2017年12月31日日曜日

今年も


大晦日になると思い出す言葉に落語の枕に語られる。「大晦日越すに越されず越されずに越す」の言葉を思い出す。庶民の哀感が伝わってくるが今の人たちにはどのような意味か分かるだろうか。

年の終わりに一年を振り返ってという思いはあまりないのだが今年は老いを実感させられたのでいつもとは少し違っている。それは新たな旅たちの思いが起こされているからだろうか。若い時と違ってあらゆるものが失われて行く、それも加速度的に…。嘆く必要はないそこを充足するものは主であるから…。

と書きながら鬱的なものがあるからこれが出ると前向きに生きていけない。落ち込むのである。今年はそんなことを経験させられていた。肉的な弱さとの葛藤がその度合いを増していくであろうから主にすがって生きる「生きざま」を見栄もなく表して行かなければと思わされている。老いを嘆くことは誰にでもできるが老いを喜ぶことは信仰者の特権である。あと十数分で今年も終わり来年になる。色々な形で主に守られたことを実感することが出来て主に感謝し、来年の話は来年に…。

2017年12月30日土曜日

老いを


大分間が空いてしまった。気力、体力、知力の衰えを実感させられて「老い」と向き合う意識を持たないと、との思いを実感させられている。まだ元気であるがスーパーで私より年配のご夫婦を見かけるとあと何年であの年になるのだろうかその時私は元気でいられるのだろうかもう来れなくて人の世話になっているのだろうかと思案することがある。認知症なる言葉も他人事ではなくなった。これもある日突然ではなく、既に予備軍、否既に入っているのかもしれない。嘆くつもりは無い。素直に受け入れなくてはと思っている。「老い」は「受ける」という本来私たちが持つべきものを体験させられる世代ではないかなと思っている。前に書いたか忘れたが「自立」は大切なことであってもそれは神からの自立につながると思っている。文明の発達はその証左ではないだろうかと思っている。好むと好まざるに関わらず「老い」はそれを体験させられる。ある意味で「解脱」だ。今年は老化元年としよう。

2cor: 4:16
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

2017年12月7日木曜日

我が家は


このところ快晴が続いてお天気は良いのだが気温が上がらない。布団を干して温かくなったという感覚は少ない。2時を過ぎると日が差していても傾いているから冷たいのである。
予報を見ると明日あたりからさらに寒くなりそうである。明日は雨か雪にもなりそうで体感的にはさらに寒く感じそうだ。この日曜日には千葉や東京からクリスマス会のために来てくださるからそのこともあって色々気が気ではない。こちらはそれほど雪は降らないがそれでも冬は寒く、時には雪に見舞われる。何時だった丁度クリスマス会の時に雪に見舞われたことがあった。それでもそれ程でもなく、子供さんたちは喜んでくれたからよかった。4月初旬位まで来られる時に絶えずこのことが頭にある。遊びだったら雪は大歓迎であるがそうでないと降るなとは言わないが少しずらしてとの思いが正直な気持ちである。少し前の週間予報ではズーと快晴だったが明日の昼前後と日曜日の後半は雪の予報になっているどうなるか心配である。

朝起きたときに温度計を見ている。このところ9℃、8℃、7℃と落ちていて明日は更に低くなりそうである。それでも最低気温はそれほど違わないので助かっているがそれはいつまで持つか?暖房をつけなければ我が家は完全に冷蔵状態、これがチルドとなる可能性がある。過去のデータをみるとやはり1月2月が寒い。この時に我が家はチルド状態が何日かあった今冬もそうなるであろう。それでも不思議なもので慣れの所為もあるのかそれほど寒いという感覚はない。

振り返ってみれば寒さだけではなく、色々な形で守られてきた。勿論贅沢はできなかったしこれからも然りであろう。弱気になる時も正直あるけれどギリギリのところで守られてきた経験の積み重ねである。これからも然りであろうがこの経験は力と慰めになる。正直「主よ、私にももう少し…」という思いは時折あり、現実離れした願いも持っている。ダビデは神殿を見ることが出来なかったがその建設のために資材を用意した。これは次の世代のやることと認識していたから(2サム8章)彼にとって神殿を見ることを切望していたわけではなかったであろう。自分が何かをやるということに二つあると思う。今、現実にと未来に備えてとである。私はどちらかな…。

我が家は冷蔵庫にと書こうと思ったのにこんなになってしまった。まぁまず文章を打つことだからこれだけ打てればグーであるということにしよう。

2017年12月4日月曜日

聖書雑感



1john: 1: 1
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

ヨハネは福音書で
john: 1: 1
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

「ことば」、「ことば」、「ことば」とことばが続く、言うまでもなくイエス様のことである。「あらゆるものの初めにイエス様はおられた。そして父なる神とともに、この方は神であられた。」と、誰にも何も言わせないほどの気宇雄大さをもって宣言しているといってもいいのではないだろうか。


そしてヨハネは手紙の中で静かに語りかけているかのようにイエス様のことを語りだしている。天地創造の初めから居られた方であり、ことばにいのちを持っておられる方が語るのを私はこの耳で聞き、この目で見、そしてこの手で触ったと告白する。それは疑いようもない事実だと宣言しているようなものである。私たちにとっては信仰を必要とするものであるがヨハネにとっては現実なのである。そこにに強い説得力がある。

一世紀も終わりになると今日と変わらない異端が忍び込んできていたようである。そのような時にイエス様と共に過ごされたヨハネの言葉はどれだけ人々を力づけたことであろうか。

五感をもってイエス様を覚えることができたことは信仰が揺らぐ時にフッとうらやましさを覚える時がある。

2017年12月3日日曜日

釜口水門と何時もの湖畔より




釜口水門の噴水

釜口水門

魚道 こんな流れの激しいところを魚は上れる?


