2014年9月29日月曜日

御岳山噴火

昨日のお昼にTVを見ていたら画面の脇に御岳山噴火と出ている。木曽の御岳山とは最初気づかなかった。その前日は出かけていて夜帰ってきたからTVはほとんど見ていない。昨日は午前中集会でTVは帰って来てから昼食の時につけて気が付いた。朝出かけるとき車に白い砂がうっすらと掛かっていた。今頃黄砂かと思いながらモップで拭いたのだがあれは噴火の灰だったのだ。詳しい内容がわからず溶岩も流れていないようなので最初は広島の土石流災害の時と同じように軽く考えていた。灰をかぶっている登山者の姿を見てそれでも助かっているからとそれほどでもなく思っていたが次第に明らかになり、そのすごさを改めて知る。最初は数名の心肺停止者がいるとテロップで流れてそのくらいかと思っていたら30数名がすでに亡くなっているとか、考えてみればシーズン中の出来事、大勢の登山者がいたのだろうと思うと数字はもっと上がるのではないだろうか。
浅間山は偶にあちらの方に出かけるときは煙が出ていることがあり、ここは活火山なのだとという認識を何時も持っている。爆発したらどうなるだろうなどと考えたりしていたが御岳山は全然なかった。それに少し遠いから実害はないし、精々降灰位なものである。しかし木曽の方は降灰で野菜が大変みたいだ。
それと詳しいニュ-スが入ってくると降灰のすごさが伝わってくる。熱さと岩石、それと見ている前で灰が積もって動けなくなっている人をの活字を見て、聖書の中のソドムとゴモラが滅ぼされ、ロトの妻が振り返って塩の柱になったあの箇所を思い出した。溶岩でなら一瞬で跡形もなくなるだろうが灰は熱くとも形は残るのであろう。

1thess: 5: 3
人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
終末はこのようにして来るのだろうかこうでなくともこれに近いようなことは起きるのだろう。戦争と戦争のうわさより、平和だ安全だと言っている時がもっと危機的であろう。正直言って実害がないとどこかのんびりして切迫感がない。反省しなければと思いつつ、霊的切迫感を養わないと思わされた。

甲府まで

水草牧師のブログに紹介されていた映画「ふうけんもん」を甲府まで行って観てきた。〔内容、上映事情は http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140925/p1 (グーグルか小海キリスト教会牧師所感で検索)〕モデルになった右近勝吉さんは便利屋の元祖として名前だけは知っていたがヤクザ出身?とは知らなかった。
中村雅俊、浅野ゆう子主演、それに河相我聞、哀川翔、竹中直人、本田博太郎、藤村俊二、笹野高史、中村玉緒、久米明、竹脇無我、鶴見慎吾とよく知られている役者が出ているのでどんな役かなと思ったら我聞以外はほとんどチョイ役、ストーリーは細切れだがそれでもつながってくるのがわかる。映像も音響もいいかなと思うがどこか手法が現代プロダクションの映画に似ている。石井十次をモデルにした松平健主演の「石井のお父さんありがとう」、石井筆子を常盤貴子が演した「筆子・その愛」、そして留岡幸助を村上弘明が演じた「大地の詩」がある。この三人は明治期に活躍したキリスト者である。石井十次は日本で最初の孤児院を開いた人で一時は千人からの子どもを預かったと言われる。石井筆子は最初の知的障碍者の施設滝乃川学園を留岡幸助は免囚事業を本間俊平もこの人に影響されて山口県秋吉台で刑務所を出所した人たちを受け入れ共に大理石を掘っていた。どんな経緯でこの映画は制作されたのだろう。アーサーホーランド牧師が出演したり、聖書のメッセージが語られたり、右近さんは現在も活躍されているキリスト者である。プロデューサーであり、プロダクションの代表である金・テレサ氏はどのような人か。映画本題よりもそちらに興味を持ってしまった。
前々日が長野で公開されたが長野市まで100キロ、甲府市は80キロ弱こちらが近い。そこまで行って観に行く価値がと問われそうだがこの間群馬の行ったのと同じで行くこと自体が何かチャレンジしているようでその達成感が大きいような気がする。

