2014年5月31日土曜日

自転車で散策

このところの気候は春が過ぎて初夏を思わせる日々が続いている。街の中を自転車で走っていると陽の照り返しでムッとするが木の生い茂っているところに来ると爽やかな感じを受ける。まさに新緑の候の言葉がピッタリである。神の創造されたものの素晴らしさを垣間見るときでもある。

最近はちょっとした買い物は自転車で行く、運動がてらという意味もある。昨日は8キロ走った。しかし、先日ホームセンターに鎌を買いに行って買ってきたら家内に「それは小さいもっと大きい物を」と言われて取り替えに行った。あそこは上り坂になるし十キロ近くも走っているのともう暗くなりかけていたからまた自転車でという元気もなくて車で行って来た。

段々走っていると慣れてくるのかチョッとした坂でもギヤダウンしなくても何とか走れる。それでもあまり無理をしないようにしている。それと飴と水は必需品、水は飲んだ時はのどが潤うがそれまで、飴は舐めている間は喉が潤っている。暑くなる前にもう一度諏訪湖一周をしたい。そのときはぶらりと上諏訪の街の中も走ってみたい。

巣立ち

先日、皆で食事をするので店を開けたら何かの雛の声が聞こえる。どこからかなぁとよく見たら庇の鴨居?の端の方が汚れていて見えないけれど何か巣があるように見える。どうもそこから聞こえるみたいだ。前からあった巣のようである。店の方はずっと使ってなかったから人の出入りがないので安心して作ったのか前から作ってあったのでそれでまた卵を産んで育てていたのかはわからない。近くの電線や屋根に止まってはしきりに鳴いている雀がいるのでどうも親雀のようである。

田舎にいたころ屋根の上の部分に鳥が巣を作っているの見て覗きに行ったことがあった。そこには産毛もはいていないような肌色のままの一羽の雛がエサを求めて大きなくちばしを開けて鳴いていた。どの位経ってかまた見に行ったら雛は死んでいた。多分覗きに行ったのを親鳥は見て危険を感じて巣の方には行かくなったのだろう。悪いことをしてしまったと思ったが後の祭り、鳥の用心深さには驚かされたことを覚えている。

そんな経験があるから出入りには気を付けていたがそのうち雛の声が聞こえなくなった。また親鳥が警戒して来なくなったのかなと思ったがどうも巣立ったようである。枯れ木のような木に止まってしきりにクチバシで木をつついている二羽の雀がいて、よく見ると一回り小さい子雀のようだ。家内に話をしたら多分虫がたくさんいてそれを取っているのでは?と言われた。この雀が巣立った雀だといいのだが自転車に乗っていると子雀をよく見かける。頼りなく飛んでいる姿を見ると鷹やトンビに襲われないように気をつけろと語り掛けたくなる。


2014年5月27日火曜日

寒暖差

珍しく二階に用があって上がったらむっと暑さを感じる。既に初夏の雰囲気である。
一階は寒さは感じることはなくなったが炬燵は離せない。温度計を見れば20度近い。真冬の数度というときに比べれば雲泥の差であるが寒くはないが暖かいという感じはしない。パソコンをやるときはまだ毛布ですっぽりか下半身を覆わないと足が冷たくなる。お勝手は最初に日が差してくるところなのだが間取りの所為で暗くて寒い。居間はそれに比べれば窓も広くて明るく暖かい。二階は南向きがテラスになっており壁なしでテラス窓、春先は一階が寒いのに二階に上がると明るくて暖かい。今まで平屋だったから感じることはなかったが二階家だとこうも違うものかと驚いている。エアコンは一階に取り付けてあるが二階にはない。逆だったらよいのにと思うが窓用のものが北側に取り付けてあるがどれだけ効力があるのかわからない。これは二階屋の宿命か?

2014年5月26日月曜日

二つのはざまで

人は希望と絶望の間で生きている。
この二つはどのような状況にあるかでは左右されない。その持ち方で変わるのである。

イエス様が十字架にかかられたとき、本人は絶望していなかったが弟子たちは絶望していた。まぁわかりきったことだが、まさに先に望みがあるときはすべて希望へとつながり、その先に希望がないときは絶望になるのである。そして希望は肯定的であり、絶望は否定的である。

