2015年3月31日火曜日

山火事

珍しくヘリが何機も諏訪湖を旋回している。すぐ近くにヘリポートがあるのでそこに来ているようですごい音がしている。防災訓練かと近いので自転車で見に行ったら消防車に警察の車や町の役場の車が止まっている。よく見ると自衛隊員の姿にヘリポートの近くには自衛隊のトラックが止まっていた。下りては飛び立つヘリを見ると長野県は勿論、岐阜県、群馬県の名前がある(富山県からも来ていたらしい)。本格的な防災訓練かと見ていた。そのうち役場の職員やおまわりさんが来てこれから自衛隊の大型ヘリが来るから石などはねて怪我をするといけないからと下がるように言われた。正に自衛隊(群馬から)に隣の県との本格的な訓練だと思った。自衛隊のヘリが来るとのこと待っているが来ない。だいぶ経ってから北東の方からふたつのヘリの影が段々近づいてくるが大分高く飛んでいるのでヘリ自体は小さく見える。下りるのかなと思ったらそのまま南西の方に向かって行ってしまった。来そうもないので家に帰り家の周りを片付けていたら大きな音がするので音の方を見たら自衛隊のヘリが低く飛んでヘリポートに下りようとしている。急いで自転車に乗り出掛けたが手前の漕艇場で止められた。道路の反対側はいいのかなとそちらに回りかけたらそっちもダメと言われたがすぐそこで見るからと自転車に乗ってみんなが見ている所から見る。

普通のヘリでも大きいのにそのヘリがおもちゃみたいに見える大型ヘリである(ちょっと大袈裟かな)。見ていたら隣に自転車を引いて年配の婦人が来た。初めに見に行ってヘリポートの近くまで行った時にもっと下がるようにと注意された老夫婦がいたがその婦人だった。少し立ち話をして聞いたら岡谷の南で天竜川を下った川岸の山火事で広域消防では消せないので長野は勿論隣県と自衛隊にヘリ要請したらしい。ヘリポートから湖まで100Mとない。あそこで給水していたのだ。そう言えば川岸の方に煙が見えていたから気になっていたが山火事だとは知らなかった。住宅街の近くまで火が回ってきたので学校に避難をとか言っていたがでもそこまで来なかったらしい。300ヘクタール、諏訪湖は1.3ヘクタール(13.6K㎡)?相当沢山燃えたことになる。全国版のニュースにもなり、N兄から電話があってニュースを観て電話したとのこと、全国版に出るのにいいニュースではない。去年だったか田舎の名前が全国版に出たのは殺人事件だった。

出火の原因はお墓に線香を上げようとしたらその日が枯草に燃え移ったとかまさかと思ったのだろうが乾燥していて草花はこれから、枯草ばかりである。仏教はと言わないが仏壇の蝋燭といい、危ないことをやるものだ。やらないと済まないだろうがどれだけの価値がある物かと思うと仏教徒には失礼だが危ないことはやめた方がいい。どこかむなしい。

昨日も湖畔端を歩こうと外に出たら駅の方向に煙が見える。この辺は焚火はしてはいけないことになっているのに誰がと思いながら歩いていたが少し歩いたら白い煙が勢いよく上がっている。どうも焚火ではなさそうと思い煙の方向に歩いていったら火事だった。古くて大きな家だったが形が残っているが全焼であろう。空き家かなと思っていたら年寄り夫婦だけとか80歳前半のご夫婦、10歳と違わない。二階から火が出たとか何が原因だろう。火事のニュースを聞くとお年寄りだけの一人とか夫婦とかを聞く、今回もそうかと思うとつらい。火事だというと精々Tでのことである。だからどことなく緊張感がない。大変な山火事を防災訓練かと見物に行くのは現場で働いている人たちに失礼であろう。少し心あらためねば。

2015年3月29日日曜日

水野源三さんの詩

私がいる

ナザレのイエスを
十字架にかけよと
要求した人
許可した人
執行した人
それらの人の中に
私がいる


自分はいい人間だとは思わないが
どこかに「自分は違う」という思いがある。
水野源三さんの詩はそんな自分に
そうじゃないよと語りかける。

春だ

このところ暖かい日が続いている。二三日前から朝起きて温度を見ると一度づつ上がって今日は11度だった。お天気は予報通り朝朝日が出ていたのにあっという間に曇りになり昼頃は雨模様になる。大した雨ではなかったから夕方前に上がっていた。そんな模様でも寒さは感じない。少し前から枯れ木(ホントに折るとポキポキ折れる)のようになっていた紫陽花の木?の先端から芽が出始めたのである。それと何もなかった地面に葉が出てきた。家内に聞いたらチューリップと水仙とか他にも何か出てきている。そのうち布団が干すのに困るほど足の踏み場が無くなる。前の方が色々植えていたのか自然に生えていったのかわからないが春を告げるではなく確かなを実感する。自転車に乗っていても歩いていてももう寒さを感じなくって来たから実にグーである。後は懐と心が暖かくなるといいのだがこればかりは冬から抜け出せない。

