2014年10月31日金曜日

クマの不思議な働き

今年は木の実が不作なのか信州ではクマの出没がいつもより多く、夕方のTVニュースではよくニュースになっている。シカやイノシシの被害も多いみたいで隣の市では明日はシカとイノシシの山狩り?で猟友会の人たちが入るので立ち入らないようにと放送が流れている。サルはまだ見たことがないがシカはよく見かけるという。木の実の不作は餌を求め人里に現れるから危険極まりない。

クマは木の実が豊作のときは近くに餌があるのであまり動き回らないらしい。しかし、木の実が少ないと餌を求めて動く行動範囲は広がってくる。そうする食べた木の実が近くではなく、遠いところに糞として落とすので、離れたところで木の実が芽をだし繁殖するという現象が起きる。木にとっては幸いなことらしい。花の受粉ではないが木の実は動けないのでクマによって移動して繁殖するという不思議な働きをする。面白いと思った。被害にあっている方や危険に見舞われている方に申し訳ないが木の実の不作は決してマイナスだけではなく、むしろ木にとってはありがたいことなのである。ちょっと大袈裟だけど不思議なメカニズムでもある。

2014年10月30日木曜日

移り変わり

最初に就職したのは和製タイプライターの製造会社だった。ワープロが出来ても役所などの書類はタイプライターで打たれたものでなければならなかったと記憶している。ワープロがだいぶ普及してからやっと変わりそしてパソコンにと移り変わった。あの頃の女子高校生の花形の職業はタイピストだった。そのような時代だから会社では商業高校あてに中古のタイプライターをリフォームして売っていた。一時期それを専門にやっていたこともあった。機械を組み立てるのは好きだったがTVの修理をやりたいために辞めて間もなく和製タイプライターは廃れ、今は博物館に行ってもない代物になった。どこかで壊れたタイプライターを見かけることがあるが汎用ではなくごく限られた職種に使われている代物である。

TVも東京オリンピックで爆発的に売れてそれ以降普及していったが当時はTVは高根の花だった。考証していないがあのころから日本の電機メーカーが大きくなってきたのではなかったかと思う。TVの少し前まではソニーや赤井のテープレコーダーが人気があった。特に赤井はアメリカにほとんど輸出していたのではなかったろうか。

TVを修理しながらナショナル(今のパナソニック)やその系統にあるビクターのTVは他のメーカーと違っていて回路図は同じでも真空管が違い、一本の真空管に二系統入っているので何となく複雑な感じがして苦手だった。後で分かったことだがナショナルはオランダのフィリップスから技術提携を受けて大きくなったと聞いている。だから真空管も他のメーカーと違うのである。サルが現役の頃ナショナルのシェーバーはフィリシェ-ブの名称で売っていた。ナショナルのシェーバーはフィリップスの刃をそのまま使っていたようで今のフィリップスのシェバ―の刃は昔のフィりシェーブの刃と外形は同じである。使いやすいので昔からそして今はフィリップス製を使っている。今、家電メーカーは四苦八苦の状態で昔の面影はない。かつて本家?をしのいだパナソニックも然りであり、今フィリップス製の製品がシェーバー以外でも見ることができる。正に栄枯盛衰、歴史は繰り返しているのか。

「アップル帝国の正体」なる本を読んでその恐ろしさを知る。アメリカの飛行機製造に日本の企業が深く関わっていることを知っていたがアップルが大半の部材は日本の企業製であることを知った。その貪欲さや緻密さに驚くとともに自社だけが儲けていく生き方に疑問を持った。昔ナショナルの真空管のパッケージの中に「共存共栄」の言葉が印刷されていた。会社と販売店とユーザーがともに利益を得るそのような意味である。多分松下幸之助の理念であろうし一市民としてはこのことに共感を得る。アップル製品は扱いないが利便性があっても使おうとも思わなくなった。驕っているのか貪欲なのかわからないが共に利益を得る姿勢のない会社は「驕る平家・・・」ではないが長くはないなと思った。当時、RCAやゼニスのTVの配線はハンダを使わず線を端子に絡めていて日本と違うなぁと変なところで感心したことがあったがその会社は今?アップルもその道をたどるような気がする。日本のメーカーもその道をたどっているようだがでもまだまだ望みがあるような気がする。というより期待したいと言った方が正しいかも。淡い期待であるかもしれないが日本という国はまた今と違った形で世界に羽ばたいていくような気がするし期待したい。日本という国はそんなことができる下地のある国であると思っている。