釜口水門より見る八ヶ岳連峰 雪はそれほどでも

いつもの湖畔より富士山を

木々も冬支度


2017年12月2日土曜日


今日、残っている野菜を収穫してきた。
と言っても大根数本、チンゲン菜に小松菜、それに春菊の葉の部分を選別したのを合わせてスーパーの袋三つくらいにしかならない。藁を刻んだのと苦土石灰を撒いて耕そうと思ったが半分以上に霜が降りているのと手袋しているのに手がかじかんで左の人差し指はしもやけみたいになってしまった。藁だけを撒いてそれで終わりとした。多分藁も来春まではそのままだろう。畑は今は1/3は春まで凍土?、1/3融けたり凍ったり、1/3大丈夫であるがその内、来春までみんな凍土?になってしまう。直線距離で4㎞にも満たないのに住まいとだいぶ違う。

野菜つくりをしていると根気とやさしさが必要であることを実感する。自然や野菜は生き物である。こちらの意向に合わせてはくれない。こちらが合わせないといけない。春は種から播くものは霜に気をつけないといけないし、夏に蒔く種は水が欠かせないがつい面倒でパスすると芽は出てこない。奥義なんて言うと大袈裟だが深い、毎年一つか二つ教えられて来年につなげればと思っている。それと連作の問題があるから今度はどこにといつも春になると悩まされる。正直、買った方が安いし面倒だがそのくらいのところで何かやれることは大切なことかもしれない。




最後の収穫


今年は玉ねぎをやめてニンニクだけにした。
今年は目が出るのが少ない。遅かった所為かな?
「目が出ない」のは我が人生に合わせてくれたのか
春が楽しみである。

来年の春まで



こちらも

2017年11月30日木曜日

見えるということ


john 9:41


イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、今、『私たちは目が見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」

ヨハネの福音書9章のことを書きながら最後の節を書き忘れてしまった。

高橋三郎著「ヨハネ伝講義」にはこの箇所をこように書いておられる。
「君達が本当に自分の盲目に気づいていたら、最後まで光に反抗するような狂いじみた倒錯には陥らなかったであろう。生まれながらの人はすべて、神の真理に対しては盲である。この生まれながらの盲人は、いわばこれを象徴的に示す存在であった。だが、自分の盲目を知って、開眼を祈り求める者には、救いの道が開かれているのだ。しかし君達は、本当は盲なのに、なおも『見える』と言い張る。この思い上がった自信の故に、真の光に至る道を、君達は自ら拒否しているのである。だから、罪はいつまでも君たちにこびりついて離れないだろう。この意志的犯行が、つまり罪の本体なのだ。そしてこれを支え、助長するものは、自分の正しさを主張する心(自己を義とする心)である。――この厳粛な宣言をもって、九章の終わりを告げた。」とある。

5節に「わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」と言われた。イエス様を否定しているということは光を否定しているということでもあるから彼らにとって神は見えないということであろう。まさに「見える」というところに罪がある。今日でもこのことを見ることができる。神を全く否定する人だけでなく、キリスト者も知っていると言いながら実はほとんど知っていないということがあるのではないだろうか。ここに謙虚に生きる姿勢が求められる。私も然りである。

聖書雑感



john 9: 1
さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。

9章は41節あるが全体が一人の盲人とイエスさまを含めて彼に関わっている数人の人達が登場するのみである。

まず弟子たちである。
「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
と質問している。
彼らの関心は「誰の罪で彼は盲目になったのか」のようである。イエス様と一緒にいるなら癒しを見ているのだろうに「哀れに思って目が見えるようにしてください」くらい言えなかったのだろうか。その人の側に立って何が大切であり何が大切でないかを考えるべきだが往々にしてそれは二の次になり易くどうでもいいことで議論してしまいがちになる。心しなければと思わされる。

弟子たちの質問に対してイエス様は、
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現われるためです。」
イエスは、こう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そしてその泥を彼の目に塗って、『行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。』と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。」

イエス様の癒しにはことばだけで癒される時とこのようにして癒される時とがある。なぜだろう。
ここを読んでいるとナアマンがエリシャにヨルダン川で七たび身を洗いなさいと言われて、仰々しく行って癒してくれるものと思っていたから激怒する。しかし、しもべたちに諭され、言われた通りにすると彼の体は元どおりになったことが第二列王記の5章に記されている。
「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」(ロマ10:17)のみことばを思い出す。単純に聞き従うことは簡単なようで難しい、その大切さを教えているような気がする。

近所の人たちや彼を知っている人たちの驚きは想像に難くないが落語に出て来る長屋の連中と変わらない。喜んでくれるより、「何で、何で」と好奇心の方が強く、時の指導者的立場のパリサイ人のところに連れて行くのは当然か?

「イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。」とある。

イエス様は挑戦的である。シロアムの池もイザヤ書にこのような個所がある。
「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水を拒み、レツィンとレマルヤの子を喜んでいる。」(8:6)
シロアハはシロアムであり、レツィンはアラムの王、レマルヤの子はイスラエルの王ペカである。神を捨てて、彼らと同盟を結ぼうとしている姿をイザヤはこのように嘆いている。

泥を塗るのも労働であり、麦の穂を手でもむのも労働である(ルカ6:1-2)
「あなたがたは神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っているのです。」(マルコ7:8)、「あなたがたに尋ねますが、安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか」(ルカ6:9)とイエスさまは言われた。
安息日でなければ何も問題が起こらなかったであろう。ある種の問題提起である。イエス様はこのようにして隠された本質を明らかにされる。
信仰的なものであると信じていたものが実は単なる昔の習慣であったりすることがある。或いは信仰として決断したことが単なる自己義認であったりすることがある。心しなければならないことがここにもある。

パリサイ人が両親に彼のことを聞こうとしたとき、両親は、このように答えている。
「しかし、どうして今見えているのかは知りません。だれが息子の目を開けてくれたのかも知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」(9:21)と係わりを避けている。両親は会堂から追放される(22節)ことを避けるためにこのように言ったようである。両親を責められない。自分の中にもこのような姿をよく見かける。面倒なことに関わりたくない。不利になりたくないまことに不信仰である。

癒された盲人を見ると彼の側にいたのはイエスさまだけで親を含めて皆彼の対極にいたことがよくわかる。彼の姿は自分であり、弟子や近所の人は勿論、パリサイ人も両親もわたしでもある。

2017年11月24日金曜日

わが家の冬の風物詩?


銀杏(イチョウ)と言えば東京都の都木?である。東京はどこもかしこも銀杏(イチョウ)の木と言えば言い過ぎだがあちらこちらと見かける。しかし、こちらに引越して来てこちらでもよく見かける。近くの公園にも数本あって秋には黄色の葉が美しい。散れば散ったで黄色のじゅうたんが敷かれたようで綺麗である。役所の落ち葉の処理は大変だが…。その中に3本ばかり実をつけているのがある。時折行って落ちている実を拾ってくる。すでに拾っている人が居るみたいでそんなに落ちてはいない。その中の1本の木の周りにはたくさんの実が落ちているが小さいので誰も拾っていないようである私も拾わない。少しづつ拾ったのを軒下にまとめて置いて実の周りが腐りかけた頃に中の種を出してそれをよく洗って陰干しにしている。この実の皮?が臭うので衣服につかないように注意してやっている。種の保存ではないが動物が実を食べないようにとの配慮かなと思ったりしながら作業をしている。最近朝食の後にこの実(銀杏)を石油ストーブの上で焼いて食べている。銀杏と言えば茶碗蒸しくらいしか記憶になくそれほどおいしいとは思っていなかったが焼いて食べたら実に美味しい。買ってまでもとの思いもあり茶碗蒸しの銀杏もそれほど食べたいとは思わないからこれがなくなったらおしまいになる。軒下にはまだ少し残っており、もう少し拾ってみるかなとも思っているが…。

最近は家全体の暖房や床暖や排気を外に出す石油ファンヒーター或いは普通のファンヒーターが殆どで従来の石油ストーブは少なくなった。少なくなったストーブはわが家にあり、これがとても便利でお湯を沸かしたり、朝食の牛乳を温めたりしている。時にはパンを焼いたり餅を焼く、それに温かさが直接感じられるということもいい。勿論暖房器具で一番火事の心配のある器具でもある。それ故ストーブの脇に消火器を置いている。

生活が快適になって行くようになると便利なようで何か大切なもの素朴なものが忘れられていくようで寂しい。ストーブも然りで安全のためにはとの思いもよくわかるがそれでもである。便利さ快適さは「神」を脇に置いていくような気がするがそう思うのは自分だけだろうか。昔は生きるとはある種の厳しさがあった。冬であれば寒さに対処していかなければならない。寒さに耐えていくのである。それがなくなったら人は色々な「耐性」に耐えられなくなっていくのではないだろうかと懸念する。自分がどのようであれ、神を必要としている状況を生み出していかなければならないなぁと思っている。それはある意味で快適なものではない生活であろうと思う。困難を伴うかもしれない。でもそれが翻って益としてくれるような気がする。どこに幸いがあり災いがあるかを教えられる思いがある。

2017年11月23日木曜日

冬きたりなば春は


このところ朝起きて温度計をみると10℃を割って毎日一度づつ低くなっている。今日はそれほどでもなかったが昨日は7℃だった。今まで玄関がガラス窓のようになっているので他よりもヒヤッとしてさらに寒く感じていた。それで断熱用のラップを買ってきて貼り付けたらヒヤッとする感覚がなくなり、どの部屋も同じような温度になったので気分的にほっとしている。だからといって暖かくなったわけではないので今月末から3月末まで寒さに耐えて行かなければならない。

「冬来たりなば春遠からじ」という言葉がある。しかし、暦から言えば11月は秋であり、3月は春である。冬が来ても春は遥か彼方にしかない。「春遠からじ」は2月も半ばを過ぎた頃にもう少し我慢すれば春が来るなぁという感じなのである。それと日も短くなって来ているからこれも寒さに追い打ちをかけるようなものでもある。この間ネットで調べたら松本になるが最も早く陽が沈むのは12月6日の16時38分01秒、最も遅い日の出は来年1月7日6時54分52秒であった。日が延びたなぁと感じるのは2月も半ばに入ってからであろう。それまで忍の一字で頑張ろう。

