2015年9月26日土曜日

友・遠方より来ない。だから行く

息子たちに子供が生まれたので東京に行って来た。赤ん坊は可愛いと人は言うが私にはそれがよくわからない。自分の子供がまわりの人たちから可愛いといわれてもどこがと思ったくらいだから重症である。それに自分の子どもを首が座るまでだけない億病者だからましてや他人と思っていたが家内がだけだけと言われて渋々抱いて覗くように見ていたらそれなりに可愛いのかなと思ってしまった。それと携帯やカメラで撮ったのをプリントしていると俺もジジ馬鹿(おじいちゃんとは言わない言わせないつもりだが)かと思ってしまった。まだお腹を空かせた時だけ泣いて後は眠っている。そんな赤ん坊を膝の上にのせているうちに自分も眠くなり思わず寝てしまった。二人の姿を見て嫁さんが苦笑いしていたそうだ。退院したのが連休の最中だったので連休明けに役所に運転手として共に行き手続きを終えたら帰る予定だったが翌日は健診のために日赤に行かなければならないとのことで一日延ばして家内も同行して行くことにした。広尾の日赤の隣は何とかヒルズと言って昔の億ションと言われるマンション群がある。昔、そこにお客さんがいたのでなんとなく懐かしく感じる。地下の駐車場に車を入れて、一階のロビーに出て、マタニティルームへ僕らは健診が終わるまでスタバで待機、見ているとお腹の大きい人や赤ちゃんを抱いている人が多いのに驚くが総合病院なので皆ここに来るのだろうなと思った。それに産院が少なくなっていると聞くからその所為もあるのだろう。こんなことがない限り来ることがないからいい経験である。それに都心で車で来れるなんてこれも懐かしくうれしい。出来たら皇居、そして神田秋葉原を回れたらよかったが残念。

赤ちゃん大好きのT姉はすでに何度か来ているとか授乳用の前掛け?をくれたと授乳の時に見せてくれた。驚くことに彼女のおねいさん(姉妹)と婚約したT兄k姉が共に来てくれたそうだ。T兄に会ったのは15-6年前ではないだろうか。懐かしい。24日は集会所に寄ってM兄姉、息子の住まいの近くに住んでいるM兄姉に挨拶だけして、嫁さんと役所に向かう。帰りに家内と近くのK兄姉を尋ねるが留守、姉妹の顔痛?が心配していたけど原因がわかったようで感謝、その帰り道で旧友なるK兄姉を尋ねる。姉妹が出かけられて兄弟のみ顔を出すだけのつもりがしきりに勧めるので上がってつい話し込んでしまった。色々と話は尽きない。昼食の途中だったがまず食べてと言いながら喋らせるということをしながら一時を楽しむ。収穫は一番下の娘さんの結婚式の写真を見せてもらって、彼女の可愛い姿ととてもうれしそうなお顔が印象的だった。姉妹が留守なのはいま離れているA姉とT姉と交わっているとのことだった。少し気になっている姉妹たちだったのでこのような形でつながっているのかそのために姉妹が労していることを知り、思わず主に感謝する。

交わりながら親というものは子供が結婚しなければそれはそれで心配になり、したらしたでまた心配になる。これが親といういものかなと思うと同時に最近感じている愛という言葉は俗に言う愛するだけではなく悩みや苦しみも罪故に歪んでしまった愛の一つなのかなと思って子供のこととダブってそんなことを感じた。イスラエルの預言者が立ち返れと叫ぶあの苦悩は神の苦悩でもあり、神が愛ゆえの苦悩かなとそんなことを思った。家内が他には寄れないお土産も買ってないしと言っていたがひそかに顔だけはと思っていたので寄ることができてよかった。帰り道に中の島あたりかなしまむらといなげやのコラボ?の店ができていたので寄ってみたら安い引き立てコーヒーが飲めて、テレビもあって、それにテーブルがいくつもあり、子どもたちやお年寄りがくつろいでいた。翌日、前日買ってあったおにぎりをそこでセルフのお茶を飲みながら昼食代わりにてししまった。お隣さんはスパゲッテ-を買ってきて食べていたがこれが本来の姿我らはモグリ。高速に乗る前にガソリン(信州より10円安い)を入れ、結局なんだかんだで八王子から乗ってしまった。双葉の手前で眠くなり30分くらい寝て無事帰えることができた。東京に行くとなぜかホッとするなんでだろう。また何かで上京できればと願っている。

