2016年8月30日火曜日

今日のパン、明日の糧より

いのちを選ぶ   8/30

 神は言われました。「わたし……生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたはいのちを選び、あなたもあなたの子孫もいのちを得るように」(申命記30・19)と。「いのちを選びなさい」。それが神の私たちへの呼びかけです。私たちがその選択をしなくてもよいような瞬間はありません。生と死は常に私たちの前に置かれています。私たちの想像、考え、言葉、仕草、行動において、さらに何もしていない時でさえも、このいのちを選ぶ選択は深いうちなるところで始まります。紛れもなく生を肯定するような行動をしているのに、より深いところでは死を思い、死を感じていることも出来ます。最も重要なのは、「殺すか」ではなく、「心に祝福を抱くかそれとも呪いを抱くか」という問いかけです。人を殺す弾丸は、憎しみの最後の道具でしかありません。銃を手にするよりも前に、憎しみは長く心の中に巣くっているのです。


修練の選択   8/31

 私たちの理性や心を占めているたくさんの思いや感情を注意して見てみると、驚くことに私たちはしばしば、いのちの代わりに死を、祝福の代わりに呪いを選んでいることに気づきます。嫉妬、やっかみ、怒り、恨み、物欲、色欲、悪い、復讐心、憎悪などが私たちの精神生活の大貯水池の中に浮遊しているのです。時として私たちはこれらの思いや感情のあることを当たり前のものとみなし、それらが破壊的な働きをするまま認め、放置してしまいます。
 しかし神は私たちにいのちを選ぶこと、そして祝福を選ぶことを求めておられます。この選択をするには限リない内的修練を要します。私たちの中にある死
の力に気づくことの出来る大きな注意力と、いのちの力で思考や感情を治めるようにする、というしっかりとしたコミットメントが必要です。これらはいつも一人で出来る訳ではありません。私たちを導いてくれる指導者や愛情深いコミュニティーの支えが度々必要になります。そして内的修練を重ねることと他の人からの支えを求めることはどちらも、私たちがいのちを選ぶために重要なことです。

2016年8月25日木曜日

聖書の章と節

暇なわけではないが指の運動を兼ねてエクセルで聖書の章と節を作ってみた。以前に一年で聖書を通読するための表を作ったことがあってPCのどこにしまったか忘れてしまっていたが最近また見つかったので見ている。章を加算するだけのものだが通読の状況がわかるから今進んでいるか遅れているかがわかる。

作ってみたら章は旧約929章、新約260章で計1189章。節は旧約は23145節、新約は7958節で計31103節になった。しかし、インターネットで調べるといくつもあったが出どころは一つで、それによると章は同じだが節が旧約は23214節、新約は7959節で節が旧約が69節、新約は1節、自分が作ったものより多く旧約が違いすぎる。またネットで検索していたら「創世記1:31、2:25…」と口語訳聖書の章と節を作っておられる方いて(聖書巻名:聖書資料館)、最初はこれを使ってチェックしたら数カ所打ち間違いがわかり訂正して、さらにもう一度聖書を開いてチェックしたが間違いはなかった。またはどこか抜けているかと思ったが2回もチェックしているしなぁ…。エクセルの計算は間違いないと思うが真実はどちらに…。

どこかの教会ではまだ口語訳聖書を使っているようだがここで一つの発見があった。ネヘミヤ記7章は新改訳と新共同訳は72節だが口語訳は73節になっている。だから何と言われると困るのだが…。

次の日曜日に短いメッセージが待っているのに話すアイデアが浮かばずこんなことに現を抜かしている。

2016年8月23日火曜日

今日のパン、明日の糧より

8/18   神の宿る場である貧しさ

 私たちの周りにいる誰もが金持ちになりたいと思っているのに、どうすれば神に至る道としての貧しさを受け入れることが出来るでしょうか。貧しさには多くの姿があります。「わたしの貧しさって何?」と自分に尋ねてごらんなさい。それは、お金がないことですか。感情が安定していないことですか。自信がないことですか。人間だれしも、どこか貧しいところを持っています。そこが、まさに神が宿ろうとしておられるところです。「貧しい人々は幸いである」(マタイ5・3)とイエスは言われます。すなわち貧しさの中に私たちにとっての祝福が隠されているということです。

