2015年8月28日金曜日

列王記Ⅱを読み終えて

通読で列王記Ⅱを読み終えた。旧約聖書を読んでいて嫌なのは地名や人名がカタカナ語なので覚えられないことである。前に書いたが地名は調べてこの辺とわかってもすぐ忘れてしまう。列王記はユダとイスラエルの王様が交互に出てくる。そしてどちらも同じ名前に前後して出てきたりするとどっちがどうなのかわからなくなる。列王記Ⅱの最後の方はユダの王様もイスラエルの王並みにコロコロ変わっているから頭は飽和状態になる。要するに名前は素通りしていくのである。今回はその度合いが強くなったことを実感した。それは年を実感することでもあった。速歩だなんだと一見元気そうだが中身はじわりじわりの脳ミソの皺は減っている。髪はふさふさだが(頭の後ろの方にある円形脱毛症が産毛だけでちっとも生えてこない。もしかして円形ではなく永久かと恐れている)脳ミソはツルツルなのである。老化でも唯一進んでいるものと自虐的に慰めている。

列王記ⅠはまだいいがⅡになると坂を転げ落ちるように神かから離れていく、イスラエル王国は最初からだがユダ王国は後半のひどさは目を覆いたくなる。韓流宮廷ドラマにはまって(もうと思いながら抜けていない)それを観ているとユダ王国の経緯とダブるように見えるので重ねて観る思いだった。それと神から離れていく様は我々に不信仰の見本として提示されているように言われていたしそう思っていた。しかし、アダムの堕罪以来「神から離れる」ということは人間が持つ宿命のようなものである。ある意味で神を身近に覚えるということは特別と考えた方がいいのではないだろうか。即ち、これは恵みなのであろう。本来、私の側に無いのものなのである。イエス様が臨んできて初めて可能になったのであると思っている。落ちている自分を自己弁護的に書いてしまった。

2015年8月26日水曜日

あるブログから

議論の詳細は措いて、多くのプロテスタントでは代償的贖罪のみが語られてきた。つまり、イエス様が私の罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったという面のみが語られてきたが、それでは不十分ではないか。それだと、罪赦された者としていかに生きるかがわからない。罪赦されたんだから、あとは自分で頑張れという新しい律法主義に陥ってしまう。そうでなくむしろ、御子の死による罪の赦しとともに、それを包括している御子の御父への積極的従順にこそ目をとめるべきである。御子は、その生涯を通し、そして格別、十字架の死にまでもしたがうそ従順を、御父にささげられた。私たちは、御子を信じたとき、御子の御父にささげられた従順という功に与ったのである、と。こういう趣旨のことを横浜のT師は力説された。
 私としては、義認と聖化とともに、「子とされる恵み」が肝心でありながら、従来、それが義認論に吸収されてしまったことに問題性を感じていた。御子の積極的服従にわれわれがあずかるという教理はむかしから知っていたけれど、それが子とされる恵みとつながるという大発見に感動して、暗くなっても目がさえてしばらく眠りにつけなかった。』 [ 小海キリスト教会牧師所感より ]

以前に小林崇牧師のブログを丸写しにして載せてコメントしたことがあった。要約するのが面倒でやったのだがまさか本人に見つかるとは思わなかった。最近パクリが話題になっているがそんな意図は勿論なくブログを読んで感じたままを書いたのである。それでもそれからは引用するときは部分的に、そして批判的なものではなく共観、あるいはそれに準ずるものに限定するようにしている。その後は殆どそようなことはない。

そのようなことがあったので引用するのは少し恐縮するが諏訪郡の隣の郡という好で(自分勝手に)、それに内容に共感しましたので引用せさせて頂きます。

私も「イエス様がわたしの罪の身代わりになって死んでくださった」ことを信じて信仰告白をして救われたと今でもそのことは信じている。ただ以前から気になっていたことがあった「死んだら地獄に、ならイエス様を信じて天国へ」の言葉を多く聞き、それはある面で間違っていないがそれだけのために?イエス様が人となり十字架に架ったのだろうかとの問いが自分の中に生まれた。主権を持っている神が私のためだけに?それは私が主体であって神は私のためになんてありうるだろうかそうしたら神の主権はと答えを見え出されない問いかけをしているようであった。