2015年3月25日水曜日

インターバル速歩を終えて

16日に半年のインターバル速歩の講習が終わった。近くの湖畔端を往復3キロ、30分歩いてどれだけの効果があるのかなと思ったが案の定それほどの変化は起きていなかった。それでも微妙に改善されている。今、高血圧と中性脂肪の薬を飲んでいる。この間薬が無くなったので医者に行って血液を採ったので中性脂肪は落ちているかなと思ったら前回よりも上がっていた。食事をしていった所為もあるのだろうががっかり。よしもっとハードに歩いてと思ったが17日から上京し18日は歩いたがあとは車でドアツードア階段で息切れがするようになった。上がるのは至難だが下がるのはアッという間である。時間のないこともあるが今日あたりから少し歩こうかなと思っている。暖かくなってきたので自転車に乗り出したが膝が痛い、これから歩きと自転車で少しハードにと思っているがやることが短命なのでどうなるか?これは自分の意思故、いのちは神からのものもう短命とは言えない。後期高齢者に向かって新たなスタートをしないといけないなぁと思い始めている。

群集の中のひとつの顔

東京に出てのひとつの楽しみは雑踏の中を一人で歩くことである。これは若い時から好きだった。若い時は仕事の帰りによく上野の街を目的もなくぶらりぶらりと歩いていた。お金がなかったり、お酒が飲めないこともあったのかもしれない。しかし、そこにはこんなに大勢人がいるのに自分を知っている人が誰もいないというある種の安心感があった。何か悪いことをしているわけではないが何故かそんな感じがした。今回も新宿の街を歩いて、立ち止まって上を見上げたり、人の流れにはじかれたりしている自分を見て、あきらかにおのぼりさんだなぁと思いながら歩いていた。それでも地上を歩いている時は目的があったが西口地下を歩いている時は無目的だからまさに雑踏の中をぶらりと歩いている自分を見てどこかホッとしている。題名は半世紀近く前に観た映画の題名であるが内容が違うけれどなぜか東京の街を一人で歩いているとこの題名がダブるのである。


様変わりする東京

幾つかのことがあって家内と上京して、18日は小学校のミニクラス会。実は同級生のHさんが絵画の勉強会に入っていてそこのグループ展があるのでそれに合わせての話。東京は一年だとそれほどでもないが二年となると様変わりをしている感じがする。来る時は府中、調布、国領と通ってきたが東京に居るときに調布駅は地下の工事中だったが今は完全に地下になり国領もそうなっていた。それに国領は駅前は高層マンションが建っていて広場も広く全く様変わりをしていたのには驚いた。東京は変化の激しいところであることをあらためて知る。といっても戦後から変わらずのところもある。混在した都市って変化の可能性を秘めているような気がする。信州の昔は栄えたがといっている空き家が目立つ都市とはだいぶ趣が違う。そこにあるのはやはり人なのだろうなと思ったが実際どうなのだろう。

銀座の画廊を借りてのグループ展だったから京王線で新宿に出てJRで有楽町に向かう。新宿まではそれほどでもないが新宿から車窓を眺めているとなぜか懐かしい。勤めが秋葉原だったからお茶の水、神田と通るとさらに懐かしさを感じる。チラッと秋葉原の電気街が見えるがどこかケバケバしい。ここも様変わりしている。むしろお茶の水、神田はあまり変わっていないような感じを受ける。

画廊は工事中の松坂屋の前にあるので駅前のスクランブル交差点を渡り、4丁目に向かって歩く、TVで見かけるブランド物のお店があり入口に人が立っている。こんな格好して入ったら「いらっしゃいませ」と言うのだろうかあるいは断られるだろかと考えながら歩く、歩いていて東南アジア系の外国人が多く、それ目当てのお店もあった。グループ展は二年ごととのこと、工事中の松坂屋も様変わりしている建物になっているのだろう。

上京

先週はいくつかの用があって家内と上京した。
ひとつは昨年暮れに肺の手術をされたK姉妹を暖かくなったら見舞いに行くという約束をしていた。兄弟が食事を作っているので一食でも楽なようにと昼食を共にとそれに合わせて朝出かける。
いつものようにのんびり90キロ前後で走り、ほとんど下りなのでリッター当たりのキロ数は22-3キロである。