 私たちは自らの貧しさを覆い隠したり、無視しようとするあまり、貧しさの中に宿っておられる神を見つけるチャンスをしばしば見逃しています。私たちの宝物が隠されている場である自分の貧しさを、思い切って見てみようではありませんか。


8/19   貧しい人々の中におられる神に出会う

 自分自身の貧しさを恐れずに言い表す時、私たちは、それぞれに貧しさをもった他の人々と一緒にいることが出来るようになるでしょう。私たちの貧しさの中に住まわれるキリストが、他の人々の貧しさの中に住まわれるキリストを見出すからです。自分の貧しさを無視しがちな私たちは、同様に他の人々の貧しさをも無視しがちです。私たちは、極貧の中にある人々に会わないですむなら会わずにいたいし、体に障害を負った人々に目を向けたくありません。人々の苦しみや悲しみについて語るのを避け、傷つき、助け手もなく、援助を必要としている人々の状況から遠ざかろうとしてしまいます。
 このように避けてしまうことで、私たちは人々との接触を失ってしまいます。その人々を通して、神が私たちにご自身を現そうとしておられるのに、けれども、私たち自身の貧しさの中にいてくださる神を見出した時、私たちは貧しい人々を恐れなくなり、神に出会うために貧しい人々のところへ出かけていくようになるでしょう。


追記
 マタイ伝の貧しさもルカ伝の貧しさも兼ね備えているがマタイ伝の貧しさは一時的なものであれ黙していれば人にはわからない(箴言17・28)。ルカ伝の貧しさは外見で分かる。だから分からないように繕おうとしてしまう。そこに弱さがあるのだろう。ここを克服するのは難しい。「貧すれば鈍」している現在である。

2016年8月22日月曜日

下諏訪レガッタ

最近朝起きると湖畔端に出てボートの練習風景やカルガモ?の親子がいないかと湖面を眺めたりしている。それと朝の5時頃にはジョギングコースを走ったり歩いている人を見かける。割とお年寄りが多いがひとりで夫婦でと色々である。6時過ぎくらいになると自転車でトレーナーを着た高校生が続々と集まってくる。トレーナーの背中の見ると諏訪地区の高校が皆参加していることがわかる。少し経つとジョギング始めている子たちもいる。そのころになると練習している社会人?たちは引き上げてくる。どうもリタイアした人たちのグループもいるようだ。

昨日は6時前に起きて湖畔端に出たらテントが張ってあったり、シートが敷いてあったり、それに結構人がいて賑わっていた。恒例の「下諏訪レガッタ」の日だった。小さい子供がいないのを除けば諏訪湖の花火大会と同じように人で賑わっている。流石漕艇場がある街であるなと思った。前日は漕艇場の方に行ったら岡谷市長が疲れた顔をして歩いて来たので思わず声をかけてしまった。エントリーしているので練習しに来たと言っていた。年配の方々の姿を見るとレガッタの歴史の古さを感じる。夏の風物詩の一つであり、下諏訪の夏の祭りの一つであるかもしれない。

夏雑感

我が家の隣はエコーホール〇〇という葬儀所の駐車場になっている。葬儀所は道路を挟んで斜め向かいにある。歩いて2,3分のところにも同じ系列で少し大きい葬儀所もある。潰れないかなと余計な心配をするほど社員の車もなく閑散とした日々が続くこともある。最近気が付いたことであるが暑くなってから葬儀がよくあって車の出入りが多い。

東京も多摩地区に長く住んでいると暑くて寝苦しいという時は片手に余るくらいだった。今は少し増えているかもしれない。そんなところに生活していたからここでの夏の暑さは殆どこたえない。それにカラッとしているか日陰に入ればそれほど暑さを感じないがこちらで生まれ育った人たちにとっては暑さはしんどいみたいである。そんなことをフッと思いながら葬儀所が賑わっている?ということはそれを実証しているのかなと思わされた。