天国についても漠たるものであったがどうも自分が捉えている天国と聖書が語る天国は違うのではないだろうかと思わされてきた。それは黙示録にある新しい天と新しい地の約束である。肉とか地は汚れたものとして一蹴するのではなく天地創造から堕罪、新天新地は不連続なものではなく連続性を持っているのではないかと、ギリシャの二元論(詳しく知らない)が西洋のキリスト教界に深く影響を与えているのではないだろうかと思い、勿論自分の手には負えない問題であるから自分から答えは見いだせないであろう。極論であるが教会が起こした問題はここからとも思っている。聖書が語らんとしていることが曲解されているようで仕方がない。福音的と言われている教会も救いに特化している限りそのことを避けて通れないのではないだろうか。勿論自分の中に答えを持っているわけではない。漠然とした問いかけである。罪からの救いと単純明快な福音は伝えやすくわかりやすいがイエス様との人格的な結びつきやその他諸々の大切なものをスポイルしているようで…。

画家の山下清さんはこの人が偉いかどうかは社会的な地位を言ってもわからなかったそうで、軍隊の位で言ったら「この人は大将のようだ」と言えば「偉いんだなぁ」と分かったそうである。私も御多分に漏れず単純化しないとわからないが少し答えを見出したようで…うれしい。

旅たち?

昨日は早朝(8:30)から湖岸のゴミ拾いに行って来た。これはシニアの集まりの行事の一環で年に数回やっている。場所はヨットハーバーの近くだからちょうど対岸に当たる。いつもこの時期は花火大会の後、大会の翌日には役所かボランティアかでゴミの清掃を行うのでほとんどない。それでも45リットルのゴミ袋に一杯になり、空き缶も結構あった。一時間余りで終わり、その後はほとんどが霧ヶ峰の清掃とマレットゴルフそしてそこで昼食をとる。清掃といってもマレットゴルフ場の近辺でこちらは更にゴミがない。目的はどちらかというとマレットゴルフとバーベキュー?失礼かな。

マレットはやらないのでパスして諏訪湖を一周するように畑へ行く、部分的に伸びてきた雑草を草刈機と鎌で取り、それからジャガイモを植えていた畦とまわりの雑草を手で取り、畦を三本鍬で耕して苦土石灰を撒き土と混ぜる。その後収穫して帰ってきたが一時を過ぎていた。

食事と一時休憩をしてから涼しかったので雨模様だが降りそうもないのでいつものコースを三分の二程を速歩する。休憩がてらストレッチの器具のあるところでストレッチしながら湖畔を眺めていたら燕が群れを成して飛んでいた。右に左に上に下へと燕特有の飛び方である。しかしどこかぎこちないから巣立った雛のようである。ゆっくりとトンビが二羽舞っていたがあの速さでは襲いかかれそうもないなぁなどと考えながら眺めていた。そして、親鳥のような飛び方ができるようになると遠い南の地に飛んでいくのだろうな、その準備かと飛び立てないわが身を思いながら・・・。

2015年8月25日火曜日

下諏訪町に

最近パソコンばかり覗いてTVは殆ど観ていなかったが昨日食事のちょっと前だったので(我が家は夕食ではなく晩食…ハヤクタベタイ~)TVを点けたらちょうど「鶴瓶の家族に乾杯」が始まるところだった。鶴瓶さんが車から降りるところを映していてその後の風景がどうも観たことあるなぁと思ったら家の近く(歩いて10分位)の所だった。今は週に3回くらいだが速歩のコースでもある。その後漕艇場に移動するがそこは更に近い。その後は諏訪大社とその近辺が映し出されていたがあの辺は素通りするだけなのでよくわからなかった。どこか他所の町を観ているような感じがした。この番組は最近はあまり観ていないが好きな番組でもある。番組が好きというより鶴瓶さんのトークが好きなのである。台本がなくとも上手に話を持って行くのは噺家として当然だが素人の人を普段の会話のように話をさせるあれがすごい。今回のゲストは永山絢斗さん、こういう番組だとその人となりがよくわかる。器用ではないが好感が持てる。

