2016年11月29日火曜日

銀杏拾い

すぐ近くに小さな公園があってそこにイチョウの木が数本ある。その中の二本が実をつけている。最盛期?も過ぎ、葉も落ち、実もそれほど残っていないがここ何回かちょこっと行って銀杏を拾っている。十数個から精々二三十個位だが数回やっているとちりも積もれば山ではないが結構な量になっている。今は周りが腐って来るのを待っているから実にしたらどれだけになるかわからない。

銀杏は茶碗蒸しに入っているのを食べるくらいでそれほど好きではなかったがストーブの上で焼きながら食べるとそれなりに美味しい。木の実であるから栄養もあるようだ。去年は拾わなかったが一昨年は食べるときりがないので一日数個と決めて食べていた。冬の楽しみでもある。

ゴミ拾いはそれほど好きではないがこのような木の実を拾うのは好きである。皮が臭うのを見て「種の保存」の所為なのかなと思いながら拾っている。落ちているのは少ないから拾いに来る人もいないわけでもないようだがそんなにという感じである。ゴミ拾いも銀杏拾いも格好いいものではない。一歩踏み出すには勇気がいる。福音を伝えるのも同じく勇気がいる。どちらにしろ一歩踏み出さないとと思いながら…。

おのぼりさんが行く

26日に東京近辺に住んでいる中学のミニ同窓会があって声をかけてくれたので、孫が喘息で入院している見舞いがてら東京に行って来た。移動手段は一番安い地元の高速バスを利用、土曜日ということもあって臨時便も出ていた。以前乗った時はウイークデーの所為か空いていてふたつの座席を使える程だった。小型で少し窮屈だったからそれ以来アルピコや京王を使うようにしている。といっても2-3回しか利用していないが…。今回は大型であったがアルピコや京王に比べると狭い感じ、それにこの会社は普通の観光バスだからトイレがついていないので行きも帰りも談合坂でトイレ休憩をする。

新宿発着は新宿バスタから2階で降りて4階から乗る。駅と違って乗るバスも時間も決まっている人が来るからか人が行き来するところは何となく狭い感じがする。

好きな時間の予約が取れなくて朝一番の6:30のに乗るが安曇野や伊那方面から拾って来るから予定よりも15分も遅れてきた。でもこの会社は茅野、原村、富士見のバス停に停まるだけで新宿バスタまでノンストップ、他のは東京に入ると乗り降りする人がいなくとも各バス停に停まったように記憶している。

6時前はまだ暗い、前は勿論行き交う車もない。少しづつ明るくなって来ると同時に行き交う車も増えてくる。少し早めに着いたがバスは無し、数人がバス待ちをしている。定刻にバスが来たので乗ろうとしたらあなたは次のバスですと言われる。その次が中々来なくて15分待たされた。茅野、原村、富士見と数人くらいづつ乗ってくる。電車やバスのいいところは本が読めることである。この時にと買っておいた本を早速読み始める。そのうち眠くなり、本を閉じて眠る。そんなことを何回か繰り返すうちに新宿に着く、といってもいつものことながら三鷹あたりからノロノロと走る。外の風景を見て、ここはあそこはどこだろうと思い巡らしながら何故か懐かしさを感じた。かつてはよく車で通った地である。

少し早く着いたので中央線ではなく、山手線を半周することにした。電車はガラガラで座れる。老いも若きも外国人もいれば旅行者もいて色々である。人の乗り降りや周りの様子を見る。皆スマホやタブレットでシニア向け携帯なんて恥ずかしくて出せない。ガラケーを持ち、物珍しそうに目が動いているのは完全におのぼりさん。目黒、五反田、大崎は懐かしい。様変わりした大崎を見ているとまさに隔世の感がある。私が就職した会社はこの駅からだった。その当時は何もなく、明電舎の工場があり、それがソニーに変わり今は高層のオフイスビルになっているようである。

神田の駅も懐かしいので降りて歩こうかなと思った
がやめて秋葉原から歩くことにした。駅の下は完全に様変わりしており、かつての面影はない。それでもガード下の小さい店は相変わらずであるが地方の駅前商店街のような感がする。そこだけが今も変わらずであるが扱っているのは昔と違っているようだ。もう抵抗とかコンデンサーを売っている店はない。本屋のおばさんは変わらずただ年取ったなぁと…。二十数年前の話だがあの時はまだ若かった。

道路を渡って、以前勤めていたビルがある。店は閉めたが○○無線と屋上の看板にあるから会社はやっているようだ。免税店になっていて店は貸しているのだろう。交差点の角に愛三電機と坂口電熱と店はそのままである。建物が変わらずとも扱っているものが変わっているのにここだけは相変わらずである。まだ昔のままの姿と扱っている製品を見て懐かしさを覚えた。

