2014年12月31日水曜日

年の瀬を迎えて

今年もあと一日を残すのみとなった。
暮れに向かってというには目の前すぎるがいくつかのことをやろうと思っていたことができたので感謝している。みんな些細なことであり、それをやってもどうってことのない代物、性格的なものでゆうなれば重箱の隅が気になるタイプなのである。些細なことで足の裏に付いたご飯粒のようなものでイラク気になるという小心者の典型である。それでもそれらができたことに感謝している。いのちをながらえるにはシクラメンではないが弱いものは弱いものなりに守られる必要がある。そして主は守ってくださる。それを覚えるだけでも感謝なことである。甘いはいけないが。

家内と義妹とがイオンで寿司を買ってきて、それをメーンに手作りを少しと買ってきたカツを添えての大晦日の夕食いたってシンプルである。食べ終えて紅白、私は興味がないので下りてPCと向き合う。ネットサーフインをしながら今ブログを書いている。一年を振り返ってと言ってもどんどん忘れるから振り返らない。もう時間がないのでこれで切り上げます。

大晦日、越に越されず越されずに越しそう。もうすぐ新年…、今年はこれで終わり。

シクラメン

大分間にクリスマス会の案内を以前住んでいた大家さんに持って行った。後で分かったことだがここの大家さんはお姉さんが家内の父の実家に嫁いでいた。亡くなった叔母さんと顔がダブルのでなぜかまともに見れない。今は縮小しているが農園をやっていて鉢植えの花を扱っている。12月に入っているからもうシクラメン一色、ついでにと一鉢買ってきた。何時だったか寒い朝に出窓においていたシクラメンがしなびでみんなお辞儀をしている。昨夜までピンとしていたのに寒さに弱いことは知っていたがこれほどとは思わなかった。それから部屋の中に置くようにして何時だったかピンとしているので回復したのかと思ったら家内がひもで結んでいてそう見えただけだった。今は寝るときは新聞を袋状にしてその上にスーパーの袋を被せている。しかし寒いとダメで花の先が紫色になったり、茎も変色してしまう。それでも今は日中暖かいと回復する。しかしこれから第二第三の寒波が来るからそれには耐えられないだろう時間の問題かなと思っている。。こちらに来て感じたことは寒さに強い植物は霜柱が立っても平気であるが弱いとそれこそひとたまりもなく脆いのである。これらを見ているといのちのもろさとはかなさを覚える。人もそれほど変わらない。元気で頑張っているように見えても色々と守られての条件付きにしか過ぎない。いのちはいのちを与えてくださる方でしかそれを扱うことはできない。そんなことを寒さに弱いシクラメンを通して教えられる。いのちがあり守られていることはおおいなる感謝であり、あとは余禄。

2014年12月20日土曜日

冷蔵からチルドへ

今冬一番の寒さ、今朝起きて温度計をみたら台所は3.4度、ファンヒーターを点けたらその温度計は2度になっていた。台所の温度計は1m位の高さにあり、ファンヒーターは床から20㎝位その差なのかなと思う。しかし久しぶりに陽が差していてそれほど寒さを感じない。寒い信州では陽が当たっていることは最高の恵みである。暖かい日差しの中で3時頃いつもの湖畔端を歩くが最初からフリースを脱いで歩いたがそれでも少し汗ばむくらいだった。この間はジャンバー着ても寒かったのに太陽様様である。雪道なので長靴を履いて歩いたが速歩でも歩けたが雪道は懐かしくあの雪を踏む感触が何とも言えない。道路は雪がなくなっても湖畔端は雪一面、犬連れは何人かいたがさすがに雪道をウオーキングする人はいなかった。

明日は雪にはならないがお天気が悪く当分太陽は拝めないかな?我が家は大分前から冷蔵状態だったがここにきてチルドに入った。パーシャルにはならないだろうと思っているが今朝風呂場のタオルが凍っていたと家内が言っていたからじわじわかな。それでも日の入りは伸びる一方だし、日の出もあと半月もすれば早くなる。そんなことを思うと気持ちが少し安らぐがファンヒーターも石油ストーブも灯油切れ、朝起きたら補充しないといけない。家内はいつも前もってやっているが今は親指の関節を痛めているのでできない。だからぎりぎりまで伸ばす私の仕事なのでこんなことになる。明日の朝はこんな朝かな…。


