2016年5月30日月曜日

愛ということ

世の中に二つの価値観があるとよく言われる。一つはその人の能力などの持っている諸々のものがどれだけ世の中に価値を持つかともう一つはそこに存在しているだけで価値があるというものとである。世の中が認める価値は誰でもわかることであるがもう一つの価値は当人かごく限られた人しかわからない価値である。

後者の価値観は親が子を思う思いなどが顕著であろう。特に母親の子に対する思いは敬服に与えする。父親、男はそこまで徹することはできない。「神は愛です。」(1ヨハネ4:16)とある。子に対する母親の姿を見ているとこのみことばを思い出す。神がお造りになったものを見ているとその発露が愛であることが何となくわかる。最近、子を殺す親もいるがまだまだ子を愛する親は圧倒的であろう。

愛という行為はどういう訳か犠牲が伴う。その犠牲が大きければ大きいほど愛の大きさを感じるものである。3年くらい前に北海道で猛吹雪の中で迷って娘さんを救うために娘さんの体を覆うようにして自分は命を落とすという痛ましい出来事があった。愛という素晴らしい行為が死という代償を払わないといけない。悲しいことである。本来「愛」は犠牲を伴わずに人を生かすものであるはずである。創造のわざを見ていると喜びに満ちていることが想像される。それが犠牲を伴うとなるとまさにそこに「罪」が厳然と横たわっていることがわかる。罪は死をもたらし死は人と人との絆を厳然と引き裂いていく、死の悲しみがそれを言い表しているようである。

「愛」の最も大きいものはイエス様の受肉と十字架であろう。この愛の行為が生きとして生けるものに永遠の希望をもたらしてくださった。新天新地に住むようになった時には愛は悲しみを伴うことなく賛美と感謝と喜びに満ち溢れたものになっているであろう。それを思うと直罪の残酷さを思い知らされる。

2016年5月28日土曜日

本を読むこと

どちらかというと本を読むのは好きな方かもしれない。兄が中学生の時、図書委員をやっていたのか新刊本をよく家に持ってきた。彼が机の上に置きっぱなしを自分が熱心に読んでいた記憶がある。お蔭で中学に行ったら少ない図書でその上割と新しい本はほとんど読んでいるので読むのがなかった記憶がある。大阪のおじさんが疎開してきていた時に置いていった赤穂浪士の「義士・・・伝」という辞書みたいな厚い本を読んでいたら父にお前は「長三郎の子だなぁ」と言われた。長三郎とは屋号でおふくろの実家でおふくろの兄にあたるおじさんが読み物が好きでよく本を読んでいた。

この年になって思うことは、本を読むとは「活字を読める」ことにつながるのかなと、単に活字だけであると何となく意味は分かっても読めないことがあるが文章だと流れに沿って感で読めることがある。そうやって読める活字を増やしているそんな感じである。勿論、年をとってから覚えるものはすぐ忘れやすいことを実感するがそれでもそれをやらないと更にとの思いがあってやってる。いつもではないが辞典で調べたりもしている。中学生クラスの漢和辞典、英和辞典をブックオフ108円で売っているので買ってきて時折広げている。無学なものにはちょうどいい。

パソコンをやるようになって書くということが少なくなってから字が書けなくなった。以前に都知事選の合同討論会の時に石原慎太郎氏が司会者の質問に用紙で書くとき同じようなことを言われていた。多分私一人ではなくパソコンをやる人すべての問題かもしれない。そんなわけで簡単な活字くらいはかけるようにと書いている。書くということは活字を覚えるのにとてもいい。といってもすぐ忘れてしまうのだがこれをやらないと更に駄目になるだろうと思っている。本を読むのも字を書くのも遅くなってまさに遅々たるものであるが・・・。

昨年の8月に諏訪日赤かの主催で原千晶さんの講演会が岡谷市のカノラホールであった。それを夫婦で聞きに行き、彼女が書かれた本も売っていたので買ってきて、少し読んでホッテおいたが最近読みだして今読み終えた。彼女のことはあまり知らなかったがTBSの昼の番組に出演されていて(最近はあまり観てないが)コメントを聞いていて感じのいい人だぁ位の感覚だった。それもあって行ったのかもしれない。彼女ががんを患いその闘病記を本にされていた。