ゆっくりと周りを見ながら御徒町へと向かう。電気街の面影は薄くなり、AKB48の影響かフィギャというのだろうか人形のようなものを扱っている店が多い。上野の近くまで来て、道路の反対側にいた所為か目で鈴本演芸場を追ったが目にすることは出来なかった。寄って聞く時間も今の落語家の話を聞く興味もそれほどないが若い時ここで旬ごとに落語を聞いていたので懐かしさがある。戻るようにしてアメ横を通るが食べ物屋さんが増えたような気がするがどうだろう。ここもそれほど安くはない。安い物はそれなりのものかなと…。

駅前の吉池がわからなくなり、目の前のお茶屋さんの店員に聞く、訳を話した苦笑いをしながら教えてくれた。どうも行き過ぎたようだ。ここも新しいビルになっていて、1階はユニクロ、店内をウロウロしながらエレベーターホールへそして9階へ、昔のデパートの大食堂みたいに広くて賑わっている。早かった所為か誰も来ておらず一人静かに待ちながらお客さんの様子を見ている。そのうち一人二人と来て一人欠席で13名の同窓会となる。お酒はダメなので食い方にと、男性1名と6人いる女性の半分は分からず。テーブルを横にしているので目の前と脇の人と話すしかない。ここは聴き方に回って、刺身もそれほど…、口も動かさずにひたすら聞く、こういうところは人の話を聞きたいと思う人より自分の話をしたい人が多い。親しく話しかけてくるが間が抜けているので(このような集まりは50代になってから)その間の話はスポイル。協調性のない我に声をかけてくれることは有り難いこと感謝する。カラオケに行くが苦手でもあり、孫の見舞いにとここで失礼する。

3人がパス、赤羽の人と駅で別れ、幕張からの人と秋葉原で別れて新宿へ、小田急で千円チャージしてホームへ、すぐ出る急行に乗ったら快速とかで経堂は勿論成城学園にも止まらず、下北で次を待つ、急行だったので経堂で乗り換え各停に、祖師ヶ谷大蔵で降りて早足で歩き12分で着く、大きな部屋に4人ばかり、9月に会っているから外見はほとんど変わらず病人なのにすこぶる元気、翌日退院とのこと納得する。当初は吸入器やなんかで大変だったみたい。体重は変わらないと言っていたが力がついたのか重く感じた。前に来た時よりかしこくなっているみたいだなぁと、孫馬鹿かと内心苦笑いする。窓からは目の前に東名が見える。カーブして上り坂になってと懐かしい。

抱くのも疲れて話も尽きたので帰ることに。出口を迷いながら外に、そして通りに出て歩くつもりだったがバスが来たので乗ることして成城学園へ、新しくなってから初めてである。迷いながらホームへ、柏行きの急行だったので代々木上原で乗り換えて新宿へ、ゆっくりする時間もないので西口の地下のCCでカレーを食べてバスタへ、すぐバスが来たので乗って一路諏訪へと、しかし一般道路も高速も混んでノロノロ、本を読んでいたので気がついたらスムースに流れていた。いつもながらのとんぼ返りだが東京は行くだけでグーなのである。そして行く度におのぼりさんを自覚させてくれる。

熟し柿

田舎は寒いから渋柿しかなかったように記憶している。そして固いうちに取るのは干し柿でそのまま食べたいときは熟してから取る。田舎にいるときは柿といえば柔らかい熟し柿のイメージがあって東京に来て固い甘柿を食べた時はこんな柿もあることを知った。まずいという印象があってあまり好きではなかった。今は開けたが家よりド田舎という感じの横浜のおばさんのところの畑に大きな柿の木があって、隔年だがびっしり柿が実っていてだれもとらないでほっているのをみてもったいないなぁという思いはあったが固いので取って食べたいとは思わなかった。後に甘柿も好きになり少し柔らかくして食べる甘柿は絶品である。

こちらに来て昔農家だったのかなと思われる家の庭には大体柿の木が植えてある。考えてみれば食べ物が豊富でない時代にはこのような実のなる木を植えて食物とするのは昔の人の知恵だったのだろう。干し柿とすれば保存もきくし食べ物の少ない冬には大切な食物というより今でいう茶菓子のようなものだったのだろう。そういえばあられやせんべいも然りかな?餅は大好きだから餅に関すると生唾が出てくる。どちらも日本人の生活の知恵を思う。

家内の実家の隠居屋に柿の木があって毎年実をつける。去年は粒が小さかったが今年は大きい。気になりながらも時間がなくて取れなかった。この間畑の帰りに少し取って来て、早速家内は柿の皮を剝いて干し柿にしていた。取るのが遅かったから柔らかくなってきたのが結構あって、今は塾柿として食べている。かじりながら汁がこぼれないようにシンクや外で食べていると田舎で熟柿をかじっていたころを思い出しす。

吊るすスペースはそれ程ないので柿の木にはまだ半分以上残っているが冬場の鳥の餌になればグーである。中には手つかずの柿の木やきれいに取った柿の木と様々だが聖書的に言えば残すのがいい。天からの賜物は共に分け合うためにあるもの、独り占めしてはいけない。色々な意味で富んでいるキリスト者は貧しいキリスト者に分け合う義務がある。でないと「富んでいる農夫」(ルカ12:16-21)のようになります。富んでいるキリスト者の皆さ~ん気をつけましょう。貧しいキリスト者より。