私が冬の寒さがシンドイと同じようにここで生まれ育った人たちは夏の暑さがしんどいのかもしれない。だから亡くなられる方も春や秋に比べて多いのかもしれない。実際どうなのかわからないが…。

2016年8月20日土曜日

花火大会

毎年、15日は上諏訪での諏訪湖花火大会、16日は釜口水門前での花火まつり・とうろう流しがある。上諏訪の花火は全国的にも有名で後日信州のTV局が特番を組んで放送していたみたいである。湖畔端にすぐ出れるからそこから見たのだが対岸に当たり、3キロばかり離れているので数秒経ってから音が聞こえてくる。少し変な感じであるが4万発の花火は壮大だ。幾つかの花火で歓声が上がった。対岸でも大きく見える。一方、釜口水門前は規模は桁違いであるが目の前で上がるので音に迫力があってすごかった。夏の風物詩の一コマになっている。

聖書雑感

7月の初めから読み始めてようやくヨシュア記を読み終え、今士師記に入っている。ゆっくり読んでももう頭に入り難くなっているのでどうせ入らないなら一年で読み終えるように一日4章の目標で読むようにしている。といっても腹八分目ではないが一週間は七日ではなく五日の感覚で何事もやっているので少し余分に読まないといけない。経堂集会から送ってもらっている週報の一ページにT兄の聖書の学びが載っている。いつ終わるのだろうと思うほど実に細かく深い、よくここまでと感心しながらつたない聖書の知識を駆使?して読んでいる。しかし、この歳になるともう読みづらいことこの上ない(若くても変わらないのかもしれないが)。細かいところに神様のすばらしさがあることは分かるが深さは彼らに任せて森を観るように大雑把に神を味わいたいと思っている。しかし、非常に人間臭い見方をしている現在でもある。

創世記の最後の方にヤコブは族長になる息子たちとその部族の有様を語っている。彼らの行く末を冷静に見ている姿を思い浮かび彼の人なりを知る思いがある。申命記の最後にモーセは各部族を祝福している。何かモーセの人となりを感じさせる。ここからヤコブとモーセとでは受ける印象は大分違う。置かれている状況が違うから何とも言えないが何か二人の個性の違いをあのような見方になっているのかなと思ってしまう。「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言われるヤコブであるがあまり好きではない。モーセは荒野を導いていくリーダーであってもどこか控え目である。神から引き出されたリーダーでもある。


deut 26: 5-10
あなたは、あなたの神、主の前で、次のように唱えなさい。「私の父は、さすらいのアラム人でしたが、わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民になりました。
エジプト人は、私たちを虐待し、苦しめ、私たちに過酷な労働を課しました。
私たちが、私たちの父祖の神、主に叫びますと、主は私たちの声を聞き、私たちの窮状と労苦と圧迫をご覧になりました。
そこで、主は力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力と、しるしと、不思議とをもって、私たちをエジプトから連れ出し、
この所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちに下さいました。
今、ここに私は、主、あなたが私に与えられた地の産物の初物を持ってまいりました。」あなたは、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前に礼拝しなければならない。


イスラエルの民の原点である。ここから逸脱すると士師記以降にある彼らの姿が露わになる。これは私の姿でもある。彼らと違うのは救い主の哀れみと恵みを受けていることである。これはとても大きい。

2016年8月18日木曜日

今日のパン、明日の糧より

8/12   イエスの隠された人生

 イエスの生涯の大部分は隠されていました。イエスは両親と共に、両親に仕えてナザレに暮らしていました(ルカ2・51参照)。そこでイエスは「知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛され」(ルカ2・52)ました。イエスについて思い巡らす時、多くの場合イエスが語られたことや奇蹟、受難、死、復活が頭に浮かびますが、何よりもまずイエスは偉大な人々や偉大な町、偉大な出来事からはるか遠く離れた小さな町で、簡素に、隠れて生きておられることを忘れてはなりません。イエスの隠された人生は、私たち一人ひとりの霊的な旅路にとって、とても大切です。み国のために、言葉と行いによってイエスに従おうとするなら、何よりもまず、簡素であまりパッとしない、ごく普通の隠された生活の中で生きられたイエスに従う努力をしなければなりません。