講演で何を話されたかはほとんど忘れてしまったが病気の大変さと同時に身内の精神的な支えがいかに大きいかをしって今も印象に残っている。病は気からというが医者の治療だけでなく精神的な強さ、まわりの支えは決して小さくないことをも思い知らされた。彼女は元気に回復されて「よつばの会」を主催されている。しかし、会のメンバーでも亡くなられた方がおられ、若く、お子さんもおり、そのような家族を残して死を迎えることはいかに無念であろうかと活字からも伝わってくる。死の彼方に希望がなければ絶望である。下記のみことばを思い出す。「ぜつぼう」の「〝」を取れば「せつぼう(切望)」である。これで死を克服しようと切に思った。

hos:13:14
わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。




今日のパン、明日の糧より

憐れみ深いイエス 5/28

 祝福された神のみ子、イエスはあわれみ深い方です。憐れみ深いこと(showing mercy)は、かわいそうに思うこと(having pity)とは違います。かわいそうと思う気持ちは暗に隔たりを含んでおり、見下すことでもあります。物乞いの人がお金を求め、あなたがかわいそうに思って何かをあげても、それは憐れみ深さとはちがいます。憐れみ深さは共に苦しむ心から生まれます。それは等しいものとなろうとする願いです。イエスは私たちを見下そうとはされませんでした。イエスは私たちの一人となり、私たちと深く思いを共にしようとされたのでした。

 ナインのやもめの女の一人息子を生き返らされた時、イエスがそうなさったのは、悲嘆にくれる母親の深い悲しみをご自分の心で感じられたからでした(ルカ7:11-17)。兄弟姉妹にどのように憐れみ深くあればよいかを知りたいなら、イエスを見つめましょう。

追記
久しぶりの原稿を見ながら打ったので少し指が…。
自分の中にある憐れみは「上から目線」であることがよくわかる。良くても助けようとして手を伸ばすくらいなもの、ベデスタノの池に下りて行ったイエス様のように、サマリヤの女を待っているイエス様のようにその傍らに立つ者でなくてはと思うが肉ではできないことである。

2016年5月27日金曜日

ゴミ拾い3

ここでの生ごみの収集は月曜日と木曜日である。それに合わせて湖岸のゴミ拾いを木曜日の朝やることにした。朝に拾ったゴミと家のゴミを一緒にして出すことにしている。といっても今回で三回目であるが・・・。最初は漕艇場のスタート部分の左、二回目は左右をやったので今回は次の箇所に移ることにした。諏訪湖には横河川、砥川、上川という大きな川が流れ込んでいるがその他にも小さな川もたくさん流れ込んでいる。それを目安に区切りをつけてやっている。前の二回は一つの川だったが今回は三つくらい進むことができた。といっても速歩コースの1/4がやっと終わっただけである。ここは思ったよりゴミが少なくスーパーの袋一つで何とか間に合った。次にやろうとしているところはごみが散見しているのを見るとここの担当グループはまめにやっているのかなと思わされた。

拾ったゴミを見ている色々感じるものがある。エッと思うものもあり、何でこんなものをこんなところ?に捨てたと思わされるものもありで、捨てる人がどのような人なのかと思いながら憤ったりもしている。前回、前々回ほどではないが相変わらずタバコのフィルターは多い。ゴミは対岸からか近くからか打ち寄せる波に乗って来るのだが「椰子の実」のような風情は勿論ない。どちらかというと「汚」である。小さいゴミだとついポイ捨てをやってしまいがちだがこんなことをやっているとスーとポケットに入れることが出来る。やったからどうなるわけでもなく大半のゴミは岸辺に残っている。自己満足なのか何かが突き動かしているのかわからないが出来ることに感謝してこれからもと思っているがどうなるかわからない。岸辺から数メートル、そして1メートルくらい高いところにジョギングコースがあって朝早く歩いたり走ったりしている人がいるのでちょっと気恥ずかしさが・・・。

2016年5月25日水曜日

トラ刈り

最初に蒔いたはつか大根やチンゲン菜の間引きしたのをオシタシにして食べ、朝は生野菜を食べるようにしているので同じように間引きしたサニーレタスをその中に混ぜて食べてみたが気分的なものかもしれないけれど味が濃い感じがした。初物であるが捧げないで我が口に・・・。ジャガイモも間引きしないといけなくなったのかな?何を植えるかは家内に任せてあるのでナスやキュウリにズッキーニとカボチャ、それにミニトマトくらいは分かるが後の小さい苗は聞いてもすぐ忘れてしまう。それより今年は気の所為か苗の伸びが今一である。それとモロッコインゲンは今だ芽が出てこないこれは駄目のようだ。市の農園の前を通ったら桐原先生がいたので挨拶がてら聞いてみたら「この天気では藁を被せて水をこまめにやらないとダメでしょう」と言われた。種からではもう遅いから苗から植えてみるか?明日山田農園に行ってみようかな、まだあるだろうか?

