許されることではないし他者に対して鈍感な日本人にイラついているのかもしれない。小学生の答えみたいなことを書いているが過去を振り返りつつも前を見ていけたらと思う。否定は抹殺に繋がる。勿論責めるつもりも資格もないがタイトルのことばを思い出した。

阪神がすごい

ヤフーに「20得点の乱打戦」と写真の下に書かれていたのでどこのチームかとアップして観たらヤクルト-阪神戦での阪神の上げた点数だった。スコア表見ているとどこかの草野球かたまにある高野球の予選で見かける点数である。最近プロ野球のニュースを観ていないでどこが勝って順位は、ゲーム差などは分からなかった。一応どこが好きと言われれば阪神なのであるが夜のスポーツニュースは勝った試合は何回でも見るが負けた試合は見ない。それに最近の選手の名前もあまり知らないというまことにいい加減なファンなのである。常時注目して夜のスポーツニュースを見るというわけでもなく、今回のように勝ってくると夜のスポーツニュースを興味を持って観るようになる。そうやって興味を持って見始めるとどういうわけか負けてくる。首位と数ゲームも離されて負けの連続の時は「和田やめろ」とおもわず心のうちで叫んでしまう。首位と射程距離になるとニコニコしながら観る。負けても残念と思うだけ、「和田やめろ」なんて言葉は心の中でも出てこない。巨人が負けてゲーム差は1.5ゲーム、でも期待しない。あのチームは期待すると裏切るからと思いながら宝くじに当たる確率位の期待はしている。

2014年8月4日月曜日

枯れたイチジクの木

聖書をただ読む者にとって、聖書は難解な書となる時が多々ある。神学は無縁であり、精々聖書注解書を読む位しかできないがそれで納得できるものではない。なんとなくそういうことかくらいである。万民の書である聖書は神学云々とは関係ないのかもしれない。「知」ではなく「霊」であるとも言える。ある意味で解る人にはよく解るがわからない人には全く解らない。その最たるものがイエス様であろう。キリスト教の開祖、優れた人物等々は万民が認めるところであるが神であることはキリスト者しか認めていない。認めていないという表現はふさわしくない?「私はある」、然りアーメンと言うべきか。聖書を読むのにイエス様が人か神かでは大いなる違いがる。

時々同じことを書いているが聖書を知らない時はキリスト教の経典位の認識しかなく自分には関係ないものと無関心だった。若いときはよく本屋に行っていたがそこで聖書を売っていることを知らなかったというより本棚の片隅に置いてあったのだろうが自分には関係ない、あるいは興味がないと見向きもしなかったのだろう。聖書に興味を持って初めて本屋に聖書を置いてあるのを知り購入したことを覚えている。

枯れたイチジクの箇所を読んでいてこんなことを書いてしまった。月一回の割で話すメッセージもそうなのだが最初と最後が違っている。と言うよりも一つの話をするとそれに関連した話をしていくが、その次となると「前の前」の話となんの関連もなくなってしまう。ゆうなれば「風が吹けば桶屋が儲かる」式の展開なのである。しかし起承転結でこうなればいいのだがそうはいかない。まぁこれは何かを発信するというよりも年とともに漢字が書けなくなり、記憶するという機能が坂道を転げ落ちるように落ちて行く現実を目の前にして抗っているのが正直なところである。それとブラインドタッチの練習を兼て書いているから書けるだけでもいい。でも発信できたらと思うが打つ玉がないし、それより「読める文章を打てるように」と固い頭を抱えて画面とにらめっこをしている。今のところの成果は今まで使っていたメガネでは画面が二重に見えるようになってきて目を細めないとよく見えない。確実に進んでいるのはこれくらいである。

この箇所の注解を見ると大体同じようなことが書かれている。勿論違っていたら困るが注解者によって多少違うのは当然であろう。二、三見たがフランシスコ会聖書研究所訳が一番わかりやすい。結論として、
1. イエズスが空腹であったことは、義と愛に飢えかわくイエズスを考えさせる。
2. 葉だけで実のないイチジクは、儀式と祭典で祝祭を飾っても、霊的には何の実も結ばなかっ たユダヤ人を象徴しているようであり、
3.のろわれたイチジクは、イエズスが要求される改心の実を結ばない人々に対する警告である。
とあったが頷ける。

