2016年6月27日月曜日

今日のパン、明日の糧より

勇気ある人生   6/26

 「勇気を出して」と私たちはお互いによく言い合います。勇気は、霊的な徳です。勇気を意味する英語の単語は cpurage は、ラテン語 cor(心を意味する)から来ています。勇気ある行動は心からの行動です。勇気ある言葉は心から沸き起こって来る言葉です。しかし、心は感情の宿る場所だけではありません。心は私たちの存在の中心です。思考、感情、情熱、決断、これらすべての中心です。
 それゆえ、勇気ある人生とは、中心からの生き方をすることです。それは深く根付いた人生であり、表面的な人生とは対極にありまります。「勇気を出して」とは、それゆえ、「あなたの中心から湧き上がる言葉を語りなさい」ということです。


霊的な勇気   6/27

 勇気は危険をおかすことと関係しています。グランド・キャニオンをオートバイで飛び越える、ナイアガラの滝を樽で渡る、ニューヨークの世界貿易センタービルの塔の間を綱渡りする、大洋をボートをこいで横断する。これらは勇気ある行動と呼ばれます。というのも、人々はこれらのことをするのに命がけだからです。しかし、これらの向こう見ずの行動のどれ一つとして、存在の中心から来るものとはいえません。これらはみな、身体の限界を試し、有名になって人々の注目の的になりたい望みから来るものと言えます。
 霊的な勇気は全く異なります。それは、名声と人気を失うかもしれないという危険をおかしても、最も深い心の望みに従うことです。永遠のいのちを得るためには、束の間のいのちを失うことも進んで受け入れる心構えが求められています。

次へ、諏訪湖アダプト

ここでの燃えるゴミの収集は月・木で、いつもは木曜日の朝にゴミを拾って、家のゴミと一緒に出すのだが梅雨で雨の日が多くなり、今度の木曜日は雨模様らしいので今日お天気のよい最後の日、それで今朝ゴミ拾いをした。先週の続きから戻るように拾い、漕艇場の両サイドを拾うことが出来て一つの区切りがついた。次回からは漕艇場から岡谷方面に残されたところをやれたら一応終わりとなる。それからもしやるとすれば漕艇場近辺だけをすることにしようと思っている。先週の金曜日にやったところで波打ち際が見える所にはもうビニールのゴミが幾つか打ち上げられていた。風があって波が大きくなるとどこからともなくゴミが打ち上げられている。それも新しいのではなく白いビニール袋であったであろう物が茶色くなっているということは相当古い。川から流れ込んでくるのだろうか?漕艇場近くの鯉の死骸を数匹?拾ったので家のゴミと一緒にしたら45ℓのゴミ袋にいっぱいになった。家内は年金支給日に銀行(長野銀行)に行くと花の苗と45ℓと22ℓのゴミの袋をくれるのでいつも貰えに行く、それが大分たまっていたが今回でなくなった。今日で八回目だからちょうど二ヶ月やったことになる。後二回はかかると思うからその次はどうなるか外来種の雑草の駆除でも…。

2016年6月25日土曜日

民進党の選挙コマーシャル

ネットで韓流ドラマを観ている。ソロソロ卒業しなければと思いながら卒業できていない。と半月?前に書いたような気がするが留年は当分続きそうだ。お陰かどうかわからないがTVドラマほとんど観ていない。韓流ドラマを観ようとすると最初に暗いコマーシャルが出てくる。無料で観るからTVのコマーシャル同様嫌でも観なければならない。しかし、選挙が始まったからといってネットのドラマにまで流すかと思ってしまった。それも明るくてホンワリするものならまだいいが実に暗い。あれで選挙に行って投票すると思っているのだろうか。日本の未来は暗い「日本沈没」かよと思ってしまった。医療や介護をの世話になっている人の現状もわかるが待機児童をかかえるご家族はどう思う。政治は現実を踏まえながら未来を語らなければいけない。何年も先がない者に語って、これから日本を背負って立つ若者のために何故語らない。2/3がどうした?それを許しているのはあなたがただ国民ではない。一強何弱?しっかりして…。

今日のパン、明日の糧より

肉となる言葉   6/22

 言葉は重要です。言葉がないと、私たちの行いは意味を失ってしまいます。意味がないと、私たちは生きて行けません。言葉は展望、洞察、理解、ビジョンを提供してくれます。言葉は、慰め、励まし、力づけ、希望をもたらしてくれます。言葉は、恐れ、孤立、恥、罪悪感を取り除いてくれます。言葉は、和解、一致、許し、癒しをもたらします。言葉は、平和、喜び、内なる自由、深い感謝をもたらしてくれます。要するに、言葉はその翼で愛を運ぶのです。愛の言葉は、愛の行為の内でも、最もすばらしいものの一つにちがいありません。それは、言葉が私たちのいのちの内で肉となり、また人々のいのちの中で肉となる時、私たちは世界を変えることが出来るからです。
 イエスは肉となった言葉です。イエスにおいては、話すことと行うこととは一つでした。


心から出る言葉   6/23
 
 私たちの内で肉とならない言葉は、「単なる言葉」に留まります。そのような言葉には、私たちの人生に影響を及ぼすような力はありません。誰かが「君を愛している」といっても、本当に愛していないなら、その言葉は益になるどころかかえって害をもたらすでしょう。しかし同じ言葉を心から語ることが出来るなら、それは新しいいのちを生み出します。
 私たちは自分の言葉の源泉に常に触れていることが大切です。私たちにとって大きな誘惑となるのは、「喜ばせ屋」になってしまうことです。「喜ばせ屋」は人の気を引くのにぴったりの言葉を語りはしますが、語る言葉はその人の内面的ないのちに根ざしてはいないのです。私たちは語る時、言葉が私たちの心に根ざしたものであることを常に確かめるようにしたいものです。その最善の方法は、祈りに満ちた沈黙にあります。


