2014年4月26日土曜日

お花見

このところお天気が良く暖かったのでスーパーでおにぎりとお菓子とちょっとつまむおかずを買ってお花見見物に行ってきた。一昨日は水月公園という町の公営墓地?の中にある公園で、サクラでは諏訪地区では有名らしい。サクラの季節は茶店もも開いている。それほど人は多くはなかったが年寄夫婦、家族連れ?友人たち、若いアベックと色々で芝生に座って食事をしていた。敷物を忘れたので切り株に座ってサクラを見たり、人の様子を見たり、諏訪湖や街並みを眺めたりしておにぎりをほうばる。サクラは枝を覆うように咲くから見ていて気持ちがいい。それにここは高台にあるので眺めもいい。いつも思うのだが高いところから見る街並みはその場所によってだいぶ印象が違う。以前に書いたが茅野から高遠に行く、杖突峠の茶店で見る原村や富士見町は八ヶ岳の裾野が広がって綺麗である。すぐ山になる湖周とだいぶ趣が違う。ここも下諏訪の町より岡谷の町が一望できる。塩嶺峠に向かって家並みがあるのを初めて確認できた。湖からすぐ行くと山だなんて思っていたがそうでもない。固定観念は何事も怖い。一服してから墓地の方に上っていく、急な斜面なので50m位なのに息を切らして喘ぎながら一番上まで行く、さらに階段を上るとそこも墓地だった。ここは一番上に四つばかり従来の立型の墓石はあったがあとは皆横型である。結構空きもあり、終の棲家は大丈夫だなと思ったが入れるか?である。ゆっくり墓地を眺めて下りてきたが下諏訪教会をはじめキリスト教の墓が五つばかりあった全部を見たわけではないので実際もっとあったかもしれない。ここでも1%の壁を感じた。

昨日は家内の実家の川を挟んで向かい合うようにある成田公園のサクラを見に行ってきた。家内は家から公園のサクラを眺めていたが行ったことはないから一度¹行ってみたいと言っていたので行ってみた。下にあるお不動様から少しサクラがあるくらいでたいしたことはなかった。中年の夫婦とおばあちゃんと三人で桜の木の下で食事をしていたくらいで他は誰もいなかった。広場にシートを敷いて広場の脇にある桜を眺めながら前日と同じメニューで昼食をとる。この時はイカ天プラスで、外で食べると不思議とおいしい。数本のサクラの眺めてだがそれでもサクラはきれいだ。ただすぐわきが高速なので車の音がうるさかったが人がいないので静かな感じでつい横になって昼寝をしてしまった。道路のサクラを眺めながら川を挟んで高台にある花岡公園のサクラも見えたのでそこにも行くが道路から眺めただけで帰ってきた。

近くの湖岸の脇にあるみずべ公園のサクラも満開でキレイだった。ここのサクラが一番勢いがあるような気がする。あんまり近くなので弁当はと思ってしまうが芝生になっているからくつろげる。それと横川川のサクラも綺麗、長さといい、量的にもすごい。サクラのトンネルの下を歩くような感じがして気持ちがいい。昨日はヤマダ電機の帰り、川に出て湖まで自転車で行ってみたがもう葉桜になりかけていた。それでも一番風情がある。

枯れ木に花が咲くように一面に花を咲かせて実に花に覆われているように咲く桜、あっという間に散り、そして青葉を出してくれる。青葉もいい、神が創造したものの美しさを覚え、心和ませ癒しを与えてくる。春はいつもよりそのことを覚えられる。感謝なことだ。人が作ったものは美しく立派だけれどもどこか不自然である。創造者を覚えて見れる花見は「いいなぁ」と書きながら食べるときは風情なく食べているが。

2014年4月18日金曜日

サクラ前線

今日塩尻に行ってきたがサクラは満開だった。駅の近くから松本市との境あたりまで通っていたがどこも満開である。といっても市街地はサクラなしだがそこを離れると家や道路添えにサクラが咲いている。ちょっと高台にある県の畜産試験場もいつも通るときは厩舎?サイロ?平屋の建物が散在している何の変哲もないところだが白とピンクの彩を添えていた。サクラはどこか華やかでいい。というより人を華やかにさせてくれるのかな?庭先にしろ道路の脇にしろその脇を通る時は気持ちが弾む、といっても愛でるところまではいかないなぁ。

