2016年2月29日月曜日

春に若草が

天気予報はまだまだ最低気温はマイナス10℃近くの日もあるがそれでも最高気温が10℃近くになる日もある。確実に暖かくなっていることを実感する。晴天でも気温が低い時と高い時とでは明らかに布団の温まり方が違う。今日は暖かかったから短い時間しか干していなかったのに取り込むときは暖かかった。これまでは布団を干しても取り込みが遅い(それでも3時)所為もあるが膨らんでいても冷たかった。今、鉢植えの花も葉が横に広がっていたのが上に向いて「私は元気だぞう」と言わんばかりである。実に正直である。そして寒い朝は萎れるのである。

パン裂き(礼拝)に年に一回春になると歌う歌がある。聖歌にある「原に若草が」を賛美する。勿論、わたしのリクエストである。歌詞が好きなのである。子供賛美歌?この辺にぴったりではと思っている。八ヶ岳の雪には少し距離があるが…。

1.原に若草が碧く燃えだすと 
 雪解けの水が高く音たてる
 
 私たちも春の喜びを歌おう
 春を創られた神様を歌おう(繰り返し)

2.風が柔かく野原を通ると
 木の枝が揺れてさらさら囁く

3.遠くで家畜の声が聞こえると
 近くで小鳥が何か歌いだす

4.創られたものは春の日を浴びて
 春を創られた神様ほめている
 

2016年2月24日水曜日

春の息吹

寒くなって部屋に置いている鉢植えが幾つかある。大分前からであるが緑の芽(葉?)が出てきたと思ったら今は幾本も出てきて長いのは20センチを超えている。別の鉢は葉が枯れてしなびていたのに緑の濃さを増してしっかりしてきた。葉の中には枯れた部分のものもあるがそれらもしっかりしている。植物を観ていると水と暖かさが大きく影響していることを教えてくれる。この間も葉が萎びていたので枯れたかなと思ったら水差しで水を灌いだら翌日しっかりシャッキとしていて葉も花も生き生きとしている。観ていて気持ちがいい。茶碗に残った水を注いでいたのだが量が少なかったみたいだった。

相変わらず寒いなぁと思っている時に植物はしっかりと春の来ることを感じているようだ。生き生きとしている姿を見ていると慰められるが出窓に置いておくとガラス一枚で外気温と接するから外気温がマイナスだといっぺんにやられてしまう。まことに植物は寒さに弱い、彼らがしっかり生きているようであるがこのような守りがあってのこと…。私たちも多くの守りがあるのにあたかも自分で生きているような生き方をしている。主に生かされて生きる。自然の営みの中に己の姿を見る思いがある。生き生きとそして人を慰めることのできる生き方を彼らのように…。

2016年2月21日日曜日

本能寺の変

お気に入りに入れている「一キリ」さんのブログにユーチューブの「本能寺の変」が入っていた。手作りのようなお笑いだろうが何だろうと再生してみた。やはりお笑いで実に面白いがどこかふざけている。吉本のお笑いだがダンサーと振付師らしい。何回か見ていたら家内が息子と電話していて孫がキャッキャと笑っているので聞いたらムズかってもこれを聞くと笑うという。電話から聞こえるメロディーとパソコンから流れるメロディーが同じなので家内がパソコンを覗きに来た。多分、親はよくお腹の脇をくすぐったりして強制的に笑わせるようなことをする。息子もこの音楽を流して笑わせて喜んでいるのだろうなと想像する。

息子が小さい時、長谷川町子さんの「意地悪ばあさん」の漫画を熱心に見ていた。逆さまだったがまさかこのブラックジョーク?がわかるのだろうかと思ったことがあった。まぁ変わった人間に育ったがそれを思い出してしまった。まだ五ヶ月笑うべきか憂えるべきか迷っている。息子のDNAを受け継いだとなれば憂えるべきだろう。しかし、嫁さんのDNAもあるし、ある部分はこれに期待したい気持ちもある。遡れば私のところまで来る。孫よすまんと先に言っておく・・・。

2016年2月15日月曜日

人のもつ二つの面

アメージンググレースを観て一つのことをお思い出した。それは新潟市の郊外にある敬和学園の創立に関わり初代校長でもあった太田俊雄さんが書かれた文章である。少し長いがブラインドタッチの練習を兼ねて打ってみたいと思う。