2017年11月16日木曜日

LINE


孫の写真が見えるようにと私がスマホを持っていないので息子がパソコンにLINEを入れてくれた。去年の暮れだったと思う。入れた途端にと言っても息子がやっていたのだが「下諏訪のSさんですね」と入ってきた。知っている名前の人はいるけどその人かなと春に会った時に聞いたらLINEはやっていないというので誰だろうと思いながらそのままになっていた。最近孫の写真を送って来ないのであまり開けることがなかったが偶々もしやと開けたらまた「秋田のIです。来月一杯東京に居ます。今年のクリスマスは10日?都合ついたら行きたいなぁ…」と丁度開けた日に打ってくれていた。岡谷に居たときに隣に住んでいたIさんだった。分かったので家内が電話をしたら息子さんに二番目の男の子が生まれてその手伝いに東京の池袋に来ておられるとのことだった。秋田に帰られてもう会うこともないかなと思って住所も聞いていなかった。孫の送迎があるみたいで来れれば高速バスで日帰りとか、お会いできればうれしい。それに今年のクリスマスは人が少ないかなと思わされているので来てくれるとこれもうれしい。駄目かなと思っていた人もご主人は実家に用があって来れないが行けるというメールをいただいたから一人二人と増えて来るかもと期待はしているが…。

今はパソコンなんて古い?スマホでLINEでと便利になっているようだが使えなかったらどうしようもない。文明の利器はどんどん進むが我が頭はどんどん衰えて来る。ただ眺めているだけになって行くようである。

思えば小学生の頃に新潟博覧会なるものを学校で修学旅行のような形で行った。汽車も蒸気で気をつけないと煤が目に入ってくる。そこで関心を持ったのはガラス窓を隔てて、一枚の写真をかざすと隣のブラウン管からその写真が映し出される。不思議そうに眺めていたら係員が得意そうに「その内これが動くものも映し出される」と言っていたことを今もよく覚えている。数年後にTVが登場し現実となった。思えば手塚治虫?だったかの漫画には未来の都会の漫画で空中を車が走っていたり、高いビルが並んでいたりと今高速道路や都心の高層ビル群がそうである。子どものころ夢のようなことが今は現実となっている。まさに隔世の感ありである。そのような時代に育った者が出来る出来ないは別にしてもそれを目にするだけでも「良し」とすべきであろう。ただそれが幸せかどうかは別であるが。田舎にいたころはクリスマスもろくに知らない者だったが聖書に触れ、今キリスト者として生かされていることは時代における「隔世の感」の比ではない。ただそれだけで感謝なり、恵みなりである。


聖書雑感


新約をマタイ伝から読み始めている。聖書は何回読んでもその都度教えられるところ、フッと気になるところが違う。以前スッと読み過ごしたのに今回はチョット引っかかる等々である。

今回もいつも読み過ごしている14代、14代、14代にチョットひっかかった。いつもマタイの数字合わせ(失礼)位に思ってさっと読んでいたが今回は「時」ということを考えてフッと思った。

若い時に信仰を持ち、人生もそう長くはないであろう歳になって色々というほどではないが教えられていることがある。信仰生活においても今の若い人たちがすでに学んでいるものを自分は半生をかけてようやく学ぶことができた。あるいは彼らが学んでいて自分は学び得ないことも教えられている。羨ましくないと言えばうそになるがそれより他人事であれ学び得てよかったなぁという思いが強い。主はパウロに、
わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。(2cor:12: 9)
とあるように、「あなたに十分である。」とは私にも適用される。ナイナイづくしの人生でも今生かされ教えられていることに感謝している。正直あれもこれもという思いはありますが…。

アブラハムから始まったイスラエルの歴史を見てもイエス様が来られるまで20世紀近く要した。イエス様が再び来られるのもそれ以上必要とされるのだろう。多くの「時」を得ないと人は学び得ないのである。それを自分に当てはめている。若者が学び得ないであろうことが老いであるが故に学び得るということもある。今自分がその時であることを覚え、些細ことでも謙虚に学ぶ姿勢を得たいものである。

2017年11月14日火曜日

通読&新しい聖書


3月の末から読み始めた旧約も昨日で読み終えた。最初はゆっくり読んでいたが後半は字面を追うように読み、通読のための通読になったかなと反省している。この年になると通読より個々の書簡を注解書片手にゆっくり読んでいった方が良いように思う。注解書付き聖書を使っていたが今一という感じで旧約で終りにする。

新しい聖書が手に入ったということもあって新約から読み始めている。急いで買うこともないと思っていたがある事情で買うことになり、それも聖書店で一冊ありますと言われて確保して買えたのである。字体は今までは明朝?今度のはAR丸ゴジック体?自分が使っている字体はこの書体を使っているので似ている。書体が変わり字も少し大きくなって(同じポイントでも明朝とAR丸ゴジックでは丸ゴジの方が大きく見える)、それに文章自体も読みやすくなったように見うける。比較すると細かいところに変更がありこれも読みやすくなっている所為かもしれない。多くの人たちの労苦によってよりよき聖書を手にすることができ感謝なことである。

2017年11月10日金曜日

紅葉が

山にも

湖畔はすでに





わが家のつつじもあざやかに


梅の葉は枯れ・ナナカマドは元気に

イチイの葉だけは枯れることなく

少し色づき始める


2017年11月8日水曜日

ゴミ拾いに思うこと


速歩で湖畔を歩いているとゴミが少なくなったように思える。それでもUターンして帰りにゴミを拾っているがコンビニの袋では小さくてスーパーの袋が丁度いいことが多い。しかし、岸辺にはプラスチックのごみやペットボトルが散見される。気になっていたのだが「思いは強く腰は重く」で、ちっとも動かなかったが昨日今日と義姉の退院のことで家内が病院に行って夜に帰ってくるのでゴミ拾いに出かけてきた。漕艇場のスタート地点の100mばかりのところだったが45ℓの袋がいっぱいになってしまった。そこはそれほどでもと思っていたのに大きいゴミも幾つかあった所為かもしれない。空気の抜けたドッジボール、白いプラスチックの箱、5-60センチはあるだろうか骨だけになった魚等々である。