                作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正
唄:吉永小百合・和田 弘とマヒナスターズ
1 北風吹きぬく寒い朝も
  心ひとつで暖かくなる
  清らかに咲いた可憐な花を
  緑の髪にかざして今日も ああ
  北風の中に聞こうよ 春を
  北風の中に聞こうよ 春を
2 北風吹きぬく寒い朝も
  若い小鳥は飛び立つ空へ
  幸福(しあわせ)求めて摘みゆくバラの
  さす刺(とげ)いまは忘れて強く ああ
  北風の中に待とうよ 春を
  北風の中に待とうよ 春を
3 北風吹きぬく寒い朝も
  野越え山越え 来る来る春は
  いじけていないで 手に手をとって
  望みに胸を元気に張って ああ
  北風の中に呼ぼうよ 春を
  北風の中に呼ぼうよ 春を

2014年12月17日水曜日

141人死亡 至近距離で頭撃つ

イスラム過激派の痛ましい事件が続く、イスラム教の印象が悪くなるばかりである。3.11のときにイラン人の人たちが被災地に炊き出しに行って被災者に自国の料理をふるまった記事がネットで観た。彼らは困っている人を助けることはイスラムの教えですよと当然のように語っていたことを思い出す。

前にも書いたがアイルランド紛争のときにも日本人はカトリックとプロテスタントの宗教戦争と捉えていたがアイルランド出身の宣教師がこともなげに「あれは宗教戦争ではなく、ただの暴力です」とこのようなことを言われたことを思い出す。多分、イスラム過激派もそうではないだろうかと思う。イスラム教の信者にとってはいい迷惑なのだろう。

でも彼らを非難することは簡単だが70年前には日本も同じ事をしてきた。天皇陛下のためにと言いながら天皇が望んでもいないことを自国民に強いて、そして当然のように命まで奪っている。だから同じことをしてきた日本人には非難することはできない。そこに横たわっているのは貧困であり、そこからくる教育の欠如ではないだろうか。人間は罪びとであり、多くの失敗を繰り返しながら少しづつしか学ぶことができない。そこにはいのちの犠牲が伴っている。彼らが滅び新しいイスラムの世界が広がってゆくことを願う。

今キリスト教も多くの面で宗教にすぎないと思っている。イエスさまの教えに従って歩むこと以外にそれを否定する道が無いように思うがどうだろう。自分ははるか離れたところにいるような気がする。遠い道ではあるが一歩でも半歩でも近づきたい。しかし、努力で得るものではない。イエスさまの十字架と復活の上にあるのである。

選挙に思う

この間衆院議員の選挙があった。いつも選挙は不在者投票をしている。今回は集会のクリスマスがあり、TVを観たのは夜中にちょっと観ただけである。翌日も忙しく新聞もネットとも見ていない。山本七平の「空気の研究」なる文庫本を読んだ後の所為か何とも言えない後味の悪さを感じる。

安倍さんも姑息だ。今なら自民単独で2/3、反対する公明を必要しなくともと思ったのだろうがそうはいかなかった。夢を描いたが駄目を確認するために700億円を使ったのかと思うと遊びにしてはひどすぎるんじゃないのと思ってしまう。流行語大賞ではないが「ダメよ~ダメダメ」と朱美ちゃんでなくても言っちゃうよ。でもこうなったのは民主党がだらしなかったこともあるのかもしれない。特に鳩山さんと小沢さんがいけなかった。この辺は専門家が色々言っているからこのくらいで…。