2015年8月22日土曜日

三回目

草刈機を購入して畑、隠居屋、義姉の家と使っているが手で刈るよりはるかに楽でなんか大人のおもちゃになりそう。しかしカッターが高速で回転するから木や石など硬い物に当たるとその反動で右方向にもって行かれるからちょっと緊張する。今は緊張と綺麗に刈られ行くのを見ていると気持ちいいが思いは交錯している。何事でもそうだが慣れて来るときが一番危険だから心しなければと思っている。それとこれを楽しみにしているもうひとうの理由は大分汗をかくので体重が減るのではという期待感をもってやっているが・・・。

どちらも草が伸び放題のところを刈っているので刈る前と刈った後では明らかに違っているから「やったぁ」という感じが強く感じてくる。何事も結果がはっきりわかるとうれしいものである。義姉の家は木が伸び放題になっているので何本かは切らないといけないから鋸はあるけど剪定鋏がないので大きいのと小さいのとそれに鎌は一本あるけど追加で買ってきた。聖書の勉強をと机に何冊かを本は置いてあるがそのままで頭は雑用的なものにエネルギーを使っている。大事なことはつい後になる癖があるので「第一のものは第一に」なるように努力しよう。こんなことを書くと大体そうならない。どちらにしろ来週も忙しそう…?

2015年8月14日金曜日

夏も

このところ雨が降ったりして一時ほどの暑さはなくなった。夕方になれば涼しさそのものである。いつもは半ズボンにTシャツ姿なのだが二三日前はそれでは肌寒くて長ズボンに長袖スタイルで過ごした。空を見ればもう鰯雲で雲も高くなって赤とんぼの群れも見かけるようになった。明日は諏訪湖の花火大会、速歩で湖畔端を歩いてきたが駐車場は殆ど県外ナンバーそれだけ人気があるのか去年からは歩いて数分、楽でいい。今年は茅野に住んでいるI姉が茅野からは上諏訪の花火が見えないということで呼ぶことにした。そして明後日は水門での岡谷の花火ととうろう流しで諏訪の夏も終わりになる。アッという間に秋が来て寒い冬が来るのかと思うと少し鬱っぽくなる。パソコンとにらめっこばかりしているのでこの辺で真面目に聖書を含めて本などを読んで少し勉強しないと思っている。反省はサルでもできるというけど私には難しい。秋に向かって食欲はもう太らないようにしているからパスして読書の秋を目指して頑張ろう。

2015年8月13日木曜日

二回目

一昨日初めて草刈機を使用して何とかこなせるようになり、昨日は義姉の家の草を刈りに茅野まで行ってきた。上諏訪の温泉街を通るのでお盆前か花火前なのか車の流れが悪かった。それとビーナスラインは夏休み入ってから混むようになった。普段はガラガラの道路もずーとつながっているとあぁ夏休みに入ったのだなとわかる。幸いすぐ右折するので影響はなし、他のところはスムーズに流れる。