肉は言葉となる   6/24

 言葉は肉とならねばなりません。しかし、肉もまた言葉とならねばなりません。私たち人間にとっては、ただ生きるだけでは十分とは言えません。同時に私たちはどのように生きているかを言葉にしなければなりません。どのように生きているかを語らないなら、私たちの人生は活力と創造性を失ってしまいます。美しい景色を見たら、見ているものを表そうと言葉を探します。心やさしい人に出会ったらその出会いについて語りたくなります。悲しみや大きな苦しみに遭うと、その悲しみや苦しみについて語る必要を感じます。喜びで驚いた時には、その喜びを告げ知らせたいと思うのではないでしょうか。
 言葉を通して、私たちはどのように生きているかを自分のものとし、内面化します。言葉は、私たちの経験を真に人間的なものとしてくれます。


コミュニティーを作り出す言葉   6/25

 言葉は、常に他の人々に向けられたものです。言葉は聞いてもらわねばならないものです。私たちがどのように生きているかを言葉にする時、その言葉は受け止め、応えてもらうことを必要としています。語り手は聞き手を必要とします。書き手は読者を必要とするのです。
 肉―人間が歩んだ経験―が言葉となる時、コミュニティーが生まれます。「見たことを話させてください。私たちのしたことを聞きに来てください。座って私たちに起こったことを聞いてください。私たちが出会った人のことを聞き終わるまで待ってください」と言う時、私たちは人々を呼び集め、自分自身の人生を人のための人生へと変えます。言葉は私たちを繋ぎ、交わりへと呼びかけています。肉が言葉となる時、私たちそれぞれの体は人類という一つの体の一部となるのです。

2016年6月24日金曜日

巣立ち?

燕はまだ卵を温めているのか巣の上にかすかに黒いものが動いている。雀は巣が見えないので鳴き声が聞こえていることでいるかどうかわかる。昨日は午前中雨で午後から晴れたので畑に出掛けて、その帰りにスーパーへと寄ったりして帰った来た。午後は日が差すほどのお天気になって雨上がりで爽やかや感じで気持ちがよかった。その所為か雀が数羽が軒先や屋根に電線に、そして庭先にまで下りて来て鳴き声が賑やかだった。様子を見ていると雛が巣立ちをしているように見える。巣の中でも鳴き声が聞こえる。昨日は雨宿りをしていたのかな?今日はもう鳴き声は聞こえない。しかし、軒先に行くと時々雀が飛び立つのを見かける。飛び立つ速さといい、遠くまで行くのを見て親鳥のように見えるが。フット私もどこか遠くに行きたいなぁと思わないでもない。ここが嫌だということではないが変化のない毎日だと非日常に憧れるのである。

私的諏訪湖アダプト

念願(?)の速歩コースのゴミ拾いを走破(?)することが出来た。残りは少なかったので戻るようにしてゴミを拾ってスーパーの袋がいっぱいになったので引き上げて来たが次回はそこからさらに戻るようにして漕艇場のスタート部分にと思っている。そこから岡谷寄りに進んでそこが終えたらやっと完了ということになるがどうなるか。

正直言ってみんなでやっている時は淡々と或いは「ボランテァ精神を発揮しているよ」とちょっと意識過剰気味になるが一人でやると気恥ずかしさが先に来る。だから人の少ない朝早くやるのだがそれでもウオーキングしたり、犬の散歩をしている人たちがチラホラいる。始めればどうってことはないのだが出掛ける時は勇気を出して一歩踏み出す。

折り返し地点近くは水辺まで草が生えているのでこれでお終いにして漕艇場周辺を繰り返しやるようにしようと思っている。「できる人が、できる事を、できる時に」、お天気もあり、気分もありで不確かなことばかりだからできることに感謝して…。

2016年6月23日木曜日

速歩をしながら

最初は週4目標で三日、それが週3目標で二日とペースダウンしてしまった。一週間に一時間歩けばいいと言われているのでそれを最低目標にしている。意思が薄く根気はすこぶるナッシングなので続いているだけでもいいかなとここでも目標ダウン。

今日は、夕方に久しぶりに歩いた。ほとんど歩いている人はいなくて犬の散歩がチラホラまだ暑い所為かもしれない。といっても大した暑さではないが。お腹や周りは肌を露出しないので裸になると真っ白、如何にも貧相なのでこんなとき人があまりいないとお腹を出して速歩している。気持ちなしか色がついてきた。畑の雑草もまた伸びてきたので来週当たり草刈りをと思っているのでその時は裸かシャツ一枚でと思っている。雑草といえばこのところ雨だったので勢いよくのびている。肝心の野菜は伸びているが今一である。手のかかるやつはホントにと思ってしまうが信仰も然りで信仰の成長は野菜のごとく手間暇かかるのである。それでも成長しないのが信仰…。成長しない野菜に文句が言えない。言えば自分の信仰が責められる。

速歩している湖岸端は桜の木が植えてある。Uタウンする近辺の桜は若いので枝が手に届く、実も大分落ちたがそれでも二三の木は実をならしている。小さい頃は土手の桜の実をよく食べたので歩くたびに5-6個つまみ食いをしている。熟すると真っ黒になるのだが少しでも赤みがあると苦いがホントに真っ黒だとすこぶる甘い。美味しいという訳ではなく懐かしくって食べているのである。食べるのは私と小鳥位なもの最近は桜の実を食べる小鳥が少なくなっているのかもしれない。何せ飽食の時代だから…。

明治のキリスト者

先日注文していたDVDが今日届いた。「筆子その愛」、「大地の詩(うた)」で二つとも東京で観ている。その時は「石井のお父さんありがとう」のDVDがあったので買ったがこの二つのDVD化は聞いたら予定なしとのことだった。もう五年も前の話である。偶々ネットで他を物と調べていたらDVDになっているのを知って注文した次第である。いつか集会で観たいとの思いはあるが1時間ちょっとだからすぐは無理、個人用であるから精々このくらいのところでしかできない。

