2014年8月31日日曜日

8月も終わる

気候もお盆を過ぎるとめっきり涼しくなるのは東京も信州も変わらない。それでも日中は暑い日が続くことが多かったように記憶している。しかし今年は涼しさだけがそして晴天の日が少ない。日中でも薄い靴下をはいていると指先が何となくひんやりするような日もある。この間のニュースでは農家の方が五月からお天気が悪くて収穫が例年より半減しているようなことを言っていた。八月に入ってからかなと思っていたがそんなに前からかと台風も来ていたし農家の方は大変だったのだ。

今年の夏は集中豪雨や竜巻の被害が多かった。集中豪雨は毎年どこかで起きていたが今年は更にの感がする。特に広島の土砂災害は痛ましい。災害が起きると色々言われるが信州なんてみんなあんなところだ(少しオーバーか)。あんなところはダメだと言われたら信州の人口は半減どころか過疎地になってしまうだろう(これもオーバー)。岡谷市は7月19日は「防災の日」である。平成18年7月19日にやはり集中豪雨で湊地区の一部が土砂災害にあわれ、11名の方が亡くなっている。広島のニュースを見ていると工事中で2年も経っていたがあそことダブった。沢に沿って家があり、土石流のすごさと一軒おいて隣は何とないという微妙な姿もそっくりである。諏訪地区は勿論塩尻方面にもよく行くが山部分の結構上まで家が立ち並んでいる。広島の比ではない。走っていて大丈夫かなと思うところも少なくない。そんな中でも昔からある集落なり家は昔の人の知恵なのかそういう不安を与えていないのに感心する。竜巻はアメリカでの出来事と思っていたがいよいよ日本にもとの思いがした。島国日本なのにアメリカ並みになってきたのかこれもすごい。被害というか竜巻の威力のすごさを思い知らされた。

天変地異やイスラエルの動向ですぐ再臨や終末のことが頭をよぎる。キリスト教原理主義的環境の中に育ったせいかなと、今は努めてそのような考えはしないようにしている。それ以上に冬の寒さ対策をと…。気の所為か机に座りながら窓に面した膝が何となくひんやりしてくる。まだ爽やか季節の秋が待っているというのに…。明日から九月、晴天が来るのは当分先のようだ。信州は春が短くて冬から一気に夏になるようなことを聞いたことがあるが秋も然りかな。気候はどうしようもないが心はいつでも爽やかにと願いたい。願いたいということはそうでないということだからなぁ。8月の締めとしては湿っぽくなった。来月に期待を…。


2014年8月28日木曜日

ガザ停戦

停戦もいつ破られるのかなと不安のつきもののガザ停戦である。だが今回は少しか、大分かは分からないが持つのではとなんとなく思っている。ただ単なる感と願いから発信しているだけで何の根拠もない。日本も武器を持ってではなく人道支援に参加してほしい。日本の生きる道は武器を持って参加するのではなく、武器を持たないで参加することではないかなと思っている。そんなのは実にならないと嘆く戦争マンがいることも事実であろう。戦争の発端はいつも些細なことから始まる。国を守ると言いながら滅ぼすことはやめてほしい。そして、天皇をそのために担ぎ上げないでほしい。活躍する場は「平和のため」にだけであってほしい。

2014年8月25日月曜日

ルカの福音書15章考

ここは有名な放蕩息子のたとえ話が載っているところである。あらためて読んでみると色々と言うほどではないが示唆に富んでいる。

いつもイエス様の周りに二組のグループが集まっている。取税人や罪人と言われている人たちと律法学者やパリサイ人たちである。便宜上前者をA(エイ)たちとして後者をX(バツ)たちと書こう。Aたちはイエス様の話を喜んで聞きに来ている。聞きに来ているというよりイエス様の話を聞きたいために来ている。しかし、Xたちはイエス様の話とAたちを批判しに来ている。喜んで話を聞きに来ている人たちはそれでいいが批判するためにわざわざ聞きたくもない話や見たくもないA たちを見なければならないのによく来るなぁと思う。勿論世の中を騒がせ物議を醸していることを見過ごすわけにもいかず心中穏やかでないであろうとは思うがアテネの住民(使徒17:21)同様に暇なので耳新しいことに興味を持ってかは失礼かな。