2014年10月20日月曜日

靖国って何

何度か靖国神社に行ったことがある。だれもいかないような裏まで行ってそこから帰ったこともあった。あるときは人が拝殿?に拝礼をしている姿を少し離れたところから眺めていた時もあった。眺めていてどこの神社よりもこの神社で拝礼をしている人が真摯だと思った。普通の神社では「商売繁盛、家内安全」を祈願しているであろうがここは違うような気がする。亡くなられた英霊に頭を垂れているといった方が適切かもしれない。それだけ特別な神社であることがわかる。

いつものことながら話題になるというか問題になるというか靖国神社の秋の例大祭に「高市氏ら3閣僚靖国神社を参拝」と新聞の一面に大きく載っていた。いつもかと思ってしまう。高市氏のコメントを聞いて腹が立ってきた。新聞には「国策に殉じ、国の存立を守ってくださった方に感謝と哀悼の誠をささげた。…」、山谷氏は「国のために尊いいのちをささげたみ霊に感謝の誠をささげた」と書かれてあった。言わんとしていることはなんとなくわかる。しかし、それがなぜ靖国でなければならないのか。そのための神社なのか、一つの宗教法人がそんな僭越なことができるのか。特に学徒動員された彼らを死に追いやったのは誰か、為政者ではないかその一人があなたがたではないか。そんな反省も見えない彼女らにあのようなことば笑わせるなと言いたい。ここにも日本人のあいまいさが出てくる。そしてこのあいまいさが当然のようにまかり通っているのである。過去の嫌なことは水に流すことのできる日本人、いざとなったら責任を取らない、あるいは取れないようにしている日本人。サルもその典型的な日本人であるから腹が立つのだろう。


この女が

こちらに引っ越してきて感じたことがある。田舎に行った時に感じるのと同じもので、それはここでは通用するが都会では通用しないなということである。多分、田舎の人もここに住んでいる人もそんなことは考えたこともないしこれが当然と思っているだろう。このことを感じたのはそう昔ではない。しかし、この伏線がある。自分が集会に集い信仰生活をしている中で感じたことがあった。それは外国の宣教師たちと接していく中で感じたことである。アメリカ人、イギリス人、ドイツ人といたがどこか際立ったものはなかった。彼らにではなく彼を通してよくわからないけど自分は典型的な日本人であることを教えられた。細かく分析する能力はないがそれを強く教えられた。

今振り返ってみれば、同じ日本人の中にいればそこで比較しても同じ日本人である。そう思いにくいが大した違いはない。文化とか気質の違ったある意味で異質なものを前にして逆に相手も然りだがそれ以上に自分の裸を見せつけられる。そして自分の真実を知るのである。真実を知ることはいいことかもしれないが知らなくてもいい。あるいは田舎やこの土地の人たちはそれで満足していたらそれでいいのかもしれない。

アダムが神に裸であることを問われたときに「この女が」と言った。「…私の骨からの骨。私の肉からの肉。…」と小躍りして叫んだのに「この女が」と言ってしまう。なんと大きな様変わりであろう。罪は一つのものを二つにしてしまった。否一つになれなくなったのである。そして否定する世界が生まれた。カインはアベルに妬みを感じたかもしれない。それよりアベルを受け入れられなくなったと見る。移植された臓器が拒否反応を起こすように、バベルの塔に表される人間のおごりは、人が神になろうとしたのではなく、神を拒否した結果があーなったのだと思っている。結果は同じか。自分が否定的な人間であることがわかったのは神が肯定的な方であるとわかった結果である。罪の世界は絶えず分離していくように感じる。相手と違うことで自分の存在を示していくように思う。イエス様は罪を贖いあらゆるものを一つにしようとしてくださっている。すべての人が悔い改めるときが来るのだろうか。

2014年10月18日土曜日

思うこと 続き

この年になるとナイナイづくしのサルではあるが健康であることに感謝している。内実は大分ガタついてはいるが日常生活に差し障りもなく、最近は3-5キロを週五日の割で歩くようにしている。それと時折自転車に乗っている。お蔭で運動不足からくる心臓の痛みも最近はあまりなくなった。昨日は少しゆっくりではあったが100mばかり走って膝と心臓に痛みを感じなかった。これで中性脂肪も減り、血圧も下がると万々歳だがどうなるか。