明治のキリスト者といえば一般の人たちにも知られている朝ドラのモデルにもなった実業家であり、日本女子大学校の創立に参与された広岡浅子、同じく新島八重の夫であり、同志社大学の創立者新島襄、自由学園の創立者であり、「家庭の友」後の婦人の友の創刊者である羽仁もと子、津田塾大学の創立者津田梅子、国際連盟事務次長を務め、初代東京女子大の学長でもあり、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造、作家の徳富蘆花、救世軍の山室軍平、無教会の内村鑑三等々私のようなものでも知っている明治のキリスト者はこれだけいる。

それに加えて、それぞれの専門分野で先駆者的な働きをされた多くのキリスト者がおられる。山室軍平と救世軍は廃娼運動ではいのちがけの働きをされていた。最初に記した三人も「石井のお父さんありがとう」は日本で最初の孤児園を創られた岡山孤児園の創立者石井十次で、多い時には千人からの孤児が居たそうだ。ブラザレンのジョージ。ミューラーはイギリスで孤児園を創られて多い時には三千人からの孤児を養ったようである。そして経済的面は祈りによって賄ったそうだ。祈りの見本?のような人でもあり、石井十次に大きな影響を与えた人でもある。「大地の詩」は非行少年を引き取り更生する感化院を作り後の過程学校の創立者留岡幸助牧師である。今、家庭学校は北海道にあるが杉並区高井戸に養護施設があるがその流れの中にある施設である。彼は北海道の空知集冶監(監獄)の教誨師にもなっているので刑に服し出所した人たちの免囚事業の働きもしたようである。霊南坂教会留岡幸助から受洗した本間俊平は秋吉台で大理石を掘っている時に出所した人たちを雇っていた。多分留岡幸助の影響を受けての働きであろうと思われる。彼は大理石を掘るだけでなく、そのような働きと講演を全国的にやっていた。最後の「筆子その愛」は、石井筆子は夫亮一と日本最初の知的障碍者の施設滝乃川学園を創立した人である。

日本が欧米列強に伍していこうとするならばエコノミーが最優先される。そのいい例が足尾鉱毒事件の田中正三の働きである。そのような中にエコノミーではなく、人に目を向けたことは驚異に値する。「人のいのちは地球より重い」と言われた某国の首相は、それをどれだけ認識していたかは定かではないが聖書はものではなく人のいのちに目を向ける。聖書に触れた人が弱者に目が行くのだろう。「すべての人は神の前に」との問いに答えるのである。それが宣教となり、労働となるのである。

これを制作した現代プロダクションはユニークなプロダクションで社会派映画を作っている。以前には「死線を越えて~賀川豊彦物語」を作っていた。DVDになっている日本のアニメの他、「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」がある。これから三浦綾子原作「母」小林多喜二の母の物語を製作中で、山室軍平を取り上げて製作するようでもある。それとすごいなぁと思うのは「石井のお父さん…」は松平健主演、永作博美、辰巳卓郎、竹下景子が出演しており、「大地の詩」は村上弘明・工藤夕貴主演、加藤剛も出演している。「筆子その愛」では常盤貴子・市川笑也主演でどちらも有名な脇枠が大勢出演している。「望郷…」は内藤剛志主演となっている。これはプロダクションの社長?でもあり、監督の山田火砂子氏のお力が大きいのではと思ったりもしている。それにちょっと小太りの足が悪いの克江を持って歩かなければならない人なのにあの情熱はどこからと思ってしまう。それと「大地の詩」のモデル留岡幸助は写真を見るとごっつい顔であるが映画くらいは男前をと言われたのには苦笑いをしてしまった。村上弘明ではミスキャストかと男前の村上弘明を見て内心思った。

2016年6月22日水曜日

鳥の巣

以前から繁殖期になるとどこからともなく雀が来て前からある巣を往復している。雛の声は聞こえなえけど卵を産み雛を孵しているのだろうか。もう巣立ったのかな、速歩をしていると明らかに今年生まれた雀だなと思うのがよく見かける。どこか動きがぎこちないというか幼い。元気でいれよと声をかけたくなる微笑ましい風景である。今年は義妹が二階にシャワールームを作ったその換気扇の上に早速燕が巣を作って卵を温めているようである。かすかに黒いものが動いているから親鳥の頭なのだろう。利口だなと思ったのは熱の排気用の換気扇ではなく部屋の換気扇に作ったので賢いなと思った。それと裏に手が届くほどの高さのところにも巣がある。これは低すぎて作ったはいいが危険を感じたのか空のようである。こちらに来て感じるのは蜘蛛が多いことである。チョット出入りしないでいるところに偶に行くと蜘蛛の巣が張っている。家内は嫌がるが虫がいるということだから自然がいっぱいのしるし殺生は辞めろと冗談半分に行っている。まさに共存共栄である。しかし、昨日TVの前にスーと大きい蜘蛛が天上から下りてきたのでこれは古新聞に挟んでつぶしてしまった。まだまだ色々な意味で自然がいっぱいである。不自然なのは人の営みかわが身か、後者がより大きいかな…。

大きな手の中で

acts 17:28
好きなみことばであり、また日々の生活の中で実感できるみことばでもある。聖書を知らなかったときは自然、まさに自然であって神様が創られたなんてことは考えもしなかった。小さいころ多分農閑期だったのだろうかあるいは田植えや稲刈りの一段落した時であったのだろうか母を含め集落の主婦たち数人でお寺でお坊さんから何かの講釈をしているそんなところによくついて行った。意味がよくわからなかったが何か有り難い話をしているなと思っていた記憶がある。多分、人としてどう生きるかを講釈していたのかなと思ったりもしている。勿論、じっと話を聞いているわけではなく、お寺の広い本堂で遊べるのはこんな時でなければできないこともあって一緒に行ったのかもしれない。「仏教はどう生きるかを教える。」とか聞いたことがあるからある面で子供心に何か感じたものがあったのかなと思ったりもしている。