よく聖書の中に二つを意味することが載っている。ここでもAたちとXたち、九十九匹と一匹、九枚と一枚、弟と兄など他の箇所を見ればきりがないくらいである。そしてこれら二つは比較されている。最初の二つは羊と銀貨であるがどこか共通している。九十九匹中の一匹、九枚と一枚、人は九十九匹を守るために一匹を見捨てる。九枚と一枚を天秤にかければ当然取るのは九枚である。人が目をつぶる一匹、一枚を探し出して見つけて喜ぶ姿は尋常ではない。一枚の銀貨を探すために一枚の金貨を必要としてもそれを成すであろう。かつてどこかの首相が「人の命は地球より重い」とまさに神はそのような視点で人を見ている。能力、価値ではなく人であるがゆえに命を懸けるのであろう。親が子にそそぐ目がそれである。この二つがこの後に出てくる放蕩息子のたとえ話の導入部分ではないかと思っている。

そして放蕩息子のたとえ話である。文面の2/3が弟の話なのでこう言われるのであろうが本来は「ある人に息子が二人あった。」と書いてあるように息子を二人持っている人すなわち「二人の息子を持つ父親の物語」と言った方がふさわしい。
多分当時ではあり得ないことであったであろう。弟が親が生きているのに財産を分けてくれるように要求したことは、しかし、父親はいとも簡単に分けてあげた。弟息子が放蕩で身を持ち崩すこと知っていて、心機一転事業を起こしてという意気込みであれば簡単に親はお金を出すが明らかに財産を使い果たす息子にこんなことをする親はいない、ここだけである。これと負けず劣らずすごいのは、放蕩三昧をしてボロボロになって帰ってきた息子を歓待することである。レンブラントの「放蕩息子の帰郷」を思い出す。弟は飯さい食わせてもらえればと思って帰ってきたのに父親は僕たちに「わたしの息子にふさわしいように」とでもいうかのように指示する。そして飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎである。

こんな様子を見て真面目な兄が怒らないはずがない。兄に限らずだれでも怒る。しかし、人は誰が見ても明らかなことと何か事が起こって明らかになることがある。弟は前者であり兄は後者である。弟が帰ってこなければそして父親が馬鹿なことをしなければ兄は立派な人だった。どうしょうもない弟が帰ってきたばっかりに自分の本心が明らかになってしまった。「私は反対だけれどもお父さんがそうしたいなら喜んで」と言うセリフは聞かれなかった。むしろ正反対の言葉が帰ってきた。弟はAたち、兄はXたちと言われるがそうかもしれない。しかし、誰が見ても明らかなことと他の人はもちろん自分も解らなかった本心(罪)がある時、ある場面で明らかになる。人は弟が「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と言うセリフが必要であろうし、「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と言われる父親の言葉を理解することはもっと大切であると思う。見失った一匹のヒツジ、銀貨を見つけ出した時のあの度を外した喜びがここにもある。そんな神の思いどれだけわかっているかわからないが人として来られたイエス様、そして十字架をおもうと神が払った犠牲は弟の財産の比ではない。そして兄のように理解されない。それでも成すのが神である。深みとは言わないがさわりでも味わいたい。

2014年8月21日木曜日

慰安婦問題、なぜ今も

戦争は人を殺してナンボの世界、アブノーマルな世界である。そこで起きる出来事は常識外、それを常識の世界の基準で語っても意味がない。今イスラエルとパレスチナのガザでの出来事も戦争だと思っている。常識は通じない。イスラエルの攻撃で何人死んだとイスラエルを非難しても解決するものではない。もし非難するなら民衆を盾にしているハマスの姿勢も問わなければならない。民衆が願っているのはイデオロギーでも宗教でもなく平和であろう。それと平和であっては困る人たちもいる。