昔、監督が阿保だからと辞めていった野球選手がいたが監督が阿保でも何時か監督にと頑張っている人、しがみついている人もいるのでろう。そんなことを脇において与党、野党を問わず国を思っている人もいることだろうと思う。国会の場で与党と野党の政策で論戦を期待したい。そのような人たちが育つなら今回の選挙は無駄ではなかったと言えるし700億円は安いものになる。

こんなことを今度の日曜日に話す準備を脇に置きながら書いている。パソコンに向かっていれば準備していると思っている家内にばれたら晩飯抜きだが幸か不幸か家内はPCにはノータッチ。気分転換のつもりが本題にはノータッチである。これからやります。

ギンナン

何時だったかイオンの帰りに近くの公園の脇を自転車で通ったらおばあさんが何かを拾っている姿を見て何だろうと思った。何気なく上を見上げたら真っ黄色の葉をつけたイチョウの木があったのですぐわかった。ギンナンを拾っていたのだった。もう一本もあったのでゴム手袋にスーパーの袋をもって拾いに行き袋八分目くらいになったので帰ってきた。それから何日かして外の洗面台で臭いにおいをかぎながら皮をむき実を陰干しする。それでも何となく匂うが乾燥させたらそのにおいも消えた。それから何日かたって行ったら何もなく、おばあさんが拾っていた木のところに行ったらたくさんギンナンが落ちている。だれも拾っていないようである。なんでだろうとかき集めるようにスーパーの袋にいっぱい入れ、翌日も手でかき集めるように拾ってきた。一本は落ちていないので拾った形跡があるのにこちらはそれがない何でだろうと少し気持ち悪い気がしたがどうも粒が小さい所為かなとそれしか考えられない。そこは二回で終わった。

子どもの頃は網で魚を取ったり、秋には栗を拾ったりするのが好きだった。食べたいことよりもその行為が好きなのである。何時だったか栗をたくさん拾って箱に入れていたら父が大阪のおばぁちゃん(と言っても父の姉であるが)に送ったら喜ぶよと言われてそのまま父に任せた。無くなっていたので送ったのだろう位の意識しかなくそのことは忘れていた。就職して伯母さんから手紙をいただいたときにそのことが書かれていて、食べ物がないときに嬉しかった旨のことが書かれてあって、もう忘れていた些細な行為がこんなに喜んでもらっていたのかと不思議な思いがした。そして転職して給料前になると金欠になり、昼食抜きになる頃伯母さんからの手紙がくる。そこには必ず千円札が3枚ばかりはいっていた。これで昼飯が食えると喜んだものだった。伯母さんは苦労しているからそんなことがわかるのだろう。キリスト者になって、ケリテ川で烏にに養われたエリヤの箇所を読むとそのことを思い出す。そのこととともに多くの人たちにお世話になって今があるなぁと思い、二三の人が浮かんでくる。それだけだめな人間なのである。返せない負債だ。最大の負債はイエス様だけど。

ギンナンといえば茶碗蒸しの上にあるギンナンしか浮かばない。いつもなんでギンナンがと思うくらいでおいしいものではなかった。食べたいためにとったのではないから最初にとったのをほとんど婦人会の祈りのときに家内に持たせた。持って帰るかなと思ったら全部貰ってくれた。N姉が好きらしく大半持って行ったとか、2回目の持たせたらそれも全部はけ、今残り1/3があるのみ、それでも結構ある。今は朝食のあと、ストーブの上でギンナンを焼いて食べてる。焼くとおいしく癖になりそうである。正月は落花生でなくこれだと、今は落花生をせっせと食べている。メイドインチャイナだが。
焼くとこんなにおいしいならもっととってこようかななんて思っているが寒くて今は雪に覆われているから取れても一週間か二週間後になるだろう。その時元気ならでの話であるが。

2014年12月12日金曜日

希望とは

暮れになるともの好きというか暇なのか日の出と日の入りを調べている。信州の冬は寒く、日の出は遅く、日の入りは早いじゃ何一ついいことがない。春夏秋冬は三か月づつなのに冬は五か月近くもある。半年は冬と言われる北海道の寒さと比較されると何も言いないがそれでも言っちゃう。