子供のころ加治川の土手に咲いていたサクラは壮観だった。山に上がってみると川伝いにうねるようにピンクの色が川下まで続いている。わが集落から土手伝いにサクラが植えられていてそこは県道(今は角栄さんのお蔭で国道)にもなっているので花のトンネルそのものである。子供のころ感動しても大人になるとそれほどでもないことはよくある。もしかしたらその類かもしれない。4-5キロ下流にJRが走っている。今はどうなっているかわからないが子供のころは桜見物ができるように臨時停車場になっていて大勢の人が下りているのを見たことがある。別に田舎のサクラを自慢するわけではないがそのようなサクラを見ているとちょっとのサクラでは感動しない。

そのサクラも今でいう国土省が土手に木を植えてはいけないということでみんな伐採した。よく土手が決壊してその改修という意味合いもあったようだが役人は風情のない連中だなぁと思うとともにその後道路に植えてもよくなったようだ。ここでも役人のやることは朝令暮改の類ではと独断と偏見の目で見ている。それで昔の面影を回復しようと地元の観光協会などでは頑張っているのでは?

こちらに来て感動したのは高遠城址公園のサクラ、2-3年前だったが散りかけていたが奥の方にある三本のサクラが3-4階位のビルの高さから子供の背丈くらいまでしだれサクラのように花の壁になっていて丁度の周辺が芝生だったから寝っ転がっていてもきれいだった。まさに圧巻だったそれだけだなぁ。昨日、家内と漕艇場から岡谷寄りの湖畔端を散歩したらそこのサクラは満開だったがあとはまだ蕾の状態、しかしサクラはアッという間に咲いてしまうから今日あたり漕艇場から諏訪よりはもう咲いているかもしれない。湖畔のサクラはまだ若い木だから大きく咲かないから今一である。それでもサクラの花や他の草花を見て愛でる心を養いたい。最近家内に「あなたの冗談は皮肉っぽいんだよ」と言われて注意されたばかりなので反省を込めて、しかしこの間来てくれたN兄も話の中でそのようなことを言われたからこれがトレードマークのようなもの迷うなぁ。話の準備をしないでこんなこと書いている。反省なし。

2014年4月17日木曜日

ニコデモ

今までニコデモというとあまりいい印象はない。多分夜人の目を避けてイエス様を訪ねたりしているから熱心な信者が多いわが信仰集団は赦せないのだろう。そんなことがインプットされていい印象がなかったのかもしれない。今はだいぶ違う。パリサイ人がイエス様を捕えて裁判にかけようと計画していたとき彼は弁護している。それにイエス様を葬るためにアリマタヤのヨセフとともに手厚く葬った。判官贔屓なのかへそ曲がりなのかこういう人が好きなのである。まぁ王道、スポットライトを浴びる人ではない。しかし目立たないが誰もやらないことをしっかりやっている。

イスカリオテのユダだってある意味で大切な登場人物である。ユダはこれくらいにして…
ヨハネ伝ではカナで初めての奇跡を行い。その後宮で商人や両替人に対して神殿粛清?をやり、多くのしるしを行っていた。それを見てニコデモは早々に神から遣わされた方であることを受け入れている。彼らが持っていた固定観念に?を投じたのではないだろうか。この人は案外すごい人なのかもしれない。

2014年4月14日月曜日

神は愛である

「神は愛である」(1ヨハ4:16)(口語訳)