8/13   隠されていること、親しみの場所

 隠されているということは、霊的な生活にとって欠くことの出来ない要素です。孤独、沈黙、普通の仕事、立派な計画もなしにただ人々と一緒にいる。眠る、食べる、働く、遊ぶ、こうした他の人々と何ら変わるところのないすべてのこと、それがイエスの生きた人生であり、イエスが私たちに求めておられるのもそのような人生です。私たちがイエスのように「知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛さ」れるようになる(ルカ2・52)のは、隠されていることにおいてです。また、私たちが神との本当の親しい関係、人々への本当の愛を見出すことが出来るのも、隠されていることにおいてです。
 多忙な活動の間にあっても、イエスは神と二人だけになるために、絶えず隠れた場所へと戻って行かれました。神との隠れた生活がないなら、私たちの、神のための公の生活が実を結ぶことはないでしょう。


8/14   隠されていること、浄化の場所

 隠れていることが、霊的な生活にとってこのように重要な側面である理由の一つは、隠れていることで私たちは神に集中できるからです。隠れていれば、人からの喝采や賞賛、援助、励ましなどを受けることはありません。隠れたままの姿で神のところへ喜びや悲しみを携えてゆくなら、神は私たちが最も必要としているものを必ずお与えになる、ということを信じることが大切です。
 私たちの社会では、隠れていることを避けがちです。私たちは人々に見られ、認められることを望みます。人々の役に立ち、ことの成り行きに影響を及ぼしたいと願います。しかし、人目に触れ、人気を博するようになると、人々やその応答に依存するようになります。そして、私たちの存在の源である神との触れ合いの場を失いやすくなります。隠れていることは、浄化の場になります。隠れていることの中で、私たちは真実の自分に出会います。


8/15   隠れ続ける方法

 もし本当に、霊的な生活に隠れた部分が不可欠であるなら、ごく一般的な生活のただ中において、どのようにすれば隠れたままでいることが出来るでしょうか。隠れた姿を保つ特に重要な方法が二つあります。それは、一人になることと貧しさです。孤独は私たちを神と二人きりにしてくれます。私たちはそこで、自分は人々に属するのでも、自分を愛し心にかけてくれる人々に属するのでもない、ただ神に、神のみに属するものであることを経験します。貧しさの中にある時、私たちは自分自身の、そして他の人々の弱さ、限界、援助の必要を経験します。貧しいとは、成功もなく、名声もなく、力もないことです。しかし、神はその貧しさの中で、ご自分の愛を私たちに開き示されます。
 孤独と貧しさとは、私たちの生き方が隠された者であることを守ってくれます。

2016年8月16日火曜日

今月のみことばより

「…不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」
                                (Ⅱテサロニケ2章3、4節)

 ある終末論のシナリオによれば、近い将来、反キリストがヨーロッパ世界から彗星のごとく現れて世界に「平和」をもたらし世界は彼にひれ伏す。ところがエルサレムに再建される神殿で自分は神であると宣言した後、凶暴な本性を現し、世界は未曾有の「大患難時代」に突入する、という。◆ところが、ここでいう「神の宮」とは、これらか再建される(?)未来の神殿ではありえない。なぜならこの書簡(Ⅱテサロニケ)はまだエルサレムに神殿が建っているときに書かれたからである。つまりこの「不法の人」とは、二千年後の未来に出現する「反キリスト」というより、エルサレムが崩壊する前の人物でなければならない。果たしてそのような人物がいたのであろうか。◆同時代のユダヤ人歴史家ヨセフスは、興味深い人物のことを伝えている。それが「ギスカラのヨハネ」である。◆彼はローマ帝国と戦うことを選び、籠城作戦に出た。エルサレムには数年分の食糧が蓄えられていたが、なんと彼は食糧庫に火を放ち、退路を絶ったのである。かくして絶望的な戦争が始まり、後戻りはできなくなった。権力を掌握した彼は、神殿を自分の本部と定め、そこから指令を下し、まるで神のように采配を振るったが、食料が尽き、城内には疫病と死が蔓延し、突入したローマ軍を迎えたのは死体の山と亡霊のような人々であった、という。◆このように、同胞を欺き、滅亡に追いやった人物こそ、第一義的に、ここでいう「不法の人」と考えるべきではないだろうか。◆1941年、軍部は勝算なき対米戦争に国民を駆り立て、日本は滅亡の淵に立った。日本にもエルサレム滅亡と酷似した過去があったのである。日本国憲法の「改正」が現実味を帯びる中、首相に一切の法律を一時停止させるほどの権限を与える「緊急事態条項」がもりこまれようとしている。「ギスガラのヨハネ」のような人物にフリーハンドを与えることにつながらないであろうか、危惧する。