2014年9月27日土曜日

聖書教理がわかる94章

「聖書教理がわかる94章」を6月の何時頃からか始めて今日打ち終えた。一日一善ではないが一日一章、一週間五章の目標でやってきたが大体そんな感じになった。身についたと聞かれたら「ツカン」と答えるしかない。ブラインドタッチも進歩がないなぁ。千鳥足ならぬ千鳥指である。本を見ながら打つのと画面見ながら打つのでは大分違う。画面見ながらだと大体間違わないが本を横にして見ながらでは結構間違う。間違うというより母音が抜ける。それとこちらの責任ではないが変換が変に変換される。でも2003に比べて2013は語彙も増えて大分良くなっている感じ、漢字の追加もあまりしなくてすんでいる。

どれだけ身に着いたかが問題だがこれが問題、ほとんどついてない。でも最初から分かっていたからショックはない。これから必要な章を見ていけばいい。小さな集まりだから教会の概念がというか意識が少ないのではと思っているので「教会」を参考に話そうかなと思っている。救いは単純?だが教会の奥義は深い。深くは汲めないから簡単に。

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」の木宮良子の名ナレーションで始まる「君の名は」、日曜の8時台、女風呂が空になると言われるほどの人気だった。キムタクなんか目じゃない。

この年になると忘れっぽくなったのか覚えられなくなったのかはたまた両方か、多分両方だろう。 大分前に忘れっぽくなったことが意識するようになって前半の「忘却とは忘れ去ることなり。」がまさにそうだと記憶によみがえってきた。最近さらに進んだ所為か後半を思い出している。後半は忘れようとしても忘れられないということだろうから哀しい現実があるが考えてみれが羨ましい限りである。しかし、嫌なことも忘れるからまるっきりダメと言うわけではないから功罪相半ばするか。

パソコンに打ちながら、前の所を読み直したりして頷きながら、覚えられない忘れやすいは年の所為だけでなく、学生や社会人のように覚えなければならないという切羽詰まったものがないからだとおもうようになった。忘れても困ったで済むから努力が欠落しつつある。これは下記の聖書のことばがそう遠くなく経験するだろうという思いもあるからである。
1cor:13:12
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

2014年9月23日火曜日

鴨が

漕艇場の近くを自転車で走っていたら道路に鴨が数羽日向ぼっこかのんびりくつろいでいる。湖岸に面した道路で普段は数は多くはないが絶えず車が走っているところである。昼過ぎの所為かたまたまか車が走っていなかった所為かのんびり日向ぼっこをしているのだろう。反対車線から来た車が珍しいので車を止めて写真を撮っていた。岸辺に上がって日向ぼっこをしている姿を見ることはあっても道路の真ん中では初めてである。結構大きいが親鳥ではなさそう。

この様子を見ていたら今はどうかわからないが、以前に東京の丸の内でどこの会社か忘れたがそこの池で孵化したカルガモが親鳥を先頭に数匹が皇居のお堀に引っ越すのが毎年ニュースになっていた。一度ちょうどその引越しに出会ったことがある。カルガモが渡りきるまでお巡りさんが車を止めていたように記憶している。結構車の通りが多いパレスホテルから気象庁の間のところだと思ったが記憶は定かではない。だれも文句も言わず何とも微笑ましい光景だった。今回の鴨は少し大きくなっているがその鷹揚さに感心する。それでも人が近づけばサーと湖の方に走って行ったがいつか鴨と言わず動物と子どもが戯れることをイザヤは告白している(イザヤ11:6-9)。創造の神はいつかこのことを実現してくれるだろう。はなはだよかった創造のわざがたった一つの過ちで多くのものを損なってしまったけれど創造の神はイエス様を通して罪からの救いをもたらし、回復された被造物の世界は想像をはるかに超えたものであろう。再臨の主でなくともそう先のことではないから楽しみである。