昨日、霊的祝福について少しふれたがキリスト者が祝福という時、健康、経済的、仕事、教会生活が守られているとよく使うのではないだろうか。確かに感謝なことであり、祝福であるかもしれない。しかし、これらが守られなかったら祝福ではないと言えるだろうか。キリスト者の中に信仰を因果応報的に捉えるきらいがある。忠実に歩いているから祝福があり、何か問題あると信仰に問題がるのではと自分も他者も憶測する。わたしたちが祝福されているという時、それが地上の営みの中で捉えるとそれは絶えず変化していく、地上では不変はあり得ない。それに伴って信仰を推し量らないだろうか。神の祝福は不変なはずである。間違っているとは思わないがどこかボタンの掛け違いをしているようで仕方がないのである。健康でなくても、お金がなくても、仕事がうまくいかなくとも、教会生活に何かと悩むことがあっても神の祝福は不変であろう。勿論、大変なことであることはよくわかる。といっても経験している本人しか解らないことではあるが。こう書くことこの辺は超越しているのかと思われるそうだがこの辺は現在進行形で自分もその渦中にあるということなのである。こんなことを書いて自分を納得させているのかもしれない。それでも神の救いや恵みの高邁なものが人間の低い次元に引き下ろされているようで仕方がない。

2014年10月17日金曜日

思うこと

共同訳は章、節に関係なく内容区分ごとに小見出しがついている。聖書をよく知らない人にはとても便利であろう。よく知るか知らないかは別にしても短い言葉で内容を知ることができることはサルにとってもとても便利である。来年の通読は共同訳にしようかなと思ったりもしている。新改訳聖書の革は持ち物の誇りに繋がるようで抵抗あるのにどう間違ったか共同訳は革である。だから何と聞かれても困るが…。

エペソ書1章3節から14節は、共同訳では「神の恵みはキリストにおいて満ち溢れている」と題がついている。3節に「…父である神は、ほめたたえられますように。…」、6節に「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」、12節に「…以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。」、14節に「…神の栄光をたたえるためです。」と、たった12節の中に「神をたたえる」言葉は4回も出てくる。ここを見ているとまず第一になすべきことは神をほめたたえることであることがわかる。まさに一に「神をほめたたえ」、二に「神をほめたたえ」、三・四がなくて、五に「神をほめたたえ」ることであろうか。罪にまみれている中でも「神をほめたたえる」ことが必要であろう。その前に「悔い改めが」となるかもしれないがそれは教会でやればいい。第一のものを第一とするなら自ずから第二のpものは第二となる。真に第一のものを第一にしなかったら第二、第三のものが第一の位置についてしまうのである。

最近でもないがよくTVに成長している会社がプロジェクトの責任者を若い人たちに委ねている。そしてそれを成功させているのを見るとすごいなぁと思う。経営者がそれだけの力があることを見抜いていたのであろう。翻って教会で賜物と言われるものは、厳密には賜物ではなく能力ではないであろうかと思ったりしている。敢えて能力と言わせてもらうが能力のある人たちが多く集って、信者の人数も増えて大きな組織となっている教会を知っている。しかし、その内実は分からないがそこを出されたり、出たりしている人を身近に見ているとその人たちに問題があるようには見えない。真に賜物があればそんなことはありえないはずだが能力とすれば理解できる。

3節の「天のあるゆる祝福で満たしてくださいました。」と、この祝福は目に見るものは勿論、目に見えない諸々のものを含んでいる。過去形になっており、極端な言い方をすれば罪にまみれていようが群れの外にいようが「祝福で満たす」ことには変わりはない。信仰がエレベーターのように上がったり下がったりしていようが関係ない。神が宣言したことは絶対なのである。わたしたちが見落としがちな目に見えない霊的祝福を見失わないようにしたいものである。

2章の小見出しは「死から命へ」、ここでは罪と死と救いが記されている。これは次に来るものであることをパウロは言っているような気がする。まず第一は「神をほめたたえる」、それから救いが来るとサルは信じている。救われなかったら「神をほめたたえ」られないではないかと言うだろう。事実そうであると思う。しかし、これが第一に来ると第一のものが第二、第三になるのである。以上

