2015年12月29日火曜日

冷蔵庫モードに

今朝起きたら居間は4℃、台所が6℃だった。居間と台所は2℃の差はあるがお天気の良いと居間は南に窓があるから直接日が当たるのであっさり逆転してしまう。今冬一番の冷え込みである。これから次々と記録は更新されていくことだろう。それでも慣れた所為かそれほど寒くは感じなかった。それに昨日は暖かかったからか風邪気味が治り、寒くてもぞくぞくした寒さ感はなくて医者にと思っていたが行かずにすんでホッとしている。TVのニュースでTVに出るのか御嶽海が長野駅の改札出て歩きながらインタビューを受けていた。木曽の諏訪より寒いところに生まれ育ったのに「寒いのは嫌いだ」とそのようなことを言っていたので誰も思うことは一緒かと思わされた。

午前中、畑に行き残っている白菜とキャベツ(一個づつ)を取り、ネットを取って、湖で軽く洗ってフエンスに干して畳んで今年の畑の作業は終わりである。残っている野沢菜は凍っていてみずみずしい青さはなくなりくすんだ緑色になっていた。何度かしみたりするとおいしくなるそうだ。そうなった野沢菜が楽しみである。それとニンニクとたまねぎは冬眠?青さは生き生きとしている。芽もかすかに出たりしているのもあるがどんなのになるかとこれも楽しみである。

台所に置いてある取ってきたキャベツに触ったら凍っているので冷たく、色もくすんだ緑色になっていて白菜とキャベツのオブジェのような感じを受けた。

車に黄砂が降ったような細かい砂が付着していた。拭いても簡単に取れないので今年の黄砂はいつもと違うと思っていた。それは2-3日前に朝早く音がすると思っていたらリンゴ園で薬を散布していたらしくその所為だった。お天気が良いので洗って何とか取れて、これで新年は綺麗な車で迎えられる。

2015年12月26日土曜日

貧しさということ

2cor: 8: 9
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。


もう戦後ではなくなった所為か「昔は貧しかった」という言葉を聞かなくなった。私は、あの当時は勿論のこと今も「貧しさ」は過去形でなく現在進行形である。若いころに文兄が韓国の兄弟を連れて何度か訪問されたことがあった。失礼な言い方かもしれないがその時はみなさんは「豊」とは言えないような感じを受けた。勿論、貧しいということではない。何年か10がつくか忘れたがあるときからソウルから韓国の兄弟たちが来るようになった。転勤であるいは交わりでと彼らは世界的な企業に努めて、企業人としても信仰者としても優れた人たちだった。そして宣教の働きに置いても然りである。都会と地方?のギャップを感じるようだった。文兄が連れてきた兄弟たちはそれほど目立つわけでもなく、みことばの証しもそれほど深いものではなかった。信仰の質に於いて違うのかといったら違っていなかったと思う。しかし、受ける印象は大分違うのを感じた。

ある意味で能力を持った信者がそれを宣教に転化した時にそれなりの働きを目にすることができるのではないかなと思った。ある意味で効率の良い宣教をしているといったらいいだろうか。一見信仰的に見えるけれど実はこの世のセオリーを用いているのに過ぎないような気がする。そこにはキリストの貧しさというものは見えない。だからといって批判しているわけではない。ただキリストの貧しさを体験するということはそう簡単なことではないということである。というより難しいことであると言える。ある意味で主が貧しくなられたということは主だからできたことで我々には不可能に近いことなのかもしれない。


2015年12月25日金曜日

この日を主とともに


今日はクリスマス、デボーションに使っている「この日を主とともに」の内容がよかったのでブラインドタッチの練習を兼ねてここに転載いたします。

1tim 3:16
確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」
 奥義(ミステリー)とは偉大なものです。それは、不可解(ミステリアス)だからではなく、驚くべきものだからです。ここでいう奥義とは、神が肉体をとって現れてくださった、という驚嘆すべき真理のことを言っています。
 それは、永遠に存在する方が、時間に制約される世界に生まれたことを意味します。時間を超越した方が、暦と時計を用いなければならない領域に来て、住んでくださったのです。
 偏在し、同時にすべての場所に存在される方が、ベツレヘム、ナザレ、カペナウム、そして、エルサレムという、単一の場所にしか居ることのできない制約を受けられたのです。
 天と地に満ちる偉大な神が、人体の中にご自身を押し込めてくださった・・・考えるだに、素晴らしいことです。人々は、イエスを見て、まさしくこう言うことができました。「この方のうちにこそ、神の満ち満ちた神の徳が、形をとって宿っており…」(コロサイ2:9参照)。
 この奥義は、創造主が地球というこの取るに足りない惑星を訪れてくださったことを教えています。地球を除いた宇宙と比べるなら、地球は宇宙の埃のようなものに過ぎません。ところが、他のすべての天体を見向きもせず、創造主は、ここに来てくださったのです。天の宮殿から家畜小屋、そして、飼い葉桶へと。
 全能なる御方が、無力な赤ん坊になってくださいました。マリヤが両腕に抱くとその御方こそが、マリヤを支えている御方であったといっても、まったく誇張にはなりません。神は、世界を造られただけではなく、世界を支えている御方でもあるからです。
 全能なる御方は、すべての知恵と知識の源泉です。ところが聖書を見ると、〈子ども〉となられた主が、知恵と知識において成長していった、と書かれています。所有権のある方が、ご自分の国に来られたのに歓迎されなかった、というのは信じがたい事実です。宿屋には、主をお迎えする余地がありませんでした。世は、この方を知りませんでした。ご自分のところに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかったのです。
 主人である方が、しもべとして世に来てくださいました。栄光に主が、その栄光を肉体というヴェールに隠されました。〈いのち〉の主である方が、〈死ぬ〉ためにこの世にやって来られました。聖なる御方が、罪の「密林」にやって来られました。無限の高みにおられた方が、親密な近さにまで来てくださいました。御父の喜びの対象であり、御使いの礼拝の対象である方が空腹になり、喉の渇きと疲れを覚えて、ヤコブの井戸にたたずみ、ガリラヤ湖に浮かぶ舟で眠り、ご自分の手で造った世を、家なきよそ者としてさ迷ったのです。キリストは、栄華を離れて枕するところもない窮乏の中へ来てくださいました。大工として、働きました。布団の上に寝たことは一度としてなく、栓をひねるだけでお湯、または、冷水が出てくるというような、現代人が当然と思う便利さとは無縁でした。

  このすべてはあなたのため、そして、私のためだった
  さあ、来れ、この方を讃えようではないか。
  

2015年12月22日火曜日

クリスマス会余話

クリスマス会が終わり閉館までの短い時間に絵画を鑑賞させてもらった。というものの芸術とは対極にあるような者である。絵画も音楽も嫌いではないが観て、聴いて心和むならいいなぁと思うくらいでしかない。田舎に帰るとよく兄が通う曲を歌っていた。歌謡曲も嫌いではないが歌えない。あの節回しができないのである。20年前から田舎の同窓会にでるようになって、みんなカラオケ歌っているのを見てうまいなぁと感心させられた。特に女性陣が積極的に歌っていたのに驚いた。キリスト者になってよく賛美歌が難しいという言葉をよく聞くことがあったが私はむしろ歌謡曲より歌いやすいと思った。と言いながらも自己流の編曲付きで歌っている。キリスト者であるから面と向かって何も言わないが音楽を少しかじっている人で、一般の人だったら顔をしかめるだろうにと思っている。

絵画も上野の奥の方に位置する桜木町というところに部屋を借りて住んでいたことがあった。お金がないので上野公園の野球場?で草野球を見たり、美術館や博物館で時間を過ごすことがよくあった。昔は絵画展などがあってもそれほど混むようなことはなかったように記憶している。それに映画を観るより安いから暇つぶしに観ていた記憶がある。

そんな中で、たまたま入った絵画展がルオー?だったがルオーだけだったか記憶は定かではない。驚いたのは人物の顔をひと筆で書いているのである。これが絵かと思ってしまった。絵画に対する認識は今も変わっていない。その当時はキリスト者ではなかったがイエス様や弟子たちを題材にした絵が何点もあったことを記憶している。後で知ったのだが彼は道化師とか娼婦をモデルにして描いている。どちらかというと社会の底辺、人々に顧みられない人たちに視点を当てて書いている人だった。そのようなことを知って絵ではなく、そのような彼が好きになった。自分も同じようなものだから共感を得たのかもしれない。私の芸術理解?な本質的なものではない。

ルソーをはじめ素朴派の絵画を多いように思えた。お借りしたホールにも何点も展示してあったがダリとピカソの版画?でも抽象的なものはよくわからない。閉館まで30分位しかなかったがそう広くない館内を二回から見ていこうと階段を登ろうとしたら大鷲グルの写真が何点か展示している。諏訪では有名だが美術館では場違いではと思った。サーと観てホールの二階の展示を観てないので一旦外に出てホールに入り階段を上がって上がりきったところに小さな絵だが太線で丸みのある線の絵があった。もしかしてとその隣を見るとルオー独特の絵が並んでいる。数点並んでいるのを見て何か懐かしさを感じた。観るのは東京で二回、これで三回目である。ポスターを作るので美術館の案内を貰って来たのだがサーと見ただけだったので気が付かなかったが表紙の恥にルオーの絵が載っていた。それにここではルオーも目玉の一つみたい。後はサーと観て、階段を下りた踊り場のところにルオーの大きなキリストの十字架の絵が飾ってあってびっくり、さらに感激して帰って来た。他にもあるそうだから展示替えの時いつなのか聞いてまたいつか行きたい。車で数分、歩いても15分もかからない。クリスマス会もよかったが感激したのはこちらの方が大きかった。芸術がわかるわけないのだが意外性故ではあるが。




http://suwatakken.naganoblog.jp/c56738.htmlの写真が展示してある。去年か

2015年12月16日水曜日

祝福に満ちたクリスマス会

13日に岡谷集会唯一のイベントであるクリスマス会をハーモ美術館のティーセントホールを借りて行われた。子どもを含めて総勢40名あまりの集まりになっていつもは両手に一つか二つ欠けるくらいの集まりがである。今西由紀・真理子さん母娘の連弾、実に力強い。それもそのはずピアノはスタインウェイにまさるとも劣らないベーゼンドルファー225である。と書いたがピアノの知識はないが館長の関さんがどちらかというと上のようなことを話されていたそうだ。今までマリオのチャペルを借りてアップライトのピアノだったから心苦しかったが今回は心置きなく演奏ができたのではとホッとしている。間に女性たちのコーラスと三綿さんのメッセーッジが入り、メッセージはプロジェクターを使って分かりやすかった所為もあってか皆さん真剣に聞いてくださった。内容に共感された方、話し方が参考になった方、そういうものかと真剣であっても距離を置かれた方と色々であったようだが押しなべて好意的であったことは感謝である。集会に結びつくのは至難の業だが祈りながら私たち自身も整えられていく必要があることを痛感する。松鶴家千とせの「わるかな、わかねェだろうな」をもじって、「できるかな、できねェだろうな」とならないようにとここまでは思うのだがその先が足踏みをしてしまう。

このクリスマス会も今回で5回目になる。少しづつ整えられて今回は集大成のような感じを受けた。
午前中に話をしてくれた今西ご夫妻の息子さんの勇太さん、インドネシアに奥さん茉莉さんと海外宣教に行かれる。そのためにオーストラリアで訓練を受けてこられたからかプロジェクターを使っての分かりやすい福音のメッセージは非の打ち所がない。真理子さんも演奏のみならず曲の解説もしてくださり、エスプリの聞いた解説は中々である。来年は軽井沢で英語での聖書の勉強をなさるそうだ。もう一家総出で奉仕してくださるのは今回が最初にして最後となる。千葉県の市原か5年間来てくださった。遠くて、寒くて、もてなしも不十分での三拍子そろってのことでまことに心苦しい限りであるが彼らのご厚意に甘え、そしてキリストにある者の幸いを覚えさせてもらっている。世の中ではこんなことはあり得ない。

個人的には由紀さんのご両親である桝谷ご夫妻からのつながりがあるのだが切れたと思っていた糸がこのように繋がり、今回のような幸いな働きをしてくださった。そしてそのきっかけを作ってくださった三綿さん、この小さい集会に毎月(1月、8月はパス)ご家族で時には経堂集会の兄弟姉妹を連れての奉仕、伝道者として、集会の責任者として、忙しい中での奉仕にどれだけ助けられているかわからない。ここにも主にある者の幸を味合わせてもらっている。「受けるよりも与えるほうが幸いである」とイエス様の言葉として伝えられているが私たちは受けるだけなのである。どこかで返すことができたらと思うがこれは夢のまた夢の話、年の〆のようなクリスマス会、今回ほど感謝と喜びに満ちた集会はなかった。みんなが心ひとつにして祈ってきたことがよかった。一つ気になることはあったがこれは来年の祈りの課題として…。小さき群れのために労してくださった三綿ファミリー、今西ファミリーありがとうございました。

2015年12月11日金曜日

絶歌 余禄

…たおやかに照りつける半透明の春陽が僕を静かに炙る。罪人にとって明るい太陽の光は地獄の業火だ。
 自分は今どこに立っているのだろう。
 「ひとりで生きて行く」。そう決意し安全な籠を飛び出して十年。僕は本当に、ただ逃げたかっただけなのかもしれない。
 自分の過去から。
 自分自身から。
 でも結局どこへ行っても、僕は、僕から逃げれなかった。
 もう、逃げるのはやめよう。自分の立つ場所がどこであろうと、背に負った十字架の、その重さの分だけ、深く強くめり込んだ足跡を遺そう。二度と戻らないこの一瞬一瞬に、一歩一歩くっきりと、自分の足跡を刻み込み歩こう。
 …
 僕は足に力を込め、地面を踏みしめて歩き出した。
 どんなに遠回りしても、どんなに歪で曲がりくねっても、いつかこの生命の涯に後ろを振り向いた時、自分の残した足跡が、一本の道になるように。


で終わっている。偽名であり、本籍は変えていないだろうかある意味で「偽って生きる人生」であろう。生きることは生易しくない。毎年あの日が近づくと二遺族に手紙を書いているそうだ。遺族にとってどれだけ慰めになるだろうかむしろフラッシュバックのように思い出されないだろうか等々…。

2015年12月9日水曜日

絶歌

この本が出版されるにあたって色々論議されていたから図書館では扱わないかなと思って検索したら二つの図書館で扱っていることを知り予約してこの間ようやく手にすることができた。予約待ち17で半年かかった。話題の新刊本はこんなものであろう。

読み始めて早々に違和感を覚える。30歳そこそこの若者がこれだけのものが書けるのか?もしかしてゴーストライターが?と思ってしまった。それは文章が若者らしくなく、たとえを用いての形容の言葉が熟年か編集者がいて書いているかのように思わされた。そしてあれだけのおぞましい事件を起こしていながら何か小説を読むように書かれているようで気になった。当事者ではなく第三者のようにそこに鎮魂の思いは皆無であるように思いた。

時折フラッシュバックのように昔の失敗したことや傷になっていることが思い出さされてて嫌な思いをすることがある。人から見れば些細なことであろうが本人は思い出したくもないことである。それがあのようなおぞましいことをして生きるということはある面でつらいだろうなと思う。最初の方に「僕にとっての救いは『死刑』だけだった。」と書いている。何となくわかる。

一部と二部に分かれていて一部は逮捕前後と生い立ちから少年院に送られるまで、二部は2004年3月から社会復帰のための仮退院から2015年の春まで書かれている。そして最後に「被害者のご家族の皆様へ」とある。