戦争で起きたことは水に流せというつもりはない。しかし、韓国はなぜ執拗なくらい慰安婦問題に固執するのだろうか。慰安婦像を韓国国内でのことであればそれなりに理解できるが何故アメリカでと思ってしまう。戦後処理をよくドイツと比較されるが国民性にも問題があるのかもしれない。しかし、日本人が世界のイニシアチブを取ることを好まない国々もあるであろう。経済的援助をするだけでそれ以上はダメなのである。

靖国問題を解決できない日本も似たようなものかもしれない。また解決するつもりもないであろう。でもなぜ千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑、具体的なことは分からないがここを拡充して軍人も民間人も共に記念するようにすれば、台湾、朝鮮半島出身者に対する差別もないであろう。慰安婦問題をとやかく言う前にこの辺を解決できないと論じられないか。

2014年8月18日月曜日

聖書が語ること

matt 4:12-17
ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。
そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
matt 16:21
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

マタイの福音書に二つの時が記されている。宣教を開始された「この時から」と十字架に向かう「その時から」である。「この時から」は人々が注目しスポットライトを浴びる時であり、「その時から」は十字架に向かって弟子たちで際も振り向かない時である。人々が注目する時は前奏曲のようなものメーンは十字架である「その時から」の出来事である。

イザヤの預言は神殿のあるエルサレムではなく、人々が目もくれない否むしろ無視されている地に偉大な方が活躍されることを預言している。エルサレムなんか注目の的ではない。厳粛な祭儀がいかに無意味なものであるかを証ししているようである。祭儀はまさに祭儀に過ぎない。厳粛に行いば行うほどこの祭儀はカリカチュア的である。この逆説的なことは人間の思いと神の思いがいかに乖離したものであるかがわかる。キリスト者の姿を見ているとこの姿から抜け切れない姿をよく見かける。何が第一で何が第一以外のものであるかをと書くサルもその一人であるが。




2014年8月14日木曜日

剣を取る者は


matt 26:52
そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
諸集会は「政治は世のもの」と敬遠するきらいがあった。今もその傾向があるような気がする。しかしながらサルは政治に限らず世の出来事に少なからず関心をもっているがそれでアクションを起こすということはない。精々長野県知事選に不在者投票するくらいのアクションである。

今朝読んだ聖書の中の一か所である。かつての大戦を見るとき、何を守るために戦ったのだろうかと思うことがある。負けてしまいば何も守れず失う物ばかりである。失うために戦ったようなものである。民族主義者でなくとも竹島一つ失うことを良しとしない。そのために戦うことを辞さないだろう。しかし、もしこのことで国を失うことになるならどうだろう。先の大戦も然りではなかったのではないだろうか。イエス様は「剣を取る者はみな剣で滅びます。」と言われた。歴史はそのことを証明している。人は剣によって歴史を変えようとしているがイエス様はご自分が十字架に架るということで歴史を変えた。真に変える方法はこれしかないのである。と書きながら己に死することのできないサルであります。

一冊の詩集

以前いた集会の姉妹が詩集を出されたと週報に載っていたのでアマゾンで注文したら郵便屋さんが今届けてくれた。彼女の人となりを少し知っているので楽しみにしていた。挿し絵?は同じ集会のO兄とA姉でどれがそうであるかはわからない。本に挟んでプロフィールを自己紹介しており、短い詩で一気に読む。
少し知っているという先入観があるのかもしれないが素直で淡々と書いているような気がする。そして彼女の繊細さとどこか愛を求めているようなそんな気がしてしまった。○○ちゃん素敵な詩をありがとう。

 子  ね 天原凪著

東京で思ったこと

蒸し風呂のような東京で2-3日過して信州に戻りフッと思わされた。こちらは暑いけれどもからっとして凌ぎやすい。冬は東京は寒さはきびしくないが信州は厳しい。原村や富士見は海抜千mを超えているのでさらにである。知人の方は上高地の麓?に住んでいるから諏訪の比ではない。暑さにしろ寒さにしろ凌ぎやすければそれほど問題ではないが逆だと大変である。信州にいると寒さが厳しいときは心まで凍てつきそうな気分になる。久し振りの東京で蒸し暑い逃げ場のない暑さを経験してこれも堪える。