追記
今回は指が割とスムースに動いていたように思えた。一ヶ月の進歩か?
生まれて一年後に始まった太平洋戦争はそれほど影響は受けなかったとしても今の自分を見ていると陰に陽に影響を受けていることを知る。諸集会の月報にこのようなことが載るようになったことを思うと時は縮まっている感を受ける。

2016年8月11日木曜日

染み着いた癖

珍しく8日,9日と速歩をする。9日は気分転換を兼ねていつもと反対の岡谷方面を歩いた。漕艇場を過ぎて間もなく、ゴミを見つけるが袋を後ろのポケットに入れておくのを忘れ、そのうちビニール袋が落ちているだろうと素手で拾って2個3個となる。ようやく食べ物の包装らしきゴミを入れたビニール袋を拾う。開けてみたら然りだったのでホッとしながら手にあるごみを入れ、道々拾っていく、道路の反対側に四角いゴミがあったのでそれも拾う。弁当の空箱だった。しっかりビニール袋に入っていたからそのままで、いつもは素手ではなく、袋を介して拾っていたがそれが出来ないので素手で拾って歩く、もう帰ったら手を洗うからと恥も外聞もなく、といっても夕方だったので人に会うことそれほどなかったが。タバコのフイルターを拾っている様は完全なモク拾いのおっちゃんやと思いながら暗くなりかけた中に目ざとく見つけて拾っていた。ウオーキングは夜中にやらないとここから解放されそうもない。

今日(11日)は町の「諏訪湖クリーン祭」是非と思ったがいつものように5時前に起き、ボートの練習風景とカルガモ(?)親子に出会いるかなと湖畔に出て、少し眺めて戻り、聖書を読み祈ってといってもこれは週5日が目標、後の2日(3日になることも)が良き習慣を壊している。今日も同じようにして書きかけで寝てしまったブログを書いていたら集合時間の7時になっていて、湖畔の方を見たら人の歩いている頭だけだが見える。もう始まっているのかと様子を見に急いで自転車で見に行く、まだしんがりが拾っていたが今回はあきらめ様子見にして先頭の方まで見て行った。丁寧に拾っている人、立ち話をしながら歩いている中学生の男たち、母親や父親と親子連れの人たち、割と熱心。熟年のおじさんたち、主婦のグループか同じエプロンをしている人たちも見かける。やはり壮年の男性たちは少ない。漕艇場と博物館(諏訪市との境にある)から中心地近くのみずべ公園で合流、その後町長出席のクリーン祭が始まる。イベントもあるがプログラムを見ると子供向け、夏休みのいい思い出になるのだろうか。反対方向の岡谷市方面は?と思ったがその前に全体の清掃が終わっていたからその辺も考慮したのかなと思ったりもする。様子がわかったので疑問点とか問い合わせて来年は参加しよう。既にクリーン祭には個人的に参加しているが…。

今の時代は

先月26日に相模原市で起きた事件のショックは大きく今も心に重くのしかかっている。一人が殺傷した数の多さに驚くがそれ以上にその動機が今の時代を反映しているかのように思わされているからである。8月7日の信濃毎日新聞の投書欄「建設標」に共感する文章が載っていた。ブラインドタッチの練習を兼ねて打ってみる。