2016年11月24日木曜日

雅歌を読み終えて

箴言、伝道者の書、雅歌と読み終える。ここを読むと頭をよぎるのは、上沼先生が誰であったか忘れたが「箴言は若者、伝道者の書は中年(正確ではない)に、そして雅歌は老人に」という言葉を思い出す。そして読みながら納得している。

s_of_s: 5:16
そのことばは甘いぶどう酒。あの方すべてがいとしい。エルサレムの娘たち。こが私の愛する方、これが私の連れ合いです。

リタイアして久しく、働いて糧を得るということから解放されて、貧しいながらも生を存えている。誰かにこんなことを言ったら気が触れたかと言われそうだがイエス様にならなんのテライもなく言える。それだけ年をとったということであろう。肉は相変わらずだが望みは天にある。そこから地上の営みを見るときに元気が湧いてくる。雅歌は乙女の恋の歌ではなくまさにお年寄りのイエス様に対する恋歌であることを実感する。




初雪



朝起きたら外が静かなので窓を開けてみたら白一色、天気予報通りである。10㎝からあるかな初雪でこんなに積もったのはこちらに来て初めて、それに11月に降るのは珍しいのではないだろうか。朝食後に駐車場と道路の雪かきをする。湿っているので雪は重い。雪国はこのようなことは日常茶飯事であろうがここは雪が少ないからたまであれば楽しい。

2016年11月21日月曜日

久しぶりのゴミ拾い

午前中に畑に行き、その足で郵便局のポストに封筒を投函し、そしてちょっと先(下諏訪駅の東側)にリサイクルステーションがあると聞いて、ゴミ拾いをした時に拾った缶や瓶を置いてくる。アルミ缶は近くの「第二この街学園」で集めているのでそちらに持って行っている。水曜日が資源ごみの日なのだがいつも忘れて家のものと結構たまったので清掃工場に持って行くほどでのことでもないしと思っていた。お蔭でたまる一方、これですっきりという感じである。


作業着を着ているので着替えないで食事をした後少し休んで湖岸のゴミを拾いに行って来た。久しぶりである。漕艇場のスタート地点前後から始めてハーモ美術館近くまで拾った。漕艇場の脇に使用していないブイ?があったのが撤去されていてあの辺がすっきりしていた。葦や葦?が打ち寄せていたがこれも少なくなっており河口部分も綺麗になっていたから業者が来て撤去したようである。お蔭でごみも少なく、いつもの三倍近く先までやることが出来た。空き缶はほとんどなかったがゴミは大きい袋に1/3くらいになり前に拾ったのを合わせると七八分目位になってしまった。少ないゴミでもタバコのフイルターが相変わらず多い。それでも最初の頃より見れば激減である。

その後すぐ近くの公園にイチョウの木があり、二本
ばかり実を生らせている。もう大分落ちたがまだ実が成っているので行ってみたら少し落ちていたので拾ったらそれなりにあった。以前に拾ったのを合わせると結構になるかな…。皮を腐らせているのでまだまだ先のようでもある。銀杏もストーブの上で焼いて食べるとおいしい。これもお正月の風物詩?である。銀杏と言えば茶碗蒸しを思い出すがあまりおいしいとは思わなかった。しかし自分で取って、暖かい実は美味しい。気分的なものかもしれないが。

畑も

昼前に畑に行き、しし唐やピーマンが小さな実をつけてそのままだったのを引き抜いて処分する。野菜は暑さ寒さに敏感である。この二つも暑い時は順調に実をつけていたが少し寒くなったら成長はストップしてしまった。他のところではとうの昔に引き抜いている野菜である。実がついているとついそれでも霜が降ったのか葉が枯れてきたので処分することにした。さっさと処分出来ない自分たちを見て貧乏性であることを確認させられる。秋野菜としてホウレン草、春菊、野沢菜と種を蒔いたのだが蒔くのが少し遅かったので成長はちびちびである。たった一週間余りの違いでこうも違うものかを確認させられる。我が家の湖畔端と畑では気温差が少しある。それに山陰になるからさらに条件は悪い。

キャベツ、白菜も大きくなったが一部青虫にやられた。苗から買って来たからその時既に卵を植え付けられたのだろう。芯が食われたようになってしまったのがその面影がないほど葉をつけている。別なキャベツと白菜がやられているが青虫を二、三匹とったから大丈夫のようだ。去年はなかったことである。成長も時期が遅れたかまた季節の所為か大根などは去年に比べると成長が遅い。自然を相手にするとはこういうことである。


