2016年12月31日土曜日

孫の面倒を


息子から電話があり「年末で保育室がお休みなので子供を」と言われ、今遠い信州から東京に来ている。寒い信州から暖かい東京へと喜び勇んで来て見たが寒い、信州とあまり変わらない感じである。多摩の下の息子を宿に世田谷の息子の孫の面倒を見るために朝まだ暗い6時半ごろ家を出る。昔設備の仕事をしている時を思い出した。あの時も暗いうちに家を出て駅に着くころ白々と明けてきた。タイムスリップしてこんな経験をするとはと思ってしまう。

子どもたちが小さい時の経験は殆んどナシであるからこちらはタイムスリップなしである。家内と一緒だから細かいことは家内に任せとと臨んだがこんなに手がかかるとは思わなかった。いかに父親として手抜きをしていたかが如実に分かった。なんせ二人の息子のオムツを変えた記憶は数回もない。仕事が集会の奉仕が優先する時代だった。それでもちゃんとやっていたご夫婦は多かったが私にはそんなゆとりはなかった。主が第一は集会第一みたいな雰囲気があり、本当はそうではないのに信仰に忠実みたいな錯覚を起こしていたようだ。お蔭で息子たちは…とワンパターンのように書いてしまう。

お母さんが出かける時あらん限りの鳴き声を上げていたからどうなることかと思っていたら少し経つとケロッとして遊びだし、人見知りもせずに相手にしてくれる。保育室に通っているから親以外の人と接するからその所為かなとホッとする。それと食べるときの勢いの良いこと限りなしである。ニコニコしながら大きな口を開ける。しかし、少し手間取ると体をそっくり返って泣きわめく、あげる順序が自分の思いと違う時は同じようにやるから中々手こずる。オムツも昔と違ってよくなっているから楽である。オムツ替えもこの三日間で二人の息子たちの一生分をやってしまった。誠に息子たちには申し訳なく思ってしまった。暗くなりかける頃から少しおとなしくなるのでお母さんが迎えに来る頃を知ってその時間を感じるのか少しおとなしくなる。しかし、お母さんもお父さんも帰って来ても飛び上がるほど喜ばない。面白いことをやると一緒に喜びながら遊ぶ、それでも親がそばにいる安心感みたいなのが何となく感じる。本をと思って持ってきたが何も読めなくて楽しいようなしんどいような三日間であった。明日は以前いた集会の礼拝に8年ぶりかで出席できるのが楽しみである。そしてその後、嫁さんと孫を乗せ、孫の面倒見で疲れてしまった家内を多摩で拾って信州諏訪へ、嫁の実家に二人を下ろしていつもの生活に戻る。貴重な年末になり、来る年もいつもと違った年始にそして一年になってくれることを望みながら…。

2016年12月27日火曜日

イザヤ9:6 思考



イエス様が誕生する700年前にイザヤが預言した言葉。

isa 9: 6
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

「緑児」(ミドリゴ)
新芽のような子という意味で、生まれて間もない子、赤ん坊(Weblio辞典より)。今は嬰児(ミドリゴ、エイジ)か?。


isa 7:14
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。


「不思議な助言者」 
並はずれた、驚くべき、人間の考えをはるかに越えたみわざをなす助言者(あるいは指導者)を意味します。(牧師の書斎より)

john 21: 3-6に漁師のプロが徹夜しても何も取れなかったのに「右舷に網を下ろしてみなさい」という言葉に従ったらおびただしい魚が獲れたことが記されている。英語では「Wonderful -Counselor」というそうだ。john 4: 3-29にサマリヤのスカルで井戸の傍らで訳アリの女性との会話が記されている。短い会話の中で彼女を変えてしまった。人生を斜(ハス)目で見ていた彼女が前向きで生きて行こうとしている姿が垣間見れる。
たった一言のことばが大きなわざをなし、たった一言のことばが人生に失望している人を立ち上がらせてくれる。福音書の中だけではなく今日も然りなのである。


