2016年4月29日金曜日

今日のパン、明日の糧より

書いて一日を大事にする   4/27

 ものを書くことは真の霊的鍛錬になります。ものを書くことで、私たちは集中したり、心のより深い感動に触れたり、思いをはっきりさせたり、混乱した気持ちを整理したり、体験したことを振り返ったり、日々の暮らしに芸術的な表現を与えたり、大事な出来事を思い出して心の中に納めたりといろいろ助けられます。ものを書くということは、私たちの書いたものを読む人にとってもよいこととなります。
 つらく苦しいイライラする日も、それについて書くことでしばしば「救われ」ます。ものを書くことで、私たちが生きてきたことを自分のものとし、それを私たちの人生の旅により深く統合していきます。そのように、ものを書くことは私たちの人生の助けとなり、また時にはほかの人々の人生にとっても、助けとなるでしょう。


ものを書く、深い井戸を開く   4/28

 ものを書くということは、思いついたことを単にちょっと書き留めておくことではありません。「何を書けばよいのかわからない、書いておくような考えは何もない」と私たちはよく口にします。しかし、素晴らしい書きものの多くは、書くことそのものの中から生まれて来るようです。一枚の神を前にして座り、頭や心に浮かんだことを言葉で表すようにしてみます。そうすると新しい考えが浮かんできて私たちを驚かせ、その存在をほとんど知らなかったような内的空間へと私たちを連れて行ってくれるでしょう。
 ものを書くことの、最も満足を与えてくれる側面の一つは、他の人々の目に美しいばかりではなく、私たちとっても素晴らしい宝物が隠された深い井戸を、私たちに開き示してくれることです。


付記
今回は少し千鳥指になってしまった。書くということにこのような意味が含まれているとは気が付かなかった。書き慣れないと書くということは結構大変である。それでこのような原稿を見て書き写すということをやっている。原稿を見ながらブラインドタッチの練習が出来る。まさに一石二鳥である。
しかし、頭に浮かんだことと文章になるということとには大分隔たりがある。肝心の頭にあれもこれもと浮かぶわけでもない。

2016年4月28日木曜日

雀の巣作り

何時だったか玄関先に15センチくらいの藁が幾つか落ちていたので屋根のどこかに巣を作るのかなと思っていた。落ちていたのは2-3日でその後は何もなかったので忘れていた。ここ最近軒下に行くと雀が飛び立つのでいつも軒下に作っている巣に藁を運んでいるのを見る。毎年この季節になると子作りをする。雀は臆病なのか危害を加えないのに軒下に行くと飛び立って行く、そして慎重である。軒の梁の間に、覗こうとしても覗けない狭いところなのに、そんならこんなところにと思うが毎年巣作りをしている。親鳥なのかその雛だったのかわからないが毎年来る。ツバメならわかるけど一年中同じところにいるのだろうに巣作りの時だけここに来る。鳥の習性は理解できない。しかし、神から与えられた習性を忠実に実行している姿を見ると他の動物もそうだが偉いなぁと思う。そんなことを思いながら人間は神に似て造られ賢いはずなのに、これを忠実に破壊している姿を見て、神に似て造られ賢いことがいかなる結果を生み出しているかと思うと不思議である。賢いこと必ずしも幸いをもたらさない。忠実こそ結果をもたらすもののように思わされた。

諏訪湖アダプト

諏訪湖を32に区割りして湖岸の清掃をしている。企業、学校、グループと色々である。集っているシニアのグループもそれに参加している。これを「諏訪湖アダプト」と言っている。我がグループは温泉街の先の日赤の前あたりが担当区域である。区域によって違うが一区域に一から三つのグループと様々である。ちなみに我がグループの区域は日赤の看護学校と一緒であるが会ったことはない。清掃日を決めているわけではなく個々に都合のいい日にやっているようでもある。20日に花見を兼ねて(もう散っていたが)清掃に参加してきた。22名ばかり、ワイワイおしゃべりをしながらの清掃である。それでもしょっちゅうやっているわけではないのでゴミはあちらこちらと散見する。いつもは45ℓのゴミ袋に三つ位なのに今回はいつもより多くて45ℓのゴミ袋に5つも出た。