ネギももう収穫時、抜いて庭先に植えておけばいいかなと思う。ねぎの種類は任せてあったが太いので美味しそうである。寒い冬の鍋やすき焼きにと思うと唾が出てくる。それと苗が折れているようになっていたたまねぎがシャキッとたっており、ニンニクも順調に目を出している。あまり伸びると冬の霜でやられるそうだからあまり伸びないようにと願う。私は畦づくり専門で苗や種を義兄に任せていたが作業をしながら去年はどうだっけの繰り返しをやっているので来年から種まきや様子をノートをとったりしていかないとと思っている。野菜はデリケートであるから天気と水と肥料とバランスよくやらないといけない。大雑把だから苦手であるがこれもどこかで何かに役立つだろう。


帰りに隠居屋の柿を取って来た。一週間前にT姉妹からたくさん渋柿を貰ったが干し柿にする前に柔らかくなり1/3くらいしか干し柿にならなかった。熟して柔らかくなってしまい。柔らかいのはもうお腹の中に入って早いのはカワヤ?に…。小さい頃は柿と言えば干し柿以外は柔らかく熟したものだった。東京に来て硬い甘柿には抵抗があり、あまり好きではなかった。甘柿でも少し柔らかくならないと食べる気はしなかったように記憶している。この間も松本に行った時JAで信州の甘柿を買ってきたが固い時は少し渋があって柔らかくしてから食べるようにしている。家内がコツコツと干し柿にして正月以降お茶にお菓子ではなく干し柿を食べるようにしている。今年はどれくらいできるか暖かいとこれまただめだし楽しみでもある。家内は大変だが…。

2016年11月17日木曜日

箴言を読み終えて

字面を追うように聖書を読んでいる。今箴言を読み終えた。箴言は一日一章読めば一ヶ月で読み終え、ある意味でデボーションに適切な書でもある。共同訳は題がついていて「序」、「知恵の勧め」、「父の諭し」、「格言集」、「賢人の言葉」、そして25章から29章に「ソロモンの箴言」、最後に「アグルの言葉」、「レムエルの言葉」と区切って題が付いているから分かりやすい。

箴言は知恵が賢者のように語りかけてくる。そして1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」の言葉がすべてを語っているように思う。ものの初めがここにあり、ものの終りもここにある。これを抜きにしては何の意味もない。しかし、キリスト者の中にも結構ここが抜けて物事がなされているような気がしないでもない。私なんかはこの言葉に「世」が糖衣錠のように厚く包まっている。

みことばを実践しようと思えば、この言葉が、
「無知な者も黙っていれば知恵ある者と思われ唇を閉じれば聡明だと思われる。」17:28

しかし、なかなか難しい。沈黙は金と言われるそうだがその沈黙が…。

実際に経験させられたことだが、
「どのような時にも、友を愛すれば
苦難の時の兄弟が生まれる。」17:17

新改訳では、
「友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」

口語訳では、
「友はいずれの時にも愛する、
兄弟はなやみの時のために生まれる。」

とある。私は新改訳の言葉がぴったりする。

詩篇は詩篇で美しいが箴言は短い格言の言葉の中に真理が含まれている。通読の中で読んでいるが詩篇、箴言は別個にも読んで益を受けるところでもある。

2016年11月14日月曜日

芸術ディ-

集会のI姉妹のお父さんが亡くなられ、葬儀をJAの「虹のホールたまがわ」で行われた。信州でJAが経営している葬祭場「虹のホール○○」というのが五十ヶ所近くあり、諏訪地区でも三ヶ所もある。 今年、「虹のホール」を利用された遺族の方々を慰めるために「虹の花束コンサート」というのが催されている。今年で六回目だそうで、松本市民劇場で行われた。無料で遺族だけでなく、姻戚、知人でもよいので誘われて行って来た。

毎年ここで行われているのかわからないがスタッフがあちらこちらと大勢いる。亡くなられたということはその連れ合い、家族もそれなりに年をとっておられるからとの配慮かなと思ったが…。ここのメインのホールは素敵だった。伊藤豊雄氏が設計した劇場とのこと、奥行きが少なく横に広がっている。それに舞台が低い、もしかしたら上下するのかな?どこでもそうだが一番前の客席はオーケストラの演奏ボックスを兼ねている。岡谷市にあるカノラホールとは大分趣が違う。

ピアノ、ヴァイオリン、フルート、サクソフォーンで短い曲、12曲のミニコンサートのようだった。演奏の前後に奏者が曲の説明や亡くなられたご家族のことへの配慮の言葉でクラシックの演奏会という趣は薄らいだ感がしないでもない。しかし、クラシックの演奏を聴くのは久し振りであり、諸々の音楽に疎い者であっても聴いていて生はいいなぁと思った。こんなこと言ったら失礼だが確かに年配の人が多かったから(若者はあまり見かけない)聴衆のそれなりを知ってのことかなとも勘ぐった。