我が家は貧しかったが親はだからといってガツガツしてはいなかったように思える(貧しさは実感していた)。子供心にどこか鷹揚としていたように見えた。お金よりも人を大切にしていたのかもしれない。でも、それは家よりも他を優先するということで、俗に言う「外面はよくて内面が悪い」ということでもある。私にもどこかそのような面がある。
そんな背景の中に育っている所為かあるいは関係なくかわからないが「生きている」ということが主の大きな手の中に生かされていることを実感している。この年になると自分の力なんて爪の垢ほどもないことを教えられている。しかし、臆病で傷つきやすい性格もあって気分がダウンすることも少なくないがこれは生きている上で避けて通れないものとして受け入れている(諦めている)。でも強い人を見ると羨ましい思いを抱くのも正直な気持ちでもある。ある面では問題だらけの感がないとは言えないが今健康が生活が守られていることは大きな恵みであり感謝なことでもあることをこの年になって思わされている。もうこの年になると生きていることは余生であり、感謝できることは恵みである。

私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。




2016年6月19日日曜日

今日のパン、明日の糧より

霊の結ぶ実   6/19

 神の霊は、私たちを通してどのようにご自身を現されるのでしょうか。証しをするとは、声を大にして神を擁護するために人前で話すことのように考えがちです。このように考えると、私たちは人目を気にして神経質になってしまいます。どこでどうやったら神を話題にできるか、どうすれば家族や友人、近所の人たちや同僚に、普段の生活の中におられる神の存在を確信してもらえるのだろう、というようなことに頭を悩ませます。しかし、こうした明白な伝道活動への努力というものは、しばしば心の不安を源泉として生じてくるため、容易に分裂を引き起こしてしまいます。
 神の霊がご自身を現され、やさしく人々を確信させてくださるのは、その実を通して語られる時です。即ち、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5・22-23)です。これらの実は、そこに現われるだけで人々に届く言葉を語ります。ですからいつでも、「どうやったら人々に聖霊を信じさせられるか」と問うよりも、「どうすれば私は聖霊のうちに成長出来るだろうか」ということを問うほうがよいのです。

2016年6月16日木曜日

あと一息

6回目のゴミ拾いでジョギングコースを終えるかなと思ったが少し残ってしまった。残りは折り返し地点から始めたが葦と雑草がたくさん生えているので砂利の部分が少なく、水際でやらないとダメなので長靴を履いて行ったのが正解だった。ここもほとんどゴミがないところと吹き溜まりのようにゴミが集まっているところとがあって面白いなぁと思った。ここは人が来るのは釣り人くらいだからあまり人が来ない所為か汚かった。それほどの距離ではなかったがアッという間にスーパーの袋二つがいっぱいになり、袋がないので帰ってきたという次第である。それに座布団とプラスチックの容器など大きいのは収容しきれないのでそのまま置いてきた。座布団は日干しをしていれば大分軽くなるだろうとの思いもあった。結局、45ℓと22ℓの袋二つにして出したが肝心の我が家の生ごみを入れるのを忘れてしまった。抜けているのは今に始まったことではない。

丁度、エビを獲っている方がすぐ近くまできたので挨拶して言葉を少し交わす。「ご苦労さんです。諏訪湖は汚いねぃー」と言いながら小さな網を下していたがエビはあまり獲れないようなので汚いのは湖岸なのか湖水なのかと?と考えてしまった。諏訪湖は夏になると水草(ヒシ?)が繁茂して生態系を壊しているようだ。去年は繁茂のひどい時に二艙ばかりで水車のような歯車?を回してとっていたのを見かけたことがあって、どうせ採るなら繁茂しない前にと思って見ていた。諏訪市の方でボランティアを募ってやっているようだ。外来種の雑草も問題で以前にこれがそうだと教えられたがどれもこれも同じに見えて何度教えてもらっても覚えられない。

次回は、少し残ったところをやって、漕艇場の方に戻るように拾って行こうと思う。前にも書いたがこれをやったからといってどうなるわけでもない。ジョギングコースにはほとんどゴミは落ちていないが偶にキャンデイやおにぎりの包みが落ちていることがある。小さな袋をもって拾ったりしている。綺麗なら誰も捨てられないが汚いと我も我もと捨ててしまう人間の習性がある。うまく働いているのだろううれしいことである。駐車場も然りである。それと魚の死骸はそのままにしていたが漕艇場の周りは拾って子どもたちが気持ちよく練習できるようにできたらと思っている。あそこを再々々やれるのはいつの日か?それが終えたら漕艇場から岡谷方面が残っている。ゴミが目についていたのが無くなってからあちらの方もゴミが目立たなくなった。それでも岸辺に行けばそれなりのゴミはあるのだろう。それが終えたら一段落、いつの日になるか…。

「示し」というのは不思議なものである。無我夢中の信仰生活では何もなかったが少し落ち着いて来ると「示し」というものが問いかけるようにやって来る。あるいはそれ以前からあったのかもしれないがあまり意識することはなかった。子育ても集会生活もお粗末そのものであるが些細なことであるかもしれないけれど問いかけが来る。これは、或いはあれはどうするのか?という風に、やらなければ、行かなければとなる。逃げればまたそこで別な問いかけをして来る。全然別かなと思っていると一本の線のようにつながっている。結果はこれだったのかと思わされる。歓迎されるわけでもなし、肉の思いは心地よくないということで、これが御心なのだろうと思っている。そして結果を見ることも出来る。しかし、だからといっていつもとは限らない。「示し」てくださる主はこちらがアクション起こすまで忍耐をもってそれを成される。これは感謝なことであり、恵みであることを思う。今回のことも「示し」と「問いかけ」があってのことと思う。だからただやるだけのことなのである。