サルが信仰を持った頃、クレージーキャッツの植木等さんが折り畳み傘のコマーシャルで「なんであるアイアデル」というのをやっていた。これでこのメーカーはだいぶ儲かったようだ。しかし時代の流れかこのメーカーも廃業したように聞いている。蔵前や御徒町、上野に隣接しているところである。あの辺は小間物雑貨屋の問屋さんが多かったように記憶している。余談だか上野、御徒町、秋葉原、神田と昔からの町は色々な業種の問屋が集まっている地域でもある。もうビルが建ち並ぶオフィス街に代わってしまった地区もあれば今も健在な地区もある。数年前の話で現在はどうなっているかわからない。あの辺はどこか懐かしいところでもある。それと名前は忘れたがある落語家が「神は愛である」を笑いに使っていたように記憶していた。もしかして福音?そんな印象なかったなぁ。そんなことでこの言葉はあまり好きではなかった。むしろコリント前書13章、こちらが印象は強い。前にも書いたがカトリックのラジオ放送で「心のともしび」の冒頭で女優の河内桃子さんが「どんなに美しことばももし愛がなければ相手の心に響かない」(正確な言葉を忘れたが)を聞いて、あぁいい言葉だと思った。聖書に関心をもった最初の言葉でる。

最近でもないが「愛」について考えたりしている。罪の故に創造のみわざは損なわれたけれどそれでも根底に愛があるような気がする。春は勿論だが厳しい冬の季節でも何かを守っている雪のやさしさを思う。(こんなこと書きながらチョッと前までは寒さでヒーコラ言っていた)被造物の中においても「愛」は完全ではないが見ることができる。罪はどこか否定的である。その発想で物を見、また見えてくるからいけないがまだまだ豊かな愛で満ちているような気がする。そこにあるのは「神=愛」だからである。愛のないサルだが「神を愛し、被造物を愛し、人を愛して」行こう「神は愛です」から・・・。

2014年4月13日日曜日

通読の中で

esther 4:13b
「・・・あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
esther 4:14
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
esther 4:16b
「・・・私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」


job 19:25
私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。

2014年4月12日土曜日

Windows8.1

XPから8.1に変えたらただでさえブラックボックスなのに更にという感じである。いつの間にかofficeが使えなくなり、再インストールしたがどうも他でも同じようなことが起きているみたいだ。よくわからないのでどこで何をクリックしたかわからないが前のワードがアドビに侵食され使えなくなったりとそれでもいじっているうちに出せるようになったが全くギブアップである。それでワードとエクセルの本を買ってきて詰めの甘さを解決できたらと思っている。

ギヤチェンジもスーパーカブのようなものだったら問題ないが複雑な?ギヤチェンジだと下手するとバイクを壊してしまうそんな危うさをパソコンを使っていて感じる。昔からだがいじっているうちに一つ分かり、また忘れの繰り返しである。幸いなことに今のところフリーズすることがないので感謝である。しかしタッチパッドに触る所為か文書を打つと字が大きくなったり小さくなったりで困る。二本の指でそれをやろうとするとうまくいかないのに腹が立つ。タッチパットもサッと触っただけで動いたり、しっかり触ってもびくともしなかったりでじゃじゃ馬の如しでこれも困る。固い頭を柔らかにと願いたいがこの年だと脳軟化が怖い。

恩寵の生涯

一月の長野集会の月報に紹介されていた好地由太郎の自叙伝の題名である。必読の書とあったのでアマゾンで調べたらあったので購入した。勿論古本であるが新品同様である。初版は大正6年出版され、昭和4年に8版を重ねて絶版になっていたのを1996年にこの本を読んで感動した宮本義治さんが現代文に直して出版され、更に2007年にオフィスワイワイ蜜書房さんが再出版された経緯がる。それを今手にしている。