午前中は知人の弟ご夫妻が陶芸展を松本の蔵シック館で展示しているのでそれを鑑賞した。器に花やモミジなどを活けて、コラボのようなことをやっていた。これも素養がなく、どちらかというとお花やお茶を活けたり点てたりする人向けかなと思った。素人であるが好みとしては今一だが活けている花や枝が専門家が行けるとこうも魅力的になる者かと感心する。チョットしたことなのだがプロは違うとあらためて認識する。別な方であるが二階には織物をマフラーやショ-ルを展示していた。軽くて、手織りの所為か肌触りもよくて、こんなの首に巻いていたら暖かさよりもおしゃれになるなぁと思ったがこれも縁なし。

この通りは昔の建物とか蔵の多い中町通りと言われるところで色々な商品もそれに見合ったような商店街であるから明らかに観光客と思われる人も多く見かけられた。そういう意味で城下町は風情がる。館のすぐ近くに松本民芸家具の展示場があって誰でも観れるので覗いたらたくさん展示されていて、なかなかいいなぁと思った。特に椅子は種類が多く、座り心地がとてもいい。それに思ったより軽いのには驚いた。お値段も手が届きそうだがそのお金があれば別なものへと行くだろうなと思い、家もそれなりのものでないと映えない。我が家には合わないことで納得する。

そこから数分のところにある松本市美術館に移動する。新しい建物のようだ。ここの前庭に草間彌生の作品が展示されている。彼女は松本市出身らしい。常設の展示場にもなっている。前庭の展示品はチューリップのようだが茎や色がグロテスクである。ピカソ同様にどこが芸術なのかと素人は思うがしかし凡人にはできない業であることは確かである。独特の才能のある方であることは私でもわかった。若い時に精神的な苦しみを経験されたとかそこからこの作風も生まれたのだろうなと思ったがどうなのかな?

芸術とは対極にある者が幾つかに触れ、やはり芸術の対極にいる者であることを確認させられたがでも美しさ綺麗さ感性調和なるものを経験さしてもらった。人が成してもこれだけ美しく調和が保てるのに神が創られたものに多くの人は目を向けようとしない。我も然りである。神の創られたものの素晴らしさを証ししていかなければと確認させられた。朝出かけて夕方近く帰ってきたがいささか疲れました。でも色々普段目にすることも耳にすることもないものに触れたことはとても良かった。

2016年11月12日土曜日

今日のパン、明日の糧より

癒しと和解の働き   11/6

 この世界にあって、教会はどのようにしてキリストを証しするのでしょうか。第一に、そして何よりもまず、貧しい人々と弱い立場の人々に対するイエスの愛を見えるようにすることによってです。
 癒し、許し、和解、そして何よりも無条件の愛に飢えている世界にあって、教会はその働きを通して、こうした飢えを和らげるように呼ばれています。ひもじい思いをしている人に食べ物を差し出し、裸の人に服を提供し、孤独で寂しい人を尋ね、疎外されている人の話に耳を傾け、対立している人々に一致と平和をもたらす時、キリストについて語ろうと語るまいと、私たちは常に生けるキリストを宣べ伝えます。
 私たちはどこへ行き、何をしようとも、私たちを遣わされたイエスのみ名のもとにいることが大切です。イエスのみ名から外れては、私たちは神からの力を失ってしまうでしょう。


イエスの物語を語ろう   11/7

 教会は、イエスの福音をすべての人々、すべての国々に宣べ伝えるように呼びかけられています。教会は、多くの慈しみの業によって、イエスの愛を人々が目にすることが出来るように励む必要があります。そしてさらに、そのような慈しみの働きの他に、イエスの生涯と苦しみ、死と復活を通してなされ神みの救いの大いなる神秘を、喜びをもって告げ知らせるようにも招かれています。イエスの物語は、宣べ伝えられ、祝福の内に記念されるべきものです。ある人々は喜んで耳を傾けるでしょう。また、ある人々は無関心でいるでしょう。そしてある人々は敵意を抱くことでしょう。イエスの物語は、常に人々に受け入れられるわけではありません。けれども、イエスの物語は語らなければなりません。
 イエスの物語を知って、それを生きようとする私たちには、イエスの物語を他の人々にも伝えるという喜ばしい務めがあります。愛と感謝に満ち心から私たちが語る時、その言葉は実を結びます。私たが実際にその結果を見ることが出来ようと出来まいと。

2016年11月11日金曜日

ボランテァゴミ袋

9月の町の広報誌にボランテァ袋なるごみ袋があることが載っていたので貰ってきてウオーキングの時に拾ったゴミは小さい袋に波打ち際で拾ったものは大きい袋に入れていたが小はまだあるけど大は残り一枚になってしまった。これも2-3回やればいっぱいになってしまうだろう。漕艇場から諏訪よりはよく見える所為かゴミは気持ちなしか少ない。しかし田中線と合流するあたりからペットボトルの汚れているのが目につく、ここは元々葦?が茂っている所なので岡谷の境側と同様に人の目にスポイルされている所でもある。

今日、車の半年点検とスノータイヤの交換でディーラーに車を届けた帰り湖畔端に出て歩いてみた。3キロ余りだが湖畔端からごみを拾っていたら道端にペットボトルや空き缶があったりで小さい袋はいっぱいになる。岸辺の方を見ればペットボトルが幾つか見える。