拾っても見た目はきれいになっているわけではない。気になって拾っているがどこか自己満足的なのかなと思うことがある。しかし、気になって拾いるならと思ってやっている事は他につながるだろうなとも思っている。効率第一主義の現代に於いて効果が全く見られないことはそれに背を向けているようなものだ。しかし、この無駄なような意味のないような行為はキリストに通じるものがあるのかなとも思っている。イエス様は誰も目を向けていないところに目を向けている姿を垣間見る。救いの道を提示したのに多くの人たちは見向きもしない。キリスト者と言われる人の中にもそうなのである。こんなところに「普遍的真理」があるなどとほざいて次はいつ行くのやら…。

不謹慎?


わが家は住宅街の一角にある。前はリンゴ園、2サイドはエコーホールの駐車場となっている。駐車場の街灯が9時頃までついているからその時間くらいまでは何とか明かりが見えるがそれ以降は近くの電柱に20ワットの街灯がポツンとあるだけ夜になると暗くて何となく寂しい。このところ通夜が続いているみたいでエコーホールが明るい。この灯りがあると何となくホッとする。誰かが「もっと光を」と言われたそうだが不謹慎かもしれないがエコーホールの灯りは心を和ませてくれる。人が亡くなるといっても最近はどこか淡々としていて嘆き悲しむことは少なくなったように見える。

若い時に50代の知人の方が亡くなって自宅で葬儀を行った。息子さんがまだ高校生ではなかったかと思う。彼とも良く言葉を交わしていたからその時も内容は忘れたが色々話を交わした。彼の話を聞いていたように思う。働き盛りだった所為もあって奥様はじめ子供さんたちも悲しみに堪えているという感じだった。それなのに隣の部屋で親戚か近所の人たちかわからないが賑やかに?酒盛りをしている。という感じを受けたが酒が出るのは当然なのだろうが遺族のことも考えて飲めよと内心思った。息子さんもチラッと愚痴っぽく言っていたから直のこと不謹慎だなぁと思ったことを思い出す。そのことを思い隔世の感があるなぁと思いながらここでは70代は若くて80代後半から90代が多いからその所為もあるのかもしれない。

2017年11月4日土曜日

聖書雑感


john 14: 1
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。


心騒がすことと神を信じ、わたしを信じることが対極になっている。

心騒がすとは不安があるからだろう。不安或いは平安は物事の問題あるなしではなく心の状態をいう言葉ではないかなと思う。

自立という言葉がある。赤ちゃんの時は100%他者に依存しなければ生きていけない。大きくなるにつれ、その依存度は減ってくる。そして社会人となればもう親に依存しなくとも生きていける。(昔はこのことばも通用したけど現代は親離れ〔子離れ〕できない親子が増えているようではあるが)。これは誰もが求める姿だと思う。

しかし、この自立はある意味で神からの自立につながらないだろうかと思う。自分で生きていけるということは他者を必要としない。いい意味でも悪い意味でも利用することはあってもである。それは、神を必要としないということにつながらないだろうか。

弟子たちの姿を福音書と使徒の働きを見比べると大分様子が違う。イエス様ペテロに、

john:13:38
イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。

と言われ、事実そうなった。弱さの典型である。しかし、使徒の働きではペテロをはじめ他の者たちは、


acts: 5:29
「人に従うより、神に従うべきです。・・・」

と議会で大胆に語っている。もう人を恐れていない姿を見る。

ガリラヤ伝道の最後の方では、


luke: 9:46
さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
弟子たちはイエス様が地上にいる間はこの域からは出てはいないであろうと思う。実に人間臭いのである。

john:13: 1
さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。

と弟子たちの足を洗うという行為をなされた。そして互いに足を洗い合うようにと勧めている。多分この時弟子たちはイエス様の言われたことを理解していなかったと思う。


john:17:11
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

弟子たちは復活のイエス様に会うまではいい意味でも悪い意味でも人間味に溢れていたことだろうと思う。不安や恐れの真っただ中にあったことだろうと想像に難くない。だからイエス様「神を信じ、わたしを信じなさい」と言われた。これが心騒がす時の唯一の解決の道なのである。問題のあるなしが問題ではなく、信じるか否かが問題なのである。「心騒がされる時に、イエス様は「わたしを信じなさい」と語りかけてくださり、その言葉に平安を得ることができる。この繰り返しが我が信仰である。

2017年11月3日金曜日

近くの公園にて

色鮮やかな紅葉

銀杏の木も

豊に実った銀杏
時々拾っている


2017年11月2日木曜日

久しぶりに歩いて

 
若い時に仕事で日産のライトバンを運転していた。この車はクラッチが固くて切るのに結構力が必要で、その所為で左の膝が痛くなるようになった。20年くらい前だったと思うが車買い替えるのに膝を心配してオートマに切り替えた。

その膝がこのところ年と運動不足の所為で店などの階段を上ると痛くなる時がある。痛い時は上がれない程になるがつま先に負担を掛けると何とか上がれる。荷物を持っていると更にいけない。普段は階段を使うことはないから感じないがこんな時によくわかる。