あれもこれもと頭が働かないので何事も後手後手になってしまう。そんなこんなでごたごたしているうちに雑草が伸びてきた。畑は雑草を刈る部分はそれほどでもないがヨモギなどは膝近くまでに伸びてきている。隠居屋は更にである。多分、茅野の義姉の庭も然りであろう。一挙にやることにして昨日刈払い機を整備してといっても回転する部分にグリスを入れ、点火プラグを清掃して、ブラシで清掃しているとオートバイの点火プラグをよく清掃していた若い時を思い出してしまった。思い出したら又オートバイに乗りたくなってきた~。「カブで始まってカブで終わる」なんて思たりしが先立つものと体が…。燃料をタンクに入れてエンジン始動、快調に動き準備万端OK。

刈るのは簡単だが草の種類が違ので綺麗に刈れない。畑から始めてトラ刈りとなって、その上残っている部分もありで、その部分は足で踏んで刈ったことにして終わり。隠居屋は長いのは腰あたりまである。裏に大きなフキがあるが大きな葉の故か雑草があまり生えてこないのでこれはそのままにして、別な小さなフキも残すようにして刈る。伸びすぎたので刈ったのが絡んでやりづらい。最後に茅野に向かう。ここも一面雑草雑草である。最初に道路の脇を刈り、小さな笹がまだ伸びてきたのでそれも刈る。それから裏の階段から刈り始めて段々だからやりづらい。つつじもあり面倒、適当にやる。玄関脇はフキもあるので簡単に、雑草の花とそうでないのがあるのでその選別をしながらであるから面倒、お腹がすいてきたのと気力が薄れてきたのと相まって、更に雑に、刈り残しは当然というよりつつじなどの際に生えているのは手でやらないとできない。だからパス。一気に三か所だから茅野は時間をかけてやらないとフキがまだ細いので少し経ったら家内とフキを収穫がてらもう一度と思っている。後は手でコツコツやるしかない。それと甥の嫁さんの学生時代の友達が諏訪インターの近くのケーキ屋さんに勤めている。今回さがしたがわからず寄れなかった。今度帰りはここによってケーキをという楽しみを作った。水曜日はケーキ三つと飲物付きで千円というコースがあるそうで家内のためにその日に合わせてもう一度と思っている。結果は全然上達しないトラ刈りに刈り残しが少々あった今年最初の草刈り、それでも怪我がなかったことに感謝して…。

2016年5月21日土曜日

塩尻散策?

昨日義妹が風邪気味なのでケアハウスに入所している義姉を病院に連れて行くことになった。いつも観ている「人生の楽園」という番組にレストランをやっている塩尻の方が出ておられて(四月三十日の放映)、この機会にとランチを食べるために早めに出かけた。

この番組は仕事をリタイアした人が農業をやったり、民宿やレストランをやっているそのような人を取材した番組である。自分もリタイアしたのでどこか親近感をもって観ている。ただ彼らのように財力、気力、行動力がないのでスタンドからスポーツ観戦をしているのと似たような見方をしている。この方は住宅街の中に奥様ひとりでレストランをやっている。調べて見たらJR広丘駅の近くであることがわかった。あの辺はよく通るのでグーグルで検索して行った。家を改造した小さなレストランで放映されてから大勢人が来るようになって予約制でと言われたのでまた来るかと言ったら折角来たからとランチを作ってくれた。新しい所為もあるがアットホームな感じで、それにパンケーキが主体だから婦人や年配の人にはくつろげる感じがする。商売で儲けようという雰囲気はないのでこれもいい。月火とお休みなので火曜日に来ることが多いのでちょっと残念だなぁと思っていたのでよかった。いつかパンケーキをと家内は食べることに関しては熱心である。

そこから少し山の方に入ったところにJAの店がある。あそこでしか売ってないピーナッツかぼちゃの苗を買うためにと寄る予定を立てていた。義姉のケアハウスも割と近いこともあってのことである。家内は他の苗や野菜を色々買っていて、まだ少し時間が有るからどうしょうかと言ってきた。家内が「そういえばこのこの近くにフランス式階段工があるから見に行こう」と言ったので、前にも行ったことがあったが時間つぶしに行くことにした。そして前にも書いたような記憶があるが定かではない。