人は「生きる」為により快適にと思考し行動する。既に快適であれば思考も行動もしない。厳しさがあるから思考し行動する。これは物理的な快適さだけでなく「生きる」ということ自体の中にもあるような気がする。信仰生活もそうであろう。恵まれた環境の中に信仰生活、教会生活を送れることは感謝なことである。忠実に歩んでいるから当然の結果として受け取っているかもしれない。しかし、そのような人たちは全体から見たら少ないであろう。個々には書かないが厳しさの中にあるから考えさせられ行動せざるを得ないということもある。それとボロボロになり、もがき苦しんでいる様はみっともないがそんな傍らに神が居られるし、それを実感できたら素晴らしい。このようなところで神を賛美するということは本物であろう。これは放蕩しなければ味わうことのできない恵みである。逆説的に…。

2014年8月13日水曜日

学問のすすめを読み終えて

落語で誰の十八番か内容も記憶も定かでないが確か何かのお祝いを述べに行かせる為にお祝いのことばを教えるが教えるうちから前のことばを忘れていくそんな話であった。話の持って行き方、間合いの妙に聞き入って大いに笑ったものだ。若いときには笑って聞けたが今その笑いを誘った話を地で行っている。そんな調子なので本を読んでも最後はよかったかつまらなかったの感想が残るのみで中身はきれいに抜けている。脳みその骨粗しょう症みたいなものである。

そんな状態で福沢諭吉の「学問のすすめ」を読み終えた。前に書いたのとダブるが終えて幾つかのことを感じた。一つは明治の初めに今日でも通用する考え方を持っているということである。勿論若者向けに書かれたようであるが下級とはいえ武士であり、その残滓は残っていてもいいはずであるがそれが何も感じないのである。鎖国の時代に密出国した人でもあり、かといって俗に言う西洋かぶれをしているわけではない。戦後このような人がいたら大きな助けになっていたであろうなと思った。学校を創設する人を見ると思想家というより実務家と言った方がいいのかなと思うが福沢諭吉も同じように感じる。そこがちょっとなと思った。


2014年8月12日火曜日

東京は暑かった

甥の結婚式が9日にあったので前々日の夕方東京に向かう久し振りの東京である。高速を降りて何時ものコースを永山へと向かう。前に来た時と変わることのない景色だがニュータウン通り手前のコンビ二が交差点の角の新しいマンションの一階に引っ越していた。目新しいのってこれくらいかな?駅前のアミューズメントの外壁のイルミメーションもにぎやかになっていたか。

しかし、東京は暑い暑いというより蒸し風呂に入っているようだった。それでも結婚式は曇り空で凌ぎやすかった。しかし、出かける前に大雨が降って傘をさして歩いてもすぐびしょぬれになりそうな気配、晴れなくとも小雨にとも祈らず天を仰ぐ。しばらくすると小雨になり世田谷は曇っても雨は降らなかったようだ。一人だけ傘を持って列席したのではないかな?米一袋と引き換えに息子に世田谷から迎えに来てもらう。勿論それでなくても来ていいようなこと言っていたがコメの話をしたら喜んで来てくれた。長野県産あきたこまち10キロ、ウン千円、それにもらった野菜を少し、都会人は取れたて野菜が一番の土産かなと思う。