湖岸を1.5キロの距離を往復して速歩をやっている。ジョギングコースやその周りは小さなゴミもほとんどなく、実にきれいである。しかし、水辺に降りることはないのだがそれでも白いビニールなどが散見する。家から100mほどで湖岸に出る所に住んでいて、時折歩いている身としては、対岸のごみは拾っても家の近くのゴミはわれ関せずの感は如何なものかなと自問していた。それで今日作業着を着て出かけてきた。朝の6時前にまず漕艇場の方からと始めた。ゴミはそれほどと思って始めたがやりだすとスーパーの袋を持って行ったのだがすぐいっぱいになってしまった。砂利のところにはボートがひっくり返して置いてある。そのうち高校生が来て練習を始めたので場所を変えて、一時間位して帰ってきた。ゴミ袋2つに空き缶数個。午前中は畑に行って、午後の出来なかったところをやったがここでもスーパーの袋2つにもなった。木とか土に帰るものは拾わずビニールとプラスチック、ペットボトルなどである。

拾っているとタバコのフィルターの多いのに驚く、別のところだったがスーパーの袋ほどの大きさのものには食物のカラ容器にオムツまで入っていた。よく草むらに捨てるよなぁと感心してしまった。よく道路の分離帯に食べた後の容器を捨ているのをよく見かける。特に交差点のところは多い。あの心理がわからない。歩いていると邪魔だなぁと思うことはあるが車だったら座席の脇でも置いておけば邪魔ではないじゃない?運転手やオムツを捨てたお母さんのモラルを問う。こんなの見ると悲しくなる。これから週一くらいで速歩をしている所の水辺のゴミを拾っていきたい。

朝出るとき人はいないのだが一歩踏み出す勇気がいる。ちょうど朝連の人と行き交うところにいたが挨拶したのは一人の女子高生で後は黙って友の前を通っていった。コーチの人かな顔を上げたら目が合ったがどこか戸惑っているような顔していた。それを見て、少し場所を移したのだがごくろうさんの一つも言ってもと思ったがこんなことをやる人はほとんどいなかったのだろうなと納得する。やって綺麗になったというほどのことでもない。どこか気になって始めたこと自己満足の域を出ない出来事である。

2016年4月24日日曜日

御頭祭

この15日に諏訪大社上社の御頭祭を見に行って来た。
こちらに引っ越して来て、諏訪大社上社の祭り事がユダヤ教の祭りとどこか似ていると言われている。それでいつか見たいと思っていたので家内と見ることができた。インターネットをを検索すれば詳しいことが書かれているのでそのようなことを書くつもりはない。ただ幾つか感じたことは、普通の神社な五穀豊穣を祈願する農業祭なのに、ここでは鹿を数頭(剥製)他の供え物と一緒に備えられる。明らかに狩猟を含んでいるのかなと思わせることである。それと神輿は担ぐものであり、普通の神輿にくらべおもちゃのように小さい一メートル弱の正方形、契約の箱も1×0.7m位であるからついウッとなってしまう。それと数キロ先になるが鳥居を正面に見てその裏の山に守屋山がある。本宮から前宮に神輿を担いで十間廊というところに神輿を納めて神事を行う。この建物は10×3間(実際に計ってはいない)で幕屋とほぼ同じである。それと至聖所に当たる部分に神輿が納められる。建物はオープンだがそこだけは板張りになっている。

神輿を担ぐ人は茅野市の泉野在の人に限られているらしく、ちょうど知人がその在の人なので聞いてみたらただそこの人たちが担ぐということしか知らないみたいだった。習慣の行事のようなものでその意味と言われなどはあまり関心がないみたいだ。日本の伝統の行事は得てしてこのようなことが多いみたいである。それと宗教は時間の流れの中で変遷している。諏訪大社も然りで色々なものが加えられているようで最初はどうであったかはわからないようである。信仰とは結びつけられないが不思議な祭りである。御柱祭には多大の興味を示すが御頭祭は諏訪地区でも興味はごく限られているようである。

付記
御頭祭が4月であることと過ぎ越しの祭りが4月前半だったように記憶していることも・・・。

2016年4月23日土曜日

聖書雑感 着るとは

gen 3:21

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

私たちの生活の中で衣服を着るということはごく常識的なことである。しかし、堕罪前は裸であることが常識?であった。ヌーデストクラブのようなところは別として裸でいるということは非常識である。しかし、堕罪前は衣服を着るということは非常識であろうというより着るなんて発想はなかったかもしれない。