天地創造より



gen: 1: 1
初めに、神が天と地を創造した。

神の壮大な創造のわざを創世記一章で見ることができる。
福音が語られるとき、神々しか知らない日本人にすべてのものを創造された神を紹介するときにここがよく用いられる。

宇宙や地球のすばらしさや人間を含めて生物の精緻さを見ると創られた方がいかに素晴らしい方であるかがわかる。しかし、ここで留まるなら片手落ちといえるような気がする。

exod: 3:14
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」これでもまだまだ。

1john: 4:16
・・・です。これです。

創造のわざがどんなに素晴らしくとも
1cor 13: 1
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

どんなに精緻に創られてももし愛がなければ「やかましいどらや、うるさいシンバルと同じ」にしかすぎない。怒りがあっても憎しみがあってもこれは罪の故の愛の変形だと思っている。憎しみのない人は愛のない人だと思っている。喜怒哀楽を精一杯あらわし、愛を持って創造された神を賛美しょう。


Ⅱ歴代誌を読み終えて

通読で歴代誌を読み終えた。上はそれほどでもないが下は韓国の宮廷ドラマをいくつかネットで観た所為か(過去形、今雪の女王にはまっている)少しダブリながら読んでしまった。北王国は論外としてもダビデ王国の祝福された王家が見事に崩壊していく様は「驕る平家は久しからず」そのものである。特にⅡ歴23:10-12を読むとアハズヤ王の母アタルヤは自分の息子が亡くなると王家の一族を滅ぼして自分が王となる。内実は分からないがイゼベル以上かと思ってしまう。この辺の聖書の見方が少し変わってドロドロした人間の内実を思い浮かべながら読むようになった。人は今も昔も人そのものは変わることがないことを教えられる。罪はどこまでも奈落へと落としていく、留まり、守られ、祝福されるのはその信仰ではなく、主の憐れみそのものであることを教えられる。神に反逆するという意味ではイスラエルの歴史こそ我が歴史でもある。レスポンスして悔い改めなければと思わされるが…。

2015年9月21日月曜日

アメイジング・グレイス


■アメイジング・グレイス(Amazing Grace) : すばらしき恩寵
ジョン・ニュートン (John Newton)の作詞による賛美歌
作曲者は不詳
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り

Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れるのだ

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう
*あらすじ*
18世紀のイギリス。交易で富を築いた家に生まれたウィリアム・ウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)は成長すると、父と叔父が残した財産を多くの慈善事業に使うほどの優しい青年となる。

イギリスの主たる収入源である奴隷貿易に心を痛めた彼は、世のために祈る聖職者になるか、世を変える政治家になるかで心が揺れる。彼の師で、『アメイジング・グレイス』の作詞をしたジョン・ニュートン(アルバート・フィニー)に背中を押されたウィルバーフォースは、21歳の若さで議員に選出される。

彼は英国最年少の首相ウィリアム・ピット(ベネディクト・カンバーバッチ)と共に、奴隷貿易廃止を訴える。どんな危険な場所でも乗り込み情報を掴んでくるトマス・クラークソン(ルーファス・シーウェル)、貴族出身で奴隷経験者でもあるオラウダ・エクィアノ(ユッスー・ンドゥール)、ウィルバーフォースの友人で下院議員のヘンリー・ソーントンら、12人が活動のために集められる。1787年5月、彼らは活動を開始する。

ウィルバーフォースの苦難に満ちた活動は、名曲『アメイジング・グレイス』によって支えられ、奇跡の結末を迎える。
ユーチューブより

GYAOを検索していたら「アメージング・グレース」の映画がありました。
「アメージング・グレース」をクリックすると歌が聴けます。


隣人を愛するとは

mark:12:31
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』・・・。

隣人を愛するには自分を愛せなくてはいけない。自分を愛するということは自己愛などと言われるが本当に自分を愛するということは難しいことである。自分を含め周りの人を見ると劣等感を色々な形で持っているのを見る。それを隠すために強がったり、沈黙したりしてそれが相手にわからないようにと努力している姿をよく見かける。自分もそういうものだと思うと何となくそれがわかってしまうから相手に同情したり腹を立てることは少ない。蚤の心臓だから気分は優れない。

隣人を愛するにはまず自分を愛せなくてはいけない。欠点だらけで良いのを探そうとしても見つからないような者には至難のわざである。映画エデンの東の中にキャルは父親がレタスで大儲けしようとして逆に大きな損失をこうむった。その損失を取り返そうと豆の取引をして大もうけをする。しかし父はそれを受け入れなかった。そこに父親と息子の思いのすれ違いである。父親に受け入れてもらいと努力したことが拒絶され彼は落胆する。たまに見かける光景だが子供が親に良く思われたいと言ったり、行動したりするのを見かける。