2014年9月19日金曜日

日本の神々と聖書の神

東京にいるとき、職場が秋葉原だったので、神田明神や湯島天神は近かった。神田明神は歩いて10分、湯島天神も近くに保険組合と年金基金があって、手続等で行った時は必ず寄っていた。学問の神様だからそういうものの対極にいるサルだから信仰心があったわけではない。境内もそれほど広くなくというより狭い。それでも人はそれなりにいて、なぜか落ち着くのである。それと絵馬が沢山ぶら下がっており、これをよむのが好きなのである。絵馬はここが元祖なのだろう?ほとんどがどこそこに合格しますようにの言葉が多い。数少ないが合格したことを報告して感謝しているのもある。微笑ましいが中には有名な大学がふたつも受かったことが書かれてあったりすると何となく嫌味だなぁと思ったりするが本音は。それとちょっと先の入谷の鬼子母神や浅草の浅草寺も近い。別にこのことを書こうとしていたわけではない。つい身近で知っているので書いてしまった。もうこのブログで何回書いただろう。

フッと思ったことなのだが日本の神々は、何かをしてくれる神である。神田明神は商売繁盛、湯島天神は学問の神様、経営者や受験生には欠かせない神様である。ただ拝んだからといって商売がうまくいったとか、受験が受かったとかは定かでないのが残念である。場合によっては何もしてくれないという事も少なからずあるのではと思ったりもしているがどうだろう。
それに引き換え、聖書の神はすべてのものを造られた神である。造ったという事は造られたものに対して責任を持っておられるということができる。有名な陶芸家が気に入らないからと陶器を粉々に壊しているのを見たことがある。プロとはこういうものだろうなと思ったりする。プロが見たら気に入らなくても我々が見たら十分素敵だと思うがだからゆずってやるという事はない。陶器にはプロの名が冠しているから沽券にかかわる。

全能の神がご自分に似て造られた我々、それにしては実にお粗末である。陶器師のように粉々に砕かないでイラく大切な者のように我々を扱ってくださる。天の御国のたとえでは話されるがその論法でいうとイエス様の受肉と十字架は、我々を滅ぼされないで、我が子イエス様を滅ぼされたという事ではにか。見方によってはイエス様より大切な者のように映るのではないか。造られたとは何かをしてくれたのではなく、被造物に対して責任を持ってくださるという事なのである。だから大船に乗ってではなく、この神は偉大な神であり、その神が我らのためにと思うと胸がふるいるのである。この方をさらに知ることができたらと思うが…。

2014年9月17日水曜日

諏訪湖よさこい。そしてぶらり

~公益社団法人諏訪圏青年会議所より~
公益社団法人諏訪圏青年会議所では、地域を活性化させることを目的に、地域住民が自発的かつ継続的にまちづくり活動を行う機会の一環として住民と共に「諏訪湖よさこい」を開催します。
住民と共に新しい祭りを作り上げるという共通の目的を持ち、コミュニケーションを取ることでお互いを知りその中から絆が生まれます。この住民同士の絆が祭りのベースになり祭りから感じる元気と感動が、地域活性化を広く波及させることに繋がります。
「諏訪湖よさこい」HPより

諏訪レガッタと同じ日に、そこから2キロばかり離れた岡谷市体育館脇の駐車場など3か所を会場に行われていた。レガッタを少し見物して、自転車で移動する。舞台では小学生のグループが踊っていた。そこを脇にして次のところに行く、そこでは若い男女が一体となってそして激しく踊っている。大人たちはグループの旗か大漁旗のような大きな旗をひとりの男性が振っていた。自転車を脇に置いて眺めていたら、あの阿波踊りの「踊るあほうに見るあほう、どうせあほなら踊らにゃそんそん」の歌の言葉をフッと思い出して思わず苦笑いしてしまった。真剣に、そして楽しそうに踊っている姿は見ていて気持ちがいい。歩道を挟んで湖岸端の広場でも若者が踊っている。