  偽善者

 床屋のおじさんは、愛想よくわたしに話しかけながら、仕事の方は手際よく、テキパキとすすめる。首のまわりにエプロンをまきつけながら、話しかける彼の顔はいかにも人のよさそうな感じを与える。私は鏡にうつった彼と対話しているような感じだった。
「ダンナ、どちらから?」
「そうですね。何と答えましょうかね。まぁ、日本から、と言っておきましょう」
「ヘェ、それで、どちらへいらっしゃるんで?」
「日本へ」
「それは、いったいどういうことなんですか?」

 わたしはアメリカに留学して、まる三年、いま日本に帰る途中で、船の出帆を待っていたのだ。ホテルに泊まると費用が大変だし、サンフランシスコ湾をへだてたこのバークレー市のジョルゲンセン君という友人の家に、ここ数日「居候」の生活をしていた。貨客船は積み荷の都合で出帆の期日がなかなわかりにくい。「そろそろ出帆の期日だから、サンフランシスコかその近辺に止宿していて、船会社と連絡をつけて、いつでも乗船できるようにして、待機していてくれ」という通知を受けて、目下「待機」中であった。それらのことを私は話した。
「それで、この三年間どちらでご勉強で?」
「シカゴの近くのネパヴィルという小さなカレッジ。タウン(大学町)にいたのです。それでも週末にはほとんど町にいませんでした。休暇という休暇は全部講演旅行でひっぱりまわされましたから、アメリカもずいぶん見て歩きましたよ。二十三州を話してまわりました」
「われわれアメリカ人には、とてもそんな旅行はできませんね」
「しかも無銭旅行はね!わたしのは招かれるまま、汽車で、バスで、飛行機で、自動車で、と便割った」無銭旅行ですから・・・・」

 彼は今までの陽気だった調子を急に変えたようだった。何かしら不安を感じたような口調で、ややためらいながら、
「それじゃぁ、ダンナ、ずいぶんいやな思いをなさったでしょうね!」
「イヤな思い? とんでもない。そんなことありませんよ。一度だってイヤな思いをさせられことなんかありませんよ」
「ダンナ、そんなことをおっしゃったって、信じられませんよ。あっさりおっしゃいよ。だいいち、あなたのお国からいらっしゃって、そんなにひろく、わたしたちの国を旅行なさって、イヤな思いをさせられたことがないなんて、わたしどもには信じられないんです。恥しいことですが、この国にはわからず屋どもが多いんでして・・・・」

 彼がその「わからず屋」どもにいきどおりを感じていたのが、その語調にあらわれていた。カリフォルニア州では反日感情がもっとも強い、ということぐらいは、わたしも聞いていた。
「いや、わからず屋が多いのは、アメリカだけではありませんよ。わたしどもの国だって同じことです。でも、戦争後間のないこの三年間(昭和二十四年から二十七年まで)こんなにアメリカ中をあるいて、こんなにみんなに親切にされるということが、わたしには不思議なくらいで、いたるところで感激しましたよ」
「ダンナはお上手(じょうず)だ。そんな親切な人間もそれはいますよ。、どこにだってネ。でも、わからず屋もどこにだっているんですよ。とくにお国の人に対してはずいぶん失礼な奴らがいて…」
「いや、ほんとうにお上手をいってるんではないんですよ。もっとも、一口ににアメリカといっても二つの異なった面がありますからね。わたしはそのうちの一面だけを見たにすぎないんですよ。よい方の面だけでね。そりやァ、別の面のあることもわかっていますよ」
「その二つの面とおっしゃいますと?」
「クリスチャンが半分、クリスチャンでない人たちが半分といわれますね。ピューリタン(清教徒)の流れをくむ人びとと、南部から黄金を求めてこの国に上陸してきた連中の流れをくむ人びと。全然ちがいます。わたしは片っ方の国だけ、クリスチャン社会だけを見てまわったんです。だからイヤなことなんて・・・・」
「ああ、わかりまし」

 彼はハサミを動かす手を止めて、わたしの右肩をおさえた。
あなたのおっしゃることの意味が、やっとわかりました。一方の面、よい方の面だけごらんになったいう意味が…。ハッキリ申しますがね。わたしはその別の面の、悪い方の面に属する人間でしてね。ハッハッハ・・・・。ダンナ、よかったですね。お国にお帰りになる前に、もう一つのほうの面、悪い方の面に属する人間にお会いになれてよかったですねェ。一方だけ見てたんではお話しになりませんよ」