春はそれこそハルカ先だし、身近な希望はいつから日の出が早くなるか、日の入りが遅くなるかである。といっても最初の頃は2-3日に1秒の変化にすぎない。毎日1秒と変化するのは一か月近くたってからのことである。それで日の入りの一番早いのが12月3-10日で16:31分、昨日から確実に日の入りは伸び続ける。これがささやかな希望であるがこれは岸洋子の「希望」のはかない希望と違って確実な希望である。

若いときに生きることに希望を失っていたことがあった。絶望していたわけではない。生きる希望を見出せなかっただけである。そんな中でほんの些細な行為が生きる希望を与えてくれたことを今もはっきりと覚えている。これが変わらない生きがいを求める一つのきっかけであったのかもしれない。

交流のサインカーブがある。ゼロを起点としてプラスとマイナスを交互に描いている。プラスでも下りがあり、マイナスでも上りがある。人生も同じで必ずしもプラスがプラスではなく、マイナスがマイナスではない。プラスのところに失望があり、マイナスのところに希望がある。勿論プラスにさらにプラスがあり、マイナスにさらにマイナスがある。人生もその繰り返しなのかあるいは同じことを繰り返していく中で螺旋階段を上り下りしているようなのかもしれない。

クリスマスが近づいている。昔は信徒でもないのに祝いるかと言い、キリスト者になればノンクリと一緒に祝いるかと誕生日同様に何もしないで終わっている。今年も然りであろう。勿論、集会のクリスマス会は年の一度のイベントであるから外見はささやかだが集会としては気持ちは盛大である。否、奉仕してくださる方がいるからできるのである。

イエス様の誕生の様子をルカは記している。馬小屋にというどちらかというと否定的な捉え方をしているがどこかで読んだこの出来事はそうではないようなことを書かれていた。母の実家では牛を飼っていたが牛小屋は母屋の棟続きだった。ある意味で大切な動物だったわけである。汚いかもしれないが隙間風が入るような形ではなく、牛小屋はないがしろにされていたわけではない。ナタンがダビデに例え話をする。そこに小羊と寝食を共にする貧しい農夫の話が出てくる。それはたとえ話ではなく実際にあり得ることであっただろうと想像する。だから家畜小屋といっても馬鹿にしてはならない。下手な部屋よりも大切な部屋なのである。そんなことを思うと見た目は悪くともイエス様にふさわしい面もあったのかもしれない。ルカは人が見過ごしてしまうような出来事を書いている。だれもが気が付かない幼児イエス様にシメオンやアンナが気付いて賛美している。イエス様に触れる人にはその人生を変えてしまうがすれ違っても気づかない人には何もない。

ささやかな希望でも希望は希望である。それによって生きる力が湧いてくる。あるいは耐えられる。しかし永遠ではない。しかしイエスさまは病気が治してくれるわけでもなく。勿論金持ちにもしてもらえない。むしろ困難な状況が待ち構えていることが多い。それでもイエス様は希望の星である。決して見失うことのない星である。否、見失っても安心して行ける方でである。そして永遠に。

最後に日の出は年開けて草々が最も遅い。来年の話なのでその時書こうと思っている。主は、ささやかな希望、否、すべての希望の源、そこに変わることのない希望がある。

2014年12月11日木曜日

愛するということ


1cor 13: 2
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
1cor 13: 3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。


聖書の通読を終わってから毎朝新約聖書を一章読むことにしている。勿論読めない日もある。何事も腹八分目ではないが一週間五日、インターバル速歩もそんな感じでやっている。先週は雨やみぞれで四日くらいしか歩けなかったが何事も無理なくやれるのが基本としている。この年で頑張れないし頑張るつもりもない。そして今コリント前書を読んで昨日かなここを読んでいた。なぜか懐かしさを覚えた。それは最初に聖書のことばとして印象になったことばだったからである。あるいは、信仰に導かれる過程での一つのきっかけになったことばでもある。