階段のみならず久しぶりに歩いたら膝はいいのだが胸とふくらはぎが痛くなってどうしようかなと思いながら歩いていたら痛みはやわらいでそれほど苦にならなくなった。元気だと思っても確実に体は衰えている。それでもここまで持ち堪えられたことは感謝なことである。あれからと思えば良く持った。


2017年11月1日水曜日

秋の湖畔端

説明を追加



うっすらと富士山が

子鴨?の日向ぼっこ

漕艇場


2017年10月24日火曜日

今年最後の作付け 玉ねぎはやめてニンニクのみ 

大根も

キャベツも

白菜も順調です

2017年10月22日日曜日

逞しさ


「働く、ということ」という題の本を以前読み、副題に「十九歳で社長になった重度障がい者の物語」とあった。どこかのネットで見てアマゾンで取り寄せたと思う。アマゾンに二種類あったので続編かなと思って取り寄せたらそれは文庫本だった。帯に「僕には働く場所がなかった…だから会社を作ろうと思った」とあり、そのさらに下に小さく-ホームページ制作会社設立2年目、「寝たきり社長」の奮闘記-とあった。二十歳前後の二人の障がい者が立ち上げた会社である。まだまだ軌道にまで行っていないようであるがそれよりもこのバイタリティに敬服する。出版されたのは5年前であるから状況は変わっているかもしれない。

性格が今一だがどちらかというと健康体である自分でも生き辛さを感じる時がよくある。それが寝たきりである。それなりの精神力がないと生きていけないであろうと推察する。良いご両親や周りに恵まれているということもあるのかもしれない。しかし、両手の親指がかすかに動くだけ、それでマウスを改造してパソコンが使える。

知的障がい者の施設で少し働いたことがあった。どちらかというと軽い人たちが多かった。だから自分でたいていのことは出来る。器用だが計算が駄目だったり、不器用だが計算が得意だったり、あるものが欠落している。だからそこをサポートしてあげれば普通に生活できる。欠けている物は精々10の内の一つ、二つくらいであろうか、多くをサポートする必要はない。

私たちは社会人として生きていくにはと、ある枠をはめてしまう。そこからはみ出た人を排除してしまう。それは全体の効率の良さや秩序を保てる強者の論理が働いている。弱者は疎外されるのである。

彼は自分の出来る或いは持っているものを最大限に生かして自立しようとしている。その為に周りがサポートしているようでもある。ともすれば甘いが出たり善意の押し付けになったりすることが多々ある。互いの自覚が必要かもしれない。その辺は気をつけているようである。障がい者の人たちがごく自然な形で仕事をし、ごく自然な形でそれを受けとめていくことが大切な気がする。頑張ってほしい。こう書きながら折れやすい自分を見て羨ましく思うこともある。「生きる」ということに苦労されている彼らを見て、日常生活の中でほとんど自分ですることができることに感謝が少ないなぁと反省させられる。「生きる」ことではなく「生かされて生きる」のであろう。そこには健常者も障がい者もない。そのように思う。

2017年10月17日火曜日

弱さ


昔はよく「顔はデカいがここはノミだ」と指で胸を叩いて言っていた。最近はそういうことを言わなくなったが変わったわけではなく言う機会がないだけである。本質的には変わっていないことを時々教えられる。丁度、赤ちゃんがお母さんがそばにいると思って安心して遊んでいて、フッと周りを見わわしてお母さんが居ないことに気がついて不安になり、泣く光景を思い出す。たとえ隣の部屋にいても姿が見えないと不安なのである。鳴き声でお母さんが顔を出すとまた安心して遊びに夢中になる。そんな赤ちゃんと自分がダブる時がある。

そんな時は聖書のことばを思い浮かべても力にならない。不安が先に来るのである。「みことばに頼れない」ここに自分の弱さがあることを教えられる。生きて働くみことばとはならず言葉だけのみことばとなる。こんなとき自分の弱さ、不信仰を教えられる。このパターンは召されるまで続くのだろう。しかし、こんな自分にも
ps 46:10
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。…」(口語訳)と語りかけてくるみことばがある。そして静まって神に語りかけるのである。信仰を含めて欠け過ぎた者であるが
ps:34:17
彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
と、感謝なことである。
壁に向かって語りかけるように、そしてみことばでさい空しく返って来るようなそんな時にも主は忍耐してこのような者を憐れんでくださっていることを教えられる。そして、トボトボに近い足取りでも一歩二歩と歩を進めてくださる。もうそこにはもう頑張りはない。ただ主の憐れみだけである。

2017年10月13日金曜日

久しぶりの速歩


夕方過ぎ暗くなってから今月初めての速歩をした。先月は凌ぎやすくなってさてと思っていたが夕方何かと用が入ったり、パソコンの途中だったりしてパスパスでゼロに、そして今月も半ばになってやっとという感じである。急に思い立って暗い道を街灯を頼りに歩いてきたがそれでも何人かと行き交う。ラジオ体操や軽いストレッチをやっているのでそれほど息切れもせずに歩くことができた。それにふくらはぎもそれほど痛くなくて歩かなくてもストレッチなどのお陰かなと感謝している。

朝の早い湖畔は学生たちのボートの練習や散歩の人たちがジョギンコースを行き交っており、日中も途切れることはない。暗くなれば対岸の灯りが綺麗である。高速のサービスエリヤの灯りもよく見える。これもまたいい風情でもある。落ち葉を踏んで歩くと音と感触もいい。
街路樹も色づきいい季節になってきた。しかしその先に冬が控えていると思うと少し引くがあまり考えないようにしている。それと最近は負の発想よりは確率は低くともプラスの発想をと思うようにしている。負の発想はそこで終わりという感じでその先がないような気がする。結論付けてしまうように思えてならない。そこには可能性を秘めた信仰を必要としないようにも見える。だから…。