福音書の中に取税人マタイの召命の記事が載っている(マタイ9:9-13、マルコ2:14-17、ルカ5:27-32)。あそこでパリサイ人や律法学者が弟子たちに「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」と尋ねた時、イエス様は「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人です。『わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない』・・・」。のことばを思い出した。今までなぜここで「医者」が出てくるのかと思っていたが取税人や罪人と言われた人たちは救われたいという自覚があったであろう。しかし、パリサイ人や律法学者はすでに救われているという自覚があったであろうからその必要性を感じない。それはイエス様を必要とするかしないかの違いとして出てくる。私たちは色々な形で必要なものを持っている。病人は医者を貧しい人は富を孤独な人には慰めを必要としている。必要がありながらその必要性を感じないということは恐ろしいことである。このようなことは病気を初めとして諸々のものがある。
そして『わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない』と、言葉そのものはよくわかるがその意味するところは「儀式と祭典で祝祭を飾っても、霊的には何の実も結ばなかっ たユダヤ人を象徴しているようであり」と「いけにえ」が合致している。あわれみは?ルカの福音書では大ぶるまいをしたことが書かれている。マタイ(レビ)はイエス様と弟子たちだけでなく大勢の取税人や罪人と言われた人たちにも食事を施している様子がうかがえる。取税人ザアカイはイエス様に「財産の半分は貧しい人に、だまし取った物は四倍にして返します。」と言っている。マタイもまた同じような思いであっただろう。飢えている人たちが食卓についている様子が伺える。飢えている人に食を与えるマタイと形だけを求めている律法学者パリサイ人の姿が浮き彫りになって見える。そして、「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。」(ロマ11:22 口語訳)のことばを思い出す。






2014年8月1日金曜日

聖書を分冊に

新改訳聖書の第三版が出版されたとき早速購入して使っていた。この聖書は製本が悪いので交換してくれると聞いていたが別にそんな兆候もなかったのでそのまま使っていた。大分前から背もたれの部分が表紙と本体とが剝がれてしまい、そのうち地図の部分がバラバラになってしまった。読むのに差し障りはないが見た目が良くないので新しいのにした。

閉じた聖書を見るとよく開ける新約部分は手垢?で少し汚れているが中は特別どうこうなっているわけではないので貧乏性だから捨てるのが勿体なくてこれを分冊にしてしまった。モーセ五書、歴史書、諸書、預言書と旧約は四分割にし新約はそのままで全体を五分冊にしてしまった。パソコンに移している本が引用聖句が多くてそれを開いて読んでいるので分冊にしていると便利である。

実は分冊にしたのはこれが初めてでなく、今回で三度目か四度目である。チェン式の三版を購入した時にも今まで使っていた二版を分冊にした。これは旧約を十分割、新約を三分割にして東京にいる時には通勤電車の中で読むのにこれを使っていた。これだとバックに入れて持ち歩いてもかさばらないから便利である。もうこちらではそのようなこともないし新しい版が出ない限り新しく購入することもないだろうからこれが最後になるだろう。

2014年7月31日木曜日

不在者投票

来月の10日に長野県知事選の投票日である。家内が「骨粗しょう症」の検査のために保健センターに行くから隣の文化センターで不在者投票をやっているので一緒に投票をして来た。選挙の投票日は日曜がほとんどなので東京にいるときから不在者投票をしている。見ていると途切れることなく人が来ている。下諏訪の町は選挙に関心が高いのかなと思った。入口の所にポケットティッシュとトイレットペーパーが置いてあり、トイレットペーパーには新聞などのリサイクルでできたものであることが書かれてあって自由にお持ちくださいとあったから貰ってきたがあまり持っていく人はいなかった。くれるものはなんでも派なので万事こんな調子、貧乏性が抜けない。貧乏から抜けていないから当然か。

国政選挙、知事選、県議選、自治体の長および議員の選挙と関心の度合いが下がる。何故だろうと思うこともないが多分候補者のことを知らない所為もあり、それと一票の重みの違いもあるのだろうななどと思ったりもしている。阿部さんが当選するのだろうが官僚出身の所為か物事を無難にこなしているが芯になるものが見当たらない。どこか玉虫色的なのである。力のバランスの上に立っているようで強い反対者が出るような施策は行わない。浅川ダムがいい例で、詳しい事情は分からないが本当に必要なのか疑問である。だから物足りない。田中元知事のように何をするかわからないような知事より無難にこなしてくれる知事の方がいいかもしれないがどこか発展性がないような気がするがどうだろう。知事よりも自治体の長の方が何かと求められているのに答えていないのかなと思ったりもしている。よく知らないので何とも言えないが噂はあんまり芳しくない。