祖母の死から変わっていったようでそして祖母の愛犬サスケが死んだこともそれに輪をかけたようである。その愛犬の餌を食べにくる野良猫に怒りを発してむごい殺し方をするようになり、ナメク解剖するようになってそれが人にと移っていって二人を殺してしまった。それと前後して性的なものへと目覚めていったようである。でもそんなことで変わっていくものだろうか何か病的なものが死をきっかけにして表に出たのであろうか。

二部は11年間の社会復帰の軌跡である。「書く」ということに目覚めて?書き出したのがこの本のようである。院時代から本をよく読んでいたようであり「書く」ことがその帰結かもしれない。その所為かうがった見方かもしれないが自分の文章に酔っているところもあるかなと…。小心者のサルは生きるのがつらくなるときがある。彼にとって「生きる」とはとてもつらいものではないだろうか何か理由を見出して生きなければならない。そして生き続けなければならない。重いテーマだが文章から言葉として描かれていても文面からそれを見出すのは難しい気がする。本にするということは彼にとっては自分というものを整理することができるかもしれないが五木寛之ではないが遺族にとってはおぞましいことをまた思い出させる結果になったのではと思うと何とも言えない気持ちにさせられる一冊であった。

ヨハネ伝9章に思う



john 9: 1-2
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

珍しくヨハネ伝9章全体が一人の盲人を中心にして書かれている。色々な立場の人の論評が面白い。まず弟子たち、彼らにとって盲人であることがどれだけ大変かという視点はなくて誰が神の前に罪を犯したのかとの結果を知りたかった。知って知識として蓄えるためであろうか。盲人がどうなるかとの視点が欠落している。私たちもことの善悪を求めてもその人を生かす道を求めないきらいがある。

john 9: 3
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
イエス様はご自分の栄光を現そうとされたのではなく父の栄光を現そうとされた。そして盲人を生かすことを罪は「私」が中心であるがイエス様は罪のない故それをする必要がなかったとも言える。

john 9: 7
「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
単純な信仰である。幼児サムエルが「主よ、お話しください。しもべは聞いております」に通じる思いがする。疑い深い私にはできない言葉である。

john 9:14
ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった。
イエス様は問題提起をするように物議を醸しだすようなことをやる。罪は弟子たちと同じで本質でないことで右往左往する。私たちは何が本質か本質でないかを時々取り違えていることがあるような気がする。イエス様は「わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです」と言われた。罪は裁きが先に来て救いは後に来る。

john 9:34
彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
イエス様が「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」の言葉を思い出す。どのような人からでも聴くという謙虚さは必要であろう。

john 9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
「見える」、「知っている」というところに罪が残る。神に最も近い者であると自負する彼らではあったがしかし神から最も遠い存在であった。皮肉なものである。現代のパリサイ人、律法学者は誰か…。









2015年12月6日日曜日

「今月のみことば」より

12月号

「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。(ガラテヤ1:4)

 パリでの同時多発テロは世界を震撼させ、世界のどこにも本当に安全な場所はないことを改めて思い知らされた。たった一夜の出来事で、治安は一挙に不安定になり、経済が冷え込み、人々が互いに疑心暗鬼になったことで、イスラム系テロ組織ISは快哉を叫んでいることであろう。彼らの悪魔的目論見は大成功を収めたのである。◆私たちにとってこのような現実を見つめることはつらいことでもある。だれもが人間の善性を信じたい、とどこかで願っているのではないだろうか。アンネ・フランクも「いまでも信じています。たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを」と述べ、世界に感動を与えた。◆しかし、問題が深刻なのは、「善人」と思われた人が、何かのきっかけでおぞましい犯罪に手を染める人になる、という事実もまたあまりに多い、ということである。◆ユダヤ人大量虐殺の推進者であったアイヒマンも、実はどこにでもいそうな「平凡な官僚」にすぎなかったというハンナ・アーレントの報告は物議をかもした。テロやホロコーストに関わる人間は、特別な悪人であり、自分とは違う、と誰もが思いたいのである。◆しかし、神の恵みがなければ、どのような悪をも犯しかねない危うい存在であることを聖書は語っている。キリストはこのような私たちの現実の罪の世に来てくださった。それこそは私たちが真に喜べることではないだろうか。
                                                長野集会月報より

今回は指が少し良く動いてくれた。所々つっかえたりしたことは勿論である。
かつてキリスト教界で成長した教会ともてはやされた大きな教会の牧師が信者の婦人におぞましいことをいとも平気で成していたことがニュースになっていたことがあった。
prov:14:12
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
のみことばを思い出す。まっすぐを賞賛と変えればぴったりである。自戒を込めて。

運命の足音

役場に用があって出かけたついでに予約していた本が入ったので図書館に寄り、受け取って行こうとしたら係りの方がPCの画面を尚も見ていて、おもむろにたって貸しコーナーから一冊の本を取り出して渡してくれた。何かなと思ったらひと月位前に予約した本を忙しくて取りに行けなくて一週間以内に取りに来なかったら返却するとの規定があったのでとっくに返却されたと思っていた本がそのまま残っていた。付箋の返却日の日付は既に半月程過ぎている。係りの方は「いつまでに返却を」と言うのだが言いようがないのか黙って渡してくれた。折角と思い急いで読んで返したがこの本の題名が上記なのである。

これは五木寛之(敬称略)の自伝的なエッセーとでも言えるものだろうか。五木寛之の本は読んだことがなく知っているといえば写真などで長髪の横顔、このくらいの知識しかない。12歳の時に終戦になり、その時は北朝鮮のピョンヤンだった。そこで病気のお母さんを亡くしている。ソ連兵の暴虐ぶりはよく聞くし実際体験した方のお話しを聞いたことがあった。具体的には書いてないがお母さんもその被害にあったみたいだ。12歳の少年が受けた衝撃は計り知れない。どこか暗い印象を受けるのはこのような実体験があったからかなと思ってしまった。私も5歳時に戦争は終わったが片田舎で育った者としてもその経験は今も引きずっていることを思うと彼の衝撃はいかばかりかと思う。何カ所かにお母さんのことばとして「いいのよ」と言っていることが書かれている。読んでいると素敵なお母さんのようである。本の冒頭に「先日、私の郷里の福岡から一枚の写真が送られてきた。差出人は私の知らない御婦人だった。その写真には、白い帽子をかぶった若い女性の姿が映っていた」。母親の小学校の教え子の一人のようで母親の人柄が書かれてあったそうだが「私は半世紀以上かかって、ようやく母親のことを思い出さずにすむようになってきていたのだ」。…「私の57年の心の中の努力は一瞬にして崩れ去ってしまったのだ。『いまごろこんなものを送りつけてくるなんて!』と私の裸の心は叫んでいた。未知のご婦人の善意からの贈りものとわかっていていても、私は相手がうらめしかった。」とその衝撃が伝わってくる。善人の善意の恐ろしさを殺人者より怖いとあらためて思わされる。

読み進むうちの彼の宗教観人生観が仏教に根ざしているのではないだろうかこれは日本人そのものであるような気がする。キリスト教とは相いれないものでありながら日本人として共観するものもある。そして日本人の思想は一軒の家に神棚と仏壇があるように思想的にも矛盾したものがあるような気がする。それが私の信仰のあいまいさと生み出しているのかもしれない。それは聖書が語っていることを伝えるなかでこの日本人を支えている思想を理解したうえで福音を伝えることが大切であることを教えられる。

2015年11月30日月曜日

今日で

今日で11月も終わりあと一ヶ月を残すのみとなった。聖書通読も四月から創世記を読み始めてまだ詩篇の第五巻に入ったばかりで聖書の真ん中で黙示録に着くまではまだ先の先である。しかしデボーションに使っている「この日を主とともに」はもう31ページを残すのみとなってもう最後の最後という感じである。

今日は茅野の義姉の家の落ち葉収集、この間残ってしまった水路に行く階段の落ち葉を収集した。45Lのごみ袋で4つくらいになるかなと思ったら7つにもなった。ほとんど手付かず下はたい肥のようになっていた土の部分を流し完ぺきではないが一応OK、それに木を切ってあったのを裏の入口に交互に積んで結構キチンとなった。このままだと腐ってしまうがいつまでもつか或いはほしい人が出るか薪ストーブを持っている人がいればお互い助かるがどうなることか最後は清掃工場か私の仕事はこれで終わりホッとした感じである。

その帰りはガラスの里の近くのガソリンスタンドでガソリンを入れる。あそこは諏訪地区で一番安いところである。普通のところより10円安いが20L入れても200円の違いであるから通り道に入れるという感じである。そこから畑の方に行くには近いこともあって畑に行くときはいつもこの道を通る。畑に行ったら残っていたミニトマト、ピーマンの葉しおれていた。ダイコン、野沢菜はむしろ生き生きとしているような感じを受ける。ダイコンと白菜を一つづつ収穫する。それとアスパラを入り口に移し替える。アスパラは根が張っているが今やってどうかわからないが畑の真ん中に植えてあるので何となく邪魔な感じだったがこれでOK、他の人たちはどう思うかどうも自分と他の人たちの感覚が少しずれているから何か言われるかもしれない。今年は畑は植えるより畑づくりに専念したので来年は好きなものをと思っている。しかし、自分に合わせてくれるのならいいのだが野菜に合わせるなんてことは苦手中の苦手、来年の話は鬼に笑われないようにその時に…。
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2015年11月29日日曜日

昨日、今日

今朝起きて部屋の温度を見たら10℃を割って樋のチェンが光るのでよく見たら滴になっていた水が凍ってツララのようになっている。釧路はどか雪で一面銀世界のようである。北海道に比べたら寒さは比較にならないが来るべきものが来たかの思いである。昨年は気温や日の出日の入りを調べたりして春を待ちわびていたが今年は少し暖かかった所為もあってかその思いは今のところない。これから寒くなったらどうなるかわからないが…。今まで店の方にPCや本を置いていたが寒くなったので居間の方に移動を始めている。これで一人遅くまでPCを見ているというのもなくなりそうだ。家内はホッとしている。

3時過ぎに久しぶりに自転車で釜口水門近くまで行き、そこから戻るようにブックオフ、そしてプラスワン、カーマと寄ってその後ぶらりと岡谷、下諏訪の町を回って帰ってきた7‐8キロくらいかな向かいかせと坂道は少しきつかった。段々膝が衰えてくるのがわかる。それでも自転車をこげるのは健康な証拠、そのうちダメになるだろう。歩くのも段々億劫になってくるが体動かさないとダメになるという思いに駆られて体を動かしている。

前々日かな免許の更新なので後期高齢者の講習を自動車学校で受けてきた。認知症の検査を兼ねている。最初は何か馬鹿にされているようであまり気分はよくなかったが講習が終わる頃は記憶する力と判断力、動作が衰えていることを知って講習を受けて己を知ることができよかったと思った。そして手続きをするために警察に行ったら視力ではねられてしまった。いつも眼鏡を持っているのでもダメで眼科医と相談してくださいと言われて帰ってきたが細かい字を読むためにどの強いメガネがあったので家を往復してその眼鏡でみたらなお見えない。係りの方も困った顔をして、同省と思ったがその時車にいつも置いている最初の頃に作った遠近の度の弱い方がもしかしたいいのではとそれをかけてみたら一発でOKお互いにホッとする。一時は老眼の眼鏡でダメならどうするのと途方に一瞬なったがそれも解決して思わず顔がほころんだ。あらためて年を取るとはこういうことかと思った。眼はよかったのにこうなってしまった。免許証には眼鏡仕様となるが眼鏡かけないと罰金を頂戴する。この間のように他県に行って歩道と車道を間違いてそれも人をはねて殺してとそれも自動車止めのポールのようなものをすり抜けて行ったニュースを思い出して「私も彼とそれほど違わいところにいるな」と思ってしまった。こんな自分を受け入れていくことは簡単ではないが受け入れていかないと真の喜びも平安もないだろうと思う。色々信仰の有様を問われる。

2015年11月25日水曜日

みんなちがって、みんないい

   私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは知れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
        
        金子みすゞ

野菜作りも最後になってニンニクとたまねぎを植えて玉ねぎは苗からニンニクは実からと植えたのだが昨日行ったら玉ねぎの苗も少し伸びニンニクも芽を出していた。収穫は来年の4-5月であるから冬は大丈夫かなと思うがそのような作物だから大丈夫だろう。ニンニクに化成肥料を入れてこれで一安心となるか一年目はダメもとでやっているからこれからの参考になる。以前に植えた大根も大きくなってきて一本二本と抜いて食卓に、この間は白菜取ってきたがまだあるようだ。それにキャベツは段々玉になってきている。キャベツも白菜も最初から玉になっているのではなく最初は葉が広がっていて段々葉が内側に巻き込むようになっていく見てて面白い。それと大根も下に根を張るのかなと思ったらどんどん上に行く今は1/3位が土から出ている。農家に生まれ育ったけれど作ったことはないので初めての経験で「エッ、エッ」の連続である。野沢菜も店頭では7-80センチくらいのを売っているがまだまだ4-50センチである。共同で植えたネギも太くなってこの間内緒で抜いてきたが美味しかった。畑の半分もやればと思っていたが3/5位はやっただろうか連作の問題もあるので残りもなんだかんだで使うようになるかもしれない。だれもやらなかったら落花生でもと思ったりしている。来年何をやるかは彼らに任せて畑の下こしらえに来年も専念するつもりだ。

「犬も歩けば棒に当たる」ではないがやればやったで新しい発見があり、教えられることも少なくない。野菜も生き物、不揃いが当たり前なのに店頭ではみんな同じような形をしている。それでないと売れないのだろうが味が同じならと思う。都会人のニーズは形からかと思ってしまう。逆に形が整っているのばかりだと何か細工したのではと疑ってしまう。それと同じように植えても多きなるものとそうでないものがあるので育つ育てることの難しさや人の手には負えないものもあることを実感する。土や自然を相手にすると人間の無力さを実感させられる。お金でことを済ませることは人間を奢らせてしまうような気がする。人間のおごりの集団地球号は何処へ行くのだろう。チョット飛躍したが…。

2015年11月24日火曜日

久しぶりの速歩

今日はと思いながらお天気が悪かったり、歩くときになったら用ができてしまったりで歩くのをパスしていたが今日半月ぶりで歩くことができた。もう霧ヶ峰方面の山の上に満月に近い月見える。湖岸ぞえに明かりが見え、対岸の上の方には高速のサービスエリアの明かりも見える。ちょうどいい風情の時でもある。歩くのは夕方にしているが今は五時だと暗くなってしまうからなんかやっていると暗くなってしまう、歩けないことはないが暗いと暑い時はいいがこの季節だとその気にならない。これから気をつけてあるいは朝にと思っている。しかし歩いている時に強い風が吹いていたので明日あたりから寒くなりそうなので続けられるかなぁと思っている。

2015年11月18日水曜日

文明の衝突

少し静かになったなぁと思ったら痛ましいテロ事件が起きてしまった。紛争地域ではなくフランスのパリでの話、衝撃は大きい。フランスは自由に物が言い、そして書くことも自由らしい。たとえそれがある人たちから反感を買うようなことであってもである。ある種の許容さがあるのだろう。ここに至るまでには色々な出来事がありその経験から生み出されて今日があるように思う。それは血で血を争うようなことも少なくなかっただろうと思う。詳しく歴史を知らないしそれほど興味もないが。長い歴史の中に培われたものであってもそれはフランスで通用するもの外国では通用するとは限らない。独自の文化、歴史はその国を創り上げていくかもしれないがそれはその国だけのものである。グローバル化した世界に置いて他国との関係の中により密接にかかわって生きていかなければならない。そうなると他国の文化や宗教に関して無関心ではいられない。そこに配慮が必要であろう。アメリカは黒人を奴隷として扱っていた時代には黒人を奴隷として扱って誰にも文句は言われなかったと思う。しかし、今はそのようなことをすれば非難の的となる。たとえ貧しい黒人であってもである。