    寛容さない社会 不安でならない

 日本中に大きな衝撃を与えた相模原市の障害者施設殺傷事件。容疑者の動機ともなった強い差別感情に、言い知れない不安を覚えた人も多いと思う。事件には、社会が抱えた問題が渦巻いている気がしてならない。
 今の社会は技術の発展をつづけどんどん便利になっている。不便な思い、不快な思いをすることが減っている。一見、素晴らしく思えるが、その便利さが他人や自分と違う立場の人を認められない人間を生みだしているように思える。
 私には幼い子どもがいる。子どもがまだ赤ちゃんの頃、新幹線でなく子供には睡眠薬を飲ませればいいという有名人の考えがツイッターで話題になった。、もちろん批判は殺到したが、賛同する意見もいくつかあったことに、帰省中で数日後に新幹線に予定だった私は大きく動揺した。子どもが泣きださないか不安で、ビクビクして新幹線に乗った。子育て世代は、この世の中では弱者なのかもしれないと気付いた時だった。
 妥協を許さない、他人に寛容になれない世の中。不便さや不快なものを排除し続けた先に何があるのかー私は不安でならない。
 長野市  村井 真衣
              (主婦・28)

と書かれてあった。心にゆとりのない時代は刹那的であり、短絡的でもある。そして非寛容でもある。何か政治が大きく影響しているように思えてしかたがない。右傾化と言われて久しいが民族主義は他者を敵対関係に持って行く、そして大義が重要で個人はそこにはない。大義なんて開けてみればからっぽで何もない。大切なのは個個人である。これは親が子に対するようなもので他人には推し量ることの出来ない価値を見出す術を心得ている。福音書の中にイエスさまがそのようなことを伺えるような箇所が何カ所かある。誰も顧みられない人のところに行って語りかけているのである。これは当時の指導者と明らかに違う視点に立っていることを物語っている。しかし、イエスさまはそのような人だけでなく、多くの群衆にも語りかけている。指導者も自分の家族を見れば個が大切であることを知りながら個がないがしろにしているよう見受ける。今の時代は黙示録13章の獣が海から上りつつあるのではとフッと思わされた。そして人々はそれを待望している。獣の背後に竜がいるのに、その竜を誰も知らない。

ミニコンサート

義妹がコーヒーカップ位の器に花を活けるミニフラワーなるものを始めた。生徒は家内と義姉とH姉妹、それに義妹の友人Kさんとである。月一でまだ4-5回くらいである。先日、その会があってその後にKさんが息子さんとのギターのミニコンサートをやってくださった。大勢の前ではちょっと難しいのでここでやらせてほしいとのことだったそうで、聴衆は生徒プラス私と義兄にH姉妹のお孫さんのミニコンサートである。プログラムも下記のよなものを作ってくださり、知らない曲や聞いたことはあるが曲名が分からなかったり、そして懐かしい曲と合わせて12曲も弾いてくださった。
下手なのでと言われていたそうだが私のような素人が聴けば中々である。プログラムに曲名の他に枠に囲ってこのようなことが書かれていた。
「本日は暑い中、お時間をいただきましてありがとうございます。
 私たちは、7年前からギターを習っていて、ほぼ毎日2人で練習しています。私は、この時間が楽しいです。ハンデイを持っている息子が幼いころからギターに興味を持っていて、楽器店でのギターをねだられて購入したことがきっかけで現在に至っています。思った以上に習ったことができていく様子、成長を感じながら色々な曲にチャレンジしています。まだまだ練習不足の今回のミニコンサートですが、ギターを通しての人との出会いが、コミュニケーションの苦手な息子の糧となればと願っています。」
 
この後みんなで食事をしたのだが息子さんは一言も喋らず黙々と食べていた。それでも好きなものを選び、食べたり飲んだりしているのを見、お母さんに何か話しかけているとKさんは「じゃ帰ろう」と、帰る支度をされたので自分ではわかっているようである。帰り際に「ありがとう」と握手を求めたら応じてくれて柔らかい手だった。音楽は苦手だから上手に弾けるのを見ていいなぁと感心する。子供の意を汲んで一緒にギターを弾いているKさんを見て子供のために何もしなかったわが身の恥しさを味わわせられた。