この世代はというより自分だけかな「愛」という言葉は照れくさくて言えないし愛することも不器用でできない。自分もやってみたいと思っているわけではないが相手にストレートでモーションかけることができる人をみると羨ましいなぁと思う。

そんな愛と無縁の男が「愛」という言葉に触れて感動していたことを昨日のように思いだす。しかし、その感動も遠い過去になってしまったようだ。それは、多分初めの頃は受ける側だったから受け取るだけでよかった。今は逆に受けるよりも与える側にあるような気がする。ない袖は振れぬと言ってそれで終わりになればいいのだがそうもいかない。求められるわけではないが状況としてそのように感じることが多い。

あるかないかとは別にもう一つのものがある動機である。純粋さが求められるが結構不純である。
損得抜きで相手に与えていると思っても実は自分の自己実現のためであったりというのが結構ある。否、すべてと言ってもいいだろう。無私でない限り「無償の愛」なんてない。そして肉が生きている限り無私はあり得ない。それができるのは無私のないイエス様だけだろう。もしそれに近づくことのできる行為は、「あなたはそれを成せば失いますよ」と言われたとき、それを承知したときであろう。何かを受けることを期待して与えるのは世の常、期待しないで与えるのはイエス様。変かな?

キリスト者になる前に観た映画「汚れなき悪戯」にマルセリーノが二階に上がってはいけないと言われていたが好奇心から上がり、その奥の部屋に裸の十字架のキリスト像を見つける。彼はその像に語りかける。正確なことばは忘れたが「名前はなんていうの」と尋ねると「私は与えるのだ。ただ与えるのだ」と答える。印象に残ったことばだった。今キリスト者になってそのことがよくわかる。

愛するとは、自分の命を削って他者に与えることであろう。召される前にまねごとでもいいからしてみたい。

2014年12月7日日曜日

真の貧しさ

2cor 8: 9
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。


2014年12月6日土曜日

冬の風景

今朝起きたら路面は融けていたが白一色の世界。山も白くなると何となく寒々とする。信州は割と雪が少ないから寒い。雪があると寒さの厳しさが少ないように思える。前日まで割と凌ぎやすかったのに手の平を返すように寒波が来てからは寒くて、雨やみぞれに雪である。温暖化を心配しているがここではあまり関係ないみたいだ。正直関係あってほしいなぁと思う。雪が降ると山は横一直線で白くなるので標高差がわかる。寒くなる前に塩尻に出かけたとき日本アルプスの山々の上の部分が真っ白になっていた。次に行った時はその白さが大分下がっていてこの間の寒波襲来で見える部分は真っ白になっていた。八ヶ岳も然りで今は大分下まで白くなっているのだろう。ここからは上の部分しか見えない。諏訪湖から富士山が一番よく見えるスポットが近くの湖畔端にある。何時だったか良く晴れていた夕方に速歩で通ったら側面が夕陽をうけて綺麗だった。勿論下まで白くなっていた。人の造ったものには素晴らしいものもあるが神さまが造った自然の四季折々に彩られる美しさは敵わない。冬は冬の美しさがある。でも寒さは苦手、春はまだ遠いなぁ一年先かぁ! 



2014年12月5日金曜日

二つの貧しさ

マタイは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(matt: 5: 3)とあり、ルカでは「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。」(luke: 6:20)とある。

今まで二つの貧しさを自分は持っていると思っていた。お金に縁のない貧しさと、そこからくる貧相な心と、「イエス様が幸いだ」と言われているからと負け惜しみのように言っていた。しかしお金はないよりもあった方がいいし、心も豊かでありたいものだと思っている。「貧すれば鈍する」ことも経験し、貧しさのゆえに受ける不条理も経験した。俎板の鯉のように露わにされたこともあった。戦中戦後に生まれ育った人たちは「昔は貧しかった」と過去形で言うがサルは現在進行形であるのがつらい。ありとあらゆる貧しさを経験したと言えば大袈裟かな?そんなの貧しさじゃないという人もいるかもしれない。