八王子に11時前に着いたので調布で下りるのをここで下りる。日野バイバスなるものが開通しているようなのでそこを通りたかったためである。ところが信号が多くて青になって進めば次が赤となるようなこれがバイバスの国道かと思ってしまう。お蔭で車は流れないから二車線を右に左にと走ってしまった。久しぶりの緊張感をもって若い時のことを思い出す。当然ではあるが車も多く、バスも頻繁に行き来しているのを見て信州と違うなぁと思った。地図を見ると今まで国道が都道にバイパスが国道になっている。国道ならもっとスムースに流れるようにしてほしいものである。もう二度と通らないと思いながら調布に向かう。従来の道に入り少し混雑したがニュータン通りにつながる交差点を過ぎてからスムースにながれる。調布駅前のパルコの地下でお弁当を買い、国領、狛江と走り世田谷通りへ、目をつぶっていても走れる道である。そして少し遅れるが無事に着くことができた。

姉妹は少し痩せてはいたが元気なのでホッとする。暖かくなって外にも出られるようになれば体力もつき、行動半径も広がるだろう。信州までは時間がかかるが時間の問題だけであることは感謝なことである。家内と話が合うのでよくおしゃべりをしていたが後で疲れがどっとなるのではと心配になった。しかし、ちょうど一番下のAチャンが来ていたのでそんなお母さんをにこやかに見ている姿を見ているとそうなっても心配ないかと思ってしまう。娘っていいななぁと思ったが育て方の問題かな?長い付き合いではあるがこのようにして交わっていると二人の人となりをあらためて思わされる。そういう発見ができたこともよかった。また信州で会おう。

2015年3月17日火曜日

貧乏性?

偶に図書館に行くと新聞コーナーには殆どといっていいほどお年寄りだけである(ちょっとオーバーかな)。多い時でも数人ではあるが彼らを見ているとどことなく暇を持て余しているという感じを受ける。そこで新聞を読んでいる自分を見て「俺もその一人か」と多少抵抗を感じつつそんな思いが頭をよぎる。まだ元気で体を持て余しているようなそんな雰囲気を醸し出している人たちを見ているとこのエネルギーを何とか使えないものかなと思ってしまう。現実には出来ることって限られているだろうし、お年寄りは扱いにくいこともあるだろう。でもこの現実を踏まえて何かいい方法はないものだろうか社会においても個人においても、自分を含めてどこか方向性が見えない。

2015年3月10日火曜日

今日は

今日の天気予報は雪だった。
ところが今朝起きたら空は晴天そのものである。
これらなら布団が干せる。十時頃にと思っていたら
その十時に外を見たらどんよりとした曇り空、
役場にと出掛けるときには雪がチラホラと舞っている。
あぁやっぱり天気予報通りになったと、
そして、役場での用を終えて外に出たら、
すごい吹雪になっている。
隣の図書館で本を返し、新聞を読み、
後藤敏夫さんの本をノートして一時過ぎに外に出たら陽が射している。
今日は何の日?低気圧が駆け足で通り過ぎて行った日のようだ。
真冬でなくてよかった。

小さき群れ


luke 12:32
小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

一月を除いて毎月Mファミリーが来てくださる。伝道者として立たれ、集会の責任も持ち、若者のグループを指導している。そして昨日来てくださった。前日は若者の集まりがあり、そして東北ボランティアで帰ってきたばかりと超忙しさの中であった。ボランティアに参加だけではなく、関東地区のまとめ役として打ち合わせで幾日か夜遅くまでになったようである。少し?疲れた様子を見て申し訳ないなぁと思いながら主にある幸いを覚えることができた。彼らが来ることで集会で覚えられ、祈ってくださっている。彼らが大変だなぁと思えば思うほどこの小さき群れに対する主の配慮を覚えて感謝する。逆説的であるが。

2015年3月9日月曜日

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

新聞はとっていないので図書館や役場に行った時に目を通すくらいであるが日曜日だけ買っている。いつも読書欄は読むこともなくサッとめくってしまうのだが何時だったか「イスラム国」が目についたので図書館に置いてあるか確認したらあったので借りてきて読んでいた。読み終えたので「イスラム国」関係はまだあるのかなと検索したら二冊あった。貸し出し中になっていたが予約は誰もしていないので予約をする。それほど興味あるわけではないが色々報道されているが実際はどうなのだろうかと何か新しい流れが起きるのかとイスラエルと絡めて終末の興味もあってである。