子供さんがということではなくてまたいつか聴かせてほしいなと思わされたミニコンサートであった。

2016年8月6日土曜日

速歩

またまた週一の速歩になってしまった。今回はその辺のこともあったのでいつもとは違う岡谷方面に歩くことにした。少し長く2キロの往復4キロである。漕艇場のスタート地点の両サイドの岸辺を魚やごみの様子を見ながら歩き始める。魚は皆無と言っていいほどなかった。それにいつもは河口付近にゴミが浮いているのに今回はどこも無かった。ワカサギの大量死で本格的に清掃したみたいだ。ただ砂利のところにある干からびてしまった魚はそのままのところもありで色々…。それでも部分的にしか拾うことが出来なくってやったかどうかわからないくらいだったからホントにきれいになったという感じを受けて歩いていても気持ちがいい。歩いている人はそこまで気がつくかはわからないが。それでも岸辺にペットボトルや空き缶がチラホラまでないが散見する。もしやるとすればこれからはペットボトルや空き缶だけでもいいかもしれない。そんなことを思いながら歩いて諏訪湖ハイツの横の横河川にたどり着きユータンして帰ってきた。6時過ぎに出掛けて小一時間、相変わらずジョギンコースのゴミを拾っての歩きでコンビニの袋一杯になる。もう暗くなっているのにタバコのフイルターはしっかり分かり拾いながら、気がつくのはこれくらいかもっと霊的なもの人の些細なことに気がつかないのだろうと少し情けなさを感じながら帰ってきた。それでもシャワーを浴びてすっきりしたら気分もすっきりでそんなことはどこへやらである。

2016年8月5日金曜日

淡路・徳島へ

シニアの集まりで毎年旅行に行っている。今回は最初に参加してそれ以来である。あまり団体旅行は好きではないので会社に勤めていた時もあまり参加はしなかった。諏訪をより知りたいと長野県の実践塾に参加したはいいが茅野の姉妹のご主人に勧められて守屋山に登って、帰りに温泉に入ったら翌日の朝起きたら腰が痛くなっていて、まさに寝ても起きても痛い椎間板ヘルニアになってしまった。お蔭で月一回の一年の集まりに半分しか参加できずやめようかと思ったが知りたいという意欲がまさって皆さんに迷惑をかけながら卒業できてその卒業生が「つどいの会」を作って今日に至る。この会にも流れで参加していたが只顔を出すというのもなんだと思い前向きで参加することにしてこの旅行となった。年度は4月からだが1月から皆勤である。

昔、オリンピック精神というと参加することに意義があった。ところが今はメダルor入賞が当然のような雰囲気になっている。会も恒例の行事が多いがその中でも工夫して行っているのかなと思わされる。中々慣れたもので感心する。私の意識は「参加することに意義がる」の意識であるがそれは許されないような感じでがあって一歩踏み出したわけである。それとみなさんは長野県のシニア大学の卒業生でもあり、中々積極的である。それに色々の趣味を持ちそれが素人の域を超えている。諏訪人に分かることでも私には説明してもらわないと分からないこともある。車中でマレットゴルフのことでkさんが話題になった。「太田屋さんの大会で優勝して」とその太田屋さんは諏訪地区の葬儀屋さんでその一つが「エコーホールみずべ」、その駐車場は我が家の隣である。それは分かったが「全日本」にも優勝したと言っていたのでマレットゴルフでも全国大会があるのかと首をかしげながら思っていた。そしたら旅行の度にお願いしている(株)「全日本旅行」という岡谷市にある旅行会社主催のマレットゴルフ大会だった。皆さんはツーカーでも私は説明してもらわないと分からないこれの違いは小さくない。諸々のことでシンドイなぁと思うこともあるが成れないけれど諏訪人に近づこうと頑張っている。またみんなと違っているものもそれはそれでいいのかなとも思っている。