着るということには覆う、寒さを防ぐ、そして飾るという三つがあるように思う。罪というものは自分の中にあるものの多くを隠さなくてはならい。それとノアの洪水以降は寒さ対策が必要になってしまった。それと着飾るという中身を問わず誇り高き思考?が加わって虚飾に満ちた世界ができあがってしまった。罪の中に真実はない。着るという世界は一次的なものに覆いをかけて二次的なもののどうでもよいことにエネルギーを費やしているようにも見える。これぞ『的を外す』という罪本来の姿を見ることが出来なくもない。




2016年4月22日金曜日

聖書雑感 盲目とは



john 9:39.41
そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」

イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

聖書の箇所を部分的に取り上げて解釈することはよく指摘されているように間違っているかもしれない。聖書の理解や知識の乏しい者にとっては陥りやすいことでもある。自分もその一人である。でも、文面通りに読む読み方とひねって読むよ見方があってもいいのかなと思う。福音書から見るイエス像は皮肉屋で型破りな面を持っている。それは、物事というか当時の常識に囚われないということも言える。人間の常識はその時々の社会生活の規範のようなもので移り変わっていくものであり、それが真に正しいというものではない。そういう面で見て行くと、信仰生活を振り返ってみると大分、信仰、聖書理解は変わったのではと思っている。金科玉条のように信じていたものがただ単に現在は行われていない昔のイギリスの習慣であったりと聞くと腹が立ってくる。ラインホールド・二―バーの祈りと言われる言葉を思い出す。

 「主よ、
 変えられないものを受け入れる心の静けさと
 変えられるものを変える勇気と
 その両者を見分ける英知を我に与え給え。」

キリスト者が持つべき大切なもの、そしてそれがいかに難しいものであるかを端的に語っている。聖書を含め諸々の知識は必要である。しかし、気をつけないといけないのは見える(知っている)と思っている時はもしかしたら肝心なものが見えない(知らない)時であるかもしれない。見える(知る)と思うときは謙虚でなければならない。「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1コリ8:1)とあり、実に至言である。違った見方にも耳を傾けるということでもあろう。要は謙虚であれということであるが書いていながら持ち合わせていないことを実感する。ヨハネの福音書は共観福音書と違った深さ、視点があるように思う(感覚的なものであるが)。



2016年4月15日金曜日

今日のパン、明日の糧より

友のためにいのちを捨てる   4/14

 良き羊飼いは自分の羊のために喜んでいのちを捨てます(ヨハネ10:11参照)。イエスの足跡について行くものとして、霊的指導に携わる私たちは、託された人々のためにいのちを捨てることを求められています。特別な状況のもとでは、いのちを捨てるとは、文字どおり人々のために死ぬことであるかもしれません。しかしいのちを捨てるとは何よりもまず、私たちのいのちを、すなわち私たちの悲しみや喜び、失望や希望、孤独や親密さなどを新しいいのちの源として、人々が自由に用いることができるようにすることです。
 私たちが人々に与えることの出来る最もすばらしい贈り物の一つは、私たち自身です。「心配しないで。あなたがどんなことを体験しておられるか私は知っています。私はあなたの側に留まっています。あなたは一人ぼっちではないのです」と言えるなら、人は、ことに危機の瞬間に、慰めと励ましを味わうことでしょう。このようにして、私たちは羊飼いとしてキリストに似たものとなるでしょう。

2016年4月14日木曜日

いよいよ

昨日、みんなでジャガイモとネギに葉物の種を植えた。去年と今年の春まで畝作りに専念して大体終わったので本格的に?やるぞうと意気込みはすこぶるいい。昨年は家内に任せたといってもキュウリやモロッコインゲンの支柱や他の支柱などの力仕事?は私がやって家内は追肥や間引きなどをやっていた。今年も同じパターンになると思うが余分に口を挟むことが多くなりそうでもある。昨日も家内が畝つくりをしているのを見てつい口を挟んでしまった。「男は小さいことに口を挟んで肝心なときに口をつぐむ」と日曜日のM兄のメッセージの中にあったがそれを実行してしまった。小心者の一面を披露したがそうならないように共同作業は最小限にして別別なことを考えないとと今から考えている。それにカボチャやズッキーニはこちらでやるので肥料や追肥をネットで調べてやるので私に仕事。