2014年7月30日水曜日

友遠方より来たる

もう昨日になるか、以前いた集会の兄姉5名が来て下さった。いつも来て下さるM伝道者が私たち夫婦のことをアナウンスの時に何か言われたようで少し心配して来て下さった。リタイヤした兄姉であり、まだ働いている方もいるがフルタイムではない。このような人たちだから心配と気分転換に少しドライブをとの思いもあったのかなとも思っている。それにしては200キロは遠いか?でもいい交わりができてお互いに感謝することができて良かった。前に来て下さる約束が運転するW兄が 具合悪くなり来れなくなって当分だめかなと思っていたら早々に来て下さって感謝である。。朝東京を出発して昼過ぎに着いた。少し交わって昼食に、信州はソバと決まっているから近くのそば屋で昼食を取る。住宅街の中にあるが割と評判のいい店である。T姉が食事代を出すからと言われていたので素直に感謝してごちそうになる。お店で話し込んでいたら店員に昼の時間が終わるのでと言われて店を出る。

続きは我が家で同じテーブルを囲んで姉妹たちは姉妹たちで兄弟たちは兄弟たちで話し込む、姉妹たちは弾んていたようだが兄弟たちは主にw兄が話をして、私やk兄はそれに合わせるように話をする。信仰のこと皆の家族のことと多岐に亘る。多岐に亘るということは最大公約数的になるからあまり突っ込んだ話は出来ない。それはそれでよかったと思っている。そういう面ではその前に来て下さったTファミリーのT兄と三人で交わった時の方が人が少ない分だけ絞られたのかなと思ている。彼はどう思っているかわからないが年齢は親子ほど違うけれどどこか共観するものを持っている。いや困ると言われそうだが私としては嬉しいことである。短い時間だったが楽しいひと時を過ごすことができた。交わっていて流石都会人、頭の回転が速い。特にw兄は、元々、そして今も教えたりしているから頭も舌も回転が速い、お蔭で私の頭と舌の回転の悪さが際立った。大平元首相ではないが「アー、ウー」と言っているうちに彼は次のことばを発してくる。メッセージを含め、頭と舌の訓練をしないとと思ったが松鶴家千とせではないが「わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~」調でいくと「できるかなぁ~出来ないだろうなぁ~」が結論になりそう。

今月は3日にMファミリー、13日にTファミリー、21日はMファミリーを松本、茅野で交わり、そして今回。嬉しい限りである。主にある幸いを覚える。社会的に見たら接点のない人たちだそれが親しく交われるということは主にある冥利に尽きる。今回、そして今月はそれを実感する。主に感謝。

2014年7月26日土曜日

通読を終える

聖書をゆっくり読んでも頭に入らないのならいっそ字面を追うだけでもいいからと始めた聖書通読を先日読み終えた。七か月かけてようやく終えた。失業して設備の仕事に就いて杉並区のある施設に勤務していた時、管理室には人がほとんど来ないのでそこではひたすら聖書を読んでいた。そこでは定期的にやるのは朝、昼、晩と三回記録を取るだけで、二交代制だから実質一回か二回とるだけ良かった。事務所から何か言ってこなければ何もしなくてもよかったし、それでもどこかの不具合があったりすると直したりはしたがそれはそれほどでもなかった。だから時間があったら聖書を読んでいたので3か月で読み終えた。仕事に来ているのか聖書を読みに来ているのかとそんなことがあった。今回は倍以上かかったがもう時間があっても根気もなくなり、老眼も進み目も疲れるようになった。それにパソコンとにらめっこもしているし今ゆっくりとマタイの福音書の系図を読み始めている。聖書を最初に手にして、本は最初から読むものと創世記から読みはじめ、新約の最初がカタカナの羅列で嫌気がさしてやめようかなと思ったが何かに促されるようにやめないで読んでいったことを懐かしく思う。何回か読んでいるとカタカナのことばはいくつか知るものとなると最初とは違って味わう思いが出てくるから感謝である。

何時だったか上沼先生のブログに、名前を忘れたがある人のことばとしてこんなことが書いてあった(間違いないと思うが)。「箴言」は若者に、「伝道者の書」は壮年に、雅歌は老人にと書いてあった。二つは理解できるが雅歌と老人はどうしても結びつかなかった。今少しわかるような気がする。あらゆるものが衰え、雅歌の歌など対極にあるように見えるがどっこいピッタリなのではと最近思っている。諸々のしがらみも薄くなり、希望と言えば手の届くところまできた天国である。
イエス様に恋をして、「あの方のすべてがいとしい」と告白できる年代に来ているのである。若者や壮年も告白するだろう。しかし、そこには人間的な打算が入って来る。老人は肉もしぼんで(だから皺だらけに)純粋に主を恋い慕えるのである。そしてこんな脱線もできるのである。