いつもながら最初は外の回りから、道路脇は笹もあり、草も寝ているので最初浅く、二回目は土が食い込むくらいに刈って行ったがトラ刈りになってしまった。それとアスファルトの境目は手か鎌で刈るしかない。奥の脇はそれほどでもなかったから簡単に終わった。草は三抱え程になり結構な量である。石垣のつつじが雑草に覆われているのでそれを取っていたら飽きてきてこれでやめようかなと思ったが少し休憩したら庭の方を少しやるかとやり始める。大きな石や木があるからそれ当たってやりずらかったがキックバックなるものは起こらなくてすんだ。適当に刈るだけ刈っていたらエンジンがピタッと停止する。見たら燃料が切れてストップ、片付けもせずパスして帰ってきた。二時間もやれば飽きる。それに草刈機を右から左に動かすから腰を少しひねるので腰に違和感を感じるようになったこともある。お風呂に行き少し腰を温めたので体全体が和むから気持ちがいい。それに64.2Kg少し目方が減った。それと心地よい疲れが残った感じで早く寝れそう。明日は雨だそうだからパスしてしっかりデボーションをやらないと神との間に薄い幕のような遮蔽板が入っているようで気になる。(前のと前後してしまった)

二つの番組

それほど体を動かしたわけではないが二日続けて草刈りをしたら腰のあたりの筋肉が少し疲れ気味になったので久しぶりに湯たんぽに行く、温泉と心地よい疲れに夕食もそこそこに布団の上に横になったらそのまま眠ってしまった。

フッと目を覚ましたら午前二時前、もぞもぞ起き出して歯を磨く、唯磨いてもとTVをつける。深夜番組はショッピングとつまらない番組ばかり、その中で再放送の二つの番組を最後まで観てしまった。

NHKスペシャル
長崎の子・映像の記憶
~原子雲の下に生きて~

爆心地から700メートルにあった山里国民学校では、1581人の児童のうちおよそ1300人が死亡した。生き残った児童の手記をもとに、映画監督の樋口源一郎は、1950年に記録映画「長崎の子」を制作。さらに、NHKも1980年、37人の児童のその後を追跡調査し、ドキュメンタリー番組を制作した。また、長崎の原爆被害の様子は、終戦直後からアメリカの調査団によって、膨大なカラーの記録フィルムとして残された。こうした記録映像は、言葉以上に時代や世代を超えて体験を未来へ伝承するメディアである。番組では、長崎の子どもたちを記録した映像に、国際政治の駆け引きや放射能被害の研究など、原爆にまつわる冷徹な構図を交錯させて描き、人類が抱える課題を深層から浮き彫りにする。 (NHKライブラリーより)

25年前にも同じように撮ったからその後となるのだろう。私と同世代、この世代は大なり小なり戦争を引きづっている。彼らは原爆の被害を受けてさらに悲惨な人生を送ったのだろう。病魔と闘い、それでもある意味で幸せな人生ではなかったのではと思う。そうでなければTVには出演はしないであろう。あるいは伝えたいものがあったのだろうか。同じ学校でありながら屈託もなく校庭で遊びまわっている子供たちとその校庭に原爆によってか目の不自由になった一人の女性が記念碑?のところに来て祈っている。彼女の負っている重さを思うと胸が熱くなった。同じ学校という共通項があってもあまりにもその重さの違いに唖然とする思いだった。

戦争をやって誰が幸せになったのだろうか精々武器商人だけではないだろうか。それなのにまた戦争へと進もうとしている。戦争の痛みや悲しみ、苦しみを知らない人には戦争は大したことではないのかもしれない。国のプライドを守るという名目で、それで守れるのだろうか。守れなかったらどうするのと言いたい。原発の再開を含めてビジョンのない目先だけのと思ってしまう。ぬるま湯に浸かったカエルのように、これからどうなるかの心配もせずに居心地の良さで満足している。平和そのものである。自分もその一人ではあるが。

もう一つは日テレの「がんで幸せ」、日テレの記者で自らも乳がんと闘いそれを克服した女性をレポートしそしてレポーターとなってがん患者の方々をレポートしていた。回復、あるいは再発の危険を伴っている不安と恐れは一様にあるのだろうが皆前向きで頑張っている。そのような人たちの集まりは笑顔で満ちていた。それはそれで素晴らしいと思ったがその笑顔は本物であろうがでもさらにその深層にと思うと?が付く、頑張って勝者になったがそれはそれで素晴らしいけどどこか虚飾が含んでいるようで仕方がなかった。勿論批判するつもりはないがこの前にNHKスペシャルを観てからだからと思う。70年という年数と2-40代という若さの違いもあるのだろう。