今も生きているもの、失ったもの

幾つかのブログをお気に入りに入れて読んでいる。長文や難しい神学などが書かれていると斜め読みであったり、タイトルだけで終わりということもある。それらの中に時折本の名前が出てくる。その中で興味あるものをアマゾンでみる。あれば注文して、大体千円から二千円くらいのものが多い。神学的なものは難しいのと高いので今は買わない。少し前までは難しいなと思いながらかじってみたくて買ったりしたことはあったが歯が立たないので今はない。最近買う本は大体読みやすい。

後藤敏夫さんの「どこかに泉が湧くように」のブログに「来てください沈むことのない光」の名前が載っていた。珍しい題名なのでアマゾンで検索したら在庫があり注文する。本を手にしたらサブタイトルに「初期キリスト者たちのことば」とあった。この本はテゼ共同体で編集されもので、このテゼ共同体なるものは訳者があとがきで紹介している。


訳者あとがきに、(一部抜粋)
 第二次世界大戦の火ぶたが切られて2年め、1940年の夏、25歳のロジェは、故郷スイスを離  れ、フランスのブルゴーニュ―地方にある寒村テゼに足を踏み入れました。その時、彼は一つのあこがれを抱いていました。それは、戦争による世界の分裂の中で、人類の「和解のしるし」、「交わりのたとえ」になるようなキリスト者の共同体を始めたいというあこがれでした。ロジェは一人テゼの村で暮らし始め、ナチスから逃れてきたユダヤ人難民たちを自分の家に迎え入れ、かくまいました。やがて彼のまわりに、その志に共鳴した仲間たちが集まり、祈りと労働の共同生活が始まります。
 これが、今日エキュメニカルな男子修道会として知られているテゼ共同体の始まりでした。現在テゼでは、カトリックとプロテスタント諸教派出身の約100名の修道士(ブラサザー)が共同生活を送っている。その中には、世界の最も貧しい地域に身を置き、現地の人々と一緒に祈りつつ生活する修道士(ブラサザー)たちもいます。またテゼは、年間を通して何万もの若い人々が世界各地から集まり、共に祈り、黙想し、語り合う、出会いの場としても知られている。』

エキュメニカルと言われると人間的な思いと力の結びつきの感があり、サルは否定的である。「しかし、彼らは祈りと黙想を主体としそこから行動を起こしている。そんな雰囲気があり、共観が持てる。序の部分に、
 

はじめに

 不可分ふりがなで「ひとつ」とあるの教会の証人たち

年間を通じて数多くの若者たちを迎え入れながら、テゼの丘に暮らすブラザーたちの共同体はいつも変わらなぬ問いを抱いている。
 「どのようにして、この若者たちと共に、信仰の源泉へと向かっていけるのか。どのようにして、神への信頼の内に生きがいを見つけ、自分自身を捧げる勇気を見出していけるのか」。』

との問いに、

 『困難な状況の中をくぐり抜けるときにも、聖霊に支えられて、信仰からくる信頼を自らのうちに繰り返し芽生えさせるためには、同じ道を先に歩いた人々による道案内が必要である。彼らは私たちの深みに、信頼という大胆さを呼び覚ましてくれます。…私たちのすぐ近くに神の愛の証しをする人々がいると同時に、その先達たちがいます。わたしたちがキリストに従い、信仰の神秘をより深く理解する旅を続けるためには、あらゆる時代のキリスト者たちの信仰によって支えてもらう必要があるのです。
 そのような目的で、テゼ共同体はこの抜粋集を作成しました。今日を生きるわたしたちが、「教会教父」と呼ばれる初期の偉大な証人たちに耳を傾けるためです。…』

そして、教父と言われている人たちが語り、記したものがこの本である。まだ最初しか読んでいないが最初の手紙を読んで、二千年の隔たりを感じない。共感を得るのである。そしてまた、物の豊かさの中で失ったものを明らかにしている。今日の教会を見るとといっても側面からであるが伝道と教会生活が中心である。この二つは大切であり、信仰生活に欠かせないものである。しかし、初代教会はそうでもなかったように思われる。伝道や教会生活はどこかアクティブのように見えるが「守」なのである。その枠から外れたらジ・エンド。ペテロのメッセージで三千人、五千人と信者が増えていく中で個もないであろうと思われるが一人一人個が大切にされているような気がする。それは福音書を読むときにイエス様がそのようになされた。御霊が弟子たちをイエス様と違った方法を取ることなどありえない。最初に、