それを見ながら水門へと向かう。そこから湖畔端ではなく旧道を「suwaガラスの里」に向かって自転車をこぐ、そこからと湖畔端から少し離れたところを何時ものように狭い道を自転車で走る。というよりゆっくり周りを見ながらであるから走るほどではない。上川に出て、合同庁舎の近くを横切り、高島城に向かい、その脇を通り、市役所の駐車場を横切り、狭い路地をゆっくり自転車をこぎながらJRの踏切を渡る。線路の反対側は初めてである。廃屋のような諏訪プラザの中を少し覗くと何軒かのお店があった。日曜の所為かそれでも人が出入りしている。しかし、お菓子屋さんは暗くよく見えなかった。それでも老舗のような感じを受けたがどうだったのだろう。食品を扱っているところはお客もおり明るかった。解体するビルだからしょうがないが早く駅前のシンボルとして立派なビルが建ってほしい。駅の構内を素通りして、20号線を渡り飲み屋街の路地を走る。もう何軒もやっていなさそう。上諏訪にはこんなところが3か所ばかり知っている。どこも駅の近くの飲み屋街はすたれているみたいだ。
そこから線路の近くを狭い道を走る。そしてエプソンの本社の前に出る。そこからさらに進むと人しか通れない道になる。岡谷、下諏訪となぜか狭い道が沢山ある。なんでだろうといつも思う。東京の谷中も戦災にあわなかったから昔の建物で家と家の間は一間くらいしかない。境に杭を打ったら人は通れないそこは公道なのである。正に「向こう三軒両隣り」いつも通ると隣近所と仲良くしていないと住めないところだなぁと思わされる。ある意味で懐かしい戦前の雰囲気のあるところである。少し行くと狭い道は途切れ、旧中山道の道に出るには坂を上がらなければならずその元気もないので踏切を渡り、20号線を横切り湖畔端を何時ものように走って我が家に帰って来た。多分20キロから25キロくらいは走ったのではないだろうか。心地よいぶらり旅であった。


下諏訪レガッタ

歩いて数分のところに下諏訪漕艇場がある。家から見えるところにテントなどを張っているので花火も終わったし何んだろうと思っていたら市民参加のボート競技が行われるのだった。職場や地域、友人などでつくられた73クルー(チーム)が、男女別、漕手の平均年齢ごとに八つの競技種目に分かれて、熱戦?が展開されたらしい。参加者は中学生から80代と幅広い参加者があったみたいだ。

1978年の長野国体で整備された漕艇場の活用とボート熱の高まりを受けて、82年から始まって今回で33回と歴史のある大会である。

午前中は集会だったので午後少し見ていた。丁度見ていたレースはひとつクルーが隣のコースに入ってまた自分たちのコースに戻ってだいぶ遅れていたがそれでも500m漕ぎ終えたようだった。最初、なんだこれはと思ったが多くは好きな人の集まり、コックスはレース経験者だが漕手はレース経験者は一人だけだそうで、言うなれば草野球、草競馬のようなものかどこかのどかで和気あいあいの感じを受けた。
年配の方たちがレースを終えたのか駐車場に引き上げていく姿を見て、どこか満足感が漂っていた。山形から50代のチームも来られて、この大会に参加するので近くの川で一生懸命練習してきたとか。それにチアガールのような格好をしていた人たちがいた。こんなところでとそれにしてはお腹の周りがと思っていたらそういう格好をして参加した女性チームだった。それで納得。老いも若きも好きな人が集まっている大会はどこか和やかでいいものだ。歴史的な大会、他にも大会が催されているようだからもっと関心を持たないといけないなぁ。それと朝早く起きて湖岸に出ると高校生らしき者たちがよく練習しているから彼らのためにも関心をしかし水が苦手なサルは…