「力ある神」
日本の神々は何かをしてくれる神である。商売繁盛、家内安全、そして学問の神様と色々な神々が存在している。聖書は「神は唯一」と言っている。そしてすべてのものを創られた。製造会社が自社製品に対してメンテをしてくれるように神も同じようにメンテをしてくれる。「はなはだよかったもの」から「はなはだ悪しきもの」、すなわち罪へ、そして罪人から義人へと人間改造である。変えることが不可能なこのことをいとも簡単にできるようにしてくださった。「信じる」ということを通してである。これには膨大なエネルギーが費やされている。「受肉」という推し量ることの出来ないエネルギーである。

「永遠の父」
永遠に御父を啓示される方、証言される方という意味で「永遠の父」と呼ばれます。(牧師の書斎より)

eccles: 3:11 
  神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
  神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人
  は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりま
  で見きわめることができない。
口語訳聖書
eccles: 3:11
 神のなされることは皆その時にかなって美しい。
 神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
 それでもなお、人は神のなされるわざを初めから
 終りまで見きわめることはできない。
共同訳聖書
コヘレトの言葉3章11節
 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、
 永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、
 神のなさる業を始めから終わりまで見極めること
 は許されていない。

誰にでも「永遠」を想う思えはあるであろう。人の営みが地上のみであるなら人生はなんと空しいものであろうか。

「平和の君」
7節に「その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える」とあるように、これは地上におけるメシア王国(千年王国)において実現する平和(「シャーローム」שָׁלוֹם)を意味しています。(牧師の書斎より)

キング牧師
I Have a Dream(私には夢がある)」
非暴力でアメリカを変えました。
暴力主義?のマルコムXともに暗殺されました。
彼は多くの人に影響を与えたようです。その中にモハメド・アリもいました。
しかし、その働きは消えていきました。

マンデラ大統領
 彼も非暴力で南アフリカを変えました。経済政策はうまくいかなかったようですが。

蒋介石
「以徳報怨(イン)」(徳を以って恨みを報いず)と言って日本人を解放してくれた。

毛沢東
数千万人殺したと言われている。暴力で国は成り立つのだろうか。否であろう。かつてある国も「皇国史観」に立って暴力を振るってきた。その結果は…。

神は「平和の神」である。

先々週の日曜日にクリスマス会でピアノの演奏を聞き、その土曜日には教会のクリスマスコンサートで合唱団の合唱を聞いた。ハーモニーが美しく感動する。
私もピアノの前に座って鍵盤をたたいて音を出すことが出来る。私も声を出して歌うことも出来る。
しかし、そこには美しさも調和もない。罪からくるものに美しさも調和もない。美しさや調和は神からくるものである。罪によって損なわれたが創造されたものを見るときにそれを見い出すことが出来る。

立ち泳ぎは顔は平気そうに見えても、手足をばたつかせないといけない。人も顔は平安そうに見えても心は悲しみや苦しみ、葛藤が絶えずある。心に真の平安はない。罪の世界はこういうものなのである。真の平安は神から来るのである。

イエス・キリスト
盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

いのちを得るとは
神様と人との関係が修復されることなのである。

私たちにいのちを与える為に、イエス様は人として、この地上に来られた。このことをイザヤは700年前に既に告白されている。そして、さらに二千年経って、地の果てにまでこのニュースは届けられ、多くの人たちがいのちを得ている。

2016年12月21日水曜日

クリスマスチャペルコンサート

義姉の幼友達が岡谷合唱団に参加している。どこでもそうだが合唱団も高齢化と発表する場がなくて苦労しているらしい。それでか教会とコラボ?して「クリスマスチャペルコンサート」なるものを催している。今年で三回目とか教会では恒例になっているようだ。彼は叔母の法事とかで参加できないので聴きに行ってほしいと言われて案内を貰ってきた。折角案内を頂いたので聞きに行って来た。プログラムは一部と二部があって、一部は「日本のうた」二部は「クリスマスのうた」その間に牧師のお話があった。