 彼は、別に皮肉でもなく、たんたんと語る。わたしの首のまわりの毛を刈っている彼のハサミが、無気味に感じた。わたしは冷水をあびせられたような思いだった。しまった! つまらんことを言ってしまった、というよりも、自分のパリサイ人的な物の考え方がたまらなくいやになった。そんな心がうちにあるから、こんな言葉が出るのだ。

 床屋は、相もかわらず愉快に話しつづけるのだが、わたしはシューンとしてしまって、何を言ってよいかわからない。
「お船に乗られる直前にわたしどものところで散髪していただいて光栄です。ウデにみがきをかけてやっておかないと、これがアメリカの床屋のやった散髪か、と笑われては困りますからネ。とくべつ念をいれてやりましたよ。お国の人は何しろ手先が器用だから太刀打ち(たちうち)出来ないですよ。さァ、きれいになりました」

 彼はニコニコして、エプロンをはずしながら、こういって、入念に毛をはらってくれた。
「ありがとう」
「ちょっとごらんなさいよ。ハンサムになったでしょう」
 と彼は鏡の方を指さす。わたしが財布を出そうと思って、ズボンのポケットに手を入れかけると、
「おっと! なんでそんなところへ手を入れなさる?」
 と、彼はおどけた身振りでわたしのてをおさえる。
「財布がここにあるんです」
「財布なんかいらないじゃありませんか」
「散髪代が・・・・」
「そんなものはいりません。わたしの心ばかりの餞別がわりです。ご多幸を祈りますよ。それからダンナ、あなたのおっしゃる『別の面』にもわからず屋ばかりではない、ときにはものわかりのいい奴もいるんだってことをおぼえていてくださいよ、ね」

 彼は、こう言いながら、わたしの手をつよく握ってしばらく放さなかった。わたしは彼のにくらべれば子供のような小さい手で、それをつよくつよく握りかえした。自分自身のうちにあるパリサイ人的根性に限りないいきどおりをかんじながら・・・・。
 ルカの福音書十八章九節から十四節のイエスの教訓は、この時からわたしの心を占領してしまった。
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」

(1960.12.世の光104号)

 太田俊雄さんは反省を込めて書かれているが自分の中にもいつもパリサイ人的な人を裁く思いが湧いてくる。生きている以上避けて通れないものと思っているから開き直っているが。
 このことではなく、この映画も韓流ドラマの中にも二種類の人間がいることを示唆している。善人と悪人ということではなく、自分の利益を追求する者と他者の利益を求める者とである。前者は自己実現を求めるであろうし後者は他者の喜びを我が喜びとする。クリスチャンとノンクリスチャンと分けるつもりはない。この二者の中にも個々に同居しているものでもある。これを裁くのではなく見分ける必要があると思っている。それでわかればいいのであるがそんな目を持てたらと思う。

2016年2月14日日曜日

アメージンググレース

多くの賛美歌には作られたときのエピソードがある。そのようなことを全く知らないでいい曲いい歌詞として歌っていた。アメージンググレースも然りである。この賛美歌が何時だったかどういう経緯かは思い出せないが巷で歌われ有名になった。今でも結婚式に良く歌われるようである。どこかで聴いたようなメロディーだなぁと思っていたら聖歌229番「おどろくばかり」の賛美歌だと誰かが教えてくれて、作詞されたのは奴隷船の船長だったジョン・ニュートンであることを知った。後に牧師となった人でもある。私たちが使っている礼拝賛美歌には同じメロディーで2曲載っている。

ネットにGYAOという無料で見れる動画サイトがある。ここで韓流ドラマをいくつか観ているのでよくアクセスしていて、それも今週あたりで終わる。これで卒業するつもりであるがただ時間が有ったり少し息抜きにとユーチューブと共にアクセスしているので安易な流れに身を置きやすい者として卒業はかなり難しいかなとも思っている。

そんなことでアクセスしていたら「アメージンググレ-ス」なるタイトルの映画が目に入った。すぐアクセスして観ていたのだが内容は作詞者のジョン・ニュートンの物語ではなくイギリスの奴隷廃止運動をされたウィリアム・ウィルバーフォースの物語であった。勿論、ジョン・ニュートンも運動の協賛者としてホンの少し出てくる。ウィルバーフォースは牧師になろうとしたようだがジョン・ニュートンに政治の世界で奴隷廃止運動をするように勧められて議員として幾多の困難を乗り越えて奴隷廃止の法案が議会で可決される。廃娼運動をされた救世軍は命がけでやっていたようなことを何かで読んだことがあるのでそれとダブるがその比ではないであろうなと思った。