2015年8月12日水曜日

初めての草刈機

この暑さで人はバテているのに雑草は元気そのものである。先日どなたかが車の通路部分をきれいに刈ってくださった。しかし耕していない部分は大分背丈が延びて、それに春先のしなやかさに比べてしっかりたくましく生えて踏んでもびくともしない。鎌で刈るには一苦労しそうなので来年と思っていたが草刈機を買うことにした。ホームセンタ―と電気・水道・建築土木・農業の業者向けの製品を扱っている店を何度か往復しながら色々悩んだ末にホームセンターの一番小さく安いのを買うことにした。マキタ、日立工機のメーカーものにするか安いが名前も知らない丸山製作所?はと思案しつづけて、それほど広くもないし小さいものでもいいのではとの結論に達し、それにメーカーも家庭向けのを開発したとのことでもある。HPを見たら神田駅の近くの9階建ての会社、あぁあそこかと懐かしさもあって決める。思案した割には結構いい加減だなぁと思いながら説明書を読みユーチューブで取り扱いを何度か見て夜はそれでつぶれる。混合油はメーカーで一リットル缶と二リットル缶が売られていたのでそれを買ってきた。翌日、はやる心を抑えて午前中は聖書を読み、祈り、借りてきた又吉の「火花」を読む、結構上っ面でした。このところつい安易なパソコンとにらめっこをしており反省しきりでありながらまだ態勢整わずである。それに列王記のソロモンの神殿だからイメージが湧かない。サムエル記までは読みやすかったのにここは我慢のしどころかと思いつつパソコンに顔と心はむいていく、あぁとの思いを殺して心はエンジンへ…。

タンクに混合油を入れるが少しこぼしてしまった。ジョウロが必要であることを知り、手袋も買ってないので行きがけに買うことにした。説明書通りにプライマポンプなるものを数度押し、スターターノブを引いてもブスンというだけ、はてと思ってチョークレバーを「開」にして引いたら一発でエンジンがかかりこれで一安心、いざ現場へ。

現場でエンジンをかけていざとなると緊張する。金属の刃が高速で回転しユーチューブなどでは硬い石や木に当たるとキックバックといって反対に草刈機が持って行かれる要注意を観ているので慎重にならざるを得ない。最初恐る恐る根元より大分上を刈っていくが順調である。それでも蔓のようなものがあると絡まる。一通り終えるとだいぶ慣れた。さらに根元をやるが最初よりスムースかつ大胆にできるようになった。キックバックすることもなく、それにパワーがないのそれほどの力はないみたい。草が絡みついて停止することが何度かあって小さいのでよかった思った。最初だからムラがあり、子供の頃バリカンで自分の頭を刈った時トラ刈りになった頭を思い出した。

慣れてくると面白くて、帰りに隠居屋に寄り、駐車場と階段と道路から見える部分を刈る。階段は伸びた草を抜くだけで簡単に取れた。二本ダメなのがあって草なのに幹が直径4-5センチもあるので鋸で根元を切る。他にも木のようになっている草もあり、背丈も伸びて一苦労したがスムーズに刈ることができた。大分自信がついたので後日庭の部分をと思っている。

大した労力ではなかったなと思っていたが湖畔を速歩し、シャワーを浴びて、義妹が夕食をと言われて御馳走になったが眠くなって途中失礼して、布団に横になったらバタンキュウである。九時頃目が覚めたら足がつったので手でモンで起きようかなと思いながらそのまま横になったら朝まで寝てしまった。大分疲れていたのだろう。それに今まで朝暗いうちに目が覚めたらそのまま起きていたのでその分も重なってしまったのかもしれない。