1865年千葉県金田村に生まれた。1882年に17歳で奉公先の女主人に対して性的罪を犯し、それを隠蔽するため殺害・放火して逮捕され、死刑を宣告されるが、未成年のために無期懲役刑になる。
鍛冶橋監獄で、安川亨に聖書を送られる。冤罪で投獄されていた青年伝道者の祈りに心を動かされて、入信した。牢獄内で迫害を受けるが、留岡幸助が教戒師になり、留岡と妻の夏子に大きな影響を受けた。
その後、模範囚になって1904年に出獄して諸方で伝道活動をして、1905年4月に留岡幸助の司式で結婚して巣鴨に住んでいたが、7月より開館した浅草の駒形伝道館に住み込んで伝道をした。
会館以来連夜説教会を開催して多くの人が救われた。公園内で路傍伝道説教をしたが、9月に由地が留守の間に、伝道館で婦人会の最中に、暴徒に襲われ家財道具を焼かれた。好地の妻は暴徒に追われて逃げ場を失い、隅田川大川端まで逃げて逃げ場を失い投身自殺をしようとしたが、聖書を見ておもい留まり、暴徒から逃れることができた。
後に好地のこの時逮捕された暴徒の一人に聖書を差し入れた。後に、多くの重罪人を回心に導いた。
(ウィキペディアより一部抜粋)
という経歴の持ち主である。監房の頭をしている時に一人の青年が入ってきた。「娑婆で何をしたのか」と尋ねたら「何もしていない」と、そして「良いことをしたためにここに来たのです」と言うから悪の限りを尽くして入獄しているのに「そんなことがあるか」と言ってみんなに袋叩きにされながら青年は「私はここで殺されても天国にまいりますが、ここにおられる方々は神を信じいない罪人です。どうかこの方々の罪を赦してください」と祈った。「ステパノのような祈りに心の中に一つの不思議な光のひらめきを感じた」と叙述している。これが入信のきっかけになった。しかし袋叩きにあっても泰然自若としている青年の姿を見て、この不思議な力の源は聖書にあるのではないかと読み始めます。勿論求道ではなく、脱獄や悪の手立てとしてそれを用いようとして人に読んでもらい、また自分も文字を習いながら読んでいくが逆のことが書いてあるので投げ打ってしまいます。その後も死の恐れ中にあって模範囚になったりあるいは脱獄したりと大変な囚人であったようだ。そんな中で一つの夢を見る。「若者よ、この本を食べてみよ。これは永遠の生命を与える神の真のことばです。この本をソナタにやるから必ず読みなさい。決して私の言葉を忘れるな」とそれから熱心に聖書を読むようになった。勿論、聖書は一読して理解できるほどやさしくない。

彼は酒タバコもやめ、人の嫌がること、辛く思うことは、自分から進んで引き受け、良いことはよい、悪いことは悪いとはっきり言うので反感を買うようになり、尚且つ伝道をするので迫害を受けるようになる。監房内で伝道と証をされ、独房は聖書研究の場となり、そして特赦で出所することができました。出所して主に刑務所伝道に励んでいたようです。彼は悪であれ、善であれ、言葉と行動において徹底している。信従という言葉があるがぴったりである。それ故か彼の周りに不思議な出来事が起きてくる。医者がさじを投げた病人が癒されたり、やくざが回心したり、どうにもならなかった問題が解決したり、その一つ一つにキリストの福音が伝わっている。ある意味でキリストの愛を命がけで伝えている姿を見る。だから結果が出る。

本の序にクリスチャン典獄として有名な有馬四郎助と家庭学校の創立者留岡幸助が書いている。この本は湯河原の大倉喜八郎の別荘で口述筆記をされて出版されたとか三名の名前は本間俊平の本の中にも出てくる。彼もどこでも受け入れてくれない青年や刑務所を出所した人たちを受け入れて大理石を掘っていた。同じように刑務所を含め多くのところで講演している。戦争中は福音から外れた言動があったようだが彼は多くの人たちに影響を与えた。戦前のキリスト者、特に明治のキリスト者は聖書の言葉を実践し、命がけで福音を伝え、社会を変えている姿を見る。読んでいて色々問いかけてくるが根底が違うなと思ってしまった。爪の垢を煎じて飲みたいなぁ