2014年7月21日月曜日

聞くということ

義姉がケアハウスに入っているので月一ちょっとの割で訪ねている。目の検診のために医者に連れて行くためである。ここはお元気なのだが連れ合いを亡くされたりしてひとりでは生活が難しい方が入所している。食事はもちろん、ヘルパーさんを頼めば洗濯や掃除もやってくれる。義姉はこれに加えてお風呂も入れてもらっている。一人だとちょっと危ない。そんな方は他にもいるみたいだ。

何時だったか2階のエレベーター前の椅子に座っていたら一人のおばあさんが隣に座って話しかけてきた(逆だったかな?)。大体すれ違えば挨拶をするくらいで、なかには何も言わない人もいるからこんなことは珍しい。近くに住んでいたが身内が誰もいなくなったのでここでお世話になっていると自分からしゃべりだした。義姉の身内の者だということは分かっているらしく「○○(義姉)さんはいいね。良く訪ねてきてくれて」と言われたが天涯孤独?の身としては誰であれ、どのようなことであれ、訪ねて来てくれる人がいるということは羨ましいことなのだろう。私のことは何ひとつ聞かないで自分のことをしゃべって止むことはない。

自分はどこそこから嫁に来てと多分近在らしい。ケアの周りは畑で上は山になっている。農家が散在しているという感じである。おばあさんの若い頃はみな農家ばかりで田舎の今と同じような雰囲気ではなかったろうかと思うと、そんなことを思いながら聞いていると田舎でおばあさんの話を聞いているような錯覚にとらわれて思わずついふんふんと頷きながら聞いてしまった。もう何を言われたかはすっかり忘れてしまったが最初から若いときのことを言われていたように思う。昔はそうだったんだと頷きながら聞いていた。入所者が50人前後おられるようだが親しく話す人は少ないのかなと思った。あるいはほとんどいないのかもしれない。私のような者に親しそうに話している姿を見てそう思ったが実際どうなのだろう。家内が戻ってきたのでそれで失礼したが「おばあさんのつまらない話を聞いてくれてありがとう」と言われて、ただふんふんと頷きながら聞いていただけなのに彼女にとってはとてもうれしかったのだろう。

知識があれば教えたがるが知識があってもまず相手の話に耳を傾ける必要があろう。相手が過ちを犯したときであってもまず耳を傾ける。結論ありきは自己中の精神、気をつけなければならない。イエス様がサマリアの女に耳を傾けている姿を思い、パリサイ人や律法学者の犯した過ちは相手の話に耳を傾けなかったことであろう。
rom:10:17


「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」



2014年7月18日金曜日

「学問のすすめ」考

前にも書いたが今一冊の本をパソコンに写している。絶版になったわけではなく、ブラインドタッチと聖書の勉強になればとの思いでやっているが「二兎を追う者は一兎をも得ず」でうまくいかない。これで三冊目だから分かっていることだからやめないでやっている。もうやらないと思うがまた暇になったらやりだすかもしれない。まだ半分終えたくらいだからまず終えるが…。

福沢諭吉の現代語訳「学問のすすめ」を読みかけているがその中の「学問の要は活用にあり」にこういうことが書いてあった。
「…学問の生命は活用にある。活用できぬ学問は無学に等しい。昔、ある朱子学の学生が、多年江戸に留学して、朱子学について諸大家の説を写し取り、日夜勉強して、数年の間にノート数百冊を作り上げた。いよいよ修業も出来上がったから故郷に帰ろうというので、自分は東海道を西に向かい。ノートはつづらに納めて、貨物船に託して発送した。ところが、不幸にも船は遠州灘で遭難してしまった。この災難のため、その学生は、自分は無事に帰国したものの、学問はすっかり海に流れてしまって、身についたものは一つもなく、いわゆるもとの木阿弥で、その無学さは遊学以前と少しも変わらなかったという話がある。…」

自分も似ていることをやっているなとの思いと自分のやっていることは昔から誰かがやっていたのだなぁと実感した。古今東西愚かしいことをやっている者は尽きないのであろう。その中の一人にサルもいるということだ。

matt:10:42
わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」 
という聖書のことばがある。