家に戻ったらディーラーから12時には終わっているからとの電話があり、それに合わせて家を出る。点検するとエンジンの調子が良くなっているエンジン音が軽やかで運転していて気持ちがいい。特別何をしたというわけではないそうだ。そこからホームセンターへ、断熱材などを買い、その足で新しくできたショッピングタウンのレイクウオークへそこに入っているエデオンで蛍光管とインクを買う。ついでに銀行でお金を下ろし、水門近くまで来ているので足を延ばしてガラスの里の前のスタンドまで行きガソリンを入れる。諏訪地区では二番目に安いところである。ここまで来たついでに綿半の脇にあるカット屋さんで髪を切る。帰り役場によってボランティア袋を貰って、ほぼ諏訪湖を一周してしまった。

遅い食事をして車で午前中に歩いたところのゴミ拾いに、いつもはスーパーの袋に入れてボラ袋に入れるのだが車なので大きいボラ袋に直接入れる。すぐ大きい袋はいっぱいになる。次の袋も半分くらいに缶や瓶はスーパーの袋二つにもなった。前からのと外の水道のシンクはいっぱいになった。新しい缶はほとんどなく、中にはアルミ缶の底が腐っているのもある。ペットボトルも然りである。よくまぁ捨てたもんだと感心する。後は漕艇場近辺から諏訪市より二と思っているが二三日前にゴミ拾いしたところでももうペットボトルが何個が見かける。それでも前に比べればタバコの吸い殻は少なくなった。週一の感覚でやっていたが今週はもう一回できたらと思っている。正直どうでもいいことに身を入れて肝心なことはスポイルしているみたい。高浜交差点よりのところもペットボトルが目につくしさむくならないうちに一通りのことをできたらと思う。それでもまたゴミは出てくる。まさにいたちごっこである。それでも始めたころに比べればゴミは少なくなったような気がする。パンくずならぬゴミくずを拾ってなんの益を受ける? 




2016年11月10日木曜日

今月のみことば

 誰もが幼児洗礼を受けることが当たり前であったヨーロッパにおいて、再洗礼を受けることが命がけの時代があった。再洗礼主義とは(1)洗礼を受けるのは信者に限る、(2)いかなる政府も宗教的信条を強要してはならない、という、今日で言えば当たり前のことを言ったすぎない。しかし、そのために受けた迫害の厳しさは、ローマ帝国時代の迫害よりも苛烈であった。◆人々は火刑、または斬首にされ、またそのお尋ね者として賞金がかけられた。彼らの匿(かくま)ったり、食物を与えた者も罰せられた。◆この再洗礼派の指導者の一人が、メノー・シモンズ(1496-1561)である。もともとは司祭であったが、あることがきっかけで聖書を真剣に読み始めた。そして上記のような確信に至り、安逸な生活を捨てて、再洗礼派の群れに加わったのである。◆「再洗礼派の牧師給とは、火と剣、そして死である」とシモンズは後に記している。彼の及ぼした感化は深く、メノナイト(メノー派)と呼ばれる教会の源流は実にここにまでさかのぼる。
◆洗礼を受け直す、ということがなぜこれほどの重罪とみなされたのであろうか。信仰に関して国家の統制を受けず、聖書のみに従う、という再洗礼派の人々が為政者の権威を脅かす危険な存在に映ったであろうことは想像にか難くない。◆原語の「バプテゾー」(動詞)には、「浸す」「一体化する」という意味がある。それは染料に布を浸すときにも使われた。布が染料と同じ色に染まるように、罪なき神の御子の義を我が義とし、キリストの死を我が死とし、キリストの復活を我が復活とする、というのはまさに洗礼(バプテスマ)の神髄である。
◆その霊的現実を表す洗礼が現代のように自由にできるようになるまでには、信じられないほどの犠牲があった。「なぜそこまでして洗礼の仕方に固執するのか」と問う声が聞こえてきそうである。しかし、それに対するメノー・シモンズの応答もまた明らかなように思われる。「人に従うより、神に従うべきです」と。

                  長野キリスト集会
11月号 月報より

2016年11月4日金曜日

ある思い

今はどうかわからないが昔はお母さんが繕い物をしている脇で幼い子供が夢中になっておもちゃで遊んでいるという光景をよく見かけた。子供はお母さんが居なくなってもそこにいると思って夢中で遊んでいる。フッと振り返るといなくなっているのに気がついて不安になって泣き出すという光景はTVなどでも見かけたような気がする。そんなことを経験した子供は遊びに夢中になっても時々「お母さん」と顔を向けないで声だけ発する。そしてお母さんの「な~に」の声でいることを確認して安心するという構図もTVで見たことがある。

私は熱心からほど遠い信者であるから聖書に登場するダメ人間にリンクしてしまう。サムソンが自分から力が抜けているのに気がつかないでまたひと働きしようと出かけて捕らえられている姿は自分とダブる。サムソンのような力は元々ないのだが…。初代の王サウルも然りである。霊が消えているのに頑張る姿はまさに悪魔に捕らえられた姿そのものであろう。