牧師の話はマタイによる福音書2章10-11節より東方の博士の訪問から話されたがクリスチャン向けに語られたり、ノンクリスチャン向けに語られたのかと思うようなどこか中途半端な感じを受けた。もしかしたら聞かれる人の聖書をどれだけ知っているかが掴み兼ねたのかもしれないなと思ったがどうだろう。聞く者のサイドで話すか聖書をストレートに聞く側の聖書知識の云々を無視して話すかで大分違うなぁと思った。後者は福音を語っているようで自己満足的になりやすい。それと福音的な教会なのに今も口語訳聖書を使っているのには驚いた。聖書協会だと共同訳があるのにと思ったが事情があるのだろう。

一部日本のうたで最初とアンコールで歌ってくださった「ほらね」は初めて聞くが東北震災の歌だそうだ。そして「里の秋」、「小さい秋みつけた」、『重なりある手と手」、「花は咲く」、「この道」、「麦の唄」と歌ってくださった。ハーモニィがとても良かった。最後の曲はどこかで聞いたようなメロディだなぁと思ったら朝ドラの「マッサン」の主題歌だった。懐かしい歌、初めての歌、色々でよかった。

二部クリスマスの歌は「きよしこの夜」、「子らよほめまつれ」、「荒野のはてに」(讃美歌78)、「さかえあれ まことの おんからだ」、「すばらしい恩寵」(アメイジンググレイス)、「さやかに星はきらめく」、「ハレルヤ・コーラス」そして賛美歌86「み使いのたたえ歌う」、112「諸人こぞりて」、103「牧人ひつじを」、109「きよしこの夜」と最後は全員で合唱、そしてアンコールを歌って終り。

ピアノの演奏も合唱もハーモニィが大切、ハーモニィは神からのものであることを実感する。クリスチャンでない人が賛美歌をと?を呈する人がいるがそれも一理あるが美しいものは美しいではないだろうかと思う。それを醸し出すのは神なのである。知らないで神を賛美している人もいるだろうし明らかにノンと思って歌っている人もいるだろう。「青銅の基督」にあるように想いこみはよくない。いいものはいい、悪いものは悪いでいいと思うが…。わがクリスマスと比較するつもりはないがピアノ演奏と合唱の違いはあるが場所もメッセも私たちの方がよかったなぁと内心思った。勿論誇るつもりはないし余韻は両方とも良かった。

余禄として、帰り自転車で帰る若い男性がいたのでよく見たら下諏訪教会の牧師だった。駐車場まで少し話すことが出来たいつか交わりたい。24日夜クリスマス礼拝と案内をいただくが翌日に話の順番になっているので無理かなと…。

2016年12月17日土曜日

イザヤを読み終えて

ようやくイザヤ書を読み終えて、今エレミヤ書を読み始めている。今までは前半はそれほど好きではなかったが今回はそのような感じも受けずに後半と同じように読むことが出来た。格調の高さはイザヤの育ちの良さの所以だろうか。エレミヤ書を読み始めるとその差が歴然としている。エレミヤ書は戦後間もない日本が現実に生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて、生きることの厳しさを目の前にして右往左往している姿とダブる。イザヤ書は立ち返れと叫ぶイザヤに民は安逸をむさぼっている。いつか滅びるであろう民を目の前にしてイザヤの苦悶もうかがえ知れる。今の日本ともダブる思えがする。

主の僕としてイエス様を共同訳では「42:1-17に主の僕の召命、49:1-9に主の僕の使命、50:4-11に主の僕の忍耐、52:13-53:12に主の僕の苦難と死」と題がついている。最後が最も好きで、聖書の箇所をどんどん忘れるていくのにここだけは覚えられる。聖書はこれだけあればと思うこともある。しかし、エレミヤ書を読み始めるとエレミヤの苦悩が伺い知れてどこか共観するものがある。