使徒時代

  生きよう、世の魂として

 一世紀末および二世紀のキリスト者たちが生きた時代は、まだ使徒たちの時代から、そう時を隔てていなかった。ほとんどの場合周囲から認められることのない中で、彼らは新しい生き方を示していた。それは、キリストの復活への信仰に根ざしした生き方。その中に殉教者たちがいた。殉教者たちは、道を照らす光のようであり、すべてを新たにするキリストの愛の生きたしるしであった。

ディオブネトスへの手紙
 190-200年ごろ。著者の名は不明。非キリスト者に宛てて書き送られている。

 キリスト者は、国によっても、言語によっても、衣服によっても、他の人々と区別されません。特別な町に住んでいるわけではないし、風変わりな方言を用いるわけでもありません。(・・・)衣服、食物、生活様式などについては、その土地その土地のやり方に順応しています。しかし、彼らは、ただ神の霊によって生かされるひとつの共同体に卜しているがゆえに、驚くべき、全く逆説的な態度を示します。
 彼らは市民としてのあらゆる義務を果たし、税を負担しています。すべての外国も彼らにとっては祖国であり、またすべての祖国が外国です。彼らはみなと同じように結婚し、子どもを持ちますが、生まれたばかりの赤ん坊を捨てたりはしません。また、皆で同じ食卓を共に囲んでも、皆と同じ寝床に入ったりはしません。この世に生きていますが、この世に従って生きていません。地上での生を送りますが、天の市民なのです。定められた法律に従っていますが、彼らの生き方はそれらの法をはるかに超えています。
 彼らはすべてを愛しますが、人々は彼らを迫害します。彼らを認めず、非難し、殺します。しかし、それによってキリスト者たちは命を得るのです。彼らは貧しいですが、多くの人を富ませます。すべてを欠いていますが、すべてにおいてあり余るほど豊かです。人々は彼らを軽蔑しますが、彼らはその軽蔑に中に自らの名誉を見出します。人々は中傷しますが、それによって義とされます。人々は彼らを侮辱しますが、彼らは人々を祝福します。(・・・)
 ひとことで言えば、からだに魂が宿るように、キリスト者はこの世に宿る魂なのです。魂が体の各部に行きわたっているように、キリスト者もこの世の町々に浸透しています。(・・・)
 迫害されても、キリスト者は日々のその数を増しています。神が彼らに委ねられた責任はあまりにも重大です。そこから逃げ出すことができないほど、重大なのです。

 神が人類に遣わされたのは、ほかでもなく、宇宙の創造主であるキリストです。人間の知性ではこれを思い描くことができないので、この神の行為について横暴さを感じたり、恐れや不安を抱いたりします。しかし、決してそうではなく、全くの善意とやさしさのうちに、一人の王が、やはり王である自分の子を遣わすように、神は、神である御子を遣わされました。それは、荒々しい力によってではなく、説得によって人類を救うのがふさわしいと思われたからです。神のうちにはいかなる暴力も存在しません。神が御子を遣わされたのは、私たちをとがめるためではなく、ご自分のもとに招き寄せるためでした。わたしたちを愛しておられたからであり、裁くためではなかったのです。』







2014年10月8日水曜日

床屋

何がと言って床屋ほど嫌いなものはない。
20年くらい前、家内にタダで際、格好悪いのに丸狩りしたらさらに格好悪くなると言われながら失業したときに丸坊主にした。確かに格好悪くなったがどうしようもない。しかし、次の床屋が先にのびたので大分助かった。嫌いな第一は、大きな鏡の前に座って自分の顔を見なければいけないことである。勿論カットのときは目をつぶっているが終わっていかがでしょうかと言われて目をつむっているわけにもいかず渋々わが顔を見る。白雪姫のお義母さんが鏡の前で「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ」と自分であることをわかって問うている。あの自信が羨ましい。第二は、髪が細いので整髪ができない。やっても髪がぺしゃんこになって、その上右に左と髪がなびいてしまう。今はカットだけだから適当にしているが。まぁ髪のない人から言わせればぜいたくな悩みかもしれないが、早く坊主になればとは冬の寒さを思うと思えず。2か月に一回の忍耐にしておくか。