私たちが学ぶことは個人であれ国であれ失敗から学んでいることの方がはるかに多いと思う。それが先進国と言われている国がそれを先に学んでいたからに過ぎない。テロを赦すつもりはないが人が国が学ぶには多くの血が流されなければならないという現実がある。欧米は過去形でも中東、アフリカは現在進行形に過ぎないだけである。中東での争いはある意味で欧米の横暴があったから今日があると思っている。人、人格を大切にする欧米人であれば中東、アフリカ、アジアの人たちに接する時は自ずからどうすればよいかわかっているはずである。強欲がそれを妨げていた。むさぼってはならないと言われながらむさぼり富を収奪してその結果がこれであろうと思っている。少し前はポルポトが多くの国民を殺した。そして今は中東でアフリカで行われている。罪は「お話しください。しもべは聞いております」とは言えない。多くの理由をつけてあらゆるものを正当化する。

もう20年近く前に出版されたサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を思い出した。本の帯には「西欧VSイスラム」とある。今この現実を目の前にしている。避けて通れない現実である。富の収奪の前に人はスポイルされる。イエス様は富よりも人を大切にした。この姿勢がない限りこの世の中は血で血で争うことが続くであろう。解決は主よ来てくださいと祈るしかないのかもしれない。

ふたつの応答


gen 3: 9-10
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
アダムは神の呼びかけに対してこのように応えている。単にどこにいるかを言えばいいのにおかしいといえばおかしい。自分もそうだが人は言わなくてもいい言い訳をよく言う。これはアダムからしっかり受け継いだ資質かもしれない。典型的な罪の一つの姿を見る。

1sam 3:10
そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
アダムと好対照なのが幼児サムエルである。私より他の人より自分のことを一番よく知っている主にアーだコーだと言い訳しないで「お話しください。しもべは聞いております」と言いたいものである。

2015年11月16日月曜日

この頃Ⅱ

大分前に卒業した筈なのに韓流ドラマから卒業できていない。「雪の女王」などはDVDまで借りてきて見てしまった。また借りようかなぁと思っている。それは別にしても今4っつのドラマを見ている。勿論毎日ではなくて日に二本位の割で観ている感じである。それほど面白いという訳ではないが何故か観てしまう。一つに本を読むのに目の疲れと集中力が段々弱くなっているのでついネットで無料のドラマを観てしまうという結果になる。TV同様何も考えなくて画面を目で追っていればいいので楽な所為もある。以前は気晴らしにとネットで観ていたがあるときは気晴らしでなくて主に観ているという時もあった。まさに本末転倒、流れに身をかませる様である。反省して今はセーブしているが卒業はしていない。この間M兄が来て、信者だけだったので学んでもらったがタイトルが「弟子をつくる弟子となる祝福」という題でルカ福音書9章23節から話してくださった。弟子となるなんて先の先のことなのに「弟子をつくる弟子」なんてさらにその先である。雲の上の話のようなものである。しかし「自分捨て」、「自分の十字架を負い」、「自分のいのちを捨てる」と話されたが出来る出来ないという問題ではなく、キリスト者として生きるにはこの道しかないことも事実である。信じて天国に行くだけならこんな必要はない。しかし神が求めておられるのは神が語りかけているのに応答することである。救いを強調する弊害は救いを利と捉えてしまいがちになることである。救いは神との応答から生まれる。主を救いの手段と捉えてほしくない。それはご利益宗教に堕してしまうからである。人間成功から学ぶのではなく失敗から学ぶのである。こんなことをして半歩なり一歩なりを歩めれば感謝である。

2015年11月15日日曜日

この頃

ブログも10日あまり留守にしてしまっている。書くことがないわけではないが何かと雑用に追われていてそれに文章を書くのが元々苦手なのでちょうど便箋を広げてペンを持ってイザ書こうとするが文が浮かんでこないそんなのと同じようなのかもしれない。しかし幾つかのブログをお気に入りに入れているがそれもパスしているからそれだけではなさそうだ。

先週は義姉の家の庭の木を切って枝はそのままだったのを5-60センチの長さに切って一抱え位の束にした。20前後くらいだろうかそれを清掃工場に持って行ったが軽トラだったら2-3回で終わるであろうに小さい車なので往復14キロの道のりを10往復してしまった。140キロ八王子まで走ったことになる。翌日、残りの枯葉を熊手でかき集めたら45ℓのごみ袋に22袋これは2往復、枝は500キロ、枯葉は150キロもあった。清掃工場に持って行った枯葉は枯れ枝が混ざっているので腐葉土に出来ないが残っているモミジの枯葉は腐葉土にできそうなので思案中である。最後のごみを清掃工場に持って行って、その帰り茅野市でやっている温泉が近くにあるのでそこに入って白樺湖、車山、霧ヶ峰を通り、上諏訪に出ないで狭い山道を下社秋宮に出る道を通って帰ってきた。白樺湖は橋を通っただけだが廃業しているホテルもありどこか寂れた感じがしていた。今はシーズンではないのかな?

畑も義姉の庭の手入れも私が始めたわけではないのだが行きがかり上始めて結局力仕事は私だけしかできないので最後は自分が後片付けをやることになってしまった。こういうことは嫌いじゃないし運動不足というか体を使っていないので体のためにはよかった。バンドの目が二つばかり詰めるようになったから体調はすこぶるいい。こんなことはする機会もないだろうと思っていたのでいい経験をさせてもらった。来年春になればまた草刈機を使うようになるだろう。体を動かす場があるということは感謝なことである。でも聖書の勉強がおろそかになっているので目と頭の回転が悪くなって勉強するのはしんどくなっているから逃げているのかなとどこか後ろめたい感じもしないでもない。こんな思いがあればまた聖書の勉強にと気が向くようになるだろうなと思っている。事実少しづつではあるがはじめているものもある。勉強と言っても本を読むくらいではあるが。畑も大根や白菜が大きくなってきたのでその収穫と整理をして来年に向けての畑つくりもしなくてはいけない。まだまだ畑の方は力仕事が必要であるから楽しい。何を作るかは今のところ興味なし、落ち着いたら考えるが作るのは家内や他の人たちに任せて自分は他のことやるかもと思ったりもしている。相変わらず「我が道」を行くのである。あと半月余りで後期高齢者になる。昔の還暦みたいなもので完全に年寄りである。そしたらさらに我が道を行くようになりそうで不安でもある。何せ協調性はすこぶる良くない。

2015年11月4日水曜日

「今月のみことば」より

11月号
「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえい』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。」(マタイの福音書5章37節)

 ドイツきっての優良企業と言われたフォルクスワーゲン車が、アメリカの厳し環境基準をクリアするために、不正なソフトウェアを搭載して検査をすりぬけていた、というニュースが一瞬のうちに世界を駆け巡った。該当車両は1100万台に達する、という。◆「ばれなければいい」という利己主義は国境を超えているようである。ヨーロッパ経済を支える「優等生」と言われてきたドイツで起きた事件だけに衝撃はひときわ大きい。◆しかし、実はすべて神には丸見えなのである。「「神の目には、すべて裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」(ヘブル人への手紙4:13)と書かれてある通りである。◆それにしても、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえい』と言うことの何と難しいことか。『はい』を『いいえ』、そして『いいえ』を『はい』と言うところにに私たちの罪の弱さが凝縮されている。◆戦後の貧困にあえぐ日本は、、朝鮮戦争によって特需景気に沸いた。表示を偽って粗悪品を売る多くの業者の中で、表示通りの聖j品を納め続けた業者があった。クリスチャンの波多野鶴吉が起こした繊維メーカー「グンゼ」である。後に破格の信用を得て、会社は大きく発展することになった。◆『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえい』と言いうるために必要なのは学歴でも教養でもなく、私たちの勇気ですらない。私たちをやがて正しく裁かれる神の前に立ち返ること…これこそがその答えではないだろうか。(長野集会月報より)

今回は大分千鳥指になってしまった。少し指を動かしてないとすぐ元に戻ってしまう。

 ちなみに
「フォルクスワーゲンは1937年設立となっているが、旧フォルクスワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国策企業として設立され、会社としては第二次世界大戦終戦後のイギリス軍管理下で改組されたもので、工場と製品設計のみを継承したかたちとなっている。現在では世界119ヶ所に工場を持つ。社名はドイツ語で「国民車」を意味する。(ウィキペディアより)」

2015年11月2日月曜日

最近のこと

先週は大半は茅野にある義姉の家の庭の片付けをしていた。前に木を切っていたのを6~70センチの長さに切り、枝の部分もそれなりに切っていったが一抱えの束にして20前後にもなった。さすがに体の節々が痛くなってしまった。このような作業はやっているときりがない。まさに適当に切り上げる必要がある。と思いながらそれができない。あれもこれもと眼についてしまう。まだ丸太になった木や枝をどうするか清掃工場に持って行くには軽トラでも2~3回で済むかわからない量である。車を借りるには6~7千円かかるからそれまでかけてと思うし自分の車では小さいからその何倍も往復しなければならないしと今思案中である。

こちらに来て、鍬やスコップで畑を耕し、木を伐り枝を払って東京は勿論のこと田舎でも経験しなかったことをしている。しんどいなぁと思う半面いい経験をさせてもらっているなと感謝している。100坪前後あるのだろうかその三分の二あまりをやることができた。新しいところにニンニクとたまねぎを植える。これは家内の要望で他の人たちもそれを先週やった。何を植えるかは彼らに任せて私は下ごしらえである。庭の片付けも選定は彼らに任せ木を切り片付けるのは私の役目、こちらに来て自分の役目がよくわかる。大きな集会だとそれぞれ賜物を必要とされているが小さいところだとそれ以上に欠けたところを補う役目が必要であることを痛感する。だから欠点大いに結構、凸凹で完成するのである。聖書は本来このようなことを語っているのではないかなと思ったりもしている。現実には通用しないことはよくわかっているが。

姜尚中さんの「悪の力」という本を読んで面白く読み、こういう視点もいいなぁと思わされ、こういう見方っていいと思った。薄い本だが私には引用されているものがわからないので少し難しかった。姜尚中さんは詳しく知らないけれど好きな方である。あるブログにはいらくぼろくそに書いていたが人それぞれの見方があるからそう見える人もいるのかなと思ったくらいだが。聖学院大学の学長をやっていると知って期待したがもうやめられたようである。諸般の事情と書いていたが教育や宗教の体質の硬さを見る思いがした。本来中心は学生であるのであろうがそのために学校の体質まで変える勇気と力はないのが教育界や宗教界の姿なのであろう。残念でならない。あの大学はよく知らないがいい大学ではと思っていたがこれでこの先はないなぁと思わされた。残念。

ニュースで「20年前、大阪市で住宅が全焼し、小学6年生だった女の子が死亡した火事で、大阪高等裁判所は、放火や保険金目的の殺人の罪で無期懲役が確定したあと、再審=裁判のやり直しが認められた母親ら2人の刑の執行停止を改めて認める決定をしました。これにより、2人が26日の午後以降、服役中の刑務所から釈放される見通しになりました。」このようなことを聞き、唖然としてしまった。この婦人には男の子供さんがいる兄弟が焼死し母親と20年も別れており、それも犯罪人として、この子の人生はと思うと胸が張り裂けるような思いになる。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は「人のいのちは地球より重い」と同じようなものでしかないのか。今日の新聞には東経大の大出教授が名張事件について書いていた。自分たちの格式で一人の人間を物のくずのように扱っていいのかとそこにも人がもののように扱われているようで仕方がなかった。昨日はネットで「声をかくす人」という映画を観た。リンカーン大統領を暗殺した一人として一人の夫人が絞首刑になった。これも無罪であるはずなのにである。リンカーン大統領が暗殺されたというあまりにも大きい出来事故にである。

「悪の力」の帯に『「こんなワルは許せない!」この怒りを半分だけ肯定してみよう。』とある。自分は悪のどこまで許せてどこから許せないのかと思う半面、そういう判断は正しいのだろうか悪は悪でしかない。まさに軽重の差はないはずだがどこか許すものと許さないものがある。

2015年11月1日日曜日

委ねる


gal 2:11-12
ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。

パウロという人となりは使徒の働きやパウロの書簡を通して少しく知ることができる。風貌はあまりよくないようであり、激しい人のようにも見える。だからペテロに対しても間違っているものは間違っているとハッキリ言えたのだと思う。彼は晩年になって宣教の働きを若いテモテやテトスに委ねるようになった。しかし、

2tim: 1: 7
神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

テモテはパウロと色々な点で好対照である。パウロは純粋なユダヤ人であり、ある種の強さを持った人である。テモテはギリシャ人の父を持つ故混血である。パウロは強さを持っていたがテモテは、どうもおくびょうであったようである。こんなテモテに宣教のわざを委ねるパウロの心境はどうだったのであろうか。

イエス様も同様に頼りない弟子たちに宣教のわざを委ねている。普通委ねるということはそれに足るが故に委ねる。しかし、イエス様にしろパウロにしろ委ねるに足りない者に委ねている。そのように思える。本来委ねるとはこのようなものではないだろうか。委ねるに足ると思う人に委ねるのは委ねると言えないような気がする。そこに信仰が必要であろう。現実に集会では不可であるがどこか能力で必要必要でないを判断されているようで仕方がない。

2015年10月26日月曜日

ブラインドタッチの練習 長野集会の「今月」のみことばより

7月号

「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。」                              (ローマ人への手紙3章15~17節)

◆昭和20年…。3月10日に日付が変わって間もなく、真夜中の東京の上空は焼夷弾30万発を満載する300機以上のB29の大編隊に埋め尽くされた。周到に狙いを定めて落下された焼夷弾により火のの壁に挟まれた住民が逃げ場を失って密集したところにさらに焼夷弾が落とされ、死者は10万人を超えた。5ヶ月後の広島、長崎原爆投下に次ぐ大きな犠牲である。◆しかし驚かされるのは、この作戦の指揮をとったカーティス・ルメイ少将が、戦後、日本政府から勲一等旭日章を授与されていることだ。航空自衛隊の育成に功績があったことがその理由とされているが、不可解極まりない。昨日まで《鬼畜米英」と教えていた政府が、今度はアメリカを師と仰ぐようなこの変わり身の速さはどういうことが。◆そして今では、ー内閣が閣議で憲法解釈を変え、同盟国アメリカが敵国と戦う際には「後方支援」に回るということは合憲であるとされ、近隣諸国との武力衝突も辞さない構えだ。◆名機零戦を作り戦艦大和を建造する優秀な技術力があっても、日本は自ら始めた戦争を終結するすべを知らず、いたずらに戦争を長引かせ犠牲者を増やすばかりであった。310万人という尊い人命を失い、その傷は今も深く残ったままであるのに、また同じ様な過ちが繰り返されようとしている。◆神に立ち返って、聖書のみことばに立ち、「あなたの敵を愛せよ」という主イエスの御命令に従うのでない限り、真の平和への道は遠い。

遡って写すのはこれで最後にします。指先は毎回違って、順調なときと千鳥指とその時によって色々であることを経験する。

2015年10月17日土曜日

ブラインドタッチの練習 長野集会の「今月」のみことばより

8月号
今月のみことば


だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (コリント人への手紙第二 5章17節)