振り返ってみるとイエス様は肯定的であるが否定的に生きてきたサルは、どんなにイエス様の御心を歪曲して捉えてきたことかと考えるとぞっとする。これからもそうだろう。

イエス様が肯定しているところは肯定し、イエス様が否定するところは否定する。この当たり前のことができるかと問われたらできないだろう。パリサイ人は神の御心を律法を通してよく知っていた。しかし、これが御心だと信じてイエス様を十字架にかけてしまった。この倒錯がイエス様と人の違いなのである。

「ゼツボウ」(絶望)、イエス様が「ゼツボウ」の「ゼ」の点々を取ってくださったら「セツボウ」になる。「セツボウ」すなわち「切望」はイエス様に対する魂の渇きを訴える出来事である。ここから絶望から希望へ、歪曲から真の御心へと導いてくださると信じる。

2014年5月21日水曜日

懐かしさと後悔

ブログのお気に入りに入れている「一キリ…」さんのブログを読んでいたら「犬養光博」なる懐かしい名前が出てきた。知ったのはもう30年から前のことではないだろうか知っているといっても当時は日基の福吉伝道所の伝道師という名前だけである。「犬養光博」で検索したらその中の一つに中部学院大学のチャペルでの講演会の内容が学院のHPに載っていた。内容のほとんどが師と仰ぐ高橋三郎先生のことばかりに思わず苦笑いをしてしまったがそれだけ先生を尊敬していたことが理解される。先生も「十字架の言」誌に氏のことをよく載せていた。好意的に書かれていたことを覚えている。先生の厳しさは講演会でも言っておられたがその厳しい先生が好意的というよりほめていたと言った方が正解かもしれない。だからどんな人なのかなと思っていた。疲弊していた炭鉱の町で伝道者として働いておられるそれ自体が偉いなぁと思っていたし先生もそのことを見ておられたのだろうと思っている。氏はサルと同じくらいの年代で同じくらいに先生と出会っているようだそのきっかけも似ている。中身は雲泥だが。

サルも直接ではなく当時学生だったT氏に先生の「ヨハネ伝講義」を西荻窪にある待晨堂に行って買ってきてほしいと依頼を受けたのが最初のきっかけであった。新刊、古書、文房具類と店を三等分にしている店だった。ご夫婦は無教会の方であったが集会関係の人たちも知っており、訪ねた時はよくご夫妻と話をしたのを懐かしく思い出される。顧客は大学の先生が多かったのか新刊は高いのばかりであまり買わなかったが古書は珍しいのがあってよく買った。それでも地方の青年を対象とした講義のヨハネ伝は分かりやすく自分も購入した。集会でロマ書を勉強するその参考書をと思って探していたら先生のロマ書講義があり購入する。信者として歩き始めたばかりであり、集会なりの学びを聞いていた者にとっては驚きだった。今では当然のように語られているが当時は「無教会」というだけで一蹴されていた。でもある年の大会に借りている会場の管理の方が雑談している時にあなた方は無教会の人ですかと尋ねられたことを記憶している。色々なところが似ている。どちらも現代の教会を否定し初代教会を目指していたのであろう。しかし、先生は無教会があるのは「教会を通して」と言われていたようである。セクト化を嫌ったのだろう。ロマ書講義を通して先生に興味を持ち、ある時店の中で薄い一冊の月刊誌を見つける。それが先生の書かれている「十字架の言」誌である。早速購入しさらに定期購入をする。字が汚いのでもっと丁寧に書くようにと書かれてあったのを懐かしく思い出される。それに前年度の合本を送ってくださった。それから終刊になるまで読ませていただいた。薄いが中身の濃い誌だった。引っ越しで置くスペースの関係もあて半分くらい処分したが合本と1990年から終刊2009年までのは今もとってある。先生が事故で倒れてからやめようかと思ったり、正直関心も薄らいだ時もあった。先生のエキスをチョッと頂いて信仰の糧にしてただそれだけだったようなところもあった。もっと接する機会があり、教えを乞うことができたであろうに犬養氏ではないが怖くて尻込みをしてしまった。そして打算的な自分を今思い出して今頃後悔している。それでも後悔できることは感謝かなこれからの残された人生に生かせたらと願っている。たとえどのようであっても自分の中に大きなインパクトを与えてくださった。