2016年6月13日月曜日

今日のパン、明日の糧より

愛を受ける力を与えられる   6/12

 聖霊は神が「アッバ、父」であるばかりではなく、私たちが神の愛する子として神に属していることも明らかにされます。このようにして聖霊は、あらゆる他との関係の持っているいみを私たちの内なる関わりとして復活させてくださるのです。
 「アッバ」は非常に親しみ深い言葉です。その最も適当な訳語は「お父ちゃん」でしょう。「アッバ」という語は、信頼、安全、地震、帰属、そして何よりも親しみを表しています。この言葉には、「父」という語がしばしば呼び起こす、権威、力、支配というった含みがありません。それどころか、「アッバ」にはすべてを抱擁し、育む愛という意味が含まれます。この愛は、父、母、兄弟姉妹、夫、妻、友人、恋人たちから与えられるあらゆる愛を包み込み、これらの愛を無限に超越してゆきます。それは聖霊の贈り物です。


すべての愛の源(みなもと)

 両親や兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人たちの愛がなければ、私たちは生きること出来ません。愛がなければ、私たちは死んでしまいます。しかし多くの場合、この愛はひどく歪められ限界あるものとして体験されています。勢力争いや嫉妬、恨み、復讐心、虐待までもが、愛を汚すことがあります。人間の愛に、私たちが望んでいるような完全な愛はありません。時として、人間の愛は不完全であるあまり、それが愛であるとはほとんど分からないほどです。
 そのような不完全人間の愛のもたらす傷によって打ちのめされないためには、次のことを信じなければなりません。すべての愛の源は、神の無制限で無条件の完全な愛であるということ、また神のこの愛は、私たちから遠く離れたところにあるのではなく、私たちの内におられる神の霊の贈り物であるということです。

 

2016年6月10日金曜日

ゴミ拾い5&速歩

毎週木曜日の朝、湖岸のゴミ拾いをして五回目になる。ゴミは少ないようなので今回で終わるかなと思ったが駄目だった。しかし、次回で速歩コースは終えられそうだ。それでも、漕艇場の両サイドは新たなゴミが打ち寄せているようだからこれが終わったらまたと思っている。個々の川はちょっと上流に行けば山になるので川でごみを捨てるということは少ないみたいなように見受ける。川っぷちにペットボトルやビニールのゴミを見かけることもあるが普通の川ほどではないような気がする。ゴミが少ないなぁと思いながらもスーパーの袋の袋二つと空き缶が数個、今回の成果である。それと岸辺に船を出して小さな網を引き揚げている人がいるので挨拶しながら「何を取っているのですか」と尋ねたら「エビを獲っている」と言われ、諏訪湖にも獲るようなエビがいるんだなぁと思いながら、田舎でも春先になると川にたくさんの小さなエビがとれたことを思い出した。まだ水も冷たく、獲っている人をあまり見かけなかったが自分は「トル」こと自体が好きだったので冷たくても平気だった。もしかしたら同じ系統のエビなのだろうか、今が繁殖期?その方は「昔は、網一杯にとれたけど今は少ない。一時は水が汚くて獲ってなかったが、今は少しきれいになったので量は少ないけれど獲れるようになった」と、そして「ご苦労様です」と言われ、その先までやって戻ってきたら船の上に立って帽子をとり頭を下げて「ご苦労様です」と言われたのには驚いた。そしてすぐスピードを上げて別な方向に行かれた。お礼を言うためにそこにいたのかなと思ったりもしたがちょっと恐縮、何隻が出ていたのでどれがその方もわからく、まさか再度、お礼を言われるとは思わなかったのでちょっと気分がよかった。ゴミは燃えるゴミと一緒に出して、缶を整理していていると古いのは中に泥が入っている。今回は一つタバコの吸い殻がいっぱい入っていた。吸い殻の処理に困っての気持ちは分かるがと思いながら少しがっかり・・・。

シニアの集まりに集っている関係で「長野県長寿開発センター」の賛助会員になっている。ここで季刊誌を発行していて、春号に長野市安茂里の園沖地区の「園沖支え愛ネットワーク」の人たちの活動を紹介していた。題字のように、「できる人ができる事をできる時に」。にをモットーにしているようである。自分がやっていることはまさにこれだと思った。それがいいことであるとか何か理由付けする必要はない。「できる人ができる事をできる時に」。やればいいのである。気づかされてやるということはこういうことであろう。

朝早くゴミを拾うだけでなく、速歩もとその前日歩いた。先週の金曜日から夕方歩く機会がなかった所為もある。朝早いので空気は爽やかで気分がいい。軽く汗がにじむくらいの気候だったのでこれもいいものだった。そして今日は昼前に歩いてみた。それには理由があって、上半身裸になる顔や腕の手側の半分は日に焼けて黒いのだが他は真っ白で何とも貧相なので陽に焼きたいと思っていた。下着のシャツは皆Tシャツである。ほとんど着ないランニングシャツが一枚ある。Tシャツがないのでしようがなくそれを着ていた。上のシャツを脱いで下着のシャツになるにはTシャツは何かみっともないような気がするがランニングシャツだとまさにランニングであるから平気だろうと帰りはランニングシャツで上のオープシャツを腰に巻いて帰ってきた。少し焼けたようで青白さが消えた。グーである。

2016年6月8日水曜日

今ある成城学園・玉川学園の成り立ち

 短い文章は原稿を見ながら何とか打てるようになったので、少し長い文章にとチャレンジすることにした。これは今の成城学園、玉川学園の成り立ちの端緒になった出来事でもある。これを書かれた方は玉川学園の創立者小原國芳氏である。元々は「小原國芳全集11」〔秋吉台の聖者本間先生・玉川塾の教育〕(玉川大学出版部)に収録されており、これを少し短くして「本間俊平選集」(日本YMCA同盟出版部)の中の「諸家の追憶」の項に収録されているものである。成城学園、玉川学園の関係者でなくとも小田急沿線に縁のある方であればそれなりの興味ある出来事であると思う。しかし、本来は明治、大正、昭和の戦前に活躍された特異?なキリスト者本間俊平のエピソードの一面を語っているのである。