 
1998年の長野オリンピックで来日し、聖火ランナーとして走ったアメリカ人がいた。ルイス・ザンペリー氏(81)である。◆その後、太平洋戦争勃発に伴い、アメリカ陸軍に入隊した。ところが、彼の乗った飛行機が故障のため太平洋上に不時着、47間漂流した末、日本海軍の捕虜となり、直江津の収容所に入れられた。そこで待っていたのは「バード」と呼ばれて捕虜から恐れられていた日本人軍曹からの執拗な虐待であった。◆長い戦争が終わり、収容所生活が終わっても、日本兵、特に「バード」への憎しみは消えることはなかった。悪夢にうなされ、酒浸りの日々が続き、結婚生活も崩壊寸前だった。そんな時、妻からの願いでビリー・グラハムの野外伝道集会に参加する。グラハムが語る聖書のことばはまさに自分に語りかける神のことはであった。「あなたの敵を愛せよ」…。◆トラウマを乗り越えるためにはもう一度日本に行かなければらない…。1950年、巣鴨プリズンを尋ねる。しかしA級戦犯として全国に指名手配された「バード」は訴追を逃れるため逃亡していた。ルイスは、拍子抜けするものの、気がついてみるとあれほどの憎しみが消えていた。ルイスにとっての長い戦争がやっと終わったのである。◆占領統治が終わり、「バード」は再び姿を表した。長野五輪の前年、米CBSのインタビューに応じたものの、ルイスとの面会は拒み続け、死ぬまで自らの非を認めることはなかった。一方、ルイスは、かつての捕虜収容所のあった直江津を走り、沿道から盛んな声援を受け、日米友好の架け橋となった。◆どちらが人生の勝利者となったかは言うまでもないだろう。

ブラインドタッチの練習 長野集会の「今月」のみことばより

10月号
今月のみことば

「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。」 (ヨハネの黙示録13章1節)

 長野集会主催のセミナーにおいて、岡山英雄先生から、難解と言われる黙示録を分かりやすく教えしていただいた。その中で、どの時代においても、「獣の国」と「小羊の王国」という二つの国がしのぎを削っている、という見方は新鮮であった。そして、キリストを認めない国家は、必然的に《獣》としての本性をあらわしていく、と。◆日本でも無意味な特攻や【玉砕】によって国民のいのちが当たり前のごとく犠牲にされ、思想の自由を奪られた悲惨な歴史を思い出さないわけにはいかない。
◆現在はどうか。国会議事堂の周辺で何万という人々が「安保法制」に異議あり、と声を上げていても、政府は全く耳を傾けることなく数の力に任せて可決させていく。◆この先に何が待っているのか。それは国民の不安を無知によるとものと決めつけ、政府の言うことに従ってさいいればいい、という専横がまかり通ることでなくて何であろう。◆しかし、「獣の国」にやがて取って代わる「小羊の王国」がある。それはイエス・キリストを王の王、主の主とする王国であり、キリストによって罪赦され、神の子とされた人々から成り立つ国である。あの強大なローマ帝国をくつがえし、戦後の日本を導いたのはこの王国の民であった、と言っても過言ではない。◆やがて世界が週末に至るとき、王も奴隷も神の前に出るときが来る。その時、すでに「獣の国」は滅びている。そして一人ひとりが神の前に申し開きをしなければならない。◆私たちはどちらの王国に属するものであるだろう。
(長野集会月報10月号より)

2015年10月11日日曜日

ブラインドタッチの練習に

ブラインドタッチもO,Pどまりで数字は勿論のことマイナスや鍵括弧は見ないと打てない。原稿を見て打つとなると更に駄目である。そんなんで素敵な原稿があるのでそれを打たせてもらって練習とする。それは長野キリスト集会が月報を多分長野県にある諸集会宛てに送ってくださっているのだと思うがその月報の「今月のみことば」がとても示唆に富んだものであるので楽しみにしている。それを紹介を兼ねて打つ、前後しますが最初に9月号を、そして8月、10月と打って行きたい。

9月号
今月のみことば

イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。
しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、
また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。(ヨハネの福音書2章23~25節)


第二次世界対戦でイギリスを勝利に導いたウインストン・チャーチルに人々は称賛を惜しまない。戦後はノーベル文学賞まで授与され、名誉のうちにこの世を去った。◆それに対して、アドルフ・ヒットラーと言えば、ユダヤ人六百万人を殺戮した悪の権化と見なされている。最後は悲惨な自殺を遂げ、その死を悼む者はないに等しい。どちらが善人か、悪人か、という判段で迷う人はいないと言っていいのではないだろうか。ところらが、近年出版された「チャーチルの秘密の戦争」によると、第二次世界大戦中、インドのベンガルで三百万人もの人々が餓死したのは、チャーチルが意図的に飢餓を起こしたためという。米国からの食糧支援の申し出も断り、オーストラリアからの豊富な穀物もインドに向かわせず、すでに食糧が充足している地中海地域に運ばれた根本には、チャーチルがインド人を嫌っていたこと、特にガンジーを嫌悪していることが本人のことばからわかっており、抜きがたい人種偏見があった、とベンガル人の著者は指摘する。そしてこの大飢饉でこれほど多くの餓死者が出たことに対してチャーチルが責任を問われることはついになかった。神の目から見たとき、人類史における英雄チャーチルも、史上最悪の人間の一人と見なされるヒトラーも、実は大きな違いはないかもしれない。そして実は私たちも…。キリストの贖いがなければだれもが似た過ちを犯す危うさと隣り合わせなのである。

2015年10月9日金曜日

ホセア書に思う

聖書は字のごとく聖を求めている。しかし、ホセア書はそれに逆行しているように思える。神はホセアに淫行の妻とそれによって生まれた子らを受け入れよといわれる。石打にするのが本来の姿なのにそれそ受け入れなければならないここにホセアの苦悩がある。ホセアの苦悩こそ神の苦悩なのである。聖さを求めるのは正しいがホセアの苦悩を知り、ゴメルやその子らの姿が自分とダブらないと神のみこころを知っても神の苦悩を知ることはできないであろう。神の約束は、
hos 2:14
それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。
hos 2:15
わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。

hos 2:23
わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう。」

ヨブ記を読み始めて

通読でエステル記を終え、今ヨブ記を読み始めている。良きにつけ悪しきにつけヨブの言葉は真実であろう。しかし、三人の友の言葉はヨブにとっては益とはならない。それはヨブの立場に立って語っているのではなく、自分の立場からしか語っていないからである。知識や経験は大切であるしそれがその人を形造っていることにもなる。だからその人なりの姿が映し出される。
john: 9:41
イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたにはなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたのは残るのです。」
前にも書いたが「知る=見える」となるとその結論は推して知るべしであろう。
注解書つき聖書の注解欄に、エリファズは教条主義者、ビルダテが建前主義者、ツォファルは感情露出型であると書いている。うまく言い当てている。これはキリスト者の姿でもあるかもしれない。彼らはある面で正しいがヨブを生かすことも慰めることもできない。なぜならヨブの真実を知らないで外面だけを見て判断しているからである。私たちは見える所でしか判断することができない。これが人間の限界なのであろう。
1sam:16: 7
しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」


最近のこと

八ヶ岳の上の方は茶色くなっているが近くの山々はまだ濃い緑で覆われている。これが紅葉となるとだいぶ寒くなっているということだろう。あの暑かった夏はどこへ行ったのかと思うほど日が差してもそれほどでもなく布団を干すのに遅くそして早く取り込まないと冷たくなってしまう。最低外気温は予報で10℃を切っているが朝晩は12,3℃かそれに近い、今朝は上に羽織っても寒かった。部屋の温度も15℃を切りつつありシャツの上に何かを羽織らないと寒くなってきた。

昨日、先月末からパスしていた速歩を今朝のゴミ出しのついでにそのまま歩いたが手が冷たくなって手をこすりこすり歩きながらいつも備えなしでその場に行って気がつくという性格が出てしまった。成り行き任せの人生は備えをするとか考えるということが苦手である。死後の備えは完璧だからこれだけしっかりやっていればいいかと考えている(私ではなく主がなさっているのだが)。信仰云々と問われれば低い山から高い山を眺めれば仰ぎ見るしかできないが八ヶ岳連峰を遠くから見ればどの山も似たようなものである。主のわざに参画できることは感謝こそすれ誇るものではない。出来ないからといって卑下したり、蔑むものでもない。自虐的に自分を慰める。

久しぶりの速歩なのでふくらはぎがすぐ痛くなったがそのまま歩いたら痛みも消えていった。これがはじめての速歩だと痛みは増すばかりだったかもしれない。いつもの器具でストレッチをやって屈伸をしたら手を握りこぶしにしても簡単に地面についた。普段はやっと手の先がつくという状態である。筋肉は鍛えないとどんどん衰える。信仰もそうかもしれない。苦手なものは避けやすいから集会などで奉仕をしている人は幸いだ。信仰のストレッチをやっているようなもの、性格上引く方だから今の小さな集会にいるということは苦手なメッセもしないといけないので感謝すべきことかもしれないがいつでもどこでも楽な方を選択しま~す。しかし、主がそうさせてくれないその時は感謝します。

先月の中頃からか甥っ子が茅野にある義姉の家の庭の切る木を選定してくれたのでそれを切るために通っていた。太いのだと直径20センチはあるから結構しんどい。それをまた7、80センチ位に切っている。選定は彼らに任せてもっぱら太い木を切るのに専念している。それと石垣の隙間に生えている雑草を取るのに一苦労した。裏の方も草も木も伸び放題でばっさばっさと切ってさっぱりする。ここでも良貨は悪貨を駆逐するではないが雑木なる木はどんどん繁殖して育ってほしいのが日陰になって育たないから切ってみると歴然としている。裏は裏の畑の持ち主か大きくはみ出していた木を切ってそのままになっていたのを同じように短く切って裏の方もすっきりした。まだまだ通わないといけないが何とか一段落した感がある。そんなこんなでブログも休んでいた。

義姉はケアハウスに入居してここには戻らない。売るにしても誰かが住むにしても別に本人がいないのだからやる必要がないかなと思うがやれるところはということでやり始めた。大きい石を積み上げた石垣、広い庭と築山、家は広く、部屋数は少ないが個々の部屋が広い。色々凝っているがどこか中途半端、ダニエルが見たl幻の像を思い出した。感嘆するところもあればえーというところもある。家内のすぐ上の姉はくれれば貰うと言っていたが貧乏人がこんなの貰っても維持費を思うと二の足を踏んでしまう。売るにしても査定はお金をかけた五分の一にもならない。だから本人は売る気はないようだ。姉の家を見て、家とはそこに住む人の生き様を現しているなぁとつくづく思う。
色々とまでは行かないが考えさせられ、体を動かす機会にもなっている。

2015年10月5日月曜日

エステル記を読んで

エズラ・ネヘミヤ・エステル記と短いので読みやすい。
ここを読んでいると韓流宮廷ドラマを思い出して文言はあっさり書かれているが結構ドロドロしたものが流れているのだろうなと思う。
キリスト者にとって過ぎ越し・七週・仮庵の祭りは興味はあるがプリムの祭りはそれほどでもあるいはほとんど関心がないのではないだろうか。しかし、ユダヤ人にとってはこの祭りも欠かせない大切な祭りなのであろう。1948年にイスラエルという国ができたときの彼らの歓喜はどれほどのものだっただろうか。ユダヤ人にとって三大祭に負けず劣らず大切な祭りだったのであろう。

2015年10月1日木曜日

エズラ・ネヘミヤ記を読み終えて

旧約聖書の最後はマラキ書であるが旧約の最後にあたるのがエズラ・ネヘミヤ記である。旧約聖書の真ん中辺にあから錯覚しやすい。
旧約聖書はダビデそしてソロモンの初期が最盛期で後は坂を転げ落ちるように神から離れて周辺国と変わらない体たらくを呈している。神に選ばれた民とは思えない。あるとすれば選民意識だけであろう。しかし、わたしに帰れと預言者を通して語る神の姿は我に語る姿でもあることを実感して民の姿と我の姿がダブる。そういう意味では親近感を抱くことでもある。

どちらかと言うと下降気味の彼らの姿を見せられて少し悲しくなるがこの箇所は国を再建するという前向きの姿勢が見出されてとても読みやすいし彼らの生き生きとしたさまが文言を通して伝わってくる。いつも読んで思うことがある。エズラだけあるいはネヘミヤだけでは完成できなかったであろう。エズラは祭司として律法をよく知っていたであろう。しかし、行政能力はあまりなかったようである。それを可能にしてくれたのがネヘミヤである。この組み合わせが大切である。集会も一人のリーダーシップで大きくなることもあるがあとで問題が起きやすい。責任者も異なった賜物、能力を持ち寄って整えられた集会が出来上がる。そして祝福された集会となる。

エズラ・ネヘミヤのことでもう一つのことを思い出す。ふたつかな?戦後生まれで世界の企業となったホンダとソニーの創業者たちのことである。本田宗一郎は優れた技術者であったがお金に関してはあまり得意ではなかったようである。そこをフォローしたのが藤沢武雄であった。藤沢武雄は勿論のこと本田宗一郎一人では今日のホンダは築けなかった。二人の名コンビが今日のホンダを創り上げたのであるといっても過言ではあるまい。ソニーの井深大も然りで金銭に関してはあまり頓着しなかったようである。これと思ったら行動を起こしてしまう正確な数字は忘れたが資本金の何倍か何十倍かの金額の半導体製造装置を購入したのも一般から見たら無茶なことに映ったであろうことをやってしまう。それをフォローしたのが盛田昭夫である。そしてこのことが今日か少し前かのソニーがあったのである。藤沢武雄と盛田昭夫の働きかわからないがどこか商売上手なところも似ている。今日のソニーはどうなっているかわからないがまだ井深・森田イズムは生きているであろうと信じたい。

就職で東京の大崎駅の近くに住むようになって。少し高台に会社も寮もあった。そのがけ下に明電舎の工場があり、駅前の明電舎はソニーにそして今は高層マンション?が建っているようである。山手線の五反田と品川の中間位に小高い丘のようなところがあって八山と言われていた。その中腹?に東京通信工業の工場の看板が寮の前方に見えた。その看板も間もなく消えてソニーになったような気がする。そんな思い出があり、ホンダは二十歳前後のころスーパーカブができて仕事で乗り回していた。最初のスピード違反はこれで80キロ出して(それでも少し落とした)50キロオーバーで初犯とは言え、当時二万弱だった給料が飛んでしまった記憶がある。当時はブルーバードなどの乗用車よりスピードが出た今はそんなに出ないようになっているようであるがそれとモデルチェンジしても最初の頃とあまり変わらないそれだけ完成されたデザインであるということが言える。エズラ・ネヘミヤをはじめこの二つのコンビを観て素晴しいなぁと思いながら集会の兄姉の賜物が上手に用いられたら素晴しい主の働きが出来るだろうなと思ったりしている。互いにフォローし合える兄姉がうまく組み合わされるといいのだが組み合わせはが難しいかな…。

2015年9月26日土曜日

友・遠方より来ない。だから行く

息子たちに子供が生まれたので東京に行って来た。赤ん坊は可愛いと人は言うが私にはそれがよくわからない。自分の子供がまわりの人たちから可愛いといわれてもどこがと思ったくらいだから重症である。それに自分の子どもを首が座るまでだけない億病者だからましてや他人と思っていたが家内がだけだけと言われて渋々抱いて覗くように見ていたらそれなりに可愛いのかなと思ってしまった。それと携帯やカメラで撮ったのをプリントしていると俺もジジ馬鹿(おじいちゃんとは言わない言わせないつもりだが)かと思ってしまった。まだお腹を空かせた時だけ泣いて後は眠っている。そんな赤ん坊を膝の上にのせているうちに自分も眠くなり思わず寝てしまった。二人の姿を見て嫁さんが苦笑いしていたそうだ。退院したのが連休の最中だったので連休明けに役所に運転手として共に行き手続きを終えたら帰る予定だったが翌日は健診のために日赤に行かなければならないとのことで一日延ばして家内も同行して行くことにした。広尾の日赤の隣は何とかヒルズと言って昔の億ションと言われるマンション群がある。昔、そこにお客さんがいたのでなんとなく懐かしく感じる。地下の駐車場に車を入れて、一階のロビーに出て、マタニティルームへ僕らは健診が終わるまでスタバで待機、見ているとお腹の大きい人や赤ちゃんを抱いている人が多いのに驚くが総合病院なので皆ここに来るのだろうなと思った。それに産院が少なくなっていると聞くからその所為もあるのだろう。こんなことがない限り来ることがないからいい経験である。それに都心で車で来れるなんてこれも懐かしくうれしい。出来たら皇居、そして神田秋葉原を回れたらよかったが残念。