「水一杯を」と思うがそう思っていると案外そばにいてもわからないことがある。わかっていても水はあるからパンを少しと乞われれば落語の二十四孝ではないが「聖書にそんなことは書いてない」と憤慨するだけかもしれない。あるいは「水もあるパンもある。しかし、パンをあげるのは勿体ない」と断る手の方が多いかもしれない。相手が求めていることを知ろうとしなければ押し付けになる。こんなことを書いてないで家内の言っていることをすぐやらないとこれぞ愛。
 

ラジオ体操

このところ晴れているなと思ったら雨が降ってきたりで天候不順だったので歩くのも自転車に乗ることもできないので久しぶりにラジオ体操を始めている。最初は腕を動かすと腕の付け根の関節がギコギコいうような感じで痛かった。いかに運動不足かそれに加えてロウカが進んでいるのがよくわかる。中性脂肪が高いので薬を飲んでいるがお医者さんは「運動不足」の一言で言っても無駄と思っているのか「運動するように」などと言わない。歩くのはいいことは分かっているが面倒なのでつい自転車に乗ってしまう。それで運動したことにしている。

ラジオ体操は腕を結構使うのに気づかされる。それに体全体をほぐすようにしてくれる。よく考えたものだと変なところで感心してしまった。もう一週間くらいになるがなんとなく体がほぐれた感じがする。昨日は茅野の義姉の家の掃除に行ってきたが壁を拭いたりして腕を使ったがそれほど負担がかからなかったのは体操のお蔭かなと思った。いつまで続くかわからないが当分は体のなまり予防に続けたいと思っている。

2014年7月10日木曜日

赦されているということ

matt 18:21-23
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。

福音書を見るとイエス様と弟子たちの対比をいくつか見ることができる。というより神の本質と人の本質の違い、あるいは肉のもたらす結果は神と異質なものであることを教えられる。ここでのペテロの質問は「赦しはどこまですか」であり、イエス様は「父よ彼らをお赦しください」とご自分を十字架につけた人たちの「執り成し」をされている。これは完全な赦しである。「神の公平」さとは避けられない隔たりがある。罪はあらゆるものを差別し、それを当然のように受けとめている。確かに18章冒頭の「誰が一番偉いのでしょうか」も然りである。彼らはそこから一歩も出ることはなかった。

イエス様はペテロの質問に答えて尚且つ補足するように一つのたとえを話された。1万タラントの借金を赦された者が100デナリ貸した者を赦さない出来事である。1タラントは6000デナリ、1デナリは一日分の労賃、100デナリは3か月ちょっとの労賃、返せない額ではない。しかし1万タラントを考えるとゼロの羅列で天文学的数字になる。「どうかご猶予ください」と言っているが返せる額ではない。100デナリ赦せないということは1万タラント赦されたことが理解できていないということではないだろうか。100デナリと1万タラントは比較にならないと同じように物理的な赦しと罪の赦しはイコールではない。しかしこのたとえと同じようにみることができるのではないだろうか。

高橋先生が「伝道とは」のところで「…人類に働きかける神の御業は、御子なるキリストの十字架と復活において、その絶頂に達しました。私共の全存在がこれにどう応答するかという信仰的表白こそ、福音を世に伝える私共の責任であります。信仰とは、迫り来る神の恵みに圧倒され、罪と死からの解放を与えられた者が、全存在を挙げて神の真実に応えようとする信頼と服従にほかなりません。それは、感謝と賛美として御前に捧げられるばかりでなく、キリストの死に合わせられた者としての古き自己の死を産み出すことにもなりましょう。つまり伝道とは、キリストの生命の伝達であるばかりでなく、伝道者自身の生命も併せて注ぎ出されるのであります。…この伝道活動を通して生命の喜びが生み出されるばかりでなく、悪の支配に抗して戦い抜く決意と力が溢れ出ることも、尊い神の恵みの発現であります。」と書いておられる。

100デナリ赦せない者の姿は自分とダブるが罪の赦しを受けるだけであればこうなるのだろう。しかし、それにいかに応えようかと思えば罪の赦しの重みの大きさを確認させられ、他者を赦すという赦しは些細なことであることがわかる。「赦す」ということが福音の理解度のバロメーターになっている。そんな気がする。

2014年7月3日木曜日

静かな暴力

世の中のきな臭い動きを見ているとよく思い出すのがこの聖書のことばである。

わたしはあなたを引き回し、あなたのあごにをかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。ezek:38: 4

エゼキエルは37章に「枯骨の復活」の後にこのようなことを書いている。

新聞は取っていないので読むのは週に一二回くらいしかない。それもサーッとである。ニュースはTVのみ、ネットがあるかしかし断片的である。そんな中で政治の動きを見ていると危惧の一語に尽きる。安倍さんは勿論のことだがそれに反対する声が聞こえてこないのも怖い。鳴りを潜めているのかマスコミが意図して流さないのか定かでないが。政治のニュースと言えばどこかの県議が意味不明の釈明会見を繰り返し流している。全く戯画的である。