私たちは自分を愛する前に誰かに愛されたいor好かれたいとの思いで行動を起こすのではないだろうか。そしてキャルのように失望するのである。自分を愛することは自己愛ではなく、自分の全てを愛おしみ、慈しめなくてはできない。そして初めて相手を愛おしく思い、慈しむことができる。後は簡単だ。それまでが大変なのである。言葉として語ることができてもある意味でイエス様の愛がわからないとダメであろう。食事の時しか向き合っていないが家内がリトマス試験紙のような気がする。愛せるかな愛せないだろうな…。

2015年9月19日土曜日

続々 最近思うこと

1john: 4: 8
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

第一コリント13章に愛について、愛の素晴らしさについて語られている。そしてそのようなものがないことを教えられる。愛を語るには愛を知り、愛を経験しなければ語れないであろう。教会の壇上で愛を語っても小さな集まりで愛を語っても「愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」と聖書は語っている。神の愛は完全であるが人の愛は不完全である。それは、神の愛は100%本物であるということであり、人の愛は人によって違うが何パーセントか欠ける愛であると言えるであろう。愛憎という言葉がある。人の愛は愛憎で100%になるようになっているように思う。愛が欠けているのではなく、憎があるからである。愛が豊かにあるといっても100%ではない。愛が欠けると言われても愛が0%でもない。まぁ人の愛は1%から99%を行き来しているようなもので愛がないからと嘆く必要もないしあるからと言って誇る必要もない。憎というところに罪といれてみてもいいかもしれない。喜びと悲しみも然りかもしれない。この二つを足して100%にしているのである。罪は一つのものを二つに分けてしまった。そして人々はそれに気づかない。

続 最近思うこと



ohn 1: 1a
初めに、ことばがあった。

創世記1章1節のことばは壮大な創造のわざを思い浮かべることができる。しかし、ヨハネのこのことばは比較にならないほど壮大である。なぜなら天地を造られたこととそれを創られた方を語るのとでは次元が違う。旧約と新約の大きな違いかもしれない。

最近思うこと

2pet: 1:20

それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

冒頭の聖句はいつも我が頭から離れない。それは絶えずこの過ちを犯しているという自覚があるからである。しかし、それほど深刻に考えたことはない。それは、聖書をきちんと学んだわけでもなく、不完全な者が完全なるものを理解することは不可能であり、私的解釈をせざるを得ない。しかし、教団とか諸集会の聖書理解が完全だとは思っていないからということもあるが我が聖書理解はブレが多すぎることは事実である。そんなことを承知してこんなことを書こうとしている。

イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたにはなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたのは残るのです。」

固定観念という言葉がある。聖書に適用しようとするには乱暴な言葉かもしれないが結構この言葉に囚われていることって多いのではないだろうか。最初に浮かぶのはエズラ、ネヘミヤ記に見る系図を重んじて混血を排除した経緯に見ることができる。律法が確立したのはバビロン捕囚時にと聞いている。神殿礼拝から神殿がなくなれば当然の帰結と言えるかもしれない。

そして、その延長に律法学者やパリサイ人たちがおり、さらにその延長線上にキリスト者がいる。それはヨーロッパに於けるユダヤ人の排除に見ることができる。スペインではユダヤ人改宗者をマラーノ(豚)と蔑称していた。それだけでなく彼らの中の多くに人たちを拷問して殺している。キリシタン迫害の逆バージョンである。そこに一貫しているのは「これが神のみこころである」という強い確信である。謙遜とか謙虚のひとかけらもない。罪の論理は排除することであり神の論理は?受け入れることとするのは少し乱暴か?

2015年9月16日水曜日

早朝の速歩

最近、朝起きて外に出るとひんやりとするのでこれなら歩いてもそれほど汗はかかないだろうと歩いている。事実、歩き終わっても背中に汗をかいたかなぁと思うぐらいであるから心地いい。朝も何人かとすれ違うが夕方と違って散歩している人は少なく速歩に近い歩き方をしている。ジョギングしている人もいて追い越されたりすれ違ったりと色々である。朝も夕方と同じように犬を連れて散歩している人がいる。それに6時頃には漕艇場で高校生が練習をやっている。それらの様子を見ていると若者たちの爽やかさが伝わってきて気持ちがいい。