赤ちゃん大好きのT姉はすでに何度か来ているとか授乳用の前掛け?をくれたと授乳の時に見せてくれた。驚くことに彼女のおねいさん(姉妹)と婚約したT兄k姉が共に来てくれたそうだ。T兄に会ったのは15-6年前ではないだろうか。懐かしい。24日は集会所に寄ってM兄姉、息子の住まいの近くに住んでいるM兄姉に挨拶だけして、嫁さんと役所に向かう。帰りに家内と近くのK兄姉を尋ねるが留守、姉妹の顔痛?が心配していたけど原因がわかったようで感謝、その帰り道で旧友なるK兄姉を尋ねる。姉妹が出かけられて兄弟のみ顔を出すだけのつもりがしきりに勧めるので上がってつい話し込んでしまった。色々と話は尽きない。昼食の途中だったがまず食べてと言いながら喋らせるということをしながら一時を楽しむ。収穫は一番下の娘さんの結婚式の写真を見せてもらって、彼女の可愛い姿ととてもうれしそうなお顔が印象的だった。姉妹が留守なのはいま離れているA姉とT姉と交わっているとのことだった。少し気になっている姉妹たちだったのでこのような形でつながっているのかそのために姉妹が労していることを知り、思わず主に感謝する。

交わりながら親というものは子供が結婚しなければそれはそれで心配になり、したらしたでまた心配になる。これが親といういものかなと思うと同時に最近感じている愛という言葉は俗に言う愛するだけではなく悩みや苦しみも罪故に歪んでしまった愛の一つなのかなと思って子供のこととダブってそんなことを感じた。イスラエルの預言者が立ち返れと叫ぶあの苦悩は神の苦悩でもあり、神が愛ゆえの苦悩かなとそんなことを思った。家内が他には寄れないお土産も買ってないしと言っていたがひそかに顔だけはと思っていたので寄ることができてよかった。帰り道に中の島あたりかなしまむらといなげやのコラボ?の店ができていたので寄ってみたら安い引き立てコーヒーが飲めて、テレビもあって、それにテーブルがいくつもあり、子どもたちやお年寄りがくつろいでいた。翌日、前日買ってあったおにぎりをそこでセルフのお茶を飲みながら昼食代わりにてししまった。お隣さんはスパゲッテ-を買ってきて食べていたがこれが本来の姿我らはモグリ。高速に乗る前にガソリン(信州より10円安い)を入れ、結局なんだかんだで八王子から乗ってしまった。双葉の手前で眠くなり30分くらい寝て無事帰えることができた。東京に行くとなぜかホッとするなんでだろう。また何かで上京できればと願っている。

天地創造より



gen: 1: 1
初めに、神が天と地を創造した。

神の壮大な創造のわざを創世記一章で見ることができる。
福音が語られるとき、神々しか知らない日本人にすべてのものを創造された神を紹介するときにここがよく用いられる。

宇宙や地球のすばらしさや人間を含めて生物の精緻さを見ると創られた方がいかに素晴らしい方であるかがわかる。しかし、ここで留まるなら片手落ちといえるような気がする。

exod: 3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」これでもまだまだ。

1john: 4:16
・・・です。これです。

創造のわざがどんなに素晴らしくとも
1cor 13: 1
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

どんなに精緻に創られてももし愛がなければ「やかましいどらや、うるさいシンバルと同じ」にしかすぎない。怒りがあっても憎しみがあってもこれは罪の故の愛の変形だと思っている。憎しみのない人は愛のない人だと思っている。喜怒哀楽を精一杯あらわし、愛を持って創造された神を賛美しょう。


Ⅱ歴代誌を読み終えて

通読で歴代誌を読み終えた。上はそれほどでもないが下は韓国の宮廷ドラマをいくつかネットで観た所為か(過去形、今雪の女王にはまっている)少しダブリながら読んでしまった。北王国は論外としてもダビデ王国の祝福された王家が見事に崩壊していく様は「驕る平家は久しからず」そのものである。特にⅡ歴23:10-12を読むとアハズヤ王の母アタルヤは自分の息子が亡くなると王家の一族を滅ぼして自分が王となる。内実は分からないがイゼベル以上かと思ってしまう。この辺の聖書の見方が少し変わってドロドロした人間の内実を思い浮かべながら読むようになった。人は今も昔も人そのものは変わることがないことを教えられる。罪はどこまでも奈落へと落としていく、留まり、守られ、祝福されるのはその信仰ではなく、主の憐れみそのものであることを教えられる。神に反逆するという意味ではイスラエルの歴史こそ我が歴史でもある。レスポンスして悔い改めなければと思わされるが…。

2015年9月21日月曜日

アメイジング・グレイス


■アメイジング・グレイス(Amazing Grace) : すばらしき恩寵
ジョン・ニュートン (John Newton)の作詞による賛美歌
作曲者は不詳
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り

Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れるのだ

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう
*あらすじ*
18世紀のイギリス。交易で富を築いた家に生まれたウィリアム・ウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)は成長すると、父と叔父が残した財産を多くの慈善事業に使うほどの優しい青年となる。

イギリスの主たる収入源である奴隷貿易に心を痛めた彼は、世のために祈る聖職者になるか、世を変える政治家になるかで心が揺れる。彼の師で、『アメイジング・グレイス』の作詞をしたジョン・ニュートン(アルバート・フィニー)に背中を押されたウィルバーフォースは、21歳の若さで議員に選出される。

彼は英国最年少の首相ウィリアム・ピット(ベネディクト・カンバーバッチ)と共に、奴隷貿易廃止を訴える。どんな危険な場所でも乗り込み情報を掴んでくるトマス・クラークソン(ルーファス・シーウェル)、貴族出身で奴隷経験者でもあるオラウダ・エクィアノ(ユッスー・ンドゥール)、ウィルバーフォースの友人で下院議員のヘンリー・ソーントンら、12人が活動のために集められる。1787年5月、彼らは活動を開始する。

ウィルバーフォースの苦難に満ちた活動は、名曲『アメイジング・グレイス』によって支えられ、奇跡の結末を迎える。
ユーチューブより

GYAOを検索していたら「アメージング・グレース」の映画がありました。
「アメージング・グレース」をクリックすると歌が聴けます。


隣人を愛するとは

mark:12:31
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』・・・。

隣人を愛するには自分を愛せなくてはいけない。自分を愛するということは自己愛などと言われるが本当に自分を愛するということは難しいことである。自分を含め周りの人を見ると劣等感を色々な形で持っているのを見る。それを隠すために強がったり、沈黙したりしてそれが相手にわからないようにと努力している姿をよく見かける。自分もそういうものだと思うと何となくそれがわかってしまうから相手に同情したり腹を立てることは少ない。蚤の心臓だから気分は優れない。

隣人を愛するにはまず自分を愛せなくてはいけない。欠点だらけで良いのを探そうとしても見つからないような者には至難のわざである。映画エデンの東の中にキャルは父親がレタスで大儲けしようとして逆に大きな損失をこうむった。その損失を取り返そうと豆の取引をして大もうけをする。しかし父はそれを受け入れなかった。そこに父親と息子の思いのすれ違いである。父親に受け入れてもらいと努力したことが拒絶され彼は落胆する。たまに見かける光景だが子供が親に良く思われたいと言ったり、行動したりするのを見かける。

私たちは自分を愛する前に誰かに愛されたいor好かれたいとの思いで行動を起こすのではないだろうか。そしてキャルのように失望するのである。自分を愛することは自己愛ではなく、自分の全てを愛おしみ、慈しめなくてはできない。そして初めて相手を愛おしく思い、慈しむことができる。後は簡単だ。それまでが大変なのである。言葉として語ることができてもある意味でイエス様の愛がわからないとダメであろう。食事の時しか向き合っていないが家内がリトマス試験紙のような気がする。愛せるかな愛せないだろうな…。

2015年9月19日土曜日

続々 最近思うこと

1john: 4: 8
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

第一コリント13章に愛について、愛の素晴らしさについて語られている。そしてそのようなものがないことを教えられる。愛を語るには愛を知り、愛を経験しなければ語れないであろう。教会の壇上で愛を語っても小さな集まりで愛を語っても「愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」と聖書は語っている。神の愛は完全であるが人の愛は不完全である。それは、神の愛は100%本物であるということであり、人の愛は人によって違うが何パーセントか欠ける愛であると言えるであろう。愛憎という言葉がある。人の愛は愛憎で100%になるようになっているように思う。愛が欠けているのではなく、憎があるからである。愛が豊かにあるといっても100%ではない。愛が欠けると言われても愛が0%でもない。まぁ人の愛は1%から99%を行き来しているようなもので愛がないからと嘆く必要もないしあるからと言って誇る必要もない。憎というところに罪といれてみてもいいかもしれない。喜びと悲しみも然りかもしれない。この二つを足して100%にしているのである。罪は一つのものを二つに分けてしまった。そして人々はそれに気づかない。

続 最近思うこと



ohn 1: 1a
初めに、ことばがあった。

創世記1章1節のことばは壮大な創造のわざを思い浮かべることができる。しかし、ヨハネのこのことばは比較にならないほど壮大である。なぜなら天地を造られたこととそれを創られた方を語るのとでは次元が違う。旧約と新約の大きな違いかもしれない。

最近思うこと

2pet: 1:20

それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

冒頭の聖句はいつも我が頭から離れない。それは絶えずこの過ちを犯しているという自覚があるからである。しかし、それほど深刻に考えたことはない。それは、聖書をきちんと学んだわけでもなく、不完全な者が完全なるものを理解することは不可能であり、私的解釈をせざるを得ない。しかし、教団とか諸集会の聖書理解が完全だとは思っていないからということもあるが我が聖書理解はブレが多すぎることは事実である。そんなことを承知してこんなことを書こうとしている。

イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたにはなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたのは残るのです。」

固定観念という言葉がある。聖書に適用しようとするには乱暴な言葉かもしれないが結構この言葉に囚われていることって多いのではないだろうか。最初に浮かぶのはエズラ、ネヘミヤ記に見る系図を重んじて混血を排除した経緯に見ることができる。律法が確立したのはバビロン捕囚時にと聞いている。神殿礼拝から神殿がなくなれば当然の帰結と言えるかもしれない。

そして、その延長に律法学者やパリサイ人たちがおり、さらにその延長線上にキリスト者がいる。それはヨーロッパに於けるユダヤ人の排除に見ることができる。スペインではユダヤ人改宗者をマラーノ(豚)と蔑称していた。それだけでなく彼らの中の多くに人たちを拷問して殺している。キリシタン迫害の逆バージョンである。そこに一貫しているのは「これが神のみこころである」という強い確信である。謙遜とか謙虚のひとかけらもない。罪の論理は排除することであり神の論理は?受け入れることとするのは少し乱暴か?

2015年9月16日水曜日

早朝の速歩

最近、朝起きて外に出るとひんやりとするのでこれなら歩いてもそれほど汗はかかないだろうと歩いている。事実、歩き終わっても背中に汗をかいたかなぁと思うぐらいであるから心地いい。朝も何人かとすれ違うが夕方と違って散歩している人は少なく速歩に近い歩き方をしている。ジョギングしている人もいて追い越されたりすれ違ったりと色々である。朝も夕方と同じように犬を連れて散歩している人がいる。それに6時頃には漕艇場で高校生が練習をやっている。それらの様子を見ていると若者たちの爽やかさが伝わってきて気持ちがいい。

先日は湖の方が賑やかだったので何事かなと行ったらテントがいくつも張ってあり人も大勢いてどうも町のレガッタのようだった。若者は勿論同じような年代の人も揃いのトレーナーを着てワイワイやっているのを見ると歴史ある大会なのだなぁと思った。湖があり、漕艇場があることは町だけでなく諏訪の人たちの宝だなぁと思う。特に高校生がこういうことができるのは他ではできない貴重なことである。こういうことができる町っていいなぁと思った。

2015年9月8日火曜日

最近のこと

このところ長雨で外の仕事ができない。幸いにその合間をぬって大根・白菜・キャベツを植えることができた。もう芽が出始めたが隣の畑は10日位前に植えているので芽が出て10センチくらいの葉になっている。白菜・キャベツも葉の一部が枯れかかっていたのでどうなるか心配であるがこの長雨で水分補給は十分、しかし、こうも長雨だと逆効果にならないかと心配である。それと後から植えたズッキーニは10センチくらいの実をつけたが腐ってきて、花は咲かない方はダメかと思っていたら一本だけ30センチくらいの巨大ズッキーニになっていた。小さな実をつけているがこの長雨である下手すると腐っているかもしれない。まだ苗を売られていると思ってナスとズッキーニを買ってきたが季節が遅いと実はつきにくい、初年度は失敗を通して教わることを念頭に入れているからグーである。それとせっかちなのでその度合いも大きい。

隣の家の境は石垣になっている。石垣寄りは車の通路にしている。その奥の部分に何か木をと言っていたので苗を買いに行った時に特価でブルーベリーの木が10本ばかり売っていた。これだと思って二本ばかり買ってきたがあとで気が付いたことがブルーべりーは同じ種類の花からは受粉しないということ、そこの店のは皆同じそこでホームセンターに買いに行ったらさらに安いのがあったのでそれを買ってきた。最初に買ったのは実がついていたが今回は若い苗のようで実はついていなかった。これからこの時間差はどうなるか前に植えたものも一本は枯れそうになっているからこちらの努力よりも生命力に期待するしかない。この苗も長雨でまだ我が家に鎮座している。台風一過明日は晴れてと思うがどうも雨らしい。早くて今週末、この木も花を咲かせるか咲かせて実がつくかこれも心配である。それほど心配はしていないが…

聖書と福音のCDを送ってもらってそれをコピーして四人の兄姉に渡している。CDからパソコンに取り込むのは簡単なのだが書き込みができなくて、いつもいじっているうちにコピーできたということでこれには四苦八苦していた。ソフトとして中に入っていたCyberLinkなるものが画面に出てきた。これはDVDを見るときに動作するようだった。CDを入れて四苦八苦、試行錯誤をしていたので出てきたのだろう。これに取り込み、書き込んだら簡単にできた。パソコンは私にとってブラックボックスである。分からんところはさっぱりわからん。分かっていると思っているところでもおかしくなったらギブアップだからパソコンそのものはそういうものなのであろう。そんなことで二枚は簡単にできたがあとの二枚で四苦八苦していたからこれからはこのソフト使ってやろう。やっとダビングで苦労することもなくなった。しかし取り込んで残すことができるのだろうか。

2015年9月4日金曜日

コーヒー牛乳

町の銭湯?ゆたんぽ(高浜健康温泉センター ゆたん歩゜)の回数券は買ってあるが行くのは月に一、二回、夏は殆ど行ってないが寒くなるとポツポツと行き出す。それでも月に一、二回である。このところ涼しくというより少し肌寒さを感じるようになってからポツポツと行き出した。ここはタオル一本で用が足りるから助かる。