JAの店から山に入って行く道を行けばよかった。途中有名な?牛伏寺(ごふくじと読む)があってその傍らを流れる川が牛伏川(うしぶせがわと読む)は毎年叛乱して鉄砲水のようになるらしい。そのため下流の平野部には農作物を作ることができないらしかった。このフランス式階段工が出来てから治水ができて農作物が収穫できるようになり、集落もできてきたらしい。急斜面のところを人力でそして川底から川の側面に石を並べている。石の大きさは違うが城の石垣のようにきれいに並べ美的にも素晴らしい。川の側面から流れるてくるであろう沢のところも石を並べている。所々凹んだ部分があって急な流れをそこで弱める働きをしている。その工夫といい、石の並べ方といい、驚嘆するばかりである。信州の辺鄙なところであったであろうに明治19年に施工が始まっている。重要文化財とのこと納得する。これを成した先人たちの苦労と知恵に感服する。下記のHPに写真と詳しい説明が成されえている。
http://xn--vek249jybhqlagnu01s.jp/entry7.html

2016年5月20日金曜日

聖書雑感 自由ということ

john: 8:32
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
john:14: 6

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


通読もヨハネ伝が終わって使徒行伝に入った。今回の通読で感じることは、字面だけを追っているだけの時が時折ある。気がついてまた読み返すということを繰り返している。集中力がなくなったことを感じるがこれも年の所為とあきらめている。読めるだけでもまぁいいかとそれなりに感謝している。

ヨハネ伝を読み終えて「真理はあなたがたを自由にします。」のみことばに立ち止まって思い巡らした。それに付随して「わたした道であり、真理であり、いのちなのです。」のみことばを思い出す。イエス様は「道」であり、「真理」であり、「いのち」なのである。この真理をイエスと置き換えれば、「…あなたがたはイエスを知り、イエスはあなたがたを自由にします。」となる。

私たちの言動に同じことをやっていても二つの種類がある。それは視点が自分か他者かの二つである。他者のためと言いながら自分の利益のためにやっていたり、自分が好きでと言いながら他者に対する思いやりからやっている。そのようなことは日常茶飯事見ることが出来る。前者は自分の利益のためでなければやらないが後者は自分が不利益になっても他者が利益を得るなら実行する。同じ言動でも根が全く違うのである。そのことは福音書の中で、パリサイ人、律法学者、祭司たちとイエス様を見るとよくわかる。イエス様はユダヤ人が軽蔑していたサマリヤ人のところにも行き交わっている。そのサマリヤ人が軽蔑していた女のところにもなんのテライもなく行き交わっている。「俺はあんな罪人と交わらん。」と律法に忠実であることを誇っていてもただ単に律法に縛られているだけに過ぎない。そこには愛は必要としない。

私たちの知識とか常識は、時折私たちの言動を束縛する。愛はそこから解放してくれる。律法学者やパリサイ人は律法に生きているようで律法に束縛されていた。イエス様は律法を実践されたが律法に束縛されてはいなっかた。律法を愛に包んだ方である。御父のみ心を具現化し、私たちに愛を注いでくださった。その最大なものは十字架であろう。私たちに「いのち」を与えるために自らのいのちを失した。私たちが永遠に生きるためにである。他者から見たら不自由そうに見えても本人はいたって自由ということもある。それは自分が生きるためではなく他者を生かすためである。これが愛というものなのだろう。「イエス様はあなたがたを自由にする」と。

2016年5月11日水曜日

聖書雑感 見るということ

luke 7:37-39
すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、
泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」と心ひそかに思っていた。


イエス様が人々と会話しているのを見ていると示唆に富んでいることが多い、否すべてかなぁ…。同じルカの福音書の10章にはよく知られている「良きサマリヤ人」のお話しが記されている。これも然りで、サマリヤ人が浮き出ているが常識的に見れば祭司もレビ人も血が付いた体に障ったら自分の仕事ができない。仕事放棄である。尊い働きを「下賤のサマリヤ人に妨げられたくない。」ある意味で当然であると思う。正義ぶっていたって今日も日曜日優先、奉仕優先はまかり通っているじゃない?だから何という訳ではないけどナタンに指摘されて激高したダビデもそれが自分のこととは知らなかった。これは世の常であり、キリスト者だからといって特別ではない。私もそうである。

このパリサイ人も然りで「罪深い女」なんて縁もゆかりもない。否、あってはならない人たちなのである。ユダヤ人であれば当然なのことである。ましてや預言者ともあろう者がと思ったとしても不思議ではない。パリサイ人が思うことは当然である。前にも書いたがイエス様は非常識人なのである。常識人であればこんなことはさせない。まさに激高したであろう。