2014年9月12日金曜日

一匹のヒツジ

教会におけるあらゆる形式の譴責の目的は、罰を与えること自体にあるのではなく、悔い改めに導かれ、迷い出た羊を回復することである。究極的には、教会のメンバーが除名されなければならない罪はただひとつである。それは悔い改めないことである。はっきりと悔い改めたときには、教会はその罪が赦されたことを宣言し、その人をもう一度交わりの中に受け入れる。

 これはS兄が訳している「聖書教理がわかる94章」の80章「戒規」の最後の部分である。以前にルカ15章にふれたが神が注目するのは99匹ではなく1匹である。99匹がどうでもいいというのではなく、99匹はほっといても大丈夫ということではないだろうか。しかし、どちらをという問いかけ自体がおかしいのかもしれない。失われた1匹が99匹の群れに再び加わり一つの群れとなることが目的であろう。方法論は色々あるだろうがそれは群れの責任者に委ねられていること。

胎児性水俣病という病気がある。妊娠しているお母さんが水銀を含んだ魚を食べて、その水銀を胎児が吸収して、お母さんはなんでもなくて子供さんが重い障害を持って生まれてくる。「自分の代わりにこの子が」と母親の苦悩は計り知れない。しかし、母親の中には、100%助けが必要ということもあるだろうがこの子と自分は不離一体の思いの中にあるのではないだろうか。これは神と人との関係にも置き換えることができるような気がする。やってあげたしてもらったは罪人の発想、神の思いは親の中に特に母親の中にその形を見る思いがする。


luke:19:10
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

2cor: 5:18
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。


イエス様は、「失われた人を探して救うために来た」と言い、パウロ「和解の努め」と言われた。当然のことであるがイエス様は失われた人を探すだけでなく、救うことがおできになる方である。こんな風に書くと失礼だがパウロは和解のことばをゆだねられただけである。勿論、パウロを低く見ているわけではない。神と人の違いを語ろうとしたのである。

2014年9月11日木曜日

5時間願望

50代の前半か仕事の関係で朝早く起きるようになってから睡眠時間が短くなってきた。勿論年寄り特有のものもある。いつ頃だったか忘れたが3時間寝たら目が覚めるという時期もあった。心配事がある時も3時間くらい寝るとハッとして目が覚め、眠いのに眠れないという時もあった。最近はあまりないがごく偶にある。設備管理をしていた8-5時の一人勤務の時、朝が早く冬などはまだ暗いうちに家を出るという時期があった。この時は、午後になると眠くなってきて我慢できず事務所の人にわからないように機械室の隅に横になって寝ていた。眠くなると体を横にしないと体が休まらないので助かったことを思い出す。その辺のころからかなぁ時間が不規則になって今も続いている。最近天気もいいので自転車で出かけることが多くなり体力を使うのか疲れて11時過ぎくらいで眠くなり、起きていられなくて布団に入ったらバタンキュウとなる。お蔭て朝はすっきり、デボーションもスムーズにできてよかったが今週はそうでもない。いいことは長く続かん。それでも6時間は眠れない。良くて5時間半、大体5時間前後である。朝の気分も5時間を少しでも超えるといい。下手すると4時間なんてことになると一日中眠い。疲れていつもより早く寝ると3時過ぎに目が覚めてPCをいじって5時前後また寝る。そして7時過ぎに起きるというパターンもある。昨日は逆に3時前に寝て8時前に起きた。今もボケッとしている。5時間寝るには外で体を使わないといけない。家にいると夜の睡眠時間は4時間台になってしまう。そんなときは午前中で眠くなるから一時間くらいゴロッと横になる。午後にも横になることもあるのでトータルすると7-8時間は寝ているのだろうが。しかし、夜の睡眠時間は常時5時間、欲を言ったら6時間、でもこれは夢のよう、これを願うより5時間未満にならないように対策を講じなくては、ちょっと大袈裟か。でも小さな願望。