去年の反省としては葉物は少なかったからよかったがキュウリ、モロッコインゲン、ミニトマト、かぼちゃが伸び放題に伸ばしてしまったので今年は芽摘みやカットを考えないととも思っている。それに玉ねぎは肥料をほとんどやらなかったので伸びず失敗してしまった。今年もそうだが来年はさらに連作のことを考えないといけない。調べることとやることが多いと頭がフリーズしてしまう。物事がチョット多いとキャパの小ささを実感させられる。失敗して覚えて行くことも勉強、そういう面では新しくやることにつきものであり、へこまずに頑張れればそれはそれでいいかなと思っている。

野菜つくりは忍耐が必要、せっかちな私にはちょうどいいのかなと思っている。集会のことももう少し前向きにアクション起こせるようにして行きたい。一つのことが前向きだと他のことも前向きになるしそうでなければ逆パターンにもなる。そういう意味でも野菜つくりをコツコツと・・・。

2016年4月12日火曜日

今月のみことばより

今月のみことば

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(コリント人への手紙第二8章9節)

 イラク・イラン戦争の真っただ中の1985年、イラク大統領サダム・フセインは、「今から48時間後にイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と宣言した。各国民が大急ぎで脱出する中、265人の日本人だけが取り残された。政府も日航も予想もしない危機的状態に手をこまねくばかりであった。◆万事休す――だれもがそう思った時、何とトルコ政府はトルコ航空の飛行機を日本人のために提供し、自国民は陸路で避難させたのである。◆なぜここまでしてトルコが日本を助けてくれたのか、その理由はそれより95年前に起きた海難事故にあった。明治23年9月、オスマン・トルコ帝国の軍艦エルトゥールル号は、日本から帰国の途についた時、和歌山沖で激しい暴風雨に巻き込まれた。座礁し、機関が爆発して600名近い乗組員が命を落とすという大事故に見舞われた。しかし、この事故を知った近くの漁民たちが必死に生存者の世話をしたおかげで69名が助かり、翌年、無事に祖国に帰還を果たした、という出来事である。トルコが今も親日で有名なのはこの事件が大きく関係している。◆今は串本町となったその貧しい漁民が何の見返りも求めずに乏しい食糧もすべて差し出して必死に遭難者を救助したことが、100年を超える両国の絆となっていることに感動を覚えずにはいられない。◆私たちもまた、神との親しい関係に入れていただいたのは、神の御子キリストが、その栄光の富を惜しみなく私たちに与えて、自らは貧しくなってくださったおかげである。(長野キリスト集会4月号月報より)
                                               

2016年4月11日月曜日

巣作り?

毎年この時期になると軒下に雀が巣作りをする。育った後はほったらかしになっているのにこの時期になると賑やかになる。小鳥は巣作りの巣と住まいは別のようである。普段は無宿人のような生活をしているのかな?

いつからか軒下が賑やかになって雀のよく出入りしている。巣作りを始めたらしい。今年は三羽で出たり入ったりしている。あるとき屋根にいる雀を見ると口長い藁のようなものを銜えていた。今日、玄関の入り口に長い藁くずがたくさん落ちているでなんでと思ったがどうも玄関の上のどこかに巣作りを始めたらしい。出窓の屋根の部分にも幾つかの藁くずが落ちている。春のもう一つの風物詩である。

2016年4月9日土曜日

御柱祭

8・9・10日と7年に一度の御柱祭で木落としで賑わっている。スーパーに行ったらオードブルとか大皿の寿司を買っているお客さんが多かった。しかし、下諏訪町に引っ越して来てさぞかしと思ったが表面上はそれほどでもない。町の中心部から離れているということもあるし、それに隣近所の付き合いもないこともあるのかもしれない。それでも役場の駐車所は御柱祭の見学者専用になり少し離れた湖畔の一つの駐車場は普段はガラガラだが満杯のようである。それに木落としが終わった時間なのか4時過ぎくらいから大型バスが湖畔通りに停まりだす。ここは昨日から一方通行になっていて間違って入ってくるバスがあったりして警備員さんがこぼしながら一生懸命誘導していた。