一昨日は岡谷の医院に行くのに自転車で行き、ついでにホームセンター、レイクウオーク、D2、岡谷駅と岡谷を横断してしまった。膝が少し痛くなり運動不足を実感させられる。途中書店の前の駐車場で自民系の某議員候補の出陣式?をやっていたので少し眺めていた。3-40人位かもっといたかなスピーカーの大きい音と駆り出された人たちが黙って聞いているアンバラスが違和感を感じる。脇をすり抜けて行く無関心の人たちもこれもアンバランスであり、今回の選挙の無関心さを示しているようでもある。国民のバランス感覚がどう出るか楽しみでもある。この方は官僚出身のようで、隣に小柄な婦人が立っていたが奥様なのだろう。ご主人が官僚なのだとそれなりの人なのだろうが国会議員になったお蔭で知らない土地で頭を下げに来ているとはと同情せざるを得ない。自転車は歩き目線でも見ることができそれなりに面白い。岡谷は湖畔から緩やかな坂になっているのでジグザク路線で上っていく、少しづつきつくなってくるのは年の所為かな?

朝焼けの諏訪湖畔


2017年10月11日水曜日

秋が 諏訪湖畔にて




華のない我が家に花と雀が



梁の上に巣を作っているが最近あまり出入りがない

2017年10月9日月曜日

人知をはるかに超えて


先月の終わりに二十数名のシニアの人たちと諏訪市豊田にある汚水処理場の見学に行って来た。下水と思うと糞尿で汚いイメージがあるが入ってくる汚水はそれほど汚くない。フラスコのような容器に少し汚れた水と下の方に固形物が少しあるだけ、ここは温泉街もあるので温泉の流したお湯もあるので薄いようなことを言っていた。薄くなっていいと思ったがこれが機械のためにはあまりよくないらしい。処理した水は諏訪湖に流すと諏訪湖の水と違うので諏訪湖の体系を崩すので釜口水門の近くで放流し、逆流しないようにしているとか、川であればそのまま流せるのだろうが湖はそうはいかない。一時汚泥に金が含まれているということで話題になったが今も取れるが以前程ではないらしい。この汚泥を焼いて石のようにして小石のようなものにしてリサイクルしている。当たり前のように生活している中にこのような縁の下の力持ちではないが働きをあらためて思った。

断層があり長野県でも災害が起きる可能性が大の地域である。防災グッズをと言われているがそのことも大切だが災害が起きたらトイレのないマンションになりそうなことをどれだけ意識している人が居るだろうか。災害にはそこまで考えないと耐えられない。

地球はある意味でリサイクルの地球である。汚い糞尿を動物が食べたり、細菌が分解してくれる。汚い話であるが小学生の時に川遊びをしていて大をもようしたので川下で用を足していてフッと振り返ったらどこにいたのだろうと思うほどたくさんの魚が来て食べていた。川の浄化は魚や生物によることの大きいことを知った。

当たり前のように受け取っている地上の生活はこのような目の見えないところで神が配剤されていることを知ることは感謝である。陽射しが弱くなっている今日この頃、布団を干しても前ほど膨らまなくなったがそれでも寝た時の暖かさは気持ちがいい。陽射しは暑すぎず寒すぎないこのバランスに感謝している。正直、冬はもう少し暖かかったらとの思いはあるが寒くなって商売ができる人もいるから思いだけである。

無いものに目を注ぐのではなく、もう少し今あるものに目を注いで感謝する生活を送りたいものである。

2017年10月7日土曜日

2017年9月30日土曜日

いのちを思う


ちょっと大袈裟な題であるが秋野菜を植えて二つのキャベツを枯らしてしまった。新たに植えたが一つはダメになり、もう一つは前回は元気だったが今日収穫間引きに行って見たら枯れていた苗はさらに形を小さくしもうひとつはどこか元気がない。次回に行ったら枯れているかもしれない。住まいより幾分気温が低い、それに山の影になるようなところだから尚のこと良くない。春野菜の時はそれほどでもないが秋野菜の時はたかが数メートルの長さであるが山側と反対側では野菜の育ちが全然違う。だから長い周期の野菜は山側には植えない。畑をやっていて生命の脆さと生命のしたたかさを思う。野菜はものによって違うが概して脆い、チョットした不注意で枯らしてしまう。あるいは芽が出てこない。それに比べて雑草の逞しさには敬服する。この間雑草をこそぎした。枯らすためにそれをひっくり返して置いたが枯れていない青々としている。茶色になった地面に小さな葉を出している雑草を見かける。また根こそぎにしたものを引き上げればたくさんのもやしのように伸び掛けている草を見る。逞しい。光が無ければ光を求めて白くて長い茎を延ばしている。生命を維持するために何かと保護を加えないとダメなものとほっといても育っていく姿を見て、信仰も然りだなぁと思う。守られて立派に育つのもそれはそれなりに立派であるがどこか本物ではない。雑草はこれでもかこれでもかとやってもギブアップしない。そこには深くか広くか色々であるがしっかり根が張っている姿を見る。野菜にはそれが少ない。ある意味で生活に密着した信仰は教会生活にはあまり役立たないかもしれないがこれが必要だと思う。
「…自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)
とイエスさまは言われた。このみことばを実践できなくて苦悩しているキリスト者はどれだけいるだろうか?義のために怒っても罪を犯した者の傍らに立つことができるだろうか。いのちとはこんなところに隠されているような気がする。

2017年9月27日水曜日

畑Ⅱ

枯れたので新しく植えた苗
左は一日水をやらなかったら枯れてしまった
いのちはどこにあったのだろう?
右は何とか

虫の穴があるが順調

こちらも順調

同じく

虫に食われて
糞はあっても本体が?