式はかつて集っていた集会、甥と嫁さんも今はそこに集っている。外でT兄にあってあいさつを交わしながら玄関に知らない姉妹たちが靴と傘を預かってくれた。大勢になって新しい信者が増えた実感をするが受付に立っていた二人の姉妹は一人は岡谷によく来てくれているN姉、もう一人は旧知のK姉、苗字より名前で呼んでいる。周りが振り向くほど大きい声をあげて歓迎してくれる。そして周りを見渡せば知らない人もいるが懐かしい顔顔である。握手したり、短く言葉を交わしたり、すれ違った陳許兄には握手して、顔はお孫さんを抱いているW兄と言葉を交わす。不真面目だが結婚式より皆さんにお会いするのを楽しみにしていたきらいも無きにしも非ずである。いつも会っていればすれ違っても言葉を交わすこともないがこのように久しぶりに会うと大げさとも思える歓迎を受ける。非日常的なことの良さである。上京するということはこの連続だからうれしい、それ故か信州に入り、諏訪インターを降りると現実が待っている感がするから少し憂鬱になった。

久しぶりの結婚式、華やかさはなかったが淡々と進んでいく式の中で司式者のことば、メッセンジャのことばが重みを加えて上っ面の式ではない観を提してくれた。お嫁さんのお父さんが出席されないようなことを言われていたがお嫁さんをしっかりエスコートしていて良かった。雨とお父さんのこと良く祈っておられた答えが結果として現れた嬉しいことである。私はただ「主よ御心は」と祈っただけであって至って素気ない。式が終わり、2,3の兄姉と言葉を交わしてバスに向かう。正直レセプションのような華やかなものはあまり好きではないので兄姉と交わっていたいなと思いながらバスに向かう。バスでは一人前の方に座り、文庫本を持ってきたのでそれを読みながら途中眠くなって眠る。フッと目が覚めたら高速の降り口上着を着て待つと歌舞伎座を回り込むようにして昭和通りに止まる。ガードレールがあってと思いながらバスとガードレールの狭いところをすり抜けて歩道に出たら会場の係りの人がいて案内してくれた。

受付を済ませ席に、テーブルは家内、義妹母子、甥(新郎の弟)と彼女と少ない。司会はK兄姉、目が悪くなってきたので誰かわからなかったが二人でなかなかいいなぁと思った。兄が名前を読み違いをしてすぐ訂正したが彼のキャラの良さか変な感じはしなかった。こういう席が苦手なのは会話と食事である。小さいとき食事は黙ってするものしゃべって食べたら怒られたその名残があるから食べながらしゃべるというのは苦手である。それと共通の話題のない人に合わせて話すということも苦手である。隣は甥っ子だから向こうも遠慮があるだろうしまたどんな話をしたらよいかボキャブラリーがないので会話に困る。聖書の話ならと思うが向こうは興味がない。私の聖書の興味はほかのキリスト者とまた違うからキリスト者でも無理。それと内々のテーブルだからがさつに食べてしまった。パンはナイフで切れ目を入れ、バターを塗ってそのままかじろうとしたがさすがまずかなと思ってちぎって食べたがそれでも三口で終わった。後でパンを持ってきたのを頂いてそのパンでかぼちゃのスープのカップについたのを拭うようにして食べてしまった。勿論フォークの背にのせて食べるなんてことはしないで持ち替えて食べやすくして食べる。これは以前宣教師のM兄とよくファミレスで食事していた時に彼はパンで皿をこするように、フォークの背でするようなことはなかったのでそれが癖になっている。それに食べやすくがモットーでもある。サルの世界はそれで通用するしさせる。土曜日なのに銀座通りは歩行者天国になっていた。秋葉原にいた時は店の前は日祭日は歩行者天国、高島屋、三越、神田、そして秋葉原とかつての店の前に通じるのかなんて思いながら歩いた。久々の電車、小田急の急行も成城学園に止まらないのもあるのに驚く、でも6年前にも既にあったか新宿からだといつも京王を使っていたから知らなかっただけ。