ついでに「ロマ書講義」が与えた諸々のインパクトと同じように坂野慧吉牧師の「スピリチャル・ジャーニー」なる本も大きなインパクトを与えてくれた。諸集会は牧師も無教会同様否定的である。しかしこの本を通して牧師の謙虚さを知り、自分たちにないものを教えられる。勿論一概にどうこう言えないが学ぶべきものは学ばなければならない。そういう意味でカトリックからもと思っている。どうも日本人は否定的なことを強調するきらいがある。自分もその典型なのであるが。先生が召されて4年近くになる。ひょんなことから先生を思い、反省させられ、犬養氏の中にあった先生の週報の巻頭言集の「真理探究の旅」をアマゾンで購入し、今手にしている。読ませて貰ってまた先生の多岐にわたっての見識を通して教えを新たにしたい。

2014年5月19日月曜日

鶴峯公園

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川岸村(現在の岡谷市川岸)に、元片倉製糸の所有地で、昭和のはじめに公園化して鶴峯と名付けられた土地がありました。 昭和十一年秋、一帯の1.6ヘクタール余りの土地を川岸村に寄付し、村ではこれを記念して園内に三百株のつつじを植える事にしました。 そこで、つつじを埼玉県安行から購入したのだが、安行側の勘違いで貨車三台分のつつじが送られてきました。 そのつつじの量に村中は大騒ぎ。だが返品もできず、青年会や商業会、村民の有志が何日もかかって植え込みました。 つまり、この”勘違い”がつつじの名所を生んだのです。 戦後、鶴峯公園管理委員会を設置、本格的整備が進められ、中部日本一のつつじの名所となりました。 全山を埋め尽くすつつじは、三十種余り、三万株。実に見事で最盛期にはつつじ祭りが開かれる。      
(たびおかやのHPより)


鶴峯公園は釜口水門から天竜川を2キロくらい下ったところにある。川に平行して県道があり、その際から上に向かって公園になっている。誇れるだけあって山一面つつじ圧巻である。アぁ勘違いだが今だったら大変なことになるが昔の人は太っ腹だった。一番上の広場のさらに上に圧倒するように数メートルの初代片倉兼太郎の銅像が建っている。上の広場ではちょうど岡谷太鼓の人たちが演奏をしていて最後の部分を聞くことができた。昔は公園の周りは何もなかったのだろうが今は大分上まで家が建っている。グランドの臨時駐車場も満杯に近く、他県ナンバーも多かった。アベック、友人、家族連れそれもお年寄りを連れての人たちも多かった。露店にはにはあまりお客はいなかったが中に管理の家か軒下でくつろげるようになっていて地元の女性がお茶を出していた。

ただ難を言えば、通路が粉のような土埃が立って足元が汚れてしまうのでチップなり、細かい砂利などを撒いてくれると助かる。それとつつじが真ん丸に刈り込んでいるのであれはなんとかならないものかなと思った。聞くところによると業者かシルバーかで安くやっているとかもうちょっと芸術的センスがほしいと思ったがみんなはどう思っているのだろう。中継用のNHK諏訪のカメラも据えられていたのだから…
マル次第か。

2014年5月13日火曜日

視点

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。isa:43: 4 
という有名なことばがある。
だからあなたは尊い存在ですよと、それは人の側に立っている見方。しかし、このように人を見る神の視点での話はあまり聞かない。

以前電気屋に勤めていた時、呼ばれる名前が四つあった。「デンキヤ」、「デンキヤさん」、「ヒロセさん」(店の名前)、「サルさん」と、呼び捨てにして呼ぶのからサルの名前にさんをつけて呼ばれる方。呼び捨てにされても「さん」付けで呼ばれても電気屋には変わらない。そして気が付いたことは、この順序でお客様の謙虚差の度合いが違ってくるのである。そしてこの順序で社会的な地位も高くなっている。

一介の電気屋を呼ぶことによって、サルではなくお客様がどのような方であるかがお客様自身が明らかにしている。キリスト者として底辺で生きている者に「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。と言ってくださる。このように呼んでくださる方に答えていきたいものである。