今日は茅野の義姉の家の余分な木を切りに、小は直径7‐8センチから大は15-6センチを14-5本、細いのはいいのだが太いのだとたかが30センチの鋸ではシンドイ、手と腕に痛みをそしてそれほど暑くもないのに汗をぽたぽた流しながらやっていた。10時頃から1時過ぎまでかかってやっと終える。まだまだほかにもやることがあったが今日の仕事はこれで終わりにして昼食を富士見まで行く、車が数台止まれる駐車場から少し奥まったところにあるがどこが入口かわからないお店である。入れば手作りのような古ぼけた狭い愛想のないような店である。夜はスナックをやっていてそれが主体みたいだ。若いオネイサンが一人カウンターにいるだけ、少し経ったらここの主か年配の小柄なおばあさんが出てきた? 客は僕らの外に二人連れの人たちがいてその人たちと話をしていた。知り合いかと聞くともなしに聞こえてくる言葉に「以前に小林節子さんと来られた」(原村在住の元TV東京のレディスフォーの司会者だった人)と言われて好奇心の旺盛な人のようなのでこんなところにも来るんだと感心していた。

小林節子さんとは2-3年前に八ヶ岳農場に野菜を買いに寄った時、別棟で何か写真展のようなものをやっていて、誰もいないようなので折角だからとサクラ半分で寄ってみた。家内と二人で見ていたら「あれこれ小林節子さんだぁ」と思わず大きい声で言ったら、受付のようなところで一人立っていた女性がニコニコしながら近づいて「私が小林節子です」と話しかけてきたので思わず仰天。原村に引っ越してきて色々ボランティア活動などをなされているようでこれもその一つですと言われ、気さくに話されるのでとても好印象を持ったのを覚えている。その時メールを教えてくださいと書いたので時折原村自然文化園(シニアのグループで秋の枯葉拾いに行っている)から文化園便りが届く。

隣の人は知り合いでもないらしい。おばあさんは隣の人と話し終えると私たちのところに来て話しかけてきた。小さい声なので難聴の毛のある私は勿論聞こえない。家内が笑いながら聞いていたから部分通訳で話してくれた。どうもお客様の話を聞くのではなく自分がしゃべりたいことを喋っているようで名物おばあさんのようだ。適当に受け答えしていたら「イケメンのあなたが気に入った」と言ったそうでこれは書かなければと書いている。お世辞にも綺麗と言えないがカウンターの後ろにはお酒の瓶が並んでいる如何にも居酒屋という風なお店であるが定食が500円安い。私はカキフライ、家内はエビと味のフライでフライは揚げたてだから美味しかった。コーヒーがサービスでついていたので手書きで生チョコとお茶とかぼちゃのケーキが書いてあったのでコーヒーに丁度いいと注文する。ケーキというより生クリームのような感じで美味しかった。

そのまま帰るのもと入笠山に向かう。今中幸雄さんの「賛美の家」を通り越して上へと、広場のようなところで止められる。どうも3時まで入山制限があるとのこと時間は2時半過ぎ、今日は少ないからいいといわれてパスしてさらに狭くなる道を上がっていく、平坦になった道をしばらく行くと大阿原湿原に季節外れだが少し歩く、全景が見えるところまで車いすでも行ける。そこはバックを背にして写真を撮れるようにと少し広くなっていた。さらに進むとマナスル山荘などの山荘があるところへ、その手前に係りの方が怪訝な顔(入山制限をしている)をして見ているので右折して山荘の方にと向かう。その脇の駐車場から頂上まで30分と看板にある。その脇の立て看板には「クマが出没します。鈴かラジオを持って登ってください」とある。時間も遅く、雨も降り出したのと鈴もラジオも持っていないのでトイレに寄ってUタウン、Uタウンしないでそのまま行くと長谷村へ、Uタウンして右に右折すれば富士見町へ、直進すれば高遠へ、そして直進する。少し走ると広い道が行き止まりとある。ゴンドラの頂上駅のようだ。そこを避けて更に狭いすれ違うことができないような道を走る。それも砂利道で凸凹、そのうち通行止めバイパスなる道はさらに狭く泥道、完全にすれちがうことができない。それでも車がよく通っているの用タイヤの跡がたくさんある(泥道だから)。大分は知ってようやくアスファルトの道に出る。左高遠、右諏訪の案内があり、ひたすら走る。そのうちフィンスがありゴルフ場へすぐ杖突峠かと思ったらそこへ出るまで結構あった。

そんなことがあってお風呂に行ったのである。そこには自販機が一台あって、瓶入りのコーヒー牛乳がある。無料のお茶の機械もあるがいつも風呂上がりに飲んでいる。瓶入りでのコーヒー牛乳は珍しいからとそれに飲んでいるとある思いが浮かんでくる。東京に来た時には牛乳が飲めなかった。母の実家の従兄たちは牛を飼っていたからご飯に牛乳をかけて食べていた。それを気持ち悪そうに眺めていた記憶がある。家ではヤギを飼っていたからその乳を母はドーナツ型のパンケーキのようなものを作ってくれた。生はダメだか何かに入れると大丈夫なのである。会社の寮生活をしていた時に日曜日は朝食だけでコッペパンにイチゴジャムとピーナツバターを挟んだものに牛乳だけだった。コーヒー牛乳もあってそれを何とか飲めるようになった。紙のキャップを外して飲むと半世紀も前のことがタイムスリップするのである。好きな飲み物でもある。付け加えれば毎日飲む白い牛乳は冷たいのしか飲めない。温めた何とも言えない匂いと味はダメなのでもある。コーヒー牛乳のことを書こうと回り道したら日付も変わってしまった。

2015年8月28日金曜日

列王記Ⅱを読み終えて

通読で列王記Ⅱを読み終えた。旧約聖書を読んでいて嫌なのは地名や人名がカタカナ語なので覚えられないことである。前に書いたが地名は調べてこの辺とわかってもすぐ忘れてしまう。列王記はユダとイスラエルの王様が交互に出てくる。そしてどちらも同じ名前に前後して出てきたりするとどっちがどうなのかわからなくなる。列王記Ⅱの最後の方はユダの王様もイスラエルの王並みにコロコロ変わっているから頭は飽和状態になる。要するに名前は素通りしていくのである。今回はその度合いが強くなったことを実感した。それは年を実感することでもあった。速歩だなんだと一見元気そうだが中身はじわりじわりの脳ミソの皺は減っている。髪はふさふさだが(頭の後ろの方にある円形脱毛症が産毛だけでちっとも生えてこない。もしかして円形ではなく永久かと恐れている)脳ミソはツルツルなのである。老化でも唯一進んでいるものと自虐的に慰めている。

列王記ⅠはまだいいがⅡになると坂を転げ落ちるように神かから離れていく、イスラエル王国は最初からだがユダ王国は後半のひどさは目を覆いたくなる。韓流宮廷ドラマにはまって(もうと思いながら抜けていない)それを観ているとユダ王国の経緯とダブるように見えるので重ねて観る思いだった。それと神から離れていく様は我々に不信仰の見本として提示されているように言われていたしそう思っていた。しかし、アダムの堕罪以来「神から離れる」ということは人間が持つ宿命のようなものである。ある意味で神を身近に覚えるということは特別と考えた方がいいのではないだろうか。即ち、これは恵みなのであろう。本来、私の側に無いのものなのである。イエス様が臨んできて初めて可能になったのであると思っている。落ちている自分を自己弁護的に書いてしまった。

2015年8月26日水曜日

あるブログから

議論の詳細は措いて、多くのプロテスタントでは代償的贖罪のみが語られてきた。つまり、イエス様が私の罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったという面のみが語られてきたが、それでは不十分ではないか。それだと、罪赦された者としていかに生きるかがわからない。罪赦されたんだから、あとは自分で頑張れという新しい律法主義に陥ってしまう。そうでなくむしろ、御子の死による罪の赦しとともに、それを包括している御子の御父への積極的従順にこそ目をとめるべきである。御子は、その生涯を通し、そして格別、十字架の死にまでもしたがうそ従順を、御父にささげられた。私たちは、御子を信じたとき、御子の御父にささげられた従順という功に与ったのである、と。こういう趣旨のことを横浜のT師は力説された。
 私としては、義認と聖化とともに、「子とされる恵み」が肝心でありながら、従来、それが義認論に吸収されてしまったことに問題性を感じていた。御子の積極的服従にわれわれがあずかるという教理はむかしから知っていたけれど、それが子とされる恵みとつながるという大発見に感動して、暗くなっても目がさえてしばらく眠りにつけなかった。』 [ 小海キリスト教会牧師所感より ]

以前に小林崇牧師のブログを丸写しにして載せてコメントしたことがあった。要約するのが面倒でやったのだがまさか本人に見つかるとは思わなかった。最近パクリが話題になっているがそんな意図は勿論なくブログを読んで感じたままを書いたのである。それでもそれからは引用するときは部分的に、そして批判的なものではなく共観、あるいはそれに準ずるものに限定するようにしている。その後は殆どそようなことはない。

そのようなことがあったので引用するのは少し恐縮するが諏訪郡の隣の郡という好で(自分勝手に)、それに内容に共感しましたので引用せさせて頂きます。

私も「イエス様がわたしの罪の身代わりになって死んでくださった」ことを信じて信仰告白をして救われたと今でもそのことは信じている。ただ以前から気になっていたことがあった「死んだら地獄に、ならイエス様を信じて天国へ」の言葉を多く聞き、それはある面で間違っていないがそれだけのために?イエス様が人となり十字架に架ったのだろうかとの問いが自分の中に生まれた。主権を持っている神が私のためだけに?それは私が主体であって神は私のためになんてありうるだろうかそうしたら神の主権はと答えを見え出されない問いかけをしているようであった。

天国についても漠たるものであったがどうも自分が捉えている天国と聖書が語る天国は違うのではないだろうかと思わされてきた。それは黙示録にある新しい天と新しい地の約束である。肉とか地は汚れたものとして一蹴するのではなく天地創造から堕罪、新天新地は不連続なものではなく連続性を持っているのではないかと、ギリシャの二元論(詳しく知らない)が西洋のキリスト教界に深く影響を与えているのではないだろうかと思い、勿論自分の手には負えない問題であるから自分から答えは見いだせないであろう。極論であるが教会が起こした問題はここからとも思っている。聖書が語らんとしていることが曲解されているようで仕方がない。福音的と言われている教会も救いに特化している限りそのことを避けて通れないのではないだろうか。勿論自分の中に答えを持っているわけではない。漠然とした問いかけである。罪からの救いと単純明快な福音は伝えやすくわかりやすいがイエス様との人格的な結びつきやその他諸々の大切なものをスポイルしているようで…。

画家の山下清さんはこの人が偉いかどうかは社会的な地位を言ってもわからなかったそうで、軍隊の位で言ったら「この人は大将のようだ」と言えば「偉いんだなぁ」と分かったそうである。私も御多分に漏れず単純化しないとわからないが少し答えを見出したようで…うれしい。

旅たち?

昨日は早朝(8:30)から湖岸のゴミ拾いに行って来た。これはシニアの集まりの行事の一環で年に数回やっている。場所はヨットハーバーの近くだからちょうど対岸に当たる。いつもこの時期は花火大会の後、大会の翌日には役所かボランティアかでゴミの清掃を行うのでほとんどない。それでも45リットルのゴミ袋に一杯になり、空き缶も結構あった。一時間余りで終わり、その後はほとんどが霧ヶ峰の清掃とマレットゴルフそしてそこで昼食をとる。清掃といってもマレットゴルフ場の近辺でこちらは更にゴミがない。目的はどちらかというとマレットゴルフとバーベキュー?失礼かな。

マレットはやらないのでパスして諏訪湖を一周するように畑へ行く、部分的に伸びてきた雑草を草刈機と鎌で取り、それからジャガイモを植えていた畦とまわりの雑草を手で取り、畦を三本鍬で耕して苦土石灰を撒き土と混ぜる。その後収穫して帰ってきたが一時を過ぎていた。

食事と一時休憩をしてから涼しかったので雨模様だが降りそうもないのでいつものコースを三分の二程を速歩する。休憩がてらストレッチの器具のあるところでストレッチしながら湖畔を眺めていたら燕が群れを成して飛んでいた。右に左に上に下へと燕特有の飛び方である。しかしどこかぎこちないから巣立った雛のようである。ゆっくりとトンビが二羽舞っていたがあの速さでは襲いかかれそうもないなぁなどと考えながら眺めていた。そして、親鳥のような飛び方ができるようになると遠い南の地に飛んでいくのだろうな、その準備かと飛び立てないわが身を思いながら・・・。

2015年8月25日火曜日

下諏訪町に

最近パソコンばかり覗いてTVは殆ど観ていなかったが昨日食事のちょっと前だったので(我が家は夕食ではなく晩食…ハヤクタベタイ~)TVを点けたらちょうど「鶴瓶の家族に乾杯」が始まるところだった。鶴瓶さんが車から降りるところを映していてその後の風景がどうも観たことあるなぁと思ったら家の近く(歩いて10分位)の所だった。今は週に3回くらいだが速歩のコースでもある。その後漕艇場に移動するがそこは更に近い。その後は諏訪大社とその近辺が映し出されていたがあの辺は素通りするだけなのでよくわからなかった。どこか他所の町を観ているような感じがした。この番組は最近はあまり観ていないが好きな番組でもある。番組が好きというより鶴瓶さんのトークが好きなのである。台本がなくとも上手に話を持って行くのは噺家として当然だが素人の人を普段の会話のように話をさせるあれがすごい。今回のゲストは永山絢斗さん、こういう番組だとその人となりがよくわかる。器用ではないが好感が持てる。

2015年8月22日土曜日

三回目

草刈機を購入して畑、隠居屋、義姉の家と使っているが手で刈るよりはるかに楽でなんか大人のおもちゃになりそう。しかしカッターが高速で回転するから木や石など硬い物に当たるとその反動で右方向にもって行かれるからちょっと緊張する。今は緊張と綺麗に刈られ行くのを見ていると気持ちいいが思いは交錯している。何事でもそうだが慣れて来るときが一番危険だから心しなければと思っている。それとこれを楽しみにしているもうひとうの理由は大分汗をかくので体重が減るのではという期待感をもってやっているが・・・。

どちらも草が伸び放題のところを刈っているので刈る前と刈った後では明らかに違っているから「やったぁ」という感じが強く感じてくる。何事も結果がはっきりわかるとうれしいものである。義姉の家は木が伸び放題になっているので何本かは切らないといけないから鋸はあるけど剪定鋏がないので大きいのと小さいのとそれに鎌は一本あるけど追加で買ってきた。聖書の勉強をと机に何冊かを本は置いてあるがそのままで頭は雑用的なものにエネルギーを使っている。大事なことはつい後になる癖があるので「第一のものは第一に」なるように努力しよう。こんなことを書くと大体そうならない。どちらにしろ来週も忙しそう…?