後植えキャベツ順調のようです


2017年9月26日火曜日

ピノキオの冒険


「ピノキオの冒険」という本を図書館から借りて読んでいる。図書館で「ピノキオ」の本をと言ったら係員が児童図書のコーナーから「ピノキオの冒険」なる絵本を持ってきてくれた。140頁余りの絵本なのだが大判の所為か何かと読みづらくスイスイとはいかない。

「ピノキオ」は名前は知っていたが内容は人形が最後に男の子になった位の知識しかなかった。どこか聖書に関連づけるものがあるのかなとの思いで読んでみようと思った。

物語は
「むかしむかし、一本の丸太があったんだ。たいして立派な木だったわけじゃない。ごく普通の丸太。」で始まる。この木は泣いたり笑ったり話すことの出来る丸太だった。人形作りのゼベットじいさんはみんなが驚くような操り人形を作ろうと思っていた。そんな時この丸太を贈られるのである。彼は喜んで人形を作り「ピノキオ」と名付ける。この人形は目で物を見ることができ、耳で聞くことができ、口で話すことができるし自分で歩くこともできる。ただ嘘をつくと鼻が伸びるという特徴があった。そしてゼベットじいさんの元を離れて出て行ってしまう。ここからピノキオの冒険が始まる。というより悪さをと言った方がいいかもしれない。ゼベットじいさんの優しさを逆手に取るように、ある時は悪いと分かっていても誘惑に負けてしまって「悪」の道に走っていく、そして災いをこうむる。悪の猫とキツネ、善のコオロギとカタツムリとの出会いの中で彼は変わっていく。巨大なサメに食べられ、そこでゼベットじいさんと出会い、そこから命がけ脱出するがそれは自分が助かるためではなくゼベットじいさんを助けるため懸命に海岸へと泳ぎ、マグロの助けを借りて助かる。ある時、上着を買いに町に出掛けるが途中にカタツムリに出遭う。妖精のお母さんが病気でお金もないので困っているという話をするとピノキオはそのお金を渡す。上着は?の問いに「また働いて買いばいい」といつもは8つ作る籠を16個も作った。以前だったらゼベットじいさんが自分の上着を売って買ってくれた教科書を売って遊びに使う様な自分本位の子だったのに今は自分のことよりも他人のことを優先する子になった。お蔭でピノキオは一人の男の子となる。という物語である。

最初は欲望のままに、実に計算高く、そのために騙され金貨を失い、善意の妖精やコオロギやカタツムリの忠告を無視したお蔭で危険な目に会いながらも少しづつ変わっていくピノキオはこれでもかこれでもかと神の前から離れた人間の姿を見る思いと人形にすぎないピノキオが一人の立派な少年となる姿は救われて神の子とされたキリスト者とダブる。


補記として、ウエキペデアから

「作者のコロッデイは1826年11月にフィレンツェで生まれている。1861年にイタリヤが統一されたが国家や政府は外国からの従属的な状況に置かれていた。

1843年、スコローピ修道会の学校を卒業。これが最終学歴となった。翌年、フィレンツェの出版社ピアッティ出版に職を得て、そこに出入りする知識人と面識を得るようになり、特にジョヴァンニ・バティスタ・ニッコリーニに強く影響を受けた。彼から、愛国心共和主義の精神について深い感化を受ける。1848年第一次独立戦争への義勇兵としての参加など、その影響は作品の内容にも及んでいる。

1847年以降、雑誌への寄稿など、作家としての活動を始める。音楽・演劇・政治・文化批評など、その執筆分野は非常に多岐にわたる。コッローディのペンネームを使い始めるのは、1856年から。さまざまな記事を書きながら、彼の関心はイタリアの国民が自分たちをひとつのものとして感じることができるような自国語の共通の基盤を培うということに向けられ、それが次第に文学を通しての国民、特にその未来を担う子どもたちの教育に向かうようになる。1870年代後半から、シャルル・ペローの童話の翻訳をしたり、その中で童話のイラストを担当したエンリコ・マッツァンティと一緒に組んで仕事をする機会が増える。1881年、『子ども新聞』に最初の一部を連載した『ピノッキオの冒険』に、1883年、イラストを添えたのもこのマッツァンティである。」

とあるように彼はたんに子どもたちのために童話をというより時代を担うイタリア人はどうあってほしいかというメッセージが込められているようでもある。

全景
大根(右)とホウレン草

ネギはもう少し
インゲンと奥にあるピーマンはもう少し頑張れそう
ネットの中はキャベツと白菜

手前左が春菊、真ん中は大根、ネットは白菜とキャベツ
左奥はミニトマトもう少し頑張れそう、奥の花の脇はシシトウ

手前よりチンゲン菜、小松菜、ナス(もう少し頑張れそう)

ミニトマトとキュウリ(後もう少し)

茶色部分は厚さ10センチの雑草を根こそぎに(ボチボチやって一週間)


2017年9月19日火曜日

秋の風物詩




家の前のリンゴ園のリンゴ



近くのリンゴ園 真っ赤なリンゴです