2014年4月8日火曜日

続片づけ

テーブルの柾目の向きを変えるだけだったのが厨房の油で汚れた部分を清掃を始めたら詰め替え洗剤三つも使ってしまった。一応業者で清掃してあったが細かい部分まではやっていなかったので目についているところを始めたらここもあそこもそしてシンクやガス台の下の壁が油の筋になっているのでここもスプレーで洗剤をかけたらよく落ちた。それでも油の黒い塊は部分的には取れない。アルカリ性の洗剤を使ったら面白いように落ちたのでつい気分がよくなってやってしまった。ステンレスはよく落ちるし見た目もキレだ。しかし鉄の部分はほとんど駄目でナイフで削ったりして落としたがきれいにはならない。

集会にCDを持って行っているが最近はあまり借りる人もいないので重いのをただ運ぶだけみたいになっている。そんなことだからこの間は持って行かなかった。これからは新規に購入したものをある期間だけ持っていくようにしようと思っている。フッと畳の部分にCDを置こうと思い。前の家で作ったCDやファイルの棚を再利用することを思いつき、棚の高さをCDに合わせて作ったらちょうど入りまだ少しスペースが残っている。当分大丈夫。召された沖見兄が送ってくださった冊子も箱に入ったままなのでそれも棚に入れて、いつでも誰でも閲覧できるようにした。ただしどれだけ興味を持ってくれるかそれは望み薄であるがいつでも閲覧できるという形を作っておけば後はほかのことでもいいと思っている。主に用いられることを願いながら一応やることはやった。まだ食器類は手付かずだがこれは実際使用するときにやればいいと思っている。それと湯沸かし器のバルブと契約アンペヤの変更これは業者でないとできないので業者待ち。

これであそこで聖書の勉強もできると思っているがイザできるとなるとどうなるかはなはだ覚束ない。他にも片づけがあるので気持ちがそちらに行くかもしれない。既に行っている。

2014年4月6日日曜日

暖かくなって

このところ暖かくてよかったが明日の予報は最高気温がこのところの最低気温と同じで夜中から3時ころまでは雪の予報である。寒いのはもういいという感じだがお天気ばかりはどうしょうもない。

この暖かさと先日の雨でフエンス沿えに何もなかったのに土の中から葉っぱが出ているなと思ったらあっという間に伸びて小さな花を咲かせている。植物には疎いので何の花であるかはわからないが他にもさらに伸びてまだ蕾もに出ていない植物もある。どんな花が咲くのか楽しみでもある。それとフエンス代わりに小さな木を植えられてあったのを邪魔なので抜いてそのところに石を置いていた。この間何気なく石を上げたら球根の植物が石と土の間を這うように伸びていた。別なところに移し替えたがあまり変化がない。球根で根も浅かったから凍ってダメになるのかなと思ったらしたたかに生きている。暖かくなれば花咲き爺さんでなくとも枯れ木に花を咲かせることができる。それとこちらに来て寒さの中でもたくましく生きる植物と枯れてダメになってしまう植物を見てその逞しさとはかなさを思わされる。そういう意味ではいのちあるものは皆同じだ。

先日家内と引っ越して初めて散歩に出かけた。近くを流れる砥川に出て、この川は和田峠から流れている。土手を歩いていると川床が家並みより高いのである。ゼロメートル地帯ではなく死海並みのマイナス地帯なのである。土手がしっかりしているし流量もそれほどでもないから決壊して水浸しになるということはなさそうなのだがなんでこうなってしまったのだろうと思う。そんなことを話しながら諏訪湖に向かって歩く、岸辺のあたりは公園の造成中で既にヘリポートはできていた。ウォーキングコースがあり、歩くとふんわりとした足感があり気持ちがいい。湖岸通りを歩き、近々できる町の温泉施設「ゆたん歩°」(ユタンポとよむ)を見て、そこからユータンをして途中イオンにより買い物をして帰ってきた。5キロくらいのものだろうか。このくらいなのにもう膝がおかしい。それでも今日もリュックを背負って近くのスーパーへ買い物に行った。往復で2キロにも満たないのだろうが運動不足にはちょうどいい。それと二人で歩くことは滅多にないのでぶらり二人散歩を兼ねてである。