本間先生訪問記 

 沢柳政太郎先生に呼ばれて、成城小学校の主事という重い任務を与えれて東上しましたのは大正八年十二月でした。国家の補助があるでなし、富豪の援助があるでなし、一文なしで「自給自足」の意地を通すのもなかなかの苦闘でした。
 子たちが六年生になりますと、折角の新教育、到底、これを他に送るに忍びず、苦戦悪闘の結果、無理に中学校を作りました。
 経営は毎年マイナスからマイナスです。年末に毎年毎年赤数字ばかり出ますのはかなりの苦しみでした。それでも、いつの間にか、小学生からズット育った子どもたちが、中学三年まで伸びて来ました。あと一年で今度は高等学校です。一番試験準備で教育の本質が傷つけられている中学の四年生五年生。更に、粗暴と野卑とフシダラそのもののような今日の三年生高等学校、ただ一高の亜流たらんとして、その長を捉えんよりはその短所のみを習っているような高等学校へ誰が子供を送れましょう。何とかして、高等学校を作りたい。しかも、それには二百万(今なら、少なくとも三億)・(全集では二十億とある昭和四十四年出版)の金を少なくとも要したのです。政府への供託すべき保証金すら五十万円という現金です。棚からボタモチを待っても居れず。子供は日一日とグングン育っていく、歳月は刻々と過ぎて行くのです。職員一同が寄るとさわると早く、誰かに、何処かにと、誰いうとなく話したものです。
 月給は皆五十円均一の頃です。年賀状のはがきも年越しのオモチもなかなかの頃です。苦しい大ミソカは遠慮なくやってきました。
  ミソコシの底にたまりし大晦日
    こすにこされずこされずにこす
成城の十数年の大晦日の実感は全くこの狂歌そのままでした。
 明けて大正十三年の一月一日。牛込のオバケ屋敷そのままの古校舎の中のお正月の式をすませ、子どもたちに配った蜜柑の余りや、スルメをかじりながら、夢の学校は次から次へと展開していきました。
「ああ、金がほしいなぁ」腹のどん底から、うなると
「先生、ゼヒ、本間先生に貰いに行ってよ!」、と皆が言い出す。
「よし、今年は、もう何としても出かけねばならない!」、「だが、おい、出掛ける旅費もないのだ。」というと、誰いうとなしに、年越しの財布を開いては、ありったけの金を一円、二円とみなが出す。十一円なにがしが集まったのです。それで、とうとう終列車で西へ立ちました。
 金は秋吉まで行くには、三等でも不足でした。幸い、妻の父が徳山に居ました。どんなに貧乏牧師でも、それから先の旅費くらいはあろうと、アテにして、帰りの旅費は国の兄にトクヤマあてに送ってもらうよう打電して立ちました。
 時ならぬ客を義父は喜んでくれました。そして秋吉までの旅費をとお願いすると、丁度、クリスマスに集まった献金の小銭だけを費って、大事に残した五十銭銀貨を!それは貧乏牧師にとってはトラの子より大事な五十銭銀貨の紙の包みを、タンスの抽斗から持ってきてくれました。何といってお礼をいっていいのでしょう。婿がかわいいのか、娘がかわいいのか。

 小郡で下車して、萩行きの乗合自動車にのって、太田で下車して、人力にのりかえて秋吉についたのは、一月の四日でした。最初の訪問からフシギにもちょうど十年目の同じ、正月の四日でした。
「忙しいアナタがよく来られたなぁ」と先生は孫でもいたわりうように喜んでくださいました。
「上がれ、上がれ。寒いよ。」とて大きな火鉢のそばに坐らせて、大きな白毛布で腰から膝をクルクルと巻いて下さいました。
「おれの家は風邪を引くに都合よく出来てる。寒いぞ、寒いぞ。火に当たれ、火に当たれ。」と、全く、自分のうちに帰ったような気持になりまし。室は相変わらずギッシリ、本から帳簿、英字新聞の堆、それに年賀状が大きなお盆に山盛り。一々、お返事だけでも大変だろうと思いました。
「忙しいあなたが、新年早々、何の用事じゃ。」
「先生、金貰いに来ました。」
「金貰いに?素寒貧のワシじゃ、金は一文もない。一体、何するんじゃ。」
「どうしても、もう高等学校を作らねばなりませぬ。何処からか金貰ってください!」
「一体、いくら要るのじゃ。むう、二百万円!そうだろうね。○○のおバアさんがね、女の身で何千万と儲けたものだ。神様の御用に貰ってくれろって、その一割、ちょうど二百万円、持ってきたものじゃ。俺には神様が下さるから要らぬといってつき返したものだ。その後、いろんな人がその金を貰ってくれといって来るが、二三遍、かけ合って見たが、遺言状がないといって、物にならぬのだ。気ぬけのサイダーみたような重役が二三人居るよ。あれじゃ何ともならぬ。だが、まぁ帰りに会って見たまえ。電報打ってあげる。当主に当たるには大事な人がいる。××××という西洋人じゃ。一つ会って見給え。」と早速、長文の紹介電報を打って下さる。