2015年8月14日金曜日

夏も

このところ雨が降ったりして一時ほどの暑さはなくなった。夕方になれば涼しさそのものである。いつもは半ズボンにTシャツ姿なのだが二三日前はそれでは肌寒くて長ズボンに長袖スタイルで過ごした。空を見ればもう鰯雲で雲も高くなって赤とんぼの群れも見かけるようになった。明日は諏訪湖の花火大会、速歩で湖畔端を歩いてきたが駐車場は殆ど県外ナンバーそれだけ人気があるのか去年からは歩いて数分、楽でいい。今年は茅野に住んでいるI姉が茅野からは上諏訪の花火が見えないということで呼ぶことにした。そして明後日は水門での岡谷の花火ととうろう流しで諏訪の夏も終わりになる。アッという間に秋が来て寒い冬が来るのかと思うと少し鬱っぽくなる。パソコンとにらめっこばかりしているのでこの辺で真面目に聖書を含めて本などを読んで少し勉強しないと思っている。反省はサルでもできるというけど私には難しい。秋に向かって食欲はもう太らないようにしているからパスして読書の秋を目指して頑張ろう。

2015年8月13日木曜日

二回目

一昨日初めて草刈機を使用して何とかこなせるようになり、昨日は義姉の家の草を刈りに茅野まで行ってきた。上諏訪の温泉街を通るのでお盆前か花火前なのか車の流れが悪かった。それとビーナスラインは夏休み入ってから混むようになった。普段はガラガラの道路もずーとつながっているとあぁ夏休みに入ったのだなとわかる。幸いすぐ右折するので影響はなし、他のところはスムーズに流れる。

いつもながら最初は外の回りから、道路脇は笹もあり、草も寝ているので最初浅く、二回目は土が食い込むくらいに刈って行ったがトラ刈りになってしまった。それとアスファルトの境目は手か鎌で刈るしかない。奥の脇はそれほどでもなかったから簡単に終わった。草は三抱え程になり結構な量である。石垣のつつじが雑草に覆われているのでそれを取っていたら飽きてきてこれでやめようかなと思ったが少し休憩したら庭の方を少しやるかとやり始める。大きな石や木があるからそれ当たってやりずらかったがキックバックなるものは起こらなくてすんだ。適当に刈るだけ刈っていたらエンジンがピタッと停止する。見たら燃料が切れてストップ、片付けもせずパスして帰ってきた。二時間もやれば飽きる。それに草刈機を右から左に動かすから腰を少しひねるので腰に違和感を感じるようになったこともある。お風呂に行き少し腰を温めたので体全体が和むから気持ちがいい。それに64.2Kg少し目方が減った。それと心地よい疲れが残った感じで早く寝れそう。明日は雨だそうだからパスしてしっかりデボーションをやらないと神との間に薄い幕のような遮蔽板が入っているようで気になる。(前のと前後してしまった)

二つの番組

それほど体を動かしたわけではないが二日続けて草刈りをしたら腰のあたりの筋肉が少し疲れ気味になったので久しぶりに湯たんぽに行く、温泉と心地よい疲れに夕食もそこそこに布団の上に横になったらそのまま眠ってしまった。

フッと目を覚ましたら午前二時前、もぞもぞ起き出して歯を磨く、唯磨いてもとTVをつける。深夜番組はショッピングとつまらない番組ばかり、その中で再放送の二つの番組を最後まで観てしまった。

NHKスペシャル
長崎の子・映像の記憶
~原子雲の下に生きて~

爆心地から700メートルにあった山里国民学校では、1581人の児童のうちおよそ1300人が死亡した。生き残った児童の手記をもとに、映画監督の樋口源一郎は、1950年に記録映画「長崎の子」を制作。さらに、NHKも1980年、37人の児童のその後を追跡調査し、ドキュメンタリー番組を制作した。また、長崎の原爆被害の様子は、終戦直後からアメリカの調査団によって、膨大なカラーの記録フィルムとして残された。こうした記録映像は、言葉以上に時代や世代を超えて体験を未来へ伝承するメディアである。番組では、長崎の子どもたちを記録した映像に、国際政治の駆け引きや放射能被害の研究など、原爆にまつわる冷徹な構図を交錯させて描き、人類が抱える課題を深層から浮き彫りにする。 (NHKライブラリーより)

25年前にも同じように撮ったからその後となるのだろう。私と同世代、この世代は大なり小なり戦争を引きづっている。彼らは原爆の被害を受けてさらに悲惨な人生を送ったのだろう。病魔と闘い、それでもある意味で幸せな人生ではなかったのではと思う。そうでなければTVには出演はしないであろう。あるいは伝えたいものがあったのだろうか。同じ学校でありながら屈託もなく校庭で遊びまわっている子供たちとその校庭に原爆によってか目の不自由になった一人の女性が記念碑?のところに来て祈っている。彼女の負っている重さを思うと胸が熱くなった。同じ学校という共通項があってもあまりにもその重さの違いに唖然とする思いだった。

戦争をやって誰が幸せになったのだろうか精々武器商人だけではないだろうか。それなのにまた戦争へと進もうとしている。戦争の痛みや悲しみ、苦しみを知らない人には戦争は大したことではないのかもしれない。国のプライドを守るという名目で、それで守れるのだろうか。守れなかったらどうするのと言いたい。原発の再開を含めてビジョンのない目先だけのと思ってしまう。ぬるま湯に浸かったカエルのように、これからどうなるかの心配もせずに居心地の良さで満足している。平和そのものである。自分もその一人ではあるが。

もう一つは日テレの「がんで幸せ」、日テレの記者で自らも乳がんと闘いそれを克服した女性をレポートしそしてレポーターとなってがん患者の方々をレポートしていた。回復、あるいは再発の危険を伴っている不安と恐れは一様にあるのだろうが皆前向きで頑張っている。そのような人たちの集まりは笑顔で満ちていた。それはそれで素晴らしいと思ったがその笑顔は本物であろうがでもさらにその深層にと思うと?が付く、頑張って勝者になったがそれはそれで素晴らしいけどどこか虚飾が含んでいるようで仕方がなかった。勿論批判するつもりはないがこの前にNHKスペシャルを観てからだからと思う。70年という年数と2-40代という若さの違いもあるのだろう。

2015年8月12日水曜日

初めての草刈機

この暑さで人はバテているのに雑草は元気そのものである。先日どなたかが車の通路部分をきれいに刈ってくださった。しかし耕していない部分は大分背丈が延びて、それに春先のしなやかさに比べてしっかりたくましく生えて踏んでもびくともしない。鎌で刈るには一苦労しそうなので来年と思っていたが草刈機を買うことにした。ホームセンタ―と電気・水道・建築土木・農業の業者向けの製品を扱っている店を何度か往復しながら色々悩んだ末にホームセンターの一番小さく安いのを買うことにした。マキタ、日立工機のメーカーものにするか安いが名前も知らない丸山製作所?はと思案しつづけて、それほど広くもないし小さいものでもいいのではとの結論に達し、それにメーカーも家庭向けのを開発したとのことでもある。HPを見たら神田駅の近くの9階建ての会社、あぁあそこかと懐かしさもあって決める。思案した割には結構いい加減だなぁと思いながら説明書を読みユーチューブで取り扱いを何度か見て夜はそれでつぶれる。混合油はメーカーで一リットル缶と二リットル缶が売られていたのでそれを買ってきた。翌日、はやる心を抑えて午前中は聖書を読み、祈り、借りてきた又吉の「火花」を読む、結構上っ面でした。このところつい安易なパソコンとにらめっこをしており反省しきりでありながらまだ態勢整わずである。それに列王記のソロモンの神殿だからイメージが湧かない。サムエル記までは読みやすかったのにここは我慢のしどころかと思いつつパソコンに顔と心はむいていく、あぁとの思いを殺して心はエンジンへ…。

タンクに混合油を入れるが少しこぼしてしまった。ジョウロが必要であることを知り、手袋も買ってないので行きがけに買うことにした。説明書通りにプライマポンプなるものを数度押し、スターターノブを引いてもブスンというだけ、はてと思ってチョークレバーを「開」にして引いたら一発でエンジンがかかりこれで一安心、いざ現場へ。

現場でエンジンをかけていざとなると緊張する。金属の刃が高速で回転しユーチューブなどでは硬い石や木に当たるとキックバックといって反対に草刈機が持って行かれる要注意を観ているので慎重にならざるを得ない。最初恐る恐る根元より大分上を刈っていくが順調である。それでも蔓のようなものがあると絡まる。一通り終えるとだいぶ慣れた。さらに根元をやるが最初よりスムースかつ大胆にできるようになった。キックバックすることもなく、それにパワーがないのそれほどの力はないみたい。草が絡みついて停止することが何度かあって小さいのでよかった思った。最初だからムラがあり、子供の頃バリカンで自分の頭を刈った時トラ刈りになった頭を思い出した。

慣れてくると面白くて、帰りに隠居屋に寄り、駐車場と階段と道路から見える部分を刈る。階段は伸びた草を抜くだけで簡単に取れた。二本ダメなのがあって草なのに幹が直径4-5センチもあるので鋸で根元を切る。他にも木のようになっている草もあり、背丈も伸びて一苦労したがスムーズに刈ることができた。大分自信がついたので後日庭の部分をと思っている。

大した労力ではなかったなと思っていたが湖畔を速歩し、シャワーを浴びて、義妹が夕食をと言われて御馳走になったが眠くなって途中失礼して、布団に横になったらバタンキュウである。九時頃目が覚めたら足がつったので手でモンで起きようかなと思いながらそのまま横になったら朝まで寝てしまった。大分疲れていたのだろう。それに今まで朝暗いうちに目が覚めたらそのまま起きていたのでその分も重なってしまったのかもしれない。

タンクに混合油を入れていると半世紀も前にバイクの混合油つくりを思い出した。エンジンをかけてあの音を聞いているとなぜか懐かしさを感じる。またバイクの思いが募ってきた。来年は管理機、バイク…。あのエンジンの匂いは小さいころ田舎で発動機を回していた匂いにつながる。そしてバイク、今は農機具に、そしてバイクに繫げたい―。

2015年8月7日金曜日

楽しみの一つ

家内は自動車の運転ができないので買い物は一緒に行くが品物を選ぶのに時間がかかる。何を買うかはその場で考えて、尚且つ品物が決まってもその中の物をどれにするかで手に取って幾つかを見比べてその中から選ぶからさらに時間がかかる。私は何を買うかは決めていくからその場所に行ってどれも大した違わないと適当に手にとって篭に入れる。野菜だと下が痛んでいたりすることがあるから気をつけるようにはしている。それでも確かめないで買う時が多々あるので失敗をする。この時とばかりに自分の正当性を主張して色々と言われ「諏訪人は言葉がきつい」をこんなところで経験する。こんなことを書いても家内は見ないしバレている人はいるけど遠く離れた東京、集会の人たちには教えていないので心配していない。

スーパーは近くのビック1を利用しているがここはあまり広くないけど安いので利用している。更に近いイオンがあるが品物が高いのと野菜がいい物がない。それにイオンモールなどと大きな設備をいくつか建てて儲かっているようだがあそこは建物が古く閉めた店もあり照明も暗くて何となく辛気臭い感じがするので滅多に行かない。隣の町にあるアピタは似たような感じであったが今建て替え中で素敵なショッピングモールになりそう。

畑に行くようになってからその途中に西友があるので畑の帰りは必ず寄るようにしている。以前住んでいたところは西友が歩いて数分のところにあったのでそこで買い物をしていた。それだから品物の陳列が頭に入っている所為か慣れているの所為もあるか買い物しやすい。それに安いということもある。そこは通路も広くカートを押しても十分行き交うことができる。それとレジから遠くにある通路は割と人が少なくそのそばにある縦のコーナーも人は少ない。だから人の少ないのを見計らってカートを握って足を浮かせるとスーと数メートル先まで滑るようにいく、腕に力がいるからいい運動になると思っているが家内には怒られている。以前に別な店でレジが終わって出入り口に戻るときにそれをやったら「レジの女の人が笑っていたからみっともないからやめて」と家内に言われたが気にすることなく筋力アップのために機会を狙っている。最初の頃はせっかちだから待たされる苦痛に忍耐が必要だったが待つことの忍耐も養われ、それに加えてチャンスは少ないが楽しみができて忍耐を必要とすることもなくなった。

葬儀と気候

我が家の隣は葬儀場の駐車場になっている。広い駐車場は偶に職員の車が数台止まっているが普段はガラガラで訪問客が有るときは重宝させてもらっている。角の斜向かいが葬儀場になっていて家から100ⅿ位のところにも同じ系列の葬儀場がある。ホールの大きさの違いがあるのだろう。諏訪地区では一番大きな葬儀屋さんではないかと思うが他といっても諏訪地区ではJAが三か所と隣町に一つしかない。引っ越した時はお隣さんの好でお世話になろうかと思ったが隣町(といっても車で数分)のシテイホールが安いのでそちらにお世話になることにしてある。

最初は気がつかなかったがこのところ葬儀がお通夜を含めて週に何回か行われている。使われる頻度はこちらの葬儀場より向こうの葬儀場の方が多いようだけれど向こうは更なのだろうなと思う。一月や二月の寒い時期にも葬儀が多いが暖かい夏にと思っていたがこの猛暑である。関東や関西に比べたらその比ではないが暑さに慣れていないこの地の方々にとってそれもお年寄りならさらに大変であろう。体力的にはきついからこの暑さでやられたのかなと思わされた。車を誘導している年配の警備員さんのきつそうな姿を見ていたりするとあらためて猛暑なのだということがわかる。こんなところで今年の暑さを教えられるとは・・・。

しかし、親族にとっては哀しい出来事である葬儀が列席する人たちにとっては儀礼的なものなのかお顔を拝見(チラッと)するとみなさんあっさりした顔をしている。チョット複雑である。自分もどなたかなくなったみたいとあっさりしている。死に対する慣れなのか少し怖い。

2015年8月4日火曜日

第2サムエル記を読みながら

韓国ドラマ「トンイ」がきっかけでイ・ジョンフンのドラマ「馬医、イ・サン、ホジュン」と観てもうやめようと思いながら「商道」を観てしまった。もうこれでと思いながら「わたしの期限は49日」(演出はジョンフンではない)という変わった現代ものを見て、さらにこれでと思いながらネットで観れる残りの「宮廷女官チャングムの誓い」をそして韓流ドラマにはまったわけではないが「トキメキ成均館スキャンダル」(これも演出はジョンフンではない)なるものを観てしまった。流石に食傷気味である。

「私は…」以外は日本でいう時代劇ものである。だがストーリーは複雑に絡んでいるが「水戸黄門」方式で善と悪がはっきりしている。色々と演出の所為で気を持たせるがある意味で単純であるから若い時は映画ばかり観ていたからその懐かしさもあるのだろうがつい観てしまった。(キリスト者になってどちらかというとお固いところで育ったから映画なんてもってのほか、それに唯一の休日の日曜日は朝から夕方まで集会、家に帰ればバタンキューの一日)それと一話完結ではなく50話前後であるから長い、これで時間を取ってしまった。

今まで聖書は淡々と読んでいたが最近は色々問いかけながら読むこともあるようになった。今回も
第二サムエル記を読みながらアブシャロムの謀反などを通して今までっ同士だったのが敵と味方に分かれ争いが始まり、それが終わってもそのしこりは残ってしまうのは当然である。チャングムの誓いの最後の方に「宮中は多くを与えてくれるが大切なものを失うところ」というセリフがある。ヨナタンが父サウルの意向に異を唱えながらそれに従わなければならなかったことやサウロとダビデの争い、そしてアブシャロムの謀反のいきさつを見ながら朝鮮王朝の宮廷の争いとダブる。自分の地位と命を狙う息子でもその死に出会うと嘆き悲しむ父親の姿がそこにある。戦った者に取っては複雑な心境である。時間の中で人は複雑な動きをするが聖書は「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」(1サム13:13)とある。残るもののために何をするかではなくどう生きるかそれが大切…。

2015年8月1日土曜日

ひとつの詩

「もし私が一人の心を」

もしわたしが一人の心を傷心におちいらせないようにすることができるなら、
わたしの生涯はむだではないであろう。
もし一人の生命の苦悩をやわらげることができるなら、
あるいはまた、一羽の弱りはてている駒鳥を助けて
その巣の中に再びもどしてやることができるなら、
わたしの生涯は無駄ではないのであろう。
                  (太田俊雄訳)
                         ―E・ディッキンスン
キリスト者となってから
生きがいを与えてくれた一つの詩です。
人の心を傷つけないようにすることや
人の苦悩をやわらげることはできないけれど
駒鳥を巣に戻すくらいならできるような気がして
(実際には人に見つけらた巣には親鳥は戻って来ないでしょう)
これは物を右から左に移す行為にすぎない