自転車で

髪が伸びたので久し振りに自転車で床屋に行ってきた。床屋も自転車もW久ぶりなのである。ここ何日か歩いているので息切れはしなくなったが久しぶりの自転車だと膝に負担がかかるのがわかる。それでも少しペタルを踏んでいるとそれほどでもなくなった。湖畔端を走り釜口水門の手前から中に入って行くとかすかな上り坂になる。踏切を渡り丸山橋陸橋の急坂を上らず脇にそれてイルフの脇に出る。丸山橋は急坂なのに脇は坂を感じさせないほど緩やかである。昔飲み屋街だったのかその看板もありまだやっていそうな店もチラホと見える。そこからゆっくりとゆるやかな坂を下って床屋へ、この店は駅の近くにあるので終わってから駅前のララ岡谷に寄る。ここも久しぶり、LCVや周りの店は変わらずで、以前来たときは広く空いていたところにリサイクルショップができていた。人はちらほらだが空きスペースが埋まっていることはいいことだ。そこを後にして戻るようにイルフの食品館などによって、いつものように狭い道をあっちに行ったり、こっちに行ったりとぶラブラと走る。自転車の楽しみはこれにある。歩いて庭先をじろじろ見ると何者かと怪しまれるが自転車だとそう見られてもサッと行けるから安心である。時には行ったり来たりして見ることもあるから実に都合がいい。しかしあまりじろじろ見ていると空き巣狙いに間違われるかなと思ってさりげなくやる。

人が移動する手段によって、当たり前のことだが目に見えるものと距離が違ってくる。歩いていると足元と身の周りがよく見える距離が出ない。自転車は距離が延びる。バイクはさらに距離が延び、それと山の中や急坂でも入れる。自動車は距離が出るが細かい身の周りは見えない。信仰生活や教会もこれらに当てはまるような気がする。大きな教会は人も大勢集まり、活動も活発で効率がいいから結果が出る。小さいところは十年一日のごとく相変わらずで変化はない。あるとすれば平均年齢が上がったくらいとなる。どことは言わないが。まぁ色々な移動方法があるように信仰も然りであって当然であろう。神はそれを良しとされたと思うがちょっと言い訳っぽいかな。現代は効率一本やり、愚鈍のことばは過去のものとなった。しかし、ここにしっかり生きている。


2014年10月3日金曜日

冷めているのか

御岳山の災害をニュースで見ていると色々な思いが去来する。
まず感謝なことは危険な山に登り灰だらけになって救助活動をされている方々のご苦労と二次災害が起きていないことである。責任者はその決断で人の命を失うかもしれないと思うとその責は重いし大変だろうなと思う。大半の自衛隊員、イザ戦争となれば死地に向かうのである。それを為政者は強制しようとしている。それはあってはならないこと、それを防ぐのが為政者の務めではないのではないだろうか。

それとお天気が悪くなり、ガスも発生して危険になって救助活動を中断している時だったかその時かどうか忘れたがテレビに被災された方の家族かコメントしていたのが気になった。正確なことばは忘れたが早く救助してほしいようなことを言っていた。そこには身内の安否を気遣う思いがあっても命がけで救助活動をされている人たちに対する感謝と配慮を見ることはなかった。

亡くなられた方のことが痛まれて色々書かれているが犯罪を犯して刑に服している人たちがこの災害に会ったら天罰と納得するのか命を失うのにも色々な形がある。これが幸せこれが不幸死なんてない。精々亡くなった時にハレルヤというキリスト者位なものである。すべてではないが。

あらためなくとも地上では不変という言葉はあっても実在しない。たえず移り変わっていく、絶えず身の回りに危険がいっぱいなのである。だから今元気に生きていられること、生活が守られていることこれは奇蹟なのである。当然として受け取るものはない。たとえ働いてその報酬を得ても然りである。