安倍さんの話を聞いていると言葉の軽さを感じる。というより言葉の遊びをやっているようで何ひとつこちらに響いてこない。あり得ないことをさもあったらと想定して図まで書いて説明している姿を見て、厚顔なのか無知なのかと見識を疑ってしまった。はたまた国民を馬鹿にしているのか。小泉さんもそうだったがどこか短絡的、勿論すべてとは言わないが。しかしこれが日本の為政者の姿かと思うと暗然とする。ブッシュのようにあからさまもなんだが。

先の戦争の轍を踏もうとしているように感じてしようがない。そしてその道を歩み始めようとしている。国民のためと、確かに国民は苦しみを強いられる。国民のためではなくて誰かのために動いている姿が見え隠れする。この間TVでトヨタの豊田章男社長がゲスト出演していた。その中で国内生産300万台確保を述べていた。それは雇用と技術の維持発展に欠かせないと、グローバル企業がどんどん海外にシフトをしているのにと思いつつ、だからこそ今日のトヨタの発展があるのかと変なところで感心した。国は国民のためよりもグローバル企業のために奉仕していく、企業もそれを求めている。そのようなところに個人はない。自分の主権と力を行使しているようであっても実は顎に鉤をひっかけられて振り回されているに過ぎないそんな姿を思い浮かべる。安氏の「たとえそうでなくても」の本の中に日本の軍隊が骸骨の行進に見えたと書いてあったが人々からスポットライトを浴びているようなものでも中身は実にお粗末過ぎるということもある。社会の底辺の出来事なら大したことではないが国のトップが事を起こしたらどうなるかはすでに立証済みである。

国民のためにと言いながら国民に大いなる負担を苦しみを担わせようとするならそれは暴力でなくて何であろう。国民の一人というより社会の底辺で生きる者が感じるものはあながち間違っていないと思っているが。

2014年7月1日火曜日

もうひとりの助け主

 
  聖霊 御霊 助け主
マタイ 5 6 0
マルコ 4 2 0
ルカ 11 4 0
ヨハネ 3 15 6

福音書の聖霊、御霊、助け主の内訳をみるとこうなる。ヨハネの助け主は論外としても各福音書の聖霊と御霊の回数を見るとマタイは似たような比率でマルコ2:1、ルカは3:1でヨハネは1:5である。ルカ、ヨハネは比率がだいぶ違うし対比が逆である。面白いなと思った。それとヨハネは「御霊」が他の福音書よりダントツ多い。これも面白い。それに「助け主」が加わる。さらにである。

マタイ、マルコ、ルカの福音書を共観福音書と言われているが福音書の対照表を作ったのをみるとマタイとマルコはほとんど同じである。しかし、ルカ独特ののものも少なくない。また四福音書に書かれている事柄もある。バプテスマのヨハネの活動とイエス様の宣教活動開始、そしてエルサレム入城から十字架、復活とともに書かれてる。重要な出来事である故であろう。

聖書の注解書を読んでも読み切れないほど能力が無くなった。というより元々なかったのかもしれないがどちらでも現実はそういうことだ。
福音書をざっと読んでいて感じることは三福音書はイエス様の生涯を描かれているのは分かるがヨハネは同じようにイエス様の生涯を書いていながらキリスト後のキリスト者に向けて書かれているようなそんな感じを受ける。その最たるものかどうかは分からないが「助け主」が来られるという約束がそうである。極論だがもし救いだけが目的なら「助け主」はいらない。より主を神を知るにはこの方が必要である。聖歌632番(総合版)に、

  なおもみめぐみをなをもみすくいを
  なおもわがためにみうせし主をしらん
   くりかえし
  なおふかく主をなおふかく主を
  なおもわがためにみうせし主をしらん

聖書を読んでもこのような告白はできない。まさに「助け主」の働きがなければ「イエスは主である」とさえ告白できない。「助け主」のお蔭で「イエスは主である」と告白できることを感謝して、聖歌の歌詞同様に深く主を知りたいものである。