それでも「わたしの生涯は無駄ではないのであろう

自信のない人間にとっては大きな慰めであり、生きる指針になりました
しかし、
小さな行為でも、私は何かが出来る
だれかの役に立っているという視点に立っている
それは、何かが出来る何かをする世界
それは小さな行為も大きな行為もみな同じ
この世界は「そこにいるだけ」の世界は存在しない
「そこにいるだけ」の
この世界は誰もが納得できない世界
何かをする何かが出来ることは幸いである
しかし
存在するだけでも素晴しいと
イエス様は語っているように思う
わたしも
何かが出来るからではなく
「そこにいること」
それを大切にできたらと思う

2015年7月28日火曜日

聖書雑感

創世記から読み始めて今サムエル記Ⅰを読み終えた。以前は素直にというか変に納得して読んでいたが今は時折?をつけたり、だからこうなのかなと思ったりして読んでいる。例えば「聖絶」ということばがある。言わんとすることは分かっているがかつてか今もか非キリスト者に対する残虐な行為はこの辺から来ているのではないだろうかと思ったりする。往々にして「神のことば」を自分の手のに引き込んで自らを神の代理者として立ちやすい性質を罪は持っている。パリサイ人がいい例である。本当の意味での聖書の理解はできるのだろうかと思ったりもする。学的理解が深まってもそれが神のみこころかどうかはイコールではないように思う。聖書を読むだけの者だが神が本来伝えようとしていることが本当に理解されているかと思うと疑問に思うことがある。サングラスをかけて物を見れば形は変わらないけど色はサングラスの色によって変色して見える。アダムのように罪のない世界も罪ある世界も知っているならまだしも我々は罪というサングラスをかけて見ている。形は正確に把握することができても色は正確に把握することはできない。また「群盲象をなでる」ではないが一面は正しくともそれがすべてではない。

2015年7月25日土曜日

ついつい

韓国ドラマにはまって四つばかり連続で観て、あるときは夜中から窓が明るくなるまで観てしまったことも2.3ありだった。これでおしまいと思いながらついパソコンをいじっているとまた検索して二つばかりいや三つばかり観てしまった。面白かった。前にも書いたが登場人物が利に走る人そしてそのためにはどんなことでもする人と他者の利を優先する人とが登場する。そして色々手が込んでドラマは展開するが後者が勝利するという展開である。昔の映画を思い出すようでつい観てしまう。というより息抜きにと検索して前には気にもしなかったのに観始めると最初はそれほどでもないのに終りの展開が次に期待するようにできているからついつい観てしまう。ついついなのか意志薄弱なのかどうも後者らしい。もうこれでと思うが簡単に検索できるからついまたどこかを観そうで心配だ。これは誘惑である。勝てない否妥協してしまう。こんな聖句がある。反省しつつ…。
isa:51:20
あなたの子らは網にかかった大かもしかのように気を失って、すべての町かどに倒れ伏す。彼らには、主の憤りと、あなたの神のとがめとが満ちている。

インターバル速歩

お天気や他の諸々のことで湖畔端を速歩するのをパスしていたが少し前からまた速歩するようになった。最初は少し歩くとふらついていたが今は行きの1.5キロと途中のストレッチの器具のあるところまでは休みなく続けられるようになった。ストレッチをすると帰りの歩きが軽くなる。それでもそれほど汗をかくわけでないからお腹周りは変化なし、今日は義姉の家の枝を切ったりしていたら汗がぽたぽたと流れてきたがこれくらい汗をかかないとダメだろうな。一週間にトータル一時間やればいいといっているが少なくとも3キロ、4-50分を週に四回はやらないとと思っている。この間、町の健康診断を受けてきたが血圧は高いし血がどれだけ改善されているかどちらにしてお腹まわりの脂身を何とかしなくてはと思っている。すぐ結果は無理だが継続は力なり、継続できるようにコツコツと頑張りましょう。続けることによって結果がと期待して…。

収穫

以前は畑だったとはいえ何年もほっといて網の目のように根が張りその雑草を掘り起こして作った畑。どんなふうに実がつくかなと思ったが思ったより結果はよかった。二日とか三日おきに収穫している。二十日大根とか小松菜は早々に収穫し二回目を植えたがこれはあまりよくない。今はインゲンとキュウリがよく採れている。しかし、ナスはあまりよくないが他でもそうらしいからその年の気候によってだいぶ違うみたいだ。それとキュウリの変形には驚く、自分のところで食べるか知り合いにあげるからいいが野菜を売っている農家の方は形も価値のうちだから大変だなぁと思う。少し農家の苦労がわかり、根気のいる作業はダメだからあらためて農家はやれないなぁと思った。まさにお百姓さんアリガトウである。

インゲンはまだ勢いがあるがキュウリは花を咲かして小さな実もついているがもう終わりかなと思う。それとミニトマトが勢いよく枝を張って実をつけている。庭といえない猫の額ほどもない土のある部分にミニトマトを植えたときは腰辺りまででそれもそれほど横にも伸びなかったのでそのイメージをしていたらとんでもなく枝が延びてエボ棒を4本ばかり支えに使っている。これからキュウリもそうだが枝を選定しないといけない。ジャガイモも葉が枯れて実もついているので収穫しなければならないが一二本取ったら大小さまざまで5-6個実がついていた。来週あたり収穫しようかなと思っている。

ブロッコリーも勢い良く伸びたが実はそれほどでもない。ズッキーニは3-4本採れておしまい。葉が広がるのでナスとともに新たに根を起こして畑にして苗を植えたがどう育つか不安。カボチャも勢いよくのびいくつが大きな実をつけている。初年度としてはまぁ上々かそれとピーマンもよく実をつけている。たくさんあるので血圧と中性脂肪にいいかなと軽く洗って生噛りをしている。

2015年7月14日火曜日

ミニ同窓会

小学校の同窓生のKチャンが浦和の埼玉会館でグループの写真展を開催しているのでついでにミニ同窓会をとの誘いの電話を頂いた。そういえば同じ同窓生のHさんが2月に銀座でグループの絵画展をやった時にそんなことを言っていたことを思いだし出かけることにした。本籍をこちらに移そうと思っていたので区役所にもと金曜日の朝一のバスで東京に向かう4時20分のバスに乗るので3時半に起きまだ暗い道をバス停に向かうこと25分、時間が来てもバスが来ないなぁと思って反対側を見たらそれらしきバスが止まっている。慌てて道を渡り乗り込むがこれと昼頃のが上諏訪、下諏訪、岡谷、岡谷インターの道順になるものだった。他は岡谷始発で市役所、長地、下諏訪、上諏訪駅前、赤羽根、諏訪インター入口となる。自分で運転するときは防音壁で外が見えないがバスは座席が高いので外がよく見えてうれしい。前から買っていた「クリスチャンであること」をこの際と読み始める。それほど難しくないように見えたが読み進まず一部を読み終えただけになってしまった。

新宿が終点、西口から小田急で下北沢へ迷いながら区の支庁舎へ、下北沢は殆ど降りたことがないので降り口によっては迷子になりそうなところだ。本多劇場なるものは名前は知っていたが行く途中にあり、来ることもないがそれでもいつか来てみたいものだなぁと思いながらその前を通って駅へ、新宿から湘南ライナーで池袋、赤羽、浦和とアッという間に着いてしまった。駅を降りて駅員、広場の交番と場所を確認して行く、受付で彼の名前を言ったら案内してくれ本人がいるのかなと思ったら彼が賞をもらった写真の場所を教えてくれたのだった。馬の鼻に自分の鼻を押し付けているおじさん何とも微笑ましい。草競馬?と獅子舞いと他に二点ばかり出展していて彼の人となりを知ることができてうれしかった。写真は30年来とのこと、プリントも自分でやるとのことでA3よりも大きいのもやるそうだから大変だ。大分前に電話した時、彼がいなくて奥さんが出て彼女も中学の時の同窓生でクラスは違っていたがお互いに知っていたから色々と話が弾んでご主人のことを好きなことやっていて部屋は足の踏み場もない。どこにでもある夫の道楽をチョッと突き放した言い方をしたのを思い出した。まぁ男の道楽は子供みたいなところがあるからなぁ-。

出展の数が多いので彼のと賞の札がついているのを観終わってもまだ来ない。日にち間違ったのかなぁと思っていたら携帯が鳴る。今浦和駅とのこと彼らは駅で待ち合わせしていたらしい。少し待っていたら来るが向こうが手を振っても私は老眼が進んでいるので顔の認識はできない。近づいて握手して挨拶をする。いつものメンバーに筑西市からT君が来られ、いつも来る二人は用があってダメとのことで男3人、女3人の集まりになった。私は言葉をはさむくらいで聞き役、それに彼らは途切れなく繫がっているが私は50代から途切れたところは修復できない。話についていけないこともあり必然的に聞き役、声がかかった時には仕事や集会があって断っていたがリタイヤしてから時間がとれるようになって参加するようになった。断っても諦めずに声をかけてくれたことを今感謝している。父や田舎を嫌って上京しているからそのわだかまりが彼らとの交流を通して氷解していくのが最近よくわかるようになった。田舎に帰ったら兄たちや同じ集落に同窓生に感謝の言葉を今まで言ってなかったので言いたいと思っている。別に仲たがいをしているわけではないが自分の中こだわりが消えつつあるのだろう。そんなことを思うにつけ彼らに感謝せざるを得ない。

2015年7月9日木曜日

水に流せる民

千メートルの峠を超えなければ他の土地に行けない所に住んでいるが電波やネットで世界の動きや世の中の動きが伝わってくる。昔だったら隔絶された地である(チョット大袈裟かな、でも南信の遠山郷なんかは正に冬は?と思わせるほどの地である。でもキリスト者としての外との交わりは皆無に近いので当たらずとも遠からずである)。

最近、中学生が自ら命を絶ったニュースは胸が痛む、先生を責めるつもりはないが交換日記のなんてむなしいことか言葉や活字が飛び交っているだけでハートに届かないのが現実では?先生は翌日から体調不良で休んでいるとか先生もつらいだろう。もう先生としてやっていけないのではと心配する。また始めたら複雑だなぁ…。半世紀も前で時代が違うといえばそうなのだが当時もいじめはあったがそれに耐える力もあった。強いわけではないが生きなければならないという思いが強いからそのことを考えて、耐え、そして生きる道を模索した。あの当時、先生に思いっきり殴られたこともあるし柔道での体育の時間にふざけているということで寝技で生きもできないほど首を絞められたこともあった。嫌いな先生と仲がよかったということもあるのかと思ったりもしているがお互い嫌いだったのだろう。そのことでいつか殺してやろうと思っていた。今でも赦していないし水に流すつもりもない。

原発もまた再稼働が始まりそうだ。やめれば設備や投資したものがパァになるから経済的損失を考えると心痛むがそれ以上に子々孫々に残しておくべきものではない。福島が警告の結果なのにと思うと残念でならない。人間の選択はこんなものなのだろう。経済界に媚を売る政治家なんて最低だなぁ。

集団的自衛権なるものも賑やかである。内容をよく知らないのに申し訳ないが議論を聞く気にもならない。議論も鉄砲の打ち合いで相手に向かって打っているのではなく、当たらないように空中に向かって弾を撃ちあっているようなそんな感じを受ける。羽毛のような言葉の軽さよ政治家なら相手の心に響く言葉を発せよと言いたくなる。むなしくてその言葉も出ない。子供や孫に何を残していけばいいのか残ししていけるものを持っているのかそれは「神のことば」だ。よきおとずれを

2015年7月8日水曜日

あるブログを

お気に入りに入れているあるブログが「失って気づく」のタイトルを最後に休業中というか廃業?している。「失って気づく」ことって誰もが経験していることである。鈍感な人は失っても気がつかないなんてこともあるだろう。また、失わなければ気がつかないことはたくさんある。気づくってことは当人にとってはあまりうれしいことではないことの方が多いと思う。でも大切なことだ。たくさん失って、たくさん嫌な感じを経験してシンドイなぁと思うときに主の祝福があるだろう。当人しか経験できない大切なものだ。それは、大っぴらできないへそくりのようなもの金額は少ないがそうっと出して中身を見てひとりにやりと笑うようなものである。再開を期待しつつ。

2015年7月3日金曜日

不真面目

二階家に引っ越してきて一階と二階の温度差が極端に違うのと明るさが全然違うのに気づかされた。二階はお天気がいいと日中はむっとするほど暑い。それに比べて一階はヒーターは入れてないが炬燵が欠かせない。それに間取りの所為か台所は昼食時には明かりをつけていることが多い。冬は寒い代わりに夏は扇風機も必要ない。夏の暑さを冬にと思うがそう虫のいいことはあり得ない。どこかで我慢しなければと思っているが冬の寒さの余韻は今も残っている。大袈裟だけどトラウマになっている。さらに寒いのが一階の店の方である。前は飲食物関係の店をやっていたようだから厨房が広いからつもりはないがラーメン屋を開ける。

店の方は月一でMファミリーが来るので各月ごとに我が家で夕食をとるその時に使っている。畳があるので小さい子供さんがいるからちょうどいい。厨房はガス釜と洗いにシンクを使うだけ、食器をも少し置いていっているのでそれも使っているか。そして暖かくなってから息子が正月に来た時ワイヤレスのを置いていったのでそれを使ってパソコンを移動した。ついでにプリンターに少々本を置いて普段はこちらで過ごしている。静かでいい、集中できる。こちらはコンクリートにビニタイルを張ってあるだけだから床が冷たい。今もサンダルではなく靴で今日などは寒いのでトレーナーに長靴という出で立ちである。これでちょうどいい。ここまではいいのだが…。

以前韓国のドラマにはまってもうやめようと思って最後?のホジュンをいくつかピックアップしたのを観ていた。それがまた最初から見始めてこの間やっと観終わった。食傷気味になっているからもう観ないと思う・・・。店の方は家内が用事があって来ない限り誰も来ない。だから静かに聖書の勉強ができるはずだった。それは少しやっているがそれよりも一人静かにパソコンとにらめっこをしている。勿論聖書関係のことを調べたり、クリスチャンのブログを見たりはしているが時間的には少々、本来ならば数冊の本を読破しているはずなのに数冊あちらをかじりこちらをかじりで終わっている。それと韓国ドラマを卒業?したらユウチュープやデイリーラインで日本の映画を観始めている。それもそろそろ卒業かなと思っている。最近観ていたのは若いカップルがどちらかが難病を患い最後には死ぬというドラマと事故や難手術で記憶を失ってしまったカップルとかが多いと言って4-5本、それとほとんどが実話に基づいた話らしい。たまたまチョイスしたのがそれであったということだ。今度話をするのだがちょっと準備して一時間ドラマをしっかり見るパターンになっている。「お前なめてんのか」と自ら己に問いかけながら「なめてます」と答えざるを得ない現状である。それに今度の日曜日は兄弟三人いるのうち二人は用があって出られない。イエス様は「あぁエルサレム、エルサレム」と嘆いたが嘆きもしない。まぁ終わった時に嘆くだろう。しかし、「だからしっかりやっておけばよかったのに」と思うかもしれないが開き直って反省もないだろう。霊が渇いているのに渇きを覚えないことほど恐ろしいものはない。あぁ不真面目と書いたが本当は不信仰だよなぁ~。ま、人間こういうことがないと次のステップに行けない。これからが問題、このことが無駄にならないように祈る。