昨日、夕方湖畔端をウオーキングしていて観光バスのナンバーを見ていたら地元のナンバーと長野ナンバーがほとんどだった。その中に岡山ナンバーのミニバスがあったので運転手さんに声をかけたら7時間半かけて来たとのこと、今日は上諏訪に泊まって、明日は高遠のサクラを観て、元善光寺近辺に寄って帰るとのこと、好きな人もいるもんだなぁと感心する。今朝早くから外がうるさいので葬式があるのかなと思っていたら(隣はエコーホールの駐車場)その前の旅行会社の関係か「SUWASINKIN」の法被を着た人たちが集まっていた。ナンバーを見れば群馬、宇都宮、とちぎと北関東の車ばかり、親しそうに挨拶していたからどういう関係なのだろうと彼らも大型バスで出かけて行った。

阿波踊りに言われる「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿保なら踊らにゃ損損」とある。確かにそうだなぁと思う。観ているだけならなんか冷めていく気分になる。あるいは心も冷めているのかもしれない。年の所為か元々か自分が興味のないものに対しては実に冷ややかである。一つに御柱祭は神事でありながらどこか観光目的のようになっているからかもしれない。それよりも4月15日の上社の御頭祭が楽しみである。上社は下社と違ってイスラエルの祭りに似たようなものがあって、聖書とかに興味ある人には興味をそそるものがあるようだ。去年だったかシニアのキャンプで群馬のS兄が「行って来ましたよう」と言われて、先を越されてしまった来年は必ず行こうとその時思った。期待したほどではないかもしれない。こちらで御頭祭の話をしても上社関係の人でない所為か「それなに?」と聞かれるくらいである。人が興味を持たないものに興味を持つ、私らしいなぁと自分で感心している。そういえばもう来週だ。

今日のパン、明日の糧より

責めることから許すことへ   4/8

 私たちの最もつらい苦しみは、しばしば私たちを愛してくれている人や私たちが愛している人によってもたらされます。夫婦、親子、兄弟姉妹、子弟、牧師と信徒といった関わりの中で、私たちは一番深く傷ついています。年をとってからでさえ、しかも私たちが傷ついた原因となった人が亡くなってだいぶ経った後でも、私たちはそのような関わりの中で起こったことを解決するための助けをまだ必要としているかもしれません。
 「今のこんな私にしたのはあなただ。こんな私なんか嫌だ。大嫌い」と言って現在の自分の状況について私たちの最も身近な人々を責め続けるというのは大きな誘惑です。自らの傷を認め、あの人が私に何をしたかによって生じた結果よりもはるかに大切なものを自分を信じ、受け入れることが、私たちに求められています。神によって創られた自分こそが、私たちの存在の真の源泉であると心から言える時にのみ、私たちを傷つけた人々を許す心の自由に至れるのだと言えましょう。


 心が狭いと責めたり、裁いたりする。「裁くことから受け入れる」ことへともつながるのかな?

2016年4月5日火曜日

栄転?

4月も今日は5日である。明日は、O兄の息子さんと娘さんの入学式でもある。子供たちが社会人となって久しいからピッカピカの1年生とか新学期なる変化も新鮮さもない。あるのは年と顔のしわと白髪が増えたくらいなものである。諸々のものがシタニ-シタニ―と下りて行く年齢でもある。

4月は新年度、その前後して転勤がある。牧師もあるみたいでいつもお気に入りに入れている小海キリスト教会の水草牧師も北海道の苫小牧の教会に転任された。3月27日に小海で、4月3日は苫小牧で説教をしている。牧師にとって日曜日の説教がいのち?まさに休む暇もないような状態は一般社会の転勤者そのもののような気がする。

イースターは3月末から4月初めの間にある。転勤の季節とダブる。12月25日のクリスマスはイエス様の誕生と何の根拠もないがイースターはそれなりの根拠がある。フッと考えてみた。イエス様はは天に行かれた。これは栄転ではないか?地獄に行って他人の罪の処理を完全に跡形もなく処理して、転任者の聖霊も来られて、地上に留まる必要がなくなれば天に栄転するしかないなぁとフッと思った。私もなんの働きもないがイエス様の栄転のお陰で近々そちらに行けるつもりでいる。しかし、これは延ばされる可能性もあり、少し不安でもある。