多分、阿波踊り見物をとの希望があって企画されたのであろうが12日から始まる阿波踊りは宿がいっぱいで取れず今回になったのだと思う。阿波踊りにそれほど興味はないがこちらの御柱祭を観て、「踊る阿呆に踊らぬ阿呆、どうせ阿保なら踊らにゃそんそん」の文句を思い出させられていたから…。それに何の知識もなかったから「阿波おどり会館」で毎晩阿波連の一つが踊って、そして説明してくれるのでこの方がよかった。阿波人形浄瑠璃の実演と説明も聞くことが出来たし写真ほどではなかったが鳴門の渦潮も船で見ることが出来た。鳴門大橋の淡路側で昼食をとった時、ちょうど潮の流れが見えたが渦がなくタダ瀬戸内から太平洋に流れているのが見えるだけで東北の震災の一方的に流れて行く潮の流れを思い出せられた。それと野島断層、北淡震災記念公園なるところでは断層の現物を見ることが出来た。段差やずれがはっきりとそして長くついていて自然の驚異をあらためて教えられる。岡谷から松本にかけて何とか断層なるものがあるようで人ごとではないがそれより諏訪湖の水は?と、もし決壊したら下流は甚大な被害が出るだろうなと思う。水門三つで支えて、各々二つのゲートがあり常時は一つのゲートが開いているだけである。落差は3.5メートルあると言われるがそれよりもあるような気がする。

淡路、徳島は初めて、主には淡路島のいくつか観て、徳島はちょっと踏み込んだだけであったが知らない土地に行き、変わらないものと違ったものが散見されてよかった。ただ大阪を抜けるまでが長い、いつか家内と三重や奈良、和歌山そして四国地方をドライブしたいものだと思わされた。その下調べのつもりで、それまで頑張ろう。


2016年8月1日月曜日

戦いは血肉にあらず

熱中症を心配して畑に出掛けるのを朝食後にしている。収穫といっても去年のようにコンスタントに取れる訳ではないのでつい間があいてしまう。巨大なナスやキュウリが一本とか二本だけとれるような塩梅である。ズッキーニも直径10センチあまり、葉は元気に茂っているが花は咲いていないからこれが最後になりそうだ。蛇のように地面を這うように伸びている。その所為か実が成っても先から腐って余り収穫できなかった。来年は支柱を建てて上に伸ばしてみようと思っている。最初の年、去年は割とうまく行ったから今年もと意気込んだが苗の成長や種の出芽が今一でうまくいかない。特にインゲン、キュウリ、そしてミニトマトはダメかなと思っていた。そしたら2-3日前に久しぶりに行ったらインゲンは葉が生い茂り実をつけて、キュウリとミニトマトはお互いに絡み合うように伸びていた。絡みをほぐし、ミニトマトは少し実のついているのも剪定して少しすっきりさせた。それでも実がびっしりとついている。行く前に少し雨が降った所為のようである。まさに雨様様である。後マメに水をやることの大切を教えられる。年の所為と収穫が今一なのでやる気は去年より大分落ちている。作るより買う方が安いと言われることがやる気に水を差している。去年はそんなこと聞き流していたのだが…。それでも来年はどういう風に作物を植えるかと考え始めている。

雨が作物の成長に大きく貢献してくれて雨様様であるがそれにもまして雑草の伸び具合のよいのに驚く、この間草刈りをしたのにその面影は何もない。ニンニクとたまねぎの後は黒マルチをそのままにしているが畝と畝の間と黒マルチの空いている所から所狭しと生えている。隠居屋といっているところの庭はもっとすごい、長いの腰近くまである。隠居屋は草刈機で刈ればいいが畑は草刈機でやれるところは少ない。ひたすら手でむしり、引っこ抜く、忍耐がいる。まさに農業は雑草との戦いである。家庭菜園に毛が生えたくらいなものに大袈裟であるが根気で臨むしかない。お盆前にはと思っている。やるとなれば私しかいないのでやらざるを得ないのだが誰かいると手を引くからこれも感謝なことかもしれない。健康で元気な証拠と自分に納得させている。