タンクに混合油を入れていると半世紀も前にバイクの混合油つくりを思い出した。エンジンをかけてあの音を聞いているとなぜか懐かしさを感じる。またバイクの思いが募ってきた。来年は管理機、バイク…。あのエンジンの匂いは小さいころ田舎で発動機を回していた匂いにつながる。そしてバイク、今は農機具に、そしてバイクに繫げたい―。

2015年8月7日金曜日

楽しみの一つ

家内は自動車の運転ができないので買い物は一緒に行くが品物を選ぶのに時間がかかる。何を買うかはその場で考えて、尚且つ品物が決まってもその中の物をどれにするかで手に取って幾つかを見比べてその中から選ぶからさらに時間がかかる。私は何を買うかは決めていくからその場所に行ってどれも大した違わないと適当に手にとって篭に入れる。野菜だと下が痛んでいたりすることがあるから気をつけるようにはしている。それでも確かめないで買う時が多々あるので失敗をする。この時とばかりに自分の正当性を主張して色々と言われ「諏訪人は言葉がきつい」をこんなところで経験する。こんなことを書いても家内は見ないしバレている人はいるけど遠く離れた東京、集会の人たちには教えていないので心配していない。

スーパーは近くのビック1を利用しているがここはあまり広くないけど安いので利用している。更に近いイオンがあるが品物が高いのと野菜がいい物がない。それにイオンモールなどと大きな設備をいくつか建てて儲かっているようだがあそこは建物が古く閉めた店もあり照明も暗くて何となく辛気臭い感じがするので滅多に行かない。隣の町にあるアピタは似たような感じであったが今建て替え中で素敵なショッピングモールになりそう。

畑に行くようになってからその途中に西友があるので畑の帰りは必ず寄るようにしている。以前住んでいたところは西友が歩いて数分のところにあったのでそこで買い物をしていた。それだから品物の陳列が頭に入っている所為か慣れているの所為もあるか買い物しやすい。それに安いということもある。そこは通路も広くカートを押しても十分行き交うことができる。それとレジから遠くにある通路は割と人が少なくそのそばにある縦のコーナーも人は少ない。だから人の少ないのを見計らってカートを握って足を浮かせるとスーと数メートル先まで滑るようにいく、腕に力がいるからいい運動になると思っているが家内には怒られている。以前に別な店でレジが終わって出入り口に戻るときにそれをやったら「レジの女の人が笑っていたからみっともないからやめて」と家内に言われたが気にすることなく筋力アップのために機会を狙っている。最初の頃はせっかちだから待たされる苦痛に忍耐が必要だったが待つことの忍耐も養われ、それに加えてチャンスは少ないが楽しみができて忍耐を必要とすることもなくなった。

葬儀と気候

我が家の隣は葬儀場の駐車場になっている。広い駐車場は偶に職員の車が数台止まっているが普段はガラガラで訪問客が有るときは重宝させてもらっている。角の斜向かいが葬儀場になっていて家から100ⅿ位のところにも同じ系列の葬儀場がある。ホールの大きさの違いがあるのだろう。諏訪地区では一番大きな葬儀屋さんではないかと思うが他といっても諏訪地区ではJAが三か所と隣町に一つしかない。引っ越した時はお隣さんの好でお世話になろうかと思ったが隣町(といっても車で数分)のシテイホールが安いのでそちらにお世話になることにしてある。

最初は気がつかなかったがこのところ葬儀がお通夜を含めて週に何回か行われている。使われる頻度はこちらの葬儀場より向こうの葬儀場の方が多いようだけれど向こうは更なのだろうなと思う。一月や二月の寒い時期にも葬儀が多いが暖かい夏にと思っていたがこの猛暑である。関東や関西に比べたらその比ではないが暑さに慣れていないこの地の方々にとってそれもお年寄りならさらに大変であろう。体力的にはきついからこの暑さでやられたのかなと思わされた。車を誘導している年配の警備員さんのきつそうな姿を見ていたりするとあらためて猛暑なのだということがわかる。こんなところで今年の暑さを教えられるとは・・・。