2014年6月27日金曜日

人を裁くな

matt 7: 1-2
さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

この前に「日々、謙遜と感謝」と書いた。それを成すにはこのみことばは大切である。知識や経験が増えてくると自分なりの形が出来上がってくる。それに合致すればいいがしないと批判が頭をもたげてくる。それが正しければいいが概して独りよがり的なところがある。たとえ正しいものであっても気をつけないといけない。一旦受け入れ咀嚼してから事を進めなければいけないと思っている。思っているということはやっていることではないから難しい。サルはキャパが小さいからすぐパニックになる。そして否定的になるのである。この聖書のことばをよく知り、実践すべきだと思っているが現実に遭遇したら多分逆の結果が出るだろうなとも思っている。だからそれを防ぐために謙遜でなければならい。謙遜になるには失敗も自分の中に欠けているものを見い出しても失望落胆するのではなくそれを示してくださった主に感謝することであると思っている。思っているということは実践とはちょっとギャップがある。ちょっとで済むかは疑問であるが。キャパが小さいということはすぐ人を物事を裁いてしまうきらいがある。前にも書いたが昔電気屋に勤めていた時、お客さんが店の名前で呼び捨てにする人、さん付けそしてくれる人、サルの名前を言う人と色々だった。私が変わるわけではなく、お客さんの資質がそこに見えるのである。サルの名前をさん付けで呼ぶ必要はない。呼び捨てで結構なのであるがさん付けで呼んでくださるお客さんが偉いのである。自分を義とすることは福音書に登場する宗教指導者が見本を示してくれているしサルも実践している。しかし義は主の御手に委ねてと思っているが…。



見えるということ



john: 9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
9章は生まれつき目が見えなかった人がイエス様によって見えるようになった出来事で費やしている。この盲人の癒しが安息日であったが故である。多分、癒されて日が安息日でなかったら問題にはならなかったであろう。
ここでもイエス様特有の皮肉がある。言葉で指摘するのではなく現実の出来事をとして指摘されると誰にでも問題の本質がわかってくる。
若いときに聞いた話であるが何か雑談をしていた時にか誰かが急に祈り始めたそんな状況だったと思う。そのとき一人の婦人は慌てて頭に手を置いたと、そんなことを聞いたことがある。
1cor:11:10
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。
私たちの集まりは、このみことばを実践しているからよくわかる。もう一つ同じ若いときに、祈り会に教会に集っていた姉妹が来られた。一般の教会では当たり前のことなので彼女も祈った。同じグループなのでどきまぎしたことを思い出す。それは、
1cor:14:34
教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
この言葉を実践して、姉妹は公では祈りさえしない。以前いた集会は祈り会を兄弟と姉妹に分かれて祈っている。今いるところは小さな集会なので祈り会なるものはないができれば以前いた集会と同じようなやり方をするであろう。形が出来上がるとそれを壊すのは至難の業である。しかし、パウロの言うように肉を食べるか食べないかは本質ではなく、信仰を持ってやっていることを批判すべきではないと思っている。今は被り物がなかったらそのまま祈りに合わせればいいし、姉妹が祈ったら同じように姉妹の祈りに合わせればいいと思っている。しかしそのようなことはあれから遭遇していないので現実に起きたらどきまぎするかもしれない。

何かを守るというときそれは形の上での出来事がほとんどのような気がする。そしてそれは楽なことである。イエス様はその逆の行き方をした。形はどうであっても本質を大切にした。盲人にとって目が見えるということは何物にも代え難いものである。それはただ見えるというだけではない。彼は罪びととして群れに参加できなかった。これは村八分のようなも耐え難いものであろう。イエス様はこの二つの問題を解決してくださった。宗教指導ががたがた言うのを承知で、そして彼らが彼らの伝統を守るということで盲人の幸を何一つ考えていないことが暴露された。それは彼らの真実の姿が「罪が残る」ということばに表されている。それは、
john 3:36
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ここにあるとどまるということと同じなのである。まぁ言うなればヒルのように罪が食いついて離れていないということだ。たかがヒル、しかしこれが命取りになる。恐ろしいことである。

形にとらわれていると本質が見えないことがある。「見える。わかっている」というときにその先はない。日々、謙遜と感謝をもって歩めるようにと願い祈っている。

聖句はhttp://www.tuins.ac.jp/~takao/biblesearch_s.htmlから引用





2014年6月25日水曜日

聖書を読みながら

聖書通読にチャレンジして今ロマ書を読み始めた。この調子だと7月くらいには読み終えるのかなとそうしたらもう一度新約をと思っている。時には字面を追うような日も無きにしも非ずでひたすら前へ前へのみである。だからと言って多くの時間を使っているわけではない。読むのに努力する個所もあり、滅多にないが思わず読み進み時間を忘れることもある。