今日のパン、明日の糧

平和の国   12/10

 造られたものすべてが共に、造られた方のみ腕にあります。すべての男女が、自分たちはお互いに兄弟姉妹として、一つとなって生きるように召されているというばかりではなく、神によって造られたものすべてが、完全な調和の中で一つに集められということを悟る、それが最終的なヴィジョンです。キリスト・イエスは、そのヴィジョンを実現するために来られました。イエスが生まれるはるか前に、預言者イザヤはそのヴィジョンを見たのでした。

 狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。
 子牛は若獅子と共に育ち 
  小さい子供がそれらを導く。
 牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏す
  獅子も牛も等しく干し草を食らう。
 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 
  幼児は蝮の巣に手を入れる。
 わたしの聖なる山においては 
  何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
 水が海を覆っているように 
  大地は主を知る知識で満たされる。
                 (イザヤ11・6-9)

私たちはこのヴィジョンを生かしつづけなければなりません。


新しい天と新しい地   12/11

 イエスがお生まれるになるはるか前に、預言者イザヤは、キリストによってなされる、すべてのものを一つにする救いの業のヴィジョンを受けていました。イエスが亡くなられた後何年も経って、愛された弟子ヨハネにも、別の、しかしよく似たヴィジョンが与えられました。ヨハネは新しい天と新しい地とを見ました。すべての被造物がキリストの完全な花嫁となるために、不死の衣をまとって新しい姿に変貌していました。ヨハネ幻の中で、復活されたキリストは玉座から語りかけられます。「見よ、私は万物を新しくする。…見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙示録21・5、21・3-4)
 イザヤもヨハネも、キリストの救いのみ業はすべてのもを包み込む性質のものであることを、私たちの目を開き、教えてくれます。


付記
久しぶりの活字を見ながらのブラインドタッチはスムースに動く指とブレる指があって少し戸惑う感もありで、少しづつでもやっていることの大切さを教えられる。頭も同様である。しかし、ここはぁ~。ここがよりどころなのである。
isa:49:16
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ

2016年12月16日金曜日

二つの異変

前にも書いたがブログをやっているのは何かを発信するためではなく、文章を打つことによって文を纏められるようにとの訓練とボケ防止、それにブラインドタッチの練習なのである。

いつもはアクセスは日本がほとんどでヨーロッパのあちこちで合わせて数件のアクセスがあるくらいなのに14日から急にアクセスが増えてきた。よく見たらロシアで日本の数倍にもなっている。ある兄弟のブログは一日数百件とか私の一ヶ月のアクセス数より多い。それに比べたら一桁違うのだがそれでも異常である。日本以外は読むためのアクセスではなく、なんかの間違いだろうくらいに思っている。今もそうだ。

何故と思ったら今プーチン大統領が来日している。その所為かなとロシアに帰ればまた元に戻るだろうと思っている。

それともう一つ。この間のクリスマス会の後の夕食を我が家でやった。みんな帰って片付けしていて最後に電気釜が残り、それを持ってくるように言われ「承知した」と言ったのに戻ったら「電気釜は?」と言われきれいに忘れていたことを思い出した。最近スーパーで買い物をして帰って来て家に入ると家内に「買い物袋は?」と聞かれ、車から持って来るのを綺麗に忘れている事に気づかされる。自分に直接関係ないと綺麗に記憶から消えている。買物でも大福を買ったりとか自分の好きなものを買うと忘れないのだが…。この年になると覚える必要がないのは覚えなくてもよいということだと見栄を張っているがどうも認知に一方踏み入れたようである。ここからなだらかなカーブを描くか急カーブになるかの瀬戸際である。

細胞は新しくともDNAはしっかり「老い」を刷り込んでくる。気力、体力、記憶力が衰えて嫌だという人は多い。しかし「主は必要でないものをお与えにならない」とよく言われる。ということは気力も体力もそして記憶力ももう必要がないということだ。楽でいいではないか嘆くことなんか論外、感謝すべきではないかと思っている。正直まだ元気でいるからこんなことが書けるがいざとなったらどうなるだろう…。