この本は最後に池上彰氏が解説を書いていて、著者はローマ生まれの女性でテロについての研究家のようである。著者について書かれている最後に『「イスラム国」については、歴史上初めてテロリストが国家をつくることに成功するかもしれないとして、早くから注目し、発言していた。』と書いている。短く幾つかの章に分けて解り易く書いている。それに用語集なるものもあって幾つか言葉の意味が書かれていた。本を見ながらブラインドタッチの練習を兼ねて書いてみる。

 初めに 「中東の地図を塗り替える」
欧米の多くの専門家は「イスラム国」をタリバンと同じ時代錯誤の組織だと考えている。しかし、それは違う。彼らはグローバル化した多極化した世界を熟知し、大国の限界を驚くほど明確に理解している。

 序章 「『決算報告書』を持つテロ組織」
冷戦下のテロ組織は、PLOにしてもIRAにしても、狭い領域内で正規軍に対して戦いを挑んだ。「イスラム国」の決定的な違いは、群雄割拠する国際情勢の間隙ををついて、広大な地域を支配下において点だ。

 第一章 「誰が『イスラム国』を始めたのか?
「イスラム国」の起源は、ビン・ラディンに反旗を翻したザルカウィに始まる。「遠い敵」アメリカではなくシーア派を攻撃するその路線は、バクダット大学でイスラム神学の学位をとった一人の知識人に受け継がれる。 

 第二章 「中東バトルロワイヤル」
米ソという超大国にいきつく冷戦期の代理戦争と違い、今日の代理戦争は多岐にわたるスポンサー国家が存在する。そうした多頭型代理戦争の間隙をついたのが「イスラム国」だ。いち早く経済的自立を達成し、優位にたった。

 第三章 「イスラエル建国と何が違うのか」
イギリス、フランスの手によって引き裂かれた中東の国境線を消し、新しいカリフ制国家を樹立する。そう唱える「イスラム国」は、ユダヤ人がイスラエルを建国したのと同じ文脈にあるのだろうか?

 第四章 「スーバーテロリストの捏造」
イラクのサダム・フセインとアルカイダをつなげるために、欧米によってザルカウィの神話がでっちあげられた。十年後、後継者のバクダディはソーシャルネットワークの力でカリフ制国家の神話を欧米の若者に信じ込ませる。

 第五章 「建国というジハード」
「イスラム国」は、カリフ制国家の建国という全く新しい概念をジハードに持ち込んだ。それは、アメリカという遠い敵に第二戦線を開いたアルカイダ、腐敗と独裁の中東諸国の権威を一気に色あせさせた。

 第六章 もともとは近代化を目指す思想だった
「イスラム国」がよりどころにしているサラフィ主義は、元々オスマン帝国の後進制から近代化を目指す思想だった。それが欧米の植民地政策によって変質する。「神こそが力の源泉である」

 第七章 「モンゴルに侵略された歴史を利用する」
1258年、バクダットは、モンゴル人とタタール人の連合軍によって徹底的に破壊された。当時連合軍を手引きしたのはシーア派の高官。二十一世紀、欧米と手を組むシーア派というロジックでこの歴史を徹底利用する。

 第八章 「国家たらんとする意思」
グローバル化と貧困化は、世界のあちこちで武装集団が跋扈する無政府状態を生み出した。しかしこれらの武装集団と「イスラム国」を分けるのは、「イスラム国」が明確に国家たらんとする意思を持っていることだ。

 終章 「『アラブの春』の失敗と『イスラム国』の成功」
ツイッターによるイランの「緑の革命」、フェスブックによる「アラブの春」、ユーチューブによる「ウォール街を占拠せよ」そして香港の「雨傘革命」。これら社会変革の試みが必ずしも成功しなかった理由は何か?

目次にこのようなことが書かれて章とその内容を要約している。
イスラム国という国ができたら中東は激変するのだろうか、確たるイスラム国ができたら他のイスラム教の国はどうなるだろうか、王制の国はどうなるだろうか、スンニ派とシーア派との争いは?アメリカや欧米はどうなるだろうか、製造・生産ではなく投機的な形態が横行しているこの世界はこれでいいのだろうかと、そして生きているうちに歴史の変動をこの目で見ることができるだろうかと色々と自分に問いかけている。