聖書を読むと鳥瞰図のようによく見えても自分であることがナタンに指摘されたダビデのように気がつかないのである。義憤は気をつけないと罪を犯してしまう。それを防ぐには神に語りかけるようにして祈らないとと思っている。

2016年11月2日水曜日

座禅

下諏訪にある禅宗のお寺で座禅をやってきた。座禅は富士見町のお寺で三回、ここで二回目、一年に一回くらいだから細かいところは忘れている。それにあまり覚えようとしないことと老いの相乗効果で覚えない。

座禅をやって教えられることは普段がいかに姿勢が悪いかである。最初は半開きの目でシャッキと坐っているがすぐ腰が引いて猫背っぽくなるのである。10数分の間に何度か姿勢を直した。そういう意味で一年に一回くらいやるのも悪くはない。禅をこよなく愛する人にはチョット失礼かもしれないが。ここのお寺は手軽に座禅をと入門的なところなのかもしれない。以前やった富士見町のお寺はもっと本格的で30分近く座っていた。私にとっては苦行である。

禅の始まりはお釈迦様が6年間苦行しても悟りを開けずこれでは駄目だとやめて座禅を組むようになって悟りを開いたらしい。話を聞いていて聖書が語る人間観が違う。お坊さんが言っていたが仏教は哲学であると、よく分からないという意味では然りかなと思った。

聞いていて仏教の「無」と「わたしはある」と言われたイエス様と大きな違いがあるなぁと思った。人にはどうすることも出来ない「生老病死」に代表される四苦八苦、ここからの解決は聞き洩らしたが聖書はそのことよりも存在しているそのことが大切であると語っている。仏教は「四苦八苦」に代表されるように対症療法的なのかもしれない。

2016年11月1日火曜日

貧しい人

50代の前半に田舎で同級会があった。20代前半に出たきりだから女性陣はほとんどわからなく、男性陣もわからない人が多くいた。その時招かれていた先生が(3年生の時の担任でもあって、色々お世話にもなったがその頃はそんな心のゆとりはなかった)挨拶で「昔は貧しかった。云々」言っていたのを聞いて「俺は貧しさは今も現在進行形だぜ」と心の中でつぶやいたことがあった。これも大分前の話だが以前いた集会で交わり会があり、その時にもある兄弟が同じようなことを言われた。私の番になって「貧しさは今も現在進行形であり、それに加えて心も貧しい。しかし、イエス様のどちらも幸いなりと言っているから感謝している」と言ったことがあった。どこか白けた雰囲気が出たことをよく覚えている。正直、幸いなりは現実なのだが強がり的な面もあったことも事実であった。

しかし、最近思うに〇の貧しさは現在進行形ではあるが心の貧しさは違うのではと思うようになった。イザヤ書42章、49章、50章、52章の後半から53章にしもべの姿が語られている。これこそが心の貧しい姿ではないだろうか。特に53章は十字架に向かって行かれたイエス様をそのまま髣髴とされる。あの姿こそが「心の貧しい者」の姿である。私にはない。実は自分で心が貧しいと思っていたし事実であったが糖衣錠のように心の貧しさの上に傲慢と不遜が覆っていたことに気づかされている。これが砕かれなければ真の心の貧しい者とはならないだろう。この殻を破りたい。

今日のパン、明日の糧より

10/30   中心にある最も弱いもの

 体の大事な部分はリードし、制御する頭や手ではありません。最も重要な部分というのは他よりも格好が悪いと思われる部分にあります。それが教会の神秘です。教会の中心を形つくるのは、私たちの内で最も弱い人々―老人、幼子、障がいを持った人、心の病を患う人、飢えている人、病気の人ーです。抑圧から自由へと呼び出された者である私たちはこのことが分かるに違いありません。パウロが言っています。「私たちは、体の中でほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆って、もっと格好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします」(1コリント12・23)。
 神の民である教会は、貧しい人々が教会の最も大切な部分である時、私たちの間におられる生けるキリストを真に姿、形ある方として示すことが出来ます。貧しい人々を思いやることは、キリスト教的慈善事業をはるかに超えるものです。それは、キリストの体となることの本質です。


10/31   貧しい人々に焦点を合わせる

 この世のあらゆる組織と同様、教会も常に腐敗の危険にさらされています。権力と富が教会に入り込むや否や、ごまかし、影響力の悪用、誰の目にも明らかな腐敗に向かっていると言えましょう。
 どうすれば教会の腐敗を防げるでしょうか。答えは明らかです。貧しい人々に焦点を合わせることです。貧しいにと人々によって、教会はその本来の召命に忠実であるよう仕向けられるからです。教会がもはや貧しい人々の教会でなくなった時、教会はその霊的な本来の姿を失ってしまうでしょう。そうなると、不和や妬み、勢力争い、心の狭さなどに捕らわれてしまいます。パウロが言っています「神は、見劣りのする部分を一層引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています」(1コリント12・24-25)と。これが、まことのヴィジョンです。教会に弱い苦しい立場の人々が与えられているのは、キリストの体である教会が、互いへの思いやり、愛と平和の見出せるところとなり、そうあり続けることが出来るためなのです。