「さぁ、なかなか、この節、容易でないぜ。持っている奴はなかなかくれないよ。」とて、先生は数分間、腕組みして考えて居られる。
「む、そうだ。十哩、郊外に出ろ。まだ武蔵野は広い。安いはずだ。学校を作ったら、あたりが騰貴する。そして、土地を半分売るんだ。コロンビア大学だって、そうだった。福岡の安川さんの学園だってそうだった。」
「成程」とピリッと来ましたが、ただ一つ困ったことには、小学校一年生から三百五十名の子供をどうして十哩通学させよう!
「先生、小学一年生の子どもたちをどうしましょう。」と失望の問いを発すれば、
「馬鹿いえ!お前がいい学校を作れば交通は必ずついてくる。交通のついて来ないような学校ならツブレちまえ!」
何という天来の響きでしょう!私の五体は電気に触れた如くピリッとしました。
「そうだ!交通のついて来るような学校を、俺はキット作るんだ。つくらねばならないんだ。」
 その瞬間、トテモ大きな精神的飛躍と大覚悟が湧きました。否、湧かしてくださった先生に何というフシギな宗教的な啓示と実際的直観が湧くんでしょう!
 先生は立って、山なす書類の中から大東京の地図を探し出して来られました。そうして腕組みしたままシキリと考えて、独語をはじめられました。
「東北本線の方はダメだ。北には人は行かぬ。千葉の方もダメだ。本所、深川を通るのが汚い。中央線はもう八王子で行き詰りだ。そうだ、やはり相模の平野じゃ。東京から横浜、小田原とズーッと東海道線は弓なりに曲がっとる。キッと、新宿から小田原へ一直線に将来、汽車が出来るにちがいない。この方向だと、」小田急電車が現在通っているそのままに指で線を引かれる。なるほど、帰ってから日清戦争直後の古い地図を出してみると予定線が地図に記されてあります。今日、成城学園も玉川学園も小田急を使っていることを考えると全く神の予言として私にはフシギでたまりませぬ。
 そして、先生は、土地買収や土地整理、金の借入方から分譲法、いろいろな知恵を授けて下さいました。「先生と言われるほどの馬鹿でなし」全く世間知らずの先生である私も、はじめての大胆な仕事をはじめるべく決心しました。大きなインスピレーションに点火されたとは言いながら、一面、非常識と無謀と大胆と夢とが、事を決行させたのです。話は脱線しますが、私が事を決行した時に、幾百の親たちは「教育者なんて無謀なものだ」と言って驚いたそうです。
 その夜は殆ど三時か四時頃まで話がはずみました。小菅監獄の天国化、囚人たちから来る山と積みなす感謝状。アメリカへ行って居られる娘さんの葡萄園の苦心、先生の徹底した愛国心、秋吉へ移転当時の迫害、納税の義務、感化事業の苦心、留岡(幸助)先生の話、執行猶予と死刑廃止論、教育の本質論から罪悪論、全く話はつきないのです。とうとう、先生の伝記を書いてみたい気になりました。喜んで下さいました。写真やらいろいろの材料を下さいました。そして出来たのが「秋吉台の聖者本間先生です。

 希望と勇気と知恵が与えられて、奥様や妹と同窓である娘さん方にお別れして立ちました。先生は少し風邪でお具合のわるいところをワザワザ太田まで一里半もありましょうか、話しかけ、話しかけ送って下さいました。
 太田で、二三十分も待っていますと萩からの小郡行の乗合自動車が来ました。大きな握手でお別れして乗りました。実は私の財布には一円そこそこの金しか入って居ない筈です。何というフシギでしょう。それを何の不安もなく私は車上の人となったのです。
 運転手がドアを外からしめてくれると同時に、先生の大きな手はホロの外からヌッと出て私のポケットに入りました。
「君、汽車の中かで弁当買って食ってくれ。」
と。私はその時、アッ、私の財布は軽かった筈だとはじめて気づくと同時に、先生の有り難い徹底的愛がシミジミと感じられたのです。
 道の真ん中にジッと立って見送って下さる先生のお姿を、自動車のエナメルを透かして曲がり角で見えなくなるまで拝して、さっきの紙包みを外の客に分からぬように押し頂いてみますと三十両。それは正しく、私が東京まで変えれる、しかも、二等の汽車賃と急行券と弁当代と自動車賃とに十分なだけでした。
 先生にとっては全く、私財なんてないのです。一切が神様のものなのです。知恵も富も心も身体も時間も……一切が神様の御用のためなのです。私は聖貧に甘んじたアッシシの聖者フランチェスカと、信仰と勇気と力のポーロや日蓮と、温和と平安と絶対信仰の親鸞とを打って一丸とした先生を想起いたします。そして、ハンマーと車と汗とソロバンと政治と事業とが融合しているのですから、全人教育を目標としている私は、霊と肉、天と地と、汗と魂と、バイブルとエコノミーとを打って一つにしようという玉川塾の教育目標は、生きた先生を如実にこの世に有しましたことをこよなき幸福とと感謝しています。そして、「秋吉台の聖者」という形容詞は当然すぎるほど当然だと思います。
 しかも、先生はこの日、非常な無理をして送って下さったために、極度の痛みを生ぜられ、痔疾は甚だしく出血となり、遺言まで家族の方々になされた程だったそうです。気の毒がるからとて私には知らさずに下さいまして、一二年たってはじめて知った私は何といってお詫びやらお礼やらしてよいかそのすべを知りませぬ。ただただ勿体なさでいっぱいです。

追記
結構な時間がかかったが何とか打てた。原稿を見ながら、あるいは画面を見ながらの、それに変換が今風でないからそれにも煩わされた。というほどのことでもないが。

2016年6月7日火曜日

今日のパン、明日の糧より

聖霊の力   6/7

 イエスにあって、イエスを通して私たちは、神を私たちを頼りにされる無力な神として知るようになります。しかし、神の力がはっきりと示されるのは、まさにこの無力さにおいてです。この神の力は、支配し、命令し、号令を下すといったことで示される力ではありません。それは人を癒し、和解させ、一つにする力です。それが、聖霊の力です。イエスが姿を現されたとき、人々はイエスに近づき、イエスに触れようとしました。なぜなら、「イエスから力が出て」行ったからです。(ルカ6:19)
 イエスが私たちに与えようとしておられるのは、まさにこの神の霊の力なのです。聖霊は実に、私たちに人々を癒す者となる力を与え、人々を癒す者とされます。その聖霊によって満たされされる時、私たちは癒し人以外の何者でもあり得ません。
 