2014年9月9日火曜日

聖書雑感

聖書通読を終え、福音書から一日1-2章くらいの感じで読んでいる。今ルカを読み終えたが福音書は概して長い。今読み終えたルカは後半が長く他より倍くらい長いのではないだろうか。まぁゆっくり読んでいるからどちらでもよいのだが区切りとしては短い方がいい。もう人生も残り少なくなっているのだからそれに合わせて…、一事が万事それに集約している。

最後の章で墓に来た女たちにみ使い(多分)がこんなことを言う「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で探すのですか。…」と、考えてみたら自分たちの信仰生活の中にもこのような頓珍漢なことをやっているなぁと思った。イエス・キリストを救い主として信じたら救われるというのに自分の姿を見て自分は救われていないのではないだろうかと考えたりする。正に不信仰である。神が是ということを是とし、神が否ということを否と言う。実に単純なことを自分の感情で、極端な言い方をすれば神の代理者に立っている姿である。カリカチュア的であれば笑ってすませるが律法学者やパリサイ人的だと深刻である。個人であればその人個人の問題、しかし教会が絡んでくるとこれは大変だ。そういうことをも勘案しながら群れを牧する長老は大変だ。だから非難するのではなく祈る必要がある。ただ祈るだけなのである。

2014年9月6日土曜日

新作花火

15日の花火より規模は小さいが新作だから趣向を凝らしたものがあってよかった。花火は丸いのが相場、ひとつふたつ?四角いのがあってびっくり、それと丸い花火の中に長方形を斜めに切ったような三角形が丸い花火と色が違い、その上三角形の左から右に色が移ったのには驚いた。甥っ子は上諏訪まで行ったらしいがそんな元気はない。好きな人は歩く苦労に混む苦労も厭わない。そんな元気も興味もない。湖畔端まで歩いて数分とないからそこから見えるから見るのであってそれで十分。

諏訪湖一周

降ったり止んだりのお天気だったが夕方雨も上がって日も差してきたので久しぶりに自転車で諏訪湖を一周してきた。前にも書いたが湖畔端がジョキングロードになっている。今回は雨上がりで人もいないのとゴムチップで舗装してあるからアスファルトに比べると負荷が大きいので敢えてそちらにチャレンジしてみた。雨上がりの山を見ながらそこから湯けむりのように水蒸気が上がっているのが見える。幻想的というほどではないがでも見ていて風情がある。平坦だからただペタルを踏むような形だから膝に負担がかからず痛くもならなかった。16キロの旅それほど疲れもせずいい運動が出来ました。




2014年9月4日木曜日

ぶらり自転車で

雨ばかりの毎日だったがこのところお天気が良いので自転車に乗って散歩している。運動のためには歩くのが良いのだろうが行動範囲が狭いので自転車にしている。最近は近くは勿論遠くても自転車である。そのおかげでもないが薬が切れたので医者に行ったら、血液の数値は全部クリアーしていた。いつも中性脂肪と総コレステロールが高かった。中性脂肪の薬は一日置きにと少し前進、血圧も高くて薬をもらっているが医院で測っても基準範囲に収まっている。そのうちパスしてくれるのではないかなと期待している。そうすると医者に行かなくてもいいから先生はどう判断するかこれも楽しみである。チョッと激しい運動をすると貧血を起こすし激しくなくとも久し振りに歩いたりして少し心臓に負担がかかると心臓が痛くなる。しかしそのまま歩いて慣れてくると痛みは消えていくが色々なところを通してキャパのないことを教えられる。お地蔵さんのようにじっと座っているかパソコンとにらめっこをしている位ならなんともないが。