先日は湖の方が賑やかだったので何事かなと行ったらテントがいくつも張ってあり人も大勢いてどうも町のレガッタのようだった。若者は勿論同じような年代の人も揃いのトレーナーを着てワイワイやっているのを見ると歴史ある大会なのだなぁと思った。湖があり、漕艇場があることは町だけでなく諏訪の人たちの宝だなぁと思う。特に高校生がこういうことができるのは他ではできない貴重なことである。こういうことができる町っていいなぁと思った。

2015年9月8日火曜日

最近のこと

このところ長雨で外の仕事ができない。幸いにその合間をぬって大根・白菜・キャベツを植えることができた。もう芽が出始めたが隣の畑は10日位前に植えているので芽が出て10センチくらいの葉になっている。白菜・キャベツも葉の一部が枯れかかっていたのでどうなるか心配であるがこの長雨で水分補給は十分、しかし、こうも長雨だと逆効果にならないかと心配である。それと後から植えたズッキーニは10センチくらいの実をつけたが腐ってきて、花は咲かない方はダメかと思っていたら一本だけ30センチくらいの巨大ズッキーニになっていた。小さな実をつけているがこの長雨である下手すると腐っているかもしれない。まだ苗を売られていると思ってナスとズッキーニを買ってきたが季節が遅いと実はつきにくい、初年度は失敗を通して教わることを念頭に入れているからグーである。それとせっかちなのでその度合いも大きい。

隣の家の境は石垣になっている。石垣寄りは車の通路にしている。その奥の部分に何か木をと言っていたので苗を買いに行った時に特価でブルーベリーの木が10本ばかり売っていた。これだと思って二本ばかり買ってきたがあとで気が付いたことがブルーべりーは同じ種類の花からは受粉しないということ、そこの店のは皆同じそこでホームセンターに買いに行ったらさらに安いのがあったのでそれを買ってきた。最初に買ったのは実がついていたが今回は若い苗のようで実はついていなかった。これからこの時間差はどうなるか前に植えたものも一本は枯れそうになっているからこちらの努力よりも生命力に期待するしかない。この苗も長雨でまだ我が家に鎮座している。台風一過明日は晴れてと思うがどうも雨らしい。早くて今週末、この木も花を咲かせるか咲かせて実がつくかこれも心配である。それほど心配はしていないが…

聖書と福音のCDを送ってもらってそれをコピーして四人の兄姉に渡している。CDからパソコンに取り込むのは簡単なのだが書き込みができなくて、いつもいじっているうちにコピーできたということでこれには四苦八苦していた。ソフトとして中に入っていたCyberLinkなるものが画面に出てきた。これはDVDを見るときに動作するようだった。CDを入れて四苦八苦、試行錯誤をしていたので出てきたのだろう。これに取り込み、書き込んだら簡単にできた。パソコンは私にとってブラックボックスである。分からんところはさっぱりわからん。分かっていると思っているところでもおかしくなったらギブアップだからパソコンそのものはそういうものなのであろう。そんなことで二枚は簡単にできたがあとの二枚で四苦八苦していたからこれからはこのソフト使ってやろう。やっとダビングで苦労することもなくなった。しかし取り込んで残すことができるのだろうか。

2015年9月4日金曜日

コーヒー牛乳

町の銭湯?ゆたんぽ(高浜健康温泉センター ゆたん歩゜)の回数券は買ってあるが行くのは月に一、二回、夏は殆ど行ってないが寒くなるとポツポツと行き出す。それでも月に一、二回である。このところ涼しくというより少し肌寒さを感じるようになってからポツポツと行き出した。ここはタオル一本で用が足りるから助かる。

今日は茅野の義姉の家の余分な木を切りに、小は直径7‐8センチから大は15-6センチを14-5本、細いのはいいのだが太いのだとたかが30センチの鋸ではシンドイ、手と腕に痛みをそしてそれほど暑くもないのに汗をぽたぽた流しながらやっていた。10時頃から1時過ぎまでかかってやっと終える。まだまだほかにもやることがあったが今日の仕事はこれで終わりにして昼食を富士見まで行く、車が数台止まれる駐車場から少し奥まったところにあるがどこが入口かわからないお店である。入れば手作りのような古ぼけた狭い愛想のないような店である。夜はスナックをやっていてそれが主体みたいだ。若いオネイサンが一人カウンターにいるだけ、少し経ったらここの主か年配の小柄なおばあさんが出てきた? 客は僕らの外に二人連れの人たちがいてその人たちと話をしていた。知り合いかと聞くともなしに聞こえてくる言葉に「以前に小林節子さんと来られた」(原村在住の元TV東京のレディスフォーの司会者だった人)と言われて好奇心の旺盛な人のようなのでこんなところにも来るんだと感心していた。