パウロ書簡を読み始めて素朴な疑問がわいてきた。パウロは何でイエス様のことをあぁも細かく書き表すことができたのだろうかと思ったりいている。弟子たちが書くのならまだわかるがパウロは復活したイエス様にしか会っていない。ピリピ書2章などはその最たるものである。聖霊と言われると次の言葉が出てこないがそれだけではないような気がしている。

もうひとつ私たちには主権がないがすべてのものを選ぶという意味では主権を持っている。大きな意味でイエス様の救いを受けるか受けないかは人の側に選択権がある。神の側にはない。この選びで救いを取ったとすると特権にならないだろうかと思う。「受ける」とならば問題はないが「取る」ということは自分の主権を行使したようなものそこにおごりが生じるような気がする。その典型が福音書に出てくる律法学者やパリサイ人である。そして現代の律法学者パリサイ人に最も近い人たちはと言えば…である。「知識はを高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」のことばが響く、

micah: 6: 8
主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
matt:10:42
わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら

小さい者を探すのは難しいが探して水一杯をやれるように努力したい。頑張ってできるものではないが。

2014年6月23日月曜日

流石が100円ショップ品

近くの100円ショップにファイルを立てるケースを買いに行った時に他の物を見ていたら剪定鋏が100円で売っていた。ロックもついていて如何にも切れそうな感じがしたので思わす買ってしまった。試しに新しく出てきた枝を切ったら実によく切れる。もうけものをしたと喜んでいた。しかし、義姉の家の剪定に行った時にもみじを切っていた。太いのをのこぎりで切り、小指位の枝は剪定鋏で切っていた。太いと少し力を入れないと切れないがそれでも何とか切れている。段々切れなくなったなぁと思いながら昼になり昼食をとる。休憩していざ仕事にかかろうとしてふと鋏を見たら片側の歯がめくれている。切れにくくなったのはめくれて歯と歯の間に隙間ができた所為であることがわかった。めくれたのを直し切ってみるとまたよく切れる。しかし太いのはダメで鉛筆くらいまでである。多分片側の歯は焼きが入れてもう片一方は焼きを入れてないみたいだ。剪定鋏の歯に焼きを入れないなんてと思った。紙を切るのじゃないのだから生焼きでもいいから焼きくらい入れておけよと思った。まぁ見かけは良かったし細い枝はよく切れたし文句を言ったら・・・。めくれた歯を見て苦笑いしながら「流石100円ショップだ」と思った。しかし使い方さえ限定すれば結構使えるものである。なんか自分の信仰を見るようでもある。使うのは主だが鈍の歯では使ってもらいないかもしれない。歯を研いでもダメ焼きを入れなければ、焼きが…焼きか難しいなぁ。

2014年6月18日水曜日

ノア 約束の舟

ネットで映画「ノア」の広告を目にして、調べたら最近公開される映画であることがわかった。地元の映画館もシネコンになっている所為か他のところと同じように同時公開される。公開日が「13日の金曜日」思わず苦笑いしてしまった。聖書を読んでいる者としてあそこをどういう風に表現するのか勿論聖書を忠実になんては思ってはいない。どれだけ人間のわざがどのように入るのだろうかくらいかな、そんな思いで家内と観てきた。161人が入るところにたったの10何人、大体こんなものなのだろう。フイルムだと大変だろうがデジタルだから何とかなるのだろう。

観終えて何と表現していいかわからなかった。製作者の意図が読めない。親聖書的なのか反聖書的なのか?服装は現代風であるがそれは良しとして、聖書に登場する人物もノアをはじめ息子たちもわかる。トバル・カインも、しかし何故彼がノアの箱舟の中におり、最後までいるのかカインの末裔だから?あるいはノアと対極にいるグループだから?わからん。

ノアを祝福するために箱舟を造ったのにあそこでは神の呪いになっている。そして家族の葛藤もフイクション?とはいえ中途半端な感じがした。箱舟を造る時の岩のような人形のようなものは何だろう。天使?まさか神?もしそうならオチョクッタものだ。映像も音響も迫力があったが内容が何となくお粗末というほかない。キリスト者と自称している人でも奇蹟は信じていないからノアの箱舟伝説といってもおかしくないかもしれないが伝説かぁと思ってしまった。聖書をあまりよく知られていない日本で聖書をどう理解するだろうかと思うと疑問である。藤村操ではないが「聖書は不可解である」で終わりそう。箱舟を造り始める前に眠くなって寝てしまった。それだけ緊張してみるようなものではなかったのかもしれない。まぁいいとも悪いとも言えようのない不思議な映画であった。