一足早いクリスマス


ネットで観ていると教会のクリスマスが12月早々に始めているのを散見する。子どものクリスマスは以前からよく見かけたが大人向けでは今年は多いような気がしている。実は私たちのクリスマスもこの11日に諏訪湖畔端のハーモ美術館のホールを借りて行われた。今年で二回目である。ここではよくコンサートを行われるようで、それはピアノがあまり聞き慣れないオーストラリア製のベーゼンドルファー225と言われるものでどうも小さな家が一軒建つほどのものらしい。メッセンジャーも演奏される方ももう6回目になる。そして母娘連弾は三回目に、素人目にも息があってきたような気がする。

メッセージの前後に演奏してくださり、幾つかの曲名は分からず音楽には疎いものだが生で聞く演奏は素人でも感動する。私は鍵盤をたたくことは出来るが音楽にはならない。演奏者の20本の指が巧みに動いて、そして力ずよく響いて来る。演奏を聴きながらハーモニーの美しさを実感した。神が創られたものには調和があり、美しい。罪の世界はそれを壊しているように見受けられる。怒り、憤り、殺戮、平和であるように見えるが心にそれがない世界である。演奏を聴きながら神が創られたものがいかに美しく調和を持っているものであるかを思い浮かべ、罪はそれを破壊するものであることを実感させられた。

メッセージも韓国から帰って来たばかりなのでお疲れかなと心配したがそんな様子は微塵も見られず力強く語ってくださった。諸集会は「罪だ滅びだ救いだ」とストレートに語られることが多かったように思うが彼は神がおられること神の本質は何であるかを語ってくださって初めて聖書の話を聞かれた方もそれ程抵抗感なく聞かれるような話をされる。

続けてきて下さった方や新しい方と色々だったが好意的に聞いてくださった方も信仰、集会にと結びつくには至難かなと思わされた。でもこれがなければ先に実を結ぶことは出来ない。誰かが種を蒔き、誰かが実を刈り取る。私たちはその過程の中のどこかに参与しているのである。そのことが感謝なことでもある。

M姉妹は英語が好きで今軽井沢で英語と聖書が勉強できるSYME JAPANというところで勉強している。来年1月にはアメリカでの一ヶ月間の研修旅行があるらしい。英語と音楽が苦手な私には驚きというより唖然とするばかりである。そこのスタッフの方々14名が来てくださった。日本語のよくわからない方もおり、音楽は別としてもメッセージは?と思ったがケーキとコーヒーが用意されてい寛ぐ時間もあったからそれはそれで良かったのかなと、お陰で用意した椅子のほとんどが埋まりホッとしている。M姉ありがとうございました。

Y姉、M姉の母娘のハーモニーの美しさにいかに多くの練習を重ねられたが伺い知ることが出来脱帽。遠い千葉から運転してくださり、マネージャー的働きをされたI兄ありがとうございました。また、この小さき群れにいつも奉仕してくださるM兄そしてファミリーこの一年ありがとうございました。私たちは何もできなかった分主からの慰めと祝福があることを確信している。私たちもこのことを通して少しでも成長できたらと願っている。クリスマスおめでとう。

2016年12月14日水曜日

友、遠方より来る

長く療養されていたK姉妹が召されて召天式に列席した大阪のN兄が岡谷インターから大阪に帰ると前橋から我が家に電話をくれた。しかし、義姉を眼科に連れて行く日で夕方6時までに帰るからゆっくり来てとお願いして出かける。電話を貰ったのは10時頃だから昼飯をそしてゆっくり?交わるつもりだったのだろうが残念ながら予定が狂ってしまった。定期検診のようなものだから特別異常はなく、彼女にとってその後にどこかで食べるのが楽しみであるのだが今回は事情を話して近くのラーメン屋で、持ち帰りを作って貰って急いで帰ってきたが6時を10分ほど過ぎてしまった。もう5時頃ついていたらしい。パソコンで仕事をしていたから平気だよと言われたが申し訳ない。それから近くのファミレスへ、帰って我が家でコーヒーを久しぶりなのでつい私の方が話し込んで8時半を回ってしまった。