疲れ

以前ある牧師のブログを要約するのが面倒で丸写しにして載せ、それに?を加えた文章を書いたらどこでどう見つけたのかコメントが帰ってきた。このブログは発信とより自分のリハビリのための文章書きなのでただ書くだでけコメントが来ても返事は書かない。というよりも書けないと言った方が正直なところであるが。何事もそうなのであろうがIT関係と書くと大げさだがパソコンを使っていて、一つ分からないとその先に行けない。ダメなものは後回しにして解るところからとはいかないところが嫌なところである。アイ何とかは使えないがタブレットはいつか使えるようになりたいと思っているが能力的にも金銭的にもまだそこまでいってない。コロンブスの卵ではないが何だそんなことかで終ってしまうのが大半であるからパソコンは苦手だぁ。自己流でやってきたけど、最初の頃は息子のパソコンを何回もおかしくして今日がある。息子たちには色々な意味で、即ち、中には単純に感謝できないものもあるが感謝している。前置きが長くなったが先月の上沼先生のメールの中に部分抜粋だがこのようなことが書いてあった。見つけられないからというのではなく、要約して書けないので無断転載させてもらう。しかし、コピーして貼り付けではなく、ブラインドタッチの練習を兼ねてこの指で写している。どこもかしこもスムーズにいかないお年頃、指も然りである。


 『他者を視点に哲学してきたレヴィナスに「疲労」についての文章があります。ユダヤ人でしたが、フランス軍に従軍してドイツ軍の捕虜となって重労働についてときに書いたもので、戦後すぐに出版されています。興味深いのは「疲労」を哲学のテーマに取り上げていることと、「疲労」が他者をとらえていく契機にもなっていることです。

 それまでのドイツ観念論を中心にした西洋の哲学は強者のためのものでした。現象学が出て来てから人間が醸し出す重い気分が哲学のテーマになってきました。ハイデガーの存在の「不安」とかサルトルの「吐き気」が、人間のあり方を知る手がかりになってきました。それでも自分を中心とした存在理解です。レヴィナスにとっては、自分の手に負えない「疲労」が、自分の手に負えない「他者」を考える契機になっています。他者を視点に自分の存在を考える、今までにない思考です。

 疲れたとき、疲れ果てたとき、自分が自分でなくなり、手が負えなくなります。それでも自分から逃れることはできません。疲労を負ったまま自分であることに耐えなければなりません。休息を取ることで自分を回復していきます。それでも休息を取っても回復しない疲れがあります。疲れが知らないうちに積み重なって、自分であることを放棄したくなります。それでも自分から離れることはできません。だれにも理解されない、誰とも共有できない「一存在の孤独」です。

 レヴィナスはそんな疲労のもたらす「ずれ」を人間の存在を理解する手がかりにします。「疲労の基本的性格」を「存在の自分自身との食い違い」と表現します。「ものに従事できなくなること」であり、「存在が自分の執着しているものと不断にますます食い違ってゆくこと」です。自分の存在には自分の手に負えないことが避けられないこととして侵入してきます。どんなに堅く自分を守っていても忍び込んできます。レヴィナスはそれを疲労という誰もが経験する現象の分析から捉えたのです。

 レヴィナスは、疲労をこのように他者を視点に入れる手がかりとして、さらにそれに伴う私たちの営みそのものをも他者の視点で見ていきます。仕事、結婚、家庭、子を生むこと、年を取ること、どれも疲労が伴っています。驚くことに実際に、レヴィナスはこれからを哲学のテーマとして展開していきます。身近なことで自分の手に負えないこと、それに囲まれていること、それがまさに人生です。自分ですべてをまかなっているかのような錯覚からの断絶です。

 父の看病も当然疲労が伴います。それでもどこかで回復できます。父は少しだけ回復して、また休む間もなく坂道を登り続けなければなりません。そんな父を見ていて、また父を看病していて、「疲れること」「疲労」が人生に重くのしかかっていて、しかも自分を外から見ていく手がかりになり、さらに自分を超えた彼方を見ていく手がかりにもなっているのだろうと、思いを馳せています。』


先生は哲学を勉強されているので神学とか哲学のことを書かれるとレヴィナスの名前くらいはわかるが後は斜め読みなってしまう。このくらいだとレヴィナスだけでなく他も何とか理解できる。というよりどこか共観するものがあるからだろう。年を取って色々な「弱さ」というものを自分の弱さを通して、他者の弱さを見えることがある。リタイアする前は「自分の弱さをどう見せないようにするか他者の弱さを鋭く批判する」そんな姿を思い出した。今は自分の弱さを隠すこともなく、また他者の弱さに共感できるようになった。