しかし、親族にとっては哀しい出来事である葬儀が列席する人たちにとっては儀礼的なものなのかお顔を拝見(チラッと)するとみなさんあっさりした顔をしている。チョット複雑である。自分もどなたかなくなったみたいとあっさりしている。死に対する慣れなのか少し怖い。

2015年8月4日火曜日

第2サムエル記を読みながら

韓国ドラマ「トンイ」がきっかけでイ・ジョンフンのドラマ「馬医、イ・サン、ホジュン」と観てもうやめようと思いながら「商道」を観てしまった。もうこれでと思いながら「わたしの期限は49日」(演出はジョンフンではない)という変わった現代ものを見て、さらにこれでと思いながらネットで観れる残りの「宮廷女官チャングムの誓い」をそして韓流ドラマにはまったわけではないが「トキメキ成均館スキャンダル」(これも演出はジョンフンではない)なるものを観てしまった。流石に食傷気味である。

「私は…」以外は日本でいう時代劇ものである。だがストーリーは複雑に絡んでいるが「水戸黄門」方式で善と悪がはっきりしている。色々と演出の所為で気を持たせるがある意味で単純であるから若い時は映画ばかり観ていたからその懐かしさもあるのだろうがつい観てしまった。(キリスト者になってどちらかというとお固いところで育ったから映画なんてもってのほか、それに唯一の休日の日曜日は朝から夕方まで集会、家に帰ればバタンキューの一日)それと一話完結ではなく50話前後であるから長い、これで時間を取ってしまった。

今まで聖書は淡々と読んでいたが最近は色々問いかけながら読むこともあるようになった。今回も
第二サムエル記を読みながらアブシャロムの謀反などを通して今までっ同士だったのが敵と味方に分かれ争いが始まり、それが終わってもそのしこりは残ってしまうのは当然である。チャングムの誓いの最後の方に「宮中は多くを与えてくれるが大切なものを失うところ」というセリフがある。ヨナタンが父サウルの意向に異を唱えながらそれに従わなければならなかったことやサウロとダビデの争い、そしてアブシャロムの謀反のいきさつを見ながら朝鮮王朝の宮廷の争いとダブる。自分の地位と命を狙う息子でもその死に出会うと嘆き悲しむ父親の姿がそこにある。戦った者に取っては複雑な心境である。時間の中で人は複雑な動きをするが聖書は「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」(1サム13:13)とある。残るもののために何をするかではなくどう生きるかそれが大切…。

2015年8月1日土曜日

ひとつの詩

「もし私が一人の心を」

もしわたしが一人の心を傷心におちいらせないようにすることができるなら、
わたしの生涯はむだではないであろう。
もし一人の生命の苦悩をやわらげることができるなら、
あるいはまた、一羽の弱りはてている駒鳥を助けて
その巣の中に再びもどしてやることができるなら、
わたしの生涯は無駄ではないのであろう。
                  (太田俊雄訳)
                         ―E・ディッキンスン
キリスト者となってから
生きがいを与えてくれた一つの詩です。
人の心を傷つけないようにすることや
人の苦悩をやわらげることはできないけれど
駒鳥を巣に戻すくらいならできるような気がして
(実際には人に見つけらた巣には親鳥は戻って来ないでしょう)
これは物を右から左に移す行為にすぎない

それでも「わたしの生涯は無駄ではないのであろう

自信のない人間にとっては大きな慰めであり、生きる指針になりました
しかし、
小さな行為でも、私は何かが出来る
だれかの役に立っているという視点に立っている
それは、何かが出来る何かをする世界
それは小さな行為も大きな行為もみな同じ
この世界は「そこにいるだけ」の世界は存在しない
「そこにいるだけ」の
この世界は誰もが納得できない世界
何かをする何かが出来ることは幸いである
しかし
存在するだけでも素晴しいと
イエス様は語っているように思う
わたしも
何かが出来るからではなく
「そこにいること」
それを大切にできたらと思う