2014年5月10日土曜日

諏訪湖で

朝から湖の方でにぎやかな声がするので漕艇場で競技をやっているのかなと思って、掃除を終わってから自転車で出かけてみた。漕艇場に行く道は通行止め、そういえば前日だったかに通った時、日にちの確認はしなかったが漕艇場脇の駐車場が駐車禁止になることが書かれてあった。車はダメだが自転車は問題ない。丁度二人乗りの競技が始まるところだった。ふたりだとそれほど早くはない。それでも早いのはスーと湖面を滑るように走るがそうでないとブレーキをかけて走っているように見える。走るという言葉はふさわしいのかな?ゴールの方に行くと別の組であるがゴール直前だった。やはり差は明らかに出ている。結構体力のいる競技のようだ。それと前にも書いたが岐阜、東京、神奈川の高校の名前を見る。以前いた集会で神奈川の愛川に県の施設でキャンプを毎年やっていたことがあったがその愛川高校の名前もあり、あぁあそこは相模湖があったなぁと全然関係ないのだが懐かしさが込み上げてきた。湖や河川のあるところでないとできないから大体その辺から来ているようだ。
地元の高校の名前が聞こえてきたので諏訪地区は大体の高校は漕艇部があるようだ。車いすの選手や両足が義足の競技者もいたからそういう人たちもやっているのを知る。考えてみれば櫂を漕ぐのは腕であるからそのような選手もいてもおかしくないかと思った。何せ引っ越す前までは全く関心がなく今でもそれほどでもない。しかし見ていると面白いが陸上と違い水上の競技、見ていると何ともスローモーに動いているようでせっかちなサルはさっさと帰ってきた。これから少し興味を持って色々調べてみよう。

2014年5月6日火曜日

学問のすすめ

福沢諭吉の現代語訳「学問のすすめ」(伊藤正雄訳・岩波文庫版)を最近読み始めた。これも「福翁自伝」と一緒に大分前に買っていたのだが積読のままだった。時折医者に行くので待ち時間に読むのにちょうどいい。冒頭にあの有名な「天は人の上に人を造らず…」が書かれてあった。諭吉の造語かと思ったらこれはアメリカの独立宣言の言葉を諭吉流に解釈したらしい。学問のすすめとあるから若者が読むものだろうが年老いて読むとはまことに残念である。それでも読めるだけましか。学問とは縁のないところで育った者には多少反発を感じないでもないが…。待ち時間に読んでいるのでいつ読み終えるかわからないが先が見えている者の「学問のすすめ」どうなるか楽しみである。

聖書教理がわかる94章

一昨年だったかSファミリーの年賀状にS兄が翻訳された本が出版されていることが書かれていたので早速アマゾンに注文して正月早々手にした。しかし、机の上に置きっぱなしで一年が経ち、その上にさらに本を重ねていたので埃もかぶらず綺麗なままだった。今年はと手にして読み始めたが短く区切って文章も平易だったのでスラスラ読めるかなと思ったらどっこいそうもいかずまるで骨をかじるようで咀嚼できない。ノートにでもと始めてみたが進まず試案しているうちに文章が短いからブラインドタッチの練習を兼ねてパソコンに移すことを考え実行している。文章を10pに括弧の中の引用聖句は9pに、そして引用聖句を開きながらであるから遅々たるものである。独学?は頭に入りづらいというより飲み込み力がだめなのかもしれない。それでも頷きながら進んでいけるから感謝である。まぁ非常に効率の悪いことをやっているから「お前阿保か」と言われそうだがしょうがない「阿保です」というしかない。それなりに教えられることもあるので感謝である。「キリストの危機」、「新約概観」そして今回とこれが三回目になる。挫折しないで最後まで…。

久しぶりに

北海道に比べたらまだまだ暖かい信州だがそれでもどこか暖いという感じはしない。このところお天気が良くない所為もあるのかもしれない。先日、割と暖かかったので運動がてら自転車で諏訪湖一周をした。今年初めてである。ここを歩いて一周をする猛者もいると聞くがそんな元気はない。坂もないしただペタルを踏むだけで進んでくれるから楽でいい。少しお尻が痛かったが膝は大丈夫だった。ジョギングコースは16キロだがいつも寄り道して20キロから25キロ走る。しかし今回はジョギングコースと並行して走ってちょうど16キロだった。ジョギングコースには歩いている人も走っている人もあまりいなかったのでそこを走らせてもらった。自転車が走れる道は継ぎ目があってそこを通るときかなりショックがあって走りづらい。諏訪湖はそんなに大きな湖ではないが風が強いと結構岸辺に打ち付ける波は大きい。昨日かな上越市の海岸で長野の方が亡くなられた。日本海は少し荒れていると波が高いから気をつけないと危険である。聖書の地図では小さくみえるガリラヤ湖であるが南北21キロ東西12キロとある。それを諏訪湖圏に当てはめてみると市街地がそれくらいなのである。聖書の中で突風にあおられて四苦八苦している弟子たちの姿が書かれているが実感してなんとなくわかる。諏訪湖の何倍も大きいガリラヤ湖だから規模も何倍も大きいだろうと思うと荒れている諏訪湖を見ているとそんなことを身近に感じる。