小林節子さんとは2-3年前に八ヶ岳農場に野菜を買いに寄った時、別棟で何か写真展のようなものをやっていて、誰もいないようなので折角だからとサクラ半分で寄ってみた。家内と二人で見ていたら「あれこれ小林節子さんだぁ」と思わず大きい声で言ったら、受付のようなところで一人立っていた女性がニコニコしながら近づいて「私が小林節子です」と話しかけてきたので思わず仰天。原村に引っ越してきて色々ボランティア活動などをなされているようでこれもその一つですと言われ、気さくに話されるのでとても好印象を持ったのを覚えている。その時メールを教えてくださいと書いたので時折原村自然文化園(シニアのグループで秋の枯葉拾いに行っている)から文化園便りが届く。

隣の人は知り合いでもないらしい。おばあさんは隣の人と話し終えると私たちのところに来て話しかけてきた。小さい声なので難聴の毛のある私は勿論聞こえない。家内が笑いながら聞いていたから部分通訳で話してくれた。どうもお客様の話を聞くのではなく自分がしゃべりたいことを喋っているようで名物おばあさんのようだ。適当に受け答えしていたら「イケメンのあなたが気に入った」と言ったそうでこれは書かなければと書いている。お世辞にも綺麗と言えないがカウンターの後ろにはお酒の瓶が並んでいる如何にも居酒屋という風なお店であるが定食が500円安い。私はカキフライ、家内はエビと味のフライでフライは揚げたてだから美味しかった。コーヒーがサービスでついていたので手書きで生チョコとお茶とかぼちゃのケーキが書いてあったのでコーヒーに丁度いいと注文する。ケーキというより生クリームのような感じで美味しかった。

そのまま帰るのもと入笠山に向かう。今中幸雄さんの「賛美の家」を通り越して上へと、広場のようなところで止められる。どうも3時まで入山制限があるとのこと時間は2時半過ぎ、今日は少ないからいいといわれてパスしてさらに狭くなる道を上がっていく、平坦になった道をしばらく行くと大阿原湿原に季節外れだが少し歩く、全景が見えるところまで車いすでも行ける。そこはバックを背にして写真を撮れるようにと少し広くなっていた。さらに進むとマナスル山荘などの山荘があるところへ、その手前に係りの方が怪訝な顔(入山制限をしている)をして見ているので右折して山荘の方にと向かう。その脇の駐車場から頂上まで30分と看板にある。その脇の立て看板には「クマが出没します。鈴かラジオを持って登ってください」とある。時間も遅く、雨も降り出したのと鈴もラジオも持っていないのでトイレに寄ってUタウン、Uタウンしないでそのまま行くと長谷村へ、Uタウンして右に右折すれば富士見町へ、直進すれば高遠へ、そして直進する。少し走ると広い道が行き止まりとある。ゴンドラの頂上駅のようだ。そこを避けて更に狭いすれ違うことができないような道を走る。それも砂利道で凸凹、そのうち通行止めバイパスなる道はさらに狭く泥道、完全にすれちがうことができない。それでも車がよく通っているの用タイヤの跡がたくさんある(泥道だから)。大分は知ってようやくアスファルトの道に出る。左高遠、右諏訪の案内があり、ひたすら走る。そのうちフィンスがありゴルフ場へすぐ杖突峠かと思ったらそこへ出るまで結構あった。

そんなことがあってお風呂に行ったのである。そこには自販機が一台あって、瓶入りのコーヒー牛乳がある。無料のお茶の機械もあるがいつも風呂上がりに飲んでいる。瓶入りでのコーヒー牛乳は珍しいからとそれに飲んでいるとある思いが浮かんでくる。東京に来た時には牛乳が飲めなかった。母の実家の従兄たちは牛を飼っていたからご飯に牛乳をかけて食べていた。それを気持ち悪そうに眺めていた記憶がある。家ではヤギを飼っていたからその乳を母はドーナツ型のパンケーキのようなものを作ってくれた。生はダメだか何かに入れると大丈夫なのである。会社の寮生活をしていた時に日曜日は朝食だけでコッペパンにイチゴジャムとピーナツバターを挟んだものに牛乳だけだった。コーヒー牛乳もあってそれを何とか飲めるようになった。紙のキャップを外して飲むと半世紀も前のことがタイムスリップするのである。好きな飲み物でもある。付け加えれば毎日飲む白い牛乳は冷たいのしか飲めない。温めた何とも言えない匂いと味はダメなのでもある。コーヒー牛乳のことを書こうと回り道したら日付も変わってしまった。