ここには女性の行為が細かく記されている。「イエスのうしろで御足のそばに立ち」という後ろに立つという行為が気になる。なぜ泣いたのだろう?悲しかったのだろうか。汚い脚に口づけするほどイエス様に対する親愛の情が深かったのだろうか。否、汚いなんて思うこと自体が常識人の範疇に入っている。彼女にとっては汚いなんて思うこと自体がおかしいことであろう。高価な香油を惜しげもなく注ぐなんて、考えられない。これも惜しげもなくなんて発想はなかったであろう。

1cor: 8: 1

次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。


を思い出す。そしてこのみことばも、


1sam:16: 7

しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。


彼女の行為は、彼女の心の思いを絞り出すように出したものが、涙となり、香油を髪で塗るという行為に至ったのであろうと推察する。人は外面的なことしか見えない。そしてそれで判断する。しかしイエス様は行為も然りであるが心を見られるのである。人の目を気にすることなく、「罪深い」と言われる女の行為を喜んで受け入れておられることはうれしいことである。自分も彼女と変わらない者であるという思いがあるかもしれない。しかし、決定的に違うのはイエス様に対する思いが彼女の比ではなく、彼女の足元にも遠く及ばないことである。分かったのはそれだけだ。

2016年5月9日月曜日

ゴミ拾い

先々週に初めて湖岸のゴミ拾いをして、週一くらいにと思っていたが肩を痛めて先週はパス。今日、朝6時前に起きて前回と同じところのゴミを拾う。何時だったかとても強い風が吹いていた時があったのでその所為かプラスチックやペットボトルなどが前回程ではないがスーパーの袋一杯のゴミがあった。今回はその先の方までやって結局前回よりも一袋多いゴミを拾うことになる。拾ったところは漕艇場のところでスタート地点の左右にボートがひっくり返して置いてある。その辺をきれい?にできたのでホッとする。これからは速歩のコースを出来たらと思っている。漕艇場は防潮堤?があり、ゴミはと思うが地形の所為で漕艇場の脇の岸辺は割と多い。これからと思うところはそれほどでもないようだ。諏訪湖アダプトがあるのに諏訪市、岡谷市の境の辺はゴミが多い。葦などもあるせいかもしれない。そこまでやれるかわからないがチャレンジできたらいいなぁと思っている。葦や木などの土に帰るものは拾ったらきりがないのでプラスチック系の土に帰らないものを主体に拾っているから見た目はそれほど変わらない。葦などの細長い棒状のゴミが圧倒的に多いからボートが置いてあるところでも若者たちは気がつかないだろう。そのくらいなものなのである。綺麗にというよりちょっと気になってやっていることであるから自己満足的なものである。しかし、岸辺にペットボトルやビニールがあるのはいい感じはしない。それと今回もタバコのフィルターが相変わらず多かった。フィルターもプラスチックではなく紙のような土に帰るものにしてほしいと思う。ジョギングコースと岸辺に下りる坂の部分は芝系の植物が植えられている。そこはゴミがほとんどないのにどこからくるのか岸辺にゴミが打ち寄せられている。飴などの小さい袋も結構目にする。小さいからと捨ててしまうちょっとしたマナーの悪さが岸辺にその証しをしてくれている。自分のまわりにも飴などの袋のゴミをポケットに入れる人とそのままその辺に捨ててしまう人がいるがこれからは更に気をつけて、小さなゴミになるようなものでも捨てないで持ち帰らないとと思わされた。だれも気にしていないことでもやっていると気づかされることがある。出来ること教えられることこれも感謝かなと…。教えられることがあるということはこれもパンくずを拾うということか…。

五十肩?

先々週、みんなで畑に行って種まきと新しく植える苗の畝に下肥えを施してきた。その時もう一畝必要になったのでスペースのあるところを一つこしらえて、一畝といっても二間くらいの長さに過ぎない。いつもはスコップで雑草の根を切っていたのだが持って行かなかったので義兄の鍬を借りて耕し、少し馬力が必要だったがそれなりにできた。力と持久力がないのでへばりそうになりながらの作業が翌日に響いた。朝起きたら肩が痛い。それも肩甲骨のまわりの筋肉が痛いのである。手が上がらないという訳ではないが何となく違和感がある。それでも腕がある角度になると特に痛い。動いている時はいいが静かだと肩が何となく違和感を感じる。それとどういう訳か寝るとき体を横にした直前に痛い。どうも横になる直前に肩あたりの筋肉に力がかかるようでそれで痛いことがわかった。それがわかったので腕を曲げて、片方の手で腕を押さえて寝ると痛くない。今はそうしなくとも痛くはない。風呂に入って温めるといいようなので温泉に浸かったみたがその時は少しいいかなくらい。どうしても駄目なら整骨にと思っていたが・・・。今日も畑に行って苗を植えたりしてきたが身体が汚れたついでに温泉に行ったがかえって痛くなったような気がする。湯船に使っていると違和感がなくなるのであるが湿布を貼って様子見としよう。