ここに書かれていることと合うかどうかわからないが「疲れ」というものも身近に感じている。それは肉体的なものも然りだがそれ以上に精神的なものあるいは心と言ってもいいかもしれない。弱さにつながるものがある。あるいは傷つきやすい?タフではないのである。イエス様は、
matt:11:28
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
と言われた。重荷を負ってイエス様のところに行けばいいのだが重荷を置いてイエス様のところに行く。だからいつも重荷を背負っている。これが弱さであり、そこから疲れが出てくるのである。言わんとしていることと自分が思っていることとは同じであるかはどうかわからないがこのことを読んでそんなことを思った。

ウオーキング

いい番組だなぁと思いながら滅多に観ることのない「ためしてガッテン」を珍しくチラチラと観てしまった。それは「たった3分で筋力アップ」に魅かれてみてしまったのである。昔家電製品が主だと思ったが「軽・薄・短小」という言葉が流行った。あの頃はあまり好きではなかったが今は「楽」を加えて大好きである。というより軽い物しか持てない、本は薄くないとダメ、文章は短くないと読んでいく先から忘れてしまう。それ故難しいことはダメときているから求めてしまうというよりかこの年になるとからだがこれしか受け付けないというのが正直な話。

お気に入りにいくつかのブログを入れているがその一つはイラク長くて、偶に短い文章のときは読むけど後はタイトルと数行読んで終わりにしている。それに難しい。サルはどこそこに行っておまんじゅうや団子を売っているとあまりおいしくないなと思いながらもつい買ってしまってやはりおいしくなかったなんてのが主体であるから対極にある人ではあるが。

そんな状況だから「たった3分」は魅力である。それに筋力アップもある。高血圧と中性脂肪の薬を飲んでいるがこれは運動不足の結果であることを医者に言われている。お腹周りの眺めて「メタボ」の言葉が不吉に絡みついてくる。

各自治体でやっていることなのであろうが信州では「長野県長寿社会開発センター」なるものがあってシニアのために活動している。取材されていた「熟年体育大学」は信大の中にあるNPO法人でその働きは松本市もシニアのためにそれに参加しているようである。後で分かったことであるが我が町もその講座をやっていることを知った。勿論早速申し込んだのであるが半年くらい前にシニア対象の集まりがあり、諸々の講座の案内をもらったが全く関心がなかったがこれも一つあったのかもしれない。

これはインターバル速歩と言ってゆっくり3分歩き、次にきつめの速歩で3分歩くのを繰り返してトータルで一週間60分歩く、一日15分だと五日歩けばいい。そして歩き終わった直後に牛乳を200ml飲む、これが筋力アップのコツなのだそうだ。これだったらできそうと思い歩き始めた。歩いて数分のところに湖岸のウオーキング、ジョキングコースがある。いつも目の前にして素通りであり、朝起きて外を見ると湖岸を歩いている人が頭だけ見える。切れ目なく見える。結構いるなと思いながら自分もとは思わない。歩くのは夕方下手すると暗くなってからである。恥ずかしいとかというのではなく、夕飯の前の時間が空いたところがこの時間、家内は午後の空いた時間に歩き、その後コーヒータイムにしてお菓子をつまんでTVを観る。観終わって夕食の支度、サルはそれから歩く。1.5キロ往復3キロの距離を歩いている。日によって倍近くになったり、半分になったりしているが。最初はほとんど歩いていないので足はもつれしまってうまく歩けなかった。だから今もゆっくり歩いている。それにO脚だから踵から着いても外側そして内側にそれから前の外側、内側となるから足の裏は不安定。だから内股の感じでゆっくり歩いて軌道修正している。靴の踵の減り方が外側が極端であるから長く履いた靴や底が柔らかい靴だと不安定。今のところ気をつけているがいつまで続くか疑問、長いのは無理だからなぁ。

それと自転車で5キロ10キロは平地の所為もあるが平気だけれど速歩だと胸と耳が痛くなる。運動不足がてき面にわかる。だからインターバル速歩は今のところゆっくりの部分だけ、速歩は当分先の話、「継続は力なり」のことばがあるがこれから寒くなってきたらどうなるかオフシーズンで春まで待つなんてことになるかもしれない。可能性大、それでもまた始まればいいがそのままオフなんてことにもなりかねない。三日坊主にはならないが2,3ヶ月とか半年何てことはざらだからなぁ。でもおトロイに対処していかないととは思っている。