10年以上会ってなかったと思う。彼が東京に居た時は私たちの近くに住んでいてよくスクーターで来ては何か食べる物ないなどと冷蔵庫を開けて家内に何か作らせていたこともあった。私が家内に何も買ってあげないので「金の指輪」を作ってくれたりして気兼ねのない兄弟である。お互い好き勝手なことを言い合う仲だった。今回も然りである。私はぼけ、彼は白髪が増え、私はリタイア、彼は大阪の会社ではトップのようだ。一番いらくなっているというのにお互いに成長していない証拠なり…。親子ほど違うから彼が私に合わせてくれたのかな、成長していないのは私の方のようだ。それでもうれしかった。今度会う時は天国だと分かれたが一路大阪へ早くても4時間はかかる。ご苦労さんでした。いつかご夫妻で蒸し暑い大阪から自然いっぱいの信州へと願うが…。

それから間もなく、珍しく電話が鳴る。取ると「○○さん」とどこかで聞いたことのある声である。3-4か月前かお母さんが亡くなられたことを知って手紙を書いた。雑文で汚い字だったから気分を害されたかなと思っていたがそうでもなかったようだ。その時はそれだけだったがご両親に色々お世話になっていたので秋になったらリンゴをと思って送った。何もなかったのでたくさん色々と頂き物があるので一々何もしないのだろうなと思っていた矢先だった。電話をとり多分そのことだろうとそしてタイムスリップして話し出す。私よりもと家内に変わって、また長々の話をする。女同士、母親同士の分かり合えるものがあるようだ。彼女も色々苦労しているらしい。でもどこか逞しい。

それとご主人は私と一緒にバプテスマを受けた。彼は中学生だった。10歳違うが今は病院建築設計の第一人者のようだ。アメリカで仕事をしていた関係で病院建築で英語が出来る人は珍しくひっぱりだこだことのこと、私は相変わらずだが周りはみんな雲の上の人になっていく、もうすぐ天国と言っても少々寂しい。丁度果物だけのダイエットのようなことをやっているので大きくておいしいと喜んでくれたがお役に立てて私たちも嬉しい。たまにはこんなダブルでグーの時もある。珍しく心浮き浮きした一日の終わりだった。

2016年12月8日木曜日

久しぶりのうなぎ

朝早くケアハウスから電話があり、義姉に何かあったのかなと少し身構えて応答するとデイサービスに行っているところでリハビリ的なことをやっている。そこで次の動作をしようとして体を横に動かした時に肋骨の下の脇あたりを痛めたらしい。そして医者へとのことだった。ここはかかりつけの病院はあるが彼女はそこを嫌って国立の松本病院へ定期的に通っている。といっても二月間隔だが私は町の眼科へ一ヶ月半間隔で連れてって、義妹が松本病院へと分担している。緊急なので私たちが行くことに、いつも行く松本病院は車で20分位、しかし、整形外科は同じ系列で中信松本病院というところに行く、ここはケアハウスから7、8分くらいのところにある。ここは来年完成予定で松本病院に統合する。既に工事は始まっているようである。

早速といっても10時頃になったのだが病院に連れて行ったら初診者の受付は休みで予約のみ、それほど痛いわけでもないので翌日に行くことにした。早々に帰って来る。といっても帰ってきたのは2時過ぎになった。混むから7:30から予約受付をしていますとのことで、翌日は家内をケアハウスに降ろして病院に、受付に行ったらすでに8:30になっていて受付が始まっていた。もう予約受付は関係ない問診書を出され、書こうと思ったら本人でないと書けない。それに保険証などの入っているバックを預かってきたのだが肝心の保険証がない。後期高齢者のグリーンの証書があり市役所に確認してくださりOKがとれた。問診書を外来受付に渡して迎いに行く、連れて来て問診書に書き込んでもらって診察を待つ、レントゲンを撮りどの位か待っただろうかそのうち呼ばれて、骨に異常はなく、湿布薬を貰って様子見ということになった。大したこともなくホッとする。年をとるとチョットした動作で倒れそうになっでどこかにぶっつけると骨折にということが割と多い。知り合いの方も転びそうになって椅子にぶっつけて肋骨を折ったとか私も仲間の部類に入るから気をつけないとと思わされている。送迎の運転手に徹して受け付けは家内に任せていたが一連のことを通して何をどう確認すればいいのかを教えられた。人は何事もスムーズに出来れば当たり前、アクシデントがあってそこで学習する。失敗を通して人は教えられることが多い。私はその連続で召されるまで続くだろう。どうであれ教えられることは感謝なことである。と表向きは書くのだが実際凹む。