久しぶりに運動すると筋肉痛になることがある。今回は肩甲骨周辺に違和感があって痛みが複雑?なのでフッと数年前椎間板ヘルニアをやった時のあの心境を思い出した。あの時も痛いだけではなくて親指が動かなかったりで全然関係のないところにも影響があり、筋肉は単純ではないことがわかった。結構複雑なのである。今回もそれほど痛くはないがどこか複雑な痛みを伴うのでこの辺も結構複雑な筋肉になっているのだろうなと推察された。人間の体の精密さを改めて教えられる。これを創られた神がいかに素晴らしい方であるか。そして思考においても然りである。ふらつく信仰であるがまさに「神は愛である」方であることをまたあらためて覚えることができた。あらゆることを通して、それがすべて恵みであることを教えてくださり感謝である。

2016年5月3日火曜日

聖書雑感 その時から

マタイの福音書には二つの時が記されている。「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(4:17)と「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」(16:21)。

「この時から」イエス様は宣教を開始され、語られる言葉においてもなされるわざにおいてもこの方こそメシアではと注目されていった。しかし、メシアであっても弟子をはじめ民衆のメシア感は違っていた。ローマの属国であればそこからの解放を願うのは当然であろう。しかし、解放されたとしても新たな隷属が始まる。国の歴史をみれは明らかである。イエス様は目に見える隷属ではなく罪からの解放を目的としていた。

「その時から」は、更に民衆の注目度を上げていったがイエス様は本来の務めを弟子たちに語り始めた時である。それは、人々が歓呼をもって迎えるようなものではなく、困難で苦しい道なのである。「その時」はペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白した「その時から」なのである。そして「その時」は、カトリックに配慮して?「わたしの教会を建てます。」とイエス様は新しい神の民の誕生を宣言した「時」からなのである。ここに国や民族、そして人種を越えて、真に解放された新しい民が誕生するのである。

伝道者の書に「・・・に時がある。」(伝3:1-8)とある。「すべてに時がある」、放蕩息子が貧乏のどん底で神に立ち返るように、人の目に良く見えなくとも「神の時」はそのような「時」にこそ新たな進展があるような気がする。私たちの小さな信仰であっても歴史を変えるきっかけになるものを持っているのかもしれない。ある意味で怖い気がする。それは多分信仰に「不」がつくから・・・。

2016年5月2日月曜日

今月のみことば 5月

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。(詩篇16篇11節)

 紀元前1450年頃、モーセに率いられたイスラエルの民は、長い奴隷生活に終止符を打ち、エジプトを脱出しものの、たちまち危機に見舞われる。イスラエルを去らせたことを後悔したエジプトの王、パロが最精鋭の軍隊を出動させ追いかけてきたのである。◆よく知られているように、モーセの祈り応えて、神は紅海を二つに分け、民はまるで陸地を歩くように対岸まで歩くことができた。◆スウェーデンのカロリンスカ研究所のレナード・モーラー博士によると、アカバ湾の水深は1500mを超えるが、イスラエルの民が渡ったと思われる部分は、橋梁のようになっていて100mほどに過ぎない、という。◆しかし、エジプト軍が同じように渡ろうとしたところ、一挙に海の水が元に戻り、一瞬にして世界最強の軍隊が全滅してしまった、と聖書は記す。◆海底はいつそのような形状になったのだろうか。勿論、それは出エジプトが起きるはるか以前のことであり、神が地と海を造られた時にさかのぼることは言うまでもない。であるからこそ、神は、「ミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ」(出エジプト14:2)とモーセに言われたのである。その地点こそ、対岸のアラビア半島に渡るために神があらかじめ用意された海底の道の出発点であったからである。◆新学期が始まった。私たちにも困難の海が目の前に立ちはだかるかもしれないが、慌てずに神の導きを待とう。私たちの目には見えなくても、神が用意された安全で確かな道が隠されているはずである。