聖書を読んでいる者としてアダム以来の罪の問題、バベルの塔やノアの洪水などを通して人間の習性など色々考えさせられている。彼らの行動を是認するわけではないが彼らが特別なものではと思っている。今もそして少し時を振り返ればそれがよくわかる。イスラム教が残忍なのだろうか、キリスト教徒もユダヤ人迫害はナチスだけではなく、ヨーロッパで行われていた。何度も書くがスペインでのユダヤ教から改宗したユダヤ人迫害は「イスラム国」の彼らとそれほど変わらない。むしろ彼らよりひどいかもしれない。磔にして焼き殺している。キリスト教に改宗したのだから喜ぶべきなのに改宗者をマラーノ(豚)と軽蔑している。キリストの愛なんて爪のかけらもない。そんなことを考えていると次の聖書のことばを思い浮かぶ。

rom 3:10-18


それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
「彼らの足は血を流すのに速く、
彼らの道には破壊と悲惨がある。
また、彼らは平和の道を知らない。」
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」


有史以来人間の行動はこういうものではないだろうか。そしてこれからも続くであろう。意地悪ばあさん的結論だがたとえどのようになっても人そのものは変わらない。そして形態は違うかもしれないが出てくる結果は同じであろう。論語読みの論語知らずという言葉があるが聖書読みの聖書知らずにならないように気をつけないとと思っている。

2015年3月6日金曜日

「もし私が一人の心を」

もしわたしが一人の心を
傷心におちいらせないようにすることができるなら、
わたしの生涯はむだではないであろう。
もし一人の生命の苦悩をやわらげることができるなら、
あるいはまた、一羽の弱りはてている駒鳥を助けて
その巣の中に再びもどしてやることができるなら、
わたしの生涯は無駄ではないのであろう。

E・ディッキンスン(太田俊雄訳)

2015年3月4日水曜日

春がⅡ

今日は全国的に暖かかったみたいだ。信州諏訪も然りである。湖畔端を車で走っていたら漕艇場でボートが何漕か漕いでいた。いつも高校生がいてトレーニングをやっているのか見かけていたが漕いでいるのは今年初めてではないだろうか。その様子を見ながらここにも春が来たのだなぁと思いながら上諏訪の温泉街へと向かい、そして茅野の義姉の家に行ったら庭に一つ大きな蕗の薹が地面から顔出していた。帰ってきたらお勝手に袋に入った蕗の薹があるのでどうしたのと聞いたら隣の家の境に出ていたのを取ってきたのだと言ったのでここにも春がと思った。これを夕食に和え物にして出してくれて苦かったがご飯の上に乗っけて食べるとおいしい。

春が

寒い真冬?には夕方に湖畔端を歩いていたがそれほど寒さを感じなかった。どういうわけか風がほとんどなく、あってもそれほど強くない。それに風があっても歩き出すと不思議と風は止んだりすることが多い。そのうえ手袋は勿論マスクにマフラーという格好でもあった。家からは湖畔端を歩く人の姿が肩から上の部分が見える。朝早くから勿論日中もよく歩いている姿が見える。中には漕艇場の駐車場に車を止めて歩いている人もいる。勿論犬ずれも少なくない。最近はどういうわけか日中に歩いている。夕方だと二・三人の人と行き交うだけだが暖かさもあるのか大勢歩いている。普段の日の日中の所為もあるのかお年寄りが多い。それに夫婦で歩いている人が以外に多い。ゆっくり歩いていたり、速歩だったりと色々である。中には明らかに自分より上だなと思える人がジョギングをしていて足早に去って行く。一人で黙々と歩いている人を見ると頑張っているなと思い、ふたりでゆっくりと歩いている姿を見ると微笑ましいなぁと思う。そんな姿を見ると夫婦っていいなぁと思う。まだまだ水の上に薄い氷が張る寒さだが日中は暖かくなってきた。晴天だと上を一枚脱いでちょうどいい。ここ二・三日はトレーナー一枚で歩いても汗ばむほどになった。浮き浮きするほどの気分ではないが何となく晴れやかな気分にはなっている。TVのセリフではないが「マメスケ春っていいなぁ」

2015年3月1日日曜日

手のひらに太陽を

 やなせたかし作詞・いずみたく作曲

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ


最近、血を流すことのニュースがが多くて悲しい。
血は流すものではなく、流れているものである。



deut:12:23
ただ、血は絶対に食べてはならない。血はいのちだからである。肉とともにいのちを食べてはならない。
血はいのちだから流れたら死んでしまう。そして簡単に流してしまう。血は簡単に流れる脆いものなのである。それを流そうとする思いを我々の中にしっかり持っている。ただ多くの人はそれに気づかないだけなのである。そして罪はそれをたえず求めている。

サタンよイエス様の血だけでは満足しないのかお前が飢えた狼のように血を求めるならお前の時は短いであろう。

主よ悲しみの中にある人に慰めを、苦しんでいる人に憩いを、喜びの中にある人の唇に賛美を与えてください。 アーメン