2014年4月3日木曜日

信仰雑感

今のところ朝起きると真面目に聖書を読んでいる。4章5章は当たり前10章も読むこともあるが勿論パスという日もある。誰だったか忘れたが「国の歴史は書かれた当時の為政者の都合のいいように書かれている」と、歴代誌を読み終えてフッとそのことを思い出した。歴代誌は列王記と同じようなことが書かれている。しかし少し違う。列王記はダビデ王家のありのままの姿が書かれているが歴代誌は全部ではないが王家の悪いことは端折っている。サウロ王家はチョッと、ダビデ王家が連綿と続く、勿論バテ・シェバも出てこないしソロモンの晩年の「その妻たちが彼の心を転じた。(1kgs:11: 3)」ことなどは何も触れていない。しかしながらそこに流れているのは神が主権者であることを一貫して語っているように見える。

以前から思っていたことであるがサウロ王の姿を見ると彼の弱さと自分がダブる。ペリシテ人を前にして兵は震えおののき、待つべきサムエルはちっとも来ない。ついに我慢が出来ずやってはいけない全焼のいけにえをささげる。アマレク人とそのすべてを滅ぼせと言われながら勿体なくてか価値のないものを滅ぼし価値のあるものを滅ぼせなかった。退けられていながら長老たちの前で体面をつくろうとするサウロは哀れである。ナタンではないが「あなたがその男です」と言われそう。勿論底辺で生きている者に頂点に立つことなどありえないが。

アサ王は「高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。1kgs:15:14)」と言われながらイスラエルの王バシャを恐れてアラムの王ベン・ハダデに助けを求めた。予見者ハナニは「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。2chron:16: 7」と言われてしまった。平穏な時には主に感謝するが何かに直面するとこの世の物により頼もうとしてしまう自分がある。サウロ王、アサ王の弱さがダブるのである。サウル王はダビデ王のようにはなれないけれどしかしサウロ王も神に用いられた一人である。共感してもいいのではないかなと思っている。

2014年4月1日火曜日

4月になって

3月も終わり4月になって25年度から26年度になった。春到来とともに新年度が始まるのは寒い信州にいる者としてはとても気分がいい。しかし学生では勿論ないし社会人でもないリタイア組は毎日が日曜日であるからそれほど変化があるわけではない。消費税が8%になるというので色々買い物をして少し忙しかったがそれでもすぐ使う物でない日用品なのでたかが知れている。

そんな中ではあるが温かくなったらと思っていることを少しづつやっている。広くもないが家の周りの枯葉や雑草を取ったり、タイヤの跡でへこんでしまった部分に砂利を入れたりいている。それと手付かずだった1階の店の部分に手を入れ始めた。N兄が来た時にはここで食事をしようと思っている。この間は大人12人、子供が赤ちゃんを含めて6人にもなったので狭かった。4畳の畳もあるから赤ちゃんや小さい子供たちには丁度いいかなと思っている。

清掃はしてあるが使うにはもう少し手を入れないといけない。まず手始めに小さいテーブル二つが柾目の向きが90度違うので脚の部分を外して向きを変えて直し、汚れているショーケースをきれいにする。厨房を使うにはもう少し手を加えないといけないがぼちぼち、食器類は女性たちでないとできないからそこまでの前準備をしている。といっても油で汚れた部分をきれいにするだけであるが長年の汚れはそう簡単に落ちない。あともう少しで終わるがどの程度きれいになるかはわからない。

最初はテーブルの柾目の向きを変え、テーブルや畳を拭くだけの考えだった。そして今まで図書館に行って話の準備や聖書の勉強をやっていたがそこでやるつもりだった。イザ掃除を始めたらここもあそこもと増えてきてしまったという次第である。下準備ができても本番まで行くかこれが問題、他人事のようだが近々結果が出るから楽しみである。

それと暖かくなったら歩くこと、もうすでに暖かくなっているが時折自転車に乗るだけでまだ歩いていない。既に湖岸のウオーキングコーストには絶えず人の姿が見える。暖かくなったらあれもこれもと思うがいざ暖かくなるとそんな思いはどこかに飛んでいくのがサルの悪い癖でどうなりますか?