映画を観ていて、儲けることならどんなことでもする人間の性のようなものを感じた。韓流ドラマの「馬医」に「奴婢は60両、馬は300両」というセリフがあった。奴婢は馬よりはるかに及ばない価値しかないのである。彼らが華やかで優雅な生活をしているそれを支えているのが奴隷たちなのである。これは国と時代を超えているように思う。奴隷廃止は国の根幹を揺るがすようなことであろうがこのような働きには慈しみや人間の尊厳を知る者でしかできないことではないだろうか。知っていても勇気と不屈の精神が無ければできないことでもある。時代の流れを変えるということは時間とエネルギーと多くの犠牲を伴うものである。

船での過酷な状況は、600名乗せて港についた時は200名になっているということで想像できる。欧米でこういうことをやっていたのかと思うと人間の罪を深さを思い、今日も富の収奪という観点から見れば今も変わっていないのかもしれない。最近の政治を見ていると何をするかも大切だがどこに視点を置くかで大きく変わってくることを教えられている。目先の利益は往々にして行くべき道を踏み外すことが多い。映画を観ていて人間の二つの面を見る思いがした。人間の罪と愛である。どちらも限りがないほど深い。

2016年2月8日月曜日

今月のみことば

結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。(ヘブル人への手紙13章4節)
(ハショッテbiblesearchより)

 2兆3,400億円、これはアメリカで、毎年バレンタイン・デーのために使われるプレゼント代の総額である。当の聖バレンタインも驚くに違いない。◆戦争好きなローマ皇帝くらうでぅすⅡ世は、結婚した兵士は士気が下がるという理由で、兵士の婚姻を禁止したが、司祭バレンタインがひそかに兵士の結婚式をとりおこなったことが起源らしい。◆ところで、今では当たり前の一夫一婦制だが、その原点は聖書にあることをご存知だろうか。イスラム教は4人まで妻を持つことを認めているし、儒教も仏教も性道徳に関しては極めてゆるかったことはよく知られている。日本においても、明治天皇や元勲までもが妻妾をかかえていたことは周知の事実であった。日本で一夫一婦制が確立するのは何と戦後である。◆結婚を尊ぶ、というのは「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結びあい、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:24)という、人を男女に造られた神の定めを受け入れることである。◆不品行や姦淫がどれほどの苦悩と不幸の原因となってきたかを考えると、結婚という関係のすばらしさとそこにこめられた創造者の英知を思わずにはいられない。バレンタイン・チョコレートはともかく、聖書の示す結婚のあり方がどれほど幸いなものかを改めて覚えたいものである。 長野集会2月号月報より


追記
 時々、夫婦関係がギスギスすることがある。しかし夫婦の絆を壊すようなことをする勇気はない。
勇気のないことに感謝している。

 割とスムースに行くことができたがそれでもまだまだである。それと字びっしりと書かれているとどこを読んでいたかがわからなくなり、目が上下左右と動かさなければならないので老いが目にもと思わされた。

 今月はバレンタインデーなんだ。忘れていたというかもうこの年では本命は勿論のこと義理であっても関係ない。子どもが小学生の頃、手ぶらの子どもの前で、店などでもらった十数個の義理にもならないチョコを誇っていたことを思い出した。今も変わらず愚かな父親である。

2016年2月7日日曜日

デボーション

昨年はデボーションにマクドナルド兄の「この日を主とともに」を用いていた。最初にみことばが書かれていて、短い学びのようなものでとてもよかった。ここを読むだけで一日が充実したようなそんな錯覚に陥るほどいいものだった。しかし毎日読むには少し重い感じがしていたので今年は…と思っていた。ダイジェスト版?の日めくりのデボーションカレンダーもあるがこれだと少し軽すぎるかな?と…。それで以前に何年か使っていたナウエンの「今日のパン、明日の糧」を本棚から取り出して今年はこれを使っている。前者の二つと全く違う、みことばの引用はない。前者の二つは外から語りけてくるがナウエンのは内から語りかけてくる。ある意味で重いというか難しい。一月の最後の一週間は許しについて幾つかの角度から書かれている。許し、あるいは許すことにこんなにあるのかと単細胞の私には思えた。そして二月三日にはこのように書かれている。