そんな状態だから自転車で激しくこぐとか坂道を上るとかは禁物である。というよりできない。先日も釜口水門の道を挟んだ小高いところに花岡公園がある。すぐ目の前から歩いていけるが坂が急で歩くにもシンドイ。小高いところにも家があってそこに行く道がある。なだらかでもないが何とか行けそうかなと自転車でギヤダウンし上って行った。それでも坂は坂である9割方上ったがついに気分悪くなって下りて自転車を押してあと一歩のところで力尽きてダウン。めまいがしそうなのでそのまま草むらに横になって休むこと10数分回復したので別の急な坂をブレーキレバーをしっかり握って無事下りてこれた。後は平坦なので飴をしゃぶっりながら湖畔端をゆっくりと走って帰ってきた。本当はそこから高速添えに道があるのでその道を通って、6年前に土石流災害が起きたところを見に行こうとしたが断念次の機会にと思っている。

日によって数キロだったり10数キロだったりと気ままに走っているがそのうち諏訪湖一周をと思っている。此方では階段の上り下りというのがほとんどない。だからたまに荷物を持って階段を上がると膝が痛い。膝が弱っていることをそんなところで教えられる。こんなので自転車に乗るのがいいのか悪いのかわからない。しかし膝に負担がかかるような乗り方をしていないのでこれからも乗る。人は何もなければ何も考えないが何かあるとそこで考える。だから何もないことは感謝だけれども何か事があることも感謝かもしれない。それによって「主よ」呼びかけることができるから膝の痛みを通してそんなことを教えられた。

2014年9月3日水曜日

ナターシャ・グジー

何年前だろう?
東京にいるときに二度ばかりコンサートに行ったことがあった。、透き通るような声でどこか哀愁をおびた歌が印象的だった。その上小柄で綺麗な顔立ちをしている人でこれも印象的だった。多分「チェルノブイリ子ども基金」の主催によるのではないかなと思う。

「フォトジャーナリストの広河隆一氏が、チェルノブイリ取材の中で病気の子どもをもつ母親たちの呼びかけを受け募金活動を始めたのがきっかけで、1991年4月に設立されました。被災地の子どもたちは現在も甲状腺ガン・白血病・脳腫瘍などの病気に襲われています。」基金のHPより

チェルノブイリの原発事故は、ソ連の技術的な未熟さから発したもので遠い国の出来事のように感じていた。その思いの根底にあるのは電事連の日本の原発は二重三重に安全ですの文言だった。それが今、チェルノブイリと同じような事故が起きて、そして子供たちが危険にさらされている。公には発表されていないが既に多くの子どもたちは放射線の影響を受けているのだろう。これから症状として現れてくるのだろう。原発事故近辺の子どもたちが心配だ。こういう事故を見ると水俣病、四日市ぜんそくを思い出す。不可能なことだがもう少し正にもう少し、経済優先から住民に目を向けていたら防げた問題だ。つけは企業ではなく、住民にそして国民の税金にと、それでも回復するならいいがチェルノブイリと同じようにもう住めない地区もある。美しい自然や田畑を前にしてそこに住めない。どれほど悔しい思いをしただろうか。そういう意味で土地を失った人は足尾銅山の鉱毒事件で今は渡良瀬遊水地となっているあの地に住んでいた人たちもいる。

いつも脱線するが彼女のコンサートを聞いたときはまだ日本に住んでいなかったように記憶している。今は日本に住み、日本人の男性と結婚しているようだ。そしてバンドぅーラという民族楽器を奏でて歌っている。それに福島原発のことそして子供たちのためにも活動している。

http://www.office-zirka.com/index.htm 
You Tubeで
https://www.youtube.com/watch?v=qskr83JSy_g

先々月には原村の自然文化園で星空を見てのコンサートが催されたようだ。後で知っての後の祭り、全国を回っているようだからそのうち信州のどこかに来られるだろう。しかし松本どまりで。