2016年6月6日月曜日

今月のみことば

「私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。」(コリント人への手紙第一8章4節)

 昔、あるところに好奇心旺盛で旅の大好きな青年がいた。◆ある時のこと、彼は山のふもとにある、美しい緑に囲まれた村に来たが、驚いたことに村人はみな、死人のように元気がなかった。◆わけを聞いてみると山頂に恐るべき人食い鬼がいて、夜になると恐ろしい唸(うな)り声を発するので、いつ自分が殺されるか、と恐怖の毎日を過ごしているのだ、という。◆青年は村人の反対を押し切って、その人食い鬼と話をつけて来ようと山頂へと登っていった。確かにそこには鬼がいたが、驚いたのは近づけば近づくほど、鬼はどんどん小さくなり、青年が手を差し出すと、手のひらに飛び乗ってきたことであった。◆「君は何者なんだ」と青年が聞くと、「鬼の名は『恐怖』さ」と答える。「どういう〈恐怖〉なんだい」と聞くと、「それは人によりけりだ。〈病気〉を怖がる人間もいれば、〈貧乏〉を恐れる人間もいる。権威が怖い人間は、俺を〈権威〉だと思って見るのさ」◆「君はこんなにちっぽけなのに、どうして人々は君を巨大だと思っているのだろう」「恐怖が大きければ大きいほど俺は大きく見えるんだ。俺のところに来て、俺をしっかり見てみなければいつまでも俺の本当の大きさは分からないのさ」。◆以上は、決死の覚悟でイスラム教から離れたワファ・スルタン博士が引用している話である。◆我々日本人は、〈周りがどう思うか〉〈人と違うことをするのが怖い〉など、〈神様〉ではなく、〈人様〉を恐れる傾向が強いのではないだろうか。しかし、本当の神以外、いかなる〈人〉も〈偶像〉も恐れる必要はない。よく見てみれば〈人〉は神に比べて実に小さい存在であるどころか、偶像に至っては、本当は存在さえしないからだ。
                                 長野集会月報 6月号

追記
指を適当に動かしているがそれほど間違わなくなった。まだまだではあるが。
「気配りの○○」と言われたこともあったがそれは神を恐れるよりも人を恐れていたからであろう。人は自ら偶像を造りそれに支配されている。考えてみれば漫画であるがこれは現実でもある。

2016年6月2日木曜日

今日のパン、明日の糧より

この世にあって、この世のものでないイエス   6/1

 山上の垂訓は、イエスの自画像を私たちに示しています。初めに見たときは、最も人目を引かない自画像のように思われるかもしれません。一体誰が、貧しく、悲しみ、迫害されることを望むでしょうか。一体誰が、本当に柔和で、憐れみ深く、心清く、平和を実現し、いつも正義に心を傾けていることが出来るでしょうか。ここで現実に根ざした生き方とは何でしょうか。私たちは、この世界で生き延びるためにこの世のやり方にならう必要はないのでしょうか。
 イエスは、この世のものとならずにこの世に生きる方法を示してくださいます。イエスの生涯に範を取る時、私たちの前に新しい世界が広がって来ます。天の国は私たちのものとなり、この地は私たちが受け継ぐものとなるでしょう。私たちは慰められ、満たされ、憐れみを受けるでしょう。そうです。死んだ後だけではなく、今ここにおいて私たちは神の子として認められ、真に神を見るでしょう(マタイ5:3-10)。それがイエスの生涯を模範として生きる報いです。


イエスのようになる   6/2

 しばしば私たちは身を引いてイエスの間に隔たりをおいています。「イエスがご存知だったことを知ることは出来ないし、イエスがなさったことをすることも出来ない」と私たちは言います。しかし、イエスはご自身と私たちとの間に、決してへだたりを置かれません。イエスは言っておられます。「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(ヨハネ15:15)。「はっきり言っておく。わたしを信じものは、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」(ヨハネ14:12)。
 イエスが知っておられたことを知り、イエスがなさったことを行うようにとわたしたちは呼びかけられているのです。私隊は本当にそうしたいと望んでいるでしょうか。それとも、イエスを遠ざけておきたいですか。

ゴミ拾い4

ゴミ拾いも4回目になった。昨日、今週初めての速歩をしながら湖岸べりを見ていたらゴミが目についていたところがきれいになっている。今草を刈っているからついでにやっているののかなと思った。そんな様子を見ながら今日やることに思案していたが朝5時に目が覚めたので起きてやることにした。

念のため漕艇場の周りを見てそれから先にと思い漕艇場に行ったら結構細かいゴミが打ち寄せている。以前ほどではないが場所によっては相変わらずタバコの吸い殻が目につく、それと前からだが魚の死骸が多い。打ち上げられたり、波間に漂っていたり、鳥が突っついたのであろう様をしているのも多々見かける。それと死んでから時間が立ったのか鳥も突っつかないのも目にする。カラスでさいもである、結局、3回かかってやったところを今日一日でできた。それだけゴミが少なかったのだろうかそれでもスーパーの袋三つにもなった。ゴミにも時節柄とでもいうのがあるようで苗の容器と肥料の袋(10キロくらいはいるかな)が少し目にする。捨てられるゴミに時代を映しているものがあるような気がする。物、モラル等々…。

「貧すれば鈍す」ではないが何気ない行為が美観を損ねている。ゴミを拾っていなければ気がつかないことでもある。若い時は(今でも)自分の梁が見えなくて他人のゴミはよく見えていた(マタイ7:3-5)。今も他人のゴミは相変わらず見えるが自分の梁も少し見えてきた。今もそうだが傷つきやすいが人を傷つけることに少し気づかされつつある。周りに言わせれば相変わらずのようではあるが。

パンくずは拾わなくて、ゴミを拾ってなんになると思うがそこから見えるものもあるような気がしている。何かが見えてくるかもしれないからもう少し頑張ってみたい。