諏訪湖一周

このところお天気が今一で朝起きた時には日が差しているので布団を干そうと思っていたらいつの間にか曇りになっているということが多い。今日も然りで
布団を干して間もなく曇ってきた。それでも時々陽が差しているのでそのまま干していたが段々濃い雲が広がってきたのでついに取り込んだ。私のは少し黒っぽいので少し暖かくなっていた。夏でもそうだが白っぽいのと黒っぽいのでは熱の吸収が全然違う。これからは特にそれを感じてくる。暖かい日々よさようなら招かざる寒さよこんにちはである。

昼食後、玉ねぎとニンニクの植え付けのその後を見に行き、剝がれている黒マルチの渕に土を被せたり、少し手直しをしてきた。大体根づいていたが3本ばかり根づきが悪そうなので移し替えて、ニンニクももう芽が出ているのが二三あった。ダイコンはまだだが白菜・キャベツは大きくなって段々玉になりつつある。今回は虫に食われたりしていたがこれはうちだけではないようである。

暖かいというほどでもないが寒くはないので意を決して自転車で諏訪湖一周にチャレンジする。今回は反時計回りで釜口水門、湊と走る。走り出した時は膝が重くこれでは3キロ余りの釜口水門でUターンかなと思いながら走っていた。しかし、釜口水門を渡り湊側に走り始めたら膝も軽くなって負担を感じないまま走り抜けることが出来た。ジョギングコースは路面が柔らかいのでこぐのに力がかかる。本当はそうしたいがちょっときついので歩道をほとんど負担なしで走れた。ただ難は数メートルおきに境のへこみがあるのでゴツンゴツンとお尻に響くからガラスの里まですぐわきの旧道を走る。走る車もまばらだから安心。

ガラスの里から湖畔端を離れ裏の田んぼの農道を走り、汚水処理場の裏を通って一本道ではないがゴチャゴチャと走って高島城に、それから更に路地?を走っていたら上諏訪の温泉街に出た。ここから湖畔端を走り、車道の狭い歩道は少し走って足湯の先から専用歩道がジョギングコースと並行してあるのでそこを走る。下諏訪に入ったらコンビニの袋が捨ててあるのでそれを拾ったり、他にペットボトル、菓子の袋と二三拾って小さい袋にいっぱいになった。
いつも歩いているところの歩道も湊と同じでゴツンゴツンする。これが嫌なのでイオンの裏側にあたる道に入ってきた。ここはちょうど我が家の脇に出る。ただ幾つか一時停止の看板が出ているので一々止まるのが面倒だがそこは適当に安全を確認して走る。
一周16K、しかし回り道もしたから20Kと言いたいがまぁ少なくとも18Kは走ったかな休みなしで1時間半余り、無事帰って来てちょうど水戸黄門が始まっていたのでコーヒーとお菓子でくつろぐ、今回も「ここまで出来た」の確認の走りだった。チョット発想は貧困だがズーと聖書関連はパスしていたのでその端緒につけたかなと思っている。事実、クリスマスのポスターの試作を仕上げた。それと二版の聖書を分冊にして普通のは五書、歴史書、諸書、新約と分けたが(これ割と便利)チェン式は旧約11冊、新約3冊に分冊していたのでこれが薄いため背に聖書名が書けない。なんとかと思いながらそのままになっていたがパソコンで聖書名を打つことに思い付きパソコンで聖書名を打ちプリントする。ここで個々に切ろうと思い始めたが老眼の所為で蛍光灯の灯りではボヤッとする。老いを確認して翌日に持ち越す。聖書の勉強とはいかないが「真面目のま」当たりに来たかなと思いつつもいつも足踏み状態になることが多いから結果が出てから・・。しかし、後ろめたさがあったからこれを機会にと思っている。

祈り

午前中は聖書を読んだり祈ったりすることにしているのだが…、最近それが覚束なくなっている。といっても今に始まったことではないが。このところ寝るときと目が覚めて起きる前に布団の中で祈っている。祈りと言うより主に語りかけるような言葉を発している。寒くなって来ると布団の中が家内より愛おしくなるから(愛おしい?と言われそうではあるが)この度合いは増してきそう。こんな歌がある。

「おかあさん おかあさん 
 おかあさんてば おかあさん
 なんにもご用はないけれど
 なんだか呼びたい おかあさん」 

      作詞:西城八十 作曲:中山晋平

まさにこのような思いで「用」はあるけど主に語りかけて祈りとしている。敬虔なキリスト者から見たら不届き千万であろうが私はいたって不敬虔なキリスト者であるからあまり気にしない。幼児のような祈りをしたいものと願っている。