内なる敵の友となる
 どのようにして私たちは、私たちの内なる敵である欲望と怒りを友にするでしょうか。欲望と怒りが何を言っているのかを聞くことによってです。欲望や怒りは、「満たされない」とか「私を本当に愛してくれるは誰」と言っています。欲望や怒りを好ましからざる客として追い払う代わりに、私たちは、追い詰められ、不安な私たちの心が癒しを必要としていることを認めることが出来ます。私たちの心の不安は、私たちに真の内なる安息を探し求めるように呼びかけています、欲望と怒りとがより深く愛する方法へと変えられるような安息を。
 欲望と怒りは、手に負えない多大なエネルギーを持っています。そのエネルギーが愛することへ向けられる時、私たち自身が変えられるばかりでなく、私たちの欲望や怒りの犠牲になるかもしれない人々さえ変えられるのです。これには忍耐を要しますが、不可能ではありません。

ナウエンは「他の人を心から許すことは、私たちが解放されることです。」(1/26)と書いている。怒りや傷ついた心は簡単に許すことはできない。しかし、それは自分を呪縛することでもある。そんな自分を受け入れ、赦されていることを知った時に怒りは消え、傷ついた心が癒されるのである。結果として許しが伴ってくる。私たちはまず許そうとするから努力が要り、赦せない自分にいら立つものである。ナウエンは逆から解いているようである。動的な世界では難しいことであるが静的な世界ではそれほど難しいことではない。プロテスタントでは動的であっても静的ではないような気がする。それはそれでよい面もあるのだが、でも静的なものはもしかしたら不可能であるのかもしれない。プロテスタントを貶してカソリックを褒めている訳ではないがカソリックに静的な部分があるような気がする。この部分がないと本当に変えられた自分を見ることは難しいような気がする。

二月三日の言葉もそうだが切り捨てるのではなく包み込むことがヒントではないかなと思う。悪いものを切り捨て良いものを残すのではなく悪いものをも包み込むのである。移植の問題は拒否反応である。私たちは違うものに対して本質的にこのようになる。それが人間の本能であろう。それを包み込むのである。ある意味で簡単でありある意味で不可能に近いことでもあるがイエス様がそれを成した。宮沢賢治の「アメニモマケズ」のモデルである齋藤宗二郎はそれをやっていたかから法華経信者の宮沢をこうも言わしめたのである。齋藤宗二郎は内村鑑三の弟子だある。無教会は聖書研究ばかりしている云々と諸集会の指導的な兄弟に言われてそうだと信じていたらどっこいそうではなかったことを知る。勿論聖書研究をやっている方もいれば伝道に教育にと熱心な方々を知って一気に諸集会に対する不信感が募ったことが今でもぼんやりと思い出す。

吉田茂は戦後初の東大総長南原繁を毛嫌いしていたと聞いていたのでどんなごつい人かなと思っていたら年を取られたときの写真を見ればどこにソンナと思うほどおとなしそうな好々爺そのものである。詳しくは知らないが教育に熱心だったようでそれで吉田茂を怒らせたのであろう。そこにあるのは信仰者としての姿があったのではないだろうかと思う。二代目の総長の矢内原忠雄は熱心に伝道したらしい。信州にそして諏訪にもよく来られたようである。お父さんを早く亡くされたH姉妹はこの方が父親代わりになってくれたそうでお姉さんがこの方の息子さんと結婚されている。写真を見るといかつい顔しているのでその旨言ったらとても穏やかでいかつい雰囲気はなかったと言われた。表面的に見えるものと内にあるものが違うが二人とも内に持つキリストの霊があるから人にへつらう方々ではないのであろう。

相変わらずデボーションがこんなになり、書いていながらうちにあるものが何ひとつ解決していないことが露呈してしまった。でもここまで来ないと真の信仰者とは言えないのではないかと思っている。出来ないからダメと言うのではなく、そこにも目を向けなければ片手落ちのような気がする。宣教のわざに熱心だった牧師が世間でもヒンシュクを買うようなことをしていて頬かむりしている姿を見ているとこの辺をおろそかにしているつけではないかなと思ったりもしている。