ケアハウスはお年寄りでも身の回りは自分で出来る人たちばかりだから結構なことであるがこれがマイナスとなることも少なくない。我が出るのである。車いすとかベットで寝たっきりであればお世話になるだけだが自分で出来るとなると言葉にしろ行動にしろ自我にしろ広がる。義姉は体も大きく、どちらかといいうと服装は目立つ方でもある。それが人によって色々言われる所以でもあるらしい。人は老いて美しくなるということより老醜という言葉があるようにどちらかというとこちらの方が多いのではないだろうか。それが集団生活の中に生活していれば結果は明らかである。そのようなことがあった直後らしく家内にこぼしていたらしい。食にこだわる人だから寿司だうなぎだと出かけるときは必ず食べる。うなぎは高いので滅多に食べないが今回は余程頭に来たのかうなぎを食べたいと言う。それも「観光荘」と岡谷?と言ったら松本にあるらしい。いつもは遠いところは悪いからと塩尻近辺に落ち着いているのにその思いもないということはいかにかがわかる。頼りない記憶を頼りに出発する。町名を覚えているのでそれを頼りにそしてガソリンスタンドで聞き、近いことを知りそこを目指す。最初分からず行き過ぎで戻りかけると看板が見える間違っていない。狭い道を案内板に沿って走り到着するが今日はお休みで彼女がっくり。岡谷に本店がある水門が松本インター近くにあることを知っていたのでナビで検索するがわからず。本店を検索し、そこへ電話する。住所と電話番号を聞き、検索して出発するが近いのになぜかぐるぐる回るように走る。そんな大きな店ではなかった。義姉はうな重、私たちはうな丼、小ぶりで固くておいしかったがご飯が固めで汁がシジミで肝吸いでないのが残念だった。本店に何時かはと思っていたがこれでパス、義姉も疲れたようだったが帰りの道沿えにJAがあって立ち寄り、長芋とリンゴを買って満足したようだ。帰ったらヘルパーさんがいて「食べ物は腐らすから買わないようにと言っているのに」と言われ、「実際やらないでしょうが買う時はこうして食べたいと思うのでしょう。ストレス解消のために腐らして捨てるのは勿体ないが金額的には」と話したら苦笑いしていた。クリスマスの準備でチョンボをしたり、頭が思い巡らさずパスしたりで、少し疲れたがいい勉強になった。

2016年12月4日日曜日

今月のみことばより


「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」
(イザヤ書53章1節~3節)

 彼は、田舎の女を母として、辺鄙(へんぴ)な村に生まれた。◆育ったのは別の村だったが、そこで三十になるまでずっと大工として働いた。◆それから、巡回の説教者として三年を過ごした。◆一冊の本を書くこともなく、事務所も持ったこともなく、家族も家も持たなかった。◆大学へ行ったこともなく、大都会に足を踏み入れたこともなかった。◆生まれたところから300キロ以上遠くへ行ったこともなかった。◆普通、偉大だとしてほめそやされるようなことは何一つしたこともなかった。◆彼には、自分を見てもらう以外に、人に信用してもらうための資格は何もなかった。◆まだ三十三歳のときだった。世間は急に彼を敵視し始めた。友人たちは、みな逃げ去った。友の一人が裏切ったのである。◆彼は敵の手に渡され、茶番としかいいようのない裁判にかけられた。そして、二人の強盗にはさまれるようにして、十字架に釘づけられた。彼が間もなく死のうとしているというのに、処刑者たちは彼が地上で持っていた唯一の財産、すなわちその上着が誰のものになるか、くじを引ていた。◆彼が死ぬと、その遺体は、彼を憐れに思った友人の配慮で、その人の墓に横たえられた。
◆それから1900年の時が過ぎていった。◆ところがどうだろう。今日、彼は、人類の中心を占める人物となっている。◆かつて進軍したすべての軍隊と、海を渡ったすべての海軍、開かれたすべての議会と、統治したすべての王たちを合わせても、この地上を歩む人類に、あの、ひとりの孤独な生涯ほど影響を与えた者はいまだにない。
            (ジェイムズ・A・フランシス)
        長野キリスト集会 12月号月報より