2014年8月6日水曜日

罪を憎んで人を憎まず

今日は広島に原爆が落とされた日である。知っていたわけでなく市の無線ラジオを持っているのでその無線からその後でも町の広報のスピーカ-から8:15にサイレンを鳴らすとのことで分かった。朝ドラが遅くなるのでなんかあるのかぐらいの認識であった。広島からの中継を観ていてフッと思った。日本人は原爆を投下したアメリカをそして飛行士を憎んでいるだろうか、忘れやすい国民性もあるのだろうがその意識は少ないのではと思っている。勿論当事者の人とそうでない人では意識はだいぶ違うだろう。しかし、多くの国民はこのようなことはもう二度と起こしてはならいという意識が強いのではないだろうか。慰安婦問題を思うとなぜ過去に拘るのかと思ってしまう。過ぎ去ったことは忘れろとは言わないが何故か内向きというか後ろ向きの姿勢が気になる。日本人は朝鮮半島から七つのものを奪ったと言われている。土地と言葉と後は忘れたが。決して許されることではないし他者に対して鈍感な日本人にイラついているのかもしれない。小学生の答えみたいなことを書いているが過去を振り返りつつも前を見ていけたらと思う。否定は抹殺に繋がる。勿論責めるつもりも資格もないがタイトルのことばを思い出した。

阪神がすごい

ヤフーに「20得点の乱打戦」と写真の下に書かれていたのでどこのチームかとアップして観たらヤクルト-阪神戦での阪神の上げた点数だった。スコア表見ているとどこかの草野球かたまにある高野球の予選で見かける点数である。最近プロ野球のニュースを観ていないでどこが勝って順位は、ゲーム差などは分からなかった。一応どこが好きと言われれば阪神なのであるが夜のスポーツニュースは勝った試合は何回でも見るが負けた試合は見ない。それに最近の選手の名前もあまり知らないというまことにいい加減なファンなのである。常時注目して夜のスポーツニュースを見るというわけでもなく、今回のように勝ってくると夜のスポーツニュースを興味を持って観るようになる。そうやって興味を持って見始めるとどういうわけか負けてくる。首位と数ゲームも離されて負けの連続の時は「和田やめろ」とおもわず心のうちで叫んでしまう。首位と射程距離になるとニコニコしながら観る。負けても残念と思うだけ、「和田やめろ」なんて言葉は心の中でも出てこない。巨人が負けてゲーム差は1.5ゲーム、でも期待しない。あのチームは期待すると裏切るからと思いながら宝くじに当たる確率位の期待はしている。

2014年8月4日月曜日

枯れたイチジクの木

聖書をただ読む者にとって、聖書は難解な書となる時が多々ある。神学は無縁であり、精々聖書注解書を読む位しかできないがそれで納得できるものではない。なんとなくそういうことかくらいである。万民の書である聖書は神学云々とは関係ないのかもしれない。「知」ではなく「霊」であるとも言える。ある意味で解る人にはよく解るがわからない人には全く解らない。その最たるものがイエス様であろう。キリスト教の開祖、優れた人物等々は万民が認めるところであるが神であることはキリスト者しか認めていない。認めていないという表現はふさわしくない?「私はある」、然りアーメンと言うべきか。聖書を読むのにイエス様が人か神かでは大いなる違いがる。

時々同じことを書いているが聖書を知らない時はキリスト教の経典位の認識しかなく自分には関係ないものと無関心だった。若いときはよく本屋に行っていたがそこで聖書を売っていることを知らなかったというより本棚の片隅に置いてあったのだろうが自分には関係ない、あるいは興味がないと見向きもしなかったのだろう。聖書に興味を持って初めて本屋に聖書を置いてあるのを知り購入したことを覚えている。

枯れたイチジクの箇所を読んでいてこんなことを書いてしまった。月一回の割で話すメッセージもそうなのだが最初と最後が違っている。と言うよりも一つの話をするとそれに関連した話をしていくが、その次となると「前の前」の話となんの関連もなくなってしまう。ゆうなれば「風が吹けば桶屋が儲かる」式の展開なのである。しかし起承転結でこうなればいいのだがそうはいかない。まぁこれは何かを発信するというよりも年とともに漢字が書けなくなり、記憶するという機能が坂道を転げ落ちるように落ちて行く現実を目の前にして抗っているのが正直なところである。それとブラインドタッチの練習を兼て書いているから書けるだけでもいい。でも発信できたらと思うが打つ玉がないし、それより「読める文章を打てるように」と固い頭を抱えて画面とにらめっこをしている。今のところの成果は今まで使っていたメガネでは画面が二重に見えるようになってきて目を細めないとよく見えない。確実に進んでいるのはこれくらいである。