ナウエンが語る言葉は判り易い。しかし現実となるととても難しい。だからこそ「助け主」が必要なのである。そして発想の転換も…。この本も短い文章で簡単なことばで書いているがとても重い感じがする。来年はまた戻そうと思っているがどちらがいいというのではなくどちらもいい。

2016年2月5日金曜日

久々の速歩

余程の用がない限り午前中は家の中で、出かける時は午後にしている。だからお天気の良い時は後で速歩をと思いながらPCをいじったり(画面を見ているだけ)、色々雑用をこなしているとすぐ夕方になてしまう。寒くて暗くてその上風が冷たいからパスが続く今日この頃だった。一週間ぶりなので心して歩くことにした。といってもここでは細かく書けないが見たいものがあっての話である。今回は湖畔端ではなく、それを見るために違う方向になったがハガキを投函するためにポストもあるので好都合、投函してさらに進んで、目指しているものを少し眺めてすぐそばのスーパーへ寄ってトイレを借りてまた歩き出す。少し遠回りだが図書館へと、しかし生憎の休館日。ATMをと役場に、そして新聞をと見れば先客がいてこれも読めずに帰って来た。一時間弱の4キロを余りを歩くが まぁまぁである。

こちらに来て、2つのことを願っていた。一つは集会に10人集うこと、こちらに来る前は4-5人の集まりだった。今は7-8人で多いと10人は超すことがある(東京からMファミリプラス兄姉の時は別にして)。N姉がバプテスマを受け何とかクリアーする時もあるようになった。もう一つは自前の集会所がほしいことである。前にも書いたが借りるのは手軽で料金も安いからいいのだが時間制限があって何かと不便である。それに根無し草のような感じを受けるから楽で便利でいいが個人的には否定的である。我が家でもできないことはないし、現実に借りる所がない時は義妹の二階を使っている。義妹はお花を教えているのでそれにも使っている。それなりに使えるがちょっと狭い。下の部分は食堂として使っていたので厨房は大きい。椅子やテーブルもあり畳もあるので食事の時には使っているが集会としてはさらに狭い。数人の集まりなら可であるが冬は寒い。それで時間も何も心配することなく集いる自前の集会所がほしいと願っている。管理やなんかで大変なことは分かっているが一歩前進するにはと思っている。でも現実的には難しいので誰も声を挙げない。一番の貧は私なのでさらに上げづらい。いつも願うことはあっても自分が動くことではなく他の者であることが動くのが定番になっているので願いだけでもと思っている。人が先か物が先かにかかっているが正しいのは人が先なのだろうなと思いながらもこの思いは捨てられない。主はどう導いてくださるか沈黙されるか…。

2016年2月4日木曜日

寒い朝

日本気象協会の tenki.jp をお気に入りに入れて下諏訪町の天気予報を見ている。三時間ごとは変わらないのだが最近は二日間が三日間になり、一週間の予報が十日間になった。それにとても見やすい。直近の予報と十日後の予報を見て一喜一憂している。少し大袈裟かな?正直十日先もマイナス数度となるといささかうんざりである。来週の前半は相変わらず寒いが後半はマイナスの(ー)が消えた。どこかホッとする。

特別寒いわけではないのだろうが今冬の前半が暖かかったので平年に戻ったに過ぎないのだろうにいらく寒く感じる。朝起きるとき布団から腕を出すと寒く感じる度合いで大体の温度がわかる。と言っても昨日より少し暖かいかなとファンヒーターを点けるといつもは3℃なのに4℃だったり、さらに腕の寒さがそれほどでもないと6℃なんてことになる。

このところ寒いのでフッと吉永小百合さんの「寒い朝」を思い出した。

北風吹きぬく寒い朝も
心ひとつで暖かくなる


北風の中に聞こうよ春を


北風の中に待とうよ春を

北風の中に呼ぼうよ春を

http://www.uta-net.com/movie/43552/

春を呼ぼうとなると春を造られた「神を呼ぼう」と、八木重吉の詩集の題名を思い出した。
春を待つのは冬が厳しいからなのだろうがウインタースポーツを楽しめるなら春はそれほど待たなくてもよいかもしれない。地上の歩みも然りであろう。主を待ち望みながらもこの世にあって些細な歩みしかできなくとも主の証し人として歩めれば楽しいものになるであろう。それと寒さの中で(諸々の)神を呼ぶことができることは幸いなことでもある。主の「心ひとつで暖かくなる」ことを覚えながら…。