ここで聖書の講釈を書くつもりはないし書けないがイエス様が「幸いである」という貧しさをキリスト者はそれを求めているだろうか。勿論自分も含めての話だが。トマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」(岩波文庫)の冒頭に「私に従うものは暗(やみ)の中を歩まない、と主はいわれる。このキリストのことばは、もし本当に私たちが光に照らされ、あらゆる心の盲目さを免れたいと願うならば、彼の生涯と振舞とにならえと、訓(おし)えるものである。それゆえキリストの生涯にふかく想いをいたすよう、私たちは心をつくして努べきである。」と書いている。

実際そうなのであるが自分が貧しいと思っていたことは、実はこれは「似非貧しさ」であって、真の貧しさではなかったのではと思うようになった。この貧しさを経験されたのはイエス様だけではなかったのではないだろうか。勿論、先人の中にもそれを経験した人もいたであろう。しかし、イエス様の比ではないと思っている。勿論、その人たちを尊敬すべきことではなるが。パウロは「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。」(phil: 4:12)と言っている。
真に貧しいとは豊かを知っている人であろう。イエス様は豊かさを持っていたから貧しくなれた。だから誹謗中傷に耐えることができた。そして十字架にも。

お金の貧しさ、貧相な心、これは真の貧しさではなさそうだ。真の貧しさは下に下にと下って行ける貧しさである。仕える貧しさである。「喧嘩にはめっぽう強く『国定忠治は鬼より怖い、にっこり笑って人を切る』と謳われた。」、人に恐れられるのは、どのようなときにも「微笑み返し」をすることである。「できるかなできないだろうな」と松鶴家千とせ氏の言葉をもって閉じる。

2014年12月4日木曜日

12月に入って

12月に入ってもう4日になる。師走というだけあって早く感じる。と書くと忙しそうに見えるが実は雑用をあれこれやってるとやりたいことが出来なくて少し焦っている。それにパソコンがXPから8を使うようになったらうまくできないことが起きるとそれで一日二日とかかってしまう。それでも解決できればいいが宿題のように残ることも少なくない。少し時間を経ってやると簡単に解決することがある。しかしいつもではない。今も手こずっている。アップルは使えず携帯も老人用の字の大きいシンプルなものを使っているからパソコン出来るだけでもオンの字なのかなと自らを慰めている。それでも年寄りのおばあさんが同じ携帯を使っているのを見たり、スマホを指で操っているのを見ると少々落ち込む、頑張ればできるものではないので猶のことである。

お天気は2日から寒くなってこれまでの最低気温が最低気温になる予報だったがしっかり当たっていた。それだけでもビビるが四日にもなると朝起きてもそれほど寒さを感じない。それでも今朝起きたらシクラメンが一輪だけ立っていたがあとはみんなお辞儀をし、窓側のはへなって変色してしまった。植物も寒さに強いのと弱いのでは極端である。人間も然りだなぁ。サルは「顔はデカいがここ(ハート)はノミだ」と言っているから寒さを含めて諸々の厳しさに弱い。

こんな時期に選挙が始まる。歴史は繰り返すというが人の本質は何も変わっていないから時計の振り子のように右に左にと揺れ動くのは当然だろう。しかし、歴史に学ぶということもある。だけどその歴史にちっとも学んでいない。山本七平ではないが「空気が動かす日本」である。開けてみれば実体がない。だから誰も責任がとらないしとれない。そしてとるべき人がとらないでとるべきではない人がとらされている。秋に短い時間ではあったが「ひめゆり平和祈念資料館」を見学してそのことが少しわかった軍の結末がいい例である。安倍さんはいい人なのだろうが見ていると誰かにコントロールされているようでかわいそうな気がする。外見は自信満々だが真に国の行方が分からない人のようだ。だから猶かわいそうに見える。それでも実権握ったら施策を次々と行って奈落の道へと進むのであろう。地の塩、世の光としては塩味も薄く、ほの暗い燈心では無力感を感じるが自分はそれでもいいがアブラハムがとりなしたようにそんな祈りが必要であろう。この国のために、祈りは無力ではない。