この箇所の注解を見ると大体同じようなことが書かれている。勿論違っていたら困るが注解者によって多少違うのは当然であろう。二、三見たがフランシスコ会聖書研究所訳が一番わかりやすい。結論として、
1. イエズスが空腹であったことは、義と愛に飢えかわくイエズスを考えさせる。
2. 葉だけで実のないイチジクは、儀式と祭典で祝祭を飾っても、霊的には何の実も結ばなかっ たユダヤ人を象徴しているようであり、
3.のろわれたイチジクは、イエズスが要求される改心の実を結ばない人々に対する警告である。
とあったが頷ける。

福音書の中に取税人マタイの召命の記事が載っている(マタイ9:9-13、マルコ2:14-17、ルカ5:27-32)。あそこでパリサイ人や律法学者が弟子たちに「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」と尋ねた時、イエス様は「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人です。『わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない』・・・」。のことばを思い出した。今までなぜここで「医者」が出てくるのかと思っていたが取税人や罪人と言われた人たちは救われたいという自覚があったであろう。しかし、パリサイ人や律法学者はすでに救われているという自覚があったであろうからその必要性を感じない。それはイエス様を必要とするかしないかの違いとして出てくる。私たちは色々な形で必要なものを持っている。病人は医者を貧しい人は富を孤独な人には慰めを必要としている。必要がありながらその必要性を感じないということは恐ろしいことである。このようなことは病気を初めとして諸々のものがある。
そして『わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない』と、言葉そのものはよくわかるがその意味するところは「儀式と祭典で祝祭を飾っても、霊的には何の実も結ばなかっ たユダヤ人を象徴しているようであり」と「いけにえ」が合致している。あわれみは?ルカの福音書では大ぶるまいをしたことが書かれている。マタイ(レビ)はイエス様と弟子たちだけでなく大勢の取税人や罪人と言われた人たちにも食事を施している様子がうかがえる。取税人ザアカイはイエス様に「財産の半分は貧しい人に、だまし取った物は四倍にして返します。」と言っている。マタイもまた同じような思いであっただろう。飢えている人たちが食卓についている様子が伺える。飢えている人に食を与えるマタイと形だけを求めている律法学者パリサイ人の姿が浮き彫りになって見える。そして、「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。」(ロマ11:22 口語訳)のことばを思い出す。






2014年8月1日金曜日

聖書を分冊に

新改訳聖書の第三版が出版されたとき早速購入して使っていた。この聖書は製本が悪いので交換してくれると聞いていたが別にそんな兆候もなかったのでそのまま使っていた。大分前から背もたれの部分が表紙と本体とが剝がれてしまい、そのうち地図の部分がバラバラになってしまった。読むのに差し障りはないが見た目が良くないので新しいのにした。

閉じた聖書を見るとよく開ける新約部分は手垢?で少し汚れているが中は特別どうこうなっているわけではないので貧乏性だから捨てるのが勿体なくてこれを分冊にしてしまった。モーセ五書、歴史書、諸書、預言書と旧約は四分割にし新約はそのままで全体を五分冊にしてしまった。パソコンに移している本が引用聖句が多くてそれを開いて読んでいるので分冊にしていると便利である。

実は分冊にしたのはこれが初めてでなく、今回で三度目か四度目である。チェン式の三版を購入した時にも今まで使っていた二版を分冊にした。これは旧約を十分割、新約を三分割にして東京にいる時には通勤電車の中で読むのにこれを使っていた。これだとバックに入れて持ち歩いてもかさばらないから便利である。もうこちらではそのようなこともないし新しい版が出ない限り新しく購入することもないだろうからこれが最後になるだろう。