2016年4月3日日曜日

今日のパン、明日の糧より

*与えまた受けることの尊さ   4/2

 「与えるものが何もないほど貧しい人はなく、また、受けるものが何もないほど富んでいる人もいません」。教皇ヨハネ・パウロ二世のこの言葉は、平和のために働きたいと思うすべての人に、力強い指針を与えています。世界が、与える人々と受ける人々という二つのグループに分かれている限り、平和は考えられません。真の人間の尊さは、受けることと同じように与えることの中にも見出せます。このことは個人ばかりではなく、国家や文化、信仰を生きるコミュニティーにとっても同じように真実です。
 真の平和を求める時、私たちは与えることと、受けることとの間に絶えることのない相互関係があることに気づかされます。人に何かをあげようとする時、その人々から私たちが何かを受けようとしているのかを自ら問いかけることなしには、決してあげないようにしましょう。また、私たちが人から何かをもらうとする時、その人々に私たちから何を分かち合うことが出来るかを自分自身に問いかけることなく、何かを受けるということをやめようではありませんか。

今回は指がスムースに動いてくれた。そして示唆に富んだ言葉である。
与えることはある面で楽だが受けることは難しいものがある。心しなければ…。

2016年4月2日土曜日

上京したおり

結婚式があるので上京したおりに以前集っていた集会に車を置かせてもらうために寄ったらK姉妹が厨房で食事を作っていた。二言三言冗談交じりの言葉を交わして、この日は清掃が有ったそうなので皆さんが居るうちにと思っていたが高速が渋滞していて間に合わなかったのが残念だった。8時前に車を取りに行ったらまだ若者たちがいて賑わっていた。個人的に話をしていたり、何か相談ことをしていたり、ただ交わっていたりと何か熱気が伝わってくる。知らない人も多く、二三の人と挨拶して少し交わって帰ってきた。枯れ木のような存在だとあの熱気は受け答えができない。暖かくなって勢いづいている食物のようである。我は秋の枯葉であることを実感する。それもいいかと逆に開き直れた。彼らが一人で立つときにこの勢いを覚えておいてほしいと思った。貴重な体験である。大勢若者がいることの幸である。

以前住んでいて、今も息子が住んでいる多摩市は多摩丘陵に隣接している。町田から調布に抜ける尾根幹線なる道路があり、その先は多摩丘陵の一角をなす。そして尾根を境にその先は川崎市でもある。以前は坂を下り切ると田んぼがあり、それが小田急の黒川駅の近くまで続いていた。都会では見ることの出来ない別天地の趣きがあったが今は分譲住宅地となっているようである。
その尾根に沿って古代の道路があったようである。

この尾根筋は古代の幹線道路が通っていたルートであり[1]、また、多摩丘陵が万葉集で「多摩の横山」と呼ばれていたことから[2]、「よこやまの道」と名付けられた。(多摩市のHPより)

結婚式があって、その日は息子のところに泊まり、翌朝時間が有ったので速歩を兼ねて尾根幹の遊歩道を歩いてみた。数年ぶりであったが少しづつ整備されているのを見る。朝それほど早くはなかったが同じように歩いている人が何人かいた。どうも同じようにリタイアした人のようである。同じ思いは所と場所を選ばないようである。山桜が咲いていたのでそれを観に下に降りていったらその先にも白い花が咲いているのが見えたので、さらに下りて行ったらこぶしの花だった。7-8mはある大きな木だった。その下は黒川の遊水地、場所は違っているがさらに下の方にあったことは知っていたがこんな高いところにと驚く、さらに驚いたのはすぐそばは住宅が建ち並んでいたことである。「えっ、こんなところに」と思ったがさらに先に進んで行ってわかった。小田急が2004年の12月に新しい駅「はるひ野」を開業したので歩ける距離の道のりであった。様変わりとはこういうものなのだろう。様変わりといえばそこから何分というところに京王線「若葉台」駅がある。駅の近くにマンションが立ち並んでいたが駅前の空き地のようなところが色々ショッピングの建物が立っているのにも驚いた。ヤ〇ダデンキやK-〇デンキ、それにnoji〇と店があるのには驚いた。それだけお客さんがいるということだろう。隣の特急などが停まる永山駅とは様変わりである。そのうち逆転されるかもしれない。永山駅は小田急と京王が並行して走っているから若葉台も同じようになるかもしれないなと思った。

「犬も歩けば棒に当たる」という言葉が好きである。自分流に解釈すればどこかに出掛ければいいこともあるし悪いこともあるけれど何かを体験できる。今回もそんな感じを受けた。自分と違ったものを見、受け入れることの難しさはあるがまた違う立場の人の側からも見ることは複眼的視点に立たないと難しいであろう。些細なことであるがキリスト者としていい経験をしたように思う。その中に内容は書けないが「何故」という一つの問いを思い浮かべた。