別訳(参考まで)

ひとりの孤独な生涯

彼は、世に知られぬ小さな村のユダヤの人の家に生まれた。
母親は、貧しい田舎の人であった。
彼が育ったところも、世に知られぬ別の小さな村であった。
彼は30才になるまで大工として働いた。
それから、旅から旅の説教者として3年を過ごした。
一冊の本も書かず、自分の事務所も持たず、自分の家も持っていなかった。
彼は、自分の生まれた村から200マイル以上出たことはなく、
偉人と言われる有名人にはつきものの「業績」を残したこともなかった。
彼は、人に見せる紹介状を持たず、自分を見てもらうことがただひとつの頼りであった。
彼は、旅をしてまわり、病人をいやし、足なえを歩かせ、盲人の目を開き、神の愛を説いた。
ほどなく、この世の権力者たちは彼に敵対しはじめ、世間もそれに同調した。
彼の友人たちは、みな逃げ去った。
彼は裏切られ、敵の手に渡され、裁判にかけられ、ののしられ、唾をかけられ、殴られ、引きずり回された。
彼は十字架に釘づけにされ、二人の犯罪人の間に、その十字架は立てられた。
彼がまさに死につつある時、処刑者たちは彼の地上における唯一の財産、すなわち彼の上着をくじで引いていた。
彼が死ぬと、その死体は十字架から下ろされ、借り物の墓に横たえられた。
ある友人からの、せめてものはなむけであった。

長い19の世紀が過ぎていった。
今日、彼は、人間の歴史の中心であり、前進する人類の先頭に立っている。
「かつて進軍したすべての軍隊と、かつて組織されたすべての海軍、かつて開催されたすべての議会と、かつて権力を振るいながら統治したすべての王様たちの影響力のすべてを合わせて一つにしても、人類の生活に与えた影響、人々のいのちに与えた影響の偉大さにおいて、あの『ひとりの孤独な生涯』には到底及びもつかなかった。」と言っても決して誤りではないだろう。


作者不明(関根一夫 訳)


2016年12月2日金曜日

神学とは

煮ても焼いても食いないもの、かじるものである。かじって固ければやめればいい。固くなければもっとかじればいい。魚と一緒で身(みことば)が主体、なまじかじって骨が棘となって喉に痞えて命取りになることもあるので注意が必要。

2016年12月1日木曜日

雅歌からイザヤへ

雅歌からイザヤに読み始めたがまさに一転しての感がある。イスラエルの民に語りかける神のことばは厳しい。しかし、

s_of_s 5:16

そのことばは甘いぶどう酒。あの方のすべてがいとしい。エルサレムの娘たち。これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。


「あの方のすべてがいとしい」、恋は盲目と言われれば乙女は表面的なものだけを見て言ったのだろう。と見ることも出来るイザヤは言う。

isa 53: 2
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
isa 53: 3
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。



「私たちが慕うような見ばえもない。」、「人が顔をそむけるほどさげすまれ、」た方である。このような方に「あの方のすべてがいとしい」と告白することと捉えたらなんと素晴らしことだろうか。この方の本質を知っているということだ。福音書に登場するイエス様に声をかけられた一人一人は、この告白をうちに持っていたのであろうことを想像する。主を知る知識はこんなところからと・・・。